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聖女の役割、それは国を裏側から守護し、支えることだと幼い頃から彼女は教え込まれてきた。この聖女の名前はソータナレア。通称ソータは一人、旅支度を整えていた。はっきり言って、ソータは今まで聖域から出たことのない世間知らずのただの引きこもりに過ぎない。まだ15歳だ。経験だって足りていない。それでも国のためになにか出来るならしたかった。自分を守り育ててくれたこの国に恩を返したかった。ソータは、聖域から祈れば外の様子をうかがい知る事ができたが、ただ見るだけと、実際に経験するのでは、はるかに違うということも知っていた。だからこそワクワクしていた。初めて見る外の世界だ。

ソータは後ろで束ねた長い薄紫の髪の毛をナイフでざくりと切り落とした。この世界は治安が悪い場所も多い。若い娘が一人で旅をするには、さすがのソータも危険であると承知している。だからソータは魔導士見習いの少年に扮することに決めたのだ。聖女というだけあって、魔力には困っていない。多少の攻撃魔法も使える。ソータは深緑のゆったりしたローブを着込んだ。体のラインで女性であることを把握されないようにだ。ソータは自身の中性的な顔立ちを鏡で改めて見て、神に感謝した。これなら男だといってもそこまで不思議に思われないはずである。これから旅がどんなものになるか、ソータには予想もつかなかった。ソータは自身を占う術を知らなかった。それは禁忌であるとソータを育ててくれた前聖女が教えてくれたことだ。

「おばあさま、行って参ります」

ソータは写真立てを伏せると聖域を出た。聖域は森の中にある。アオナの森には不思議な幻獣がいる。ソータの親友である幻獣が駆け寄って来る。

「キメル、僕を乗せてくれるの?」

その幻獣は額に青白く輝く角を持っていた。一見、馬のようにも見えるが、たてがみは雷のように光り、体も馬より遥かに大きい。キメルは鼻を鳴らし、ソータのために屈んだ。ソータがしっかり跨ったのを確認すると、ゆるゆると走るスピードを上げる。木漏れ日が木の隙間から射し込んできている。顔に当たる風が心地良い。こうして夜中に一緒に森で遊んだのだ。もうすぐ森を抜けるという所で、ソータはキメルから降りた。

「キメル、ありがとう。すぐ帰ってくるからね!」

「ブルル」

キメルにそれは具体的にいつ頃かとソータは聞かれた気がして、ソータは笑った。

「まだ分からない。でも、必ずアオナのリーダーを連れてくるよ!」

ソータはキメルを優しく抱き締めた。優しい友達が外の世界で出来たらキメルにも紹介出来る。ソータはキメルに手を振った。

森を抜けようとすると声が聞こえる。ソータは木に隠れてそっと様子を窺った。大人が数人いる。森の近くの村人だろうか。

「たまに森から子供の声がするのよ、本当に気味が悪いったら」 

ソータは茂みから人々を見つめた。中年の女性に警察らしき制服を着た若い人男性が二人。

「ふむ…この先には何が?」

「禁忌だから入ってはいけないんですって。本当に怖いわ」

ソータは焦った。その子供の声というのはキメルと遊んでいた自分の声だと気が付いたからだ。まさか森の外にまで声が聞こえていたとは…と自分のうっかり度合いに反省する。
ソータはもう一つ困っていた。彼らがいると、入るのが禁忌であるはずの森から自分が出てくることになってしまう。それだけは絶対に避けなければいけない。
だが彼らは全くその場を動く様子がない。このままでは夜になってしまう。ソータはそばにあった中くらいの石を道のあらぬ方に放り投げた。ガサリといい感じに音がして、大人たちが何事かとそちらに近寄っていく。ソータはそのまま全力で道を走り抜けた。

「っ…はぁ…はぁ」

全力で走るのがこんなにも疲れるとは。ソータは額に垂れてくる汗を拭った。涼しい森の中とは違って、ここは暑い。ローブが冷感の魔法を発動してくれていなければ脱ぎ捨ててしまうところだった。

ぐきゅるるる、と情けない音がする。ソータは自分の空腹に今更気が付いていた。

「な、なにか食べる物を…」

ソータはその場に座り込み、草を握れる限り掴んで口に頬張った。もしゃもしゃと噛んでいると周りから注目されていることに気がつく。はじめは気のせいかと思ったが、村人たちの明らかな畏怖の目にソータは冷や汗をかいた。

「お兄ちゃん、野草は食べない方がいいよ?」

まさか自分の半分も年を重ねてない子供に注意されてしまうとは。ソータはそれでも空腹に敵わず泣きながら草を食べた。だがもう野草がない。このままでは飢えて死んでしまう。

「おいおい、坊主。腹が減ってるのか?」

坊主と言われ、ソータはハッとなった。今自分は少年の姿である。やってきたのは髭モジャの男だった。本物のおっさん、初めて見たと感激したが声には出さない。

「は、はい」

「ならウチのヤギと野草を食うか?賃金もやるぜ」

ソータは嬉しくなった。このおっさんは食料だけではなくお金までくれるのだと。

「はい!お願いします!」

「ならこっちだ」

案内されたのは草むらだ。ソータはその広さに感激した。普段はここを畑にしているのだろう。これから耕して苗を植えるのだ。この国には四季がある。

「ありがとうございます!!」

「毒には気を付けろよ」

「大丈夫です、慣れております!」

「そ、そうかい、じゃあ頼む」

こうして、ソータの野草バイキングが始まってしまった。もしゃもしゃと野草を食べながら、ヤギを間近で観察した。ソータは聖女という特性のためか、動物と話せた。

「お前、歯肉炎なの?」

「メエエエ」

「美人なんだね、ほら笑って」

「メエエ」

ヤギと話しながら野草を食べる少年の異様な光景を、村人たちは遠巻きに見ながらひそひそと話している。すでに日が傾きかけてきている。ソータは既に満腹だった。
そのままぐーぐーとねこけてしまっている。

「ん…お腹空いた」

目が覚めたかと思えばソータは惰性で野草を食べ続けた。夜は男の家に泊めてもらった。聖域では礼拝堂の冷たい硬い床の上で寝ていたので、マットの上がフカフカで気持ちよかった。おかげでソータは一瞬で眠りに落ちた。
この生活を続けること約三日。

「食べ放題が…終わっちゃった」

「おぉ。こりゃ綺麗になったな」

男は嬉しそうに笑い、ソータに銅貨を五枚くれた。

「おっさん、ありがとう!」

ソータは引き篭もりだ。あまり他人と接したことがないので距離感が人とは違う。

「おうよ。礼を言うなら俺の方だ」

これ持っていきなと男に包みをもらった。なにやらいい匂いがする。ソータは我慢出来ずに道の隅で包みを開いた。

「これ、もしかしてパン?初めて見たー!」

村人は皆思っている。【なんだこいつ】と。
すっかりソータはこの村で有名人になっているのだった。
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