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中編

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「久しぶりね。章くん」

僕は智史くんの家にいる。智史くんのお母さんはすごく優しい喋り方をする人だ。弁護士さんとしてすごく信頼されそうだなと僕は常々思っている。

「智史くんママ、お久しぶりです」

「章くんの浴衣なんだけど、ちょっと女の子のものみたいになっちゃって」

困ったように笑いながら畳まれた浴衣を差し出された。広げてみると、紺色の生地に向日葵の柄があしらわれている。

「わあ、夏って感じですね」

「きっと章くんに似合うと思って、仕事の合間に縫ったの」

「お忙しいのにありがとうございます」

「趣味なんだからすごく楽しかったわよ」

よかった。早速着付けをしてもらえるということになった。帯は智史くんママのものを借りた。真っ白で紺色によく映える。
智史くんが着ている浴衣は浅葱色だった。帯は黒だ。かっこいいなと見とれていたら智史くんと目があって恥ずかしくなった。

「じゃあ行ってらっしゃい」

智史くんママに千円もお小遣いをもらってしまった。僕もお給料が入ったらお礼になにか贈ろう。

「章、屋台で何食う?」

智史くん、さっきメイド喫茶で結構食べてた気がしたけど。でも僕もお腹がペコペコだ。

「そうだねえ、たこ焼きはマストかな?」

「ポテト食いてえ」

「あ、あのくるくるしているやつ?」

「そう」

二人でどんな屋台が出ているか想像しながら話すのは楽しい。電車に乗ると僕らの他にも浴衣を着ている人がいた。お祭りの本会場はぴゅあーずからそう離れていない。あの店は一等地に陣取っているのだと他のメイドさんから聞いていた。透花さんと姫華さんは二人で花火を見るのかな?お互いをすごく大事に想い合っている姿が印象的だった。僕も智史くんとそんな関係になりたい。目的の駅に着くとすでに日が暮れかけていた。でも屋台の明かりがあるから暗くて困るということはない。

「お、たこ焼き発見」

「あ、本当だ。買おうか?花火見ながら食べよ?」

「おう。そうするか」

スマホの時計を確認するとすでに18時半を示している。確か花火は19時からだ。ちょっと急がないとな。僕たちは目当てのものを買って、花火の見える土手に陣取った。

「章、ポテトが崩れてきた」

「うわぁ!本当だ!智史くん先に食べちゃいなよ」

「おう」

智史くんの食べるとこ見るの好きなんだよな。
そんな事をしている内に、花火が打ち上がる。風も適度に吹いているのか、花火の煙は程よく流れた。パラパラと花火の華が咲く。

「すごーい、キレー」

『章!虫たちが現れたよ』

急に頭の中に声が響く。キュウスケだ。僕は立ち上がった。

「章?どうしたんだ?」

「うん、ごめん。トイレ行ってくるね!」

「あ、あぁ」

僕は走り出した。なんでせっかくのデートに邪魔が入るんだ!絶対に駆逐してやる!とどこぞの兵長並の気合いを入れて、僕はコンパクトを握った。変身ももう慣れたものだ。

「おい!あっちに化け物がいるぞ!逃げろ!!」

虫たちを見た人たちがパニックを起こし掛けている。それはそうだろう。僕は更に走るスピードを上げた。右手にハリセンを装備する。僕は跳んだ。

「てえいっ!!!」

バシンとなかなかな手応えがあった。今日の虫はダンゴムシだ。体を丸くして防御してくる。
んー、これはなかなか面倒だなぁ。僕にはハリセンでしばく以外の攻撃方法がない。

「あくあ、困っているみたいだね」

キュウスケがぴょんと現れた。

「あの虫、ハリセンじゃ倒せそうにないの」

「なら虫をスタンさせる魔法を教えてあげる。君には魔法少女としての魔力が付与されているからね」

そうだったんだと僕は改めて感心した。キュウスケの教えてくれた呪文が効果を発揮するためには、ある程度虫と距離を詰める必要があるらしい。気持ちが悪くて、ゾワゾワしながら僕は巨大ダンゴムシに近付いた。

「光の精霊よ…我が力により顕現せん!フラッシュ!!」

ピカッと光が辺りを照らす。ダンゴムシがうめき声を上げながらひっくり返った。よし、今がチャンスだ。僕はサンプルも採りつつ、ダンゴムシをやっつけた。

「章!!」

向こうから智史くんが走ってくる。僕の変身はその瞬間に解けていた。

「智史くん?!どうして」

「お前、あんなのと戦ってるのか?」

「えーと…」

智史くんに抱き寄せられる。

「章、好きだ」

「え?」

「ずっと好きだった。お前、どんどん綺麗になるし、俺、なかなか気持ちを言えなくて」

智史くんからの告白に僕は泣いてしまった。もちろん嬉しくてだ。

「ぼ、僕も智史くんが…」

ぱんっと音がして、智史くんが倒れる。な、何が起きたの?僕は智史くんの傍に座り込もうとして叶わなかった。

「姫君、あなたにはもっと品格のある相手がいますよ」

いつの間にか僕は知らない男の人に担がれてしまっている。

「やだ!離して!!キュウスケ!!」

キュウスケも智史くんの傍に倒れ込んでいる。何が起きてるの?

「あの魔獣には本当に手を焼きました。研究チームももう再起不能ですよ」

こいつはキングさんたちにも危害を加えたのか。僕は怒りに任せて、ジタバタ暴れた。

「姫君、どうか大人しくなさってください」

たんっと首筋を叩かれて僕は気を失った。

✢✢✢

「ん…」

気が付くと僕は天蓋付きのベッドの中にいた。何故か裸でだ。浴衣はどこに行ったんだろう。そろっとベッドから降りると、肌着と服が置いてあった。これを着ろってことか。僕は辺りを見回して、渋々服を身に着けた。ハーフパンツはシックな黒。白いシャツには胸元にフリルがあしらわれている。黒いハイソックスに革靴もあったので履いた。浴衣を部屋中、探してみるけど何処にも見当たらない。なら他の場所かな?室内を見渡すと、向こう側にドアがある。僕は一目散に、でも足音を立てないよう気を付けながら駆け出した。浴衣を取り戻すためには誰かに見つかるわけにはいかない。
ノブを引くと、ドアはすうと開いた。僕を閉じ込めたいわけじゃないのか?相手の意図はまだ分からない。気を付けなくちゃと気を引き締めて部屋の外に出る。誰もいないようだ。廊下は長くて、所々にツボや胸像なんかが置かれている。更に歩くとらせん階段があった。手がかりがない以上、行ってみるしかない。登るとぎしと階段が軋んだ。慌てそうになったけど落ち着け、と言い聞かせながら階段を上る。
上りきるとドアが4つあった。左から青色、赤色、紫色、緑色のドアだ。僕は思い切って、一番左の青色のドアを開けた。そこには沢山のトルソーが置かれている。床には色とりどりの布やリボン。僕は気を付けながら浴衣を探した。ない。
その次は赤色のドアだ。入ってみると大きな水槽がいくつも置かれている。中で優雅に泳いでいるのはヒラヒラの尾びれを持った金魚だ。ここにも浴衣はなさそうだな。僕は紫色の部屋に入ってみた。ここにもない…か。

