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「わ、これ可愛いなあ。あ、こっちも」
雪が舞う薄暗い中、ショーウインドウの中を覗きこみながら姫宮(ひめみや)怜(れ)王(お)は歓声をあげた。ここはとある街の一角にある店である。前から気になっていたが、なかなか近寄ることが出来なかった。だが、ついに今日こそはと勇気を振り絞ったのである。雪のせいか周りに人がいないのも幸いした。ライトアップされたショーウインドウの中に飾られていたのは、いわゆるゴシックロリータというジャンルの服だ。怜王は幼い頃から女性物の可愛らしい服が大好きである。ロリータ服という存在を知ったのは中学一年生の時だ。はじめは甘ロリというパステルカラーを基調としたロリータ服が好きだったが、大学生になった今では、すっかりゴスロリにハマっている。だが、実際に女性物の服を着たことなど一度もない。母親や父親にこのことを知られたら気味悪がられると、怜王は一人、かなり悩んでいた。だが、正直なところ、自分は性別を超えた男の娘というものに憧れているし、性対象も同性である男性の方がよかった。
「でもこれ、さすがに俺には似合わないよな」
怜王は自分の名前に対して見た目が負けていると思っている。怜王という一見強そうな名前なのに、実際は小柄でやせっぽちの眼鏡男子である。姫宮という華やかな苗字も自分には似合わない。怜王は改めてショーウインドウを眺めて、ため息を吐いた。ゴスロリ服は可愛いが、値段が可愛くない。お金を自分で貯めて、ゴスロリ服を買おうとバイトも始めたが、そのお金はじわじわ貯まるばかりで、一向にゴスロリ服にはならない。店で買うのに躊躇いがあるのなら、ネット通販で買えばいいとは思うのだが、今度はサイズが心配という理由からなかなか踏み切れないのだ。ゴスロリ男の娘への道はなかなか険しい。
「ああ、俺が可愛い女の子ならなあ」
「ゴスロリ服、気になります?」
独り言のつもりで呟いたら、隣から急に声を掛けられて、怜王は死ぬほど驚いた。こんなところにいる男子なんて不審者以外の何者でもないはずなのに、その人は爽やかにスマイルを浮かべている。イケメン、と怜王は咄嗟に思った。細身で長身。黒い短髪で、爽やか王子様というのにふさわしいだろうか。怜王は改めて彼を観察した。悪い人とは、いい人を演じて来るものだと祖母に固く教えられている。怜王は気を引き締めた。彼は笑顔のまま言う。
「よかったらロリ服、一度試着してみませんか?可愛い服が揃っていますよ」
「え?」
試着という誘惑に怜王は気を惹かれた。ずっと着てみたいと思っていたのだから当然である。だが、試着をしたが最後、無理やり買わされるのではという疑いの念が湧く。怜王が彼をじっと見つめていると、彼は困ったように笑った。
「大丈夫。本当に試着だけ。ただその代わり手伝ってほしいことがあるんです。どうですか?」
やはりただでというのは無理らしい。
「何をすればいいんですか?」
「試着したら一緒にヘアメイクもさせてもらって、写真を撮ってもいいですか?あ、大丈夫。えっちな写真じゃないですからね。それに君だって分からないように顔は加工します。今、お時間ありますか?」
「写真・・・ですか?時間は大丈夫です」
怜王はうーん、と首を傾げた。ヘアメイクという単語にかなり心を奪われている。自分でゴスロリについてネットで調べると、メイクや髪型もゴスロリファッションには大事なポイントだと必ず書かれている。怜王はメイクもしたことがない。道具を買おうにもよく分からないまま、ここまで来てしまっている。聞く相手もいないので怜王はもう諦めようと涙を飲んだのだ。それが、ここでメイクもしてくれると言うではないか。怜王はがぜんやる気になっていた。一応確認する。
「えーと、そのう、メイクもして頂けるんですか?ただで?」
「うん、もちろん。あとウィッグも君の好きなのを選んでもらって・・・」
「ウィッグ・・」
ばくばくと心臓の音がうるさいくらいに鳴っている。やってみたいと怜王はいよいよ思った。これでもう自分はゴスロリに満足するかもしれない。そんな淡い期待すら覚えた。
「あ、あの、やりたいです。お願いします」
怜王が頭を下げると、相手は笑う。
「お願いしているのは俺の方だから。君みたいな綺麗な子が来てくれて嬉しいです」
綺麗な子と言われて怜王は顔が熱くなった。自分が外見を褒められることなどほとんどない。怜王はそっと相手の顔を窺った。
「君、名前はなんて言うの?大学生かな?このあたりだと国立の大学?」
急に砕けた口調で話しかけられて怜王はますます緊張した。相手は爽やかなイケメンである。おそらく恋愛沙汰は百戦錬磨なのだろうと勝手に決めつける。
「はい。大学生です、えーと、俺は姫宮怜王っていいます」
「へえ、怜王くんかあ。じゃあ君は獅子姫ちゃんだね」
「し・・・?」
急なあだ名に怜王は付いていけない。イケメンというものはこういうことを何気なく行うものなのだろうか。今までの経験上、イケメンとあまり接触したことがないので、何が正解かは分からない。怜王は相手を見つめた。すると彼がにこっと笑う。やはりイケメンである。
「俺は衣更、衣更雛乃(いさらひなの)。この店の店長をしているんだ。じゃ姫、もう寒いし、こっちに来てね」
ぐいと腕を掴まれて店の中に入ると、ありとあらゆるロリータ服たちがマネキンに着せられて展示されていた。どれも個性があり素敵な服ばかりで怜王のテンションも自然と上がる。ゴスロリ服は黒を基本としているが、差し色で赤や緑、青などを加えるとより可愛らしいとネットに書かれていた。怜王の情報源は今時らしくネットが主である。
「わああ、すごい沢山。全部可愛い」
「ふふ。好きなのを選んでいいよ。でも姫にならスタンダードなゴシックワンピースが可愛いかも。これとかどう思う?」
そう言って差し出されたのはシンプルな黒色のワンピースだった。白の襟元に細かな刺繍が青い糸でされている。そして胸元には十字架の飾りが付いていた。怜王はそれに嬉しくなった。誰かに服を選んでもらうなんて、特別な感じがする。しかも相手はイケメンだ。
「あ、それ可愛い。俺、十字架好きだし」
「ならこれにヘアアクセとタイツと靴やなんかがあればいいのかな」
そう言って衣更が揃えてくれたものは全て可愛かった。どうやら十字架というモチーフを中心に選んでくれたらしい。怜王が好きだと言ったからだろうか。そのさりげなさに怜王は神対応と内心で叫んでいた。ドキドキしながらもカーテンで囲まれた試着室で着替えをする。ワンピースは前のボタンで留めるものだったので少しホッとする。怜王は衣更のことが気になり始めていた。今日初めて会ったばかりなのに自分はなんて単純なのだろうと呆れてしまう。向こうはただ、手頃なモデルを探していただけで他意はないだろう。怜王が着替えて試着室を出ると、衣更が可愛いと褒めてくれた。イケメンは褒め上手なのだと怜王は自分に言い聞かせる。決して自分が特別なわけじゃない。
「じゃ、メイクしていくね」
「お願いします」
鏡の前に座って眼鏡を外すと、残念ながら前がほとんど見えない。ここからどう自分が変わるのか、怜王は期待でわくわくした。衣更が玲央のもさもさした肩まである髪の毛を丁寧にクリップで留める。しばらく髪を切りに行っていないのがここで悔やまれた。
「わ、姫、肌綺麗。なにかケアしてる?」
「えっと化粧水くらいは」
「男の子なのに偉いなあ。じゃあ、最初に下地塗っていくね」
「はい。お願いします」
衣更が丁寧に化粧下地を怜王の顔に塗りこんでいく。その次はファンデーションだ。怜王の肌より随分明るいトーンのものを使っている。ゴスロリは白い陶器肌が似合うのだとネットにも書かれていたなと怜王は思い出していた。更にコンシーラーを塗っていく。衣更が怜王に顔を近付ける。怜王は慌てて飛びのきそうになるのをなんとか堪えた。
「本当はゴスロリって、結構暗めのメイクなんだけど、姫はせっかく可愛いから甘めメイクで行くね」
衣更に怜王は頷くことしか出来ない。アイシャドウは赤。そして、頬にピンクのチークも淡く入れられる。眼鏡がないと前が見えないので自分が今、どうなっているか分からないが、リップは少し暗めの色だということは分かった。ようやくメイクを済ませ黒髪のロングヘアのウィッグをかぶせてもらった。いわゆる姫カットというものだ。前髪は当然眉上のぱっつんである。眼鏡を掛けて鏡の中の自分を見ると、そこにはゴスロリの誰かがいた。怜王を知らなければ、女の子に見えなくもない。怜王はそれに感激していた。初めての女装だったが、こんなに可愛くなるとは思わなかったからだ。衣更のメイクの腕は確かである。
「じゃ、姫。ごめんだけど眼鏡を外して、ここに立ってもらっていいかな?」
「はい」
店の裏側にあるスタジオのような場所で怜王が衣更の言う通りのポージングをすると衣更が毎回褒めてくれる。怜王はそれが嬉しくて頑張ってポーズをとった。ポーズとはいってもいやらしいものではなかったので嘘はつかれていないと怜王はホッとした。
「姫、今日はありがとう」
普段の自分に戻った怜王は嬉しさでぼうっとしていた。ゴスロリ服が着たいという夢が叶っただけではなく、可愛く変身までさせてもらえたのだ。お礼を言うのはこちらの方だと怜王は慌てる。まるで魔法をかけられたシンデレラのようだ。
「いえ、衣更さんのお手伝いが出来たなら嬉しいです。あの、今度ここにロリータ服を買いに来ていいですか?」
「もちろん。あ、これ俺の連絡先ね。もしゴスロリのことで何か悩んだら聞いて。俺、甘ロリもいけるからどっちでも。あ、そうだ。メイク用品とかきっと要るよね?多分アドバイスできると思うし、よければ一緒に行く?」
「いいんですか?」
「うん。それに姫なら水色チェックの甘めのロリータ服も似合いそうだよね。うん、それ絶対可愛い」
そう言ってくれるのは衣更だけだろうと怜王は心の中で突っ込んでいた。だが、そう言って貰えて嬉しい。衣更に頭を下げて、怜王は電車に乗って自宅へ帰った。怜王は安いアパートに一人で暮らしている。大学に進学する際、実家を出た。このアパートは壁が薄いことで定評がある。だからなるべく物音を立てないように普段から気を付けている。でも今日はこの興奮を抑えきれそうになかった。枕に顔を押し付けて、「衣更さんかっこいいー」と叫ぶ。衣更の爽やかなスマイルに始まり、がっしりした腕、そして細く長い指。その手で今日はメイクをしてもらったのだ。その現実に怜王は言葉にならない声を枕に再びぶつけた。自分は衣更がものすごく好きになっている。恋愛経験なんてほとんどないが、これはきっと恋だ。そう確信している。間違いない。だが、人が恋人同士になるのは存外に難しいことなのだと最近になってやっと自覚した。もし、衣更が彼氏だったら、自分は多分正気ではいられないだろうし。そもそも衣更の眼中に自分はいないだろう。
「あーあ。俺が可愛い女の子ならなあ」
先ほど呟いた言葉と同じだが、大分ニュアンスが違うことに怜王は気が付いた。ゴスロリ服を着たら満足するどころか、もっとと欲張ってしまう自分に怜王は呆れて笑ってしまう。
「とりあえず夕飯作ろうっと」
そう思って立ち上がったら、スマートフォンが鳴る。相手は衣更からだった。
「明日、時間あるかな?」
そんな一言が綴られている。明日は夕方からバイトだが、深夜には終わる。その旨を伝えたらこんな返信が来た。
「今日撮った写真、すごく良かったから姫にも見せたい。明日会える?」
その一言が怜王には嬉しい。更に、迎えに行くよと上手にリードされて、怜王のバイト先のある最寄り駅で待ち合わせをすることになった。
「大人のイケメンって怖い」
あまりに軽々とリードされてしまい、思わず怜王は慄いてしまった。自分も年齢だけで言えば立派な大人だが、経験だけで言えばまだまだ子供である。とても敵わないと怜王は息を吐くのだった。
***
「え?イケメンに騙されてる?」
「まだ騙されたって決まったわけじゃないんだけど向こうは経験豊富そうな大人だし、色々百戦錬磨だと思う、多分」
次の日、大学で一番仲のいい女友達に昨日の話を打ち明けた。彼女は数少ない怜王の理解者である。うーんと彼女は腕を組む。
「とりあえず、詐欺ならお金の話をしてくるんじゃない?せっかく彼氏出来そうなんだし、ガンガン攻めなよ」
「彼氏なんて絶対に無理だよ」
「え?なんで?すごくいい感じじゃない」
「そうかな?」
うんと彼女は朗らかに笑った。その笑顔に怜王は毎回ホッとさせられる。しっかり者の彼女がそう言うなら少し頑張ってみようかなと単純に思った。大学が終わりバイト先に向かう。怜王のバイト先は居酒屋だ。そこで怜王は皿洗いと清掃をメインにしていた。裏方が自分には向いていると怜王は思っているので、店長にその旨を話した結果、このポジションをもらえた。
「怜王、お疲れ。なんだ?恋人出来たか?」
「ひええっ」
バイト先の先輩にそう声を掛けられて、怜王は思わず悲鳴をあげてしまった。今日これから会う衣更のことばかり考えてしまっていたというのが大きな理由である。
「なんだ。恋人出来ていたのか」
「違います!!」
「違うかなあ?うーん」
そんなことを言いながら彼が自分の持ち場に付く。彼はなかなかの曲者だ。窓から外を見ると、あまり天気が良くなかった。寒さもあいまって今日は客が少ないという判断を怜王はする。忙しくない日は普段出来ない場所の清掃をする。衛生管理にうるさい飲食店だからこそ清掃は大事だ。なんとかバイトを終え、怜王が衣更と待ち合わせをしている駅に向かって歩いていると、軽くクラクションが鳴らされた。なんだろうと振り返ると、車がそばにゆったり滑り込んでくる。運転していたのは衣更だ。怜王に向かって手を振って来る。怜王が助手席側のドアを開けると衣更が笑い掛けて来た。
「姫、乗って。寒いでしょ?」
怜王は言われるがまま助手席に座っていた。締めているシートベルトをぎゅっと握る。ただでさえもう一度衣更に会えて、嬉しくてこんなに心臓がドキドキしているのに、そのうえ、わざわざ車で迎えに来てくれるなんて、と怜王は一人で感激していた。
「あ、あの、どこに行くんですか?」
「ん?ああ、俺の家。データは全部PCに入ってるから、そこで写真を見てもらいたいなって。加工したやつも見られるよ」
やはり衣更は自分を恋人にしたいとは思っていないようだと怜王は内心でショックを受けた。そりゃあそうだろう。自分はゲイでも相手がゲイである可能性は限りなく低い。気楽な同性だから家に招待してくれるのだ。
「夕飯、カレーライスでもいい?」
「え・・っと、はい」
衣更にどうにか自分を好きになってもらえないものかとぼうっと考えていた怜王は反応が遅れた。
「姫、俺に集中」
信号が赤で車も停まる。その間、運転席からわしゃわしゃと頭を撫でられて、怜王はたまらない。今、怜王は猛烈に衣更のことだけを考えているのだが、衣更はそれに気が付いていない。頭を撫でられて嬉しいと怜王はそっと隣の衣更を見上げた。衣更が横目でこちらを見つめて来る。その優しい表情に怜王はかあっと顔が熱くなる。なんてかっこいいんだろうと怜王は食い入るように彼を見つめてしまう。好きだなあという気持ちに包まれる。
「やっと俺の方を見てくれたね」
「あ、えーと避けてたわけじゃなくて、その」
怜王が慌てて弁解すると、はははと衣更は笑った。怜王はその笑顔の眩しさにくらくらしてしまう。
「よかった。姫に嫌われたかと思った」
「き、嫌うわけないじゃないですか。俺を素敵に変身させてくれて。そう、衣更さんは俺の恩人です」
衣更が怜王の言葉に微笑む。
「もうすぐだよ」
衣更がハンドルを左に切る。どうやら駐車場に入ったらしい。何台も車が停まっている。
「じゃ、行こうか姫」
助手席側に回って来た衣更に手を差し出されたので怜王は反射的に手を載せていた。衣更の家はなかなかいいマンションらしい。セキュリティも抜群だ。彼の部屋に入ると綺麗に片付けられている。大きなデスクの上にはデスクトップ型のPCが置かれている。他にもいろいろな資料らしき書類が綺麗に整頓されて置いてあった。寝室は奥だろうか?つい気になってキョロキョロしてしまう。
「ごめんね、散らかってて」
一体どこが?という言葉を怜王はなんとか飲み込んだ。
「今カレー温めるね。ご飯は食べられる方?」
怜王は痩せているが普通の男子大学生だ。それなりに食欲もある。
「お腹、結構空いてます」
「了解」
それで十分通じたらしい。衣更はたっぷりのご飯に負けないくらいたっぷりカレールウを盛ってくれた。あとは色とりどりの野菜サラダだ。怜王は好き嫌いがほとんどない。食べることがそもそも好きなのである。最近、少し大きめの弁当箱を買ってみた。白米が沢山入っていい感じである。
「いただきます」
手を合わせてサラダを頬張る。シャキシャキした野菜の食感が楽しい。ドレッシングは衣更の手作りだと聞いて、驚いた。次はカレーライスを食べてみる。ほどよくぴりりと辛いのが美味い。ごろごろとじゃがいもやニンジン、肉が存在を主張しているのがまた嬉しい。
「すごく美味しいです」
「良かった。カレーなんて久しぶりに作ったよ。家に人を招くなんて滅多にないからさ」
怜王はその言葉にきゅんきゅん来ていた。自分の為に衣更はわざわざ手作りの料理を用意してくれていたのだ。それにこの家に来る人間はごく少数らしいということも推し量れる。カレーをおかわりしてようやく怜王の腹は満たされた。バイトをした後はどうしても腹が減るのである。
「いやあ、姫がこんなに食べられる子だとは」
衣更は本気で驚いているようだ。やってしまったと怜王は後悔した。好きな人の前でばくばく食べてはいけなかった。
「さすが獅子姫ちゃん。お転婆で可愛いね」
くすくすと衣更が笑いながら言う。どうやら引かれたわけではないらしい。衣更は自分を同性の知り合いとしか思ってないのだからその反応も当然かと怜王は再びショックを受けた。自分の恋が叶うには天変地異くらいの出来事が起きなければ叶わないかもしれない。怜王はそっと息を吐いた。衣更はPCを操作している。来て、と怜王は衣更に呼ばれた。立ち上がってPCの傍に向かうと、キャスター付きの背もたれのある椅子に座るように促される。座り心地の良さに驚きながら怜王がマウスを握ると、その上から衣更に手を重ねられる。自分より一回り大きな手にどきっとするが、怜王はじっとしていた。
「ここクリック」
衣更にマウスごと手を握られて、操作をする。そばに衣更がいて怜王はなんだか落ち着かない。彼の匂いと息遣いを感じる。操作の手順から、どうやら画像フォルダを開いたらしいということが分かる。また何度かクリックして、画像が開いた。見覚えのあるワンピースだ。
「わ・・・もしかして、これ俺?」
「そうだよ、綺麗でしょ」
怜王は自分の手の上に重ねられている衣更の右手が気になって仕方がない。ぎゅっと更に優しく握られた気がする。衣更は怜王の隣ににしゃがんで怜王の顔を下から覗き込んできた。怜王の心臓はそれだけで爆音を立てる。
「ね、姫。前にも言ったけど、今度メイク道具買いに行くの、一緒に行かない?」
「俺がいて邪魔じゃないですか?」
衣更がふんわり笑う。
「全然。姫が良ければだけど、どう?」
「そ、それなら行きます。えと、あとウィッグも気になっていて」
この間つけてもらった黒髪のウィッグが可愛かったと怜王は思っていた。衣更がそれに頷く。そしていくつかウィッグを持って来てくれた。怜王はそれを受け取って見る。金髪と茶髪の物だ。両方ともヘアスタイルはツインテールだ。可愛いと男女問わず人気が高い髪型である。
「姫はこの間みたいな黒髪もいいけど、カラコンとか付ければもっと顔の印象も変わるし、化粧の仕方を変えるとか、いろいろ挑戦してみたらいいんじゃない?」
「カラコン・・・」
コンタクトはなんとなく怖いと思っていたが、それを聞いてやってみたいと怜王は思った。
「姫の無理にならない程度にね」
衣更には優しく包みこんでくれるような雰囲気がある。そんな彼に恋人がいないわけがないと怜王は内心しょんぼりした。いったい衣更はどれだけ自分をがっかりさせたいのだろう。だが、恋人やセクシュアリティについて急に聞くのも不自然な気がする。
「姫、これどう思う?今度着てみない?」
衣更が再び怜王の手ごとマウスを操作して他の画像を開く。それはいわゆる甘ロリのドレスだった。水色のチェック柄を基調に両袖や胸元に白のリボンがあしらわれたものだ。背中側にもリボンが沢山付いている。ヘッドドレスもそれに負けていない。白いリボンでこれでもかと飾られている。
「可愛い。え、本当のお姫様みたい」
「でしょ?姫にぴったりだなって思った」
怜王は嬉しくなるのと同時に顔が熱くなった。
衣更が自分を意識してこれが似合うと思ってくれたのがすごく嬉しい。
「え、でもこんな素敵なの、俺・・・」
「え?姫のためのドレスでしょ、これは。もう絶対写真撮ろうと思って取り寄せたし」
「えええ」
「ねえ姫。ウチの店の専属モデルになってよ。ちゃんとお給料も出すし」
「ええええ。それってどうすれば?」
戸惑っている怜王に衣更がにっこり笑う。
「俺の為に可愛いロリータ服いっぱい着て」
耳元で甘く囁かれて、怜王は更に顔が熱くなった。もうドキドキし過ぎて、頭が爆発しそうだ。衣更が彼氏だったらいいのに、とつい思ってしまう。だが、相手は希少なイケメンである。怜王は頭の中の思考をなんとか隅に追いやった。
「どう?モデルやってもらえないかな?」
「は・・・はい。やります」
怜王はすぐさま頷いていた。ロリータ服をいろいろ着られるなんて、これからもなかなか経験できないだろう。他にも可愛らしいロリータ服の画像を何点か見せてもらい、怜王はますます自分がロリータ服に興味を持ったことに気が付いた。知れば知るほど可愛くて素敵だ。衣更にさりげなくスケジュールを聞かれ、一緒にメイク道具を買いに行くのだと気が付く。それが今から楽しみだ。専属モデルについても詳しい話はまた改めてしよう、と衣更に言われて、怜王は頷いたのだった。そのあと、衣更に車で自宅まで送り届けてもらった。衣更といるとすごく心地がよくて、時間がすぐに去ってしまう。
「衣更さんかっこいい!」
再び自分の枕に向かって叫んでから、怜王は課題をしようと起き上がった。来年度には就職活動も控えている。単位を一つでも落とせないぞと怜王は自分の気を引き締めた。
***
今日の講義は一限目から入っていた。前日、夜遅くまでバイトだったので寝坊寸前だった。遅刻した、と慌てて教室に駆け込んでから、講義が始まるまでゆとりがあることが分かりホッとする。怜王は自然とスマートフォンをチェックした。すると衣更からメッセージが来ている。そこで講師が入って来たので怜王はスマートフォンをリュックにしまった。昼休み、怜王は学食の日替わりランチセットを食べていた。今朝は弁当を作っている間もなかったのだ。あ、とそこで衣更からのメッセージのことを思い出した。
メッセージアプリを開くと、画像が添付されている。画像を開くと、パンフレットのようだ。しかもその表紙に自分の写真が使われていることに気が付く。光の調度を少し変えてあるようだが、怜王は嬉しくなった。メッセージも読んでみる。
「素敵なパンフレットが出来たから、空いている時に店に来て欲しいな」
怜王は早速、今日の夕方頃行くという旨のメッセージを送った。衣更から了解とすぐ返事が来るのもまた嬉しい。自分がとっている科目の講義を全て受けて、怜王は衣更の店に向かって歩き出した。人生どうなるか分からないと怜王はしみじみ思う。あの時、衣更が声を掛けてくれたから今がある。店のドアを恐る恐る開けると、中からエプロン姿の衣更が現れた。
