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3章
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「わぁ、猫さんがいっぱい」
賢が入り口からそっと中を見渡す。拓海たちは、保護猫活動をしているボランティア団体が運営している建物にやってきていた。ついこの間、賢に改めて礼がしたいと電話がきたのである。賢は部屋中のケージをじっと見つめている。猫たちも負けずに賢をじっと見つめているのだ。拓海が声を掛けると、奥からスタッフがやってくる。この間電話で話した男性スタッフだろう。どうやらここの代表らしい。
「あ、賢くん!こんにちは!拓海さんと慎吾さんも!遠い所からよくいらっしゃって」
「こんにちは」
賢が笑いながら挨拶をする。前までの賢なら考えられなかった。
「猫さん描きました」
賢は自分が背負っていたリュックから色紙を取り出した。この日のために描くと言って一生懸命描いていたのだ。
「え、すごい!可愛い。飾らせていただきます」
スタッフは色紙を嬉しそうに受け取り、とりあえず奥へと拓海たちに手振りで示した。
(猫ちゃんたちの視線がすごい)
拓海はじいっと見つめてくる猫たちにヒヤヒヤしながら、奥に向かった。
「賢くんのイラストのお陰で、随分寄付を頂けたんです」
スタッフの名前は奥野というらしい。改めて拓海たちは自己紹介をしあった。
「それで、スタッフ皆で賢くんになにかお礼が出来ないかなって考えて」
奥野が取り出したのは手のひら大の猫のぬいぐるみだった。
「わぁぁ」
賢が身を乗り出してぬいぐるみを見ている。
「賢くんにどうぞ」
賢は困ったように椅子の上で縮こまってしまった。
「賢くんに贈り物だって」
拓海がそう説明すると、賢がぱっと顔を輝かせる。
「僕の?」
「そうだよ、賢くん」
賢はそっとぬいぐるみを抱き上げた。チリンとぬいぐるみが付けている首輪の鈴が鳴る。
「鈴が鳴ったねぇ!」
「良かったね。賢くん」
それから、またイラストを頼めないかという依頼の話をした。賢は今、個展用のイラストに取り組んでいる。その旨を伝えると、無理のない範囲でまたお願いしたいと言われた。
一方で、賢は先程もらったぬいぐるみに夢中になっている。あとで本人とよく話をしてから決めると拓海は奥野に念を押しておいた。
「近くにいらしたら寄ってください!」
「ありがとうございました!」
拓海たちは頭を下げて、施設を後にした。
「賢くん、ぬいぐるみ嬉しいね」
「ん、りんちゃんだねぇ」
「お、もう名前が決まったのか」
「もふくんたちとお友達になるねぇ」
賢はその日、りんちゃんをずっと抱えていた。どうやら相当気に入ったらしい。ずっともふくんと話をしているという遊びをしていた。
「乾くまで待とうねぇ」
ある日の夜、賢は個展用の絵の仕上げをしていた。足りない絵の具を補充し、賢は見事にシャチを塗り上げたのだ。拓海は台所で料理をしながら賢の様子を窺っていた。間もなく夕飯だ。火を止め、賢に話しかける。
「賢くん、シャチさんすごく綺麗に描けたね」
「ん!今乾かしてる」
「それなら汚れないようにしなくちゃね」
どうしようかと考えた結果、居間の一番隅に置くことにした。ここなら誰も通らない。
「賢くん、サインを後で入れようか?」
「ん」
作品の搬入は明日だ。賢は自分のペースをよく分かっているらしい。拓海が感心していると慎吾が帰ってきた。
「ただいま!あれ?絵は?」
「完成したから避難させたの」
「そうなのか?賢?」
「ん!」
すごいなぁと慎吾が賢の頭をグリグリと撫でている。
「よく完成させたな。偉いな、賢」
「慎吾、泣かないで」
「感激しちまって」
慎吾が手の甲でぐっと涙を拭いている。
「後で見せてくれ」
「僕もちゃんと見たいな」
2人の頼みに賢は嬉しそうに頷いた。
「りんちゃんは元気か?賢」
「りんちゃんはもふくんと遊んでます」
賢がソファの上に置かれたぬいぐるみたちをチラッと見た。今すぐにでも遊びたくてしょうがないらしい。
「後で遊んでもいい?」
