あやかし百鬼夜行

佐藤紗良

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【3】九十九の願い事……⑤

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 ーーまだ、死にたくない!

 地面に叩きつけられると思った瞬間、フワッと体が浮いた。

 おそるおそる目を開けると、すぐ近くに男の顔があった。どうやら佐加江は、力強い両腕に抱き抱えられていたようだ。

(やっぱり青藍だっ!)

 男の額に瘤のような物ができ始め、それはみるみるうちにニョキニョキと伸びていく。

「鬼の角って、出し入れ自由なんだ……」

 男を見つめる先には佐加江が普段、見たことのない世界が広がっていた。

 昼と夜の境のような群青色した逢魔おうまどきの空の色。土が踏みならされたどこまでも続く大通りには赤い提灯が吊るされ、その先の広場では、特別ゲストの弁財天の琵琶の音色に合わせて踊る人魂の盆踊り。ぬえが突然、ヒョーヒョーと鳴けば、恵比寿が抱えていた鯛が驚いて跳ね上がり、なんと書いてあるのか分からない看板がある緑色の建物から出てきたのは、ヒンドゥーの破壊神、シヴァ――。

 佐加江は、トンと地面に降ろされた。

 足元にあった花を踏んでしまい、スニーカーを履いているはずの足の裏がムズムズした佐加江が退けると、それはモソモソと移動して商店の裏へと隠れてしまった。

「青藍、結婚しちゃったんだ……」

 ここがどこか、と言うことよりも青藍とおぼしき男の事を「父様」と呼ぶ仔狐がいることに、佐加江はショックを受けていた。

「天狐、この野郎! 離せよっ」

 突風が吹き、提灯が激しく揺れる。天から声が聞こえ、朱の隈取くまとりでもしたかのような目力の強い、大きくて真っ白な天狐が突如として風に乗って姿を現した。口元にはレジ袋を握りしめた男性を咥えている。

「離せ……ッてば!」

「仰せのままに」

 天狐は男性の身体をパッと離した。地面との距離はそこそこある。まともに落ちたら擦り傷では済まないと思った佐加江が走り出そうとすると、やはりふわっと浮き上がった身体が、静かに着地した。

「……つか、いきなり離すな!もっと優しく扱え」

「鬼殿、申し訳なかった。子守りは苦しゅうなかったか」
「慣れておりますゆえ。桐生きりゅうが捕まったようで何よりでした」
「ああ。都会の花街をそぞろ歩きしておった。に化けて、なるところの休憩へ誘ったら一発よ」

「ば、ばっかじゃねぇの! 最初から天狐だって気付いてたしっ。俺、てっきりデートに誘われたのかと思って……ゴニョゴニョ」

「桐生はまだ遊びたい年頃ですから、仕方ありませんね」

「人のこと、何歳だと思ってんの。あんたらに比べたら若いかもしれないけど十分、おっさんだわ。それに、遊びに行ったわけじゃないから。コレ買いに行ったの!」

 桐生が手にしていたのは、佐加江が東京に住んでた頃にもよく見かけたドラッグストアのレジ袋だった。そこからおしゃれなデザインの小箱を真っ赤な顔で取り出している。

「コンドーム……」
「仔猫ちゃん、正解!」

「こ、仔猫?!」

 極薄でつけている感覚がないと、いっとき深夜番組などで話題になった商品。それは童貞の佐加江でも知っているパッケージだった。

「こんど、む?」

 天狐がその箱の匂いを嗅いで、眉根を寄せる。

「はい、鬼君にも買って来たから使ってね。アルファだから、どうせデカチンなんでしょ?!子作りもいいけど、避妊も大事だからね。これ、テストに出ますよ」

 青藍は、渡された箱を振った。なかからカサカサと聞こえた音に、何か生き物でも入っているのではと耳を寄せながらいぶかしむ。

(やっぱり、結婚してるんだ……)

 せめて愛人枠とか、側室枠とか残っていないだろうか。佐加江はひとり落胆しながら、うつむいていた。

「向こうのネットカフェで調べたら天狐のちんこに合うゴム売ってるの、この店しかなかったんだもん!極々太ってなんやねんて」
「桐生、我の為に……」
「だから、天狐のちんッ」

 天狐は大きな舌で桐生の頬を何度も舐め、懐にいれ抱きしめているようだった。

「……もうすぐ発情期が来るし、そのたびに子供できてたら二人の時間がなくなっちゃうだろ」

 桐生は真っ赤な顔を天狐のフワフワの毛へ埋め、寄って来た仔狐を胸に抱き上げていた。

「私は失礼しますよ、天狐様。その者は末の仔狐をさらおうとしていた者です」

「え……。違うってば」

「佐加江ではないか」

 天狐は佐加江を見下ろし、目を細めていた。

「僕のこと、知ってるんですか」
「よく知っておる」


「佐加江ーー」


 青藍は佐加江を一瞥いちべつし、首を傾げていた。


 
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