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第一章 こうして俺は少女を救い、魔王と戦うハメになった

逆襲開始!(前途多難)

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「やってやる! 今度こそ絶対に!」

 心を決めた俺はベットを降り、机に置いてあった長剣を手に取る。

「まずは素振りからだな」

 重たい剣によろけながら、俺は傍に置いてあった靴を履いて小屋を出た。

 小屋の裏手の森に出た俺は、剣を正眼に構えて素振りを開始する。
 一回、二回と剣を振ると、肩の付け根から手首の先までずっしりとした重みがかかる。それでも構わず素振りを続け、五十回を越えたぐらいで腕は上がらなくなった。

「はぁはぁ……」

 肩で息をしていると、全身からマラソンした後のような疲労感と、信じられない量の汗が噴き出してくる。剣を杖代わりに体を支えてようやく立っていられるぐらいだ。

「きついな」

 剣道の授業で型を教えてもらった素振りだが、木刀と鉄製の剣じゃまるで違う。そもそも1メートルを越える鉄の塊とか、訓練無しで扱えるわけない。

 しばらくすると体の痛みも抜けてきたので、姿勢を正し手近な木に歩み寄る。
 次はどれくらい切れるか試してみよう。
 俺は肩で担ぐように剣を構え、そのまま木の幹目掛けて斜めに切り下ろす。

 体重の乗った一撃は、木にガツンと激突すると幹を抉り、刀身が半分ほど埋まる。
 う~ん。これは、切れたというより衝撃で削りとったと言った具合の手応えで、薪割りした後に手応えに似ていた。
 とりあえず、切れ味自体に問題は無いか。そう結論付け、剣を引き抜こうとする。
 って、あれ?

「ぬ、抜けねぇ!」

 剣は刀身が木の幹にがっちり嵌り、微動だにしなかった。俺は木の幹に足を置き、剣を引っこ抜こうとする。

「うぉぉぉぉ~~~~! 抜けろぉぉぉ~~~!」

 クソッ! かてぇ!

「……おわぁ」

 と、突然刀身が抜けて思い切り尻餅をつく。

「ってぇぇぇぇぇ~~~」

 強かに打ちつけた尻をさすりながら、何とか立ち上がる。我ながら無様だ。

「ま、そんな事はどうでも良い」

 今考えるべきは俺が恰好悪いかどうかじゃなくて、どうすれば勝てるかってことだ。
 アイツと戦う為の武器は、現状この剣一本だけ。

 今は振り回すだけでこんな有様だが、コイツを上手く使えないと勝ち目は無い。まだ振り回されてるだけだが、なんとしてもモノにしなくては。その道のりは果てしなく遠いが、出来なければ勝てない。

「とりあえず、もう少し体を慣らしていくか」

 聞いた話だと残り四日、いや一夜明けたから後三日だな。その限られた時間で、今はとにかくできる事を着実に一歩一歩やっていくしかない。少しでも前進しないと。
 俺は再び剣を正眼に構え、ゆっくりと型が崩れないように剣を振る。

