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前編
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「僕と契約して、魔法少女になってよ」
そんなことを急に言われたら、あの有名魔法少女アニメを思い出すのはきっと僕だけじゃないはずだ。
名作だと言われている作品ではあるけれど、だからって同じ目には遭いたくない。絶対に。しかも僕は少女ではない。普通の高校生男子だ。なんでこうなった。
「えーと、僕では魔法少女にはなれないと思うんですが」
そう目の前にいる白いほわほわしたマスコットのような魔獣?に言ってみたら、彼は大丈夫と小さな手で自らの胸を叩いてみせた。
「君ならきっと世界を救える。僕の勘は当たるんだよ」
勘でそんなこと、言わないでいただきたい。
「えーと、とりあえず消費者センターの方に通報しますので、そちらの電話番号を教えていただけますか?」
「僕はクーリング・オフの対象ではないんだけど」
クーリング・オフの制度を知っているなんてなかなかやる魔獣だ。
「ね、お願い。魔法少女になってくれたら一つ、君の願い事を叶えてあげる」
出たー。そのパターン。絶対上手くいかなくて自暴自棄になって親友に八つ当たりするパターンだ。
それかどうしようもなくなって、最終的に概念になるパターンか。どちらにせよ、ろくでもない結末を迎えるわけで。
「君が心配していることは多分、起きないと思うけど」
魔獣が困ったように目をうるうるさせてくる。う、可愛い。でも僕は騙されないぞ。
動物の可愛い見た目が相手を油断させる武器であることくらい僕でも知っている。
「とにかく魔法少女にはならないから。だって僕は男だし」
「智史くん」
「っ・・・」
魔獣を見ると彼はにっこり笑った。
「大好きなんでしょ?告白したいって思ってるんでしょ?」
この魔獣、なんでそのことを知ってるんだ。そうだ、僕はれっきとしたゲイである。智史くんは僕の幼馴染でいつも僕に勉強を教えてくれる優しい人だ。僕はそんな智史くんが小さな頃から大好きだった。
「こ、告白くらい自分で」
「出来ないからズルズルここまで来てるんでしょ?」
「う…」
正直、返す言葉が見つからない。僕は意気地なしのヘタレの卑怯者だ。智史くんが素敵な人だとよく知っている。だからこそ今の関係を壊したくなくて僕は彼になかなか告白出来なかった。
「と、とにかくお前には関係ないだろ。僕は勉強で忙しいんだ」
「でも」
魔獣はまだなにか言いたげだ。僕は思わず魔獣を見つめた。
「智史くん、今学校の屋上に呼び出されて女の子に告白されてるみたいだけど」
なんだって?告白?僕は頭の中が真っ白になっていた。
「どうする?僕が告白の邪魔をする手助けをしてあげようか?」
この魔獣、どこまでも人の弱みにつけ込んでくるな。
「ほら、早くしないと智史くんが返事しちゃうよ」
く、くそ。
「お願い、力を貸して」
僕はぎゅっと拳を握って振り絞るように言った。
「はーい」
魔獣が小さな手を振り上げてくるんと円を描く。その瞬間、雷が鳴って雨が降り始めた。おいおい、こいつ天候を操れるのかよ。
「ほらほら智史くんに電話して。屋内でまた告白されないようにね」
魔獣のアフターケア侮れない。僕はスマホを取り出して智史くんに電話をかけた。彼はすぐに出てくれる。
「章?雷鳴ってるから外にいるなら家に入れよ」
智史くん優しすぎる。じゃなくて!
「あ、あのね智史くん。今日、お母さんがケーキを焼いてくれたの。僕の家で宿題しない?」
「ん、いいよ。すぐ行くわ」
よっし、告白回避。
僕は思わずガッツポーズをしていた。
「智史くんを迎えに行こうっと」
魔獣が僕の行く手を阻む。
「な、なんだよ」
「僕の力を使ったんだから魔法少女として、契約してもらうよ」
えええええ、やっぱりそうなるの?でもこいつのお陰で智史くんを取られなかったわけだしなあ。
「わかった。わかりました。魔法少女でもなんでもなってやるよ」
「わあ、さすが章。これからよろしくね。僕の名前はキュウスケ。君のサポートをするよ」
「ああ、はいはい」
キュウスケかあ。例のアイツを思い出すような名前だな。僕は一体、何と戦わせられるのか。それで死んだりしないよな?だんだん怖くなってきたぞ。戦った挙句、首チョンパとか勘弁してくれよ。僕はまだ青春を謳歌したいんだ。
「じゃあ、また必要になったら呼びに来るね!」
たんっとキュウスケが跳んだ瞬間、もういなくなっていた。不思議だなぁ。
僕は一度自宅に戻って傘を持って再び学校に向かった。智史くんの家は僕の家のお隣だ。小さな頃から僕はずっと智史くんのことが大好きだ。通学路を歩いていると智史くんが学校近くの駄菓子屋で雨宿りをしていた。良かった、会えた。
「智史くん、傘持ってきたよ」
「ありがとな、章」
二人で並んで帰る。話題はもうすぐ行われる中間考査についてだ。その後は文化祭。高校生になって初めてのイベントだ。でも三年間なんてあっという間だよなあ。
「今回のテスト範囲広いよなあ」
「うん。僕も驚いたよ。勉強、間に合うかなあ」
「大丈夫。俺がヤマ張ってやる」
智史くんのヤマ張りはかなり的中率が高い。授業や時折ある小テストなんかから傾向と対策を読み取るらしい。すごい。そんな他愛もないことを話していたら僕の家に到着している。中に入るとケーキの甘い香りがふわりと漂ってきた。
「あら、智史くん。濡れてるじゃない。章も。今タオル持ってくるわ」
お母さんが僕らの様子に気がついてタオルを持ってきてくれた。
「章、すぐ着替えなさい。智史くんもね」
「はーい」
僕は智史くんを連れて二階にある自室に向かった。着替えを取り出して智史くんに渡す。
「これ、綺麗だから」
智史くんが服を広げてしげしげと見つめている。どうしたんだろう?
「章にはこの服じゃ大きすぎないか?」
確かに僕は小柄な方だ。
「ゆ、ゆったりしてる服が好きなの!」
「ふーん」
智史くんがシャツを脱いでいる。僕はドキッとしてしまった。慌てて目を逸らす。
「どうした、章?お前も着替えろよ」
「う…うん…」
僕も自分のシャツのボタンを外し始めた。男にしては体がツルペタで恥ずかしい。お気に入りの黒いパーカーを着て、やっとホッとした。そんな時、コンコンとノックがある。
「章?ケーキとジュースで良かった?」
お母さんがわざわざ持ってきてくれたらしい。僕は受け取りに行った。
「ありがとう」
「夕飯ももしよかったらって智史くんに言っておいてね」
「はーい」
智史くんの家はお母さんとお父さんがすごく忙しい。2人ともやり手の弁護士さんなのだそうだ。智史くんも自然と弁護士になることを決めているらしい。そんな所もかっこいい。
「智史くん、ケーキ食べよ?」
「おう」
智史くんはフォークでケーキを切って口に放り込んだ。一口が大きいのが男らしくてかっこいいなと僕は思ってしまう。
「ん、美味いな」
「お母さんに言っておくよ。喜ぶから」
「あぁ、頼むぞ。章の母ちゃん、本当料理上手いもんな。今日は家にカップヌードルしかなくて」
章、これはチャンスだぞ!
「それなら夕飯も食べていきなよ。お母さん作ってくれるし」
「いいのか?毎回お世話になってるな」
「智史くんには僕もお世話になってるし」
そうか?と智史くんは首を傾げていた。それから2人でテスト勉強を始めた。僕は数学と英語が致命的に苦手だ。うんうん唸っていると、横から智史くんが教えてくれる。
「数学の応用問題はとにかく慣れだからなぁ。あ、この問題集貸してやる。解いてみろよ」
「いいの?智史くんは困らない?」
「俺はそれ3周はしてるからなあ。問題、忘れた頃に返してくれると有り難い」
「え、この分厚い問題集を3周もしたの?」
僕が驚いて尋ねると、まぁなと笑われた。
「俺はどっちかっていうとガリ勉だしな」
そんなことない。智史くんはイケメンだし、優しいから男女問わず人気がある。だから今日だって告白されていたわけで。僕はハッとなった。
「あ、あの、今日の放課後、学校の屋上に行かなかった?」
「あー、行ったよ。よく知ってるな。なんか相談したいことがあるからって」
智史くんいくらなんでもチョロすぎない?高校生の相談って言ったら、だいたい恋の相談だし、屋上といえば定番の告白スポットじゃないか。
「でも急に雷が鳴り始めたから中に入ったんだ。そしたらお前が電話くれてそのまま帰ってきた」
良かったと僕は胸を撫で下ろした。でも相手の女の子だって、他の手段で告白してくるだろう。なんで僕は男なんだ。でも女の子だったとしても告白できたかって言われると自信ないんだよなぁ。
「ほら、勉強しようぜ。これから文化祭の準備もするんだし、赤点取って補講なんて嫌だろ?」
「うん、頑張る」
それからは集中して問題を解き続けた。何問か解いている内に、応用問題にも慣れてきて、自力で解くことが出来た。
「やった!正解だ!」
「よくやったな。この調子で頑張れ」
智史くんは僕をすぐ褒めてくれる。しばらくしたら夕飯だと呼ばれた。匂いからして、ハッシュドビーフだ。お母さんの作るハッシュドビーフはお肉が口の中でとろける。
「2人ともお腹空いたでしょ?ケーキ小さかったわよね。いっぱい作ったから沢山食べてね」
「ありがとう、お母さん」
ケーキは決して小さくなかったけど、僕たちは(少なくとも僕は)お腹がペコペコだった。
食卓に着くと、大盛りのハッシュドビーフがどん、と置かれている。僕たちはいただきますをして食べ始めた。
「あのね、智史くん」
「んー?」
「僕、今度からメイド喫茶でバイトするの」
「メイド喫茶ってあの?」
「そう。メイドさんのカッコして接客するんだよ。良かったら智史くんも遊びに来てね」
「章は可愛いけど腕っぷし強いからなぁ。客に手が出ないように気を付けろよ?」
「それは、時と場合によるかな?」
「確かにな」
智史くんが噴き出している。
「まぁ気を付けてな。また行かせてもらう」
「わぁ、ありがとう!」
それから僕は智史くんの家の前まで一緒に行った。
「章、おやすみ。また明日」
ぽんぽんと頭を撫でられて僕は嬉しくなった。それは僕が智史くんを好きな証拠だ。
「おやすみなさい、智史くん」
智史くんが家に入っていく。好きだなぁ、これから僕はどうしたら良いんだろう。
「あの子が欲しいんでしょ?」
声のした方を見るとキュウスケだった。
「欲しいって…智史くんは物じゃないんだよ?」
「でも僕の力なら可能だよ?」
むむ、キュウスケとは分かり合えないのか?さすが魔獣。考え方が人間とは違うのか。
「僕は智史くんと仲良しでいられたらそれでいいの!」
「でもあの子をオカズにして抜いてるよね?」
僕はボッと顔が熱くなった。なんで知ってるの?いくらなんでも、プライバシー侵害じゃない?
「章、待っているだけじゃ恋は実らないんだよ」
「く…」
魔獣のくせに生意気な。キュウスケの長い耳がぴんと張り詰める。
「大変!敵が現れたよ!章、変身して!」
「へ、変身?!」
僕がキュウスケに聞き返すと、目の前に女の子が好きそうなコンパクトが現れた。もうこうなったらやるしかない。僕はコンパクトに触れた。それからは魔法少女らしい変身シーンを思い浮かべていただけると有り難い。
「え。変身してる?」
僕は自分の体の変化に気が付いていた。水色の派手なコスチュームだなぁ。キュウスケが頷く。
「君は魔法少女ぴゅあ・あくあになったんだ!さあ、敵を倒して!」
「えぇ!?」
敵と言われましても。僕はずぅん、という重たい地響きを感じた。は?まさかだよね?僕はそちらに向かって走った。向こうになんか、黒いでっかいてかてかしたのがいる。あれ、もしかしてGじゃない?そう思ったら体の力が抜けた。そのままその場にへたり込む。この僕がGを倒すなんて。しかもあーんなでっかいのを?
「ほら、あくあ!早くやっつけてよ!」
キュウスケは後でげんこつ確定だ。でもやるしかない。僕は震える足をなんとか励まして立ち上がった。でも、何か武器がなくちゃGには触れない。
「ぴゅあ・あくあ、武器が欲しいの?」
「うん」
僕の右手にハリセンが装備された。
「叩くならやっぱりこれだよね!」
うーん、正直心許ないけど、ないよりはマシか。
「ありがとう、キュウスケ」
僕は跳んだ。軽く地面を蹴っただけなのに10メートル位跳べる。さすが魔法少女というべきか。いや、それ魔法少女か?