「お、来たね。獅子姫ちゃん」
「こ、こんにちは」
衣更ににっこり笑われて手を優しく掴まれる。
どうやら奥に行くらしい。
「すぐお茶、淹れるね。寒い中わざわざ来てくれてありがと」
この間、メイクをしてもらって知ったが、この店の奥に事務所と試着室兼メイク室がある。衣更に連れて行かれてパイプ椅子に座る様に促された。そこに電話がかかって来る。衣更はごめんねと怜王に一言謝って事務所を出て行った。事務所の中も整理されて塵一つ落ちていない。衣更のきっちりした性格がよく表れている。そこに電話を終えたらしい衣更が戻ってきた。
「ごめんね。姫。人気の商品がなかなか取り寄せられなくてさあ。発注はずっとしてるんだけどまた断られちゃった」
「わ・・大変ですね」
はい、お茶とグラスをことりと前に置かれた。
「ありがとうございます。いただきます」
温かい緑茶が嬉しい。怜王は息を吹きかけて茶を冷ました。こくりと飲むとじんわりと体が温まる。
「これ、完成したパンフレット。見てもらっていい?」
衣更から受け取ったパンフレットを改めて見る。顔は加工のせいかよく分からないが、これが自分だと思うと嬉しかった。中身を開いて読むとロリータ服について詳しい説明が細かな字で書かれている。おそらく手書きだ。衣更も自分と同じくらい、ロリータ服が好きなのだと分かり、怜王は気持ちが温かくなった。パンフレットに引きこまれるように文字を目で追う。怜王はぎゅっとそれを抱いた。
「すごく分かりやすいパンフレットですね。愛が伝わってきます」
「姫にそう言ってもらえると、めちゃくちゃ嬉しい。頑張ってよかったー」
「そ、そんな」
衣更の一言、一言が怜王には嬉しくて、彼をどんどん好きになる自分が止められない。相手は大人でイケメンだ。でも彼は自分を同性の知り合いだと思っている。だからこうして親切にしてくれるのだ。怜王はそれが苦しかった。自分が女性であれば、まだ可能性のある恋だったのにと。
(好きです・・衣更さん)
この言葉を心の中で何度唱えただろう。心の声が聞こえなくてよかったと思う。もし聞こえていたら、衣更はきっと困っていた。
「あ、お客さんだ。姫、これ見てて」
「え?はい」
この店は知る人ぞ知る店らしく、怜王が店の外でうろうろしていた時も、客が入っていくのを何度か見たことがある。ロリータ服専門店なんて滅多にないから余計だろう。客の大体はロリータ服を着た女子だ。彼女たちが衣更と楽しそうに話をしている声が店側から聞こえて来る。いいなと怜王は思った。せめて衣更と緊張せずに気楽に話が出来ればもう少しいいのだが、いつも衣更を意識し過ぎて挙動不審になってしまう。はあ、と怜王はため息を吐いた。自分はいかんせん衣更が好きすぎる。今更、年上の友達と割り切って思えるほどゆとりはない。衣更から手渡されたものを見ると、化粧品のパンフレットだった。化粧品の知識はほとんどない怜王だが、コスメはパッケージも可愛らしいものが多い。パラパラとそれを捲っていると衣更が客を見送っている声がする。その爽やかなボイスに怜王はまた衣更を意識してしまった。
「姫、ばたばたしてごめんね」
「あ、あの、多分俺の方が邪魔をしていて」
怜王があわあわしながら言うとぎゅっと衣更に抱きしめられていた。え?と思うがいつの間にか額に口づけられている。柔らかい感触に驚いて、怜王が顔を上げると優しい表情をした衣更がいた。
「姫が邪魔なわけないじゃない。俺がここに来てってお願いしたんだから」
「衣更さん」
衣更に更にぎゅっと強く抱き寄せられる。この人が好きだと、今はっきり思ってしまった。だが、叶わない恋なのだと思う。怜王はだんだん悲しくなってきてしまっている。自分が男性でなければとこれまでも何度も思ったが、今回は余計そう思った。衣更が好きだ。気持ちを伝えたいが勇気が持てない。
「あ、えーと、俺、これから食材の買い物に行かなくちゃいけなくて」
泣きそうになりながらも頑張って平然を装う。
「そっか。急にごめんね」
「いえ、気にしないでください。衣更さんと一緒にお出かけ出来るのも嬉しいし」
「うん、俺も楽しみにしてるよ」
怜王はこの気持ちはもう封印しようと思った。好きだという気持ちは恋愛でなくても成立する。衣更が好きだ、友達として。だが、どこかでそれは絶対に嫌だと叫ぶ自分もいる。この熱い気持ちをどうすればいいのか怜王にはもう分からない。恋愛の大変さに、今更直面してしまった。
(衣更さん、絶対彼女いるよなあ)
彼の左手を何度も盗み見している怜王だが、彼の薬指に指輪は嵌まっていない。だが人によっては指輪を付けない人もいるだろう。
「衣更さんってモテそうですよね」
つい言ってしまってから、しまったと思った。衣更が怜王の顔に自分の顔を寄せて来る。
「姫だってモテるでしょ?俺、ここ二、三年はずっとフリーだし、モテないよ?」
その言葉に怜王は驚いてしまう。こんな好物件は、なかなかないだろう。女性陣はなにをしているのだと逆に憤りすら感じる。
「姫はどうなの?」
「お、俺がモテるはずないでしょう?」
「そう?可愛いと思うけどなあ」
可愛いって、と怜王は反芻した。衣更にこうして毎回焦らされる。悔しいがそれが年上の余裕というやつかもしれない。
「あれ、もうこんな時間か。スーパー行くなら車で送っていくよ」
衣更に優しく言われて怜王は頷いてしまった。
***
夜、怜王は部屋のカレンダーを見て、ついに明日が衣更との約束の日だと震えた。メイク道具を揃えるのに現金はどのくらい必要なのだろうとか、どんな格好で行けばいいのだろうかと散々迷った。結局服装は無難に黒のセーターとカーキの細身のパンツを着ていくことにする。もしコートを脱ぐ場面があっても黒ならおかしくないだろうというチョイスだ。金に関しては、貯めておいたゴスロリ服用の貯金から七万程出して財布に突っ込んだ。それ以上は買わないと決める。
「姫、明日が楽しみだね。車で迎えに行くね」
衣更からこんなメッセージが届いて怜王は嬉しくてその場で軽く飛び跳ねてしまった。それがうるさかったらしい隣人から壁を叩かれる。いよいよ明日、自分はメイク道具を手に入れるのだ。可愛い男の娘への道はなかなか険しいが、衣更の力によって少しずつ前へ進んでいる。それが単純に嬉しい。怜王はベッドに入ってからも、ドキドキでなかなか寝付けなかった。
***
「ん・・・?」
朝目覚めると、もう八時を回っている。怜王は慌てて飛び起きた。待ち合わせは九時にしている。間に合わせないと、と慌てて支度をした。いつも持ち歩いているモバイルバッテリーはあらかじめ充電しておいたので安心だ。財布も持った。他に忘れ物はないだろうかとリュックを確認する。大丈夫そうだ。そんな時にインターフォンが鳴る。おそらく衣更だろう。怜王が玄関のドアを開けると衣更がいた。いつも彼はシンプルに白のシャツと黒のスラックスを着ていることが多い。だが今日は赤いジャンパーにデニムというラフな格好だった。こういう格好もするんだと怜王はドキドキしてしまう。
「姫、行こう。今日も可愛いね」
す、と当然のように手を差し出されて、怜王は自分の手を衣更に預けた。アパートの階段を降りて、傍にあった有料駐車場に入ると見覚えのある車が見えて来る。
「ここ三十分以内なら無料みたい。有難いね」
ふふっと衣更がそう言うのでホッとした。衣更の車に乗り込むのも、もう何度目だろう。なんだかんだ衣更に理由を付けられて自宅まで送ってもらっている気がする。怜王も自動車免許は持っているがペーパードライバーだ。運転をしないとどんどん技術を忘れていくということを痛感している。
「じゃ、行きまーす」
おどけたように衣更が言って車は静かに走り出した。
「朝ごはん食べた?」
衣更にさりげなく尋ねられて、怜王は忘れていたと思い出した。起きたのがぎりぎりだったせいだ。
「えと、まだです」
「じゃ、どっか喫茶店で買おうか。俺もコーヒー飲みたい」
「は、はい」
怜王はすごく緊張していた。今日も衣更が格好いいのと、一日、彼を独り占め出来るのが嬉しいという気持ちが自分を冷静でいさせない。これはデートだと怜王は勝手に思っている。
「姫、緊張してる?」
大丈夫?と衣更に案じられて怜王は首を横に振った。
「えと、メイク道具買うのが楽しみで」
もちろんそれだけじゃないが、言えるはずがない。
「そうだよね。ずっとやってみたかったの?」
「はい、それはもう」
怜王の返事に衣更が笑う。
「じゃあ今日は好きなのが見つかるといいね」
「はい」
チェーン店の喫茶店で朝食を買い、車内で食べながら色々話した。もちろんすごく楽しい。そして、衣更が連れて行ってくれたのは都内にある百貨店だった。怜王が百貨店に入る時は実家に帰る際、老舗で有名な羊羹を買う時くらいである。もちろんいつもなら他のフロアは素通りする。自分にはあまりにも場違いだからだ。でも今日は違う。いつも素通りするそこに用事がある。衣更は地下にある駐車場に車を停めた。
「じゃ、行こう」
衣更の言葉に怜王はこくりと頷いた。店内に入ると早速おしゃれな店が並んでいる。衣更はその中の一店舗に迷いなく入っていく。怜王もその後を付いていった。そこはカウンターになっている。
「あら、雛乃ちゃん。珍しいじゃない」
はきはきとした口調で衣更に声を掛けてきたのは美人な女性店員だった。もしかして衣更の彼女候補だろうかと怜王は警戒するが、彼女は怜王を見てにっこり笑った。
「あら、今日は可愛い子、連れてるのね」
ここでも可愛いと言われて怜王はなんだか恥ずかしくなって顔を俯けた。
「そうでしょ。怜王くんっていうの。トーンの明るいファンデでおすすめある?」
「あるわよー。ちょっと待ってて」
彼女は棚をごそごそやり始めた。すぐに商品が何点か出てくる。
「なになに、やっぱりゴスロリ?」
怜王がそっと彼女の名札を見ると山崎と書かれている。山崎さんと怜王は心の中で繰り返した。
「もちろん。この子は俺の店のモデルさんなの。姫、ファンデ試させてもらお」
「雛乃ちゃん、ちゃんとセールスしてよね?」
「いやいや、それは山崎さんのお仕事じゃん」
もーと言いながら山崎も笑っている。衣更は基本的に誰とでも仲良く話が出来る人だ。そうでなければ客商売は出来ないのかもしれないが、すごい才能だと怜王は改めて衣更を尊敬した。衣更は山崎と話しながらも、怜王の手の甲にいくつかファンデーションを塗ってくれる。怜王の肌とトーンの色味を確認しているのだろう。
「お、これ伸びがいい」
「そうなの。それ新商品なのよ。もっとトーンを明るくする?」
「あ、お願い」
こんな調子でとんとんと怜王が買う化粧品が決まっていく。会計時、七万で足りるだろうかと怜王はドキドキしていたがなんとか足りそうだ。そんな時に衣更のスマートフォンが鳴りだす。衣更は一言謝って店を出て行った。
「思い出すわあ」
山崎がふと漏らしたのを怜王は聞き逃さなかった。どういうこと?と目線で問うと、山崎が顔を近づける。
「あの子の元カノ、すごくわがままで雛乃ちゃんがふっても、ふっても諦めなかったの。雛乃ちゃん優しいじゃない?あの時は何回も、ううん、何十回も電話がかかってきて大変だったんだから」
そんな過去があったとは、と怜王は驚いた。もしかしたら衣更はそれで恋人を作るのをやめたのではないだろうか、とろくでもない憶測が次々と脳内で立てられていく。衣更は確かに優しい、寄りかかってしまう気持ちが分からないわけでもないが、衣更を困らせるのは許せない。
「でも雛乃ちゃんが元気そうでよかった。彼、昔はやり手スタイリストだったのよ」
「え?そうなんですか?」
「そう。確か彼女も芸能関係者だったの。だからそれを断ち切るために辞めたのかもね」
恋人のことで仕事まで辞めなくてはいけないのかと怜王は震えた。衣更は今の仕事を楽しんでいるように見える。だがスタイリストとしてまだ働いていたかったのかもしれない。電話を終えたのか衣更が店に戻って来る。
「姫、ドレスが来てるよ。帰ろ」
「え?ドレスって・・・」
衣更が怜王の購入した化粧品が入っている袋を掴んで、もう片方の手で怜王の手を握った。
「じゃあまた来るね」
衣更が山崎に声を掛ける。
「気を付けて帰ってね」
「あ、ありがとうございました」
怜王が頭を下げると、山崎に手を振られる。怜王も小さく手を振り返した。衣更に急かされて車に乗り込む。
「いいなあ、山崎さん」
あーあーと衣更が運転をしながら口を尖らせている。
「衣更さん?急にどうしたんですか?」
「姫に手を振ってもらったこと俺、ない」
「え?そうでしたっけ?」
怜王が慌てると衣更が更に口を尖らせる。
「いいなあ、山崎さん」
「えっと・・」
それからしばらく衣更の機嫌を取るのが大変だった。なんで彼がそんなに不機嫌になるのか怜王には分からない。そうこうしている内に、店に戻って来た。衣更が店の裏にある宅配ボックスを探っている。中から出てきたのは固そうな素材の紙袋だった。どうやら中身は衣服らしい。
「あった。姫。これどうかな?」
「へ?あ、はい」
紙袋から衣更が取り出したのは、この間衣更が見せてくれた甘ロリドレスだった。怜王がそれを、床に当たらないように気を付けて広げると、あの時PCの画像で観た時よりずっと可愛らしかった。
「わああ、可愛い。本物のお姫様になれそう」
「うん。よかった。イメージ通りだね。この服なら足元は白タイツと、水色のパンプスを用意しようね。タイツどれにする?可愛いのいっぱいあるよ」
衣更が事務所のPCをいつの間にか起動させていた。タイツの画像がいくつも出て来る。白いタイツとはいってもふくらはぎにかけていろいろな模様が入っているのがまた可愛らしい。怜王は衣更と共に、何点か商品を見比べた。ふと一点の商品に目が留まる。
「あ・・これ、可愛いかも」
「ああ、この黒猫ちゃんかあ。姫のチョイス可愛いなあ」
「変ですか?」
「ううん、甘ロリだしお姫様なんだから可愛く行こうよ。よっし、タイツ発注かけとくね」
「わあ、嬉しいです」
「そしたらまた写真撮らせてね。今回のパンフレット、もうすぐで全部はけそうなんだ」
「え?そうなんですか?」
怜王はその言葉に驚いていた。自分が関わったものが人の手に取られているというのがすごく嬉しい。
「姫のこと聞いてくる人も中にはいるよ。やっぱり姫は可愛いし綺麗だから」
「えええ?」
「俺、こう見えて芸能関係の仕事に就いてたの。当時カリスマスタイリストとか持てはやされて天狗になってた。恥ずかしいよね」
「そんな・・・誰でも間違えたり、失敗はしますよ。それに、自分で気が付いたんだから恥ずかしくありません」
「姫は優しいし大人だなあ。当時の俺に言ってやりたいよ。こんな可愛い子に会えるよって」
「俺は可愛くは・・・」
「ねえ、姫。君、分かっていないだろうけど俺、結構余裕ないの」
「え?」
衣更に腕を掴まれてすっぽりと彼の腕の中に包まれてしまう。怜王はそれに焦った。
「あ、あの衣更さ・・・」
彼の名前を呼ぼうとしたがそれは叶わなかった。衣更に唇を奪われていたからだ。怜王はびっくりして固まっていた。
「姫、ううん。怜王くん、俺、君が好き。ずっとどうすれば俺を好きになってもらえるかって考えて、でも結局よく分からなくてさ。だって怜王くん、男の子だし。俺みたいなおじさんじゃ嫌でしょ?」
怜王は首をふるふると横に振った。ここで自分の気持ちを伝えなければ、きっと後悔する。
「俺、最初に会った時から、衣更さんのこと好きでしたよ。衣更さんのことを思うだけで胸がぎゅってなって苦しくて」
そう言ったら更に衣更に抱き寄せられた。
「怜王くん可愛すぎ」
「衣更さんの方が可愛いです」
二人はお互いに見つめ合った。そしてどちらからともなく噴き出す。衣更は大きく呼吸した。怜王も同じだ。
「姫に嫌われなくてよかったあ」
「俺も同じ気持ちです」
「うーん、とりあえず夕飯食べに行こうか」
「ですね」
***
「さっぶ」
怜王は手袋を嵌めた手を擦り合った。今日はこれから衣更の店でこの間のドレスの撮影が控えている。歩いている間に雪が舞い始めた。道理で寒いはずだ。コートの前をぎゅっと押さえた。店のドアをそっと開ける。
「怜王くん、いらっしゃい」
衣更がやって来る。二人は軽く抱きあった。お互いに告白し合ってから随分距離が縮んだ。特に衣更は怜王に隙あれば触って来る。恋人というものはそういうことをするのかと怜王は焦っていた。恋人同士ならこういう軽いスキンシップも当たり前なのだろうが、全てが初めての怜王である。もっと経験値を積んでおけばと怜王は今までの自分を殴りたくなった。衣更の手は怜王にとって特別だ。自分を素敵にしてくれる魔法の手である。
「タイツも滞りなく来てるよ。はい」
衣更にタイツが入った袋を渡される。怜王は中身を見た。
「わああ、嬉しい。やっぱり可愛いなあ」
「じゃあ、早速着替えてみる?」
「はい」
事務所の奥にある試着室で怜王はドレスに着替えた。鏡に写った自分はまだ普通の男子だが、衣更の手にかかれば可愛らしい男の娘に変身できる。最近の怜王は自分でメイクの練習をしている。今度コンタクトを買いに行く予定だ。最近始めたおしゃれが楽しくて、もっといろいろなことに挑戦してみたいと思い始めている。
「わ、可愛いじゃん。本当のお姫様だね」
衣更は毎回こうして必ず褒めてくれる。それが心地いい。やはりスタイリストという職業柄のものなのだろうか。怜王は眼鏡を目の前に置いて化粧台の前に座った。
「今日のメイクはあざとさを狙った甘めで行くね。大丈夫、俺に任せて」
そう言いながら衣更が慣れた手つきで化粧下地を塗り始めた。今日はピンク色が基本の可愛らしいお人形のようなメイクに仕上がった。怜王はウキウキしながら眼鏡を掛ける。
「わ、可愛いかも」
「かもじゃなくて間違いなく可愛いよ。今回のウィッグはこれにしてみよう」
衣更が金髪のウィッグを持って来た。どうやら今回もロングヘアの物らしい。毛先が緩くウェーブを巻いている。
「いろいろあったけどやっぱりこれが一番かなあ」
ウィッグを被せてもらい、鏡を見ると、お姫様がそこにはいた。
「か、可愛い」
怜王も思わず呟いてしまったくらいだ。
「さすが怜王くん。素材がいいと、スタイリストもやる気出るよ」
それからスタジオに移動して写真を撮った。ポージングの指定はもちろんある。
「もっと可愛い怜王くん見せて」
今回のテーマは「とにかくあざとく」だった。写真で可愛いと思ってもらうためには、少しオーバーなくらいがいいらしい。
「はい、撮影おしまい。お疲れ様」
怜王は息が上がっていた。ポージングをして、その姿勢を維持するのは結構体幹が必要になってくる。もっと鍛えようと怜王は密かに決意した。こうして写真を撮ってもらえるのだ。出来る限り、可愛く、綺麗なままでいたい。衣更が可愛いって言ってくれるのだから余計である。そんな衣更がお湯を沸かし始める。どうやらお茶を淹れてくれるつもりらしい。衣更に呼ばれて、いつも座っているPCの前の椅子に怜王は座った。やはりいつもみたいにマウスを握った手を上から優しく握られる。
「えっと、さっきの画像は」
カチカチと何回か左クリックをして画像が開いた。怜王はそれが本当に自分なのかと疑ってしまう。照明や衣更の写真の腕前もあるだろうが、どう見ても少女が映っているようにしか見えない。それだけ完璧な写真だ。
「やっぱりこのドレス、怜王くんにぴったりだった。俺の直感もまだ捨てたもんじゃないね」
「あの衣更さ・・」
「雛乃って呼んで」
「え、でも」
「俺たち、恋人同士だしいいじゃん」
衣更の言葉にそうなのかなと怜王は思った。
「雛乃さん、いつもありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、衣更が全然、と笑う。お湯が沸いたようだ。衣更がお茶を淹れている間、怜王は画像を見ていた。ウィッグとはいえ、金髪に抵抗がないわけではなかった。むしろ絶対に自分には合わないと思っていた。だがこうして見ると意外と悪くないかもしれない。
「あれ?写真気に入ってくれた?」
「はい。なんか、想像してたのよりずっと良くて。それが嬉しくて」
「怜王くんは自分が綺麗だって自覚、持った方がいいよ?」
衣更の言葉に怜王は慌ててぶんぶん首を振った。
「そ、そんなことないです」
「怜王くん、こっちおいで」
いつの間にか衣更に抱き寄せられている。怜王は怖くなって衣更の胸に抱き着いた。
「ね、体触っていい?」
「っ・・・いいです」
嫌なはずがない。今日だってずっと触って欲しかった。はしたないかもしれないが、会うたびに触ってもらえないかと期待している。衣更に触られると、自分を好きになれる気がする。だが、今日はなんだか普段と「触る」という行為が違う気がする。怜王の頭はそれだけでパニックになった。知識だけでいえば一応知っていたが、まさか自分がと思う。怜王はばくばくとうるさいくらい自分の鼓動を感じていた。どくどくと流れる体中の血液が煮えたぎりそうに熱い。
「怜王くん、そんなに緊張しないで」
困ったように衣更が笑うので、怜王は深呼吸した。怖がっていてもなにも始まらない。
「お、深呼吸いいね。俺もしよう」
二人ですーはーと一度深呼吸をした。
「怜王くん可愛いね」
すでに怜王は興奮で息が荒くなっている。顔もものすごく熱い。衣装を汚さないか怜王は心配だったが、衣更は慣れているのかあっさりドレスを脱がせてくる。こんなに簡単に?と思ったが、衣装が無事でほっとした。だが、衣更の慣れた手つきに、彼の今までの恋愛経験をつい考えてモヤモヤしてしまう。やはり思っていた通り百戦錬磨なのだろうか。
「せっかくの獅子姫のドレスは絶対汚せないよねー。こんなに可愛いんだしさ」
髪飾りとウィッグもあっさり外されて髪の毛をまとめていたネットも外された。怜王はあっという間に下着姿になっている。
「お、いつもの怜王くんに戻ったね」
茶化すような言い方に怜王はちょっとむっとした。先程のモヤモヤがなかなか晴れない。
「雛乃さんは俺で遊び過ぎです」
「え、もしかして、姫怒ってるの?」
「そんなの、絶対に言いません」
むすうと怜王は腕を組んでぷいっとした。
「怒らないで。そういうとこ可愛いけど」
怒っているのに、可愛いと言われて、なんだか自分が滑稽に思えて来た。下着姿でもあるから余計だ。
「なんですか、その可愛いって」
思わず噴き出すと、衣更も笑う。
「姫は可愛いよ。顔に全部感情が出るし」
「え?」
その自覚はなかった。衣更はやはり人を良く見ているということだろう。
「姫が俺を好きでいてくれている自信はなかったけどね」
はははと衣更が困ったように笑う。
「俺、ずっと雛乃さんだけ好きって思ってたのに。雛乃さんの超鈍感」
またむすっとすると、衣更に優しく抱きしめられている。
「お願い、姫。許して。そうだ、美味しいご飯食べよ?」
「美味しいご飯」という単語に怜王は単純にも反応してしまった。確かに空腹だ。
「着替えます」
「やった。姫とご飯―」
衣更がこうして喜んでくれるのが嬉しい。衣更のお陰で自分を少し好きになってきている。
それから衣更に車で自宅まで送り届けてもらった。
***
講義も終わり、怜王はいよいよ、今日こそはゴシックワンピースを買おうと決意して衣更の店に向かった。そっと店のドアを開けると、衣更の姿が見えないが声だけ聞こえるので電話をしているのだろう。聞き耳を立てるつもりはなかったが、聞こえて来てしまうものはしょうがない。怜王はそっと気配を消して、衣更の声に集中した。やはり気になる。
「だから芸能関係の仕事はもういいんだって。今も十分幸せだよ」
話を聞く限り、衣更にスタイリストとして業界に戻ってこないかと打診されているようだ。
(雛乃さんは本当にスタイリストの仕事に未練がないのかな?)