「ジロー」

 徐々に重さにも慣れてきた頃、背中ごしに呼ばれて振り返る。そこには、草や茸などを抱えたアイシャが立っていた。彼女は呆けたように目を見開き固まっている。

「何を……してるの?」
「見れば分るだろ。素振りだよ」

 素気なく答えて再び剣を構える。

「そうじゃなくて、そんな事をしてどうするつもりなの? まだ目が覚めたばっかりなのに」
「どうするつもりって。あの蝙蝠野郎を倒す為だよ」
「ッ!」

 剣を振りながらまたも素っ気なく返すと、少女が息を呑むのが分った。同時に、彼女が持っていた野菜やらキノコが地面に落ちる音がした。
 まぁ、予想通りの反応か。

「どうして?」

 しばしの沈黙の後、アイシャは震える声で問いかけてくる。

「私の事はもう放っておいてって言ったのに」
「勘違いするな。お前の為じゃない」
「え?」

 俺の答えに、アイシャが驚きの声を上げる。軽く一瞥すると、少女は目を丸くして此方を見つめていた。まるで分らないという反応だが、これも当然と言えば当然か。

「蝙蝠野郎を倒すのは、俺が負けたままじゃ納得出来ないからだ。お前を助ける為とか村人の為とか、そんなんじゃない。俺がアイツに勝ちたい。それだけだ!」

 少女の疑問に答える為というより寧ろ自分自身にも改めて言い聞かせるように、俺ははっきりと言い切った。
 それから再び沈黙が流れ、剣が空を切る鈍い音だけが響く。

「それとさ……」

 その沈黙に耐え切れなくなり、俺は思っていた事を口にする。

「助けるとか偉そうな事言って、ごめんな」
「え!?」
「出来もしねぇ癖に、いい加減なこと言ってごめん」

 それは素直な気持ちだった。

 剣を振りながら、俺の脳裏には彼女への罪悪感が溢れていた。
 出来ると自分でも思っていなかった癖に、でかい事口にして、心配してくれたアイシャの厚意を踏みにじって、勝手に暴走して、死にかけて。

 なのに、傷の手当をしてくれたばかりか、俺を庇って魔人の要求まで呑んで。
 俺のせいで余計危ない目にあったってのにさ。謝って許されるモノじゃないけど、謝らずにはいられない。

「そもそも、自分の事も満足に出来ないようなガキが、他人を助けようなんておこがましかったんだよ」

 自分の目標、子供の頃からの夢を長い事努力しても叶えられない半端なガキ。そんな奴がかっこつけて女の子を助けようとか何様だよ。
 俺は手を止めて彼女へ向き直る。少女の顔には、深い戸惑いが感じられた。

「うっとおしかったろ? 何勘違いしてんだって思ったろ?」
「そんな事――」
「思ったとおり言ってくれて良いんだぜ。俺は全部受け止める義務がある。好きに罵倒してくれ。ただ、さっきまでの事には限るけどな」

 戸惑い何も言えない少女に、俺は勤めて明るく笑いかける。正直、素振りを止めた瞬間、体が鉛みたいに重くて辛かったが、どうにか顔が引き攣らずには済ませた。

「ジローはもう自由なんだよ」

 俺の顔を見ながら、少女は少し悲しげに表情を歪めて呟く。その瞳が潤んでいて、今にも泣き出しそうだ。彼女は手の届く範囲まで歩み寄ってきた。

「なのに、どうしてそんな無茶をするの? 私の為じゃないなら、どうして魔人と戦おうとするの?」
「さっきも言ったろ。負けたままじゃ、俺の気が済まないだけだ」
「分らないよ。あんな目にあったばっかりなのに、魔人が怖くないの?」

 更に辛そうに顔を歪め、アイシャは大きく首を横に振り問いかけてくる。その仕草はダダをこねる子供のように見えた。

「怖いよ」
「だったら」
「でも、もっと怖い事がある。たとえ死にそうになっても諦められない夢がな」

 子供をあやすような優しい口調で、俺は答えた。それを受けて、アイシャはまた驚いた表情で小さく首を傾げる

「夢?」
「ああ。俺の夢。『自分の力で一番になる事』だ。一番になるなら、誰にも負けたままじゃ要られないんだよ。このまま逃げたら、多分一生後悔する」
「死んじゃうかもしれないのに?」

 少女の問いに無言で頷くと、彼女は信じられないといった様子で目を見開いた。

「夢を諦めるなんて俺じゃない。俺は妥協で満足できる人間じゃない。もし今逃げたら、俺は俺じゃなくなる。そんなの生きてる意味が無い。生きてるって言わねぇよ」
「全然分らない」