「ていやっ!」
ばしんっ!と僕はGの頭をハリセンで叩いた。Gがその場にひっくり返って足をじたばたしている。ひぃい。気持ち悪い。もう一回ハリセンで殴るとGは消滅していた。よし、やっつけた。
「やったね!ぴゅあ・あくあ!」
キュウスケがぴょんっと僕の肩の上に飛び乗ってくる。
「キュウスケ、敵がGだなんて聞いてないんだけど?」
「あー、うーんと情報の行き違いかな?」
キュウスケが視線を泳がせる。絶対知ってたな。
「またあんなやつが出てくるわけ?」
「うん。僕のいた星もあいつらに食われたんだ」
「…そうだったんだ」
それはちょっと可哀想かも。キュウスケが言う。
「でも僕のいた星の人たちは皆無事だったよ!コロニーに避難したからね」
「キュウスケの星は、地球より科学が発達してるんだね」
「そう。だから僕はここにいるんだ。これ以上犠牲者を出さないようにね」
なんだ、意外と良い奴じゃんキュウスケ。
「ぴゅあ・あくあ、これからもよろしくね」
「うん、こちらこそ」
僕の変身はいつの間にか解けていた。キュウスケも姿を消している。とりあえず帰らなくちゃ。
「章!!」
向こうから走ってきたのは智史くんだった。
「あ、智史くん」
呑気に手を振っていたらいつの間にか彼の腕の中にいた。え、なにこのシチュエーション?
「変なのが暴れてるって聞いて、心配になった。
お前、電話出なかったから外にいるのかもって」
僕の鼓動がうるさいくらい鳴っている。智史くんにぎゅってしてもらえるなんて嬉しい。
「し、心配かけてごめんね」
「いや、俺こそごめんな。なんか抱き締めちまったし」
智史くんの照れてる顔、120点です。
「ぼ、僕は嬉しかったよ」
「章」
こんな時じゃなきゃなかなか本音は話せないよな。
「さ、智史くんにならもっとぎゅってして欲しい」
そう言ったら智史くんの顔が真っ赤になった。
「そんな可愛いこと言うな。お前、俺は男なんだぞ?」
「え?知ってますけど?」
「そういうことじゃなくて…」
はぁあと智史くんが溜息を吐いている。僕にはなんのことだかさっぱり分からなかった。
「章、とりあえず帰るぞ。明日も学校なんだし」
「うん」
ん、と智史くんに手を差しだされて、僕は嬉しくなって握った。そのまま引っ張られる。ずっとこの時間が続けばいいのになーと思っていたのに終わりはすぐやって来た。もう家が見える。あっという間だった。
「章、おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
僕たちはもう一度手を振り合って別れた。
✢✢✢
「つ…疲れた…」
テスト最終日。僕は机に突っ伏した。やっと最後の科目が終わった。今日はこれから、メイド喫茶のバイト初日だ。ついにこの僕もメイドさんデビューが出来る。
「章、お疲れ。これからバイトだろ?」
「お疲れ様、智史くん。うん、そうなんだ」
智史くんが声を掛けてくれる。あれから女子に告白されたという話は聞いてない。諦めてくれたのかなぁ?いや、そんな簡単な話じゃないだろう。僕だって負けていられない。
「バイト終わったら打ち上げしないか?」
「打ち上げ?」
「やっとテスト終わったし」
なるほど!それは打ち上げ大事だ。
「うん、する!」
「バイト終わったら連絡くれ。何か食うもん用意しとくわ」
「楽しみ」
嬉しくて笑っていたら一瞬だったけど頭を撫でられた。最近智史くんに触られることが多いような気がする。
「じゃあ、そろそろバイト行くね!」
「気を付けてな」
智史くんに手を振って、僕は学校の最寄り駅に向かった。僕が働くことになったメイド喫茶は社長さんもメイドさんという凝りようだ。面接の時にすごく優しく話を聞いてもらって、ここでなら大丈夫かもしれないと僕はなんとなく確信したのだ。
昼を少し過ぎた頃だったので、駅にはそんなに人はいなかった。電車に乗り込むと、すでに冷房が効いている。今年の夏も暑くなりそうだし、すでに暑くなる予兆も出てきている。なんていったって、30度近くの気温をもう叩き出しているからなぁ。暑くならないと思う方が不思議なくらいだ。
30分、僕は電車に揺られた。駅の改札を抜けてしばらく歩くと、僕のバイト先がある。
名前は「ぴゅあーず」といった。僕も「ぴゅあ・あくあ」に変身出来るのだし、何か縁があったんだろう。恐る恐る裏側から店に入ると、すぐに社長さんである姫華さんがやってきた。姫華さんは金髪メイドさんだ。話を聞くに男性らしいけど、どう見ても可愛らしいお嬢さんに見える。
「あ、章くん。よく来てくれましたね」
「あ、あの!よろしくお願いします!」
バッと頭を下げると姫華さんはくすくす笑っている。
「僕のお店に僕以外の男の娘メイドさんが来てくれるなんて思いませんでした。なにか嫌なことがあったらすぐに言ってくださいね」
やっぱり姫華さんは優しい。それから簡単な手続きがあるからと奥に通された。
「章くんはまだ未成年なので、保護者様のサインをもらってきてくださいね」
「はい。えーと、メイド服ってどんな感じなんですか?」
「やっぱり気になりますよね?」
「はい、とても!」
僕が前のめりで答えると、姫華さんがクスクス笑っている。そんなにおかしいこと言ったかな?
「章くんのメイド服はこれです」
姫華さんは立ち上がって袋に入った衣装を渡してくれた。それは、黒を基調としたシンプルなメイド服だ。
「か、可愛い」
「章くんは顔立ちに華がありますから、ウィッグと化粧でかなり化けると思いますよ」
「おぉ」
僕の反応に姫華さんはまた笑っている。
「テストも終わったんですよね?これから文化祭?」
「はい。放課後にちょっと準備があったりします」
「なら土日出勤はどうですか?」
「やります!」
姫華さんは僕の返事に頷いてくれた。
「章くん、メイドの仕事はご主人様やお嬢様と距離がとても近いです。嫌だなって少しでも思ったらすぐに僕に言ってくださいね」
「でもお客様なのに」
「僕にとって働いてくださっているメイドさんは大事な商品なんです。お客様といえど、不用意に商品を傷付けられるのは経営者として見過ごせませんから」
な、なるほど。
「姫華さん、さすが社長ですね!」
「僕が言っていることは当たり前のことなんですよ」
ニコニコしながら姫華さんは言った。美人で優しいなんて最強だ。週末出勤する、ということが明確に決まって、僕は店を後にした。そういえば打ち上げをするって智史くんと約束していた。道の端でスマホを見ようとした瞬間、どぉん、という大きな音が聞こえた。
「章!敵が現れたよ!」
キュウスケが慌てた様子で現れる。また虫か。僕は基本、虫が苦手だからなぁ。とりあえず変身しなくちゃ。僕は空に浮いていたコンパクトを掴んで開いた。キラキラとしたエフェクトがかかる。僕は変身していた。
「ぴゅあ・あくあ!行こう!早く!!」
言われなくても。
僕は全速力で走った。現場にたどり着いてみると、巨大なタガメがクレーン車に寄りかかろうとしている。なんでまた。虫の考えることはよく分からないな。よく見ると、タガメがクレーン車をばりばり食べている。その周りにいた人は逃げ出していた。僕はそういうわけには行かない。
「キュウスケ!ハリセン頂戴!」
「了解」
僕の右手にハリセンが現れる。とりあえずしばいておくか。僕は跳んだ。タガメを殴ると悲鳴を上げる。よし、もう一撃か?
「お嬢さん」
急に声を掛けられて僕は驚いて後ろに跳んだ。誰だろう?
そこにいたのはイケメンの金髪の男の子だ。赤いマントを羽織っている。
「誰?一般人なら早く逃げて。あいつを倒すから」
いつの間にか男の子が僕のそばにいる。全然気配がなかった。
「お嬢さん、僕は君に協力できる」
「協力?」
「あの虫の残骸をサンプルとして採りたいんだ」
「それは構わないですけど」
タガメが悲鳴を上げながらジタバタしている。すでに瀕死状態なんだろう。
「今ならサンプルが採れますよ。僕が採ってきましょうか?」
「頼んでも?」
「はい」
僕は男の子からナイフを借りた。これで足の毛を切り取るということらしい。
僕は再び跳んでいた。
***
「どうぞ」
「あ、頂きます」
元の姿に戻った僕は今、先程の男の子の家に招かれていた。大きな屋敷で場違い感がすごい。
「えーと、あなたは?」
「僕のことはキングと呼んでほしい」
「はあ。キングさんは何者なんですか?」
「僕はしがない研究員さ。あの巨大化した虫たちは銀河を巡り、ありとあらゆる星を食いつぶしている」
「ええ?」
「僕の所属する研究グループはあの虫からサンプルを採り、奴らを滅する方法を探っている」
「キングさん、すごい人なんですねえ。僕より小さいのに」
「年齢なんて関係ないさ。章といったね?君の力を今後も貸して欲しい」
「はあ」
僕はそこで思い出した。智史くんと打ち上げをするんだった。僕は慌てて立ち上がった。
「あ、あの!僕、約束があって」
「ああ。時間を取らせてすまなかったね。また詳しい話は後日にしようか」
キングさんと連絡先を交換した僕は脇目も振らず駅に向かった。なんとか電車に乗り込んで智史くんにメッセージを送る。
「お疲れ。用意できてるから気をつけてこいよ」
智史くん優しい。僕はホッと息を吐いたのだった。
***
家に帰ってきた僕は、学校の制服から私服に着替えて智史くんの家に向かった。
「お邪魔します」
久しぶりに智史くんの部屋に入るかも。智史くんの部屋は僕の部屋と違って漫画なんて置いていない。しかもめちゃくちゃ綺麗に片付いている。
「智史くんの部屋っていつも綺麗」
「ん?そうか?今、飲み物持ってくるな」
「ありがとう」
僕はローテーブルの前に置かれているビーズクッションの上に座った。これは人を駄目にするクッションらしい。分かる気がする。つい、触り続けちゃうもんな。しばらくすると、智史くんがお盆に色々載せて現れた。
「ジュースでいいよな?お菓子もこれでいいか分からなかったけど」
「嬉しい。あ、半分僕もお金払うよ」
「いいって。俺がやりたいって言ったんだから」
「ありがとう」
智史くんはやっぱり優しいなあ。
「乾杯しようぜ。次は文化祭の準備だけど」
「うん、楽しい文化祭になるといいねえ」
グラスにジュースを注いでカツンとグラス同士をぶつけた。飲んでみると炭酸が弾けて美味しい。
「わああ、美味しい。やっぱりテストの後はジュースに限りますな」
「お前、成人したら酒でも同じこと言いそうだな」
智史くんが噴き出している。かっこいいなと僕は思ってドキドキしていた。これがときめきかあなんて納得してしまう。
「で、バイトはどうだったんだ?」
あ、やっぱり気になるよね。僕は姫華さんのことを話した。
「いい上司さんで良かったな。お前のことだから上手くやるんだろうけど。まあ程々に頑張れよ」
「ありがとう、智史くん」
思わず大好きって言いそうになって僕は堪えた。
「今日はお母さんたち帰って来るの?」
智史くんが笑う。
「ああ、久しぶりに家族で飯食いに行こうって」
「良かった。また家にも遊びに来てね。あ、そうそう。僕、面白い漫画を持ってきたの。智史くんに布教しようと思って」
「へえ」
僕は持ってきたリュックサックから漫画の単行本を取り出した。一巻を智史くんに渡す。
「へえ、料理漫画か。今流行ってるよな」
「うん、脳みそが空っぽになって、気分転換にちょうどいいよ」
智史くんがまた噴き出している。僕たちは漫画を読み始めた。
「ふあああ」
僕はあくびを堪えられずにした。
「章、眠たいのか?」
「うん、少しね。昨日テスト勉強足掻いたからなあ」
「そっか。緊張もしてたんだろうな」
「多分ね。でもこの漫画読み終えたい」
「いや、眠いなら寝ろよ」
「じゃあ15分だけね」
僕は智史くんのベッドに横にならせてもらった。シーツからいい匂いがする。僕はいつの間にかうつらうつらしていた。智史くんが僕を見つめている。それが夢なのか現実なのか、僕には分からなかった。
***
夜になり、僕は自室にいる。智史くんは言った通り15分きっかりに起こしてくれた。よく眠れたからなのか頭がスッキリして漫画を読み終えることが出来た。それから僕が持ってきたゲームで遊んだ。二人でいるとすごく楽しい。いつか智史くんとデートにも行きたいなあ。そのためには告白をしないとだけど。でも僕にそんな勇気はない。本当にキュウスケに頼るしか方法がないのかもしれない。
「智史くんにテレパシーが送れたらなあ」
「また無駄なこと言ってる」
キュウスケが呆れたような声で言う。
「いいじゃん、妄想くらい自由にさせてよ」
「妄想は現実にまずならないからね」
この魔獣。いちいち正論をぶつけて来やがって。でもキュウスケの言う通りだ。僕が行動しない限り、何も変わらない。
「章は変な所で弱気だねえ」
「仕方ないだろ、そういう性分なの」
ブブブと急にスマホが鳴り出した。誰かと思ったらキングさんだ。
「はい。章です」
「やあ、章。サンプルの解析が一区切り付いたから連絡しておこうと思ってね」
「なにかわかったんですか?」
「ああ。この虫たちは生物ではないことが判明したよ。人為的に作られた存在だったようだ」
「え?一体誰が作ってるんですか?」
「おそらく僕らと同じ研究者ではないかなと皆で予測を立てた」
「研究者・・」
そいつ、ろくでもないな。僕は思わず憤りを覚えた。
「そいつはどこに?」
「まだ捜索中だよ。章、君にはまだ虫のサンプルを採ってきて欲しい。頼んでもいいかな?」
「はい。承知しました」
とりあえず今日は眠ろうか。僕はそう思ってベッドに入った。さっきも寝たのになんだかくたくただ。目を閉じるとすぐに眠ってしまった。
「きら・・・章!」
「キュウスケ?」
僕が目を開けるとキュウスケが僕を呼んでいた。
「章!敵が現れたよ。早く!!」
「分かった」
僕はなんとか起き上がって現場に向かった。そこにいたのはG二体。おいおい。数が増えてるじゃないか。いつものようにハリセンを装備する。Gたちはボリボリと建物に齧りついていた。
「それ、食べ物じゃないよ!」
僕は跳んで、G一体の頭部をハリセンで思い切り叩いた。グギャとGが叫ぶ。うう、気持ち悪い。サンプルは血で良いだろうかと、僕はGの体にナイフを突き立てた。刺した感触がたまらなく気持ち悪い。でもコイツらを止めるためだ。
僕はもう一体のGも消滅させた。
「慣れてきたね」
キュウスケにそう言われて僕は困ってしまった。虫を駆逐することに慣れても将来に役立つとはとても思えない。いや、スズメバチハンターか?
