黒獣ダンジョン殺人事件

Sora Jinnai

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プルガトリオ

憤怒する者は煙の中へ

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グノートス遺跡 第8階層 09:05 a.m.(推定) フランチェスコ

 このままでは捜査が進展しないと分かり、生存者たちは状況を洗い直すことにした。昨日の0時から事件発覚まで何をやっていたか、つまるところアリバイ確認である。

「それでは、見張りをしていたあなたがた4人のアリバイを聞かせていただきましょう」
 アイディンの瞳には真剣さがこもっていた。昨日までの神妙な学者の姿はなりを潜め、厳格な裁判官のようである。

「まずは最初に見張りをしていたダミアンさん、お願いします」
「はい。0時ちょうどに見張りの場所に着いて、その後はずっとそこにいました。砂時計が完全におちたことを確認するとそれをひっくり返して、フランチェスコを呼びに行きました。東通路をまわって彼の部屋へ」

「僕が見張りに着いた時、砂時計はひっくり返されたばかりでした。その説明で間違いないと思います」
 フランチェスコの言葉にアイディンはそうですか、と頷いた。

「それでフランチェスコが見張りに着いた後、私は見回りに行きました。部屋の外から中を軽く覗いたのですが、レアンドロさんだけ部屋にいらっしゃいませんでした。もちろん彼が石室にいることは知っていたため焦りはしませんでした。9階層では声をかけに行ったのですが、研究の邪魔だと怒られてしまいました」

 アイディンの目が瞬く。
「博士と会話を交わしたわけですね。その時扉は」
「開いていました。そうでないと会話できませんから」

「それ以外に何か気づいたことはありましたか」
「あとは…レアンドロさんの部屋に何もないことに気付いて、少しフランチェスコと言葉を交わして…下の階もレアンドロさんとしか会いませんでしたし…」

「————ありがとうございました。では次にアリギエリ君、お願いします」
 ダミアンの言葉を切るように云ってアイディンはこちらに向いた。フランチェスコは軽く咳払いをして話始めた。

「0時に寝ていた僕は、ダミアンさんに起こされて見張りに着きました。砂時計の落ち具合から2時過ぎ頃だったと思います。それから5分もしないうちにベアトリーチェが起きてきたので世話話をしていたんです。彼女がパラヘルメースを誘って3人でカード遊びをしていました」

「こんな時にのんきなことを」
 リュディガーはいやしめて云った。思わず手が出そうになったが、ぐっとこらえる。

「それで、砂時計が完全に落ちたのを確認したら2人を部屋に帰してラルフを起こしました。皆さんの部屋は入口からのぞき込んで確認しました。けど、ダミアンさんからレアンドロさんの話を聞いていたため石室の前で引き返しました」

「ちょっと待ってください。扉の前に来たのなら博士に気付かれてまた怒られたのではないですか」
「はあ……その時はすでに扉は閉まっていて…。なので僕は彼に会っていないんです」

 アイディンはしばらく固まったまましばたたいていた。

「見張りの後ですから扉の前に来たのは4時頃ですよね。その時、扉は締め切られていたんですね」
 突然のたたみかけるような物言いにフランチェスコはたじろぎつつ肯定した。

「あと他に、何か気がついたことは」
「はあ、何でしょう。暖炉に火が焚かれていたことと、エーレンフリートの寝方が変だったですかね」
 ダミアンは驚いたように目を見開いた。何か言いたいのかと思ったが、きょろきょろと見回しただけでそのまま俯いてしまった。
「ダミアンさん、どうかしました」
「いや…なんでもない」
 フランチェスコは彼がなぜそこまで驚くことがあるのか見当がつかなかった。どうもよそよそしく過剰な反応が気になった。

「戦奴。私の寝方とはどういう意味だ」
 エーレンフリートが怪訝な顔で訊く。まさか自覚がないのか。
「あの、寒がりなのかもしれないですけど寝巻に鎧はちょっとどうかと思いますよ」
 馬鹿にしたような声音が気に入らなかったのか、リュディガーがムキになって口をはさむ。
「それはだな、騎士たるもの戦場で戦う心を忘れないという精神の現れで…」
「いえ、リュディガー様。私が鎧を寝具にするのも、毛布を頭まで被るのも一重に寒さに弱いだけでございます」