 苛立ち混じりに呟き、アイシャは顔を伏せる。彼女は小刻みに震えていた。

「だろうな。皆、そう言うし」

 少女の率直な言葉に、俺は溜息混じりに返答した。そして、遠くの空をぼんやりと見上げる。

「だけどさ。こうしないと夢なんて叶わない。そう身を以って教えてくれた人がいたんだよ」
「……」

 顔を伏せたままの少女に向けて、俺は静かに語り始めた。

「文字通り、命を賭けて自分の目標、夢に向かって突き進んだ人だった。今でも俺が一番尊敬してる、最高にカッコいい人だった」
「だったって?」

 ゆっくりと顔を上げながら問いかけるアイシャ。その少女を横目で一瞥し、俺は再び溜息をつく。そうでもしないと、言葉を続けられそうも無かったから。

「……死んだんだ、その人。自分の夢を追い求めて、一つ夢を叶えても次の夢、次の目標って追い続けて」
「ッ!」

「まぁ、ここまで言っちまったし、どうせだから聞いてくれ。あの人の事」

   ※

『ねぇ。ジロー君ってお兄ちゃんか、お姉ちゃんいるの?』

 始まりはそんな一言からだった。幼稚園児だった時に、友達から聞かれた言葉だ。いないよと答える俺に、その子は言った。

『そうなの? 次郎って下の子につく名前なんだよ。変なの~』

 その言葉は何の悪気も無かったが、俺は酷く嫌な気分になった事を覚えている。
以来、俺は園内中でからかわれる様になった。

『や~い、長男なのに二番目~。変な名前~』
『産まれた時から二番目。ずっと一番になれない、可哀想なヤツ~』

 幼いからこその残酷な嫌がらせ。自分が楽しいから、面白いからと他人を笑い者にする卑劣な行為。先生がどれだけ注意しても、その嫌がらせは止む事は無かった。

『五月蝿い! 僕は次郎でも長男だ! 一番なんだ!』

 そう何度言い返したかは分からない。時には相手と喧嘩になり、傷だらけになった事もある。

『どうして、僕は[次]なの?』

 親に泣きながら聞いた事もある。どうしてこんな辛い目に遭うのかと親を詰ったものだ。
 あの人と初めて出会ったのは、そんな時だった。

 それは忘れもしない幼稚園年中の夏。あの人は今は亡き祖母の経営していた自宅近くのアパートの住人で、夕食のおかずを作りすぎたからお裾分けをと母が俺をお使いに出した事がキッカケで知り合った。

 最初はただのお使いのつもりで用が済んだらすぐ帰る気だった俺だが、呼び鈴を鳴らして出てきた人の奇妙な姿に驚いた。

 真夏なのに異様なまでの厚着をしたその人は、ドテラとマフラーを身に着け、マスクを二重につけていた。額には熱冷ましの冷却シートを貼り、顔は真っ赤で汗だくだった。

『驚かせてごめんね。熱が出ちゃって無理矢理冷ましてる最中だったんだ』

 言葉を無くした俺に、その人は笑いながら告げた。汗でたわんだ額のシートがスルリと落ちたところまで鮮明に思い出せる。それからどういうわけか部屋に上げてもらった。

『お兄さん、風邪なの?』

 厚着を脱ぎ捨て、マスクをしたままシートを取り替えたその人に、俺は尋ねた。

『違うよ。コレは知恵熱さ』
『ちえねつ?』

 聞き慣れない言葉に首を傾げる俺に、その人は優しい口調で『考え過ぎて頭を使い過ぎると出る熱』だと教えてくれた。
 そして、自分は作家であり、今は原稿を書いている最中なのだと教えてくれた。

『ふ~ん。でも、何でそんな思いしてまで書いてるの? 熱が出るとスッゴク辛いんじゃないの?」

 他愛も無い会話をしていた時、俺は不意にそんな事を聞いてしまった。今思うとプロの作家さん相手に聞く事じゃないのだが、その時は妙に気になってしまったのだ。

『僕が書きたいと思っているからさ』

 しかし、そんな不躾な質問に、嫌な顔一つせずお兄さんは答えてくれた。

『ソレが僕の夢だから。僕の夢は僕が読みたい物語を書き皆で楽しむ事なんだ』

 その言葉の本当の意味を理解するのには、俺はまだ幼すぎた。
 お兄さんの境遇や体調の事を深く理解出来る歳でも無かったし、知恵熱で厚着をするなんて話もありえないであろう事が分ったのも、大分後の事だった。
 それでも、お兄さんの言ってる事が凄いというのだけは、理解できた。

