上 下
9 / 18
第三章 夢の続き

夢の続き①

しおりを挟む
 「あら、ここは?」
 王妃は、戸惑ったように周囲を見回した。レオニーと共に移動してきたのは、自分が普段使っている部屋ではない。よく磨き上げられた猫足のアンティーク家具に囲まれた落ち着いた部屋。大きな掃き出し窓は、花柄のカーテンで覆われ、天井には手の込んだシャンデリアが下がっている。
 「本宮の応接室です。王妃様のプライベートルームに、私が入るわけには参りませんから」
 それはそうね。
 王妃は思った。でも、こんな部屋、あったかしら?
 部屋には、三人の侍女服に身を包んだ女が控えているが、どの顔にも見覚えがない。
 その中の一人が進み出る。細身で背が高い、眼鏡をかけた女。
 「では、まず、お着替えをなさってくださいませ。そのままでは、窮屈かと存じます」
 「着替え?」
 「こちらでございます」
 促され、レオニーを置いて隣の部屋に移動する。ミルキーグリーンを基調とした明るい部屋の中には大きな姿見があった。その前に立つと、侍女服に身を包んだ女たちが、次々に服を持ってきて、合わせていく。どれも、締め付けのない軽やかな素材でできた室内着ばかりだ。
 その中の一つを選ぶ。すぐに着替えが始まる……と思いきや、「まず、湯浴みを」と言われ、バスルームに案内された。白を基調とした陽光差し込むその部屋には、湯をたたえた大きなバスタブがある。中の白く濁った湯には、桜の花片が浮かんでいた。
 バスタブに身を沈める。女たちが、湯をかけたり香りの良い洗浄料で髪や体を洗ったりと、甲斐甲斐しく世話を焼く。その手際の良さは、一朝一夕に身についたものではない。おおかた、部屋付きの侍女たちなのだろう。召し上げ前の寵妃や来賓のお支度係。
 (この人たちは、どんな愛憎劇を目の当たりにしてきたのかしら)
 うつ伏せになってオイルマッサージを受けながら、ぼんやりと考える。
 王の謁見を控え、身支度を調えられる女たち。その先に広がるのは一体どんな……?
 冬枯れした大樹のような、ゴツゴツとした王の姿を思い浮かべる。正妃1人に多いときで12人の寵妃を抱えた渋い美丈夫。20年間連れ添ってきたけれど、その間に寵妃の顔ぶれは何度も入れ替わっている。
 彼女たちは、ほぼ例外なく国内外の王族貴族の娘で、表向きは国王の人生に華やぎを添えるために雇われた「寵妃」という肩書きの勤め人。だが、実際には、政治上の地固めの一石として使われ、下賜後もクーデターを未然に防ぐ盾となる間者のようなもの。その考えは、王妃をいつも心的優位に立たせている。だが、本人たちも割り切って、王妃と仲良くし、束の間の王宮生活をエンジョイしているとはいうものの、中には野心があり正妃の座を狙う者もいるだろう。国王との愛に溺れ、邪魔者の正妃の命を狙う者もいるかも知れない――。 
 そのような考えは、常に心の奥底にあり、折に触れ浮上しては王妃の心をさいなんでいた。仲良くしていた寵妃に夫を寝取られた上、命まで狙われたとしたら、自分の心はどうなるだろう?荒れ狂うのか、それとも静かに壊れるか?
 いずれにせよ、無傷ではいられないだろう。だから、自分の心を守るため、そして、自分が20年の歳月をかけて築き守ってきたものを横取りされないために、(耳に心地よい言葉を信じてはいけない、この王宮の誰にも決して心を許してはいけない)と自分に言い聞かせて生きてきた。唯一つの例外は、自分が腹を痛めて生んだ王子たち……。そう思っていたのに、それも甘い幻想だったようだ。
 王子は王の子、性分が似ていても何ら不思議はない。中でもロレンツィオ王子は、複数の女に同時進行で愛を囁くことにも抵抗がないどころか、女性経験を勲章のようなものと捉え、機会があれば、更に増やそうとしている節がある。片や、王子の婚約者ユリアナと自分は、己の伴侶唯一人に愛を捧げ、生涯添い遂げるのが淑女の鑑であり、円満にやり過ごすために自分の心を押し殺すのは良くあること、と教え込まれてきた者同士。ユリアナも、何も感じていないのではなく、思うところはあるものの、その教えを信じて敢えて何も言わなかったのだろう。本来なら、恋人に我がままを言っても笑って許されるうら若き女性が、相手が王子というだけで、心に蓋をして生きていかないといけないなんて……。
 だから、ユリアナの気持ちが分かるから、息子が婚約者にした所業に衝撃を受け、反旗を翻した。このような、相手の尊厳を踏みにじる卑劣で身勝手な行為は、国母として、母として、看過できない。それを、どう伝えたものか。王子を諭せるのは自分しかいない。そう思って行動に移したものの、あの怯えようでは、大切なことは何も伝わらないだろう……。