絶対に嫌だけど。
「章」
「あ、キングさん」
「無事サンプルが採れたようだね。ありがとう」
「とんでもないです。僕に出来ることはそれくらいしか」
壊れた建物を直す力は僕にはない。
「いや、君がいることで一気に解析が進んでるんだ。本当にありがとう」
キングさんがふっと笑う。子供らしさとは随分かけ離れてるなあ。
「章は明日からバイトなんだよね?」
そういえばそうなのだった。
「早く帰って休んだほうがいい」
キングさんの言う通りだ。僕は頭を下げて自宅に帰った。
***
「ふああ、眠たい」
流石に深夜の戦闘は僕の体に効いたらしい。重たい体をずるずる動かして、僕は服に着替えた。
でもメイドさんにずっとなりたかったから楽しみな気持ちももちろんある。
朝ご飯をもりもり食べた僕はお母さんが作ってくれたお弁当と水筒をリュックに入れた。
「じゃあ行ってきます」
「気をつけてね」
「章!」
家から出ると智史くんに呼び止められた。
「智史くん、おはよう」
「おはよう。これからバイトか?」
「うん」
ぎゅっと抱きしめられて僕は驚いた。
「悪い、こうしたかった」
僕は顔が熱くなった。またぎゅってしてもらえるなんて嬉しい。
「智史くん、ありがとう」
「いや、俺こそ」
「じゃあ行ってきます」
「ああ」
僕はるんるんしながら最寄り駅に向かった。
***
「おはようございます」
そろっと裏口から入ると姫華さんが待っていてくれた。
「おはようございます、章くん。時間通りに来られて、偉いですね」
いきなり褒めてもらった。
「ではお着替えをしましょうか」
このメイド喫茶には更衣室が2つある。一つは、姫華さんが着替えるために作った部屋だと言っていた。
僕は当然ソチラに向かう。そこには名前の書かれた真新しいロッカーがあった。
「章くんのロッカーはここ。これが鍵」
僕はロッカーに荷物をしまってメイド服を着始めた。ウィッグは可愛らしいツインテールだった。
姫華さんに化粧を教わりながら自分でやってみる。そう思うと女の子って大変だな。
「さすが章くん。めちゃくちゃ可愛いですね」
鏡を見てみると僕じゃなくてびっくりした。
「では厨房とホールの方も見に行きましょう」
姫華さんに連れられて僕は店の表の方に向かった。
そこには数人のメイドさんがすでに開店準備をしている。姫華さんが来たことに気がついたのかメイドさんが集まってくる。姫華さんは僕を手で示した。
「おはようございます。皆さん、こちらは今日から配属する章くんです。バイトをするのが初めてなので皆さんで優しく教えてあげてくださいね」
はいとメイドさんたちが各々返事をしてくれる。
姫華さんに自己紹介をと言われて、僕は挨拶をした。
「漣章って言います。よろしくお願いします」
「お前のこと、章って呼んでいいか?」
メイドさんの一人にそう声を掛けられた。
「はい」
「今日のお前はお客様の水を注ぐ係な。テーブルの番号と配置を覚えろ。いいな?」
「は、はい」
僕はドキドキしながら頷いた。メイド喫茶ってもっとふんわりしたところを想像していたけれど、こういうところはしっかりお店だ。姫華さんがニコニコしながらその様子を見ている。
「そろそろ開店の時間ですね。章くん、皆、今日も頑張っていきましょう」
姫華さんの言葉に皆が頷く。お店は、チームプレイなんだと僕は気が付かされていた。
✢✢✢
メイドさん業務はなかなか大変だった。テーブルを回ってただ水を注いでいるだけでも色々なお客様に話しかけられる。
「君、見ない顔だね。新しい子?」
「はい。あくあっていいます」
「あくあちゃん、可愛いねー、いくつなの?」
「16です」
「高校生かぁ。俺、結構来るからさ、また話そうね」
「はい」
姫華さんからもお客様と沢山お話するようにと言われている。それだけでもリピーター率が違うらしい。
「あくあ、テーブルの片付けするぞ」
「はい!」
土曜日ということもあって、店は混んでいた。姫華さんもホールに出てオーダーをとっている。なんだか働いているって感じ、好きだなぁ。そんな事をしている内に退勤の時間になった。ずっとバタバタしていて、体はクタクタだ。
「お疲れ様、章くん。これ試作のクッキー。食べてみてくださいね」
姫華さんが差し出してきたクッキーは星型をしていた。
「美味しく出来るようになったらお土産として置こうかと思っていて」
「ありがとうございます。頂きます。では、お先に失礼致します」
「お疲れ様でした」
私服に着替えて、僕は電車に乗ってようやくホッとした。今日メモに取ったところを読んで1人振り返りをする。
(楽しかったなぁ)
初めてのバイトだから上手く行かなかったことももちろんある。でも周りの皆が優しくフォローしてくれて、僕は嬉しかった。智史くんにも話を聞いてもらいたい。そう思って僕はスマホを開いた。
「バイト終わった!」
そう送るとすぐに既読がつく。
「お疲れ。何したんだ?」
「水汲んだ!」
「注いだんじゃなくてか?www」
「そう、注いだ。テーブルの番号も覚えたんだよ」
「すごいな」
智史くんに褒めてもらえると本当に嬉しい。
「智史くんは何してたの?」
「勉強してた。アイス食った」
「アイスいいなぁー!」
それなら家に来いよと智史くんが誘ってくれる。いいのかな?でもせっかく誘ってもらったのだし、僕は行くことにした。
***
「章、練乳とソーダどっちにする?」
僕は智史くんの家にいる。
「えーと練乳かな?」
ん、と智史くんにアイスを手渡された。冷たくて美味しそうだ。水筒に入っていたお茶はとっくに終わってしまっている。姫華さんが休憩室の冷蔵庫に冷たい麦茶を作ってくれていた。自由に飲んでいいとのことで僕は遠慮なくもらった。今度マグカップを持ってきたらいいと言われている。
袋を開けてアイスに齧り付くと、ミルクが濃厚ですごく美味しい。乾いた体が潤うようだ。
「美味しい」
「暑かったもんな」
「うん。そうなの。熱中症気をつけなくちゃ」
「章」
ふと名前を呼ばれて僕は智史くんを見上げた。
「どうしたの?」
「いや、美味そうに食うなあって」
「だって美味しいもの。もしかして練乳食べたかった?」
僕は慌てた。家主の智史くんを差し置いてアイスを食べていいはずがない。
「いいんだよ。練乳アイスならまた買ってくる」
「そうなの?」
「ああ。とりあえず俺の部屋行くか?それともバイトで疲れてるだろうし帰るか?」
「僕、智史くんともっとお話したい」
そうはっきり言ったら智史くんが顔を赤らめた。最近の智史くんは特別僕を大事にしてくれる気がする。いや、前からそうだったけど。
智史くんの部屋に入ると、いつも通りだった。綺麗に片付いている。
「章、そういやお前、課題終わってるのか?」
課題?と僕は一瞬考えてあっとなった。数学の問題集をやっておくようにって言われてたんだ。難しくて嫌いなんだよなあ。
「やっぱり忘れてたか。持って来いよ。授業分からなかったって言ってたし」
智史くん神かな?僕は慌てて自宅に戻って学校のバッグを持ってきた。
「ここ、ここが良く分からなくて」
「ああ、そこか」
智史くんがマンツーマンで教えてくれるって贅沢だなあ。僕は彼の顔をぼーっとしながら見つめていた。
「聞いているのか?章」
智史くんが急に顔を覗き込んで来て僕は驚いた。そのはずみで後ろに倒れ込む。
「章!」
「あ」
僕たちは一瞬固まった。智史くんに押し倒されたような状況になっている。
「あ。わ、悪い。頭ぶつけなかったか?」
智史くんが体を引く。僕はドキドキしてしまって口をパクパクさせることしか出来なかった。
「章。本当にごめん」
いや、智史くんは何も悪くない。
「智史くん、謝らないで」
絞り出すように言ったら抱きしめられていた。智史くんの匂いに僕の体はカーっと熱くなってきてしまう。普通に考えたら、はしたないことなんだろうけど、僕には止められなかった。思わず、智史くんの首筋に顔を埋めると智史くんが頭を撫でてくれる。好きだなあ。これからもずっと好きでいるんだと思う。でも告白は出来そうになかった。こんなに近くにいるのに。いや、近くにいるからこそ出来ないんだろうか。
「章、クーラー付けるな。ごめん、気が付かなくて」
智史くんが慌ててるなんて珍しいな。僕はううんと首を横に振った。この家に来ると至れり尽くせり過ぎるくらいなのに。
「続きするか」
「もう残り一問だもん。すぐ終わるね」
「ああ」
僕が笑いかけると智史くんも笑ってくれた。
***
「てえいっ!たあっ!」
僕の日常に巨大な虫をハリセンでしばくというミッションが追加されて、早一週間が経過している。テストも返ってきて皆で問題を見直したり、長いHRで文化祭の実行委員も決まった。そう、委員は智史くんになったのだ。もう一人女子が選ばれたわけだけど、僕はあまり話したことがない。でもスクールカースト上位の子であることは間違いない。いつも化粧をして、髪の毛も明るい茶色に染めている。でもギャルというよりガーリーな感じだ。いわゆる清楚系といったところか。どうやら男子からかなり人気があるらしい。まあそうだよなと僕も思う。それくらいその子は可愛い。
(智史くんの好きなタイプじゃないといいんだけど)
僕はそれをそっと心から願っている。男である僕は女の子には絶対に敵わない。たとえ結ばれても子どもが出来るわけじゃないし。そこまで考えて僕は顔が熱くなってしまった。
(おいおい、高校生でそんな事するのは流石に早いでしょ)
でも進んでいる子がいるのは確かだ。コンドームを財布に忍ばせるDQNもいるわけで。
いやあ、僕みたいなチー牛には縁遠い話だな。はっはっは。
「あくあ!あと一体だよ!」
「分かってる!」
キュウスケの必死な声に僕も頑張ろうと思う。はじめこそ生意気な魔獣だと思ったけど、僕みたいな捻くれ者を動かすにはそうするしかないだろうと僕なりに分析していた。最後のGをハリセンでしばくと悲鳴を上げて姿を消した。いやあ、この街襲われ過ぎじゃない?ビルというビルは虫に食べられて機能不全に陥っている。街として機能しなくなったらいろいろ困る。さてどうしたものか。
「章、いいものが出来たんだ」
ふらっと現れたのはキングさんだ。本当に神出鬼没な人である。
「何が出来たんですか?」
「街を修復する機械」
なんだそれ。例の猫型ロボットが持ってるやつみたいな。それともあれかな?錬金術?
「簡単に言うと、周りの物質を少し増量して、破片部分を継ぎ足すものなんだ。軽度の損傷ならすぐ直せるよ」
「すごい」
キングさんの所属する研究グループの人たちは本当に優秀なんだろう。すごいなあ。
早速キングさんは機械を設置し始めた。やったことといえば、ただ機械を置いてスイッチを入れただけ。ええ、これ通販で売ったらめちゃくちゃ売れそう。安くしてぇーおねがぁーい、か?
ビルの方を見るとどんどん破損した部分が修復されていく。すごい。
「章、虫たちはコンクリートが原料みたいなんだ。だから自らの体にコンクリートや金属を取り込もうとする性質がある」
だからいつもビルやそばにある重機を食べようとするのか。
「魔法少女である君のことも調べたいと研究所の皆は言っているよ」
ナニソレ、僕、解剖されちゃうってことかしら?
