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第三章:特異点となった男は歴史を動かし始める

第十三話:帝国暦55年と555年の特異点

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【帝国暦555年・リーンの研究所】

 リーンはゴンを連れて研究所に戻り、彼女にペンとノートを渡してこう言った。

「ゴン、お前はこれから毎日帝国暦55年から555年にあった大きな事件と、バート・ルイスに関する事件を思いつく限りここに書いて欲しい。ワシはそれを見て同じ物を書き残す」
「何の為にですか?」
「歴史が書き換えられ続けておる事と、ワシだけがそれに気付けておる事の確認の為じゃ。ワシの仮説が正しければ、数日でえらい事になるぞ。それこそ、魔王の復活以上のな」

 何の事だか分からないという顔をしつつも、ゴンは命令に従い、過去に転生したバートについて、人類と魔族の関係の変化について、そしてリーンがバートとして学園に入学してからの事件について書き記した。当然、そこにフリンの死についての記述は無かった。

「やはりお前もフリンの事を忘れてしまっておるか…。ゴン、ゼラチナという名前に心当たりはあるか?」
「バートが過去の学園に通っている時に亡くなったアラモード家の娘がその様な名前でした。確か、バートと二人きりで魔族のアジトに乗り込んで死んでしまったと記憶しています」
「成歩堂、多少は歪んだ時間の法則性が分かってきたわい。では、明日から引き続き記述を頼むぞ」

 それから五日、魔王軍に動きは無く、新たな情報も、フリンの存在を知る者も現れないまま時間が経過していった。

「やはりな」

 ゴンに毎日書かせていたものと自分の書いた写しを見比べながら、リーンは自らが立てた仮説が正しかった事を確信した。

「ゴン、これを見よ。お前が四日前に書いた記録とワシがそれを写したものじゃ。こことここ、違っとるじゃろ」
「リーン様が転記ミスをした訳ではないのですよね」
「うむ。ワシの記憶が確かならば、お前はこの五日間で少しずつ記憶に矛盾が生じておる。しかし、どうじゃ」

 リーンはこの五日間ゴンに書かせた記述を机に並べる。それらは全て同じ内容が書かれていた。

「この通りお前の書いたものは全て同じになってしまっており、お前もそれが正しい記憶と思っておる。じゃが、ワシが書き保管しておいた写しは見事バラバラじゃ。これはもう、ワシ一人がおかしくなったか、ワシだけがマトモなのかのどちらか。そして、そうなった原因は間違いなくワシとバートでやった転生術じゃ」

 そう言うと、リーンは目を閉じて瞑想を始める。

「ゴン、少し一人にしてくれ。ワシは頭の中で考えをまとめる」
「では、私は魔王軍の情報を集めてきます」

 ゴンが出ていって数分後、リーンの意識は己の心の中に作った部屋にあった。部屋には大きめの円形テーブルが設置されており、五人の美女が席に着いていた。

「やぁ、リーン君がここに来るのは久しぶりだね。今回は私達の誰の力と知恵を借りたいのかな?」

 美女の中の年長者がリーンに問いかけると、リーンは申し訳無さそうに首を振った。

「五大精霊よ、すまんが今回は時の大精霊と話がしたいのじゃ。なので、少し席を外して欲しい」

 五人の大精霊達はリーンと話が出来ない事としのぶが来る事を知らされると皆ガッカリした表情を見せたが、リーンが緊急事態である事を告げると大人しく従った。

「そういう事なら私達は今日は帰るよ。でも、アイツの体臭本当に酷いから、終わったらこの部屋掃除しておいてよね。絶対だからね!!」
「わかっとるわい」

 大精霊達が去った後、リーンは大急ぎで掃除を始める。五大精霊が時の大精霊の臭いを嫌っている様に、時の大精霊も他の大精霊の臭いのする場所には近づかないからだ。リーンは気を集中し、地水火風を相殺し光の魔力も極限まで絞っていく。

「頼む、来てくれい」

 この時ばかりはリーンも神に祈るしか無かった。転生術の研究中に何度かしのぶの力を借りはしたが、直接彼の姿を見て対話出来たのはほんの僅かな時間だけ。

「幸い、今のワシの肉体は以前に比べ五大属性の使用頻度が圧倒的に少ない。じゃから、彼女達の残り香も控えめになっておるはず。時の大精霊しのぶよ、ワシの声が聞こえるならここに来てくれ」
「サザー…呼びザー、ましたぞザザー…?」

 来た。ノイズが酷く、姿は常にブレているが、リーンが今までしのぶに接触を試みた中では一番鮮明な声と姿だった。

「ザー、ここ、ザザー、臭いし、吾輩正直、ザー、貴方の事あんま好きじゃないし、要件は三分でザー、手短に頼みますぞ」
「十分くれ」
「五分」
「分かった。五分で良い。しのぶよ、質問に答えてくれ。ワシとバートという小僧の居る場所は単なる過去と未来という訳では無いのじゃろ?」

