フジタイツキに告ぐ

Sora Jinnai

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解説 辻木大風

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 本作は「本格推理もどき」という表現がふさわしい。これは決して馬鹿にする意図があってのことではない。主人公の藤田樹は情報を見聞きするワトソンであり、犯人を指名するホームズであり、華麗に犯罪を犯すモリアーティである。ここまで役割を偏重させると当然読者に提示される情報が場面によって偏る。本格推理の体裁を保ちつつ、読者とアンフェアな関係を築いた本作は、まさしく定石を逸した「本格推理もどき」である。
 主人公一人に主要役割三つを任せる本作は、全編を通してSora Jinnai氏の腕の見せ所であっただろう。とはいえ、本作は語られていない情報や納得のいかない描写が多い。私の解説ではこれら諸問題を補足することで、一人でも多くの読者が後味よくこの本を閉じられるよう努める所存だ。
 本作の最大の問題は、最後まで犯人が明かされない点にある。エラリー・クイーンの「国名シリーズ」でお馴染み「読者への挑戦状」を拝借してはいるものの、本作は挑戦状を提示したそこで物語が終わる。誰が犯人かを推理する要素を散りばめるだけ散りばめ、あとは読者におまかせ、というやり方は暴挙と言って差し支えない。しかし、張り巡らされた伏線は主人公への疑念を生み、読者により一層警戒した読み進め方を促す。言い換えれば、読者そのものがこの事件の探偵になりうるのである。
 さて、ここまで読んだ読者諸君は気付いたであろうが、真犯人は藤田樹である。彼が犯人である伏線は断片的に張られていた。一つは事件前夜の出来事。もう一つは新津大河を殺害する前後である。
 事件前夜は四人で麻雀で遊んでいたと描写があり、その後それぞれがどのような行動を取っていたかについて藤田、新津、南来の三人が判明している。新津は南来を招き、深夜1時から自分の部屋で打ち合わせを行っていた。そして藤田は、1時30分まで着火棒などのバーベキューの道具を倉庫に片付けていた。新津の使う部屋と倉庫の壁は著しく防音性の低い作りになっており、倉庫にいた藤田はこれから行われる殺人ドッキリの全容をすべて聞くことができたのである。
 9時前に森野玄太郎が被害者に会って以降、被害者と二人きりになった人物は、シーツをかけに行った藤田樹のみである。殺害する描写については章をまたぐことで省かれているが、犯行に及んだことは違和感を持たせぬ形で描写されていた。五章ではホットドッグを作る描写される。ソーセージを茹で、パンを焼き、レタスを洗い、最後にそれらを合わせる。しかし六章の皿洗いでは包丁を洗ったと語られる。果たして一連のホットドッグ作りのどこで包丁を使う工程があったのだろうか。ホットドッグ用に販売されるパンはあらかじめソーセージを挟めるよう切れ込みが入れられており、わざわざ更に包丁をいれる必要はない。レタスについても「食べやすいサイズにする」という表現のみで、「包丁を使った」とは明言されていない。藤田は包丁を新津を殺すために使用し、洗っているのだと考察できる。また、五章と六章の間で新津大河が殺害されたことからサブタイトルの意味も解き明かせる。各章の「残り◯分」は、被害者が死に至るまでのカウントダウンを表していたのだ。
 以上のように、アリバイから新津大河を殺害することができた人物は藤田樹に絞られる。推理の最中にテーブルの麻雀牌から国士無双を揃える演出では、雀頭ジャントウ――あがるために必要な二枚の同じ牌――が揃っていなかったことからも、彼の推理が真実を言い当てていなかったことが表現されているのではないだろうか。
 さて、推理を披露する場面では、あえて読者が違和感を持つような描写がされていたように思う。作者の名前がアルファベットのアナグラムであるという点だ。伊谷番いたにつがいと新津大河のアナグラムを説明するなら、普通はアルファベットではなくひらがなである。作家名と本名の関係を、なぜアルファベットのアナグラムと説明したのか甚だ疑問が残る。
 また本作は15年前にY県で起きた実際の事件を元にしている。2009年9月、共に宿泊していた友人を殺害したとして、南来壮二容疑者(20)が逮捕された。本作と実際に起きた事件との関連性については作者から何も語られていないが、15年も前の事件をわざわざ掘り返すことは、関係者にとって望ましくないだろう。登場人物の名前だけでも差し替えるべきだと私は提案する。

辻木大風つじきたいふう:1989年Y県生まれ。明都大学経済学部卒。2009年6月『ラーキング・シェイプシフター』で紀貫之賞を受賞しデビュー。

本書は2024年、小社より刊行された作品の文庫化です。
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