「姫君、探検をされているのですか?」

「っ…!!」

僕は振り返った。その人は丸縁の眼鏡を掛けた一見優しげな男の人だった。耳が長い。つまり、人間じゃないってことだろうか?僕はぎゅっと、拳を握った。

「ここはどこ?」

「ハイエルフの王国ですよ、姫君。あなたは国王に見初められたのです」

な、なんだって?ハイエルフ?そんなの今流行りの転生小説でしか聞いたことないぞ。

「僕は男だよ?」

「国王様は同性愛者でして」

「人間だし…」

「愛に境はありませんので」

さっきからずっと論破されてるな。

「僕には好きな人がいるんだ!」

男の人は首を振った。

「それは国王がお許しになりません。あなたに拒否権はありませんので」

理不尽すぎる。僕は泣きそうになってきた。

「とにかく僕のいた世界に帰して!!智史くんに何をしたの?!」

「姫君、お腹が空いているのでしょう。食事を摂ってゆっくり休めばそのようなこと、気にならなくなりますよ」

そんなことあるもんか。

「どうした?ラミアン。なにか、トラブルか?」

低い男の人の声がした。あまりの威圧感に僕は怖くなって思わず膝をつく。なんとか見上げるとその人は真っ黒な服を着ていることが分かった。体の大きな男の人。やっぱりハイエルフみたいだ。

「いいえ、若様。心配されるようなことは何も」

「章、おいで」

僕は立ち上がっていた。本当は行きたくないのに身体が勝手に動く。

「いい子だ」

軽々と僕を腕で抱き上げたその人は、僕をあやすように頭を撫でた。

「ラミアンに意地悪されたか?」

ふふ、と楽しそうにその人は言う。

「あなたが国王様…なの?」

恐る恐る尋ねたら、ああと返事をされた。そのままキスをされて僕はびっくりした。軽く触れるだけだったけどファーストキスだ。僕の瞳からぽろっと涙が溢れた。出来ることなら初めては智史くんが良かった。その涙を親指で拭われて、ぎゅっと抱き締められる。

「章、俺はお前が気に入った。魔法を扱う者として申し分ないスキルを持っているようだ」

「…」

僕は悲しくて答えられなかった。心がじくじくと痛む。キスってこんなに特別な行動だったんだと僕は改めて実感していた。国王様がカッコいいのは間違いない。でも全然嬉しくない。

「章、機嫌を損ねたようだな」

国王様が困ったように言う。僕はどうしていいか分からずに拳を握りしめた。黙ったままの僕を国王様はさっきまで僕が眠っていたベッドに寝かせた。靴と靴下も脱がされる。

「少し休むといい。お前を俺は愛している」

僕の頭の中は智史くんのことでいっぱいだった。智史くんが無事かどうか、せめてそれが分かれば違うのに。国王様は僕の頭を撫でると部屋から出ていった。あぁ、どうしたらいいんだろう。

ガサゴソと急に部屋の隅から音がして、僕はベッドから起き上がった。なんだろう?もしかして虫かな?

そっと白色のカーテンを捲ると真っ白なチンチラがいた。ガリガリと美味しそうにクッキーを食べている。

「どこから来たの?」

屈んでそう尋ねても一心不乱にクッキーを食べていた。
怖がらせたくないので少し距離を置く。クッキーを食べ終えると、チンチラは不思議そうに僕を見上げてきた。手を差し出すとふんふんと僕の匂いを嗅いでいる。そして、そっと僕の手の上に乗ってきた。

「可愛い。よしよし」

頭を撫でるとチンチラは気持ち良さそうに目を閉じる。この子、どうすればいいんだろう。もしかして迷っちゃったのかな?国王様に聞いてみようか?そしたら殺すとか言われるのかな。僕の頭の中に色々な思考がごちゃ混ぜになっている。とりあえず、と僕はチンチラを抱き上げてみた。思っているより随分軽くてびっくりする。さて、どうしたものか。僕は部屋の隅に沢山ラッピングされた箱があるのを見つけた。そうだ、この子の巣箱を作ろう。

「ここにいてね」

チンチラをベッドにそっと置くと、その場に丸くなった。どうやらお腹がいっぱいで眠たくなったらしい。すやすやとその体勢のまま眠り始める。僕はラッピングを剥がして、中に入っていた服を取り出した。もしかしたら僕へのプレゼントなのかもしれない。要らないけど。
とりあえず巣箱の元になる箱は用意した。

「なにか床に敷いたほうがいいのかな?」

ハムスターなんかだと床におがくずを敷いたりする。僕は他のプレゼントの箱も開けてみた。そのうちの一つに、細い紙で出来た緩衝材がある。これなら代用できるかもしれない。箱に敷いてみるとフカフカになった。ベッドで丸くなっているチンチラを抱き上げて箱に入れてみる。警戒したのかチンチラはしばらく巣箱の中をウロウロしていたけど、落ち着いたのかまた丸くなった。

