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パラディーゾ
月の天と果たせぬ約束
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グノートス遺跡 第7階層 08:42 a.m.(推定) フランチェスコ
2人は階段を上ると、石畳を持ち上げて第7階層に再びくり出した。
オイルランプをかざすと淡い光が暗闇を照らしだしていく。柱の裏には濃い影を作り、フランチェスコの踏み出す足をすくませる。暗闇が怖いと感じたのは久しぶりだった。
一昨日通った道は様相を異にしていた。淀んだ空気。じめじめとした強い湿気が息苦しさを感じさせた。
カサカサ。
何かが床をこする音が聞こえる。音に反応して思わず体がビクリと跳ねた。
やはりクロウル・ドラゴンはまだこの遺跡の中にいる。そう考えると段々膝から感覚が抜けていった。
「お、おいあんた。ランプはしっかり持て。明かりが揺れているとよく見えないだろう」
「え、ああ」
そう指摘されて初めて自分の体が震えていることに気付いた。情けない自分を鼓舞したいところだが、いつ襲われるかわからないという恐怖の前ではとてもそうはいかなかった。
フランチェスコは右足を前に出し、右手の剣を揺らして周囲を警戒する。左手のランプをあえて後ろから照らすように持つのは、接敵した際に叩き落とされないためだ。
パラヘルメースはフランチェスコの後方から一歩と離れぬ距離を歩く。
心臓は周りに聞こえそうなほど高鳴り、乱れる息は深く呼吸して整えようと努める。勇気を振り絞り、震える足で少しずつ前進していく。一歩、また一歩。けして焦らず、死角になる部分一つ一つに注意を注いだ。
階段から数メートル歩くと、左へ曲がる角が見えてきた。
2日前、フランチェスコはこの場所で必死に声を張り上げて生存者を探していた。今は逆に声を押し殺して探している。
曲がり角の壁に背をぴったりとつける。左手のランプと一緒に恐る恐る壁から顔を出した。
眼前には先が見えないほど長い廊下がのびている。灰色の石床は途中から黒く塗りつぶされていた。
光りを吸い込むような朽ちた黒色。その中から飛び出すように、無数の細く明るい色が飛び出しているのが見えた。
手足。力尽きた者たちの手足だった。
1つ2つではない。それらは折り重なって道の左右にかたまって転がっていた。フランチェスコが想像したのは戦争の後の死屍累々だった。
鎧をはがされ、生きたまま内臓を引きずり出されたのだろう。肉体は力がこもったまま静止して動かない。
表情はそれぞれが苦悶に歪み、生きながら味わった苦痛を見る者に感じさせる。
2人とも死体そのものは見慣れていた。広場で行われる処刑に参列したこともある。それは自分が当事者でないという前提に立ったものに過ぎない。悪魔の責め苦を生きながら味わう、まさに地獄の死に様。これが自分にも降りかかるとなれば誰もが恐れ、慄くだろう。そう思わせる凄惨さにフランチェスコたちは打ちひしがれた。
一歩踏み出せば黒く固まった血の海だ。呼吸が乱れることも忘れて目を見開いたまま立ち尽くす。ここに踏み出す決心がなかなかつかない。
ここはフランチェスコが地獄へ突き落とした死者たちの墓標。自分が殺したも同然の彼らは、きっと自分を恨んでいるに違いないと思った。屍の山は同時に罪悪感という恐怖を上乗せしてきた。
「何してるんだ、はやく進め」
パラヘルメースの激が飛ぶ。気づかれないよう押し殺した小さな声だが静寂の中では驚かすに足るものだった。
「うわっ、急に話しかけないでください」
グチャリ。床に広がった血はまだ完全に固まっておらず、生々しい水音を鳴らした。下を見ると血が足に跳ねて斑点を作っていた。やってしまったと思い、左の袖で額の汗を拭った。ランプを掲げるような姿勢になる。
「おい、あれはなんだ」
パラヘルメースが声を上げた。フランチェスコは驚いて目を見張ったが何も見当たらない。不思議に思い、振り返って訊いた。
「あの、何も見えないんですけど」
「何かが光ったんだよ。ほら奥の階段近くの足元」
そう言われた場所に目を凝らすが暗くて確認できない。やきもきしたパラヘルメースはランプを奪うと上げたり下げたりしてみせた。