僕の不安を察したのかキングさんが笑う。
「手荒なことはこの僕が許さないよ。こう見えて所長だからね」
キングさん、トップの人だった。すっご。あ、そういえば今日もサンプルを採っていた。
「キングさん、サンプルです」
それはGが口から吹き出した泡の一部だ。弱点さえ見つけてしまえば根絶やしに出来るということらしい。それと、そこから虫たちを作った人の痕跡も探せる。
「章、本当にありがとう。僕たちも総力を上げて痕跡を辿る。また何か分かったら報せる」
キングさんはそれだけ言うと行ってしまった。
「章、僕たちも帰ろう」
「うん。ねぇ、キュウスケ?智史くん告白されてないよね?」
「今のところはね。でも章のいるクラスは女の子のレベルが高いから」
やっぱりそうなんだ。
「章、前にも言ったけど待ってるだけじゃ恋は実らないよ?」
「じゃあどうすればいいのさ?」
キュウスケが笑う。
「デートに誘うのはどう?もうすぐ夏祭りがあるでしょう?」
確かにその案はいいかもしれない。とりあえずもう日が暮れるから帰ろう。
✢✢✢
「では文化祭の催しはメイド&執事喫茶で決定な」
智史くんが黒板に文字を書いていく。皆がそれにガヤガヤしている。今はクラスの文化祭の催しを決めている。あれこれ意見が出たけど、やはりお祭りは仮装したいという気持ちが強くなるらしい。僕は智史くんの隣りにいたもう一人の実行委員をじっと見ていた。名前を鈴屋さんというらしい。肌が白くて可愛らしい。今日もメイクをしているようだ。うーん、やっぱり勝てない。
「これから係を決めていくぞ。えーと、まずは衣装作りか。そうだな、さすがに全員分作るのは無理だからメイドと執事になるやつを先に決めるか。立候補でも推薦でもいいぞ」
智史くんが言うには女子が執事。男子がメイドということらしい。なるほど。
「漣、お前メイド喫茶で働いてるんだろ?」
隣の席にいる男子に声を掛けられて僕は戸惑った。
「でもまだ始めたばかりだし」
「漣は絶対にメイドやるべき。だって可愛いもん」
「漣くんのメイク、あたしがやるー」
ギャル系の女子が手を挙げる。
「えーとじゃあ、章はどうしたい?」
智史くんはちゃんと僕の気持ちを聞いてくれるんだ。僕はそれが嬉しくて頷いていた。
「いいよ。僕、やってみたい」
「なら一人は章で決定。他には?」
「鈴屋さんも可愛いから執事似合うんじゃね?顔立ちって大事だろ」
「え」
鈴屋さんはびっくりしたのか固まった。確かに彼女なら衣装が映えそうだ。
「どうする?鈴屋」
「分かった。私でいいならやってみる」
智史くんが黒板に僕と鈴屋さんの名前を書いていく。
「他にやりたいやつは?」
「いや、智史。お前もメイド確定だろ」
「はあ?」
結果的に智史くんもメイドをすることになった。それに続いて、会場の係と当日の調理を担当する班を決める。そして何より大事なのは衣装だ。こういう時、不思議なもので作れるっていう人が必ずいる。放課後になり、先に衣装の採寸を行うということになって、僕たちは家庭科室にいた。
「智史くんのメイドさん楽しみ」
僕が笑うと智史くんはむすうっとしている。
「俺の女装、需要ねえだろ」
「えーそうかな?なかなか美人さんになるんじゃない?」
「美人て…」
ずびしっ!と智史くんに脇腹に軽くチョップされて僕は笑った。くすぐったい。
「2人って仲良いのね?」
話しかけてきたのはもちろん鈴屋さんだ。
「こいつとは幼馴染なんだ」
智史くんが僕を示して言う。
「そうなの。なんかいいな」
羨ましそうな声音に僕はドキッとした。智史くんを取られちゃったら困る。僕は慌てて尋ねた。
「す、鈴屋さんだって仲良しのお友達いるんでしょう?」
「うーん、どうかな」
ふふ、と鈴屋さんがミステリアスに笑う。なんだかそれが僕には意外だった。鈴屋さんは清楚で真面目な女子っていうイメージだったのが壊れていく。採寸が鈴屋さんの番になった。彼女の気配が完全になくなるのを待って、僕は智史くんに聞いた。
「鈴屋さん、大丈夫かな?」
「女子のことは女子にしか分からねえよ」
確かにその通りかもしれない。採寸を終えると、もう18時を過ぎていた。
「ほら、章。帰るぞ」
「はーい」
家に帰るとすでに夕食の支度ができていた。智史くんも誘ったら、今日はお母さんがいるらしい。離れがたかったけどなんとか手を振って別れた。
(今日英語の課題出てたな)
僕は速やかに夕飯を食べて、英語の問題集を広げた。
「ねえ章?忘れてるでしょ?」
ぴょんっとキュウスケが机に飛び乗ってくる。僕はそこで気が付いた。智史くんを夏祭りデートに誘うという案を。
「や、やだなぁ。忘れてなんているわけないだろ。これから誘おうかなって思っていたんだよ」
「僕の力で智史をメロメロにすることも出来るけどね」
「それはなんか嫌」
キュウスケの力を借りるのは容易い。でもそれは智史くんの心を踏みにじることだ。僕は智史くんに心の底から僕を好きになってもらいたい。
「よし、誘うぞ」
僕はスマホを手に持った。その瞬間スマホが鳴り出して僕はびっくりした。智史くんからだ。
「はい、章です」
もしもしという言葉はマナー上、あまり推奨されないと聞いて僕はなるべく使わないようにしている。
「章、あのさ」
「何かあった?」
「いや、今度の日曜日、夏祭りあるだろ?一緒に行かね?」
ヒエッと僕は小さく叫んでしまった。
「なんか用事あるのか?」
「う、ううん。僕も今智史くんを誘おうと思ってて…」
電話しようとしてた、と照れながら言ったら智史くんが息を呑む気配がした。
「よかったよ、智史くんに先約がなくて」
「それは俺の台詞だ。バイトは大丈夫なのか?」
「うん、バイトは昼間だけ入るんだ」
「ならその日、店に行っていいか?」
「来てくれるの?」
「あぁ。じゃあまた明日な」
「うん、おやすみなさい」
通話を切って、僕は溜息を吐いた。嬉しすぎる。
「キュウスケ、もしかして何かした?」
一応キュウスケに確認すると否定される。
「僕の魔法を使えば、明日には結婚出来るよ。まあ地道に関係を積むのもありだとは思うけど」
「うーん、キュウスケはなにもしなくていいや」
「章の願いを叶える権利は残っているよ。何かないの?」
「虫たちを殲滅っていうのは駄目なの?」
「それは僕の対応出来る範囲を超えているから無理だね」
キュウスケの出来る範囲っていうのがそもそも分からない。僕はまあいいかと課題を再開したのだった。
***
「わあ」
僕はびっくりして思わず声を上げてしまった。体の大きなお兄さんがバイト先の更衣室にいたからだ。僕より少し年上かな?とは思う。僕はとりあえず挨拶をしようと頭を下げた。
「えっと、はじめまして。僕はここでメイドをしている漣って言います」
「あ、えーと俺は」
お兄さんが明らかに困っている。
「透花くん。あ」
姫華さんが僕とお兄さんを見て一瞬固まった。
「そっか。お二人は初対面ですよね」
間をおいて、にっこりと姫華さんが笑う。
「章くん、この子はウエイター兼お手伝いの透花くんです。しばらく試合が忙しくてここのお仕事はお休みしてて」
試合?僕がぽかんとしていると、透花さんが口を開いた。
「はじめさん、俺が自分で話す。あのな、漣。俺はキックボクシングをやっててな」
「ええ、プロの格闘家なんですか?」
「まあそうかな」
僕は透花さんを見つめて一つ分かったことがある。ちなみに彼がイケメンなのは言わずもがな。
「そっかあ、姫華さんに彼氏さんがいないはずがないですもんね」
え、と二人が固まる。
「章くん?急に何を」
「だって姫華さんのこと、本名のはじめさんで呼ぶなんて相当親しいってことですよね」
二人がまた固まっている。
「お前、名探偵か?」
「正解だったんですね」
僕が勝ち誇ると二人は渋々といった様子で頷いた。
「章くん、今日は夏祭りですからお客様も多いかと思われます。だから透花くんにもお手伝いをお願いしたんです」
確かに店の前の道を賑やかなお神輿が通ったりするみたいだ。今日も猛烈に暑いし、涼むついでにメイド喫茶に入ってみようと思う人もいるかもしれない。
「それで章くんにはビラ配りをお願いしたいのですが」
それは初めての仕事だなあ。姫華さんが迷ったように言う。
「透花くんも一緒にいいですか?」
「はい」
姫華さんはホッとしたようだった。にっこり笑う。
「では準備してくださいね。章くんは日傘を持ってくださいね。日焼けをしてもらっては困ります。大事な商品ですから」
やっぱりそうなんだと僕は思った。
着替えていつものようにメイクをする。
「はじめさんも綺麗だけど漣も綺麗だな」
透花さんがさらっと褒めてくれるの嬉しい。僕たちはビラを持って外に出た。うわあ、あっつ。
日傘の柄を肩に寄りかからせて今日の僕の仕事が始まった。
「メイド喫茶ぴゅあーずで冷たいかき氷はいかがですか?お飲み物も各種ご用意しております」
ビラを配りながら僕は宣伝文句を言い続けた。あらと何組か立ち止まってくれる。
「店内は冷房が効いております。ちょっとした休憩にいかがでしょうか?」
そうダメ押しで言ったら何組かお店に入ってくれた。ビラももうすぐおしまいだ。透花さんは大丈夫かなと様子を見るとビラがまだ結構ある。僕は彼に近寄った。
「透花さん、大丈夫ですか?」
「ああ。お前すごいな」
「あ、僕はメイドになるためにいろいろ勉強してきているので」
「すごいな」
「章、何やってるんだ?」
「あ、智史くん」
うわあ、今日の智史くんもかっこいい。黒のTシャツにカーキの細身のパンツ。足が長くないとこれは決まらない服装だ。智史くんが駆け寄ってくる。
「今ね、お店のチラシを配っていたの。もうすぐ終わるから智史くんはお店で待っていて?」
「俺も手伝おうか?」
智史くんらしい返答に僕は笑った。
「だーめ。智史くんは大事なお客様だもん。中で涼んでいてね」
「わ、分かった」
智史くんの顔が赤い。暑いせいかな?智史くんがお店に入ったのを確認して、僕は透花さんの持っていたビラを半分もらった。透花さんが優しい性格なのは間違いない。でも身体が大きいせいか、威圧感を感じるのも間違いない。
「透花さん、笑って」
「あ、あぁ」
僕たちは再びビラ配りを始めた。ビラには飲み物50円引きのクーポンも付いている。それをアピールしながらようやく全てを配り終えることができた。
向こうから太鼓の音がしている。お祭りの本番は夕方からだからおそらくリハーサルだろう。笛の音もしてきた。
「出店はもうやってるな」
透花さんが言う。
「んー、なかなかライバル多いですよね」
「大丈夫。漣はかなり目立っていたから」
「えー?そうですか?」
透花さんが笑う。
「はじめさんもお前が来てくれて嬉しいって言ってたよ」
僕は顔が熱くなった。店の中に戻るとみんな忙しそうに働いている。もちろん、お客様とお話するというのも大事な仕事の一つだ。僕は智史くんの座るテーブルに向かった。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「あ、メイド喫茶ってそういう…」
智史くんは趣旨を理解したらしい。
「ただいま。メロンソーダにする」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
メロンソーダはこの店、ナンバーワンの人気商品だ。ジュースの上にソフトクリームがたっぷり盛られているという特別仕様だったりする。
キッチンにオーダーを通して、僕はお冷の補充を始めた。いくら用意しても足りないという日々が続いている。毎日それだけ暑いのだ。
「章、3番テーブル出来たぞ!」
キッチンにいたスタッフに声を掛けられる。
僕は智史くんのメロンソーダを慎重に運んだ。
「お待たせいたしました。メロンソーダになります。こちら、魔法をかけるとより美味しくなりますのでお付き合いお願いいたします」
智史くんが僕を見てニヤッと笑う。ちょっと恥ずかしいけど、僕はプロのメイドだ。恥ずかしいなんていう感情は捨てろ。僕は両手を振り上げて踊った。もちろん歌付きである。
「めろんろんろんろん、美味しくなあれ!さ、ご主人様も一緒に!」
智史くんもやってくれてなんだかほっこりした。
「ん、ソフトクリーム美味いな」
「でしょう?ミルクが濃厚なんだよ」
ふふん、と威張って見せたら智史くんが笑っている。
「良かったよ、お前が楽しそうで」
「心配してくれてたんだ」
「まぁそりゃなぁ」
智史くん優しいなぁ。
「さっきの男は誰なんだ?」
「あーうん、上司の恋人さん」
「なるほど。強そうだよな」
「キックボクシングやってるんだって」
「へー」
どんどんお客様がやって来て、あれよあれよとやっている内に退勤の時間が来た。姫華さんが呼びに来てくれたのだ。
「章くん、上がってください」
「はーい。じゃあ智史くん、すぐ行くね!」
「おう」
智史くんはメロンソーダの他にオムライスまで頼んでくれた。嬉しい。
僕は化粧を落として私服に着替える。
「お疲れ様でした。お先に失礼致します」
「お疲れ様ー」
外に出ると智史くんが手を上げた。僕は駆け寄る。
「お待たせー」
「おう。じゃあ一旦帰るか。祭りのために浴衣を仕立てたからって母さん言っててさ」
「浴衣?!」
「あぁ、趣味で作ってるんだよ」
「まさかとは思うんだけど…」
智史くんは笑った。
「もちろんお前の分もあるからな」
あるんだ。よし、夏祭りデート、絶対に成功させるぞ!