「そうだ、名前…」

名前なんて付けて、殺されてしまったら。僕は最悪を想定して震えた。

「章、腹は減らないのか?ん?」

国王様の気配に僕は慌てて体の後ろに箱を隠した。

「なにを隠している?」

国王様が指を鳴らすと、隠していた箱があらわになった。

「ふむ、ペットか?」

「殺さないで」

震える声で言ったら国王様が溜息を吐く。

「俺は弱い者いじめが何よりも嫌いだ。それに章はまだ俺が怖いだけだ。違うか?」

「ぼ、僕は智史くんが好き!国王様が優しいのは分かったけど…」

国王様に抱き寄せられる。やだ、またキスされちゃう。嫌悪感にぎゅっと目を閉じたら背中を撫でられていた。

「章、俺はお前に惚れた。たった一人で虫を殲滅する。そんな姿にな」

「見ていたの?」

国王様は黙った。

「俺の祖先があれを作った」

「え?」

「世界を征服するためにな」

やっぱり悪いやつなんじゃないか。僕が抵抗しようとすると、国王様にまあ待てと頭を撫でられる。

「章、あの虫は地下遺跡にある装置で作られている。それを止めるには」

「どうすればいいの?」

「さあな。ラミアンに聞いてみてくれ」

僕はカッと顔が熱くなるのを感じた。明らかに馬鹿にされたと思ったからだ。

「国王様の嘘つき!僕のことを愛してるなんて嘘ばっかりじゃないか!!!」

「章、愛していても嘘は吐くよ」

「っ…」

国王様の瞳が悲しげで、僕にはそれ以上、何も言えなかった。

「なんで僕をここに連れてきたの?」

「章が欲しかったからね」

「それは国王様の勝手じゃないか」

「そうだね。でも俺には章を虜にする自信がある。その智史という男には、お前をそこまで愛する自信があるのか?」

それは僕には分からない。僕が俯くと、国王様が僕の顔を覗き込んでくる。

「章、元の生活がしたいなら希望は聞く。お前はまだ子供に値する年齢だからな」

「…僕を地下遺跡に連れて行って」

僕は魔法少女の姿に変身をしていた。

「章…まさか遺跡を破壊するつもりか?」

「国王様が止めたって僕は聞くつもりない。早く!」

「…いいだろう」

国王様の瞳に剣呑な光が宿る。それでも僕には引くつもりなんてなかった。

✢✢✢

「いってぇー…ててて…」

智史は額に手を当てて、それからゆっくり地面から起き上がった。体を確認してみたがなんともなっていないようだ。先程の強烈な痛みが嘘のようだった。

「…!章!!」

慌てて周りを見渡したが、章の姿がない。

「うぅう…」

智史は呻き声に気が付きそちらに近寄った。白いぬいぐるみのようなものが倒れ込んでいる。智史はそれを優しく抱き上げた。

「あ、智史。よかった、間に合ったんだ」

「間に合った?お前誰だ?ぬいぐるみか?」

「そんなに一気に聞かれても答えられないよ。僕はキュウスケ、章のサポーターだよ」

「章は?」

キュウスケが悲しげに首を横に振る。

「章はハイエルフに連れて行かれちゃった」

「章を連れ帰るにはどうすりゃいい?」

え?とキュウスケが不思議そうに智史を見上げてくる。

「智史、力を貸してくれるの?」

「当たり前だろ!キュウスケ、お前にしか頼れないんだ!頼むよ!」

キュウスケが笑う。少し希望を取り戻したらしい。

「ハイエルフの魔力を辿るのはそんなに難しい話じゃないよ」

「なら行こう!」

「智史、その衣服じゃまともに動けないよね?」

智史は自分の姿を改めて見た。浴衣姿では確かに動きづらい。

「分かった、一度家に帰るから」

「本当に章のことを探しに行くつもりなの?」

「章を訳わからん奴等から取り戻す!」

智史は近くの駅に向かって走り出した。そこで人の姿が一切ないことに気が付いた。時刻は21時を少し過ぎた頃だ。人がいないことなどほぼ有り得ない。

「な、なんだ?何が起こってる?」

「ねえ智史、この世界はハイエルフたちに支配されたんだよ」

「はぁ?!」

「僕の仲間もみんなやられちゃったみたい…」

「章はそんな奴等に連れてかれたのか?」

キュウスケは顔を俯けた。

「よし、それなら近くの服屋で服を買おう。金を置いとけば大丈夫だろ」

智史は駅舎を出て、近くの服屋に向かった。試着室で動きやすい服に着替え、レジの傍に万札を一枚置く。

「智史はお金持ちなんだね」

「違うよ、普段から小遣いなんか使わないんだ。章の家で色々食べさせてもらってるからな」

「ふぅん」

「なんだ?信じてないのか?」

「それだけじゃないんじゃない?智史は勉強ばっかりしているし、お小遣いで問題集しか買わなそう」

「キュウスケはよく見てるんだな」

「僕はサポーターだよ。周りを見て判断することが求められるんだよ」

「なるほどな」

キュウスケが拓けた場所にたたたと駆けていく。

「ここから、ハイエルフの居場所まで繋がるゲートを開くよ」

「そんな簡単に開くのか?」

キュウスケは困ったような顔をして、智史を見上げた。

「ねえ、智史。君の力を借りてもいい?僕だけの力じゃとても無理なんだ」

「分かった。どうすればいい?」

「君の魂の力を借りる。智史、目を閉じて」

智史は言われた通り目を閉じる。ぐぐ、と引き寄せられるような力を感じ、智史はハッと目を開けた。目の前にドアが出現している。

「ここから行けるのか?」

「智史、行くよ!!」

キュウスケが走り出したのを見て、智史も慌てて追い掛けた。

✢✢✢

「章、素晴らしい力だ。お前は魔法少女として完璧な子だ」

僕は遺跡にいた虫を根こそぎ倒している。例の装置を探しながら遺跡の中を走り回っているのだ。
いくつかそれらしきものを破壊したけれど、虫の出現が止まないということは、まだ装置があるという事だ。

「はぁっ…はぁ…」

さすがに疲労を感じて、僕は立ち止まった。額からだらだらと汗が流れてくる。そうしている間にも虫たちがこちらに向かってくる。こいつらには、ハイエルフにも、絶対に負けない。僕は再び走り出した。
虫の一体を倒すと、他の虫がなだれ込むように現れる。正直に言ってキリがない。

「く…」

僕はその場に膝をついていた。どうしよう。僕、こいつらに負けるの?

「章!!!負けるな!!」

「智史くん?!」

「章!新しい武器をあげる!使って!」

キュウスケが投げてくれたのは、赤色の鞘に収まった短刀だった。僕がそれを鞘から引き抜くと刃がきらりと煌めく。なんだか力が回復した気がする。智史くん、見ててね。僕は虫に向かっていった。絶対に負けない。負けてたまるもんか。

✢✢✢

「章!!!章、大丈夫か?」

僕は疲れ果ててその場に倒れ込んでいた。虫という虫を薙ぎ払って、地下にあった装置と思しきものは全て破壊したのだ。

「智史くん」

智史くんが僕の身体を支えてくれている。それがすごく幸せだった。

「章、お前すげーよ。よくやったな」

智史くんの声に掠れを感じて、僕は彼の顔に視線を移した。涙がぽろっと僕の頬に垂れてくる。

「智史くん、泣いちゃやだ」

「だってお前、ボロボロじゃねーか」

そう、僕はボロボロだ。魔法少女の変身が解けてもボロボロだった。

「章は魔法少女としての力を使い切ってしまったんだね。やっと世界も救われたんだ」

キュウスケが言う。

「もう魔法少女は必要ないよね。虫はいないんだから」

「そうだね」

僕の言葉にキュウスケが頷く。

「章、智史、帰ろう。君たちの世界に」

僕たちは頷いていた。

✢✢✢

「章、お前軽いなぁ」

智史くんが僕をベッドに寝かせてくれた。重いよりはいいかなぁと僕は何も言わなかった。時計を見たら真夜中で、静かに智史くんの家に上がり込んだ。智史くんママはもう眠ってしまっているのか物音すらしない。僕たちの帰りが遅くなることは予め伝えておいたので、それがよかったのだろう。智史くんが急に服を脱ぎだしたので、僕は驚いた。そういえば浴衣はどうしたんだろう?