怜王はずっとそこが疑問だった。カリスマスタイリストと周りから言われる腕前だ。それを活かしたい気持ちだってあるだろう。自分にメイクするだけでは物足りないのではないだろうか。
「今は恋人もいるし、離れたくないんだよ」
自分のことだろうか、と怜王は身を固くした。
それで衣更がやりたいことを諦めるのが正しいことなのだろうか。それはなんだか違うと思う。怜王は衣更の足枷になるのだけは絶対に嫌だった。衣更にだって好きな仕事をして欲しい。自分に楽しいことを教えてくれた彼にこそ幸せになって欲しい。怜王はそっと店を出ていた。今の話を聞いた以上、どんな顔をして彼に会えばいいか分からなかった。もやもや考えながらひたすらに歩く。
(雛乃さんの本当の気持ちは俺なんかには分からない)
スタイリストという仕事を辞めたのは、恋人のトラブルもあっただろうが、彼がここでロリータ服の専門店を出しているのもまた夢が叶った形なのかもしれない。
「雛乃さんの気持ちをちゃんと確認しよう」
結論を出すのはその後でも遅くないはずだ。衣更とこうして恋人になれて、彼に大事にされているというのもよく分かっている。だからこそ彼に幸せになって欲しい。
(スタイリストの仕事に戻ったら、きっと忙しくなるんだろうな。俺、今すごくわがままなこと思ってる。これじゃあなあ)
あの時、山崎に聞いた衣更の元彼女について思い出す。彼女もまた衣更にわがままを言ったらしい。でも好きになったらずっと一緒にいたいと思うのは普通だ。それを我慢しろと言われたら不安になるかもしれない。実は浮気をしているんじゃないかとか、自分を嫌いになったんじゃないかとか思う。彼女の気持ちが今更だが、分かって来た。だんだん悲しくなってきて怜王の瞳から涙が溢れて来た。怜王は慌てて涙を拭った。自分は衣更に本音を言ってはいけない。もし言ったら衣更はすごく無理をする。彼の性格を考えれば明らかだ。彼女の時も衣更は無理をしたのだろう。優しいから彼女の言うとおりにしていたのだ。無理をし続けるのは不可能だ。衣更にも途中で限界が来てしまったのだろう。だから芸能関係から足を洗ったのだ。
(雛乃さんは基本的に優しすぎるんだよね)
とりあえず次に会ったら衣更にそれとなくスタイリストの仕事について聞いてみようと怜王は決意した。
***
「怜王くん、この間のワンピ買ってくれるの?」
「えっと、はい。前にも言ったけど十字架が好きだし。これに合うタイツとか靴も一式ください」
「分かった。ちょっと待ってて」
衣更が在庫を持って来てくれる。そして華やかな髪飾りを怜王に差し出してきた。
「この髪飾り、倉庫掃除していたら出て来たんだ。怜王くんに似合うと思うからおまけ」
「え?いいんですか?」
「もちろん。髪飾りも可愛い子に付けて欲しいと思うし」
可愛いと衣更に言われるだけで嬉しくて顔が熱くなる。
「ねえ怜王くん。ちょっと話したいことがあるんだけどいいかな?」
いよいよ来たと怜王は身構えた。きっとスタイリストの仕事についてだろう。
「はい」
はっきりさせておいた方がどちらにとってもいいはずだ。怜王は頷いていた。会計を済ませた後、衣更に連れて行かれて事務所の椅子に座っている。衣更はお茶を淹れてくれているらしい。衣更が怜王の目の前に淹れたばかりのお茶を置いてくれた。
「あのね、俺のお仕事のことなんだけど」
やっぱりと怜王は体が冷える感覚を覚える。
「ちょっとスタイリストのバイト?的なものをしようかなって。断るつもりだったんだけどちょうどいい人がいないからって」
やはり衣更にはスタイリストとして働きたい気持ちがまだあったのだ。怜王はなんとか笑って見せた。
「さすがですね。すごいなあ」
思わず棒読みになってしまったが衣更は気が付いていない。ありがとうと笑われた。
「じゃあ、このお店もお休みするんですか?忙しくなりますもんね」
「うん、当面はそうするつもり。でも本当にバイトだし。忙しくても、ちゃんとこれからもパンフレットは定期的に出すし、怜王くんにもここのモデルとしてぜひ協力して欲しいな。もちろんお礼もするから」
「はい、俺はいつでも大丈夫です」
笑って答えたが本当は胸が張り裂けそうだった。彼の仕事で衣更に会えなくなるというのが本当は寂しくてしょうがない。衣更のことだ、きっと自分を優先して甘やかしてくれるだろうが、彼の負担になるのは違うと思う。そう、怜王はもう知っている。衣更には元彼女との関係という前例がある。自分はその轍を踏んではいけない。そう思うのだが、本当は泣きながら「寂しいから抱きしめて。自分だけを愛して欲しい」と言ってしまいたい。
「怜王くん、どうしたの?なにかあった?」
衣更は敏い。だが自分が何を思っているかまでは分かっていないようだ。肝心なところで衣更は鈍感だ。怜王は笑って首を振った。
「じゃあね怜王くん。俺、明日からしばらく都内にいるんだ。なんかあったらスマホに連絡くれる?」
「はい。分かりました」
絶対に連絡なんてしてやるものかと怜王は意固地にも思っているがそれは表に出さない。
「怜王くん、なんか怒ってる?」
「怒ってません」
全くの嘘だ。衣更に対してこの鈍感野郎と詰ってやりたいくらいである。だが、それをしてもお互いの為にならない。そのうえ、相手に自分の気持ちをなんでも察して欲しいと思っている時点で、ただのわがままだということも理解している。怜王は衣更に頭を下げて自宅のアパートに向かった。一人で泣きながら帰ったら少しすっきりした。するとスマートフォンが鳴った。相手は衣更である。
「怜王くん、休みが取れたら二人で遊ぼう。また連絡するね。一緒に夢の国いこ」
こんなに無邪気な衣更へ、なんて返信すればいいのだろう。出来る事なら自分は今すぐにでも彼に会いに行きたいくらいなのに。だが、それはもう封じなければならない。恋人になってからの方が大変になるとは露とも思わなかった。自分の思考の甘さに自分を呪いたくなってくる。恋人になってから、その関係を維持する。その難しさをようやく知った。結局色々考えたが、文字で返信できなかったので、可愛らしいスタンプを送っておいた。衣更はこれを見てどう思っただろう。衣更のことだからきっと心配してくれている。それくらいには信頼があると思う。まだ知り合って間もないが、お互いの気持ちを読み取るくらいのことは出来るようになっている。相性がよかったのだろうな、とその時怜王は冷静に分析していた。
***
衣更のいない日々は退屈でしょうがなかった。メッセージを送れば、衣更はきっとすぐ返信をくれるだろう。自分から送らなくても衣更から毎日、「おはよう」とか「おやすみ」というメッセージが届く。それが嬉しくて、なんとかそれを心の支えにして怜王は毎日を生きている。衣更の存在が自分にとって、すごく大事なのだと怜王は今更気が付いていた。彼にすっかり依存してしまっている。それは自分が弱いせいだろうか。
(雛乃さんに会いたい)
本当に寂しい時はスマートフォンをぎゅっと握りしめて泣いた。なんで自分は衣更に素直に甘えられないのだろう。それは単純に自分の経験が足りていないからだ。衣更に嫌われたくない、うざったいと思われたくない。そう思えば思うほど気持ちが沈んでいってしまう。自分の下降する気持ちを止められるのは、他でもない衣更だけだ。また悲しくなってきて、怜王は涙をなんとか堪えながら校門を出た。
「怜王くん」
振り返ると、その声の主は当然衣更で、怜王は無意識に彼に駆け寄っていた。衣更は困ったような顔をしている。怜王の手を取ると歩き出した。
「怜王くん、なんで泣いているの?」
「なんでもないです」
「そんなの嘘じゃん、怜王くん、ずっと変だもん。俺には言えないことなの?」
「それは・・・」
怜王はうつむいた。なんて答えればいいのだろう。迷っていると抱きしめられている。顔を近距離で真正面から見つめられた。衣更の整った顔がすぐ近くにある。それにドキドキしないはずがない。
「怜王くんは俺が信じられない?」
「そんなことない・・です。でも俺、雛乃さんの邪魔をしたくない」
「邪魔って・・」
衣更が息を吐いた。まだ困ったような表情を彼はしている。自分のせいでと怜王が顔を俯けようとすると、ぎゅっとさらに抱き寄せられる。それが嬉しくて瞳が潤んできてしまった。また泣きそうになってしまう。ずっとこうして欲しかった。怜王が背中に手を回すと衣更もようやくホッとしたらしい。久しぶりに衣更に触れられて怜王も安心する。やっぱりこの人が好きだと実感する。
「君に嫌われた訳じゃないみたいだね」
「嫌いじゃない、大好きです。でも俺、雛乃さんの昔の彼女さんの話聞いて・・」
「それって何年前の話よ」
「え?」
はあーと衣更がため息を吐く。そして怜王の両手を握って彼は優しく揺すった。彼の大きな手に包まれているとすごく幸せな気持ちになる。やはり彼の手は特別だ。
「多分、山崎さん情報だろうけど、それ、俺が専門学校生の頃の話だよ?前にも言ったけど、プロになったばかりで天狗になってたの。周りから持てはやされてさあ、我ながら馬鹿みたいだよ」
「せ、専門学校生って、じゃあ」
「俺が今、二十六だから、もう七年くらい前か。彼女さんも若かったけど年上だったし、当時はいろいろあってへこんだけど、今はなんともって、あああ!」
衣更が急に叫ぶので怜王は驚いて身をすくませた。衣更の顔色が悪い。
「え、もうあれから七年も経っているのか。恋人いない歴七年だわ、俺。何がフリーになって二、三年だよ。カッコ悪。自分の店出すために最近特に見境なく働いてたしなあ。わあ、道理で年取ってるわけだよ。こっわ」
衣更が早口でぶつぶつ呟いている。どうやら彼は相当頑張っていたようだと怜王は思わず笑ってしまった。
「ちょっと怜王くん、笑い事じゃないよ。俺、今凄くびっくりしてるんだからね?」
「す、すみません」
「ま、いいや。とりあえずお店行こう」
衣更はにっこり笑って怜王の手を引っ張った。
「で、ずっと聞きたかったんだけどさ」
「なんでしょう?」
なにか真剣な話だろうかと、怜王は身構えた。
「怜王くんはどこにゴスロリ服で出かけたいのかなって」
「え?」
そんなこと一度も考えたことはなかった。怜王は自分がただ着て楽しみたかっただけだったことに今更気が付く。だが、せっかく可愛らしい服なのだから、それを着てどこかに出かけるのも楽しそうだと怜王は目から鱗が落ちる思いだった。だがゴスロリ服というと場を選ぶ気がする。どちらかと言えば、甘ロリの方がまだ街で見かける印象だ。
「ゴスロリ服をこの間、一式揃えたんだし、せっかくなんだからお出かけで着てみたら?ヘアメイクは任せてもらえればやるし」
「いいんですか?」
「うん、もちろんいいよ。そうだ、今週末、空いてる?近所のライブハウスにうちのパンフレットを置いてもらおうと思って、お願いしに行くんだ。君も一緒に行くのはどうかな?宣伝も兼ねて。その後、お礼に美味しいものご馳走するよ」
「はい、行きます。美味しいもの・・・」
「ふふ、決まりだね」
そうこうしているうちに衣更の店が見えて来た。鍵を開けて事務所の方だけ電気を点ける。衣更がくるっと怜王の方を向く。
「ね、怜王くん、俺がいなくて寂しいって思っていてくれた?」
怜王はそっと衣更に抱き着いた。ここなら人目を気にしなくていい。衣更も頭を撫でてくれる。その手つきの優しさにホッとする。
「はい、思ってました。寂しくてしょうがなくて、いっぱい泣いたし」
「そっか、嬉しいな。でも好きな子を泣かせるのは男として最低だなあ」
優しく顎を掴まれてキスされる。唇を舌でこじ開けられて中を蹂躙された。怜王はもちろんこんなキスを経験したことがない。体が快感で震えるのを止められなかった。
「んん、っふ、は・・・ん」
くちゅくちゅといやらしい音を立ててされる口づけに自分の身体が反応しているのに気が付く。それがすごく恥ずかしくて、でもどうしようもなくて困った挙句、怜王は衣更の肩にぎゅっと掴まった。口づけはまだ止まない。だんだん息が苦しくなって足元が覚束なくなる。
「怜王くん、俺に体預けてごらん。大丈夫。怖くないよ」
そう優しく言われて、怜王も衣更なら信じられると彼の言う通りにした。彼にもたれかかるとしっかり腰を支えてくれた。後頭部を優しく掴まれて何度も何度もキスをされる。じゅ、と舌を吸われる度に怜王はびくっと体を震わせる。気持ちいい。ただキスをしているだけでこんなに感じるものなのかと怜王の中は驚きでいっぱいだった。
「んん、っつ、ひな・のさ・・・」
「可愛いね、怜王くん」
やっとキスから解放されたかと思えば、事務所に置いてあるソファに抱き上げられて座らされていた。衣更が上から覆いかぶさって来る。それにどきりとする。この人に抱かれたら自分はどうなってしまうのだろうと、少し不安も覚えた。
「怜王くん、この間はうやむやになっちゃったから、今度こそ君に触っていい?」
「は・・・・はい」
そういえばそうだったなと怜王は思い出していた。性行為という物が少し怖くて体を縮こませていると、衣更が微笑む。その笑顔は今日も爽やかだ。王子様スマイルである。
「どうしたの?怖いのかな?」
「少し怖いです。初めてだし」
「怜王くんは本当に可愛いな」
衣更に可愛いと言われるとすごく嬉しい。自分は男だが、可愛らしい男の娘に憧れているからだろうか。
「雛乃さんに可愛いって言われると嬉しい」ふふふと口元に手を当てて笑ったら、衣更にぎゅっと抱きしめられていた。
「可愛すぎるよ、怜王くん。これからは俺に集中していてね?約束できるかな?」
「はい」
こくりと頷くと再び深いキスをされていた。
***
「んん、っつ、つ・・・」
衣更に胸の尖りを執拗に指の腹で苛められ、怜王は思わず声を漏らしていた。乳首で感じるなんて女の子みたいだと恥ずかしかったが、衣更の指は確実に怜王の良い所を触っている。
「や、っあ・・はあ・・・」
「どうしたの?怜王くん。俺、まだ乳首しか触ってないのにすごく可愛い声出しちゃって」
「っ・・・・」
指摘されて怜王は顔がぶわっと熱くなった。恥ずかしくて何も言い返せずにいると、衣更に頭を撫でられる。
「怜王くん、俺にしかそういう顔しちゃだめだよ?」
そういう顔ってどういう顔だろうと尋ね返したいが、衣更はそんな暇も与える気はないらしい。ぐりっと乳首を強く擦られて、怜王はびくんと体をのけ反らせていた。
「あ・・・っ」
怜王は自分が射精していることにようやく気が付いた。目の前がチカチカして快感の余韻で頭がぼうっとする。射精自体が久しぶりだ。あまり自慰をしないので、いつぶりだっただろうとぼんやり思った。
「怜王くん、大丈夫?気持ちよかった?」
「はい。すみません」
「大丈夫。もっと気持ちよくしてあげる」
「もっと・・・」
衣更の言葉に期待感が高まってしまう。
しかも乳首だけの刺激で達してしまったのが、すごくはしたない気がして怜王は落ち着かなかった。自分の身体はどうしてしまったのだろう。
「怜王くんを俺好みに開発するのも楽しそうだね」
「開発・・・ですか?あの、雛乃さんも一緒にしましょう。俺ばっかりは嫌です」
怜王は彼のシャツのボタンを外した。思いのほかたくましい体が現れて、怜王はドキッとした。どこかジムで鍛えているのだろうか?