『お兄さん凄いね。夢を叶えたんだ』

 だから、俺は無邪気に笑って彼を讃えた。そんな俺に、その人も優しく笑ってくれた。そして、こう答えた。
 夢は頑張れば叶うのだ、と。
 そして、彼は問いかけた。『夢はあるか?』と。

『僕は、世界一になりたい』

 その問いに、俺は何故か素直に返事した。胸の内に秘めた、俺以外の誰にも言っていない夢を、彼にだけはすんなりと教えたのだ。未だにその理由は分らない。

『素敵な夢だね』

 そして、そんな俺の夢を、その人は満面の笑みで褒めてくれた。
 更に、どうすれば世界一になれるか分らない俺に、夢を叶える方法を教えてくれた。 彼曰く、世界一を最終目標にするなら、それよりも小さい範囲の『一番』を積み重ねて、徐々に難しい目標に挑戦していけばいずれ辿り付くだろう、との事。


 その日から、俺は何かと一番になろうと努力した。
 しかし中々一番にはなれず、やはり落胆の日々だった。

『まだ君は元気に生きてる。なら、どれだけ苦しくてもチャンスが無くなる事は無い。上手く行くまで何度でも何度でもやってみよう』

 そんな俺にあの人はこんな言葉をくれた。

『どんなに今が辛くても、叶った時には全部忘れちゃうものさ。僕もそうだったからね。どうせだから頑張るだけ頑張ってみて』

 それから少しずつ頑張って、俺は徐々に【小さな一番】に近付いていった。
 それが嬉しくて、何かにつけてこっそりあの人に報告しに行った。その報告を、あの人はいつも笑って聞いてくれていた。

 そして、ようやく一番をとれた日。俺はいつものようにアパートへ足を運び、その前に止まった救急車に遭遇した。
 その日から、あの人はアパートから姿を消した。

 それから暫く。俺は今は亡き祖母に連れられて、一度だけその人の入院している病院へお見舞いに行った事がある。そこは物々しい雰囲気で、俺が知っている病院の雰囲気とはまるで違っていたことを鮮明に覚えている。

 目的の病室は、その中でもかなり奥まった場所にあった。真っ白な壁に囲まれた部屋には小さなベットが一つと大量の医療器械らしきものが並んでいた。
 ベットの上には、顔のやつれたその人が、管を腕に通して寝そべっていた。
 そのあまりの顔色の悪さに、俺は胸が締め付けられた。その人の身に、よからぬ事が起きている事が簡単に分ってしまったから。

『夢は叶いそうかい?』

 だというのに、彼は自分の事ではなく、俺の事を気にかけていた。
 そして、俺が目標に一歩近付いたと答えると、光が灯ったように満面の笑みを浮かべて祝福してくれた。自分の方が大変だというのに……。

『君が頑張ってるんだから僕も頑張って病気を治さないとな。大丈夫。またアパートに戻るから。そしたらまた、前みたいにお話できるから』

 その言葉は弱弱しい姿とは裏腹に力強かった。が、だからこそ不安を感じずには要られなかった。
 結局、アパートにあの人が帰ってくる事は無く、変わりに家族の方が遺留品を受け取りにやってきただけだった。
 出会ってから一年。あの人は、この世を去った。


 葬式の事はよく覚えていない。
 どんな顔で参列したか、どんな仕草で焼香をしたか、どんな姿で棺を見送ったか、まるで思い出せなかった。覚えているのは、あまりのショックで塞ぎこんでいた事ぐらいだ。過ごした時間はそう多くなかったが、その存在は俺にとってとても大きくなっていた。
 それから数日、あの人のご両親が我が家を訪ねてきた。
 世話になった祖母に挨拶しにきたとの事だったが、何故かその席に俺も呼ばれた。