 どこか空気が和やかになったが、アイディンは険しい顔で頭を悩ませていた。
「うーむ、これはすこし複雑になりましたね」

 残るラルフとロミーの証言が全く同じ――起こされて見張りをし、時間が経ったら次を起こして見回りを終えた――だったことでその全容を理解した。

 つまりはこういうことである。ダミアンは2時に石室へ行って扉が開いていたことを確認。フランチェスコは4時に扉がしまっていることを確認。ラルフは6時に、ロミーは8時にそれぞれ扉が閉まっていることを確認した。
 論理パズルのように誰か1人が嘘の証言をしたとして、ラルフとロミーはその前の人物が扉が閉まっていることを証明しているため、扉の開閉について偽証することができない。扉が開いていなければ、当然レアンドロを殺害することは出来ず、2人は犯人から除外される。
 犯人は残ったダミアンかフランチェスコになるわけだが、この2人が石室に行けるタイミングはどちらも死亡推定時刻と異なる時間帯である。

 残る者たちの聴取ではカード遊びをしたベアトリーチェとパラヘルメース、部屋を訪ねられたエーレンフリートなど、証言のあった出来事の裏付けが取れたのみであとは皆寝ていたと証言した。
 犯人はまたしても特定できなかった。

 5分、10分と頭を抱えたまま過ぎていく。生存者たちは途方に暮れていた。
 証言から作り上げたアリバイでは犯人は特定できそうにない。それこそ共犯関係を築いて口裏を合わせでもしない限り…。

 口裏を合わせる…。いやまさか、そんな。
 しかしこの方法なら殺人が可能になる。
 フランチェスコは思いついた考えを説明するべく立ち上がった。

「もし、レアンドロさんと犯人がつながっていたらどうですか」
 もしレアンドロと犯人がつながっていたら。そうすると事件は大きく様相を変える。

「犯人がレアンドロさんとつながっていた場合なら、死亡推定時刻に彼に会うことが可能です」

 フランチェスコの考えにほとんどの者が感嘆の声を上げる一方、ラルフは当惑した様子を見せた。
「お、おいちょっと待て。俺が犯人だって云いてぇのかよ」
 それを見た者に彼が無垢な善人か、はたまた図星を突かれた犯人であるかを知るすべはない。出来ることはただ疑うことである。

「いや、ラルフさんが犯人だと決まったわけじゃない。僕はただ思いついたことを云ったまでで」

「確かにそれなら辻褄が合うぞ。しかしどうやって黒獣病に感染させたんだ」
 リュディガーは悩んだ様子で云う。

「それなら俺に考えがあります」
 パラヘルメースは颯爽と皆の前に進み出た。

「まず犯人は被害者と落ち合う時間を決めていました。それは犯人が見張りをしている間であり、誰にも見られず下に降りることが出来た。
 何らかの合図で扉を開けさせると、持っていた武器で被害者を殺害しました」
 彼はポケットに手をつっこみ、部屋を歩きながら述べていく。

「ここからが大事です。犯人は被害者の体を背負って第8階層に上がると、第7階層に通じる石畳を持ち上げて隙間から死体をのぞかせたんです。
 クロウル・ドラゴンは血の匂いを嗅ぎつけてやってきて、死体に噛みついてくれたら見事に黒獣病に感染。再び石室に死体を運んで扉を閉めた」

「……確かにその方法ならいずれの障害も解決できるわね」
 ベアトリーチェは訝しみつつも彼の考えを肯定した。

「ふざっけんな。俺はそんなこと、ぜってぇやってねぇ」
 ラルフは激昂して壁を殴りつけた。石の壁はわずかに揺るのみで、逆に彼は拳を痛めた。

「犯人じゃないと云うなら証拠を出してみろ」
「おめぇの推理だって証拠の1つもねぇじゃねぇか」

 またしてもラルフとパラヘルメースが取っ組み合いを始めた。今回はパラヘルメースも冷静さを欠いていたため全員で止めに入る。
 激昂した2人をアイディンとダミアンが宥め、なんとかその場は収まった。

「はやくこいつを隔離しろ」
「俺はやってねぇ」
 パラヘルメースは頑として考えを曲げず、ついには閉口してしまった。この雰囲気ではとても話し合いなど出来そうもない。

 膠着した議論を解決に導く最も簡単な方法は、多数決である。フランチェスコとしては不本意だったが、ほかの者たちを無理やり納得させるにはこの方法しか残されていなかった。