「雛乃さんって思ってたよりムキムキ」
「ははは、ムキムキは言い過ぎかな。健康には気を付けようと思って、時々走ったり筋トレはしてる」
「へえ、かっこいい。」
「怜王くんもこのおじさんと一緒に走る?ナチュラルハイ気持ちいいよ」
「いいんですか?楽しそう。それに雛乃さんはおじさんじゃないです」
「そう言ってくれるのは怜王くんだけ」
そんなことを言いながら、衣更に下着を全て脱がされて、怜王の身体を覆うものは全てなくなっている。衣更にじっと体を観察されてなんだか恥ずかしい。
「怜王くんって全てが色白だよねえ。日焼けしないの?」
「日焼けすると肌が赤くなります。だから夏場とかは長袖着て気を付けています」
それならと衣更が笑った。胸元に吸い付くようにキスされる。そこに赤く痕が残る。
「あ・・・え?赤くなった?」
怜王の困惑したような声に構わず、衣更はウインクしながら言った。
「俺のキスマークで怜王くんの肌、真っ赤にしてあげる」
「ひ・・・きすまーく・・・」
そんなもの初めて付けられた。衣更が更に首元に吸い付いて来る。怜王がきゅっと目を閉じると、キスはどんどん下に下がっていくのが分かった。ちゅ、ちゅ、と優しく愛撫されるようにキスされる。それにどんどん期待感が高まって来る。そこまで考えて、はしたないと考えを頭から追いやる。衣更としていると、どんどん思考が快感を追い求めるものになっていく気がする。
「あ、雛乃さ・・・、もうキスやだ」
ぽろぽろと生理的な涙がこぼれて来る。まるでキスで焦らされているようで苦しい。衣更はいよいよ怜王の太ももに手をかけた。
「怜王くんの太ももほっそ。これしかないじゃん。ちゃんと食べてる?」
衣更がどうするのかと思ったら太ももに優しくちゅ、と口づけられた。そのままぐいと両足を開かされる。すべてがさらけ出されて、怜王は恥ずかしさのあまり顔を背けた。衣更に全て見られてしまっている。そう思うと気持ちが高ぶった。そんな自分に戸惑う。まさか自分にこんな一面があるとは。
「可愛いよ、怜王くん。もっと見せて」
「あ、やだ。恥ずかしい・・から」
「怜王くんは俺で感じてくれるんだね?」
反り立った性器を見られて怜王は慌てて手で隠そうとしたがもう遅かった。衣更にきゅ、と優しく性器を握られる。それだけで腰が跳ねてしまうのに、衣更がゆるゆるとそれを上下に扱きだした。快感が痺れのように全身を走り抜けていく。
「うあ、っつ、や・・も、きちゃうから」
人に性器を触られるなんて初めてで怖い。快感がどんどん高まっていくのを感じる。また射精してしまいそうだ。
「っあ、はあ、んんん」
もうすぐ達してしまいそうだという寸前で衣更は手を止めた。
「あ、雛乃さん、どうして・・」
「怜王くん、今日は一緒に気持ちよくなろう?」
「あ・・・・はい」
意味を理解して、顔が熱くなったが嬉しさが勝った。衣更がシャツを脱ぐ。そのたくましさにまたドキドキが抑えられなくなる。
「怜王くん、俺に掴まれる?」
「あ・・はい」
怜王は衣更の肩に掴まって立ち膝になった。衣更はここからどうするのだろうと思っていたら、指を怜王の尻の奥にあてる。
「っつ、そこ?」
びっくりして怜王が衣更を見つめると彼に頭を撫でられる。
「俺に掴まってなるべく力抜いていてね」
「っ・・・はい」
きゅっと目を閉じ、怜王は衣更にもたれかかるように掴まった。ぐ、と衣更の指に力が込められる。ゆっくりだったが指が中に入って来たのを感じて、怜王は思わず呻いた。異物感がすごい。苦しくて呻いていると頭を撫でられる。
「もう少し力抜ける?深呼吸して」
「はい・・・ン」
すうはあと呼吸を何回か繰り返していると、指は更に奥に入った。だがまだ苦しい気がする。衣更の指は何かを探っているようだ。指でじわじわ解されていつの間にか本数を増やされている。自分の中に衣更の長い指が入っている。そう思うだけでもたまらないのに、衣更はその中で何かを探っている。
「っつ!」
怜王は飛び出してきた自分の甘い声に驚いていた。今探られたところは先ほどまでの感覚と随分違った。なんだろうと思うが分からない。
「ここかあ」
衣更がにやっと笑って、そこを執拗になぶって来る。それが快感であることに怜王はようやく気が付いていた。迫って来る快感に怜王は耐え切れず衣更の背中にぎゅっと爪を立ててしまう。このままではまた一人で達してしまうのではないか。それだけは嫌だった。
「っひ、あああ!やら、、らめ」
「そうそう、いい子いい子」
中をぐにぐにと探られて、怜王は衣更の肩にガブリと噛みついていた。ぎゅっと噛みしめると鉄の味がする。衣更はそんな怜王の頭を撫でて来る。
「獅子姫、大丈夫。大丈夫。怖くないよ」
「う、もう俺イっちゃ・・」
「そうだね。俺もそろそろ限界かも。一緒にイこうか」
怜王は涙目で衣更を見上げた。衣更の額には汗がにじんでいる。いつもより余裕のなさそうな熱っぽい表情にドキドキする。衣更は怜王の腰を優しく抱き上げた。
「ふ・・ぇ」
衣更が空いた手でスラックスの前を緩める。衣更のものを見て怜王は固まった。怖いくらい屹立している。そして大きかった。
「あ、待って。無理ぃ」
「大丈夫。入るよ。俺たち、一緒に気持ち良くなるんでしょ?」
衣更に言われてその通りだと思った。自分は衣更と愛し合いたくてこうしているのだ。多少の無茶はするべきだろう。衣更だって男の自分を抱きたいと思ってくれたのだ。
「雛乃さん、一緒に気持ちよくなりたい」
「うん。俺もだよ、怜王くん」
衣更に優しく腰を抱かれたままゆっくりとおろされる。ズズと衣更のものをなんなく孔が飲み込むのに怜王は内心驚いてしまった。まるで自分の身体じゃないみたいだ。ただ、指よりはるかに苦しいのは間違いない。怜王は苦しさのあまりぎゅっと衣更に抱き着く。頑張ってなんとか力を抜いたがもう限界だった。
「いいよ、全部入った。怜王くん、大丈夫?」
荒く呼吸をしながら衣更に言われて怜王は頷くのが精一杯だった。お互い体が熱い。対面座位の状態だ。
「動くね。怜王くんもいいように動いてみて」
「は・・・はい」
初めての行為なのでいいようにと言われても分からないが、怜王は軽く腰を揺すってみた。衣更がそれに合わせるように怜王を揺する。
「ん・・・っう・・あ」
じわじわと快感が広がるような感覚になんだか溶けてしまいそうだ。脳みそはもうすっかり溶け切ってしまっている。結合した部分から時折聞こえる音のいやらしさに怜王はどうにかなりそうだった。
「っあ・・はあ、あ」
衣更に揺すられて快感を感じるが、先程より絶頂は遠のいている気がする。衣更も同じことを思ったらしい。怜王をソファに押し倒してきた。衣更の顔が傍にあるのが嬉しくて恥ずかしい。
「え・・あ」
恥ずかしさに戸惑っていると唇に優しくキスをされる。甘やかすようなキスだ。
「怜王くん、足広げられる?」
「はい」
そう言われて足を開いたらますます衣更に奥を突かれていた。
「ああああ!」
先程までのじんわりとした快感とは全くの別物である。怜王は衣更の背中に爪を立てていた。そうでもしなければおかしくなりそうなほどの快感だった。
「あああ!ひな・・のさん」
衣更もまた高まって来たらしい。彼の汗が怜王の顔に滴り落ちて来る。
「っひ・・・あああ」
ずっずと衣更が動くのを全身で感じる。その度に強い快感が襲い掛かって来る。
「っつ、あ・・も、らめ」
「怜王くん、そろそろイこうか」
衣更にいいところを突かれて怜王はただ嬌声を上げながら衣更の背中に抱き着いていることしか出来なかった。
***
怜王が気が付くとベッドの上にいた。ここはどこだろうか。自分はなんで眠ってしまったのかと思い出そうとして、怜王は真っ赤になった。今日、衣更と身体を繋げてしまったのだ。恥ずかしさでどうしようもなくて固まっていると、そこにタオルを首に掛けた衣更がやって来た。彼は上半身裸である。怜王は慌てて目線を反らした。
「お、姫君。お目覚めで?」
「あ、あのここって」
「俺の家。怜王くんはめっちゃ軽いのに怜王くんのリュックがめっちゃ重い。あれに漬物石でも入ってる?」
「あ、すみません。授業で辞書が三冊ほど必要で」
「それだ」
「あの、どうやって俺をここまで?」
「だから文字通り抱っこして連れて来たの。眠ってる怜王くん、ずっと唐揚げ美味しいって言ってよだれ垂らしてた」
「嘘ですよね?」
「録音してあるけど聞く?可愛いよ」
「いえ、結構です」
そんな衣更にぎゅっと抱き寄せられる。そして彼は怜王の手を取った。
「姫の手って綺麗だよねえ。ずっと触っていたいくらい。小さいけど指細くて長いし」
「触ってくれていいですけど」
「え?いいの?」
怜王は思い切って言うことにした。
「雛乃さんの手の方が俺はすごいと思います。だって俺をすごく可愛くしてくれるし、魔法みたいです」
「姫は元がいいからねえ」
そう言われるとなんて返したらいいか分からない。ふと衣更の身体を見て気が付く。
「あれ?肩ケガしてますか?」
衣更の左肩に大きな絆創膏が貼られているのだ。こんなケガを先ほどはしていただろうか。
「姫に噛みつかれたんですけど」
「え?俺?そんな」
「ガブって本当のライオンかと」
その情景を怜王はようやく思い出す。顔が熱くなった。あの時はとにかく必死だった。
「あ、ごめんなさい。責任取ります」
「じゃあこれからお風呂一緒に入る?」
「え?」
「姫の身体洗わせてくれるなら許す」
その条件に怜王はどう切り抜けるか考えた。まずは話題を変える必要がある。
「あの、パンフレットを置いてもらうためにライブハウスに行くんですよね?俺も行っていいんですか?えと、メイクの仕方とかもっと聞きたいし、あといろいろやってみたくて」
衣更がくすくす笑う。怜王は先走り過ぎたと真っ赤になった。どうしようと迷っていると衣更が口を開く。
「もちろん。メイクでもなんでも俺に分かる範囲なら教えられるし、ライブハウスの件は君がいなきゃ多分オーケーしてもらえないと思う」
「俺?なんで?」
「この間のパンフレット見せたら、ライブハウスのオーナーに君を連れてこいって言われて。怜王くんをライブイベントの売り子に出来ないかって」
「売り子・・・まさかあの格好で?」
「そのまさか。まあ姫が嫌なら断ればいいんだし」
「やりたいです。俺、今までそういうのやったことないし、中高の文化祭もずっと裏方で。俺、女装したらなんだか無敵になるっていうか」
「怜王くん、女装すると気持ちが上がるタイプなんだね」
ふふと衣更に笑われて怜王は恥ずかしくなった。おかしいことを言ったかもしれないとあわあわしていると、衣更に抱きしめられる。
「そんな怜王くんが俺は大好きだよ」
「あ、雛乃さん。俺もあなたが大好きです」
二人はまた唇を重ねていた。
「じゃ、お風呂いこっか。忘れさせようなんて怜王くんはまだまだ甘いねえ」
完敗だと怜王は降参した。
***
「姫はやっぱり黒のワンピ似合うなあ」
「そ、そうですかね?」
ある週末の早朝、怜王は衣更の店に訪れている。これから二人でライブハウスに行くのだ。前に購入したワンピースに着替えて、メイクの段階に入っている。
「今日はセオリー通り、暗めのメイクでいってみようか。せっかくのゴスロリだしね」
衣更の手は今日も迷いなく怜王の顔にメイクを施してくれる。明るめのトーンのファンデーションに青色のアイシャドウを入れる。今日はつけまつげにも挑戦した。前から気になっていた金髪のツインテールのウィッグを被らせてもらう。最後はこの間、衣更がくれた髪飾りだ。黒い薔薇の周りをパールとリボンでデコレートされたものだ。衣更に髪飾りを付けてもらい、怜王はいつものようにわくわくしながら眼鏡を掛けてみる。
「わ、すごい。ゴスロリ!俺、今日カラコン持ってきているんです。青色なんですけど、どうですか?」
「いいね。もう着けたことあるの?」
「はい、何度か練習してきました」
怜王は鏡を見ながら慎重にカラーコンタクトを装着した。
「どうですか?」
「うん、随分雰囲気変わるねえ!金髪碧眼は定石だしいいと思うよ」
衣更がパンフレットを持って来た。それはこの間撮ったばかりの甘ロリドレスが表紙の物だ。
「あ、これ」
「前に刷った分は全部終わっちゃったから今回からこれになるよ。可愛いよね。我ながら写真も上手いと思わない?」
「はい、そう思います」
怜王は一冊手に取って中身を見た。今回はロリータ服の写真がいろいろ並べてある。どれも可愛らしいものだ。もちろん怜王が表紙で着ているロリータドレスも購入出来る。
「姫が着てくれて自分も挑戦してみようかなって思う子もいっぱいいるんだよ」
それを聞いて怜王は嬉しくなった。勇気を出してよかったと思う。衣更の車に乗って二人は目的地であるライブハウスへ向かった。そこはライブハウスだと言われなければ分からないだろう。地下に繋がる階段を降りた先にあるからだ。入口の近くにカウンターがあって、まるで飲み屋のような雰囲気もある。
「来たか、雛乃」
更に中に入るとホールのような空間があった。ここでライブをするという事なのだろう。
「オーナー、お待たせしました。この子が怜王くんです」
オーナーと呼ばれた彼は立ち上がって怜王の傍にやって来る。まるで巨大なクマのようだと怜王は怖くなった。
「大丈夫だよ、姫。オーナーめちゃ優しいから」
隣から言われて怜王は頭を下げた。
「えっと姫宮怜王っていいます。イベントの売り子をさせて頂けるって聞いて」
「姫宮くんは真面目なんだな。俺はオーナーの牧野だ。にしても本当に可愛いな」
はっはっは、と牧野が笑っている。先程までむっつりした不機嫌そうな顔を浮かべていたとは到底思えない。
「オーナー、怜王くんは俺のですよ」
「分かっている。で、それよりパンフレットを見せろ。娘が欲しがってな、もうないって言ったら泣かれちまった挙句、女房にまで怒られちまって」
どうやら散々な目に遭ったらしい。怜王はそっと心の中で牧野に謝った。衣更がバッグからパンフレットを取りだす。牧野はその一冊を取り出して眺め始めた。
「ふうん、可愛いじゃねえか。いろいろあるんだな」
「娘さんにどうですか?」
衣更はちゃっかりセールスまでしている。
「それなら今度家族で店に行く。今、お前スタイリストしてるんだっけか?」
「あー、バイトですしもうすぐ終わります」
「そうか。それならまた連絡くれ」
「了解です」
牧野が改めて怜王を真っすぐ見つめて来た。
「姫宮くんの写真を見たやつが、写真集を出さねえかって言ってきている。もちろん少部数だし売れたとしても大した儲けにはならねえけどどうだ?」
「え?」
写真集?と怜王は首を傾げた。隣の衣更は知っていたらしい。うんうんと頷いている。
「俺なんかでいいんですか?」
「姫宮くん次第だ。君がやる気を出せばそれだけいいものが出来る」
「俺、やってみたいです。でもその、写真集を発行するお金って」
牧野が怜王の言葉に笑う。
「もちろんうちが持つ。姫宮くんはなにも心配する必要はないんだ。パンフレットのお陰で随分うちの宣伝になったしな。雛乃に言われて気まぐれに置いてみてよかったよ」
「よかったね、姫」
衣更にも言われて怜王は胸の高鳴りを抑えられなかった。写真集という形に残るものを作ってもらえる機会なんてなかなかない。
「すごく嬉しい」
心の声がそのまま口に出ていた。衣更が隣から言う。
「撮影は俺もいていいんだよね?だって俺、姫の専属スタイリストだし?」
「当たり前だろう。お前がいなくちゃ撮影自体が始まらねえ」
「よかったあ。姫、よろしくね」
「はい。やってもらえるのが雛乃さんなら安心です」
「姫宮くんの了解が得られてよかった。もし無理なら自分が交渉するってあいつがうるさくてな」
「牧野オーナー!」
声高らかにやって来たのは眼鏡を掛けたロングヘアの女性だった。
「ああ、うるさいのが来た」
牧野が顔をしかめている。彼女は怜王を見るや否や血相を変えて駆け寄って来た。
「怜王くん!私のプリンセス!久しぶりね?衣更?」
衣更の知っている人だろうかと怜王はそっと彼の様子を窺った。
「え、どちら様でしょうか?」
どうやら衣更は知らないふりをする気らしい。彼女はお笑い芸人くらいよろめいて姿勢を元に戻した。器用だなあと、怜王は変なところで感心してしまう。
「ちょっと、ちょっと、こんなにボケが渋滞しているのに、ツッコミ要員ここにはいないの?」
「ツッコミ待ちだったんだ」
ぼそっと衣更が言う。やはり知り合いらしい。
「怜王くん、あたしは飛鳥(あすか)。出版社の編集長をしているの。まあ小さい会社ではあるんだけど、月刊ロリっこって知らない?」
「あ、俺、それ定期購読してます」
「怜王くん、さすが。その雑誌を中心にうちの出版社ではいろんなサブカルチャーを取り上げているの」
「すごいなあ。本当にプロの人なんだ」
怜王の言葉に飛鳥は気を良くしたらしい。
「怜王くん、君の写真集の話はもう聞いた?聞いてないならあたしがちゃんと」
「飛鳥・・・とりあえず飲み物買おうよ」
やれやれと衣更が突っ込む。とうとう黙っていられなくなったらしい。
それから三人で写真集についての細かい話やスケジュールを確認した。
***
「お腹空いたでしょ?」
怜王は衣更の自宅にいる。衣更と一緒に温かいクリームシチューを作っていた。誰かと一緒に料理をするのは、高校生の時に受けた家庭科の調理実習以来だったのでなんだか新鮮だ。
「すごく空いています。今日はいろいろびっくりしたし、牧野さん優しくて安心しました」
「そりゃあびっくりするよね。急に写真集を出さないかなんて言われてもさ。オーナーもあの感じだし、見た目怖いもんね」
衣更が思わずといったように噴き出す。
「あと、俺、すごく嬉しくて」
衣更が笑って頷いてくれた。
「姫が嬉しいのが俺も嬉しいよ。怜王くん、何度か店に入ろうとしてくれてたのに、なかなか入ってきてくれないし」
「え?俺のこと知ってたんですか?」
「俺、店長だよ?ずっと店にいればさすがに気が付くよ。あの日は怜王くんにもう俺から声を掛けようと思ってさ」
「えええ」
挙動不審な自分を見られていたかと思うと気まずさと恥ずかしさが入り混じってやって来る。だが、そのお陰で自分は衣更に出会えたのだ。まるで魔法みたいだなと思う。
「ロリ服を着て、雛乃さんに可愛くメイクしてもらって、俺が俺じゃなくなるみたいでそれがすごく嬉しいんです。すごく前向きになったし、今の自分を好きだって思えた」
「姫をいっぱい泣かせたのも俺だよ?」
ルウを溶かしながら衣更は不安げに言う。怜王は首を横に振った。
「雛乃さんに会えてよかったと思ってます」
「姫、大好き」
ぎゅっと衣更に優しく抱きしめられて怜王は笑った。
***
「いただきます」
「召し上がれ」
クリームシチューが無事に完成し、二人は向かい合って座っている。クリームシチューと切ったバゲット、そしてサラダが並んでいた。飲み物にはぶどうジュースだ。
「怜王くんってご飯にクリームシチューかける派?」
「はい。普通にありだって思ってます」
「分かるー。でも結構異端視されるよね」
「好みありますからねえ」
「姫、大人―」
二人で何気ない会話をしながらする食事は格別だ。衣更はこれから都内に戻るらしい。まだスタイリストの仕事がある。だがそれも今週までということだ。仕事が終わったら一緒に暮らさないかと衣更から打診された。もちろん、怜王はその提案が嬉しかった。両親にもちゃんと事情を話しておいた方がいいだろう。
「そうそう、写真集のために飛鳥がいろいろ衣装を考えてくれているみたいだよ」
「え?もうそこまで?衣装って既存の服じゃないんですか?」
「せっかくなんだから可愛い格好しようよ」
「すごい・・・・」
彼女の仕事の早さに怜王が戸惑っていると、衣更がスマートフォンを差し出してくる。
「俺も衣装案出したんだ。これ」
怜王が画面を覗き込むと可愛らしいゴシックロリータ服のデザインが描かれている。それは黒を基調として青い飾りが入っているものだ。スカートの腰部分に青いリボンが付いている。
「ゴスロリにしては甘め?」
怜王が質問すると衣更が照れくさそうに笑う。
「いやあ、やっぱり姫には可愛いデザインを着せたくなっちゃう。いや、ここは攻めて辛めに行くべきか?スカートの裾ももっと短くして・・いや・・・ハーフパンツも」
衣更がぶつぶつ呟き始めた。どうやら真剣らしい。
「雛乃さん、服のデザインは後です」
思わず笑いながら衣更に言うと、衣更はそうだねと照れくさそうに笑った。
「姫に可愛い服を着せたくなるんだよね」
「俺ってシンデレラみたいですよね」
衣更が怜王の言葉に首を傾げる。
「だって、雛乃さんのお陰で可愛く変身出来て、大好きな雛乃さんと恋人になれて、本当にシンデレラみたいだなって」
「姫・・発想がめっちゃ可愛い。さすが男の娘を目指しているだけあるな。写真集も絶対成功させようね。俺も出来る限り頑張るよ」
雛乃の言葉が嬉しい。
「あ、シチュー美味しい」
怜王がシチューを一口食べると、ふわりとまろやかな味が口に広がった。
「よかったあ。いっぱい食べるんだよ。おかわりもしてね」
衣更がにっこり笑う。怜王はカレーのことを思い出し、照れくさくなったが頷いた。優しい王子様は硝子の靴を落とした自分をちゃんと見つけてくれた。
「雛乃さん、あの時、俺に声を掛けてくれてありがとう」
つい泣きそうになってしまったが堪える。シンデレラも王子と再会した時、こんな気持ちだったのだろうか。少しの不安と大きな喜びが入り混じった気持ちだ。
「姫、もう離さないからね」
立ち上がって傍にやってきた衣更のキスが上から降って来る。そして額から唇にキスされた。怜王も負けじと衣更に抱き着く。幸福とはこのことを言うのだろう。
「怜王くん、大好きだよ」
衣更に優しく囁かれ、怜王も背伸びをして衣更の唇にキスをするのだった。
おわり
雪が舞う薄暗い中、ショーウインドウの中を覗きこみながら姫宮(ひめみや)怜(れ)王(お)は歓声をあげた。ここはとある街の一角にある店である。前から気になっていたが、なかなか近寄ることが出来なかった。だが、ついに今日こそはと勇気を振り絞ったのである。雪のせいか周りに人がいないのも幸いした。ライトアップされたショーウインドウの中に飾られていたのは、いわゆるゴシックロリータというジャンルの服だ。怜王は幼い頃から女性物の可愛らしい服が大好きである。ロリータ服という存在を知ったのは中学一年生の時だ。はじめは甘ロリというパステルカラーを基調としたロリータ服が好きだったが、大学生になった今では、すっかりゴスロリにハマっている。だが、実際に女性物の服を着たことなど一度もない。母親や父親にこのことを知られたら気味悪がられると、怜王は一人、かなり悩んでいた。だが、正直なところ、自分は性別を超えた男の娘というものに憧れているし、性対象も同性である男性の方がよかった。
「でもこれ、さすがに俺には似合わないよな」