「智史くん、浴衣は?って、それ以上脱いじゃやだ」

「なんで脱いじゃやなんだ?」

僕は顔が熱くなってきて慌てて背けた。智史くんの身体は細い割に綺麗に筋肉が付いていて男らしくてカッコいいのだ。

「章も脱ぐか?俺の服…じゃでかいけど我慢しろ」

んー、と智史くんが考えて言う。智史くんが上半身裸になった。ひええ。

「ほら、章、お前も脱げよ」

「やだぁ!!」

智史くんにあっさりとブラウスを脱がされている。ボロボロ過ぎて、よく形を保っていたなと驚くレベルだ。

「章、お前さぁ、色白すぎね?」

「仕方ないでしょ!こちとら残念なチー牛なんだよ!」

もう自棄になって言ったら、智史くんが笑い出す。

「学生カーストなんて気にするなよ」

「智史くんはカースト上位だから当てにならないなぁ」

僕は言いながら服を着た。智史くんのTシャツは確かに大きいな。僕はそこでハッとなった。

(これが、彼シャツってやつ?)

そう思うとドキドキしてきてしまう。
とりあえず履いていたハーフパンツも脱ぎ捨てて、(こちらも同じくボロボロだった)智史くんのジャージを履いてみた。うん、丈は長いけど、折ってしまえばまずまずかな。

「章、相談がある」

急に智史くんが真顔でこんなことを言い出したので、僕は何事かと身構えた。

「夜食を食わないか?」

ズコッと一昔前のリアクションを取ってしまうところだった。僕ってエモい。

「う、うん。お腹空いたよね」

「だろ?」

行こう、と智史くんに手を引かれて僕たちは台所にいる。智史くんが棚の中をガサガサと探していた。勝手に食べて平気かな?

「あったあった」

智史くんが取り出したもの。それは袋麺だった。鼻歌を歌いながら智史くんはフライパンを取り出して適量の水をガスコンロで沸かし始めた。

「こいつにたまごを載せよう」

「わぁ背徳感あるね」

「だろ?炭酸のジュースもあるし」

「智史くん、なかなかに悪い子だねぇ」

「たまにはな」

ふふん、と威張ってる智史くん、可愛すぎる。お湯が沸いてグツグツ言い出した。そこに麺を投入する。智史くんが菜箸でぐるぐると柔らかくなった麺を掻き回した。粉末スープを入れると一気に美味しそうな匂いになる。智史くんがどんぶりにラーメンを山盛りに盛ってくれた。その上に生卵を載せてテーブルまで運ぶ。うん、メイドとして働くようになって、随分体が鍛えられた気がする。しばらく魔法少女業務もこなしていたし、僕の時代がようやく来たか?まぁそれは置いといて。

「いただきます」

僕たちは手を合わせて食べ始めた。ズルズル麺を啜って食べるのがこれまた美味い。

「熱々だね」

「ここに冷たいジュースをだな」

智史くんがキンキンに冷えた缶ジュースを呷る。

「くー、うめぇ!最高だな、おい」

「僕もやる!」

こうして背徳の夜は過ぎていった。


✢✢✢

「漣ー、客だぞー!」

今日は文化祭1日目だ。僕はメイド姿(フリルがたっぷりあしらわれたミニスカート)で配膳をしていた。お客と言われても一体誰のことか分からない。首を傾げながら向かうと、意外な人がそこにはいた。

「国王様?!」

彼の肩にはあのチンチラがいる。国王様の耳は普通の人間のものだった。ハイエルフは変装も出来るのだろうか。

「章、今日も麗しいな」

顎を掴まれて、くいと上を向かされる。

「なんでここに?」

「章、俺は喉が渇いた」

「…お席にご案内致します」

ここで事を荒立てても解決しない。僕は国王様を空いている席に案内した。

「メニューはこちらです」

「章、そうぷりぷりするな」

国王様にだけは言われたくない。国王様の発注はホットティーと特製パンケーキだった。オーダーを通しに家庭科室に向かう。調理班は今日、大忙しだ。文化祭前から当日の動きを予想して、何度か試食会も開いたけれど、その比ではないだろう。パンケーキが焼き上がって僕は熱い紅茶を淹れた。これはメイド喫茶でバイトを始めてから出来るようになった。バイト経験もなかなか侮れない。

「ご主人様、お待たせ致しました」

パンケーキとティーカップを机に置くと、国王様は嬉しそうに息を吐いた。チンチラは肩の上で大人しく丸くなっている。国王様に気を許しているのを見て、なんだか複雑な気持ちになった。国王様はこう見えて、優しい人だ。それは僕にも分かってはいるのだけど。

「漣!こっちも手伝ってくれ!」

「分かった!ではご主人様、失礼致します」

国王様は満足そうに笑った。僕は他にやって来たお客様の相手もした。もう少ししたら休憩か。今日智史くんは文化祭の運営のお手伝いに行っている。きっと智史くんのことだ。あれこれやらされているに違いない。

「章」

ふと呼ばれて振り返ると、国王様がいた。どうやら食べ終わったらしい。

「屋敷でこれを探していたのか?」

「あ!」

国王様が差し出してくれたのは浴衣と帯だった。慌てて確認すると綺麗なままだった。どちらも買えば、なかなかいい値段がする。やっと智史くんママに返せると僕はホッとした。

「国王様、僕もう少しで休憩なんです」

なんでこんなことを言ってしまったのか僕にも分からない。いや、少しでも国王様を理解したかったのかもしれない。ハイエルフはプライドが高いと、よくライトノベルでは書かれているけれど、国王様はなんだか違う気がしていた。

「章、つまり俺とデートがしたいと」

「…デートではないです。メイド業務の一環で校内のご案内をするだけです」

「デートじゃないのか」

明らかに国王様がしょんぼりする。僕が好きなのは変わらず智史くんだし、国王様も分かってやっている節がある。

「少々お待ち頂けますか?」

「構わない。俺には時間があるからな」

国王様が普段、どんなお仕事をしているか知らない。それも聞いてみようと僕は頭の片隅にメモった。しばらくして交代の時間がやってくる。
僕は国王様の元へ走った。

「美味いか?」

国王様はチンチラにご飯をあげているところだった。かりかりとチンチラがクッキーを器用に両手で持って食べている。

「章、来たか。どうも腹が減ったらしくてな」

チンチラの頭を国王様が優しく撫でている。それが気持ちいいのかチンチラは目を細めた。

「名前は付けたんですか?」

一応尋ねると、いや、と国王様は首を振る。

「この子を亡くした時悲しいからな」

やっぱり国王様は違う。僕はそう確信していた。

「国王様、なんであなたはここに?」

「場所を変えよう、章」

国王様に手を握られて引っ張られる。大きい手だ。

「俺があの屋敷にいたのは、ハイエルフ以外の種族を全て根絶やしにするためだった。ラミアンは今も俺がそう思っていると考えているだろう。だがそれは違う。章を見て余計に思った。自分の命を省みず、他の者の為に生きてみたいとな」

