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【3】九十九の願い事……⑭
しおりを挟む廊下を歩く足音が聞こえる。
雨戸を閉め切ったまま何日も過ごした自室の布団の中で、佐加江は目を覚ました。
「佐加江!」
「……おじさん」
「とうとう来たのか」
家中に充満した精液とフェロモンの残り香。越乃がハンカチで鼻と口を覆い、眉間にしわを寄せながら雨戸を開けると、佐加江は久しぶりに浴びた陽射しに目を細めていた。
「……うん」
「薬は飲まなかったのか」
「わけが分からなくなっちゃって」
「そうか。……心配した。何度も電話したんだ、携帯にも保育園にも。村長も尋ねて来ただろう。一人で心細かったな、大丈夫だったのか」
「青藍が、いてくれたから」
越乃は妙な胸騒ぎを覚えた。この村に、そんな名前の男はいない。それに抑制剤を飲まなかったとなると、フェロモンの匂いで様子を見に来たアルファである村長が気付くはずだ。取り乱した越乃が、佐加江のうなじを見たが噛み跡はなかった。
「セイランというのは、……誰だ」
窓から見える鬼治稲荷神社の赤い鳥居を、佐加江が見つめている。
「佐加江、よく聞きなさい。仕事は辞めていい。連絡はしておくから、もう行くな」
「おじさん、何を言ってるの?」
「無断欠勤を一週間もして、ご迷惑をおかけしたんだ。家にしばらくいなさい」
「でも」
「家から一歩も出ては駄目だ」
それだけ言い残し、越乃は急いで診療所へ向かった。
「学長、とうとう来たようです」
診察室にある備え付けの電話で、越乃は佐加江に聞こえないよう小さな声で藤堂へ連絡を入れた。
「ええ。いろいろあったようですが、噛み跡はついてません。今日から一歩も外へは出さないつもりですが、……もしもし?」
電話が切れてしまった。途中、ノイズが入ってよく聞き取れなかったが、内容は伝わっただろう、と越乃は受話器を置いた。
佐加江の次の発情が一ヶ月先か、三ヶ月先か分からない。診察室のカレンダーを見ながら、越乃は鬼宿日を探す。
村では昔から、二十八宿の暦を使って行事を決めている。一ヶ月を二十八日で数え、二十三日目の鬼宿日と呼ばれる日が神事をするのにもっとも良い日とされていた。その日は、鬼が宿にいて出歩かないため邪魔されずに事が運べるという伝承が残っているほどだ。
耳を澄ませば、シャワーを浴びている音がする。佐加江が近くにいない事を確認した越乃は、保育園へも連絡を入れた。
「もしもし、越乃でございます。息子が無断欠勤した旨、申し訳ありません。実はついに発情しまして、……ええ。最初のお約束どおり、このまま退職という運びでお願いします。後日、改めてご挨拶に伺いますので。神事の際は、園長にも是非」
玄関の引き戸を開ける音が聞こえ、越乃は鬼治出身で隣村へ引っ越したアルファ女性である園長と短い会話を終わらせた。
「良輔君、帰ってきてるのか」
「はい!」
越乃を呼ぶのは村長の浩志だ。こう聞くと、歳を取ってもつい昨日まで会っていた学長の藤堂 浩彰と声がよく似ている。
土間のあがり框に腰を下ろした浩志は慌てて来たのか、農作業用の麦わら帽子をとり、首に巻いた手ぬぐいで汗を拭いていた。
「やっと来たって?」
「ええ。長らくお待たせしてしまって。ーー外で話しましょう」
浩志が胸ポケットから煙草を取り出し火を灯す。そして、気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと紫煙を吐き出していた。
「次はいよいよ、学長のところの浩太さんですね。昨日、会ってきました。あれから十七年ですか」
「そうだな。祖父の頃からの特区とはいえ越乃家のお陰で、アルファが脈々とこの村で受け継がれてると思うと、何かお礼をしないといけないな」
「私も出張ではなくここにいられるので、安心です。人目を気にせず研究も出来ますし」
村で産まれる子供を取り上げてきたのは、医者家系の越乃家だった。しかし十七年前の浩太の誕生を境にオメガによる出産は途絶え、期待していた佐加江にその兆候はなく、諦めていたところだった。
佐加江は、この村で産まれた子供だ。しいて言えばその親もまた鬼治で産まれ、オメガ同士で結婚したのだった。
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