怜王は自分の名前に対して見た目が負けていると思っている。怜王という一見強そうな名前なのに、実際は小柄でやせっぽちの眼鏡男子である。姫宮という華やかな苗字も自分には似合わない。怜王は改めてショーウインドウを眺めて、ため息を吐いた。ゴスロリ服は可愛いが、値段が可愛くない。お金を自分で貯めて、ゴスロリ服を買おうとバイトも始めたが、そのお金はじわじわ貯まるばかりで、一向にゴスロリ服にはならない。店で買うのに躊躇いがあるのなら、ネット通販で買えばいいとは思うのだが、今度はサイズが心配という理由からなかなか踏み切れないのだ。ゴスロリ男の娘への道はなかなか険しい。
「ああ、俺が可愛い女の子ならなあ」
「ゴスロリ服、気になります?」
独り言のつもりで呟いたら、隣から急に声を掛けられて、怜王は死ぬほど驚いた。こんなところにいる男子なんて不審者以外の何者でもないはずなのに、その人は爽やかにスマイルを浮かべている。イケメン、と怜王は咄嗟に思った。細身で長身。黒い短髪で、爽やか王子様というのにふさわしいだろうか。怜王は改めて彼を観察した。悪い人とは、いい人を演じて来るものだと祖母に固く教えられている。怜王は気を引き締めた。彼は笑顔のまま言う。
「よかったらロリ服、一度試着してみませんか?可愛い服が揃っていますよ」
「え?」
試着という誘惑に怜王は気を惹かれた。ずっと着てみたいと思っていたのだから当然である。だが、試着をしたが最後、無理やり買わされるのではという疑いの念が湧く。怜王が彼をじっと見つめていると、彼は困ったように笑った。
「大丈夫。本当に試着だけ。ただその代わり手伝ってほしいことがあるんです。どうですか?」
やはりただでというのは無理らしい。
「何をすればいいんですか?」
「試着したら一緒にヘアメイクもさせてもらって、写真を撮ってもいいですか?あ、大丈夫。えっちな写真じゃないですからね。それに君だって分からないように顔は加工します。今、お時間ありますか?」
「写真・・・ですか?時間は大丈夫です」
怜王はうーん、と首を傾げた。ヘアメイクという単語にかなり心を奪われている。自分でゴスロリについてネットで調べると、メイクや髪型もゴスロリファッションには大事なポイントだと必ず書かれている。怜王はメイクもしたことがない。道具を買おうにもよく分からないまま、ここまで来てしまっている。聞く相手もいないので怜王はもう諦めようと涙を飲んだのだ。それが、ここでメイクもしてくれると言うではないか。怜王はがぜんやる気になっていた。一応確認する。
「えーと、そのう、メイクもして頂けるんですか?ただで?」
「うん、もちろん。あとウィッグも君の好きなのを選んでもらって・・・」
「ウィッグ・・」
ばくばくと心臓の音がうるさいくらいに鳴っている。やってみたいと怜王はいよいよ思った。これでもう自分はゴスロリに満足するかもしれない。そんな淡い期待すら覚えた。
「あ、あの、やりたいです。お願いします」
怜王が頭を下げると、相手は笑う。
「お願いしているのは俺の方だから。君みたいな綺麗な子が来てくれて嬉しいです」
綺麗な子と言われて怜王は顔が熱くなった。自分が外見を褒められることなどほとんどない。怜王はそっと相手の顔を窺った。
「君、名前はなんて言うの?大学生かな?このあたりだと国立の大学?」
急に砕けた口調で話しかけられて怜王はますます緊張した。相手は爽やかなイケメンである。おそらく恋愛沙汰は百戦錬磨なのだろうと勝手に決めつける。
「はい。大学生です、えーと、俺は姫宮怜王っていいます」
「へえ、怜王くんかあ。じゃあ君は獅子姫ちゃんだね」
「し・・・?」
急なあだ名に怜王は付いていけない。イケメンというものはこういうことを何気なく行うものなのだろうか。今までの経験上、イケメンとあまり接触したことがないので、何が正解かは分からない。怜王は相手を見つめた。すると彼がにこっと笑う。やはりイケメンである。
「俺は衣更、衣更雛乃(いさらひなの)。この店の店長をしているんだ。じゃ姫、もう寒いし、こっちに来てね」
ぐいと腕を掴まれて店の中に入ると、ありとあらゆるロリータ服たちがマネキンに着せられて展示されていた。どれも個性があり素敵な服ばかりで怜王のテンションも自然と上がる。ゴスロリ服は黒を基本としているが、差し色で赤や緑、青などを加えるとより可愛らしいとネットに書かれていた。怜王の情報源は今時らしくネットが主である。
「わああ、すごい沢山。全部可愛い」
「ふふ。好きなのを選んでいいよ。でも姫にならスタンダードなゴシックワンピースが可愛いかも。これとかどう思う?」
そう言って差し出されたのはシンプルな黒色のワンピースだった。白の襟元に細かな刺繍が青い糸でされている。そして胸元には十字架の飾りが付いていた。怜王はそれに嬉しくなった。誰かに服を選んでもらうなんて、特別な感じがする。しかも相手はイケメンだ。
「あ、それ可愛い。俺、十字架好きだし」
「ならこれにヘアアクセとタイツと靴やなんかがあればいいのかな」
そう言って衣更が揃えてくれたものは全て可愛かった。どうやら十字架というモチーフを中心に選んでくれたらしい。怜王が好きだと言ったからだろうか。そのさりげなさに怜王は神対応と内心で叫んでいた。ドキドキしながらもカーテンで囲まれた試着室で着替えをする。ワンピースは前のボタンで留めるものだったので少しホッとする。怜王は衣更のことが気になり始めていた。今日初めて会ったばかりなのに自分はなんて単純なのだろうと呆れてしまう。向こうはただ、手頃なモデルを探していただけで他意はないだろう。怜王が着替えて試着室を出ると、衣更が可愛いと褒めてくれた。イケメンは褒め上手なのだと怜王は自分に言い聞かせる。決して自分が特別なわけじゃない。
「じゃ、メイクしていくね」
「お願いします」
鏡の前に座って眼鏡を外すと、残念ながら前がほとんど見えない。ここからどう自分が変わるのか、怜王は期待でわくわくした。衣更が玲央のもさもさした肩まである髪の毛を丁寧にクリップで留める。しばらく髪を切りに行っていないのがここで悔やまれた。
「わ、姫、肌綺麗。なにかケアしてる?」
「えっと化粧水くらいは」
「男の子なのに偉いなあ。じゃあ、最初に下地塗っていくね」
「はい。お願いします」
衣更が丁寧に化粧下地を怜王の顔に塗りこんでいく。その次はファンデーションだ。怜王の肌より随分明るいトーンのものを使っている。ゴスロリは白い陶器肌が似合うのだとネットにも書かれていたなと怜王は思い出していた。更にコンシーラーを塗っていく。衣更が怜王に顔を近付ける。怜王は慌てて飛びのきそうになるのをなんとか堪えた。
「本当はゴスロリって、結構暗めのメイクなんだけど、姫はせっかく可愛いから甘めメイクで行くね」
衣更に怜王は頷くことしか出来ない。アイシャドウは赤。そして、頬にピンクのチークも淡く入れられる。眼鏡がないと前が見えないので自分が今、どうなっているか分からないが、リップは少し暗めの色だということは分かった。ようやくメイクを済ませ黒髪のロングヘアのウィッグをかぶせてもらった。いわゆる姫カットというものだ。前髪は当然眉上のぱっつんである。眼鏡を掛けて鏡の中の自分を見ると、そこにはゴスロリの誰かがいた。怜王を知らなければ、女の子に見えなくもない。怜王はそれに感激していた。初めての女装だったが、こんなに可愛くなるとは思わなかったからだ。衣更のメイクの腕は確かである。
「じゃ、姫。ごめんだけど眼鏡を外して、ここに立ってもらっていいかな?」
「はい」
店の裏側にあるスタジオのような場所で怜王が衣更の言う通りのポージングをすると衣更が毎回褒めてくれる。怜王はそれが嬉しくて頑張ってポーズをとった。ポーズとはいってもいやらしいものではなかったので嘘はつかれていないと怜王はホッとした。
「姫、今日はありがとう」
普段の自分に戻った怜王は嬉しさでぼうっとしていた。ゴスロリ服が着たいという夢が叶っただけではなく、可愛く変身までさせてもらえたのだ。お礼を言うのはこちらの方だと怜王は慌てる。まるで魔法をかけられたシンデレラのようだ。
「いえ、衣更さんのお手伝いが出来たなら嬉しいです。あの、今度ここにロリータ服を買いに来ていいですか?」
「もちろん。あ、これ俺の連絡先ね。もしゴスロリのことで何か悩んだら聞いて。俺、甘ロリもいけるからどっちでも。あ、そうだ。メイク用品とかきっと要るよね?多分アドバイスできると思うし、よければ一緒に行く?」
「いいんですか?」
「うん。それに姫なら水色チェックの甘めのロリータ服も似合いそうだよね。うん、それ絶対可愛い」
そう言ってくれるのは衣更だけだろうと怜王は心の中で突っ込んでいた。だが、そう言って貰えて嬉しい。衣更に頭を下げて、怜王は電車に乗って自宅へ帰った。怜王は安いアパートに一人で暮らしている。大学に進学する際、実家を出た。このアパートは壁が薄いことで定評がある。だからなるべく物音を立てないように普段から気を付けている。でも今日はこの興奮を抑えきれそうになかった。枕に顔を押し付けて、「衣更さんかっこいいー」と叫ぶ。衣更の爽やかなスマイルに始まり、がっしりした腕、そして細く長い指。その手で今日はメイクをしてもらったのだ。その現実に怜王は言葉にならない声を枕に再びぶつけた。自分は衣更がものすごく好きになっている。恋愛経験なんてほとんどないが、これはきっと恋だ。そう確信している。間違いない。だが、人が恋人同士になるのは存外に難しいことなのだと最近になってやっと自覚した。もし、衣更が彼氏だったら、自分は多分正気ではいられないだろうし。そもそも衣更の眼中に自分はいないだろう。
「あーあ。俺が可愛い女の子ならなあ」
先ほど呟いた言葉と同じだが、大分ニュアンスが違うことに怜王は気が付いた。ゴスロリ服を着たら満足するどころか、もっとと欲張ってしまう自分に怜王は呆れて笑ってしまう。
「とりあえず夕飯作ろうっと」
そう思って立ち上がったら、スマートフォンが鳴る。相手は衣更からだった。
「明日、時間あるかな?」
そんな一言が綴られている。明日は夕方からバイトだが、深夜には終わる。その旨を伝えたらこんな返信が来た。
「今日撮った写真、すごく良かったから姫にも見せたい。明日会える?」
その一言が怜王には嬉しい。更に、迎えに行くよと上手にリードされて、怜王のバイト先のある最寄り駅で待ち合わせをすることになった。
「大人のイケメンって怖い」
あまりに軽々とリードされてしまい、思わず怜王は慄いてしまった。自分も年齢だけで言えば立派な大人だが、経験だけで言えばまだまだ子供である。とても敵わないと怜王は息を吐くのだった。
***
「え?イケメンに騙されてる?」
「まだ騙されたって決まったわけじゃないんだけど向こうは経験豊富そうな大人だし、色々百戦錬磨だと思う、多分」
次の日、大学で一番仲のいい女友達に昨日の話を打ち明けた。彼女は数少ない怜王の理解者である。うーんと彼女は腕を組む。
「とりあえず、詐欺ならお金の話をしてくるんじゃない?せっかく彼氏出来そうなんだし、ガンガン攻めなよ」
「彼氏なんて絶対に無理だよ」
「え?なんで?すごくいい感じじゃない」
「そうかな?」
うんと彼女は朗らかに笑った。その笑顔に怜王は毎回ホッとさせられる。しっかり者の彼女がそう言うなら少し頑張ってみようかなと単純に思った。大学が終わりバイト先に向かう。怜王のバイト先は居酒屋だ。そこで怜王は皿洗いと清掃をメインにしていた。裏方が自分には向いていると怜王は思っているので、店長にその旨を話した結果、このポジションをもらえた。
「怜王、お疲れ。なんだ?恋人出来たか?」
「ひええっ」
バイト先の先輩にそう声を掛けられて、怜王は思わず悲鳴をあげてしまった。今日これから会う衣更のことばかり考えてしまっていたというのが大きな理由である。
「なんだ。恋人出来ていたのか」
「違います!!」
「違うかなあ?うーん」
そんなことを言いながら彼が自分の持ち場に付く。彼はなかなかの曲者だ。窓から外を見ると、あまり天気が良くなかった。寒さもあいまって今日は客が少ないという判断を怜王はする。忙しくない日は普段出来ない場所の清掃をする。衛生管理にうるさい飲食店だからこそ清掃は大事だ。なんとかバイトを終え、怜王が衣更と待ち合わせをしている駅に向かって歩いていると、軽くクラクションが鳴らされた。なんだろうと振り返ると、車がそばにゆったり滑り込んでくる。運転していたのは衣更だ。怜王に向かって手を振って来る。怜王が助手席側のドアを開けると衣更が笑い掛けて来た。
「姫、乗って。寒いでしょ?」
怜王は言われるがまま助手席に座っていた。締めているシートベルトをぎゅっと握る。ただでさえもう一度衣更に会えて、嬉しくてこんなに心臓がドキドキしているのに、そのうえ、わざわざ車で迎えに来てくれるなんて、と怜王は一人で感激していた。
「あ、あの、どこに行くんですか?」
「ん?ああ、俺の家。データは全部PCに入ってるから、そこで写真を見てもらいたいなって。加工したやつも見られるよ」
やはり衣更は自分を恋人にしたいとは思っていないようだと怜王は内心でショックを受けた。そりゃあそうだろう。自分はゲイでも相手がゲイである可能性は限りなく低い。気楽な同性だから家に招待してくれるのだ。
「夕飯、カレーライスでもいい?」
「え・・っと、はい」
衣更にどうにか自分を好きになってもらえないものかとぼうっと考えていた怜王は反応が遅れた。
「姫、俺に集中」
信号が赤で車も停まる。その間、運転席からわしゃわしゃと頭を撫でられて、怜王はたまらない。今、怜王は猛烈に衣更のことだけを考えているのだが、衣更はそれに気が付いていない。頭を撫でられて嬉しいと怜王はそっと隣の衣更を見上げた。衣更が横目でこちらを見つめて来る。その優しい表情に怜王はかあっと顔が熱くなる。なんてかっこいいんだろうと怜王は食い入るように彼を見つめてしまう。好きだなあという気持ちに包まれる。
「やっと俺の方を見てくれたね」
「あ、えーと避けてたわけじゃなくて、その」
怜王が慌てて弁解すると、はははと衣更は笑った。怜王はその笑顔の眩しさにくらくらしてしまう。
「よかった。姫に嫌われたかと思った」
「き、嫌うわけないじゃないですか。俺を素敵に変身させてくれて。そう、衣更さんは俺の恩人です」
衣更が怜王の言葉に微笑む。
「もうすぐだよ」
衣更がハンドルを左に切る。どうやら駐車場に入ったらしい。何台も車が停まっている。
「じゃ、行こうか姫」
助手席側に回って来た衣更に手を差し出されたので怜王は反射的に手を載せていた。衣更の家はなかなかいいマンションらしい。セキュリティも抜群だ。彼の部屋に入ると綺麗に片付けられている。大きなデスクの上にはデスクトップ型のPCが置かれている。他にもいろいろな資料らしき書類が綺麗に整頓されて置いてあった。寝室は奥だろうか?つい気になってキョロキョロしてしまう。
「ごめんね、散らかってて」
一体どこが?という言葉を怜王はなんとか飲み込んだ。
「今カレー温めるね。ご飯は食べられる方?」
怜王は痩せているが普通の男子大学生だ。それなりに食欲もある。
「お腹、結構空いてます」
「了解」
それで十分通じたらしい。衣更はたっぷりのご飯に負けないくらいたっぷりカレールウを盛ってくれた。あとは色とりどりの野菜サラダだ。怜王は好き嫌いがほとんどない。食べることがそもそも好きなのである。最近、少し大きめの弁当箱を買ってみた。白米が沢山入っていい感じである。
「いただきます」
手を合わせてサラダを頬張る。シャキシャキした野菜の食感が楽しい。ドレッシングは衣更の手作りだと聞いて、驚いた。次はカレーライスを食べてみる。ほどよくぴりりと辛いのが美味い。ごろごろとじゃがいもやニンジン、肉が存在を主張しているのがまた嬉しい。
「すごく美味しいです」
「良かった。カレーなんて久しぶりに作ったよ。家に人を招くなんて滅多にないからさ」
怜王はその言葉にきゅんきゅん来ていた。自分の為に衣更はわざわざ手作りの料理を用意してくれていたのだ。それにこの家に来る人間はごく少数らしいということも推し量れる。カレーをおかわりしてようやく怜王の腹は満たされた。バイトをした後はどうしても腹が減るのである。
「いやあ、姫がこんなに食べられる子だとは」
衣更は本気で驚いているようだ。やってしまったと怜王は後悔した。好きな人の前でばくばく食べてはいけなかった。
「さすが獅子姫ちゃん。お転婆で可愛いね」
くすくすと衣更が笑いながら言う。どうやら引かれたわけではないらしい。衣更は自分を同性の知り合いとしか思ってないのだからその反応も当然かと怜王は再びショックを受けた。自分の恋が叶うには天変地異くらいの出来事が起きなければ叶わないかもしれない。怜王はそっと息を吐いた。衣更はPCを操作している。来て、と怜王は衣更に呼ばれた。立ち上がってPCの傍に向かうと、キャスター付きの背もたれのある椅子に座るように促される。座り心地の良さに驚きながら怜王がマウスを握ると、その上から衣更に手を重ねられる。自分より一回り大きな手にどきっとするが、怜王はじっとしていた。
「ここクリック」
衣更にマウスごと手を握られて、操作をする。そばに衣更がいて怜王はなんだか落ち着かない。彼の匂いと息遣いを感じる。操作の手順から、どうやら画像フォルダを開いたらしいということが分かる。また何度かクリックして、画像が開いた。見覚えのあるワンピースだ。
「わ・・・もしかして、これ俺?」
「そうだよ、綺麗でしょ」
怜王は自分の手の上に重ねられている衣更の右手が気になって仕方がない。ぎゅっと更に優しく握られた気がする。衣更は怜王の隣ににしゃがんで怜王の顔を下から覗き込んできた。怜王の心臓はそれだけで爆音を立てる。
「ね、姫。前にも言ったけど、今度メイク道具買いに行くの、一緒に行かない?」
「俺がいて邪魔じゃないですか?」
衣更がふんわり笑う。
「全然。姫が良ければだけど、どう?」
「そ、それなら行きます。えと、あとウィッグも気になっていて」
この間つけてもらった黒髪のウィッグが可愛かったと怜王は思っていた。衣更がそれに頷く。そしていくつかウィッグを持って来てくれた。怜王はそれを受け取って見る。金髪と茶髪の物だ。両方ともヘアスタイルはツインテールだ。可愛いと男女問わず人気が高い髪型である。
「姫はこの間みたいな黒髪もいいけど、カラコンとか付ければもっと顔の印象も変わるし、化粧の仕方を変えるとか、いろいろ挑戦してみたらいいんじゃない?」
「カラコン・・・」
コンタクトはなんとなく怖いと思っていたが、それを聞いてやってみたいと怜王は思った。
「姫の無理にならない程度にね」
衣更には優しく包みこんでくれるような雰囲気がある。そんな彼に恋人がいないわけがないと怜王は内心しょんぼりした。いったい衣更はどれだけ自分をがっかりさせたいのだろう。だが、恋人やセクシュアリティについて急に聞くのも不自然な気がする。
「姫、これどう思う?今度着てみない?」
衣更が再び怜王の手ごとマウスを操作して他の画像を開く。それはいわゆる甘ロリのドレスだった。水色のチェック柄を基調に両袖や胸元に白のリボンがあしらわれたものだ。背中側にもリボンが沢山付いている。ヘッドドレスもそれに負けていない。白いリボンでこれでもかと飾られている。
「可愛い。え、本当のお姫様みたい」
「でしょ?姫にぴったりだなって思った」
怜王は嬉しくなるのと同時に顔が熱くなった。
衣更が自分を意識してこれが似合うと思ってくれたのがすごく嬉しい。
「え、でもこんな素敵なの、俺・・・」
「え?姫のためのドレスでしょ、これは。もう絶対写真撮ろうと思って取り寄せたし」
「えええ」
「ねえ姫。ウチの店の専属モデルになってよ。ちゃんとお給料も出すし」
「ええええ。それってどうすれば?」
戸惑っている怜王に衣更がにっこり笑う。
「俺の為に可愛いロリータ服いっぱい着て」
耳元で甘く囁かれて、怜王は更に顔が熱くなった。もうドキドキし過ぎて、頭が爆発しそうだ。衣更が彼氏だったらいいのに、とつい思ってしまう。だが、相手は希少なイケメンである。怜王は頭の中の思考をなんとか隅に追いやった。
「どう?モデルやってもらえないかな?」
「は・・・はい。やります」
怜王はすぐさま頷いていた。ロリータ服をいろいろ着られるなんて、これからもなかなか経験できないだろう。他にも可愛らしいロリータ服の画像を何点か見せてもらい、怜王はますます自分がロリータ服に興味を持ったことに気が付いた。知れば知るほど可愛くて素敵だ。衣更にさりげなくスケジュールを聞かれ、一緒にメイク道具を買いに行くのだと気が付く。それが今から楽しみだ。専属モデルについても詳しい話はまた改めてしよう、と衣更に言われて、怜王は頷いたのだった。そのあと、衣更に車で自宅まで送り届けてもらった。衣更といるとすごく心地がよくて、時間がすぐに去ってしまう。
「衣更さんかっこいい!」
再び自分の枕に向かって叫んでから、怜王は課題をしようと起き上がった。来年度には就職活動も控えている。単位を一つでも落とせないぞと怜王は自分の気を引き締めた。
***
今日の講義は一限目から入っていた。前日、夜遅くまでバイトだったので寝坊寸前だった。遅刻した、と慌てて教室に駆け込んでから、講義が始まるまでゆとりがあることが分かりホッとする。怜王は自然とスマートフォンをチェックした。すると衣更からメッセージが来ている。そこで講師が入って来たので怜王はスマートフォンをリュックにしまった。昼休み、怜王は学食の日替わりランチセットを食べていた。今朝は弁当を作っている間もなかったのだ。あ、とそこで衣更からのメッセージのことを思い出した。
メッセージアプリを開くと、画像が添付されている。画像を開くと、パンフレットのようだ。しかもその表紙に自分の写真が使われていることに気が付く。光の調度を少し変えてあるようだが、怜王は嬉しくなった。メッセージも読んでみる。
「素敵なパンフレットが出来たから、空いている時に店に来て欲しいな」
怜王は早速、今日の夕方頃行くという旨のメッセージを送った。衣更から了解とすぐ返事が来るのもまた嬉しい。自分がとっている科目の講義を全て受けて、怜王は衣更の店に向かって歩き出した。人生どうなるか分からないと怜王はしみじみ思う。あの時、衣更が声を掛けてくれたから今がある。店のドアを恐る恐る開けると、中からエプロン姿の衣更が現れた。
「お、来たね。獅子姫ちゃん」
「こ、こんにちは」
衣更ににっこり笑われて手を優しく掴まれる。
どうやら奥に行くらしい。
「すぐお茶、淹れるね。寒い中わざわざ来てくれてありがと」
この間、メイクをしてもらって知ったが、この店の奥に事務所と試着室兼メイク室がある。衣更に連れて行かれてパイプ椅子に座る様に促された。そこに電話がかかって来る。衣更はごめんねと怜王に一言謝って事務所を出て行った。事務所の中も整理されて塵一つ落ちていない。衣更のきっちりした性格がよく表れている。そこに電話を終えたらしい衣更が戻ってきた。
「ごめんね。姫。人気の商品がなかなか取り寄せられなくてさあ。発注はずっとしてるんだけどまた断られちゃった」