そんなことを急に言われたら、あの有名魔法少女アニメを思い出すのはきっと僕だけじゃないはずだ。
名作だと言われている作品ではあるけれど、だからって同じ目には遭いたくない。絶対に。しかも僕は少女ではない。普通の高校生男子だ。なんでこうなった。
「えーと、僕では魔法少女にはなれないと思うんですが」
そう目の前にいる白いほわほわしたマスコットのような魔獣?に言ってみたら、彼は大丈夫と小さな手で自らの胸を叩いてみせた。
「君ならきっと世界を救える。僕の勘は当たるんだよ」
勘でそんなこと、言わないでいただきたい。
「えーと、とりあえず消費者センターの方に通報しますので、そちらの電話番号を教えていただけますか?」
「僕はクーリング・オフの対象ではないんだけど」
クーリング・オフの制度を知っているなんてなかなかやる魔獣だ。
「ね、お願い。魔法少女になってくれたら一つ、君の願い事を叶えてあげる」
出たー。そのパターン。絶対上手くいかなくて自暴自棄になって親友に八つ当たりするパターンだ。
それかどうしようもなくなって、最終的に概念になるパターンか。どちらにせよ、ろくでもない結末を迎えるわけで。
「君が心配していることは多分、起きないと思うけど」
魔獣が困ったように目をうるうるさせてくる。う、可愛い。でも僕は騙されないぞ。
動物の可愛い見た目が相手を油断させる武器であることくらい僕でも知っている。
「とにかく魔法少女にはならないから。だって僕は男だし」
「智史くん」
「っ・・・」
魔獣を見ると彼はにっこり笑った。
「大好きなんでしょ?告白したいって思ってるんでしょ?」
この魔獣、なんでそのことを知ってるんだ。そうだ、僕はれっきとしたゲイである。智史くんは僕の幼馴染でいつも僕に勉強を教えてくれる優しい人だ。僕はそんな智史くんが小さな頃から大好きだった。
「こ、告白くらい自分で」
「出来ないからズルズルここまで来てるんでしょ?」
「う…」
正直、返す言葉が見つからない。僕は意気地なしのヘタレの卑怯者だ。智史くんが素敵な人だとよく知っている。だからこそ今の関係を壊したくなくて僕は彼になかなか告白出来なかった。
「と、とにかくお前には関係ないだろ。僕は勉強で忙しいんだ」
「でも」
魔獣はまだなにか言いたげだ。僕は思わず魔獣を見つめた。
「智史くん、今学校の屋上に呼び出されて女の子に告白されてるみたいだけど」
なんだって?告白?僕は頭の中が真っ白になっていた。
「どうする?僕が告白の邪魔をする手助けをしてあげようか?」
この魔獣、どこまでも人の弱みにつけ込んでくるな。
「ほら、早くしないと智史くんが返事しちゃうよ」
く、くそ。
「お願い、力を貸して」
僕はぎゅっと拳を握って振り絞るように言った。
「はーい」
魔獣が小さな手を振り上げてくるんと円を描く。その瞬間、雷が鳴って雨が降り始めた。おいおい、こいつ天候を操れるのかよ。
「ほらほら智史くんに電話して。屋内でまた告白されないようにね」
魔獣のアフターケア侮れない。僕はスマホを取り出して智史くんに電話をかけた。彼はすぐに出てくれる。
「章?雷鳴ってるから外にいるなら家に入れよ」
智史くん優しすぎる。じゃなくて!
「あ、あのね智史くん。今日、お母さんがケーキを焼いてくれたの。僕の家で宿題しない?」
「ん、いいよ。すぐ行くわ」
よっし、告白回避。
僕は思わずガッツポーズをしていた。
「智史くんを迎えに行こうっと」
魔獣が僕の行く手を阻む。
「な、なんだよ」
「僕の力を使ったんだから魔法少女として、契約してもらうよ」
えええええ、やっぱりそうなるの?でもこいつのお陰で智史くんを取られなかったわけだしなあ。
「わかった。わかりました。魔法少女でもなんでもなってやるよ」
「わあ、さすが章。これからよろしくね。僕の名前はキュウスケ。君のサポートをするよ」
「ああ、はいはい」
キュウスケかあ。例のアイツを思い出すような名前だな。僕は一体、何と戦わせられるのか。それで死んだりしないよな?だんだん怖くなってきたぞ。戦った挙句、首チョンパとか勘弁してくれよ。僕はまだ青春を謳歌したいんだ。
「じゃあ、また必要になったら呼びに来るね!」
たんっとキュウスケが跳んだ瞬間、もういなくなっていた。不思議だなぁ。
僕は一度自宅に戻って傘を持って再び学校に向かった。智史くんの家は僕の家のお隣だ。小さな頃から僕はずっと智史くんのことが大好きだ。通学路を歩いていると智史くんが学校近くの駄菓子屋で雨宿りをしていた。良かった、会えた。
「智史くん、傘持ってきたよ」
「ありがとな、章」
二人で並んで帰る。話題はもうすぐ行われる中間考査についてだ。その後は文化祭。高校生になって初めてのイベントだ。でも三年間なんてあっという間だよなあ。
「今回のテスト範囲広いよなあ」
「うん。僕も驚いたよ。勉強、間に合うかなあ」
「大丈夫。俺がヤマ張ってやる」
智史くんのヤマ張りはかなり的中率が高い。授業や時折ある小テストなんかから傾向と対策を読み取るらしい。すごい。そんな他愛もないことを話していたら僕の家に到着している。中に入るとケーキの甘い香りがふわりと漂ってきた。
「あら、智史くん。濡れてるじゃない。章も。今タオル持ってくるわ」
お母さんが僕らの様子に気がついてタオルを持ってきてくれた。
「章、すぐ着替えなさい。智史くんもね」
「はーい」
僕は智史くんを連れて二階にある自室に向かった。着替えを取り出して智史くんに渡す。
「これ、綺麗だから」
智史くんが服を広げてしげしげと見つめている。どうしたんだろう?
「章にはこの服じゃ大きすぎないか?」
確かに僕は小柄な方だ。
「ゆ、ゆったりしてる服が好きなの!」
「ふーん」
智史くんがシャツを脱いでいる。僕はドキッとしてしまった。慌てて目を逸らす。
「どうした、章?お前も着替えろよ」
「う…うん…」
僕も自分のシャツのボタンを外し始めた。男にしては体がツルペタで恥ずかしい。お気に入りの黒いパーカーを着て、やっとホッとした。そんな時、コンコンとノックがある。
「章?ケーキとジュースで良かった?」
お母さんがわざわざ持ってきてくれたらしい。僕は受け取りに行った。
「ありがとう」
「夕飯ももしよかったらって智史くんに言っておいてね」
「はーい」
智史くんの家はお母さんとお父さんがすごく忙しい。2人ともやり手の弁護士さんなのだそうだ。智史くんも自然と弁護士になることを決めているらしい。そんな所もかっこいい。
「智史くん、ケーキ食べよ?」
「おう」
智史くんはフォークでケーキを切って口に放り込んだ。一口が大きいのが男らしくてかっこいいなと僕は思ってしまう。
「ん、美味いな」
「お母さんに言っておくよ。喜ぶから」
「あぁ、頼むぞ。章の母ちゃん、本当料理上手いもんな。今日は家にカップヌードルしかなくて」
章、これはチャンスだぞ!
「それなら夕飯も食べていきなよ。お母さん作ってくれるし」
「いいのか?毎回お世話になってるな」
「智史くんには僕もお世話になってるし」
そうか?と智史くんは首を傾げていた。それから2人でテスト勉強を始めた。僕は数学と英語が致命的に苦手だ。うんうん唸っていると、横から智史くんが教えてくれる。
「数学の応用問題はとにかく慣れだからなぁ。あ、この問題集貸してやる。解いてみろよ」
「いいの?智史くんは困らない?」
「俺はそれ3周はしてるからなあ。問題、忘れた頃に返してくれると有り難い」
「え、この分厚い問題集を3周もしたの?」
僕が驚いて尋ねると、まぁなと笑われた。
「俺はどっちかっていうとガリ勉だしな」
そんなことない。智史くんはイケメンだし、優しいから男女問わず人気がある。だから今日だって告白されていたわけで。僕はハッとなった。
「あ、あの、今日の放課後、学校の屋上に行かなかった?」
「あー、行ったよ。よく知ってるな。なんか相談したいことがあるからって」
智史くんいくらなんでもチョロすぎない?高校生の相談って言ったら、だいたい恋の相談だし、屋上といえば定番の告白スポットじゃないか。
「でも急に雷が鳴り始めたから中に入ったんだ。そしたらお前が電話くれてそのまま帰ってきた」
良かったと僕は胸を撫で下ろした。でも相手の女の子だって、他の手段で告白してくるだろう。なんで僕は男なんだ。でも女の子だったとしても告白できたかって言われると自信ないんだよなぁ。
「ほら、勉強しようぜ。これから文化祭の準備もするんだし、赤点取って補講なんて嫌だろ?」
「うん、頑張る」
それからは集中して問題を解き続けた。何問か解いている内に、応用問題にも慣れてきて、自力で解くことが出来た。
「やった!正解だ!」
「よくやったな。この調子で頑張れ」
智史くんは僕をすぐ褒めてくれる。しばらくしたら夕飯だと呼ばれた。匂いからして、ハッシュドビーフだ。お母さんの作るハッシュドビーフはお肉が口の中でとろける。
「2人ともお腹空いたでしょ?ケーキ小さかったわよね。いっぱい作ったから沢山食べてね」
「ありがとう、お母さん」
ケーキは決して小さくなかったけど、僕たちは(少なくとも僕は)お腹がペコペコだった。
食卓に着くと、大盛りのハッシュドビーフがどん、と置かれている。僕たちはいただきますをして食べ始めた。
「あのね、智史くん」
「んー?」
「僕、今度からメイド喫茶でバイトするの」
「メイド喫茶ってあの?」
「そう。メイドさんのカッコして接客するんだよ。良かったら智史くんも遊びに来てね」
「章は可愛いけど腕っぷし強いからなぁ。客に手が出ないように気を付けろよ?」
「それは、時と場合によるかな?」
「確かにな」
智史くんが噴き出している。
「まぁ気を付けてな。また行かせてもらう」
「わぁ、ありがとう!」
それから僕は智史くんの家の前まで一緒に行った。
「章、おやすみ。また明日」
ぽんぽんと頭を撫でられて僕は嬉しくなった。それは僕が智史くんを好きな証拠だ。
「おやすみなさい、智史くん」
智史くんが家に入っていく。好きだなぁ、これから僕はどうしたら良いんだろう。
「あの子が欲しいんでしょ?」
声のした方を見るとキュウスケだった。
「欲しいって…智史くんは物じゃないんだよ?」
「でも僕の力なら可能だよ?」
むむ、キュウスケとは分かり合えないのか?さすが魔獣。考え方が人間とは違うのか。
「僕は智史くんと仲良しでいられたらそれでいいの!」
「でもあの子をオカズにして抜いてるよね?」
僕はボッと顔が熱くなった。なんで知ってるの?いくらなんでも、プライバシー侵害じゃない?
「章、待っているだけじゃ恋は実らないんだよ」
「く…」
魔獣のくせに生意気な。キュウスケの長い耳がぴんと張り詰める。
「大変!敵が現れたよ!章、変身して!」
「へ、変身?!」
僕がキュウスケに聞き返すと、目の前に女の子が好きそうなコンパクトが現れた。もうこうなったらやるしかない。僕はコンパクトに触れた。それからは魔法少女らしい変身シーンを思い浮かべていただけると有り難い。
「え。変身してる?」
僕は自分の体の変化に気が付いていた。水色の派手なコスチュームだなぁ。キュウスケが頷く。
「君は魔法少女ぴゅあ・あくあになったんだ!さあ、敵を倒して!」
「えぇ!?」
敵と言われましても。僕はずぅん、という重たい地響きを感じた。は?まさかだよね?僕はそちらに向かって走った。向こうになんか、黒いでっかいてかてかしたのがいる。あれ、もしかしてGじゃない?そう思ったら体の力が抜けた。そのままその場にへたり込む。この僕がGを倒すなんて。しかもあーんなでっかいのを?
「ほら、あくあ!早くやっつけてよ!」
キュウスケは後でげんこつ確定だ。でもやるしかない。僕は震える足をなんとか励まして立ち上がった。でも、何か武器がなくちゃGには触れない。
「ぴゅあ・あくあ、武器が欲しいの?」
「うん」
僕の右手にハリセンが装備された。
「叩くならやっぱりこれだよね!」
うーん、正直心許ないけど、ないよりはマシか。
「ありがとう、キュウスケ」
僕は跳んだ。軽く地面を蹴っただけなのに10メートル位跳べる。さすが魔法少女というべきか。いや、それ魔法少女か?
