やさしく、いじめて。

ハル

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#3

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 暗いバーの影になる場所で密やかなやりとりを誰も気がつくことはなく、男がそっと立ち上がって店主に視線を合わせると、そのままゆるく抱き寄せられ、男の部屋へと導かれた。
「あそこはこのマンションの住人だと、会計が不要なんですよ」
 エレベーターでゆるく抱きしめられながら野端は由郁に解説する。多分会話の内容はなんでもよかったのだろう。しっとりと耳元に落ちてくる男の声に由郁は半分目を閉じてエレベーターの揺れに身をまかせる。こうやって囲われて、頬に擦れる上等なスーツの生地。そこからほんのりと伝わってくる体温。硬い男の腕に抱かれているとそこから抜け出すことがないという安心感。それを感じるだけでぼんやりとしてしまう。彼に任せておけばすべては正しく、収まるところに収まる。思考を放棄することに躊躇はなかった。
「どうぞ」
 かすかな衝撃を体に感じて目を開けると、エレベーターのドアが開いてすぐそこに彼の部屋だったことに驚いた。野端の人となりを表すような、壁は薄い黄色がかったクリーム色で、観葉植物がそこかしこに配置され、柔らかい間接照明が室内を暖かく照らす。アクセントにかけられた現代アートがいくつか。優しいがコントラストがきいているのに、なぜかくつろぎやすい空間であった。
 スタートアップで成功するような経営者はわかりやすく押し付けがましいところがあるが、この男にはそういったところがなかった。だからこそ由郁は支えていきたいと思うようになったんだろうと、その部屋を眺めながら自分のことを分析した。
「真鍋くん」
 由郁のジャケットをそっと後ろから剥がし、流れのように口付けてくる。暖かく柔らかな感触に奇妙な現実感を感じた。
「ん――しゃ、社長……」
「こういう時は颯斗はやとと」
「は、やと、さん……?」
「よくできましたね」
 そう微笑まれてくるりと体の向きを変えられて、正面から抱きしめられる。ちゅ……というリップ音が短くいくつも耳に届く。その度に唇に暖かな男のものが感じられて、息が上がっていく。なのに、口づけがやめられない。男のスパイシーな香りと味に魅入られていつの間にか自分から唇を押し付けるようにしていた。
「はぁ……」
 深く舌を差し込まれ、息も絶え絶えになる頃には足に力が入らなくなっていく。そんな由郁の様子を薄い唇に微笑みを浮かべて眺めながら、野端は奥の部屋の扉を開ける。間接照明がキングサイズのベッドを照らし出している。そこにそっと横たわせられられ、由郁はこれから起こることへの期待の眼差しを男に投げかけた。恋愛感情が二人の間にあるのかどうか、今はわからない。ただこの一線を超えれば、由郁は悩まなくても済むとしか思わなかった。
 彼に身も心も飼われてしまいたい。
「あなたの瞳……。入社面接の時から気になっていました」
「しゃ……。颯斗さん……」
「禁欲的なシンプルな黒のスーツに、普通はスタートアップなんて不安定な企業なんて受ける必要のない、安定感のある大手企業がお似合いのような経歴も申し分のないお嬢さんだった。私がそんな質問をした時に優雅に微笑んだあなたは、たおやかに一見見えた。でも、あなたの瞳はそれを裏切っていて……」
 由郁の体を押さえ込むように体を重ね、両手に指を絡ませて縛りつけるように、野端は囁きながら、そんなことを告げる。柔らかく丁寧な言葉使いなのに、与えられる口づけは性急で、野端の心情を少しだけ暴き出す。指をこれ以上深く絡めさせることはできないほどギュッと絡められ、由郁は乱れた前髪も気にしないで口づけを与えてくる男の表情を何とか見定めようと目をこらす。なのに、彼の顔は影になっていて何も読み取ることはできなかった。自分の表情は彼から丸見えなのに、そこに少しだけ不安を覚える。
「ん――」
 舌先を絡められ、引きずり出されるようにお互いの舌を擦れ合わせる。濡れた音とはぁはぁという小さな息遣いがしばらく続く。由郁は息が切れて、きゅっと男のジャケットの襟に指を絡ませていた。
 しばらくして名残惜しげに、唇を離して男がそっとささやいた。かすれた声には深い情欲が宿っている気がした。
「激しさがどこか潜んだあなたの瞳を眺めて、私の元にいてほしいと……」
「だから、私を採用してくださったんですか?」
「ええ、そうですね。それだけじゃないですが、大きな理由です」
 そう言いながら、ブラウスをパンツから引き出し、下のボタンからそっと野端は外していく。露わになっていく白い腹の上に、大きく筋張った男の手のひらが置かれる。
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