『実は、家の子から坊やに渡して欲しいって預かったモノがあってね』

 暗い気持ちで応じた俺に、二人はそう切り出し、重たい紙袋を差し出した。

『受け取って貰える?』

 意外に思いつつ受け取ると、ソレはその人の書いた小説の文庫本だった。

『是非読んで欲しいと。どうかあの子の思いに報いてやって下さい』

 普段あまり本を読んでいなかった俺だったが、そう言われては仕方ないと本を読み始めた。
 そして、すぐに物語の世界に埋没し、寝る間も惜しんで読みふけるようになった。
 今思えば、自分の夢を笑顔で褒めてくれた人が遠くに行ってしまった喪失感を埋めたかったのかもしれない。

 本にはあの人が思いが詰っていた。物語の中で、登場人物が様々な苦難を乗り越え、恵まれない境遇を跳ね除け、自分の願いをかなえていった。

『僕は自分が読みたい物語を全身全霊で書きました。体調を崩しましたが、僕の言葉が人に力を与えらたら嬉しいです。皆、諦めないで生きましょう。なんちゃって』

 あとがきに書かれた言葉の意味が、あの人の死によって生々しく浮かんできた。文字通り『全身全霊』で描いていたのだ。諦めないで、あの人は『生きた』のだ。

 全ての本を読み終えた時、紙袋の中にはコピー用紙の束が出てきた。
 それは、まだ製本もされていない状態の未発表原稿だった。

 本の続きが読みたくて、俺はすぐさまそのコピー紙を捲った。

 物語は、強い力を得た主人公達の前に、突如現れた強さを求めた少年が問答無用に襲い掛かるところから始まる。
 難なく少年を一蹴した主人公だったが、敗れた少年はその後何度も彼の前に現れて闘いを挑む。
 何度も少年を叩きのめした主人公は、少年が強くなろうとする理由を尋ねる。

「世界一の力が欲しい。そしたら、誰にも馬鹿にされないし、負けないでいられるんだから」 

 少年は涙ながらにそう言った。
 その姿はまるで、かつて自分があの人に語った思いと酷く似たものだった。
 それに気付いて、俺はもう読むのを止める事が出来なくなっていた。

 ドンドンと物語に入り込み、まるで自分が物語の中の少年になったように感じた。
 そして、苦しみながらももがく少年に、主人公は答える。
 
「だったらそんなところで寝てる暇も嘆いてる暇もねぇんじゃねぇのか?

 弱い自分が嫌なら意地でも強くなるしかねぇ。一秒でも早くな。

 本気なら一秒だって無駄には出来ねぇ筈だろ。

 出来るかどうかなんて関係なく、本気なら立ち止まっていられるわけがねぇ。そうだろ?」

 物語はドンドン加速していった。
 少年を襲う謎の存在。そして、主人公達にも関わる黒幕の出現と、瀕死の重傷を負う少年。
 そこには様々な苦難が満ちていて、少年の苦悩が他人事にはまるで思えなかった。
 この話の結末はどうなるんだろう?
 俺は食い入るように物語を追った。

 が、その原稿は物語の途中で終わっていた。
 そして、その最後のページに、波打った弱弱しい字でこう書かれていた。

『物語の続きは君自身が証明して欲しい。信じればきっと叶う』

 気付けば俺は泣いていた。
 たかが数回話しただけ。時間にしたら、ほんの僅かな間しか過ごしていない子供相手に、どうしてここまで出来るのか? 自分の方がずっと苦しい筈なのに。

 後で祖母から聞いた話では、彼は自分の死期を理解していたそうだ。ならばと親元を離れて自分を限界まで追い込んで書いていたそうだ。
 彼は命を燃やし、自分自身が思った事を伝えたかったのかもしれない。そして、身近に夢を抱いた俺に大事なモノを託していったのだと、この時ようやく悟った。

『分ったよ。お兄さん』

 泣きながら、俺はもう天国に行ってしまったあの人に向けて呟いた。

『頑張るよ。きっと叶えてみせるよ。世界一になってみせるよ!』

 そして、俺はその思いに答える決意をした。託されたモノはとても重く、ずしりと心の中に圧し掛かったが、それでも決めた。
 それから十年、死に物狂いで俺は今も前に進み続けている。