 深い思考の闇にとらわれ始めた王妃を慮ってか、湯浴み後、王妃の支度を調えていた侍女たちが、一際、明るい声で「終わりましたよ」と声をかける。
 「さ、参りましょう」
 促されるままに、最初にいた部屋に戻る。と、そこには一面、桜の海が広がっていた。
 足下には、厚く積もった淡いピンク色の花片、見上げれば雲海のように連なる満開の小花。ほのかにバニラの香りがする。
 「すごーい。きれいぃ」
 思わず感嘆の声を上げる。と、「ぐふっ」と変な声がした。
 声のした方を見ると、にこやかな笑みを浮かべて立っているレオニー・ダルトンの背後に、ゆるふわお団子頭に、透け感のあるクリーム色のリボン、身には小花柄のワンピースをまとった少女の姿が見え隠れした。鼻の頭が、こころなしか赤い。
 レオニーに隠れるようにして、王妃の様子を窺う姿は、小動物のようで、思わず餌を与えたくなる。痩せた子リスといった感じだ。
 「あなたがアナイス?」
 王妃の問いかけに、少女は、困惑してレオニーを見上げる。どう答えていいか分からないのだ。レオニーが「軽くスカートをつまんでカーテシ―すればいいよ」と言っても、レオニーのローブの袖を苛立たしげに引き、「ちゃんと教えて!」と譲らない。レオニーは、仕方なく、身をかがめて少女の耳元で何やらささやく。うなずきながら聞いていた少女は、やがて小さく気合いを入れると一歩前に出て、「お、王妃陛下におきゃれましては、ご機嫌うるわしゅうじょんじまふ。わ、わたくしは、あないすぼーんといふもので……、王妃様におめにきゃきゃれてきょおえつしぎょくに○×□△※……・」と口上を述べ、ぎこちないカーテシ―を披露した。
 「ほら、言わんこっちゃない」と言わんばかりに天を仰ぐレオニー。噛み噛みの上、最後の方は何を言っているのか分からない。それでも、王妃は、「はじめまして、アナイス」とにこやかに返した。
 「これは、あなたが用意してくれたの?」
 王妃の問いかけに、アナイスは、こくん、とうなずく。
 「どうやって遊ぶのがいいのかしら?教えてくれない?」
 アナイスは、レオニーを振り返る。そして、レオニーの目顔での合図にうなずくと、「こうやって!」と言うなり、勢いをつけて厚く積もった桜の花片めがけてダイブした。そのまま、転げ回ったり足をバタバタさせたり花片をすくい上げて散らしたりと大暴れする。その様子を見ていた王妃は、目を輝かせ、両手を挙げて花片の海に頭から突っ込み、アナイスの横にスライディングして止まると、ゲラゲラと声を上げて笑い始めた。
 それを合図に、侍女たちが、花片を侍女服のエプロンいっぱいに集めては、「そーれっ」と放り上げる。はらはらと上手くほぐれて舞い落ちればいいが、ごそっとまとまって落ちるものもある。アナイスも、王妃も、「我こそは」と両手いっぱいに花片をすくっては放り上げ、はらはらとほぐれて落ちてくるのを楽しみに待つ。そのうち、誰が鬼とも分からない鬼ごっこがはじまり、侍女たちに「それーっ」とばかりに花片をかけられそうになって逃げるアナイスと逃げ道を指示する王妃の嬌声が、部屋中にこだました。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

いらないと言ったのはあなたの方なのに

水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。 セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。 エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。 ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。 しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。 ◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬 ◇いいね、エールありがとうございます!