 ラルフ・ディンドルフを犯人だと思うか挙手が行われる。パラヘルメースはもちろん、リュディガー、エーレンフリート、ロミー、ダミアンの計5人が手を挙げた。
 犯人派が過半数を占めたことでラルフは第9階層に隔離することが決まった。ラルフは信じられないといった様子で唖然としていたが、しばらくすると逆に開き直って減らず口をたたきはじめた。

「ラルフ君、これを」
 アイディンは高級そうな毛布をラルフに手渡した。階下の涼しさで風邪を引かないための配慮である。ラルフは素直に礼を云って受け取った。

「おめぇら全員後悔するからな」
 食料と毛布を携えるとまわりを一瞥して捨て台詞をはいた。彼の姿が階下に消えると石畳をはめ込み、その上に荷物をおいて封をした。

「パラヘルメース君、これで満足ですか」
 アイディンは悲しそうな目を向ける。パラヘルメースは当然だといわんばかりに鼻で笑った。

 本当にこれで良かったのだろうか。フランチェスコは単なる思いつきでラルフを犯人に仕立ててしまったことを悔いた。
 フランチェスコはパラヘルメースの推理に疑問を持っていた。ラルフが犯人たりえる動機については確認のしようがないが、犯行が短絡的なことが、とにかく引っかかった。


―――――――――



「フランチェスコ、ちょっと」
 大部屋で遅めの朝食を取っているとベアトリーチェに呼び止められた。居心地の悪そうに周囲を見回すと、フランチェスコを自分の部屋に誘う。
 さすがにこのときばかりは彼も浮足立たなかった。きっとラルフのことだろうと、フランチェスコには予想がついていた。

「あなた、ラルフとレアンドロがつながっていたと云ったわよね。本当にそう思っているの」
 彼女の目から批判が読み取れた。

「すみません。あまり良く考えず発言してしまいました」
「やっぱりね。追い詰められると迂闊なことをするのはあなたの悪い癖よ」

 ベアトリーチェの言葉が心に深く刺さる。クロウル・ドラゴンに襲われたときはたくさんの傭兵たちが、そして今回はラルフが僕の言葉で不幸に見舞われた。フランチェスコには合わせる顔がなかった。
 フランチェスコは申し訳なさからか、気づけばその場に座り込んでいた。見下ろす者と座る者、折檻をうけているような構図である。

「ラルフが犯人だとほぼ全員が信じているけれど、まず死亡推定時刻に扉が閉まっているという前提がおかしいわ。ダミアンが行ったときには開いていたのだから、あなたが階段前で見張りをしている間に誰かが扉を閉めたことになる。そんな怪しい人物を差し置いてラルフが犯人だなんて、とても考えられないわ」
 戦奴は顔を上げた。ベアトリーチェは古代彫刻のように体重を傾けて立つ。

「あと、これはアイディンが云っていたのだけれど、彼もラルフが犯人だとは思っていないみたい。血が変だ、血がおかしい、って一人でつぶやいてたのよね。これって口の中に溜まった血のことだわ」

 そうだ、レアンドロの口内には血が溜まっていた。それもうがいをするようにたっぷりと。パラヘルメースの推理を鵜呑みにするなら、死体を移動させている間に血が流れてしまわないだろうか。
 もし犯人が慎重に死体を運ぶことが出来たとしても、傷口から床に滴る血も相当な量になるはず。階段や廊下に流れ出た血はふき取ったと説明するつもりか。言うは易し行うは難しなこの犯行計画を、果たして実行などできるのだろうか。

「やっぱりラルフさんは犯人じゃない。けどパラヘルメースを説得するには決定的な証拠を突きつけないといけない。どうすればいいんでしょうか」

 ベアトリーチェはふふっと笑って自分の胸を叩いた。
「決まってるじゃない。あたしとあなたで、証拠を見つけるのよ」

 彼女の不敵な笑みにフランチェスコは思わず見惚れてしまった。彼女の光り輝く瞳から目を離せなかった。

「パラヘルメースもアイディンも当てにならないわ。だから2人で団結して真実を突き止めるのよ」

 自分の口が開いていることに気づいて閉じる。
 なぜ今まで気づかなかったのだろう。誰かと協力すればできる。失敗に向き合うことも、失敗を巻き返すことも。
 フランチェスコは立ち上がる。

「やりましょうベアトリーチェ卿。僕はラルフさんの無実を証明する。それが僕にできる名誉挽回だ」
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