   ※

「ってわけだ。だから俺は逃げるわけにも諦めるわけにもいかないんだ。あの日に誓ったから、何が何でも先に進まないといけない。今日までそれなりに頑張ってきたから、今更歩くのを止めようがないしさ」
「……」

 俺が昔語りを終えると、アイシャは声をなくしてしまった。彼女はそのままゆっくりと顔を伏せた。

「やっぱり全然、ちっとも分らない」

 重苦しい沈黙の後、帰ってきた答えは先ほどの言葉と変わらなかった。

「諦めたくないのは分ったけど、勝てないのに命賭けて勝負するのはただの無謀だよ。その人だって、自分のせいで貴方を死なせたいわけじゃないのに」
「おい。負ける前提で話進めてんじゃねぇ」

 前言撤回。さっきよりも数段辛辣だった。折角、柄にも無くクソ寒い昔語りなんてしてみたが、なれない事はするものじゃないな。

 まぁ、互いに言いたい事は平行線なのが分っただけで収穫か。最初から理解とか求めちゃいないけど、この話題を続ける意味は無いな。
 そう考えて、俺は別の話題を切り出す事にする。

「そういえば、ふと思ったんだけどさ」
「何?」

「もしかしてだけど。お前、俺がこの世界に来る事と蝙蝠野郎に負ける事、最初から全部知ってたんじゃないか?」
「っ!?」

 俺の突然の問いに、アイシャが弾かれたように顔を上げた。

「どうして……そう思うの?」

 少女は震える声で尋ね返してくる。

「いや、何となくなんだけどさ……」

 ソレはかねてからの疑問であり、単なる思い付きに過ぎなかったが妙にしっくりくる部分がある仮説だった。

 考えてみれば、彼女の行動には幾つか疑問があった。
 神殿で一人の時にいきなり見ず知らずの男が現れたのに、彼女はやけに落ち着いてて、警戒するどころか俺に声をかけてきた。

 そして、妙に親切だった。いきなり現れた人間を彼女は家に招き服を貸してくれた。
 その上、悲鳴を聞いた俺に『行くな』と言ったり、村人達の頼みを受ける羽目になった時も『止めろ』と言った。

 極めつけは、魔人に殺されかけた時に、何処からともなく飛び出してきた事だ。彼女は身を挺して俺を守ろうとさえしている。

 その行動がもし、彼女が俺が殺される事を知ってて、その事態を防ごうとしたなら、説明はつくんじゃないだろうか?

「予め起こる事全部知ってて、俺を助けようとしたなら、行動に全部説明がつく」

 俺の立てた荒唐無稽な仮説を、アイシャは目を見開いたまま聞いていた。
 彼女はすっと顎を引く。その表情は見えないが、少し震えているように見える。

「お前、俺の傷を直したり出来るからさ。予知能力とかあっても不思議じゃなさそうだなって。周りには隠してるみたいだけど、一つや二つ不思議な力を使えてもおかしくは無さそうに見える」

「……」

 何気ない問い掛けに、アイシャは驚愕に顔を硬直させてしばし黙っていた。彼女はそのままゆっくりと顔を伏せる。そして、大きく息を吸い、

「そんな事、出来るわけないじゃない……」

 鋭く怒気を篭めて返答した。そのまま彼女は俺に背を向ける。

「もう勝手にして」

 それだけ言い残して、彼女は小屋へと戻っていった。 

「ふぅ~……」

 その背中を見送り、俺は小さく溜息をついた。はぐらかされちまった。
 まぁ良いや。
 別にアイツが俺の事を知ってて守ろうとしてたとしても、もう関係ない。
 やる事をやるだけだ!
 気を取り直し、俺は再び素振りを始めた。
 と思った瞬間、ぐ~っとお腹が鳴った。そういえば、大分腹が減ってるな。

「アイシャ怒らせちゃったけど、飯どうしよう」
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