「いいよ。賢くんはもう夏休みの課題も終わったし」
「え?あの分厚いワークブックを終わらせたのか?」
「そうなの。賢くん頑張ったよね」
「頑張ったよ」
「さすが賢だな。俺だったらギリギリまでやらなかっただろうからなぁ」
「一番ガリ勉なのは慎吾だと思うけど」
拓海が思わず笑いながら言うと、慎吾はそうか?と首を傾げた。
「賢、もふくんの映画、行くよな?今週の土曜日、休み取れたんだ」
「いいの?」
賢の目がキラキラと輝き出す。
「楽しみだね、賢くん」
「ん!」
✢
賢は一人、タブレットに絵を描いていた。りんちゃんを描こうと思ったのだ。拓海は先程から部屋に掃除機をかけている。
「りんちゃん、チリンって鳴るねぇ」
賢はりんちゃんを優しく持ち上げて揺すった。チリリと軽やかな音が響く。掃除機の音は苦手だったが、りんちゃんといる間はなぜか平気だった。
拓海は賢が辛くならないうちに、猛スピードで部屋を掃除しているのだ。
「ごめんね、賢くん。掃除機終わったよ」
「ありがとう」
「賢くん、りんちゃん描いてるんだ」
「うん」
そこにインターフォンが鳴る。拓海が応対すると、ギャラリーのスタッフだった。今日搬入する約束で、好意で額縁も貸してもらえることになったのだ。スタッフが大きな額縁を手に中に入ってくる。
「わぁ、素敵な絵だなぁ」
賢は絵が額縁に収まるのを不思議そうに眺めていた。
「では、当日、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「シャチさん行っちゃったねぇ」
賢が半ば呆然と言う。拓海は賢の顔を見て言った。
「素敵な作品だったし、寂しいよね」
「でも、会場で見られるねぇ」
「うん!そうだよ、楽しみだよね」
賢はりんちゃんの写生を続けた。拓海は自分の仕事をしているらしい。パソコンのキーボードを叩いている。
「出来たよ、りんちゃん」
賢はりんちゃんを優しく撫でた。小さい子なので、強く握りしめたりしたら壊れてしまいそうだ。
「賢くん、出来たの?」
「ん!」
チリリンとりんちゃんの鈴が鳴った。
✢
夏休みもいよいよ終盤に入ってきている。お盆の間、賢は初めてお墓参りに行ったのだ。やはり緊張したのかカチコチだったが、手を合わせることが出来た。
「お母さん」
賢がそう呟くとふわりと涼しい風が吹いた。
「りっちゃんが応えてるのね」
拓海には母親のそんな一言が印象に残っている。
「賢、準備出来たか?」
今日はもふくんの映画を見に行く日だ。賢はいつもの定番スタイルで出掛けるつもりらしい。
もふくん、もふちゃんのぬいぐるみ、図鑑、色鉛筆画、画用紙だ。りんちゃんは悩んだあげく、お留守番することになった。
「りんちゃん、お土産あるからね」
賢がよしよしと頭を撫でると、チリチリと鈴が鳴る。
「よし、出掛けるか」
「賢くん、ラーメンにする?ちゃんぽんにする?」
映画館の近くのショッピングモールでお昼を食べようと慎吾と拓海は決めていた。そこのフードコートは、いつも人で賑わっている。
「ちゃんぽん」
「お、賢。即決か?餃子は2人前頼んでシェアするか」
「うん、そうしよう。賢くん、知ってる?フードコートにガチャガチャがいっぱいあるんだって」
「ガチャガチャ人気だねぇ」
「ねー」
映画館の駐車場に着くとまだ店が開いていなかった。
駐車場には、すでに何台か車が停まっており、皆、開店を待っているようだ。駅近でもあることから、店の前で先に並んでいる親子連れもいる。しばらく待っているとシャッターが開いた。拓海たちも映画館に入り、チケットとドリンクを買う。
「賢、楽しみだな」
「ん」
「あ、見て賢くん。もふくんのパネルがあるよ」
「写真撮るか」
賢がパネルの隣に並びもふくんのぬいぐるみを抱きながらピースをした。
「賢、撮れたぞ。拓海も見ろよ」
「うん、よく撮れてる。あ、そろそろシアター行く?」
「おう、そうだな」
シアターに入り、指定された席に着く。
「ドキドキしてきた」
賢の訴えに、拓海は賢の両手を優しく握った。
「大丈夫だよ、賢くん。きっと楽しいから」
「ん」