今いる位置から20メートルほど奥に、キラリと何かが光を反射した。彼の言うとおり階段わきの柱のあたりだ。
2人はぴちゃぴちゃと血の池の中を進み、階段脇の柱の前に着いた。オイルランプの明かりが照らし出したのは、食事用のペティナイフだった。丁寧に尖れていて、銀色の刃がランプを明かりを反射していたのだ。
ペティナイフ! まさにフランチェスコとベアトリーチェが血眼で探し回っていたレアンドロ殺しの凶器。殺人に用いたのだから血がべっとり付着している姿をイメージしていたが、ほこりを被っただけであまり汚れてはいなかった。
それにしてもなぜこんなところに落ちているのだろう。フランチェスコは発見できた興奮と混乱で悶々とした。そしてすぐに最悪の想像が脳をよぎった。事件後、この場所を通ったのは自分たち以外にベアトリーチェのほかにいない。彼女はここを通るときにペティナイフを捨てて行ったのだ。だとするとレアンドロを殺した犯人もベアトリーチェということになる。そういえば彼女は父親殺しの嫌疑をかけられていた。もしそれが本当だとしたら……。信じてきた人物像が崩れ去り、狂気の笑顔を浮かべる殺人鬼に塗り替わっていく。
「おいどうした。顔色悪いぞ」
パラヘルメースはめずらしく気遣う様子を見せる。
「もしかすると、犯人はベアトリーチェ卿なのかもしれないです」
「何を云ってるんだあんた」
「だって、事件後にここを通ったのは僕たちとベアトリーチェ卿しかいないじゃないですか」
「ずいぶん失礼な勘違いだな。おそらくベアトリーチェ卿はここを通っていない」
パラヘルメースはさも当たり前のように言い放ったためフランチェスコは唖然とした。パラヘルメースは振り返って足元を指さした。
血の広がる床に赤い靴跡がついていた。足跡は二人分。靴の形をしっかりと残していた。
「見ろ。死体の山でできた血だまりを歩いたから足跡が付いたんだ。血は完全に乾ききっていなかったから、泥を歩いたみたいに形が残ったんだ。ここには俺たち二人分しか跡がないから、ノーノさんは血だまりより奥側には来ていないということになる」
パラヘルメースはナイフを懐に仕舞うと、片手を腰に当てて云った。
「ええっと、じゃあ彼女は今どこに」
「おそらく、第9階層にいるのだろうな。しかし今度はどうやって降りたのかが分からない。下へ向かう階段はラルフを閉じ込めるために石畳の上に荷物を置いていた。あれをどけない限り下には行けないし、一人ではどうやったって荷物をもとの位置に置きなおすことはできない。だからそこは一番ないと考えていたんだが……」
半ばひとりごとのような説明をするパラヘルメース。フランチェスコは真剣に聞き入っていた。
「そうと分かれば、第9階層に行くべきですね。あそこにはラルフさんがいるから、ベアトリーチェ卿が来ればすぐ気づくはずです」
お互い疑問の残る捜索だったが、そうと分かればこんなところに用はない。足早に去ろうとしたその時だった。
ぺたぺた。するする。ぺたぺた。
やわらかいものが地べたに当たる音。何かが滑るような音。それは階段の上から聞こえてくる。
思わず息をのむ。呼吸を止めて耳にだけ意識を集中した。
するする。するする。
次に耳が拾ったのは滑る音だけ。それは段々とこちらに近づいてくるようだ。
パラヘルメースと目が合う。緊張が表情を消し去ってまるで彫刻のように固まっていた。
フランチェスコが正面に向き直ると、それは姿を見せた。
灰色の頭は返り血が浴びて毒々しいまだら模様をおびている。階段は大人三人が並んで通れるほどの幅があるのだが、足がつっかかってしまうほどの巨体。以前見た時より胴体が膨れ上がってより威圧感を増していた。たらふく人間の臓物を食らったはずなのに、ぎょろりと光る眼光はなおも捕食者の欲を宿している。フランチェスコたちを恐怖に陥れたクロウル・ドラゴンが再び姿を現した。
蛇ににらまれた蛙という慣用句があるが、実際恐ろしい存在を前にしたとき生き物は肩をすくめて怯えるしかないのだろう。彼らもまた青ざめてその場に立ち尽くした。なぜ逃げないのかといえば、脳は即座に警告を出しているのに体が追い付かないのだ。動きたくても動けない感覚、無限に続くクロノスタシスが尿意を催すような焦りを加速させた。