記憶を持ったままどこかの国の令嬢になった

さこの
恋愛
「このマンガ面白いんだよ。見て」 友人に言われてマンガをダウンロードして大人しく読んだ。 「君はないね。尻軽女にエルマンは似合わないよ」 どこぞの国の物語でのお見合い話から始まっていた。今はやりの異世界の物語。年頃にして高校生くらいなんだけど異世界の住人は見るからに大人っぽい。 「尻軽ですって!」 「尻軽だろう? 俺が声をかけるとすぐに付いてくるような女だ。エルマンの事だけを見てくれる女じゃないと俺は認めない」 「イケメンだからって調子に乗っているんじゃないでしょうね! エルマン様! この男は言葉巧みに私を連れ出したんですよ!」 えっと、お見合い相手はエルマンって人なんだよね? なんで一言も発さないのよ!それに対して罵り合う2人。 「もういい。貴女とは縁がなかったみたいだ。失礼」 冷酷な視線を令嬢に向けるとエルマンはその場を去る。はぁ? 見合い相手の女にこんな冷たい態度を取るなら初めから見合いなんてするなっての! もう一人の男もわざとこの令嬢に手を出したって事!? この男とエルマンの関係性がわからないけれど、なんとなく顔も似ているし名前も似ている。最低な男だわ。と少し腹がたって、寝酒用のワインを飲んで寝落ちしたのだった。

今世ではあなたと結婚なんてお断りです!

水川サキ
恋愛
私は夫に殺された。 正確には、夫とその愛人である私の親友に。 夫である王太子殿下に剣で身体を貫かれ、死んだと思ったら1年前に戻っていた。 もう二度とあんな目に遭いたくない。 今度はあなたと結婚なんて、絶対にしませんから。 あなたの人生なんて知ったことではないけれど、 破滅するまで見守ってさしあげますわ!

大嫌いな聖女候補があまりにも無能なせいで、闇属性の私が聖女と呼ばれるようになりました。

井藤 美樹
ファンタジー
 たぶん、私は異世界転生をしたんだと思う。  うっすらと覚えているのは、魔法の代わりに科学が支配する平和な世界で生きていたこと。あとは、オタクじゃないけど陰キャで、性別は女だったことぐらいかな。確か……アキって呼ばれていたのも覚えている。特に役立ちそうなことは覚えてないわね。  そんな私が転生したのは、科学の代わりに魔法が主流の世界。魔力の有無と量で一生が決まる無慈悲な世界だった。  そして、魔物や野盗、人攫いや奴隷が普通にいる世界だったの。この世界は、常に危険に満ちている。死と隣り合わせの世界なのだから。  そんな世界に、私は生まれたの。  ゲンジュール聖王国、ゲンジュ公爵家の長女アルキアとしてね。  ただ……私は公爵令嬢としては生きていない。  魔族と同じ赤い瞳をしているからと、生まれた瞬間両親にポイッと捨てられたから。でも、全然平気。私には親代わりの乳母と兄代わりの息子が一緒だから。  この理不尽な世界、生き抜いてみせる。  そう決意した瞬間、捨てられた少女の下剋上が始まった!!  それはやがて、ゲンジュール聖王国を大きく巻き込んでいくことになる――

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

ドアマットヒロインにはなりません!

こうじ
恋愛
『これって不遇ルートまっしぐらじゃないっ!?』母親の葬儀の直後に父親が再婚宣言をした。その時、今の私の状況がよく読んでいた小説と似ている事に気づいた。『そんなの冗談じゃない!!』と自らの運命を切り開く為にしたヒロインの選択は……?

聖騎士は 愛のためなら 闇に墜つ

はにわ
ファンタジー
女神ラビスを信仰しているラビス教本部のある『神国 サンクレア』は、女神の加護を受けた『四聖女』と呼ばれる四人の聖女がおり、四聖女が大地に実りを、国の平和を祈りそれを実現することで国が繁栄してきた。 聖女らには一人につき一人ずつ『聖騎士』と呼ばれる武と人格に優れた者が護衛につく。 その聖騎士の一人であるカイは、護衛対象である聖女イリスと恋に落ち、恋人同士となり将来を誓い合っていた。 だがイリスはサンクレアを襲った未曾有の危機『最後の抵抗』と呼ばれる魔族の大群の襲撃時に、体が衰弱し続け、長く生きられなくなる呪いを受けることになる。 呪いを解くためにはラビス教では禁忌とされている呪術による解呪が必要となるが、聖騎士としての矜持を捨ててまで呪術に頼りイリスを救おうとしたカイを聖騎士仲間であるハルトが立ち塞がり、戦いの中でイリスは命を散らしてしまう。 絶望に打ちひしがれたカイだったが、そんな彼の元に怪しい男にやってきた。 「貴方の恋人を生き返らせる方法があると言ったら、どうしますか?何でもしますか?」 見るからに怪しい男だったが、カイは即座に何でもすると答えた。 男の言うイリスを生き返らせる方法は、聖騎士としての矜持を捨てるどころか、かつての仲間含めサンクレアそのものに刃を向ける非情たるものだった。 闇堕ちした元聖騎士カイは最愛の恋人を生き返らせるため、躊躇うことなく悪の道を歩むことにしたのだった。 ※残酷描写有り

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

処理中です...