「ていやっ!」
ばしんっ!と僕はGの頭をハリセンで叩いた。Gがその場にひっくり返って足をじたばたしている。ひぃい。気持ち悪い。もう一回ハリセンで殴るとGは消滅していた。よし、やっつけた。
「やったね!ぴゅあ・あくあ!」
キュウスケがぴょんっと僕の肩の上に飛び乗ってくる。
「キュウスケ、敵がGだなんて聞いてないんだけど?」
「あー、うーんと情報の行き違いかな?」
キュウスケが視線を泳がせる。絶対知ってたな。
「またあんなやつが出てくるわけ?」
「うん。僕のいた星もあいつらに食われたんだ」
「…そうだったんだ」
それはちょっと可哀想かも。キュウスケが言う。
「でも僕のいた星の人たちは皆無事だったよ!コロニーに避難したからね」
「キュウスケの星は、地球より科学が発達してるんだね」
「そう。だから僕はここにいるんだ。これ以上犠牲者を出さないようにね」
なんだ、意外と良い奴じゃんキュウスケ。
「ぴゅあ・あくあ、これからもよろしくね」
「うん、こちらこそ」
僕の変身はいつの間にか解けていた。キュウスケも姿を消している。とりあえず帰らなくちゃ。
「章!!」
向こうから走ってきたのは智史くんだった。
「あ、智史くん」
呑気に手を振っていたらいつの間にか彼の腕の中にいた。え、なにこのシチュエーション?
「変なのが暴れてるって聞いて、心配になった。
お前、電話出なかったから外にいるのかもって」
僕の鼓動がうるさいくらい鳴っている。智史くんにぎゅってしてもらえるなんて嬉しい。
「し、心配かけてごめんね」
「いや、俺こそごめんな。なんか抱き締めちまったし」
智史くんの照れてる顔、120点です。
「ぼ、僕は嬉しかったよ」
「章」
こんな時じゃなきゃなかなか本音は話せないよな。
「さ、智史くんにならもっとぎゅってして欲しい」
そう言ったら智史くんの顔が真っ赤になった。
「そんな可愛いこと言うな。お前、俺は男なんだぞ?」
「え?知ってますけど?」
「そういうことじゃなくて…」
はぁあと智史くんが溜息を吐いている。僕にはなんのことだかさっぱり分からなかった。
「章、とりあえず帰るぞ。明日も学校なんだし」
「うん」
ん、と智史くんに手を差しだされて、僕は嬉しくなって握った。そのまま引っ張られる。ずっとこの時間が続けばいいのになーと思っていたのに終わりはすぐやって来た。もう家が見える。あっという間だった。
「章、おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
僕たちはもう一度手を振り合って別れた。
✢✢✢
「つ…疲れた…」
テスト最終日。僕は机に突っ伏した。やっと最後の科目が終わった。今日はこれから、メイド喫茶のバイト初日だ。ついにこの僕もメイドさんデビューが出来る。
「章、お疲れ。これからバイトだろ?」
「お疲れ様、智史くん。うん、そうなんだ」
智史くんが声を掛けてくれる。あれから女子に告白されたという話は聞いてない。諦めてくれたのかなぁ?いや、そんな簡単な話じゃないだろう。僕だって負けていられない。
「バイト終わったら打ち上げしないか?」
「打ち上げ?」
「やっとテスト終わったし」
なるほど!それは打ち上げ大事だ。
「うん、する!」
「バイト終わったら連絡くれ。何か食うもん用意しとくわ」
「楽しみ」
嬉しくて笑っていたら一瞬だったけど頭を撫でられた。最近智史くんに触られることが多いような気がする。
「じゃあ、そろそろバイト行くね!」
「気を付けてな」
智史くんに手を振って、僕は学校の最寄り駅に向かった。僕が働くことになったメイド喫茶は社長さんもメイドさんという凝りようだ。面接の時にすごく優しく話を聞いてもらって、ここでなら大丈夫かもしれないと僕はなんとなく確信したのだ。
昼を少し過ぎた頃だったので、駅にはそんなに人はいなかった。電車に乗り込むと、すでに冷房が効いている。今年の夏も暑くなりそうだし、すでに暑くなる予兆も出てきている。なんていったって、30度近くの気温をもう叩き出しているからなぁ。暑くならないと思う方が不思議なくらいだ。
30分、僕は電車に揺られた。駅の改札を抜けてしばらく歩くと、僕のバイト先がある。
名前は「ぴゅあーず」といった。僕も「ぴゅあ・あくあ」に変身出来るのだし、何か縁があったんだろう。恐る恐る裏側から店に入ると、すぐに社長さんである姫華さんがやってきた。姫華さんは金髪メイドさんだ。話を聞くに男性らしいけど、どう見ても可愛らしいお嬢さんに見える。
「あ、章くん。よく来てくれましたね」
「あ、あの!よろしくお願いします!」
バッと頭を下げると姫華さんはくすくす笑っている。
「僕のお店に僕以外の男の娘メイドさんが来てくれるなんて思いませんでした。なにか嫌なことがあったらすぐに言ってくださいね」
やっぱり姫華さんは優しい。それから簡単な手続きがあるからと奥に通された。
「章くんはまだ未成年なので、保護者様のサインをもらってきてくださいね」
「はい。えーと、メイド服ってどんな感じなんですか?」
「やっぱり気になりますよね?」
「はい、とても!」
僕が前のめりで答えると、姫華さんがクスクス笑っている。そんなにおかしいこと言ったかな?
「章くんのメイド服はこれです」
姫華さんは立ち上がって袋に入った衣装を渡してくれた。それは、黒を基調としたシンプルなメイド服だ。
「か、可愛い」
「章くんは顔立ちに華がありますから、ウィッグと化粧でかなり化けると思いますよ」
「おぉ」
僕の反応に姫華さんはまた笑っている。
「テストも終わったんですよね?これから文化祭?」
「はい。放課後にちょっと準備があったりします」
「なら土日出勤はどうですか?」
「やります!」
姫華さんは僕の返事に頷いてくれた。
「章くん、メイドの仕事はご主人様やお嬢様と距離がとても近いです。嫌だなって少しでも思ったらすぐに僕に言ってくださいね」
「でもお客様なのに」
「僕にとって働いてくださっているメイドさんは大事な商品なんです。お客様といえど、不用意に商品を傷付けられるのは経営者として見過ごせませんから」
な、なるほど。
「姫華さん、さすが社長ですね!」
「僕が言っていることは当たり前のことなんですよ」
ニコニコしながら姫華さんは言った。美人で優しいなんて最強だ。週末出勤する、ということが明確に決まって、僕は店を後にした。そういえば打ち上げをするって智史くんと約束していた。道の端でスマホを見ようとした瞬間、どぉん、という大きな音が聞こえた。
「章!敵が現れたよ!」
キュウスケが慌てた様子で現れる。また虫か。僕は基本、虫が苦手だからなぁ。とりあえず変身しなくちゃ。僕は空に浮いていたコンパクトを掴んで開いた。キラキラとしたエフェクトがかかる。僕は変身していた。
「ぴゅあ・あくあ!行こう!早く!!」
言われなくても。
僕は全速力で走った。現場にたどり着いてみると、巨大なタガメがクレーン車に寄りかかろうとしている。なんでまた。虫の考えることはよく分からないな。よく見ると、タガメがクレーン車をばりばり食べている。その周りにいた人は逃げ出していた。僕はそういうわけには行かない。
「キュウスケ!ハリセン頂戴!」
「了解」
僕の右手にハリセンが現れる。とりあえずしばいておくか。僕は跳んだ。タガメを殴ると悲鳴を上げる。よし、もう一撃か?
「お嬢さん」
急に声を掛けられて僕は驚いて後ろに跳んだ。誰だろう?
そこにいたのはイケメンの金髪の男の子だ。赤いマントを羽織っている。
「誰?一般人なら早く逃げて。あいつを倒すから」
いつの間にか男の子が僕のそばにいる。全然気配がなかった。
「お嬢さん、僕は君に協力できる」
「協力?」
「あの虫の残骸をサンプルとして採りたいんだ」
「それは構わないですけど」
タガメが悲鳴を上げながらジタバタしている。すでに瀕死状態なんだろう。
「今ならサンプルが採れますよ。僕が採ってきましょうか?」
「頼んでも?」
「はい」
僕は男の子からナイフを借りた。これで足の毛を切り取るということらしい。
僕は再び跳んでいた。
***
「どうぞ」
「あ、頂きます」
元の姿に戻った僕は今、先程の男の子の家に招かれていた。大きな屋敷で場違い感がすごい。
「えーと、あなたは?」
「僕のことはキングと呼んでほしい」
「はあ。キングさんは何者なんですか?」
「僕はしがない研究員さ。あの巨大化した虫たちは銀河を巡り、ありとあらゆる星を食いつぶしている」
「ええ?」
「僕の所属する研究グループはあの虫からサンプルを採り、奴らを滅する方法を探っている」
「キングさん、すごい人なんですねえ。僕より小さいのに」
「年齢なんて関係ないさ。章といったね?君の力を今後も貸して欲しい」
「はあ」
僕はそこで思い出した。智史くんと打ち上げをするんだった。僕は慌てて立ち上がった。
「あ、あの!僕、約束があって」
「ああ。時間を取らせてすまなかったね。また詳しい話は後日にしようか」
キングさんと連絡先を交換した僕は脇目も振らず駅に向かった。なんとか電車に乗り込んで智史くんにメッセージを送る。
「お疲れ。用意できてるから気をつけてこいよ」
智史くん優しい。僕はホッと息を吐いたのだった。
***
家に帰ってきた僕は、学校の制服から私服に着替えて智史くんの家に向かった。
「お邪魔します」
久しぶりに智史くんの部屋に入るかも。智史くんの部屋は僕の部屋と違って漫画なんて置いていない。しかもめちゃくちゃ綺麗に片付いている。
「智史くんの部屋っていつも綺麗」
「ん?そうか?今、飲み物持ってくるな」
「ありがとう」
僕はローテーブルの前に置かれているビーズクッションの上に座った。これは人を駄目にするクッションらしい。分かる気がする。つい、触り続けちゃうもんな。しばらくすると、智史くんがお盆に色々載せて現れた。
「ジュースでいいよな?お菓子もこれでいいか分からなかったけど」
「嬉しい。あ、半分僕もお金払うよ」
「いいって。俺がやりたいって言ったんだから」
「ありがとう」
智史くんはやっぱり優しいなあ。
「乾杯しようぜ。次は文化祭の準備だけど」
「うん、楽しい文化祭になるといいねえ」
グラスにジュースを注いでカツンとグラス同士をぶつけた。飲んでみると炭酸が弾けて美味しい。
「わああ、美味しい。やっぱりテストの後はジュースに限りますな」
「お前、成人したら酒でも同じこと言いそうだな」
智史くんが噴き出している。かっこいいなと僕は思ってドキドキしていた。これがときめきかあなんて納得してしまう。
「で、バイトはどうだったんだ?」
あ、やっぱり気になるよね。僕は姫華さんのことを話した。
「いい上司さんで良かったな。お前のことだから上手くやるんだろうけど。まあ程々に頑張れよ」
「ありがとう、智史くん」
思わず大好きって言いそうになって僕は堪えた。
「今日はお母さんたち帰って来るの?」
智史くんが笑う。
「ああ、久しぶりに家族で飯食いに行こうって」
「良かった。また家にも遊びに来てね。あ、そうそう。僕、面白い漫画を持ってきたの。智史くんに布教しようと思って」
「へえ」
僕は持ってきたリュックサックから漫画の単行本を取り出した。一巻を智史くんに渡す。
「へえ、料理漫画か。今流行ってるよな」
「うん、脳みそが空っぽになって、気分転換にちょうどいいよ」
智史くんがまた噴き出している。僕たちは漫画を読み始めた。
「ふあああ」
僕はあくびを堪えられずにした。
「章、眠たいのか?」
「うん、少しね。昨日テスト勉強足掻いたからなあ」
「そっか。緊張もしてたんだろうな」
「多分ね。でもこの漫画読み終えたい」
「いや、眠いなら寝ろよ」
「じゃあ15分だけね」
僕は智史くんのベッドに横にならせてもらった。シーツからいい匂いがする。僕はいつの間にかうつらうつらしていた。智史くんが僕を見つめている。それが夢なのか現実なのか、僕には分からなかった。
***
夜になり、僕は自室にいる。智史くんは言った通り15分きっかりに起こしてくれた。よく眠れたからなのか頭がスッキリして漫画を読み終えることが出来た。それから僕が持ってきたゲームで遊んだ。二人でいるとすごく楽しい。いつか智史くんとデートにも行きたいなあ。そのためには告白をしないとだけど。でも僕にそんな勇気はない。本当にキュウスケに頼るしか方法がないのかもしれない。
「智史くんにテレパシーが送れたらなあ」
「また無駄なこと言ってる」
キュウスケが呆れたような声で言う。
「いいじゃん、妄想くらい自由にさせてよ」
「妄想は現実にまずならないからね」
この魔獣。いちいち正論をぶつけて来やがって。でもキュウスケの言う通りだ。僕が行動しない限り、何も変わらない。
「章は変な所で弱気だねえ」
「仕方ないだろ、そういう性分なの」
ブブブと急にスマホが鳴り出した。誰かと思ったらキングさんだ。
「はい。章です」
「やあ、章。サンプルの解析が一区切り付いたから連絡しておこうと思ってね」
「なにかわかったんですか?」
「ああ。この虫たちは生物ではないことが判明したよ。人為的に作られた存在だったようだ」
「え?一体誰が作ってるんですか?」
「おそらく僕らと同じ研究者ではないかなと皆で予測を立てた」
「研究者・・」
そいつ、ろくでもないな。僕は思わず憤りを覚えた。
「そいつはどこに?」
「まだ捜索中だよ。章、君にはまだ虫のサンプルを採ってきて欲しい。頼んでもいいかな?」
「はい。承知しました」
とりあえず今日は眠ろうか。僕はそう思ってベッドに入った。さっきも寝たのになんだかくたくただ。目を閉じるとすぐに眠ってしまった。
「きら・・・章!」
「キュウスケ?」
僕が目を開けるとキュウスケが僕を呼んでいた。
「章!敵が現れたよ。早く!!」
「分かった」
僕はなんとか起き上がって現場に向かった。そこにいたのはG二体。おいおい。数が増えてるじゃないか。いつものようにハリセンを装備する。Gたちはボリボリと建物に齧りついていた。
「それ、食べ物じゃないよ!」
僕は跳んで、G一体の頭部をハリセンで思い切り叩いた。グギャとGが叫ぶ。うう、気持ち悪い。サンプルは血で良いだろうかと、僕はGの体にナイフを突き立てた。刺した感触がたまらなく気持ち悪い。でもコイツらを止めるためだ。
僕はもう一体のGも消滅させた。
「慣れてきたね」
キュウスケにそう言われて僕は困ってしまった。虫を駆逐することに慣れても将来に役立つとはとても思えない。いや、スズメバチハンターか?