クロウル・ドラゴンが歩を速めた瞬間、やっと体が反射的に退きフランチェスコたちは動くことができた。叫び声をあげ、一目散に来た道を走って引き返す。
すぐ背後でパシャパシャと水音がたってモンスターも猛追していることが分かった。
全速力で曲がり角に差し掛かった時、フランチェスコの右足が引っかかりを感じた。目を落とすとクロウル・ドラゴンが踏み切ろうとした靴に噛みついていたのだった。
フランチェスコはすぐに足を引き抜く。脱げた靴は次にまばたきした頃には果物の皮のようにグシャグシャと形が変わっていた。
バランスを崩し、フランチェスコは失速する。パラヘルメースはこちらの様子に気付いていない。わき目を振らずに石畳へ向かって走っていた。たとえ石畳にたどり着いたとしても開ける前に捕まってしまう。
このままでは共倒れだ。フランチェスコは覚悟を決め、クロウル・ドラゴンに向き直った。コーナリングで距離を稼ぎ、間は3メートルとすこし。
フランチェスコは左手に持っていたランプのオイルを横一線に撒いた。オイルは空中で引火し、瞬く間に広がった炎の障壁がモンスターの行く手を阻んだ。
どんな生き物も本能的に火を恐れる。奴もその例にもれず、火を前にしてひるむ様子を見せた。
「何してる、早く来い」
パラヘルメースの呼ぶ声で再び石畳へ走り出す。持ち上げられできた隙間に体を潜り込ませると、ゴトンとふたは閉められた。
またしても命からがら生き延びることができた。改めて胸をほっとなでおろす。
「よかった。2人していなくなるから心配したんだぞ」
気づくと階段の前にダミアンが座っていた。こちらを見とめるとその場から立ち上がる。
よく生きて戻ってきたと肩に手を置いてきた。彼はずっとここで待っていたのだろうか。随分優しいのだなとフランチェスコは意外に思った。
「わざわざここで待っていたというのはどういう要件だ」
パラヘルメースも同じことを考えていたらしく質問する。すぐにダミアンの表情は曇った。
何か猛烈な悪寒が腹の底に沸き立った。フランチェスコが心の内で最悪の予測をしたためだ。ベアトリーチェが遺体で見つかること、それは事実だとしても耳をふさぎたくなるような最悪の予測だった。しかし事態は思いもよらない形で突きつけられた。
「リュディガーが、死んでいる」
2人は階段を上ると、石畳を持ち上げて第7階層に再びくり出した。
オイルランプをかざすと淡い光が暗闇を照らしだしていく。柱の裏には濃い影を作り、フランチェスコの踏み出す足をすくませる。暗闇が怖いと感じたのは久しぶりだった。
一昨日通った道は様相を異にしていた。淀んだ空気。じめじめとした強い湿気が息苦しさを感じさせた。
カサカサ。
何かが床をこする音が聞こえる。音に反応して思わず体がビクリと跳ねた。
やはりクロウル・ドラゴンはまだこの遺跡の中にいる。そう考えると段々膝から感覚が抜けていった。
「お、おいあんた。ランプはしっかり持て。明かりが揺れているとよく見えないだろう」
「え、ああ」
そう指摘されて初めて自分の体が震えていることに気付いた。情けない自分を鼓舞したいところだが、いつ襲われるかわからないという恐怖の前ではとてもそうはいかなかった。
フランチェスコは右足を前に出し、右手の剣を揺らして周囲を警戒する。左手のランプをあえて後ろから照らすように持つのは、接敵した際に叩き落とされないためだ。
パラヘルメースはフランチェスコの後方から一歩と離れぬ距離を歩く。
心臓は周りに聞こえそうなほど高鳴り、乱れる息は深く呼吸して整えようと努める。勇気を振り絞り、震える足で少しずつ前進していく。一歩、また一歩。けして焦らず、死角になる部分一つ一つに注意を注いだ。
階段から数メートル歩くと、左へ曲がる角が見えてきた。
2日前、フランチェスコはこの場所で必死に声を張り上げて生存者を探していた。今は逆に声を押し殺して探している。
曲がり角の壁に背をぴったりとつける。左手のランプと一緒に恐る恐る壁から顔を出した。
眼前には先が見えないほど長い廊下がのびている。灰色の石床は途中から黒く塗りつぶされていた。
光りを吸い込むような朽ちた黒色。その中から飛び出すように、無数の細く明るい色が飛び出しているのが見えた。
手足。力尽きた者たちの手足だった。