「わ・・大変ですね」
はい、お茶とグラスをことりと前に置かれた。
「ありがとうございます。いただきます」
温かい緑茶が嬉しい。怜王は息を吹きかけて茶を冷ました。こくりと飲むとじんわりと体が温まる。
「これ、完成したパンフレット。見てもらっていい?」
衣更から受け取ったパンフレットを改めて見る。顔は加工のせいかよく分からないが、これが自分だと思うと嬉しかった。中身を開いて読むとロリータ服について詳しい説明が細かな字で書かれている。おそらく手書きだ。衣更も自分と同じくらい、ロリータ服が好きなのだと分かり、怜王は気持ちが温かくなった。パンフレットに引きこまれるように文字を目で追う。怜王はぎゅっとそれを抱いた。
「すごく分かりやすいパンフレットですね。愛が伝わってきます」
「姫にそう言ってもらえると、めちゃくちゃ嬉しい。頑張ってよかったー」
「そ、そんな」
衣更の一言、一言が怜王には嬉しくて、彼をどんどん好きになる自分が止められない。相手は大人でイケメンだ。でも彼は自分を同性の知り合いだと思っている。だからこうして親切にしてくれるのだ。怜王はそれが苦しかった。自分が女性であれば、まだ可能性のある恋だったのにと。
(好きです・・衣更さん)
この言葉を心の中で何度唱えただろう。心の声が聞こえなくてよかったと思う。もし聞こえていたら、衣更はきっと困っていた。
「あ、お客さんだ。姫、これ見てて」
「え?はい」
この店は知る人ぞ知る店らしく、怜王が店の外でうろうろしていた時も、客が入っていくのを何度か見たことがある。ロリータ服専門店なんて滅多にないから余計だろう。客の大体はロリータ服を着た女子だ。彼女たちが衣更と楽しそうに話をしている声が店側から聞こえて来る。いいなと怜王は思った。せめて衣更と緊張せずに気楽に話が出来ればもう少しいいのだが、いつも衣更を意識し過ぎて挙動不審になってしまう。はあ、と怜王はため息を吐いた。自分はいかんせん衣更が好きすぎる。今更、年上の友達と割り切って思えるほどゆとりはない。衣更から手渡されたものを見ると、化粧品のパンフレットだった。化粧品の知識はほとんどない怜王だが、コスメはパッケージも可愛らしいものが多い。パラパラとそれを捲っていると衣更が客を見送っている声がする。その爽やかなボイスに怜王はまた衣更を意識してしまった。
「姫、ばたばたしてごめんね」
「あ、あの、多分俺の方が邪魔をしていて」
怜王があわあわしながら言うとぎゅっと衣更に抱きしめられていた。え?と思うがいつの間にか額に口づけられている。柔らかい感触に驚いて、怜王が顔を上げると優しい表情をした衣更がいた。
「姫が邪魔なわけないじゃない。俺がここに来てってお願いしたんだから」
「衣更さん」
衣更に更にぎゅっと強く抱き寄せられる。この人が好きだと、今はっきり思ってしまった。だが、叶わない恋なのだと思う。怜王はだんだん悲しくなってきてしまっている。自分が男性でなければとこれまでも何度も思ったが、今回は余計そう思った。衣更が好きだ。気持ちを伝えたいが勇気が持てない。
「あ、えーと、俺、これから食材の買い物に行かなくちゃいけなくて」
泣きそうになりながらも頑張って平然を装う。
「そっか。急にごめんね」
「いえ、気にしないでください。衣更さんと一緒にお出かけ出来るのも嬉しいし」
「うん、俺も楽しみにしてるよ」
怜王はこの気持ちはもう封印しようと思った。好きだという気持ちは恋愛でなくても成立する。衣更が好きだ、友達として。だが、どこかでそれは絶対に嫌だと叫ぶ自分もいる。この熱い気持ちをどうすればいいのか怜王にはもう分からない。恋愛の大変さに、今更直面してしまった。
(衣更さん、絶対彼女いるよなあ)
彼の左手を何度も盗み見している怜王だが、彼の薬指に指輪は嵌まっていない。だが人によっては指輪を付けない人もいるだろう。
「衣更さんってモテそうですよね」
つい言ってしまってから、しまったと思った。衣更が怜王の顔に自分の顔を寄せて来る。
「姫だってモテるでしょ?俺、ここ二、三年はずっとフリーだし、モテないよ?」
その言葉に怜王は驚いてしまう。こんな好物件は、なかなかないだろう。女性陣はなにをしているのだと逆に憤りすら感じる。
「姫はどうなの?」
「お、俺がモテるはずないでしょう?」
「そう?可愛いと思うけどなあ」
可愛いって、と怜王は反芻した。衣更にこうして毎回焦らされる。悔しいがそれが年上の余裕というやつかもしれない。
「あれ、もうこんな時間か。スーパー行くなら車で送っていくよ」
衣更に優しく言われて怜王は頷いてしまった。
***
夜、怜王は部屋のカレンダーを見て、ついに明日が衣更との約束の日だと震えた。メイク道具を揃えるのに現金はどのくらい必要なのだろうとか、どんな格好で行けばいいのだろうかと散々迷った。結局服装は無難に黒のセーターとカーキの細身のパンツを着ていくことにする。もしコートを脱ぐ場面があっても黒ならおかしくないだろうというチョイスだ。金に関しては、貯めておいたゴスロリ服用の貯金から七万程出して財布に突っ込んだ。それ以上は買わないと決める。
「姫、明日が楽しみだね。車で迎えに行くね」
衣更からこんなメッセージが届いて怜王は嬉しくてその場で軽く飛び跳ねてしまった。それがうるさかったらしい隣人から壁を叩かれる。いよいよ明日、自分はメイク道具を手に入れるのだ。可愛い男の娘への道はなかなか険しいが、衣更の力によって少しずつ前へ進んでいる。それが単純に嬉しい。怜王はベッドに入ってからも、ドキドキでなかなか寝付けなかった。
***
「ん・・・?」
朝目覚めると、もう八時を回っている。怜王は慌てて飛び起きた。待ち合わせは九時にしている。間に合わせないと、と慌てて支度をした。いつも持ち歩いているモバイルバッテリーはあらかじめ充電しておいたので安心だ。財布も持った。他に忘れ物はないだろうかとリュックを確認する。大丈夫そうだ。そんな時にインターフォンが鳴る。おそらく衣更だろう。怜王が玄関のドアを開けると衣更がいた。いつも彼はシンプルに白のシャツと黒のスラックスを着ていることが多い。だが今日は赤いジャンパーにデニムというラフな格好だった。こういう格好もするんだと怜王はドキドキしてしまう。
「姫、行こう。今日も可愛いね」
す、と当然のように手を差し出されて、怜王は自分の手を衣更に預けた。アパートの階段を降りて、傍にあった有料駐車場に入ると見覚えのある車が見えて来る。
「ここ三十分以内なら無料みたい。有難いね」
ふふっと衣更がそう言うのでホッとした。衣更の車に乗り込むのも、もう何度目だろう。なんだかんだ衣更に理由を付けられて自宅まで送ってもらっている気がする。怜王も自動車免許は持っているがペーパードライバーだ。運転をしないとどんどん技術を忘れていくということを痛感している。
「じゃ、行きまーす」
おどけたように衣更が言って車は静かに走り出した。
「朝ごはん食べた?」
衣更にさりげなく尋ねられて、怜王は忘れていたと思い出した。起きたのがぎりぎりだったせいだ。
「えと、まだです」
「じゃ、どっか喫茶店で買おうか。俺もコーヒー飲みたい」
「は、はい」
怜王はすごく緊張していた。今日も衣更が格好いいのと、一日、彼を独り占め出来るのが嬉しいという気持ちが自分を冷静でいさせない。これはデートだと怜王は勝手に思っている。
「姫、緊張してる?」
大丈夫?と衣更に案じられて怜王は首を横に振った。
「えと、メイク道具買うのが楽しみで」
もちろんそれだけじゃないが、言えるはずがない。
「そうだよね。ずっとやってみたかったの?」
「はい、それはもう」
怜王の返事に衣更が笑う。
「じゃあ今日は好きなのが見つかるといいね」
「はい」
チェーン店の喫茶店で朝食を買い、車内で食べながら色々話した。もちろんすごく楽しい。そして、衣更が連れて行ってくれたのは都内にある百貨店だった。怜王が百貨店に入る時は実家に帰る際、老舗で有名な羊羹を買う時くらいである。もちろんいつもなら他のフロアは素通りする。自分にはあまりにも場違いだからだ。でも今日は違う。いつも素通りするそこに用事がある。衣更は地下にある駐車場に車を停めた。
「じゃ、行こう」
衣更の言葉に怜王はこくりと頷いた。店内に入ると早速おしゃれな店が並んでいる。衣更はその中の一店舗に迷いなく入っていく。怜王もその後を付いていった。そこはカウンターになっている。
「あら、雛乃ちゃん。珍しいじゃない」
はきはきとした口調で衣更に声を掛けてきたのは美人な女性店員だった。もしかして衣更の彼女候補だろうかと怜王は警戒するが、彼女は怜王を見てにっこり笑った。
「あら、今日は可愛い子、連れてるのね」
ここでも可愛いと言われて怜王はなんだか恥ずかしくなって顔を俯けた。
「そうでしょ。怜王くんっていうの。トーンの明るいファンデでおすすめある?」
「あるわよー。ちょっと待ってて」
彼女は棚をごそごそやり始めた。すぐに商品が何点か出てくる。
「なになに、やっぱりゴスロリ?」
怜王がそっと彼女の名札を見ると山崎と書かれている。山崎さんと怜王は心の中で繰り返した。
「もちろん。この子は俺の店のモデルさんなの。姫、ファンデ試させてもらお」
「雛乃ちゃん、ちゃんとセールスしてよね?」
「いやいや、それは山崎さんのお仕事じゃん」
もーと言いながら山崎も笑っている。衣更は基本的に誰とでも仲良く話が出来る人だ。そうでなければ客商売は出来ないのかもしれないが、すごい才能だと怜王は改めて衣更を尊敬した。衣更は山崎と話しながらも、怜王の手の甲にいくつかファンデーションを塗ってくれる。怜王の肌とトーンの色味を確認しているのだろう。
「お、これ伸びがいい」
「そうなの。それ新商品なのよ。もっとトーンを明るくする?」
「あ、お願い」
こんな調子でとんとんと怜王が買う化粧品が決まっていく。会計時、七万で足りるだろうかと怜王はドキドキしていたがなんとか足りそうだ。そんな時に衣更のスマートフォンが鳴りだす。衣更は一言謝って店を出て行った。
「思い出すわあ」
山崎がふと漏らしたのを怜王は聞き逃さなかった。どういうこと?と目線で問うと、山崎が顔を近づける。
「あの子の元カノ、すごくわがままで雛乃ちゃんがふっても、ふっても諦めなかったの。雛乃ちゃん優しいじゃない?あの時は何回も、ううん、何十回も電話がかかってきて大変だったんだから」
そんな過去があったとは、と怜王は驚いた。もしかしたら衣更はそれで恋人を作るのをやめたのではないだろうか、とろくでもない憶測が次々と脳内で立てられていく。衣更は確かに優しい、寄りかかってしまう気持ちが分からないわけでもないが、衣更を困らせるのは許せない。
「でも雛乃ちゃんが元気そうでよかった。彼、昔はやり手スタイリストだったのよ」
「え?そうなんですか?」
「そう。確か彼女も芸能関係者だったの。だからそれを断ち切るために辞めたのかもね」
恋人のことで仕事まで辞めなくてはいけないのかと怜王は震えた。衣更は今の仕事を楽しんでいるように見える。だがスタイリストとしてまだ働いていたかったのかもしれない。電話を終えたのか衣更が店に戻って来る。
「姫、ドレスが来てるよ。帰ろ」
「え?ドレスって・・・」
衣更が怜王の購入した化粧品が入っている袋を掴んで、もう片方の手で怜王の手を握った。
「じゃあまた来るね」
衣更が山崎に声を掛ける。
「気を付けて帰ってね」
「あ、ありがとうございました」
怜王が頭を下げると、山崎に手を振られる。怜王も小さく手を振り返した。衣更に急かされて車に乗り込む。
「いいなあ、山崎さん」
あーあーと衣更が運転をしながら口を尖らせている。
「衣更さん?急にどうしたんですか?」
「姫に手を振ってもらったこと俺、ない」
「え?そうでしたっけ?」
怜王が慌てると衣更が更に口を尖らせる。
「いいなあ、山崎さん」
「えっと・・」
それからしばらく衣更の機嫌を取るのが大変だった。なんで彼がそんなに不機嫌になるのか怜王には分からない。そうこうしている内に、店に戻って来た。衣更が店の裏にある宅配ボックスを探っている。中から出てきたのは固そうな素材の紙袋だった。どうやら中身は衣服らしい。
「あった。姫。これどうかな?」
「へ?あ、はい」
紙袋から衣更が取り出したのは、この間衣更が見せてくれた甘ロリドレスだった。怜王がそれを、床に当たらないように気を付けて広げると、あの時PCの画像で観た時よりずっと可愛らしかった。
「わああ、可愛い。本物のお姫様になれそう」
「うん。よかった。イメージ通りだね。この服なら足元は白タイツと、水色のパンプスを用意しようね。タイツどれにする?可愛いのいっぱいあるよ」
衣更が事務所のPCをいつの間にか起動させていた。タイツの画像がいくつも出て来る。白いタイツとはいってもふくらはぎにかけていろいろな模様が入っているのがまた可愛らしい。怜王は衣更と共に、何点か商品を見比べた。ふと一点の商品に目が留まる。
「あ・・これ、可愛いかも」
「ああ、この黒猫ちゃんかあ。姫のチョイス可愛いなあ」
「変ですか?」
「ううん、甘ロリだしお姫様なんだから可愛く行こうよ。よっし、タイツ発注かけとくね」
「わあ、嬉しいです」
「そしたらまた写真撮らせてね。今回のパンフレット、もうすぐで全部はけそうなんだ」
「え?そうなんですか?」
怜王はその言葉に驚いていた。自分が関わったものが人の手に取られているというのがすごく嬉しい。
「姫のこと聞いてくる人も中にはいるよ。やっぱり姫は可愛いし綺麗だから」
「えええ?」
「俺、こう見えて芸能関係の仕事に就いてたの。当時カリスマスタイリストとか持てはやされて天狗になってた。恥ずかしいよね」
「そんな・・・誰でも間違えたり、失敗はしますよ。それに、自分で気が付いたんだから恥ずかしくありません」
「姫は優しいし大人だなあ。当時の俺に言ってやりたいよ。こんな可愛い子に会えるよって」
「俺は可愛くは・・・」
「ねえ、姫。君、分かっていないだろうけど俺、結構余裕ないの」
「え?」
衣更に腕を掴まれてすっぽりと彼の腕の中に包まれてしまう。怜王はそれに焦った。
「あ、あの衣更さ・・・」
彼の名前を呼ぼうとしたがそれは叶わなかった。衣更に唇を奪われていたからだ。怜王はびっくりして固まっていた。
「姫、ううん。怜王くん、俺、君が好き。ずっとどうすれば俺を好きになってもらえるかって考えて、でも結局よく分からなくてさ。だって怜王くん、男の子だし。俺みたいなおじさんじゃ嫌でしょ?」
怜王は首をふるふると横に振った。ここで自分の気持ちを伝えなければ、きっと後悔する。
「俺、最初に会った時から、衣更さんのこと好きでしたよ。衣更さんのことを思うだけで胸がぎゅってなって苦しくて」
そう言ったら更に衣更に抱き寄せられた。
「怜王くん可愛すぎ」
「衣更さんの方が可愛いです」
二人はお互いに見つめ合った。そしてどちらからともなく噴き出す。衣更は大きく呼吸した。怜王も同じだ。
「姫に嫌われなくてよかったあ」
「俺も同じ気持ちです」
「うーん、とりあえず夕飯食べに行こうか」
「ですね」
***
「さっぶ」
怜王は手袋を嵌めた手を擦り合った。今日はこれから衣更の店でこの間のドレスの撮影が控えている。歩いている間に雪が舞い始めた。道理で寒いはずだ。コートの前をぎゅっと押さえた。店のドアをそっと開ける。
「怜王くん、いらっしゃい」
衣更がやって来る。二人は軽く抱きあった。お互いに告白し合ってから随分距離が縮んだ。特に衣更は怜王に隙あれば触って来る。恋人というものはそういうことをするのかと怜王は焦っていた。恋人同士ならこういう軽いスキンシップも当たり前なのだろうが、全てが初めての怜王である。もっと経験値を積んでおけばと怜王は今までの自分を殴りたくなった。衣更の手は怜王にとって特別だ。自分を素敵にしてくれる魔法の手である。
「タイツも滞りなく来てるよ。はい」
衣更にタイツが入った袋を渡される。怜王は中身を見た。
「わああ、嬉しい。やっぱり可愛いなあ」
「じゃあ、早速着替えてみる?」
「はい」
事務所の奥にある試着室で怜王はドレスに着替えた。鏡に写った自分はまだ普通の男子だが、衣更の手にかかれば可愛らしい男の娘に変身できる。最近の怜王は自分でメイクの練習をしている。今度コンタクトを買いに行く予定だ。最近始めたおしゃれが楽しくて、もっといろいろなことに挑戦してみたいと思い始めている。
「わ、可愛いじゃん。本当のお姫様だね」
衣更は毎回こうして必ず褒めてくれる。それが心地いい。やはりスタイリストという職業柄のものなのだろうか。怜王は眼鏡を目の前に置いて化粧台の前に座った。
「今日のメイクはあざとさを狙った甘めで行くね。大丈夫、俺に任せて」
そう言いながら衣更が慣れた手つきで化粧下地を塗り始めた。今日はピンク色が基本の可愛らしいお人形のようなメイクに仕上がった。怜王はウキウキしながら眼鏡を掛ける。
「わ、可愛いかも」
「かもじゃなくて間違いなく可愛いよ。今回のウィッグはこれにしてみよう」
衣更が金髪のウィッグを持って来た。どうやら今回もロングヘアの物らしい。毛先が緩くウェーブを巻いている。
「いろいろあったけどやっぱりこれが一番かなあ」
ウィッグを被せてもらい、鏡を見ると、お姫様がそこにはいた。
「か、可愛い」
怜王も思わず呟いてしまったくらいだ。
「さすが怜王くん。素材がいいと、スタイリストもやる気出るよ」
それからスタジオに移動して写真を撮った。ポージングの指定はもちろんある。
「もっと可愛い怜王くん見せて」
今回のテーマは「とにかくあざとく」だった。写真で可愛いと思ってもらうためには、少しオーバーなくらいがいいらしい。
「はい、撮影おしまい。お疲れ様」
怜王は息が上がっていた。ポージングをして、その姿勢を維持するのは結構体幹が必要になってくる。もっと鍛えようと怜王は密かに決意した。こうして写真を撮ってもらえるのだ。出来る限り、可愛く、綺麗なままでいたい。衣更が可愛いって言ってくれるのだから余計である。そんな衣更がお湯を沸かし始める。どうやらお茶を淹れてくれるつもりらしい。衣更に呼ばれて、いつも座っているPCの前の椅子に怜王は座った。やはりいつもみたいにマウスを握った手を上から優しく握られる。
「えっと、さっきの画像は」
カチカチと何回か左クリックをして画像が開いた。怜王はそれが本当に自分なのかと疑ってしまう。照明や衣更の写真の腕前もあるだろうが、どう見ても少女が映っているようにしか見えない。それだけ完璧な写真だ。
「やっぱりこのドレス、怜王くんにぴったりだった。俺の直感もまだ捨てたもんじゃないね」
「あの衣更さ・・」
「雛乃って呼んで」
「え、でも」
「俺たち、恋人同士だしいいじゃん」
衣更の言葉にそうなのかなと怜王は思った。
「雛乃さん、いつもありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、衣更が全然、と笑う。お湯が沸いたようだ。衣更がお茶を淹れている間、怜王は画像を見ていた。ウィッグとはいえ、金髪に抵抗がないわけではなかった。むしろ絶対に自分には合わないと思っていた。だがこうして見ると意外と悪くないかもしれない。
「あれ?写真気に入ってくれた?」
「はい。なんか、想像してたのよりずっと良くて。それが嬉しくて」
「怜王くんは自分が綺麗だって自覚、持った方がいいよ?」
衣更の言葉に怜王は慌ててぶんぶん首を振った。
「そ、そんなことないです」
「怜王くん、こっちおいで」
いつの間にか衣更に抱き寄せられている。怜王は怖くなって衣更の胸に抱き着いた。
「ね、体触っていい?」
「っ・・・いいです」
嫌なはずがない。今日だってずっと触って欲しかった。はしたないかもしれないが、会うたびに触ってもらえないかと期待している。衣更に触られると、自分を好きになれる気がする。だが、今日はなんだか普段と「触る」という行為が違う気がする。怜王の頭はそれだけでパニックになった。知識だけでいえば一応知っていたが、まさか自分がと思う。怜王はばくばくとうるさいくらい自分の鼓動を感じていた。どくどくと流れる体中の血液が煮えたぎりそうに熱い。
「怜王くん、そんなに緊張しないで」
困ったように衣更が笑うので、怜王は深呼吸した。怖がっていてもなにも始まらない。
「お、深呼吸いいね。俺もしよう」
二人ですーはーと一度深呼吸をした。
「怜王くん可愛いね」
すでに怜王は興奮で息が荒くなっている。顔もものすごく熱い。衣装を汚さないか怜王は心配だったが、衣更は慣れているのかあっさりドレスを脱がせてくる。こんなに簡単に?と思ったが、衣装が無事でほっとした。だが、衣更の慣れた手つきに、彼の今までの恋愛経験をつい考えてモヤモヤしてしまう。やはり思っていた通り百戦錬磨なのだろうか。
「せっかくの獅子姫のドレスは絶対汚せないよねー。こんなに可愛いんだしさ」
髪飾りとウィッグもあっさり外されて髪の毛をまとめていたネットも外された。怜王はあっという間に下着姿になっている。
「お、いつもの怜王くんに戻ったね」
茶化すような言い方に怜王はちょっとむっとした。先程のモヤモヤがなかなか晴れない。
「雛乃さんは俺で遊び過ぎです」
「え、もしかして、姫怒ってるの?」
「そんなの、絶対に言いません」
むすうと怜王は腕を組んでぷいっとした。
「怒らないで。そういうとこ可愛いけど」
怒っているのに、可愛いと言われて、なんだか自分が滑稽に思えて来た。下着姿でもあるから余計だ。
「なんですか、その可愛いって」
思わず噴き出すと、衣更も笑う。
「姫は可愛いよ。顔に全部感情が出るし」
「え?」
その自覚はなかった。衣更はやはり人を良く見ているということだろう。
「姫が俺を好きでいてくれている自信はなかったけどね」
はははと衣更が困ったように笑う。
「俺、ずっと雛乃さんだけ好きって思ってたのに。雛乃さんの超鈍感」
またむすっとすると、衣更に優しく抱きしめられている。
「お願い、姫。許して。そうだ、美味しいご飯食べよ?」
「美味しいご飯」という単語に怜王は単純にも反応してしまった。確かに空腹だ。
「着替えます」
「やった。姫とご飯―」
衣更がこうして喜んでくれるのが嬉しい。衣更のお陰で自分を少し好きになってきている。
それから衣更に車で自宅まで送り届けてもらった。
***
講義も終わり、怜王はいよいよ、今日こそはゴシックワンピースを買おうと決意して衣更の店に向かった。そっと店のドアを開けると、衣更の姿が見えないが声だけ聞こえるので電話をしているのだろう。聞き耳を立てるつもりはなかったが、聞こえて来てしまうものはしょうがない。怜王はそっと気配を消して、衣更の声に集中した。やはり気になる。
「だから芸能関係の仕事はもういいんだって。今も十分幸せだよ」
話を聞く限り、衣更にスタイリストとして業界に戻ってこないかと打診されているようだ。
(雛乃さんは本当にスタイリストの仕事に未練がないのかな?)