絶対に嫌だけど。
「章」
「あ、キングさん」
「無事サンプルが採れたようだね。ありがとう」
「とんでもないです。僕に出来ることはそれくらいしか」
壊れた建物を直す力は僕にはない。
「いや、君がいることで一気に解析が進んでるんだ。本当にありがとう」
キングさんがふっと笑う。子供らしさとは随分かけ離れてるなあ。
「章は明日からバイトなんだよね?」
そういえばそうなのだった。
「早く帰って休んだほうがいい」
キングさんの言う通りだ。僕は頭を下げて自宅に帰った。
***
「ふああ、眠たい」
流石に深夜の戦闘は僕の体に効いたらしい。重たい体をずるずる動かして、僕は服に着替えた。
でもメイドさんにずっとなりたかったから楽しみな気持ちももちろんある。
朝ご飯をもりもり食べた僕はお母さんが作ってくれたお弁当と水筒をリュックに入れた。
「じゃあ行ってきます」
「気をつけてね」
「章!」
家から出ると智史くんに呼び止められた。
「智史くん、おはよう」
「おはよう。これからバイトか?」
「うん」
ぎゅっと抱きしめられて僕は驚いた。
「悪い、こうしたかった」
僕は顔が熱くなった。またぎゅってしてもらえるなんて嬉しい。
「智史くん、ありがとう」
「いや、俺こそ」
「じゃあ行ってきます」
「ああ」
僕はるんるんしながら最寄り駅に向かった。
***
「おはようございます」
そろっと裏口から入ると姫華さんが待っていてくれた。
「おはようございます、章くん。時間通りに来られて、偉いですね」
いきなり褒めてもらった。
「ではお着替えをしましょうか」
このメイド喫茶には更衣室が2つある。一つは、姫華さんが着替えるために作った部屋だと言っていた。
僕は当然ソチラに向かう。そこには名前の書かれた真新しいロッカーがあった。
「章くんのロッカーはここ。これが鍵」
僕はロッカーに荷物をしまってメイド服を着始めた。ウィッグは可愛らしいツインテールだった。
姫華さんに化粧を教わりながら自分でやってみる。そう思うと女の子って大変だな。
「さすが章くん。めちゃくちゃ可愛いですね」
鏡を見てみると僕じゃなくてびっくりした。
「では厨房とホールの方も見に行きましょう」
姫華さんに連れられて僕は店の表の方に向かった。
そこには数人のメイドさんがすでに開店準備をしている。姫華さんが来たことに気がついたのかメイドさんが集まってくる。姫華さんは僕を手で示した。
「おはようございます。皆さん、こちらは今日から配属する章くんです。バイトをするのが初めてなので皆さんで優しく教えてあげてくださいね」
はいとメイドさんたちが各々返事をしてくれる。
姫華さんに自己紹介をと言われて、僕は挨拶をした。
「漣章って言います。よろしくお願いします」
「お前のこと、章って呼んでいいか?」
メイドさんの一人にそう声を掛けられた。
「はい」
「今日のお前はお客様の水を注ぐ係な。テーブルの番号と配置を覚えろ。いいな?」
「は、はい」
僕はドキドキしながら頷いた。メイド喫茶ってもっとふんわりしたところを想像していたけれど、こういうところはしっかりお店だ。姫華さんがニコニコしながらその様子を見ている。
「そろそろ開店の時間ですね。章くん、皆、今日も頑張っていきましょう」
姫華さんの言葉に皆が頷く。お店は、チームプレイなんだと僕は気が付かされていた。
✢✢✢
メイドさん業務はなかなか大変だった。テーブルを回ってただ水を注いでいるだけでも色々なお客様に話しかけられる。
「君、見ない顔だね。新しい子?」
「はい。あくあっていいます」
「あくあちゃん、可愛いねー、いくつなの?」
「16です」
「高校生かぁ。俺、結構来るからさ、また話そうね」
「はい」
姫華さんからもお客様と沢山お話するようにと言われている。それだけでもリピーター率が違うらしい。
「あくあ、テーブルの片付けするぞ」
「はい!」
土曜日ということもあって、店は混んでいた。姫華さんもホールに出てオーダーをとっている。なんだか働いているって感じ、好きだなぁ。そんな事をしている内に退勤の時間になった。ずっとバタバタしていて、体はクタクタだ。
「お疲れ様、章くん。これ試作のクッキー。食べてみてくださいね」
姫華さんが差し出してきたクッキーは星型をしていた。
「美味しく出来るようになったらお土産として置こうかと思っていて」
「ありがとうございます。頂きます。では、お先に失礼致します」
「お疲れ様でした」
私服に着替えて、僕は電車に乗ってようやくホッとした。今日メモに取ったところを読んで1人振り返りをする。
(楽しかったなぁ)
初めてのバイトだから上手く行かなかったことももちろんある。でも周りの皆が優しくフォローしてくれて、僕は嬉しかった。智史くんにも話を聞いてもらいたい。そう思って僕はスマホを開いた。
「バイト終わった!」
そう送るとすぐに既読がつく。
「お疲れ。何したんだ?」
「水汲んだ!」
「注いだんじゃなくてか?www」
「そう、注いだ。テーブルの番号も覚えたんだよ」
「すごいな」
智史くんに褒めてもらえると本当に嬉しい。
「智史くんは何してたの?」
「勉強してた。アイス食った」
「アイスいいなぁー!」
それなら家に来いよと智史くんが誘ってくれる。いいのかな?でもせっかく誘ってもらったのだし、僕は行くことにした。
***
「章、練乳とソーダどっちにする?」
僕は智史くんの家にいる。
「えーと練乳かな?」
ん、と智史くんにアイスを手渡された。冷たくて美味しそうだ。水筒に入っていたお茶はとっくに終わってしまっている。姫華さんが休憩室の冷蔵庫に冷たい麦茶を作ってくれていた。自由に飲んでいいとのことで僕は遠慮なくもらった。今度マグカップを持ってきたらいいと言われている。
袋を開けてアイスに齧り付くと、ミルクが濃厚ですごく美味しい。乾いた体が潤うようだ。
「美味しい」
「暑かったもんな」
「うん。そうなの。熱中症気をつけなくちゃ」
「章」
ふと名前を呼ばれて僕は智史くんを見上げた。
「どうしたの?」
「いや、美味そうに食うなあって」
「だって美味しいもの。もしかして練乳食べたかった?」
僕は慌てた。家主の智史くんを差し置いてアイスを食べていいはずがない。
「いいんだよ。練乳アイスならまた買ってくる」
「そうなの?」
「ああ。とりあえず俺の部屋行くか?それともバイトで疲れてるだろうし帰るか?」
「僕、智史くんともっとお話したい」
そうはっきり言ったら智史くんが顔を赤らめた。最近の智史くんは特別僕を大事にしてくれる気がする。いや、前からそうだったけど。
智史くんの部屋に入ると、いつも通りだった。綺麗に片付いている。
「章、そういやお前、課題終わってるのか?」
課題?と僕は一瞬考えてあっとなった。数学の問題集をやっておくようにって言われてたんだ。難しくて嫌いなんだよなあ。
「やっぱり忘れてたか。持って来いよ。授業分からなかったって言ってたし」
智史くん神かな?僕は慌てて自宅に戻って学校のバッグを持ってきた。
「ここ、ここが良く分からなくて」
「ああ、そこか」
智史くんがマンツーマンで教えてくれるって贅沢だなあ。僕は彼の顔をぼーっとしながら見つめていた。
「聞いているのか?章」
智史くんが急に顔を覗き込んで来て僕は驚いた。そのはずみで後ろに倒れ込む。
「章!」
「あ」
僕たちは一瞬固まった。智史くんに押し倒されたような状況になっている。
「あ。わ、悪い。頭ぶつけなかったか?」
智史くんが体を引く。僕はドキドキしてしまって口をパクパクさせることしか出来なかった。
「章。本当にごめん」
いや、智史くんは何も悪くない。
「智史くん、謝らないで」
絞り出すように言ったら抱きしめられていた。智史くんの匂いに僕の体はカーっと熱くなってきてしまう。普通に考えたら、はしたないことなんだろうけど、僕には止められなかった。思わず、智史くんの首筋に顔を埋めると智史くんが頭を撫でてくれる。好きだなあ。これからもずっと好きでいるんだと思う。でも告白は出来そうになかった。こんなに近くにいるのに。いや、近くにいるからこそ出来ないんだろうか。
「章、クーラー付けるな。ごめん、気が付かなくて」
智史くんが慌ててるなんて珍しいな。僕はううんと首を横に振った。この家に来ると至れり尽くせり過ぎるくらいなのに。
「続きするか」
「もう残り一問だもん。すぐ終わるね」
「ああ」
僕が笑いかけると智史くんも笑ってくれた。
***
「てえいっ!たあっ!」
僕の日常に巨大な虫をハリセンでしばくというミッションが追加されて、早一週間が経過している。テストも返ってきて皆で問題を見直したり、長いHRで文化祭の実行委員も決まった。そう、委員は智史くんになったのだ。もう一人女子が選ばれたわけだけど、僕はあまり話したことがない。でもスクールカースト上位の子であることは間違いない。いつも化粧をして、髪の毛も明るい茶色に染めている。でもギャルというよりガーリーな感じだ。いわゆる清楚系といったところか。どうやら男子からかなり人気があるらしい。まあそうだよなと僕も思う。それくらいその子は可愛い。
(智史くんの好きなタイプじゃないといいんだけど)
僕はそれをそっと心から願っている。男である僕は女の子には絶対に敵わない。たとえ結ばれても子どもが出来るわけじゃないし。そこまで考えて僕は顔が熱くなってしまった。
(おいおい、高校生でそんな事するのは流石に早いでしょ)
でも進んでいる子がいるのは確かだ。コンドームを財布に忍ばせるDQNもいるわけで。
いやあ、僕みたいなチー牛には縁遠い話だな。はっはっは。
「あくあ!あと一体だよ!」
「分かってる!」
キュウスケの必死な声に僕も頑張ろうと思う。はじめこそ生意気な魔獣だと思ったけど、僕みたいな捻くれ者を動かすにはそうするしかないだろうと僕なりに分析していた。最後のGをハリセンでしばくと悲鳴を上げて姿を消した。いやあ、この街襲われ過ぎじゃない?ビルというビルは虫に食べられて機能不全に陥っている。街として機能しなくなったらいろいろ困る。さてどうしたものか。
「章、いいものが出来たんだ」
ふらっと現れたのはキングさんだ。本当に神出鬼没な人である。
「何が出来たんですか?」
「街を修復する機械」
なんだそれ。例の猫型ロボットが持ってるやつみたいな。それともあれかな?錬金術?
「簡単に言うと、周りの物質を少し増量して、破片部分を継ぎ足すものなんだ。軽度の損傷ならすぐ直せるよ」
「すごい」
キングさんの所属する研究グループの人たちは本当に優秀なんだろう。すごいなあ。
早速キングさんは機械を設置し始めた。やったことといえば、ただ機械を置いてスイッチを入れただけ。ええ、これ通販で売ったらめちゃくちゃ売れそう。安くしてぇーおねがぁーい、か?
ビルの方を見るとどんどん破損した部分が修復されていく。すごい。
「章、虫たちはコンクリートが原料みたいなんだ。だから自らの体にコンクリートや金属を取り込もうとする性質がある」
だからいつもビルやそばにある重機を食べようとするのか。
「魔法少女である君のことも調べたいと研究所の皆は言っているよ」
ナニソレ、僕、解剖されちゃうってことかしら?