 リーンの質問を聞いたしのぶはウンザリした顔で答えた。

「貴方が悪いの、ザー、ですぞ。下手な考えを巡らせ過去と未来で魂を入れ替えようとしたから、こんな事になってザーしまったのですぞ」
「こんな事とはどんな事じゃ」
「ザー、これまでは時は正しく過去から未来へと進んでおりましたぞ。しかし、過去に戻った人間、ザザ、それも時の魔術への最大限の適正を持った人間が産み出された事により、世界の維持は困難となりました」
「時の魔術への適正?ああ、確かにこいつの身体はある意味ワシよりもしのぶ好みじゃからな」

 リーンは即座にバートの才能を理解し、あちらの世界に行った彼が今まで誰も見た事と無い力を振るい無双する姿を想像した。

「未来から、ザザー、飛んできた魂をこのまま受け止めたら過去の世界の崩壊の危機、そしてそれは未来の危機ともなりますぞ。そこで過去の世界は二つに割れて、ザー、並行世界を産み出したのですぞ」

 しのぶはテーブルの上に置かれたナプキンにペンを走らせて、二つの丸が重なり合う図と少し離れた位置に小さな丸を描いた。

「ザザー、ザー、貴方が転生術を使う前の帝国暦55年を仮にA世界、バート・ナードが暮らしていた555年をB世界とします。そして、今回の転生術の影響で新たに発生したのがもう一つの帝国暦55年。バートの魂ははこのC世界へと旅立ちましたぞ」
「仮にこのC世界が小僧のせいで滅んでも、元の世界の未来には影響が無い。そういう事か?」
「否ですぞ。この並行世界は未来と直接繋がっていないほぼ独立した世界。しかし、あの方の時の魔術の力は世界の想像を超えてましたぞ。ザー、彼がC世界でやった事はザー、A世界であった出来事を上書きし、ザー、ザー、このBザザー、ザザー」

 ノイズが強くなり、しのぶの言葉がどんどん聞き取れなくなっていく。彼がこの場に存在出来る時間の終わりがすぐそこまで迫っていた。

「しのぶ、最後にもう一つ教えてくれ。何故ワシだけが世界の変化に気付いておる?ワシは時の魔術においてはそこまでの力は無いはずじゃ」
「ザー…ザー…貴方…が…彼と肉体を入れ替えたから…、世界は彼を…歴史の変化の起点ザー、特異点と認識し…貴方も…ザザー、ザザー………ザ………」

 しのぶの姿が完全に消え去り声も聞こえなくなった。もうここに要は無い。そう思ったリーンは意識を現実へと戻し目を覚ます。五大精霊から部屋の掃除をしておけと言われていたが、それは今度瞑想する時にやっておく事にする。

「原因は分かった。しかし、どうやってこれを解決すりゃいいんじゃ。過去のそのまた遠く離れた世界で小僧がやらかす度に影響が来るとか、対策も出来んわい。取り敢えず、あちらにおるゴンに小僧の動きをいい感じにしてもらえる様期待して、今はこの世界の魔王じゃ」

 バートの事は今は考えても仕方ないと割り切り、リーンは再び魔王撃破を第一目標とした。

「楽しい楽しい魔族狩りサーカス。主演はワシ、相方はゴン。早く開催したいもんじゃ」

【帝国暦55年・魔族の隠れ家】

 この世界が元からあった過去の世界ではなく、それをコピーして作られた独立した世界だという事は今のバートは知らないし、まだ重要な事ては無かった。

「さあ行こう!楽しい魔族狩りサーカスの時間だ!」

 今真っ先に考えないといけないのは、この窮地をどう切り抜けるかだった。

「ど、どないしよ~。ガクガクブルブル」
「ふむ、既に魔族をどの様に殺そうか考えを張り巡らせて、興奮に震えているのか。私以上の戦闘狂だな!流石は大賢者リーンの隠し子!」

 現在バートが使えるのは当たった物の動きを一定時間遅くするビームを放つ事だけ。近接戦の攻防も無理だし、ゼラチナを置いて逃げる手段も無い。バートの頭の中では、しのぶが鼻の穴を広げて深呼吸していた。

「そうだ、しのぶ!」
「ん、どうしたバート?」
「ぜ、ゼラチナ五分時間くれ!俺の頭の中に飼っている大精霊と作戦タイムしてくる!」

 それを聞いた途端、ゼラチナはポカンと口を開け、その口から大量のヨダレを排出した。

「ジュルリ」
「あ、あのーゼラチナさん?」
「フフフ、己の心の中に大精霊を一度でも呼び込めたら天才とされるのに、飼っているだって?それは本当かい?」
「ハイ、ホントウデス」
「嗚呼、やはり君は素晴らしいよ!ここの魔族は私が全滅させておくから、五分後その力を存分に見せてくれ!約束だぞ!」
「お、おう!それじゃそこの茂みで瞑想してくるから!」