ラミアンさんは国王様の心変わりを知らないのか。僕は背筋が冷たくなってきていた。

「もし戦うとして、ラミアンさんは相当強いハイエルフなんじゃ?」

「あぁ、俺でも手こずるだろうな。だが今となっては負ける気がしない。だが、なるべくなら争いたくないのだ。命を奪うのが簡単だからこそ」

「国王様…」

「マレイヤと呼んでくれ」

「マレイヤ様はこれからどうするの?」

「俺はハイエルフの国に帰る。皆に訴え掛けるつもりだ。ハイエルフの時代はもう終わったのだと」

マレイヤ様とこうして話をするのが最期かもしれない。僕は怖くなって思わず震えてしまった。

「章、お前は俺のためにそうして震えてくれるのだな。愛している」

ぎゅっとマレイヤ様に抱き締められていた。

「章、また会えるのを楽しみにしている。智史に負けるつもりもないからな」

「はい、また」

「章、頼みを聞いてくれるか?」

マレイヤ様が肩で丸くなっていたチンチラを僕に手渡してきた。

「この子を預ける」

「預かるだけですからね」

死なないでと暗に言った言葉がマレイヤ様には通じたらしい。彼は笑った。

「帰った暁には世話をしてくれた分の謝礼を出そう」

「はい」

マレイヤ様はまた僕を抱き締めた。

「愛している。お前の気持ちをこの俺が必ず揺らしてみせる」

僕は言葉を返せなかった。マレイヤ様の気持ちはもちろん嬉しい。でも僕にとっての一番はやっぱり、智史くんなのだ。

「またな、章」

思わず追いかけようとして手で制された。これからマレイヤ様は戦いに行く。そして、僕にはもう戦う術がないのだ。マレイヤ様の姿はあっという間に見えなくなっていた。

「章!大丈夫か?」

僕は声の主を見上げた。涙で視界が歪んでしまっている。

「章、なに泣いてるんだよ」

智史くんに頭を撫でられて僕は首を横に振った。

「大丈夫」

「ほら、昼飯まだだろ?」

「うん」

「そのちっこいの、どうしたんだ?」

智史くんが僕の肩をちらりと見た。

「うん、頼れる人から預かったんだよ」

「そうか。名前はあるのか?」

「まれ太だよ」

「可愛い名前だな」

僕はまれ太の頭を撫でた。

「そういえば、浴衣が見つかったの。後で返すね」

「母さんはお前にあげたんだからいいってさ」

「でも…」

「大丈夫だよ、章」

智史くんは優しいな。そしてマレイヤ様も。

✢✢✢

夜になっていた。僕はまれ太に新しい巣箱を作って上げた。まれ太はすぐに新しい住処に慣れたらしい。落ち着いた様子で、かりかりと後ろ足で器用に耳を掻いている。

「マレイヤ様…」

「気になるの?章?」

当然のようにキュウスケは現れる。

「マレイヤ様が心配なの」

「章の気持ちは分かるけど、君はもう魔法少女にはなれない。君の願いももう叶えたしね」

「え?」

「お祭りの時、智史は一度死んでしまっている。君の願いが智史を存命させたんだ」

「智史くんが?」

僕は驚いた。ガツンと頭を殴られたような衝撃があった。

「君がハイエルフに攫われた時のこと、覚えてる?」

確かにあの時、智史くんは倒れた。まさか死んでいたなんて。

「章、ハイエルフは虫を作って、いくつもの星を壊したんだよ。マレイヤを助ける理由は章にはないと思うのだけど」

「…僕にも分からないんだ」

「章…」

ブブと急にスマホが鳴り出して、僕は驚いた。誰だろうと思ったらキングさんからだった。慌てて電話に出る。

「キングさん?無事なんですか?」

「やぁ、章」

ブツッブツッと何度も雑音が走る。僕はスマホを耳に当て直した。

「キングさん、聞こえてますか?!」

「あぁ、聞こえているよ。研究所がハイエルフの襲撃に遭ったけれど、なんとか体勢を立て直した所さ」

僕はホッと息を吐いた。キングさんに今まで起こったことをかいつまみながら話す。

「そうか、ハイエルフの国の地下遺跡に虫を作り出す装置がね」

「僕、装置を全部壊したよ。だから虫はもう出てこない。でもマレイヤ様が…」

「それは、ハイエルフに協力する…ということかな?」

「マレイヤ様は優しい人なんです。だから!」

「章、落ち着いて」

キングさんに言われて、僕は深呼吸をした。

「章、君は魔法少女として、もう戦えないんだろう?」

「…はい」

キングさんに諭すように言われて僕はただ頷くことしか出来なかった。

「そのマレイヤというハイエルフの力に君はなりたい。そういうことかな」

「はい」

だんだん情けなくなってきて僕は弱々しく返事をした。

「分かった。君にはいろいろ手伝ってもらったしね。僕たちの出来る範囲で協力しよう」

「え?本当ですか?」

「あまり期待はしないで欲しい。君を魔法少女に至らしめたキュウスケのような力を僕たちは持ち合わせていない。ただ出来る限り善処しよう」

「ありがとうございます」

通話を切ると、キュウスケが不安そうに僕を見上げていた。

「章、本当にハイエルフの国に行くつもりなの?僕は君のサポーターだ。君を危険な目に遭わせたくない」

「キュウスケ、ありがとう。僕にもどうなるか分からないけど、やってみたいんだ」

コンコンと部屋のドアをノックされた。

「章、智史くんよ。お母さん、飲み物持ってくるわね」

智史くん?!僕は立ち上がった。

「どうぞ」

智史くんが部屋に入ってくる。その表情は真剣だった。

「智史くん…」

「章、お前、危ないことしようとしてないか?」

「うん、しようとしてる」

僕は正直に言った。智史くんに嘘を吐くのは嫌だった。

「なら俺も行く。お前の傍にいたいんだ」

「智史くん…でも…」

智史くんにぎゅっと抱き締められていた。胸に顔を埋めると頭を撫でられる。至近距離に智史くんの顔がある。顔を上げたらキスされていた。

「ん…っふ…さ…としく…ふ…」

角度を変えられて何度もキスされる。なんか気持ちいい。

「章、好きだ」

智史くんの真剣な瞳に僕はたじろいだ。こんなに好きな人がこれから生きていくうちに現れるのだろうかという恐怖に。

「僕も大好きだよ、智史くん」

僕に出来るのは、目の前にいるこの人を全力で愛することだけだ。

「智史くん、必ず無事でここに帰ってくるよ」

「あぁ、そうだな。大丈夫、死ぬつもりなんてねえよ」

智史くんはもう、一回死んでしまっている。だから、僕が守らなくちゃ。

✢✢✢

真夜中、僕らはそっと家を抜け出した。キングさんから連絡があって、最寄り駅まで迎えに来てくれると申し出があったのだ。知らない間に雨が降っていたのか、むわんと湿った空気がこもっている。