怜王はずっとそこが疑問だった。カリスマスタイリストと周りから言われる腕前だ。それを活かしたい気持ちだってあるだろう。自分にメイクするだけでは物足りないのではないだろうか。
「今は恋人もいるし、離れたくないんだよ」
自分のことだろうか、と怜王は身を固くした。
それで衣更がやりたいことを諦めるのが正しいことなのだろうか。それはなんだか違うと思う。怜王は衣更の足枷になるのだけは絶対に嫌だった。衣更にだって好きな仕事をして欲しい。自分に楽しいことを教えてくれた彼にこそ幸せになって欲しい。怜王はそっと店を出ていた。今の話を聞いた以上、どんな顔をして彼に会えばいいか分からなかった。もやもや考えながらひたすらに歩く。
(雛乃さんの本当の気持ちは俺なんかには分からない)
スタイリストという仕事を辞めたのは、恋人のトラブルもあっただろうが、彼がここでロリータ服の専門店を出しているのもまた夢が叶った形なのかもしれない。
「雛乃さんの気持ちをちゃんと確認しよう」
結論を出すのはその後でも遅くないはずだ。衣更とこうして恋人になれて、彼に大事にされているというのもよく分かっている。だからこそ彼に幸せになって欲しい。
(スタイリストの仕事に戻ったら、きっと忙しくなるんだろうな。俺、今すごくわがままなこと思ってる。これじゃあなあ)
あの時、山崎に聞いた衣更の元彼女について思い出す。彼女もまた衣更にわがままを言ったらしい。でも好きになったらずっと一緒にいたいと思うのは普通だ。それを我慢しろと言われたら不安になるかもしれない。実は浮気をしているんじゃないかとか、自分を嫌いになったんじゃないかとか思う。彼女の気持ちが今更だが、分かって来た。だんだん悲しくなってきて怜王の瞳から涙が溢れて来た。怜王は慌てて涙を拭った。自分は衣更に本音を言ってはいけない。もし言ったら衣更はすごく無理をする。彼の性格を考えれば明らかだ。彼女の時も衣更は無理をしたのだろう。優しいから彼女の言うとおりにしていたのだ。無理をし続けるのは不可能だ。衣更にも途中で限界が来てしまったのだろう。だから芸能関係から足を洗ったのだ。
(雛乃さんは基本的に優しすぎるんだよね)
とりあえず次に会ったら衣更にそれとなくスタイリストの仕事について聞いてみようと怜王は決意した。
***
「怜王くん、この間のワンピ買ってくれるの?」
「えっと、はい。前にも言ったけど十字架が好きだし。これに合うタイツとか靴も一式ください」
「分かった。ちょっと待ってて」
衣更が在庫を持って来てくれる。そして華やかな髪飾りを怜王に差し出してきた。
「この髪飾り、倉庫掃除していたら出て来たんだ。怜王くんに似合うと思うからおまけ」
「え?いいんですか?」
「もちろん。髪飾りも可愛い子に付けて欲しいと思うし」
可愛いと衣更に言われるだけで嬉しくて顔が熱くなる。
「ねえ怜王くん。ちょっと話したいことがあるんだけどいいかな?」
いよいよ来たと怜王は身構えた。きっとスタイリストの仕事についてだろう。
「はい」
はっきりさせておいた方がどちらにとってもいいはずだ。怜王は頷いていた。会計を済ませた後、衣更に連れて行かれて事務所の椅子に座っている。衣更はお茶を淹れてくれているらしい。衣更が怜王の目の前に淹れたばかりのお茶を置いてくれた。
「あのね、俺のお仕事のことなんだけど」
やっぱりと怜王は体が冷える感覚を覚える。
「ちょっとスタイリストのバイト?的なものをしようかなって。断るつもりだったんだけどちょうどいい人がいないからって」
やはり衣更にはスタイリストとして働きたい気持ちがまだあったのだ。怜王はなんとか笑って見せた。
「さすがですね。すごいなあ」
思わず棒読みになってしまったが衣更は気が付いていない。ありがとうと笑われた。
「じゃあ、このお店もお休みするんですか?忙しくなりますもんね」
「うん、当面はそうするつもり。でも本当にバイトだし。忙しくても、ちゃんとこれからもパンフレットは定期的に出すし、怜王くんにもここのモデルとしてぜひ協力して欲しいな。もちろんお礼もするから」
「はい、俺はいつでも大丈夫です」
笑って答えたが本当は胸が張り裂けそうだった。彼の仕事で衣更に会えなくなるというのが本当は寂しくてしょうがない。衣更のことだ、きっと自分を優先して甘やかしてくれるだろうが、彼の負担になるのは違うと思う。そう、怜王はもう知っている。衣更には元彼女との関係という前例がある。自分はその轍を踏んではいけない。そう思うのだが、本当は泣きながら「寂しいから抱きしめて。自分だけを愛して欲しい」と言ってしまいたい。
「怜王くん、どうしたの?なにかあった?」
衣更は敏い。だが自分が何を思っているかまでは分かっていないようだ。肝心なところで衣更は鈍感だ。怜王は笑って首を振った。
「じゃあね怜王くん。俺、明日からしばらく都内にいるんだ。なんかあったらスマホに連絡くれる?」
「はい。分かりました」
絶対に連絡なんてしてやるものかと怜王は意固地にも思っているがそれは表に出さない。
「怜王くん、なんか怒ってる?」
「怒ってません」
全くの嘘だ。衣更に対してこの鈍感野郎と詰ってやりたいくらいである。だが、それをしてもお互いの為にならない。そのうえ、相手に自分の気持ちをなんでも察して欲しいと思っている時点で、ただのわがままだということも理解している。怜王は衣更に頭を下げて自宅のアパートに向かった。一人で泣きながら帰ったら少しすっきりした。するとスマートフォンが鳴った。相手は衣更である。
「怜王くん、休みが取れたら二人で遊ぼう。また連絡するね。一緒に夢の国いこ」
こんなに無邪気な衣更へ、なんて返信すればいいのだろう。出来る事なら自分は今すぐにでも彼に会いに行きたいくらいなのに。だが、それはもう封じなければならない。恋人になってからの方が大変になるとは露とも思わなかった。自分の思考の甘さに自分を呪いたくなってくる。恋人になってから、その関係を維持する。その難しさをようやく知った。結局色々考えたが、文字で返信できなかったので、可愛らしいスタンプを送っておいた。衣更はこれを見てどう思っただろう。衣更のことだからきっと心配してくれている。それくらいには信頼があると思う。まだ知り合って間もないが、お互いの気持ちを読み取るくらいのことは出来るようになっている。相性がよかったのだろうな、とその時怜王は冷静に分析していた。
***
衣更のいない日々は退屈でしょうがなかった。メッセージを送れば、衣更はきっとすぐ返信をくれるだろう。自分から送らなくても衣更から毎日、「おはよう」とか「おやすみ」というメッセージが届く。それが嬉しくて、なんとかそれを心の支えにして怜王は毎日を生きている。衣更の存在が自分にとって、すごく大事なのだと怜王は今更気が付いていた。彼にすっかり依存してしまっている。それは自分が弱いせいだろうか。
(雛乃さんに会いたい)
本当に寂しい時はスマートフォンをぎゅっと握りしめて泣いた。なんで自分は衣更に素直に甘えられないのだろう。それは単純に自分の経験が足りていないからだ。衣更に嫌われたくない、うざったいと思われたくない。そう思えば思うほど気持ちが沈んでいってしまう。自分の下降する気持ちを止められるのは、他でもない衣更だけだ。また悲しくなってきて、怜王は涙をなんとか堪えながら校門を出た。
「怜王くん」
振り返ると、その声の主は当然衣更で、怜王は無意識に彼に駆け寄っていた。衣更は困ったような顔をしている。怜王の手を取ると歩き出した。
「怜王くん、なんで泣いているの?」
「なんでもないです」
「そんなの嘘じゃん、怜王くん、ずっと変だもん。俺には言えないことなの?」
「それは・・・」
怜王はうつむいた。なんて答えればいいのだろう。迷っていると抱きしめられている。顔を近距離で真正面から見つめられた。衣更の整った顔がすぐ近くにある。それにドキドキしないはずがない。
「怜王くんは俺が信じられない?」
「そんなことない・・です。でも俺、雛乃さんの邪魔をしたくない」
「邪魔って・・」
衣更が息を吐いた。まだ困ったような表情を彼はしている。自分のせいでと怜王が顔を俯けようとすると、ぎゅっとさらに抱き寄せられる。それが嬉しくて瞳が潤んできてしまった。また泣きそうになってしまう。ずっとこうして欲しかった。怜王が背中に手を回すと衣更もようやくホッとしたらしい。久しぶりに衣更に触れられて怜王も安心する。やっぱりこの人が好きだと実感する。
「君に嫌われた訳じゃないみたいだね」
「嫌いじゃない、大好きです。でも俺、雛乃さんの昔の彼女さんの話聞いて・・」
「それって何年前の話よ」
「え?」
はあーと衣更がため息を吐く。そして怜王の両手を握って彼は優しく揺すった。彼の大きな手に包まれているとすごく幸せな気持ちになる。やはり彼の手は特別だ。
「多分、山崎さん情報だろうけど、それ、俺が専門学校生の頃の話だよ?前にも言ったけど、プロになったばかりで天狗になってたの。周りから持てはやされてさあ、我ながら馬鹿みたいだよ」
「せ、専門学校生って、じゃあ」
「俺が今、二十六だから、もう七年くらい前か。彼女さんも若かったけど年上だったし、当時はいろいろあってへこんだけど、今はなんともって、あああ!」
衣更が急に叫ぶので怜王は驚いて身をすくませた。衣更の顔色が悪い。
「え、もうあれから七年も経っているのか。恋人いない歴七年だわ、俺。何がフリーになって二、三年だよ。カッコ悪。自分の店出すために最近特に見境なく働いてたしなあ。わあ、道理で年取ってるわけだよ。こっわ」
衣更が早口でぶつぶつ呟いている。どうやら彼は相当頑張っていたようだと怜王は思わず笑ってしまった。
「ちょっと怜王くん、笑い事じゃないよ。俺、今凄くびっくりしてるんだからね?」
「す、すみません」
「ま、いいや。とりあえずお店行こう」
衣更はにっこり笑って怜王の手を引っ張った。
「で、ずっと聞きたかったんだけどさ」
「なんでしょう?」
なにか真剣な話だろうかと、怜王は身構えた。
「怜王くんはどこにゴスロリ服で出かけたいのかなって」
「え?」
そんなこと一度も考えたことはなかった。怜王は自分がただ着て楽しみたかっただけだったことに今更気が付く。だが、せっかく可愛らしい服なのだから、それを着てどこかに出かけるのも楽しそうだと怜王は目から鱗が落ちる思いだった。だがゴスロリ服というと場を選ぶ気がする。どちらかと言えば、甘ロリの方がまだ街で見かける印象だ。
「ゴスロリ服をこの間、一式揃えたんだし、せっかくなんだからお出かけで着てみたら?ヘアメイクは任せてもらえればやるし」
「いいんですか?」
「うん、もちろんいいよ。そうだ、今週末、空いてる?近所のライブハウスにうちのパンフレットを置いてもらおうと思って、お願いしに行くんだ。君も一緒に行くのはどうかな?宣伝も兼ねて。その後、お礼に美味しいものご馳走するよ」
「はい、行きます。美味しいもの・・・」
「ふふ、決まりだね」
そうこうしているうちに衣更の店が見えて来た。鍵を開けて事務所の方だけ電気を点ける。衣更がくるっと怜王の方を向く。
「ね、怜王くん、俺がいなくて寂しいって思っていてくれた?」
怜王はそっと衣更に抱き着いた。ここなら人目を気にしなくていい。衣更も頭を撫でてくれる。その手つきの優しさにホッとする。
「はい、思ってました。寂しくてしょうがなくて、いっぱい泣いたし」
「そっか、嬉しいな。でも好きな子を泣かせるのは男として最低だなあ」
優しく顎を掴まれてキスされる。唇を舌でこじ開けられて中を蹂躙された。怜王はもちろんこんなキスを経験したことがない。体が快感で震えるのを止められなかった。
「んん、っふ、は・・・ん」
くちゅくちゅといやらしい音を立ててされる口づけに自分の身体が反応しているのに気が付く。それがすごく恥ずかしくて、でもどうしようもなくて困った挙句、怜王は衣更の肩にぎゅっと掴まった。口づけはまだ止まない。だんだん息が苦しくなって足元が覚束なくなる。
「怜王くん、俺に体預けてごらん。大丈夫。怖くないよ」
そう優しく言われて、怜王も衣更なら信じられると彼の言う通りにした。彼にもたれかかるとしっかり腰を支えてくれた。後頭部を優しく掴まれて何度も何度もキスをされる。じゅ、と舌を吸われる度に怜王はびくっと体を震わせる。気持ちいい。ただキスをしているだけでこんなに感じるものなのかと怜王の中は驚きでいっぱいだった。
「んん、っつ、ひな・のさ・・・」
「可愛いね、怜王くん」
やっとキスから解放されたかと思えば、事務所に置いてあるソファに抱き上げられて座らされていた。衣更が上から覆いかぶさって来る。それにどきりとする。この人に抱かれたら自分はどうなってしまうのだろうと、少し不安も覚えた。
「怜王くん、この間はうやむやになっちゃったから、今度こそ君に触っていい?」
「は・・・・はい」
そういえばそうだったなと怜王は思い出していた。性行為という物が少し怖くて体を縮こませていると、衣更が微笑む。その笑顔は今日も爽やかだ。王子様スマイルである。
「どうしたの?怖いのかな?」
「少し怖いです。初めてだし」
「怜王くんは本当に可愛いな」
衣更に可愛いと言われるとすごく嬉しい。自分は男だが、可愛らしい男の娘に憧れているからだろうか。
「雛乃さんに可愛いって言われると嬉しい」ふふふと口元に手を当てて笑ったら、衣更にぎゅっと抱きしめられていた。
「可愛すぎるよ、怜王くん。これからは俺に集中していてね?約束できるかな?」
「はい」
こくりと頷くと再び深いキスをされていた。
***
「んん、っつ、つ・・・」
衣更に胸の尖りを執拗に指の腹で苛められ、怜王は思わず声を漏らしていた。乳首で感じるなんて女の子みたいだと恥ずかしかったが、衣更の指は確実に怜王の良い所を触っている。
「や、っあ・・はあ・・・」
「どうしたの?怜王くん。俺、まだ乳首しか触ってないのにすごく可愛い声出しちゃって」
「っ・・・・」
指摘されて怜王は顔がぶわっと熱くなった。恥ずかしくて何も言い返せずにいると、衣更に頭を撫でられる。
「怜王くん、俺にしかそういう顔しちゃだめだよ?」
そういう顔ってどういう顔だろうと尋ね返したいが、衣更はそんな暇も与える気はないらしい。ぐりっと乳首を強く擦られて、怜王はびくんと体をのけ反らせていた。
「あ・・・っ」
怜王は自分が射精していることにようやく気が付いた。目の前がチカチカして快感の余韻で頭がぼうっとする。射精自体が久しぶりだ。あまり自慰をしないので、いつぶりだっただろうとぼんやり思った。
「怜王くん、大丈夫?気持ちよかった?」
「はい。すみません」
「大丈夫。もっと気持ちよくしてあげる」
「もっと・・・」
衣更の言葉に期待感が高まってしまう。
しかも乳首だけの刺激で達してしまったのが、すごくはしたない気がして怜王は落ち着かなかった。自分の身体はどうしてしまったのだろう。
「怜王くんを俺好みに開発するのも楽しそうだね」
「開発・・・ですか?あの、雛乃さんも一緒にしましょう。俺ばっかりは嫌です」
怜王は彼のシャツのボタンを外した。思いのほかたくましい体が現れて、怜王はドキッとした。どこかジムで鍛えているのだろうか?
