フジタイツキに告ぐ

Sora jinNai

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七 残りマイナス15分

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「このトリックは凄い。なぜなら認知的にも感覚的にも欺いたトリックだったから」
「それって一体なにしたんだよ」
 玄太郎はいつもと様子が違って、食い入るように俺に質問する。

「なにって、飛び降りたんだよ。窓から」
「は?」
 玄太郎は魂を抜かれたように呆然とした。

「二階から一階へ降りる方法はただ一つ、ダイニングを通って階段を降りること。けど実際はそれだけじゃなかった。犯人は夜のうちに庭に通じる扉の鍵を開けていたんだ。だから二階から飛び降りたら、そこから一階へ侵入、犯行に及ぶことができた。これが認知体な欺き。もうひとつの感覚的な欺きだけど、こちらはとてもわかりやすい。音だ。着地したときの音によって俺たちに気づかれる可能性があった。しかし着地する地面はやわらかい土、おまけに俺たちはテレビに夢中。これでは音になんか気づけるわけがない。こうして犯人は無事に一階へ侵入、大願を成就させることができた。しかし、それだけでは終わらない。犯人は外部犯の線を弱めることで、俺たちの疑心暗鬼を誘った。それがセカンドトリック、フェイクの手紙」

 テーブルのハツの牌を中指でピンと弾いた。回転する發は他の牌とぶつかり、その牌をテーブルの外へとはじき出した。

 俺が説明を始める前に玄太郎が口を挟む。
「実際の犯行は9時20分だったから、それを誤認させるため。残った10分で原稿用紙とメモをコンロに入れ、三人のなかに犯人がいることを強調した」

「概ねそのとおりだ。だけど犯人はここで少し頭を捻った。原稿用紙は読解不可能になるまで燃やし尽くし、メモの方は内容が分かるように焦がす程度にとどめた。」

「ちょっと待って。なんで焼き加減をあえて調整したの」
 玄太郎は当然の疑問を投げかける。

「メモは内容を知ってもらうためにも、完全に燃やすのは避けないといけない。逆に原稿用紙200枚は、まったく燃えていなかったら不自然すぎる。原稿用紙とメモを証拠隠滅したように見せかけ、メモだけはしっかりと内容を理解してもらう。そのためにも焼き加減は重要だったんだ」

 山のなかで一枚だけ表になっているチュンの牌を手で握り、その手をポケットにつっこむ。

「さて、殺人と伏線の準備を終えた犯人だったが、彼はこの保養所に来てあることに気づいていた。そしてそれを利用し、自分のアリバイを完全なものにしたんだ。」
 俺は懐から紙を取り出した。



「これは、保養所の見取り図か」
「ああ、ドアの開く角度まで念入りに書き込んでおいた。ここを見てくれ」
 トイレと浴室の扉を指さした。

「この保養所はトイレを経由しないと浴室に入ることが出来ない構造になっている。だけどそれだけじゃない。浴室の扉を開けて中を覗くには、トイレの扉を閉めなきゃいけないんだ。これがサードトリック、家の構造」
「そうか。この構造なら一階に潜んだ犯人は死体を発見したところで後ろから合流。さも二階から降りてきたかのように思わせることができる」

「だけどこの時、犯人の身に最初にして最大のピンチが訪れた。殺人と伏線の準備を終えた犯人だったが、リビングに戻ろうとしたらちょうど藤田樹が死体を発見してしまっていた。この犯人はおっちょこちょいなのか、原稿用紙を焼くのに夢中で9時30分というリミットが近づいていることに気づかなかった。少し先で友人が死体を発見している。だから犯人は、これだけはできなかったんだ」

 そう言うと俺は庭へ通じる扉の前に立つ。そしてかけられている鍵に指をかけ、そのまま手首を回した。

 ガチャリ

「ああ、音か。階段を使って降りてきたと思わせたいのに、鍵をかける音が聞こえるのは致命的だ」
「この扉は保養所ができた後に増設されたもので、他のものよりも新しいんだ。だからこの通り、ドアノブをひねったり、開け閉めをしたりしても音はならない。ただ、鍵を動かすときだけは、――ガチャリ――この通り、他の扉同様大きな音がなってしまうんだ」

 テーブルへ戻り、ポケットの中の牌を勢いよく叩きつける。

「犯人はこれらのトリックをつかい、あたかも二階の自室にいるように俺達を欺いた。玄と俺がテレビを見ている間、犯人は部屋の『』にいなかったんだ」

 俺は左手の人差し指を水平にのばす。

「犯人はお前だ、南来壮二」

 壮二の肩が揺れる。全身が揺れる。次の瞬間、高笑いが家全体に響く。
 軽く、高く、乾燥した笑い。力強さや気取った感じもない。烏天狗の作り笑い。

「面白いけど、わからない点が多すぎる。例えば三人全員に疑いとアリバイを持たせるってところだ。犯人がわざわざ自分も疑われるような状況を作り、誰か一人が浮かないよう全員のアリバイを確保する。そんなの普通じゃないだろ」

「痛いところをつくね。この推理のダメなところは、犯人の動機に対して行動のリスクが見合わないところなんだ」
 壮二は椅子を引き、ドスンと座り込んだ。

「あと原稿用紙についても疑問だ。あれは被害者の新津大河が執筆したものという前提だったが、もしかしたらあれは俺が書いたものかもしれないだろ」
「それはないよ」
「どうして」
「ヘボン式ローマ字」

 俺はロッカーを開くと、ペン立てを持ってきて席につく。
 黒のボールペンを取り出すと、見取り図の裏に文字を書いた。

「アメリカの宣教師ヘボンが考案したローマ字によって、日本人は自分の名前をアルファベットに起こすことができる。被害者、新津大河をローマ字起こしすると『taiga NIITSU』。『胎に潜むシェイプシフター』の作者は伊谷番いたにばん、だけど番という字は『ツガイ』とも読むことができるね。一般的に番は二つで一つのものやカップルを表す。小説のタイトルとも関連のありそうな単語だ。伊谷つがいをローマ字に置き換えると『tsugai ITANI』。そしてこうやって繋ぎ合わせると」

 俺は二つのローマ字起こしされた名前を上下に書き、同じアルファベットを線で結んでいく。
 一連の作業の後、すべての文字は線で結ばれた。

「そうか、伊谷番は新津大河のアナグラムだったのか」
「面白いよな、壮二もやってみろよ」

 そう言って俺は紙とボールペンを壮二に渡す。壮二は新しいおもちゃを見つけたように目を輝かせながらアナグラムに興じた。

「おお、本当だ。並び替えたら完全にそうなる、すごいなこれ」
「だろ。あいつも面白いこと考えたよな」
 俺はペン立てを壮二に差し出す。壮二はボールペンをそのまま入れた。

 ピピピピ ピピピピ  ピピピピ ピピピピ

 次の瞬間、浴室からアラームが聞こえた。

「え、これってあの時と同じ」
 玄太郎は怯えたように呟く。

「行こう」
 俺は先陣をきって浴室へ向かった。
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