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夕飯

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「拓哉ー、まだ着替えられないの?」

「ちょ…ちょっと待って!!」


ある日の夜、俺は姿見の前で、ネクタイと格闘していた。
ネクタイを締めるだなんて高校生の時以来だからすっかりやり方を忘れてしまっている。
ようやくネクタイがそれらしく収まってくれて、俺はホッとした。

「拓哉ー」

母さんが玄関で呼んでいる。
俺はグレーのジャケットを羽織った。
ついこの前、従姉妹が結婚式を挙げた。これは、その時に仕立ててもらった物である。
瑠馬先生から誘われた店というのはドレスコードのあるお高い店らしい。
そんな所に俺なんかが行っていいのかな?もう引き返せないけれど。

「やぁ、たっくん!」

「こんばんは、先生」

「お待たせしてすみませんねえ」

「いえいえ。じゃ、たっくん行こうか」

俺は母さんに手を振って、家を出た。外に停まっていたのはこの閑静な住宅街には似合わない高級車である。

良いのか?庶民の俺がこんなに良い車に乗っても。

瑠馬先生が車のドアを開けてくれる。

「さ、どうぞ」

普通それって女性にするもんじゃないのか?
でも今はそんな事を言っている場合じゃない。
俺は転がるように車に乗り込んだのだった。

「よぅ、拓哉」

「あ…こんばんは、乙先生」

瑠馬先生も乗り込んでくる。

「さ、たっくん。今日は乙くんの奢りだよー!いっぱい食べようね!」

乙先生がため息をついている。

「拓哉に誤解させるような言い方をするんじゃない。
俺達は親父の新しい店舗に出す料理の試食に行くだけだ」

「ご馳走になるんだから奢りと一緒だよ!」

「やれやれ」

乙先生の家はお金持ちだもんな。
瑠馬先生もだけど。

「拓哉、不味いものは不味いと言ってやってくれ。
それが俺達の役割だからな」

「わ…わかりました」

俺にそんな高級料理の味なんて分かるのかなぁ。不安しかない。

車はいつの間にか走り出している。

「で、研究は進んでるのか?」

乙先生にそう尋ねられて、俺は頷いた。

「はい。はじめは文字だけの意味としてのいろは唄の研究にしようという案も出たんですが、もう少し深く、多方向に掘り下げてみることになったんです」

「ふーん」

乙先生が瑠馬先生を見つめて笑う。

「瑠馬、しばらくネタには困らなさそうだな」

どうやら瑠馬先生の思惑は乙先生には筒抜けだったらしい。

「な…なんの事かな?」

瑠馬先生が必死にうそぶいているのが可笑しくて、俺達は噴き出してしまった。

「そろそろ着くな」

乙先生がシルバーの腕時計を見ながら言う。
窓から景色を見ると夕焼けが街を照らしている。
随分日が長くなったよな。

車は静かに停車した。
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