 ゼラチナの言葉を要約すると、「もう我慢できない。魔族とかテキトーにぶっ殺してお前と決闘したいんですけどぉー?」だったのだが、バートはそれには気付かすただただこの場をやり過ごせそうだと安堵して草むらに隠れ目を閉じた。

「しのぶー!相談に乗ってー!」
「スーハースーハー、やはりここが吾輩のベストプレイスですぞー。ここの快適さを知ってしまったら、リーンのハウスには行きたくないですぞー」

 しのぶはバートの呼びかけに答えす、脳内ルームで大の字になってゴロゴロしていた。

「しのぶ!助けろ!この事態へのアンサー!」
「あ、御主人様来てたんですぞ?」
「解決策!五分以内!はよ!」
「んー、今作の吾輩は全てを知ってる全知全能的なスキルでは無いので具体的な質問でお願いいたしますぞ」

 バートはこれから魔族と戦わなあかん事、弱いから普通に戦ったら命がマッハな事、弱いとバレてしまったら同行者の一流戦闘狂魔術キチガイに何されるか分からない事をむっちゃ早口でまくし立てた。残り時間二分三十秒。

「成歩堂、大体理解しましたぞ。つまり、てっとり早く強くなりたいのですぞ?」
「ちがーう!本音を言うと今すぐ元の世界に帰りたい!俺は殺されるこも殺すのもまっぴらごめんだ!お前時の大精霊なんだろ?リーンが使った未来転生で今すぐ俺を元の時代にー」
「あ、それ無理なのですぞ」

 しのぶは脇の下から汗ばんたナプキンを取り出して脳内ルームの机の上に置いた。

「この二つの重なった丸が帝国暦55年と555年の世界でして、御主人様が今居るのはこの離れた所さんにあるもう一つの帝国暦55年なのですぞ」
「へ?」
「ですから、この場所から未来に飛んでも元の世界には帰れないという話なのですぞ。元の世界の過去と未来をA世界B世界としたならば、現在C世界に居る御主人様が未来に飛ぼうとしても、その先にはB世界は無いので帰る事は出来ませんぞ」
「えっ?えっ?えっ?」

 バートの頭では理解出来ない言葉を次々と発せられ、彼はどうすれば良いのかを分からなくなってしまう。ただ、色々とマズイ事が起こっている様な気はした。でも、今は知りたいのはそれじゃない!残り十秒。

「しのぶ!俺が未来行ったらどうなるうんぬんは長くなりそうだからまた今度!とりま、今日をだましだまし生きる方法を」
「バート、今戻ったぞ!」
「ちくしょう、タイムオーバーかよ!」

 ゼラチナに呼びかけられて意識を現実に戻し目を開けると、返り血まみれの彼女が目の前にいた。

「ヒィィぃぃ!!」
「ここに居たのは殆どがゴブリンやオークだし、ロクな抵抗もしてこなかったから楽勝だったな。鍛錬にすらならんが、死体を持ち帰れば成績に加点はされるだろう」
「無抵抗のゴブリンやオーク殺したのかお前!」

 バートのいた未来では、ゴブリンやオークの大部分は人間社会に迎合しており人権が与えられていた。バートが暮らしていた男爵家にもゴブリンのコックがおり、バートの料理の基礎は彼から学んだものだった。

 そんな世界で生きていたバートにとって、ゴブリン達が無慈悲に殺されてしまったのは恐怖であり悲しき事件でもあった。

「俺が一人で悩んでる間に、ここに隠れていた奴ら全員やってしまったのか」
「そうするって最初に言っただろ」

 もし、ここに住んでいたのがゴブリンやオークで戦う意志が無かったと分かっていたら、バートはゼラチナを止めていただろうか?きっと我が身可愛さにゼラチナの虐殺を見て見ぬふりをしただろう。その様なシミュレートが容易く出来てしまう己の実力と心の弱さに絶望していると、ゼラチナはアジトの出入り口に人差し指を向けた。

「安心したまえ。君の為にレアものを一匹生かしておいた。それを相手に君の戦い方を見せてくれたまえ」

 そこに立っていたものは竜人族の少年だった。年は多分ゴンと同じくらいだ。

 竜人族の少年は仲間の死体とそれを行った犯人を交互に見つめると素早く一気に走り出す。

「ヒイィィィ」

 しかし、少年の逃げ道はバートに塞がれた。ストレスが限界に達したバートも同時に逃げようとして、お互いの逃げ道を塞いでしまったのだ。

「ヒィィィ」
「ヒィィィ」
「フッフッフ、お互いにやる気、十分といった所さんか。かたやゴン先生と同じ竜人族、かたや大賢者の息子。私はこの黄金カードを特等席で見学するとしよう!」

 ノリノリなゼラチナに対し、バートも竜人族の少年も戦う気力ゼロ。しかし、なんとしても生き延びたい二人は、やりたく無いけど目の前の相手と戦うしか無かった。
 
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