1つ2つではない。それらは折り重なって道の左右にかたまって転がっていた。フランチェスコが想像したのは戦争の後の死屍累々だった。
鎧をはがされ、生きたまま内臓を引きずり出されたのだろう。肉体は力がこもったまま静止して動かない。
表情はそれぞれが苦悶に歪み、生きながら味わった苦痛を見る者に感じさせる。
2人とも死体そのものは見慣れていた。広場で行われる処刑に参列したこともある。それは自分が当事者でないという前提に立ったものに過ぎない。悪魔の責め苦を生きながら味わう、まさに地獄の死に様。これが自分にも降りかかるとなれば誰もが恐れ、慄くだろう。そう思わせる凄惨さにフランチェスコたちは打ちひしがれた。
一歩踏み出せば黒く固まった血の海だ。呼吸が乱れることも忘れて目を見開いたまま立ち尽くす。ここに踏み出す決心がなかなかつかない。
ここはフランチェスコが地獄へ突き落とした死者たちの墓標。自分が殺したも同然の彼らは、きっと自分を恨んでいるに違いないと思った。屍の山は同時に罪悪感という恐怖を上乗せしてきた。
「何してるんだ、はやく進め」
パラヘルメースの激が飛ぶ。気づかれないよう押し殺した小さな声だが静寂の中では驚かすに足るものだった。
「うわっ、急に話しかけないでください」
グチャリ。床に広がった血はまだ完全に固まっておらず、生々しい水音を鳴らした。下を見ると血が足に跳ねて斑点を作っていた。やってしまったと思い、左の袖で額の汗を拭った。ランプを掲げるような姿勢になる。
「おい、あれはなんだ」
パラヘルメースが声を上げた。フランチェスコは驚いて目を見張ったが何も見当たらない。不思議に思い、振り返って訊いた。
「あの、何も見えないんですけど」
「何かが光ったんだよ。ほら奥の階段近くの足元」
そう言われた場所に目を凝らすが暗くて確認できない。やきもきしたパラヘルメースはランプを奪うと上げたり下げたりしてみせた。
今いる位置から20メートルほど奥に、キラリと何かが光を反射した。彼の言うとおり階段わきの柱のあたりだ。
2人はぴちゃぴちゃと血の池の中を進み、階段脇の柱の前に着いた。オイルランプの明かりが照らし出したのは、食事用のペティナイフだった。丁寧に尖れていて、銀色の刃がランプを明かりを反射していたのだ。
ペティナイフ! まさにフランチェスコとベアトリーチェが血眼で探し回っていたレアンドロ殺しの凶器。殺人に用いたのだから血がべっとり付着している姿をイメージしていたが、ほこりを被っただけであまり汚れてはいなかった。
それにしてもなぜこんなところに落ちているのだろう。フランチェスコは発見できた興奮と混乱で悶々とした。そしてすぐに最悪の想像が脳をよぎった。事件後、この場所を通ったのは自分たち以外にベアトリーチェのほかにいない。彼女はここを通るときにペティナイフを捨てて行ったのだ。だとするとレアンドロを殺した犯人もベアトリーチェということになる。そういえば彼女は父親殺しの嫌疑をかけられていた。もしそれが本当だとしたら……。信じてきた人物像が崩れ去り、狂気の笑顔を浮かべる殺人鬼に塗り替わっていく。
「おいどうした。顔色悪いぞ」
パラヘルメースはめずらしく気遣う様子を見せる。
「もしかすると、犯人はベアトリーチェ卿なのかもしれないです」
「何を云ってるんだあんた」
「だって、事件後にここを通ったのは僕たちとベアトリーチェ卿しかいないじゃないですか」
「ずいぶん失礼な勘違いだな。おそらくベアトリーチェ卿はここを通っていない」
パラヘルメースはさも当たり前のように言い放ったためフランチェスコは唖然とした。パラヘルメースは振り返って足元を指さした。
血の広がる床に赤い靴跡がついていた。足跡は二人分。靴の形をしっかりと残していた。
「見ろ。死体の山でできた血だまりを歩いたから足跡が付いたんだ。血は完全に乾ききっていなかったから、泥を歩いたみたいに形が残ったんだ。ここには俺たち二人分しか跡がないから、ノーノさんは血だまりより奥側には来ていないということになる」
パラヘルメースはナイフを懐に仕舞うと、片手を腰に当てて云った。
「ええっと、じゃあ彼女は今どこに」