「暑いなぁ」

「本当にね」

太陽はすっかり沈んでしまっているはずなのに、未だに昼間に感じていた熱気は健在で、僕は額から汗が噴き出すのを感じていた。智史くんも暑いのか、何度か汗を拭っている。もうすぐ駅だとなった時、小さくクラクションが鳴った。黒い高級車が停まっている。ドアが開く音がした。

「やぁ、来たね」

「キングさん!」

キングさんの頭には包帯が巻かれている。重傷だった事は間違いない。

「大丈夫なんですか?その怪我…」

「時折痛むくらいさ」

キングさんは何でもないように言う。

「さぁ、時間がない。行こうか」

「はい」

僕たちは車に乗り込んだ。車の中は涼しくて快適だ。窓から流れる景色を見つめていると、助手席のキングさんが口を開いた。

「章、ハイエルフの国がどこにあるのか、知っているかい?」

僕は考えてみた。

「えと、想像ですけど別次元…とかですか?」

「当たらずも遠からず。この世界の裏側さ」

「う…裏側?マジかよ…」

智史くんの気持ち、よく分かる。僕も驚いていた。

「そんなに傍にあったなんて」

「…僕たちが知らないことは意外と多い。そうだろう?キュウスケ」

キュウスケが僕の膝の上に現れる。どうやらずっと話を聞いていたらしい。

「そうだね。でも知らない方が良かったって思うんじゃないかな?」

キュウスケがつぶらな瞳で僕を見上げてくる。

「キュウスケ、何が言いたいの?」

なんだか怖い。

「君たちは合成獣なんだってね?しかもハイエルフが創り出したと」

キングさんの言葉にキュウスケは笑った。

「僕たちの正体にやっと気が付いたんだね。そうだよ。ハイエルフは初め、僕たちを使って他の種族を倒そうとした。でも僕たちはそれに逆らったんだ。ハイエルフが代わりに作り出したのが虫。僕たちはそんなハイエルフを赦せなかった」

その気持ち、分かるでしょ?とキュウスケが僕を見上げながら聞いてくる。僕はただ拳を握ることしか出来なかった。

「ねえ、章。本当にマレイヤの所に行くの?ハイエルフは命を軽んじる種族だ。マレイヤは違っても、それが他のハイエルフに通じるか…」

「やってみなきゃ分からないじゃねえか」

絞り出すように言ったのは智史くんだ。

「章がマレイヤってやつを信じるなら俺も信じたい」

「智史…」

「話はまとまったようだね」

キングさんが静かに言った。車が停車する。辺りは真っ暗だ。

「キュウスケ、君のゲートを作る力を貸してほしい。章、君にはこれを」

それは前まで僕が使っていたコンパクトによく似ていた。

「変身は出来ない。ただ君の力を少しだけ増幅できる。僕たちにはそれが精一杯だった」

「ありがとうございます。十分です」

車から降りると、山の中にいるようだった。さわさわと風が吹いて木々が揺れる音がする。

「キング、僕一人ではゲートを開けない…」

キュウスケが困ったように言う。

「どうすれば開ける?」

キュウスケは智史くんを見上げた。まさか。

「智史の力を借りればなんとか…。でも長時間は無理だよ。智史に負担がかかっちゃう」

「待って、キュウスケ。智史くんの力って…」

僕は慌てた。

「そうするしかなかったんだよ」

キュウスケが悲しげに言う。

「章、俺は構わないんだ。早くゲートを開いて行こう」

智史くんが言う。

「キュウスケ、智史くんに無理させたら許さないからね」

「気を付けるよ」

キュウスケが智史くんと手を繋ぐ。光が湧き出した。目の前に現れたのは紛れもなくゲートだ。
僕たちはその中に飛び込んだ。中に入ると浮遊しているような変な感覚だった。周りをキラキラした何かが飛び交っている。

「ゲートは持って3時間だよ。入口をハイエルフの王城に設定、緯度36.42」

キュウスケが数字を呟く中、僕たちは下へと落ちていった。

✢✢✢

マレイヤは玉座に座り考えている。周りを取り囲むのは屈強な兵士たちだ。各々が鋭く尖る槍を持ち、隙なく立っている。

(ふむ…ラミアンの指示か)

マレイヤの側近、ラミアンはマレイヤの動きに不信感を抱いたらしい。こうして自分を見張らせ、動きを見ようとのことだろう。だが、マレイヤには策があった。

(ラミアン、お前は俺にどこまでも甘いな)

マレイヤは魔力を一気に噴出させた。兵士たちが気を失う。命に支障はないが、しばらく意識を取り戻さないだろう。マレイヤは静かに行動を始めた。ハイエルフという種族は自らを一番の種族だと誇っている。だが、それは誤りだとマレイヤは気が付いた。章に出会ったからだ。

(章にまた会えるよう動かなくてはな)

マレイヤは王族にしか伝えられない隠し通路に入った。ラミアンすら知らない通路である。その通路は、王城の裏手にある森に出るのだ。所々に蜘蛛の巣が張っているので、それを掻き分けながら進んだ。向こう側に光が見える。マレイヤはそこで気配に気が付いた。

✢✢✢

「わぁぁ!!!」

僕たちは地面に投げ出されていた。

「章、大丈夫か?」

「わ、智史くん!ごめんね!」

僕は智史くんの上に覆いかぶさっていたので、慌てて起き上がった。

「いや、俺なら大丈夫だけど」

智史くんがポリ、と頭を掻いた。

「キュウスケ、ここは?」

キングさんが隙なく辺りを見渡す。

「王城裏の森だよ。ちょっと遠い所に設定し過ぎちゃった」

てへっとキュウスケが舌を出す。

「章…」

僕は声にハッとなった。慌てて振り向くと、マレイヤ様がいた。本物だ。

「マレイヤ様!!良かった!!」

「何故ここに?」

「それはこちらの台詞だよ。ハイエルフの王」

キングさんはどこまでも冷静だった。マレイヤ様がそうだなと呟いて、事の顛末を話し始めた。
どうやらマレイヤ様に不信感を抱いた部下が現れたそうだ。確か、ラミアンさんだっけ。鋭い人だ。マレイヤ様はそこから逃げてきたそうだ。きっと今、お城は大騒ぎだろう。