予告が始まり、いよいよ映画が始まる。もふくんは子供向けの映画だ。そのため90分と短めである。だが、今回の脚本家は、かなり本格的なミステリを描くことで有名な人物らしい。実際、この映画でもいつの間にか物が盗まれているという場面から話が始まった。それをもふくんが仲間たちの力を借りて解き明かすというストーリー展開である。
「わぁ、面白かった」
「いやぁ、最後まで疾走感あったなぁ」
賢はなかなか席を立てなかった。ふるふると震えている。
「賢くん、ドキドキしたよね」
「もふくんかっこよかった」
「うん、かっこよかったよね」
賢も落ち着いたらしい。やっと立ち上がった。
「さ、お昼食べてお買い物して帰ろう」
「りんちゃんに映画のお話するねぇ」
「うん、りんちゃんも楽しみにしてるよ」
✢
「賢くん、大丈夫?」
賢はカチコチになっていた。いよいよ個展が始まる。今日は初日で日曜日ということもあり、賢もしばらくギャラリーにいることになった。
ギャラリーには他の人の作品も飾られている。だが、賢の作品が見劣りするわけではない。むしろ堂々と展示されている。
「お客さん来るかなぁ」
賢は不安そうだったが、それは杞憂だった。今日の個展のことはSNSで告知していた。行きますとコメントをくれた人もいたくらいだ。
賢は所在なさげに立っていたが、観覧者が来たことを知るとピンとなった。
観覧していた人たちからシャチのイラストを褒めてもらってはにかんでいる。
「賢くんの絵、大好きなんです!」
と熱く語ってくれた男性客もいた。
来た人たちから握手を求められて、最初こそ戸惑っていた賢だったが、握手をするんだと分かってからはスムーズだった。
「嬉しい」
賢の大きな目からは涙が溢れている。
「賢くん、良かったね」
拓海が賢の頭を撫でると、彼は頷いた。
人は常に何かと戦っている。それは誰でも等しくそうだ。うまく戦える日もあれば惜しくも敗れる日もある。晴れ間だけの人生というものはきっとないのだろう。だが、明けない夜はないように、いつまでも雨が降り続くこともないのだ。
「賢くん、良かったね」
拓海はそう言って賢を抱きしめたのだった。
おわり
賢が入り口からそっと中を見渡す。拓海たちは、保護猫活動をしているボランティア団体が運営している建物にやってきていた。ついこの間、賢に改めて礼がしたいと電話がきたのである。賢は部屋中のケージをじっと見つめている。猫たちも負けずに賢をじっと見つめているのだ。拓海が声を掛けると、奥からスタッフがやってくる。この間電話で話した男性スタッフだろう。どうやらここの代表らしい。
「あ、賢くん!こんにちは!拓海さんと慎吾さんも!遠い所からよくいらっしゃって」
「こんにちは」
賢が笑いながら挨拶をする。前までの賢なら考えられなかった。
「猫さん描きました」
賢は自分が背負っていたリュックから色紙を取り出した。この日のために描くと言って一生懸命描いていたのだ。
「え、すごい!可愛い。飾らせていただきます」
スタッフは色紙を嬉しそうに受け取り、とりあえず奥へと拓海たちに手振りで示した。
(猫ちゃんたちの視線がすごい)
拓海はじいっと見つめてくる猫たちにヒヤヒヤしながら、奥に向かった。
「賢くんのイラストのお陰で、随分寄付を頂けたんです」
スタッフの名前は奥野というらしい。改めて拓海たちは自己紹介をしあった。
「それで、スタッフ皆で賢くんになにかお礼が出来ないかなって考えて」
奥野が取り出したのは手のひら大の猫のぬいぐるみだった。
「わぁぁ」
賢が身を乗り出してぬいぐるみを見ている。
「賢くんにどうぞ」
賢は困ったように椅子の上で縮こまってしまった。
「賢くんに贈り物だって」
拓海がそう説明すると、賢がぱっと顔を輝かせる。
「僕の?」
「そうだよ、賢くん」
賢はそっとぬいぐるみを抱き上げた。チリンとぬいぐるみが付けている首輪の鈴が鳴る。
「鈴が鳴ったねぇ!」
「良かったね。賢くん」
それから、またイラストを頼めないかという依頼の話をした。賢は今、個展用のイラストに取り組んでいる。その旨を伝えると、無理のない範囲でまたお願いしたいと言われた。