僕の不安を察したのかキングさんが笑う。
「手荒なことはこの僕が許さないよ。こう見えて所長だからね」
キングさん、トップの人だった。すっご。あ、そういえば今日もサンプルを採っていた。
「キングさん、サンプルです」
それはGが口から吹き出した泡の一部だ。弱点さえ見つけてしまえば根絶やしに出来るということらしい。それと、そこから虫たちを作った人の痕跡も探せる。
「章、本当にありがとう。僕たちも総力を上げて痕跡を辿る。また何か分かったら報せる」
キングさんはそれだけ言うと行ってしまった。
「章、僕たちも帰ろう」
「うん。ねぇ、キュウスケ?智史くん告白されてないよね?」
「今のところはね。でも章のいるクラスは女の子のレベルが高いから」
やっぱりそうなんだ。
「章、前にも言ったけど待ってるだけじゃ恋は実らないよ?」
「じゃあどうすればいいのさ?」
キュウスケが笑う。
「デートに誘うのはどう?もうすぐ夏祭りがあるでしょう?」
確かにその案はいいかもしれない。とりあえずもう日が暮れるから帰ろう。
✢✢✢
「では文化祭の催しはメイド&執事喫茶で決定な」
智史くんが黒板に文字を書いていく。皆がそれにガヤガヤしている。今はクラスの文化祭の催しを決めている。あれこれ意見が出たけど、やはりお祭りは仮装したいという気持ちが強くなるらしい。僕は智史くんの隣りにいたもう一人の実行委員をじっと見ていた。名前を鈴屋さんというらしい。肌が白くて可愛らしい。今日もメイクをしているようだ。うーん、やっぱり勝てない。
「これから係を決めていくぞ。えーと、まずは衣装作りか。そうだな、さすがに全員分作るのは無理だからメイドと執事になるやつを先に決めるか。立候補でも推薦でもいいぞ」
智史くんが言うには女子が執事。男子がメイドということらしい。なるほど。
「漣、お前メイド喫茶で働いてるんだろ?」
隣の席にいる男子に声を掛けられて僕は戸惑った。
「でもまだ始めたばかりだし」
「漣は絶対にメイドやるべき。だって可愛いもん」
「漣くんのメイク、あたしがやるー」
ギャル系の女子が手を挙げる。
「えーとじゃあ、章はどうしたい?」
智史くんはちゃんと僕の気持ちを聞いてくれるんだ。僕はそれが嬉しくて頷いていた。
「いいよ。僕、やってみたい」
「なら一人は章で決定。他には?」
「鈴屋さんも可愛いから執事似合うんじゃね?顔立ちって大事だろ」
「え」
鈴屋さんはびっくりしたのか固まった。確かに彼女なら衣装が映えそうだ。
「どうする?鈴屋」
「分かった。私でいいならやってみる」
智史くんが黒板に僕と鈴屋さんの名前を書いていく。
「他にやりたいやつは?」
「いや、智史。お前もメイド確定だろ」
「はあ?」
結果的に智史くんもメイドをすることになった。それに続いて、会場の係と当日の調理を担当する班を決める。そして何より大事なのは衣装だ。こういう時、不思議なもので作れるっていう人が必ずいる。放課後になり、先に衣装の採寸を行うということになって、僕たちは家庭科室にいた。
「智史くんのメイドさん楽しみ」
僕が笑うと智史くんはむすうっとしている。
「俺の女装、需要ねえだろ」
「えーそうかな?なかなか美人さんになるんじゃない?」
「美人て…」
ずびしっ!と智史くんに脇腹に軽くチョップされて僕は笑った。くすぐったい。
「2人って仲良いのね?」
話しかけてきたのはもちろん鈴屋さんだ。
「こいつとは幼馴染なんだ」
智史くんが僕を示して言う。
「そうなの。なんかいいな」
羨ましそうな声音に僕はドキッとした。智史くんを取られちゃったら困る。僕は慌てて尋ねた。
「す、鈴屋さんだって仲良しのお友達いるんでしょう?」
「うーん、どうかな」
ふふ、と鈴屋さんがミステリアスに笑う。なんだかそれが僕には意外だった。鈴屋さんは清楚で真面目な女子っていうイメージだったのが壊れていく。採寸が鈴屋さんの番になった。彼女の気配が完全になくなるのを待って、僕は智史くんに聞いた。
「鈴屋さん、大丈夫かな?」
「女子のことは女子にしか分からねえよ」
確かにその通りかもしれない。採寸を終えると、もう18時を過ぎていた。
「ほら、章。帰るぞ」
「はーい」
家に帰るとすでに夕食の支度ができていた。智史くんも誘ったら、今日はお母さんがいるらしい。離れがたかったけどなんとか手を振って別れた。
(今日英語の課題出てたな)
僕は速やかに夕飯を食べて、英語の問題集を広げた。
「ねえ章?忘れてるでしょ?」
ぴょんっとキュウスケが机に飛び乗ってくる。僕はそこで気が付いた。智史くんを夏祭りデートに誘うという案を。
「や、やだなぁ。忘れてなんているわけないだろ。これから誘おうかなって思っていたんだよ」
「僕の力で智史をメロメロにすることも出来るけどね」
「それはなんか嫌」
キュウスケの力を借りるのは容易い。でもそれは智史くんの心を踏みにじることだ。僕は智史くんに心の底から僕を好きになってもらいたい。
「よし、誘うぞ」
僕はスマホを手に持った。その瞬間スマホが鳴り出して僕はびっくりした。智史くんからだ。
「はい、章です」
もしもしという言葉はマナー上、あまり推奨されないと聞いて僕はなるべく使わないようにしている。
「章、あのさ」
「何かあった?」
「いや、今度の日曜日、夏祭りあるだろ?一緒に行かね?」
ヒエッと僕は小さく叫んでしまった。
「なんか用事あるのか?」
「う、ううん。僕も今智史くんを誘おうと思ってて…」
電話しようとしてた、と照れながら言ったら智史くんが息を呑む気配がした。
「よかったよ、智史くんに先約がなくて」
「それは俺の台詞だ。バイトは大丈夫なのか?」
「うん、バイトは昼間だけ入るんだ」
「ならその日、店に行っていいか?」
「来てくれるの?」
「あぁ。じゃあまた明日な」
「うん、おやすみなさい」
通話を切って、僕は溜息を吐いた。嬉しすぎる。
「キュウスケ、もしかして何かした?」
一応キュウスケに確認すると否定される。
「僕の魔法を使えば、明日には結婚出来るよ。まあ地道に関係を積むのもありだとは思うけど」
「うーん、キュウスケはなにもしなくていいや」
「章の願いを叶える権利は残っているよ。何かないの?」
「虫たちを殲滅っていうのは駄目なの?」
「それは僕の対応出来る範囲を超えているから無理だね」
キュウスケの出来る範囲っていうのがそもそも分からない。僕はまあいいかと課題を再開したのだった。
***
「わあ」
僕はびっくりして思わず声を上げてしまった。体の大きなお兄さんがバイト先の更衣室にいたからだ。僕より少し年上かな?とは思う。僕はとりあえず挨拶をしようと頭を下げた。
「えっと、はじめまして。僕はここでメイドをしている漣って言います」
「あ、えーと俺は」
お兄さんが明らかに困っている。
「透花くん。あ」
姫華さんが僕とお兄さんを見て一瞬固まった。
「そっか。お二人は初対面ですよね」
間をおいて、にっこりと姫華さんが笑う。
「章くん、この子はウエイター兼お手伝いの透花くんです。しばらく試合が忙しくてここのお仕事はお休みしてて」
試合?僕がぽかんとしていると、透花さんが口を開いた。
「はじめさん、俺が自分で話す。あのな、漣。俺はキックボクシングをやっててな」
「ええ、プロの格闘家なんですか?」
「まあそうかな」
僕は透花さんを見つめて一つ分かったことがある。ちなみに彼がイケメンなのは言わずもがな。
「そっかあ、姫華さんに彼氏さんがいないはずがないですもんね」
え、と二人が固まる。
「章くん?急に何を」
「だって姫華さんのこと、本名のはじめさんで呼ぶなんて相当親しいってことですよね」
二人がまた固まっている。
「お前、名探偵か?」
「正解だったんですね」
僕が勝ち誇ると二人は渋々といった様子で頷いた。
「章くん、今日は夏祭りですからお客様も多いかと思われます。だから透花くんにもお手伝いをお願いしたんです」
確かに店の前の道を賑やかなお神輿が通ったりするみたいだ。今日も猛烈に暑いし、涼むついでにメイド喫茶に入ってみようと思う人もいるかもしれない。
「それで章くんにはビラ配りをお願いしたいのですが」
それは初めての仕事だなあ。姫華さんが迷ったように言う。
「透花くんも一緒にいいですか?」
「はい」
姫華さんはホッとしたようだった。にっこり笑う。
「では準備してくださいね。章くんは日傘を持ってくださいね。日焼けをしてもらっては困ります。大事な商品ですから」
やっぱりそうなんだと僕は思った。
着替えていつものようにメイクをする。
「はじめさんも綺麗だけど漣も綺麗だな」
透花さんがさらっと褒めてくれるの嬉しい。僕たちはビラを持って外に出た。うわあ、あっつ。
日傘の柄を肩に寄りかからせて今日の僕の仕事が始まった。
「メイド喫茶ぴゅあーずで冷たいかき氷はいかがですか?お飲み物も各種ご用意しております」
ビラを配りながら僕は宣伝文句を言い続けた。あらと何組か立ち止まってくれる。
「店内は冷房が効いております。ちょっとした休憩にいかがでしょうか?」
そうダメ押しで言ったら何組かお店に入ってくれた。ビラももうすぐおしまいだ。透花さんは大丈夫かなと様子を見るとビラがまだ結構ある。僕は彼に近寄った。
「透花さん、大丈夫ですか?」
「ああ。お前すごいな」
「あ、僕はメイドになるためにいろいろ勉強してきているので」
「すごいな」
「章、何やってるんだ?」
「あ、智史くん」
うわあ、今日の智史くんもかっこいい。黒のTシャツにカーキの細身のパンツ。足が長くないとこれは決まらない服装だ。智史くんが駆け寄ってくる。
「今ね、お店のチラシを配っていたの。もうすぐ終わるから智史くんはお店で待っていて?」
「俺も手伝おうか?」
智史くんらしい返答に僕は笑った。
「だーめ。智史くんは大事なお客様だもん。中で涼んでいてね」
「わ、分かった」
智史くんの顔が赤い。暑いせいかな?智史くんがお店に入ったのを確認して、僕は透花さんの持っていたビラを半分もらった。透花さんが優しい性格なのは間違いない。でも身体が大きいせいか、威圧感を感じるのも間違いない。
「透花さん、笑って」
「あ、あぁ」
僕たちは再びビラ配りを始めた。ビラには飲み物50円引きのクーポンも付いている。それをアピールしながらようやく全てを配り終えることができた。
向こうから太鼓の音がしている。お祭りの本番は夕方からだからおそらくリハーサルだろう。笛の音もしてきた。
「出店はもうやってるな」
透花さんが言う。
「んー、なかなかライバル多いですよね」
「大丈夫。漣はかなり目立っていたから」
「えー?そうですか?」
透花さんが笑う。
「はじめさんもお前が来てくれて嬉しいって言ってたよ」
僕は顔が熱くなった。店の中に戻るとみんな忙しそうに働いている。もちろん、お客様とお話するというのも大事な仕事の一つだ。僕は智史くんの座るテーブルに向かった。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「あ、メイド喫茶ってそういう…」
智史くんは趣旨を理解したらしい。
「ただいま。メロンソーダにする」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
メロンソーダはこの店、ナンバーワンの人気商品だ。ジュースの上にソフトクリームがたっぷり盛られているという特別仕様だったりする。
キッチンにオーダーを通して、僕はお冷の補充を始めた。いくら用意しても足りないという日々が続いている。毎日それだけ暑いのだ。
「章、3番テーブル出来たぞ!」
キッチンにいたスタッフに声を掛けられる。
僕は智史くんのメロンソーダを慎重に運んだ。
「お待たせいたしました。メロンソーダになります。こちら、魔法をかけるとより美味しくなりますのでお付き合いお願いいたします」
智史くんが僕を見てニヤッと笑う。ちょっと恥ずかしいけど、僕はプロのメイドだ。恥ずかしいなんていう感情は捨てろ。僕は両手を振り上げて踊った。もちろん歌付きである。
「めろんろんろんろん、美味しくなあれ!さ、ご主人様も一緒に!」
智史くんもやってくれてなんだかほっこりした。
「ん、ソフトクリーム美味いな」
「でしょう?ミルクが濃厚なんだよ」
ふふん、と威張って見せたら智史くんが笑っている。
「良かったよ、お前が楽しそうで」
「心配してくれてたんだ」
「まぁそりゃなぁ」
智史くん優しいなぁ。
「さっきの男は誰なんだ?」
「あーうん、上司の恋人さん」
「なるほど。強そうだよな」
「キックボクシングやってるんだって」
「へー」
どんどんお客様がやって来て、あれよあれよとやっている内に退勤の時間が来た。姫華さんが呼びに来てくれたのだ。
「章くん、上がってください」
「はーい。じゃあ智史くん、すぐ行くね!」
「おう」
智史くんはメロンソーダの他にオムライスまで頼んでくれた。嬉しい。
僕は化粧を落として私服に着替える。
「お疲れ様でした。お先に失礼致します」
「お疲れ様ー」
外に出ると智史くんが手を上げた。僕は駆け寄る。
「お待たせー」
「おう。じゃあ一旦帰るか。祭りのために浴衣を仕立てたからって母さん言っててさ」
「浴衣?!」
「あぁ、趣味で作ってるんだよ」
「まさかとは思うんだけど…」
智史くんは笑った。
「もちろんお前の分もあるからな」
あるんだ。よし、夏祭りデート、絶対に成功させるぞ!
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