「王様、あんた、ここからどうするつもりなんだ?」

智史くんの言うことは最もだ。

「…血を血で洗うのは簡単だ。俺はそれをやめさせたい」

「それならマレイヤ様が王様でなくちゃ!」

僕がそう言うと、皆に見つめられた。

「お城をマレイヤ様のものにするんだ。そしたらマレイヤ様が王様だって皆認めるよ」

「なかなか荒療治だな、章」

マレイヤ様が噴き出す。

「ハイエルフたちは、他の種族を見下している。その考えをすぐに改めさせるのは難しいと思う。でも」

「でも?」

「出来ないことないと思う」

「あぁ!章の言う通りだ!やらなくちゃなにも変わらねえ!」

智史くんが同調してくれた。

「つまり城を制圧、国を支配。章、そういうことかな?」

キングさんの言葉に僕は頷いていた。

「革命は血が流れてなんぼって習ったけど、僕たちはそれを許さない」

「ふ、章はロマンチストだね」

キングさんが笑う。そう、僕たちがこれからするのはつまるところ、革命だ。ハイエルフの意識を変えるための。
森の中を歩いていると、だんだん日が暮れて来た。気温が下がったのか、風が冷たくなってきている。

「寒い…」

「今日はここで休んだ方がいいかもしれないね。火を熾そう」

キングさんがそう提案してきた。僕たちは日が完全に暮れる前に火を熾すために地面に落ちた乾いた木を探した。火は動物が怖がる。こんなところで、クマなんかに襲われたらたまったもんじゃないもんね。マレイヤ様が当たり前のように魔法で火を点けてくれた。

「あったかい」

僕は火に手を翳している。火の番をしていろ、と皆に言われたけどよかったのかな?パチパチと火がはぜている。まるでキャンプみたいだ。

「章、肉は好きか?」

「へ?」

振り返ると、マレイヤ様がうさぎの後ろ足を掴んでいる。多分死んでる。そうだ、僕たちが生きるには何かを犠牲にしなきゃいけない。

「お肉は好きだけど、うさぎは食べたことない」

「なら捌いて炙ろう。香草も見つけたからワタを取って、中に詰めて焼けば臭みもない」

マレイヤ様の生活能力高すぎない?

「章、果物見つけたぜ。名前は分からないけど多分食べられる。鳥が食ってたからな」

智史くんが沢山の紫の実を持って駆け寄ってくる。確かに甘い匂いが漂っている。

「リゴの実だ。炙って食べると甘みが増す」

「あんた、詳しいな」

「幼い頃、父に鉈一本持たされて、たったひとり山の中に放り出されてな」

僕たちはゾッとした。お父さん、スパルタ過ぎる。マレイヤ様は懐かしそうに目を細めた。

「あの時はちょうどクマの冬眠前の時期だった。あいつらが食料を求めて森の中をウロウロ歩き回っていてな。魔法を使うのを封じられていた俺は逃げて隠れた、だがそれも時間の問題だった…」

「それで、どうなったんですか?」

「もちろん倒した。そんなところで死ぬのは絶対に嫌だったからな」

「すごい…!」

マレイヤ様が僕の頭をポフポフ撫でる。

「お前は俺が守ろう」

「!!」

僕は智史くんに抱き寄せられていた。

「章に気安く触るな」

「俺に譲るつもりはない…と」

「あるわけないだろ!」

智史くんがこう言ってくれて僕は嬉しかった。智史くんの胸に顔を寄せたら抱き締められる。

「そろそろ焼けたようだよ」

キングさんが涼し気に言う。僕たちは急に恥ずかしくなってお互いに離れた。

「わ、美味しい」

うさぎの肉はどんなもんなんだろうとおそるおそる食べたら鶏肉に似ていた。香草の爽やかな香りがいい。リゴの実に齧り付くと、じゅわ、と果汁が溢れてくる。

「こっちも美味しい」

「章、肉はもっと要るか?」

「章、実も焼けたぞ」

「ふふ、章は美味しそうに食べるものね」

なんだか僕ばっかり食べてしまっていたようだ。

「皆も食べてね?」

そう言ったらもちろん、と返された。たらふく食べた僕は満腹感で幸せだった。野宿は初めてだけどなんだか楽しい。一人だったらとても出来なかったろうけど。火から少し離れて僕は横になった。暖かいし、空はよく晴れていて満天の星空が木々の間から見える。これから僕たちは革命を起こすわけだけど、それが嘘のように穏やかだった。

「章、明日にはハイエルフの国に入るね」

キュウスケが僕のそばでちょこん、と座っている。キュウスケは食べなくても大丈夫らしい。

「お城はどの辺りにあるの?まだ遠い?」

キュウスケは立ち上がってくうを叩いた。広がったのはハイエルフの国の地図だ。赤いポインターが地図には映し出されている。

「僕たちはこの赤いマーク。森を抜ければすぐ城だよ」

どうやら随分進んできていたらしい。明日は戦いが起こるのだろうか?怖くないと言ったら嘘になる。でも誰かがやらなくては始まらない。

「章、隣いいか?」

智史くんがやって来て僕はガバリと起き上がっていた。

「そんな緊張するなって。何もしないよ」

「だって…僕、寝相悪いし」

「へえ」

面白いことを聞いたと智史くんが笑った。

「章、疲れたろ?早く休もうな」

「うん」

僕は再び横になって目を閉じた。智史くんも横になったようだ。

「なんかさ、自分が戦うことになるなんて思わなかったよ」

智史くんが呟く。それは僕も同じだ。

「明日、勝とうな」

勝率は限りなく低いけど、僕たちに出来ることはやろうと思っている。

「あ、章。そういや、キングさんがこれをくれてさ」

智史くんの腕には大きな赤い石が嵌め込まれたブレスレットがある。

「なんか俺を守ってくれるって」

「僕も智史くんを守るから」

「ありがとうな、章」

僕はだんだんウトウトしてきた。緊張で眠れないかもなんて不要な心配だった。どうやら僕は思いのほか図太いらしい。

目を閉じるとあっさり眠りに落ちていた。

✢✢✢

ガササという茂みを掻き分ける音に僕は目を覚ました。クマかと思ったのだ。慌てて飛び起きると、大きな男の人がいた。肌は浅黒くて、上半身は裸。藍色の髪の毛は腰まである。そしてなによりも筋骨隆々とした人だった。その人は僕を見つめる。