一方で、賢は先程もらったぬいぐるみに夢中になっている。あとで本人とよく話をしてから決めると拓海は奥野に念を押しておいた。
「近くにいらしたら寄ってください!」
「ありがとうございました!」
拓海たちは頭を下げて、施設を後にした。
「賢くん、ぬいぐるみ嬉しいね」
「ん、りんちゃんだねぇ」
「お、もう名前が決まったのか」
「もふくんたちとお友達になるねぇ」
賢はその日、りんちゃんをずっと抱えていた。どうやら相当気に入ったらしい。ずっともふくんと話をしているという遊びをしていた。
「乾くまで待とうねぇ」
ある日の夜、賢は個展用の絵の仕上げをしていた。足りない絵の具を補充し、賢は見事にシャチを塗り上げたのだ。拓海は台所で料理をしながら賢の様子を窺っていた。間もなく夕飯だ。火を止め、賢に話しかける。
「賢くん、シャチさんすごく綺麗に描けたね」
「ん!今乾かしてる」
「それなら汚れないようにしなくちゃね」
どうしようかと考えた結果、居間の一番隅に置くことにした。ここなら誰も通らない。
「賢くん、サインを後で入れようか?」
「ん」
作品の搬入は明日だ。賢は自分のペースをよく分かっているらしい。拓海が感心していると慎吾が帰ってきた。
「ただいま!あれ?絵は?」
「完成したから避難させたの」
「そうなのか?賢?」
「ん!」
すごいなぁと慎吾が賢の頭をグリグリと撫でている。
「よく完成させたな。偉いな、賢」
「慎吾、泣かないで」
「感激しちまって」
慎吾が手の甲でぐっと涙を拭いている。
「後で見せてくれ」
「僕もちゃんと見たいな」
2人の頼みに賢は嬉しそうに頷いた。
「りんちゃんは元気か?賢」
「りんちゃんはもふくんと遊んでます」
賢がソファの上に置かれたぬいぐるみたちをチラッと見た。今すぐにでも遊びたくてしょうがないらしい。
「後で遊んでもいい?」
「いいよ。賢くんはもう夏休みの課題も終わったし」
「え?あの分厚いワークブックを終わらせたのか?」
「そうなの。賢くん頑張ったよね」
「頑張ったよ」
「さすが賢だな。俺だったらギリギリまでやらなかっただろうからなぁ」
「一番ガリ勉なのは慎吾だと思うけど」
拓海が思わず笑いながら言うと、慎吾はそうか?と首を傾げた。
「賢、もふくんの映画、行くよな?今週の土曜日、休み取れたんだ」
「いいの?」
賢の目がキラキラと輝き出す。
「楽しみだね、賢くん」
「ん!」
✢
賢は一人、タブレットに絵を描いていた。りんちゃんを描こうと思ったのだ。拓海は先程から部屋に掃除機をかけている。
「りんちゃん、チリンって鳴るねぇ」
賢はりんちゃんを優しく持ち上げて揺すった。チリリと軽やかな音が響く。掃除機の音は苦手だったが、りんちゃんといる間はなぜか平気だった。
拓海は賢が辛くならないうちに、猛スピードで部屋を掃除しているのだ。
「ごめんね、賢くん。掃除機終わったよ」
「ありがとう」
「賢くん、りんちゃん描いてるんだ」
「うん」
そこにインターフォンが鳴る。拓海が応対すると、ギャラリーのスタッフだった。今日搬入する約束で、好意で額縁も貸してもらえることになったのだ。スタッフが大きな額縁を手に中に入ってくる。
「わぁ、素敵な絵だなぁ」
賢は絵が額縁に収まるのを不思議そうに眺めていた。
「では、当日、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「シャチさん行っちゃったねぇ」
賢が半ば呆然と言う。拓海は賢の顔を見て言った。
「素敵な作品だったし、寂しいよね」
「でも、会場で見られるねぇ」
「うん!そうだよ、楽しみだよね」
賢はりんちゃんの写生を続けた。拓海は自分の仕事をしているらしい。パソコンのキーボードを叩いている。
「出来たよ、りんちゃん」
賢はりんちゃんを優しく撫でた。小さい子なので、強く握りしめたりしたら壊れてしまいそうだ。
「賢くん、出来たの?」
「ん!」
チリリンとりんちゃんの鈴が鳴った。
✢
夏休みもいよいよ終盤に入ってきている。お盆の間、賢は初めてお墓参りに行ったのだ。やはり緊張したのかカチコチだったが、手を合わせることが出来た。