「雛乃さんって思ってたよりムキムキ」
「ははは、ムキムキは言い過ぎかな。健康には気を付けようと思って、時々走ったり筋トレはしてる」
「へえ、かっこいい。」
「怜王くんもこのおじさんと一緒に走る?ナチュラルハイ気持ちいいよ」
「いいんですか?楽しそう。それに雛乃さんはおじさんじゃないです」
「そう言ってくれるのは怜王くんだけ」
そんなことを言いながら、衣更に下着を全て脱がされて、怜王の身体を覆うものは全てなくなっている。衣更にじっと体を観察されてなんだか恥ずかしい。
「怜王くんって全てが色白だよねえ。日焼けしないの?」
「日焼けすると肌が赤くなります。だから夏場とかは長袖着て気を付けています」
それならと衣更が笑った。胸元に吸い付くようにキスされる。そこに赤く痕が残る。
「あ・・・え?赤くなった?」
怜王の困惑したような声に構わず、衣更はウインクしながら言った。
「俺のキスマークで怜王くんの肌、真っ赤にしてあげる」
「ひ・・・きすまーく・・・」
そんなもの初めて付けられた。衣更が更に首元に吸い付いて来る。怜王がきゅっと目を閉じると、キスはどんどん下に下がっていくのが分かった。ちゅ、ちゅ、と優しく愛撫されるようにキスされる。それにどんどん期待感が高まって来る。そこまで考えて、はしたないと考えを頭から追いやる。衣更としていると、どんどん思考が快感を追い求めるものになっていく気がする。
「あ、雛乃さ・・・、もうキスやだ」
ぽろぽろと生理的な涙がこぼれて来る。まるでキスで焦らされているようで苦しい。衣更はいよいよ怜王の太ももに手をかけた。
「怜王くんの太ももほっそ。これしかないじゃん。ちゃんと食べてる?」
衣更がどうするのかと思ったら太ももに優しくちゅ、と口づけられた。そのままぐいと両足を開かされる。すべてがさらけ出されて、怜王は恥ずかしさのあまり顔を背けた。衣更に全て見られてしまっている。そう思うと気持ちが高ぶった。そんな自分に戸惑う。まさか自分にこんな一面があるとは。
「可愛いよ、怜王くん。もっと見せて」
「あ、やだ。恥ずかしい・・から」
「怜王くんは俺で感じてくれるんだね?」
反り立った性器を見られて怜王は慌てて手で隠そうとしたがもう遅かった。衣更にきゅ、と優しく性器を握られる。それだけで腰が跳ねてしまうのに、衣更がゆるゆるとそれを上下に扱きだした。快感が痺れのように全身を走り抜けていく。
「うあ、っつ、や・・も、きちゃうから」
人に性器を触られるなんて初めてで怖い。快感がどんどん高まっていくのを感じる。また射精してしまいそうだ。
「っあ、はあ、んんん」
もうすぐ達してしまいそうだという寸前で衣更は手を止めた。
「あ、雛乃さん、どうして・・」
「怜王くん、今日は一緒に気持ちよくなろう?」
「あ・・・・はい」
意味を理解して、顔が熱くなったが嬉しさが勝った。衣更がシャツを脱ぐ。そのたくましさにまたドキドキが抑えられなくなる。
「怜王くん、俺に掴まれる?」
「あ・・はい」
怜王は衣更の肩に掴まって立ち膝になった。衣更はここからどうするのだろうと思っていたら、指を怜王の尻の奥にあてる。
「っつ、そこ?」
びっくりして怜王が衣更を見つめると彼に頭を撫でられる。
「俺に掴まってなるべく力抜いていてね」
「っ・・・はい」
きゅっと目を閉じ、怜王は衣更にもたれかかるように掴まった。ぐ、と衣更の指に力が込められる。ゆっくりだったが指が中に入って来たのを感じて、怜王は思わず呻いた。異物感がすごい。苦しくて呻いていると頭を撫でられる。
「もう少し力抜ける?深呼吸して」
「はい・・・ン」
すうはあと呼吸を何回か繰り返していると、指は更に奥に入った。だがまだ苦しい気がする。衣更の指は何かを探っているようだ。指でじわじわ解されていつの間にか本数を増やされている。自分の中に衣更の長い指が入っている。そう思うだけでもたまらないのに、衣更はその中で何かを探っている。
「っつ!」
怜王は飛び出してきた自分の甘い声に驚いていた。今探られたところは先ほどまでの感覚と随分違った。なんだろうと思うが分からない。
「ここかあ」
衣更がにやっと笑って、そこを執拗になぶって来る。それが快感であることに怜王はようやく気が付いていた。迫って来る快感に怜王は耐え切れず衣更の背中にぎゅっと爪を立ててしまう。このままではまた一人で達してしまうのではないか。それだけは嫌だった。
「っひ、あああ!やら、、らめ」
「そうそう、いい子いい子」
中をぐにぐにと探られて、怜王は衣更の肩にガブリと噛みついていた。ぎゅっと噛みしめると鉄の味がする。衣更はそんな怜王の頭を撫でて来る。
「獅子姫、大丈夫。大丈夫。怖くないよ」
「う、もう俺イっちゃ・・」
「そうだね。俺もそろそろ限界かも。一緒にイこうか」
怜王は涙目で衣更を見上げた。衣更の額には汗がにじんでいる。いつもより余裕のなさそうな熱っぽい表情にドキドキする。衣更は怜王の腰を優しく抱き上げた。
「ふ・・ぇ」
衣更が空いた手でスラックスの前を緩める。衣更のものを見て怜王は固まった。怖いくらい屹立している。そして大きかった。
「あ、待って。無理ぃ」
「大丈夫。入るよ。俺たち、一緒に気持ち良くなるんでしょ?」
衣更に言われてその通りだと思った。自分は衣更と愛し合いたくてこうしているのだ。多少の無茶はするべきだろう。衣更だって男の自分を抱きたいと思ってくれたのだ。
「雛乃さん、一緒に気持ちよくなりたい」
「うん。俺もだよ、怜王くん」
衣更に優しく腰を抱かれたままゆっくりとおろされる。ズズと衣更のものをなんなく孔が飲み込むのに怜王は内心驚いてしまった。まるで自分の身体じゃないみたいだ。ただ、指よりはるかに苦しいのは間違いない。怜王は苦しさのあまりぎゅっと衣更に抱き着く。頑張ってなんとか力を抜いたがもう限界だった。
「いいよ、全部入った。怜王くん、大丈夫?」
荒く呼吸をしながら衣更に言われて怜王は頷くのが精一杯だった。お互い体が熱い。対面座位の状態だ。
「動くね。怜王くんもいいように動いてみて」
「は・・・はい」
初めての行為なのでいいようにと言われても分からないが、怜王は軽く腰を揺すってみた。衣更がそれに合わせるように怜王を揺する。
「ん・・・っう・・あ」
じわじわと快感が広がるような感覚になんだか溶けてしまいそうだ。脳みそはもうすっかり溶け切ってしまっている。結合した部分から時折聞こえる音のいやらしさに怜王はどうにかなりそうだった。
「っあ・・はあ、あ」
衣更に揺すられて快感を感じるが、先程より絶頂は遠のいている気がする。衣更も同じことを思ったらしい。怜王をソファに押し倒してきた。衣更の顔が傍にあるのが嬉しくて恥ずかしい。
「え・・あ」
恥ずかしさに戸惑っていると唇に優しくキスをされる。甘やかすようなキスだ。
「怜王くん、足広げられる?」
「はい」
そう言われて足を開いたらますます衣更に奥を突かれていた。
「ああああ!」
先程までのじんわりとした快感とは全くの別物である。怜王は衣更の背中に爪を立てていた。そうでもしなければおかしくなりそうなほどの快感だった。
「あああ!ひな・・のさん」
衣更もまた高まって来たらしい。彼の汗が怜王の顔に滴り落ちて来る。
「っひ・・・あああ」
ずっずと衣更が動くのを全身で感じる。その度に強い快感が襲い掛かって来る。
「っつ、あ・・も、らめ」
「怜王くん、そろそろイこうか」
衣更にいいところを突かれて怜王はただ嬌声を上げながら衣更の背中に抱き着いていることしか出来なかった。
***
怜王が気が付くとベッドの上にいた。ここはどこだろうか。自分はなんで眠ってしまったのかと思い出そうとして、怜王は真っ赤になった。今日、衣更と身体を繋げてしまったのだ。恥ずかしさでどうしようもなくて固まっていると、そこにタオルを首に掛けた衣更がやって来た。彼は上半身裸である。怜王は慌てて目線を反らした。
「お、姫君。お目覚めで?」
「あ、あのここって」
「俺の家。怜王くんはめっちゃ軽いのに怜王くんのリュックがめっちゃ重い。あれに漬物石でも入ってる?」
「あ、すみません。授業で辞書が三冊ほど必要で」
「それだ」
「あの、どうやって俺をここまで?」
「だから文字通り抱っこして連れて来たの。眠ってる怜王くん、ずっと唐揚げ美味しいって言ってよだれ垂らしてた」
「嘘ですよね?」
「録音してあるけど聞く?可愛いよ」
「いえ、結構です」
そんな衣更にぎゅっと抱き寄せられる。そして彼は怜王の手を取った。
「姫の手って綺麗だよねえ。ずっと触っていたいくらい。小さいけど指細くて長いし」
「触ってくれていいですけど」
「え?いいの?」
怜王は思い切って言うことにした。
「雛乃さんの手の方が俺はすごいと思います。だって俺をすごく可愛くしてくれるし、魔法みたいです」
「姫は元がいいからねえ」
そう言われるとなんて返したらいいか分からない。ふと衣更の身体を見て気が付く。
「あれ?肩ケガしてますか?」
衣更の左肩に大きな絆創膏が貼られているのだ。こんなケガを先ほどはしていただろうか。
「姫に噛みつかれたんですけど」
「え?俺?そんな」
「ガブって本当のライオンかと」
その情景を怜王はようやく思い出す。顔が熱くなった。あの時はとにかく必死だった。
「あ、ごめんなさい。責任取ります」
「じゃあこれからお風呂一緒に入る?」
「え?」
「姫の身体洗わせてくれるなら許す」
その条件に怜王はどう切り抜けるか考えた。まずは話題を変える必要がある。
「あの、パンフレットを置いてもらうためにライブハウスに行くんですよね?俺も行っていいんですか?えと、メイクの仕方とかもっと聞きたいし、あといろいろやってみたくて」
衣更がくすくす笑う。怜王は先走り過ぎたと真っ赤になった。どうしようと迷っていると衣更が口を開く。
「もちろん。メイクでもなんでも俺に分かる範囲なら教えられるし、ライブハウスの件は君がいなきゃ多分オーケーしてもらえないと思う」
「俺?なんで?」
「この間のパンフレット見せたら、ライブハウスのオーナーに君を連れてこいって言われて。怜王くんをライブイベントの売り子に出来ないかって」
「売り子・・・まさかあの格好で?」
「そのまさか。まあ姫が嫌なら断ればいいんだし」
「やりたいです。俺、今までそういうのやったことないし、中高の文化祭もずっと裏方で。俺、女装したらなんだか無敵になるっていうか」
「怜王くん、女装すると気持ちが上がるタイプなんだね」
ふふと衣更に笑われて怜王は恥ずかしくなった。おかしいことを言ったかもしれないとあわあわしていると、衣更に抱きしめられる。
「そんな怜王くんが俺は大好きだよ」
「あ、雛乃さん。俺もあなたが大好きです」
二人はまた唇を重ねていた。
「じゃ、お風呂いこっか。忘れさせようなんて怜王くんはまだまだ甘いねえ」
完敗だと怜王は降参した。
***
「姫はやっぱり黒のワンピ似合うなあ」
「そ、そうですかね?」
ある週末の早朝、怜王は衣更の店に訪れている。これから二人でライブハウスに行くのだ。前に購入したワンピースに着替えて、メイクの段階に入っている。
「今日はセオリー通り、暗めのメイクでいってみようか。せっかくのゴスロリだしね」
衣更の手は今日も迷いなく怜王の顔にメイクを施してくれる。明るめのトーンのファンデーションに青色のアイシャドウを入れる。今日はつけまつげにも挑戦した。前から気になっていた金髪のツインテールのウィッグを被らせてもらう。最後はこの間、衣更がくれた髪飾りだ。黒い薔薇の周りをパールとリボンでデコレートされたものだ。衣更に髪飾りを付けてもらい、怜王はいつものようにわくわくしながら眼鏡を掛けてみる。
「わ、すごい。ゴスロリ!俺、今日カラコン持ってきているんです。青色なんですけど、どうですか?」
「いいね。もう着けたことあるの?」
「はい、何度か練習してきました」
怜王は鏡を見ながら慎重にカラーコンタクトを装着した。
「どうですか?」
「うん、随分雰囲気変わるねえ!金髪碧眼は定石だしいいと思うよ」
衣更がパンフレットを持って来た。それはこの間撮ったばかりの甘ロリドレスが表紙の物だ。
「あ、これ」
「前に刷った分は全部終わっちゃったから今回からこれになるよ。可愛いよね。我ながら写真も上手いと思わない?」
「はい、そう思います」
怜王は一冊手に取って中身を見た。今回はロリータ服の写真がいろいろ並べてある。どれも可愛らしいものだ。もちろん怜王が表紙で着ているロリータドレスも購入出来る。
「姫が着てくれて自分も挑戦してみようかなって思う子もいっぱいいるんだよ」
それを聞いて怜王は嬉しくなった。勇気を出してよかったと思う。衣更の車に乗って二人は目的地であるライブハウスへ向かった。そこはライブハウスだと言われなければ分からないだろう。地下に繋がる階段を降りた先にあるからだ。入口の近くにカウンターがあって、まるで飲み屋のような雰囲気もある。
「来たか、雛乃」
更に中に入るとホールのような空間があった。ここでライブをするという事なのだろう。
「オーナー、お待たせしました。この子が怜王くんです」
オーナーと呼ばれた彼は立ち上がって怜王の傍にやって来る。まるで巨大なクマのようだと怜王は怖くなった。
「大丈夫だよ、姫。オーナーめちゃ優しいから」
隣から言われて怜王は頭を下げた。
「えっと姫宮怜王っていいます。イベントの売り子をさせて頂けるって聞いて」
「姫宮くんは真面目なんだな。俺はオーナーの牧野だ。にしても本当に可愛いな」
はっはっは、と牧野が笑っている。先程までむっつりした不機嫌そうな顔を浮かべていたとは到底思えない。
「オーナー、怜王くんは俺のですよ」
「分かっている。で、それよりパンフレットを見せろ。娘が欲しがってな、もうないって言ったら泣かれちまった挙句、女房にまで怒られちまって」
どうやら散々な目に遭ったらしい。怜王はそっと心の中で牧野に謝った。衣更がバッグからパンフレットを取りだす。牧野はその一冊を取り出して眺め始めた。
「ふうん、可愛いじゃねえか。いろいろあるんだな」
「娘さんにどうですか?」
衣更はちゃっかりセールスまでしている。
「それなら今度家族で店に行く。今、お前スタイリストしてるんだっけか?」
「あー、バイトですしもうすぐ終わります」
「そうか。それならまた連絡くれ」
「了解です」
牧野が改めて怜王を真っすぐ見つめて来た。
「姫宮くんの写真を見たやつが、写真集を出さねえかって言ってきている。もちろん少部数だし売れたとしても大した儲けにはならねえけどどうだ?」
「え?」
写真集?と怜王は首を傾げた。隣の衣更は知っていたらしい。うんうんと頷いている。
「俺なんかでいいんですか?」
「姫宮くん次第だ。君がやる気を出せばそれだけいいものが出来る」
「俺、やってみたいです。でもその、写真集を発行するお金って」
牧野が怜王の言葉に笑う。
「もちろんうちが持つ。姫宮くんはなにも心配する必要はないんだ。パンフレットのお陰で随分うちの宣伝になったしな。雛乃に言われて気まぐれに置いてみてよかったよ」
「よかったね、姫」
衣更にも言われて怜王は胸の高鳴りを抑えられなかった。写真集という形に残るものを作ってもらえる機会なんてなかなかない。
「すごく嬉しい」
心の声がそのまま口に出ていた。衣更が隣から言う。
「撮影は俺もいていいんだよね?だって俺、姫の専属スタイリストだし?」
「当たり前だろう。お前がいなくちゃ撮影自体が始まらねえ」
「よかったあ。姫、よろしくね」
「はい。やってもらえるのが雛乃さんなら安心です」
「姫宮くんの了解が得られてよかった。もし無理なら自分が交渉するってあいつがうるさくてな」
「牧野オーナー!」
声高らかにやって来たのは眼鏡を掛けたロングヘアの女性だった。
「ああ、うるさいのが来た」
牧野が顔をしかめている。彼女は怜王を見るや否や血相を変えて駆け寄って来た。
「怜王くん!私のプリンセス!久しぶりね?衣更?」
衣更の知っている人だろうかと怜王はそっと彼の様子を窺った。
「え、どちら様でしょうか?」
どうやら衣更は知らないふりをする気らしい。彼女はお笑い芸人くらいよろめいて姿勢を元に戻した。器用だなあと、怜王は変なところで感心してしまう。
「ちょっと、ちょっと、こんなにボケが渋滞しているのに、ツッコミ要員ここにはいないの?」
「ツッコミ待ちだったんだ」
ぼそっと衣更が言う。やはり知り合いらしい。
「怜王くん、あたしは飛鳥(あすか)。出版社の編集長をしているの。まあ小さい会社ではあるんだけど、月刊ロリっこって知らない?」
「あ、俺、それ定期購読してます」
「怜王くん、さすが。その雑誌を中心にうちの出版社ではいろんなサブカルチャーを取り上げているの」
「すごいなあ。本当にプロの人なんだ」
怜王の言葉に飛鳥は気を良くしたらしい。
「怜王くん、君の写真集の話はもう聞いた?聞いてないならあたしがちゃんと」
「飛鳥・・・とりあえず飲み物買おうよ」
やれやれと衣更が突っ込む。とうとう黙っていられなくなったらしい。
それから三人で写真集についての細かい話やスケジュールを確認した。
***
「お腹空いたでしょ?」
怜王は衣更の自宅にいる。衣更と一緒に温かいクリームシチューを作っていた。誰かと一緒に料理をするのは、高校生の時に受けた家庭科の調理実習以来だったのでなんだか新鮮だ。
「すごく空いています。今日はいろいろびっくりしたし、牧野さん優しくて安心しました」
「そりゃあびっくりするよね。急に写真集を出さないかなんて言われてもさ。オーナーもあの感じだし、見た目怖いもんね」
衣更が思わずといったように噴き出す。
「あと、俺、すごく嬉しくて」
衣更が笑って頷いてくれた。
「姫が嬉しいのが俺も嬉しいよ。怜王くん、何度か店に入ろうとしてくれてたのに、なかなか入ってきてくれないし」
「え?俺のこと知ってたんですか?」
「俺、店長だよ?ずっと店にいればさすがに気が付くよ。あの日は怜王くんにもう俺から声を掛けようと思ってさ」
「えええ」
挙動不審な自分を見られていたかと思うと気まずさと恥ずかしさが入り混じってやって来る。だが、そのお陰で自分は衣更に出会えたのだ。まるで魔法みたいだなと思う。
「ロリ服を着て、雛乃さんに可愛くメイクしてもらって、俺が俺じゃなくなるみたいでそれがすごく嬉しいんです。すごく前向きになったし、今の自分を好きだって思えた」
「姫をいっぱい泣かせたのも俺だよ?」
ルウを溶かしながら衣更は不安げに言う。怜王は首を横に振った。
「雛乃さんに会えてよかったと思ってます」
「姫、大好き」
ぎゅっと衣更に優しく抱きしめられて怜王は笑った。
***
「いただきます」
「召し上がれ」
クリームシチューが無事に完成し、二人は向かい合って座っている。クリームシチューと切ったバゲット、そしてサラダが並んでいた。飲み物にはぶどうジュースだ。
「怜王くんってご飯にクリームシチューかける派?」
「はい。普通にありだって思ってます」
「分かるー。でも結構異端視されるよね」
「好みありますからねえ」
「姫、大人―」
二人で何気ない会話をしながらする食事は格別だ。衣更はこれから都内に戻るらしい。まだスタイリストの仕事がある。だがそれも今週までということだ。仕事が終わったら一緒に暮らさないかと衣更から打診された。もちろん、怜王はその提案が嬉しかった。両親にもちゃんと事情を話しておいた方がいいだろう。
「そうそう、写真集のために飛鳥がいろいろ衣装を考えてくれているみたいだよ」
「え?もうそこまで?衣装って既存の服じゃないんですか?」
「せっかくなんだから可愛い格好しようよ」
「すごい・・・・」
彼女の仕事の早さに怜王が戸惑っていると、衣更がスマートフォンを差し出してくる。
「俺も衣装案出したんだ。これ」
怜王が画面を覗き込むと可愛らしいゴシックロリータ服のデザインが描かれている。それは黒を基調として青い飾りが入っているものだ。スカートの腰部分に青いリボンが付いている。
「ゴスロリにしては甘め?」
怜王が質問すると衣更が照れくさそうに笑う。
「いやあ、やっぱり姫には可愛いデザインを着せたくなっちゃう。いや、ここは攻めて辛めに行くべきか?スカートの裾ももっと短くして・・いや・・・ハーフパンツも」
衣更がぶつぶつ呟き始めた。どうやら真剣らしい。
「雛乃さん、服のデザインは後です」
思わず笑いながら衣更に言うと、衣更はそうだねと照れくさそうに笑った。
「姫に可愛い服を着せたくなるんだよね」
「俺ってシンデレラみたいですよね」
衣更が怜王の言葉に首を傾げる。
「だって、雛乃さんのお陰で可愛く変身出来て、大好きな雛乃さんと恋人になれて、本当にシンデレラみたいだなって」
「姫・・発想がめっちゃ可愛い。さすが男の娘を目指しているだけあるな。写真集も絶対成功させようね。俺も出来る限り頑張るよ」
雛乃の言葉が嬉しい。
「あ、シチュー美味しい」
怜王がシチューを一口食べると、ふわりとまろやかな味が口に広がった。
「よかったあ。いっぱい食べるんだよ。おかわりもしてね」
衣更がにっこり笑う。怜王はカレーのことを思い出し、照れくさくなったが頷いた。優しい王子様は硝子の靴を落とした自分をちゃんと見つけてくれた。
「雛乃さん、あの時、俺に声を掛けてくれてありがとう」
つい泣きそうになってしまったが堪える。シンデレラも王子と再会した時、こんな気持ちだったのだろうか。少しの不安と大きな喜びが入り混じった気持ちだ。
「姫、もう離さないからね」
立ち上がって傍にやってきた衣更のキスが上から降って来る。そして額から唇にキスされた。怜王も負けじと衣更に抱き着く。幸福とはこのことを言うのだろう。
「怜王くん、大好きだよ」
衣更に優しく囁かれ、怜王も背伸びをして衣更の唇にキスをするのだった。
おわり
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