「マレイヤはどこだ?」

まさか彼が喋るとは思わなくて、僕はすぐに返事が出来なかった。彼が僕を見つめてくる。どうやら困惑しているようだ。

「あ、えっと、そこで寝て…あれ?いない?」

僕は振り返ってマレイヤ様がいた場所を見た。どこに行っちゃったんだろう。僕が困っていると、その人は、その場に胡座をかいた。

「待たせてもらう」

「は…はい」

「ん…章?どうした?」

智史くんがようやく起きてきた。キングさんもだ。2人とも男の人を見てびっくりしたようだ。

「章、この方は?」

キングさんが尋ねてくる。

「俺はゴルブだ。マレイヤに話がある」

「話?」

智史くんの返答に、ゴルブさんは何も言わなかった。どうやら重大な話らしい。彼はなにもなかったように目を閉じてしまった。

「そのマレイヤはどこに行ったんだい?」

キングさんの質問は最もだ。でも僕にも見当がつかない。

「さっき見たら、いなくって」

「呼んだか?」

「ひゃあ!!」

僕の耳元で低音が響く。マレイヤ様だ。

「な、なにするんですか!!」

「章は可愛いな」

マレイヤ様が持っていたもの、それは食料だった。どうやら僕たちのために集めてきてくれたらしい。

「ゴルブ、久しいな」

ゴルブさんはマレイヤ様を見つめて溜め息を吐いた。

「少しは成長しているかと思ったが変わらないな、マレイヤ」

「俺は俺だ」

2人は一体、どういう関係なんだろう?マレイヤ様が消えていた火をあっさり点けてくれる。

「章、猪は食べたことがあるか?」

大きな肉の塊だなとは思っていたけど、まさか猪だったとは。

「初めて食べます」

「すぐに焼いてやる。ゴルブも食え」

「遠慮なく頂こう」

マレイヤ様が肉を削り出した木に刺して焼べた。
しばらくして肉からジュワジュワ汁が滴ってきた。いい匂いがする。

「そろそろだな」

ゴルブさんが肉に齧り付く。その一口がまた大きかった。

「お前たちも食べてみろ。美味いぞ」

マレイヤ様に言われて僕たちも肉を食べてみることにした。あむ、と頬張ると脂が出てくる。

「美味えな、これ」

智史くんはすっかり気に入ったらしい。ゴルブさんに負けないくらい食べていた。一通り食べ終わって、僕たちはお茶を飲みながら食休みをしている。

「で、話とはなんだ?ゴルブ」

マレイヤ様が笑う。あ。これ、知ってて聞いているやつだと僕はピンときたけど言わなかった。わざわざ話の腰を折る必要はない。

「マレイヤ、俺と森に住まないか?」

え?急にプロポーズ?僕が驚いて固まっていると、マレイヤ様は笑った。

「いいかもな、それでも」

え、いいんだ。

「だが、俺にはやるべきことがある。ハイエルフの意識改革だ」

「だから非力な人間を連れているのか。お前らしいといえばらしいか。ハイエルフの昨今の殺戮は異常だしな」

「ゴルブ、人間は思いのほか強いぞ」

「ほう…」

ゴルブさんが僕を見つめてくる。そして笑った。

「確かに、いい玩具にはなりそうだな」

「僕たちは玩具じゃありません!ちゃんと意志があるんですよ!」

思い切り言ってしまってから僕は口を押さえた。やばい、もしかして殺されちゃう?マレイヤ様がふ、と笑う。

「な、章は面白いだろう?」

「そうだな」

どうやら逆鱗には触れなかったらしい。ホッとしているのも束の間、マレイヤ様は火を消した。もうすぐ日が明ける。

「行くぞ」

僕たちは城に向けて出発した。ゴルブさんが先頭を歩き、マレイヤ様が一番後ろを歩く。

「章、ゴルブが怖くないのか?」

ふとマレイヤ様に尋ねられて、僕は考えた。

「マレイヤ様と同じくらい優しそうって思いました」

そう答えたら、マレイヤ様が笑い出す。

「そうか。それは嬉しいな」

しばらく歩くと眼下に街並みが見えてきた。あれがハイエルフの暮らす街か。どうやって下るんだろうと思っていたら、マレイヤ様が僕をひょい、と担ぐ。ゴルブさんは智史くんとキングさんを抱き上げた。

「ゴルブが来てくれて助かった」

そう言いながらマレイヤ様はたんっと跳んだのだ。随分な高さだったと思う。僕は怖くなって目を閉じたけど、思っていたような衝撃はなかった。

「章、大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」

マレイヤ様に手を引かれて、僕たちは地下に下りている。真っ暗かと思っていたらぼんやりとだけど、灯りが点いていた。

「若様」

声のした方を見ると、ラミアンさんがいた。僕たちの居場所がもうバレているなんて。

「どうか、城にお戻りください。革命などしても意味がありません」

「ラミアン、それはやってみなければ分からん。章、下がれ」

僕はコンパクトを手にしていた。

「下がれ」

僕は渋々言うことを聞いた。マレイヤ様が緑色の炎を手に浮かび上がらせる。

「ラミアンよ、お前は強い。だからこそ、ここで仕留めなければなるまい」

「負けるつもりはありません」

その瞬間2人はぶつかり合った。その凄まじさに僕は座り込むことしか出来なかった。

「章、大丈夫か?」

智史くんが腰の抜けた僕を抱き上げてくれた。ラミアンさんとマレイヤ様が戦っている。ただ見ていることしか出来ないなんて。

「ラミアンよ、やはりお前は強い。本気を出さねばならぬようだ」

「っ…は……」

このままじゃ、ラミアンさんが死んじゃう。僕は咄嗟に駆け出していた。智史くんの制止する声が響くけど僕は止まれなかった。

「駄目!!マレイヤ様!!」

「章?」

意識が朦朧としているラミアンさんの前で僕は両腕を広げた。

「マレイヤ様!殺しちゃ駄目だよ。ラミアンさんは大事なひとなんでしょ?」

「章…お前は本当に面白い奴…だ」

「マレイヤ!!!」

マレイヤ様も限界だったらしい。ゴルブさんが抱き留めている。2人の戦いはそれほどまでに凄まじかったんだ。

「章、応急処置しか僕らには出来ない。処置をしたとして2人が助かるかも分からない!!」

キングさんが苦々しく言う。

「大丈夫!、きっと大丈夫だよ!」

僕は必死にラミアンさんの怪我の手当をした。

「姫君…」

「ラミアンさん、意識が?!」

「あなたは何故私を?」

「分からないよ!そんなの!!誰かが死ぬのが嫌だったの!!それだけ!」

ふ、とラミアンさんが笑った。



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