「お母さん」
賢がそう呟くとふわりと涼しい風が吹いた。
「りっちゃんが応えてるのね」
拓海には母親のそんな一言が印象に残っている。
「賢、準備出来たか?」
今日はもふくんの映画を見に行く日だ。賢はいつもの定番スタイルで出掛けるつもりらしい。
もふくん、もふちゃんのぬいぐるみ、図鑑、色鉛筆画、画用紙だ。りんちゃんは悩んだあげく、お留守番することになった。
「りんちゃん、お土産あるからね」
賢がよしよしと頭を撫でると、チリチリと鈴が鳴る。
「よし、出掛けるか」
「賢くん、ラーメンにする?ちゃんぽんにする?」
映画館の近くのショッピングモールでお昼を食べようと慎吾と拓海は決めていた。そこのフードコートは、いつも人で賑わっている。
「ちゃんぽん」
「お、賢。即決か?餃子は2人前頼んでシェアするか」
「うん、そうしよう。賢くん、知ってる?フードコートにガチャガチャがいっぱいあるんだって」
「ガチャガチャ人気だねぇ」
「ねー」
映画館の駐車場に着くとまだ店が開いていなかった。
駐車場には、すでに何台か車が停まっており、皆、開店を待っているようだ。駅近でもあることから、店の前で先に並んでいる親子連れもいる。しばらく待っているとシャッターが開いた。拓海たちも映画館に入り、チケットとドリンクを買う。
「賢、楽しみだな」
「ん」
「あ、見て賢くん。もふくんのパネルがあるよ」
「写真撮るか」
賢がパネルの隣に並びもふくんのぬいぐるみを抱きながらピースをした。
「賢、撮れたぞ。拓海も見ろよ」
「うん、よく撮れてる。あ、そろそろシアター行く?」
「おう、そうだな」
シアターに入り、指定された席に着く。
「ドキドキしてきた」
賢の訴えに、拓海は賢の両手を優しく握った。
「大丈夫だよ、賢くん。きっと楽しいから」
「ん」
予告が始まり、いよいよ映画が始まる。もふくんは子供向けの映画だ。そのため90分と短めである。だが、今回の脚本家は、かなり本格的なミステリを描くことで有名な人物らしい。実際、この映画でもいつの間にか物が盗まれているという場面から話が始まった。それをもふくんが仲間たちの力を借りて解き明かすというストーリー展開である。
「わぁ、面白かった」
「いやぁ、最後まで疾走感あったなぁ」
賢はなかなか席を立てなかった。ふるふると震えている。
「賢くん、ドキドキしたよね」
「もふくんかっこよかった」
「うん、かっこよかったよね」
賢も落ち着いたらしい。やっと立ち上がった。
「さ、お昼食べてお買い物して帰ろう」
「りんちゃんに映画のお話するねぇ」
「うん、りんちゃんも楽しみにしてるよ」
✢
「賢くん、大丈夫?」
賢はカチコチになっていた。いよいよ個展が始まる。今日は初日で日曜日ということもあり、賢もしばらくギャラリーにいることになった。
ギャラリーには他の人の作品も飾られている。だが、賢の作品が見劣りするわけではない。むしろ堂々と展示されている。
「お客さん来るかなぁ」
賢は不安そうだったが、それは杞憂だった。今日の個展のことはSNSで告知していた。行きますとコメントをくれた人もいたくらいだ。
賢は所在なさげに立っていたが、観覧者が来たことを知るとピンとなった。
観覧していた人たちからシャチのイラストを褒めてもらってはにかんでいる。
「賢くんの絵、大好きなんです!」
と熱く語ってくれた男性客もいた。
来た人たちから握手を求められて、最初こそ戸惑っていた賢だったが、握手をするんだと分かってからはスムーズだった。
「嬉しい」
賢の大きな目からは涙が溢れている。
「賢くん、良かったね」
拓海が賢の頭を撫でると、彼は頷いた。
人は常に何かと戦っている。それは誰でも等しくそうだ。うまく戦える日もあれば惜しくも敗れる日もある。晴れ間だけの人生というものはきっとないのだろう。だが、明けない夜はないように、いつまでも雨が降り続くこともないのだ。
「賢くん、良かったね」
拓海はそう言って賢を抱きしめたのだった。
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