「おそらく、第9階層にいるのだろうな。しかし今度はどうやって降りたのかが分からない。下へ向かう階段はラルフを閉じ込めるために石畳の上に荷物を置いていた。あれをどけない限り下には行けないし、一人ではどうやったって荷物をもとの位置に置きなおすことはできない。だからそこは一番ないと考えていたんだが……」
半ばひとりごとのような説明をするパラヘルメース。フランチェスコは真剣に聞き入っていた。
「そうと分かれば、第9階層に行くべきですね。あそこにはラルフさんがいるから、ベアトリーチェ卿が来ればすぐ気づくはずです」
お互い疑問の残る捜索だったが、そうと分かればこんなところに用はない。足早に去ろうとしたその時だった。
ぺたぺた。するする。ぺたぺた。
やわらかいものが地べたに当たる音。何かが滑るような音。それは階段の上から聞こえてくる。
思わず息をのむ。呼吸を止めて耳にだけ意識を集中した。
するする。するする。
次に耳が拾ったのは滑る音だけ。それは段々とこちらに近づいてくるようだ。
パラヘルメースと目が合う。緊張が表情を消し去ってまるで彫刻のように固まっていた。
フランチェスコが正面に向き直ると、それは姿を見せた。
灰色の頭は返り血が浴びて毒々しいまだら模様をおびている。階段は大人三人が並んで通れるほどの幅があるのだが、足がつっかかってしまうほどの巨体。以前見た時より胴体が膨れ上がってより威圧感を増していた。たらふく人間の臓物を食らったはずなのに、ぎょろりと光る眼光はなおも捕食者の欲を宿している。フランチェスコたちを恐怖に陥れたクロウル・ドラゴンが再び姿を現した。
蛇ににらまれた蛙という慣用句があるが、実際恐ろしい存在を前にしたとき生き物は肩をすくめて怯えるしかないのだろう。彼らもまた青ざめてその場に立ち尽くした。なぜ逃げないのかといえば、脳は即座に警告を出しているのに体が追い付かないのだ。動きたくても動けない感覚、無限に続くクロノスタシスが尿意を催すような焦りを加速させた。
クロウル・ドラゴンが歩を速めた瞬間、やっと体が反射的に退きフランチェスコたちは動くことができた。叫び声をあげ、一目散に来た道を走って引き返す。
すぐ背後でパシャパシャと水音がたってモンスターも猛追していることが分かった。
全速力で曲がり角に差し掛かった時、フランチェスコの右足が引っかかりを感じた。目を落とすとクロウル・ドラゴンが踏み切ろうとした靴に噛みついていたのだった。
フランチェスコはすぐに足を引き抜く。脱げた靴は次にまばたきした頃には果物の皮のようにグシャグシャと形が変わっていた。
バランスを崩し、フランチェスコは失速する。パラヘルメースはこちらの様子に気付いていない。わき目を振らずに石畳へ向かって走っていた。たとえ石畳にたどり着いたとしても開ける前に捕まってしまう。
このままでは共倒れだ。フランチェスコは覚悟を決め、クロウル・ドラゴンに向き直った。コーナリングで距離を稼ぎ、間は3メートルとすこし。
フランチェスコは左手に持っていたランプのオイルを横一線に撒いた。オイルは空中で引火し、瞬く間に広がった炎の障壁がモンスターの行く手を阻んだ。
どんな生き物も本能的に火を恐れる。奴もその例にもれず、火を前にしてひるむ様子を見せた。
「何してる、早く来い」
パラヘルメースの呼ぶ声で再び石畳へ走り出す。持ち上げられできた隙間に体を潜り込ませると、ゴトンとふたは閉められた。
またしても命からがら生き延びることができた。改めて胸をほっとなでおろす。
「よかった。2人していなくなるから心配したんだぞ」
気づくと階段の前にダミアンが座っていた。こちらを見とめるとその場から立ち上がる。
よく生きて戻ってきたと肩に手を置いてきた。彼はずっとここで待っていたのだろうか。随分優しいのだなとフランチェスコは意外に思った。
「わざわざここで待っていたというのはどういう要件だ」
パラヘルメースも同じことを考えていたらしく質問する。すぐにダミアンの表情は曇った。
何か猛烈な悪寒が腹の底に沸き立った。フランチェスコが心の内で最悪の予測をしたためだ。ベアトリーチェが遺体で見つかること、それは事実だとしても耳をふさぎたくなるような最悪の予測だった。しかし事態は思いもよらない形で突きつけられた。
「リュディガーが、死んでいる」
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