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八話 草原でのお茶会
しおりを挟む「ハァっ……。ハァ……っ。」
滴る汗と、いくら呼吸をしても足りない酸素、熱を帯びた筋肉は、限界が近かった事を知らせて来ていた。
*
駆け始めて数秒の後、俺たちは早速五階層の洗礼を受けた。
鞭のようにしなって襲いかかって来る人面樹の枝、大口を開いて飛びかかって来る巨大な狼、そして暗闇から突然伸びて来る触手……。
飛ぶように走る足の先には、羆さえも絡めとる大蜘蛛の巣や、植物の毒針、さらに魔法を使った罠……。
攻撃はいなすか叩き切り、足元の罠は避ける。すぐ後ろを着いて来ているジョゼに、出来るだけ攻撃が当たらないように、魔法も合わせた六感をフルに使う。
後ろを着いて来ているジョゼは、俺が蹴散らした魔物の肉片や、僅かに討ち漏らした攻撃を剣で薙いでいっている。
真後ろを振り返る余裕はなく、気配と音だけで彼女の存在を確認する。
まさか、誰かと一緒にこの五階層を抜けるのが、こんなに大変だとは思わなかった。
呼吸をすれば、集中が乱れる。息を止めたまま、ひたすら前に進む事だけを考える。
もう、限界が近い……。
そう思った時、急に視界が晴れる。足がもつれ、俺の身体は草原を転がった。
もう何も出来ない……。
やっと草原の中ほどで止まった俺は、大の字に寝転がった。
*
「ずいぶんと派手な登場じゃのう。」
黒いドレスの少女が、日傘を差しながら俺を見下ろしていた。
「きょうは……なんだか……ま……まものが……おお…くて……。」
「ふむ。確かにそんな感じはするのう。」
その少女は、複雑そうな顔を、俺が跳びだして来た森へと向ける。
「大丈夫ですか!? 」
「だ……大丈夫。足がもつれただけ……だから。」
跪いて、心配そうに俺を覗きこむジョゼの顔をみて、ホッとしてから答える。やっと息も整って来て、周りの状況が目に入って来た。
一体の石人形のメイドを従えた、黒いドレスの少女が、俺の直ぐ傍に立っていた。
やっと、その姿がアーデルハイドである事が、煮えたちそうになっている頭で理解が出来るようになってきた。
これは、いつまでも寝ている訳にも行かない。
俺はよろめきながら立ち上がり、隣で支えてくれたジョゼを、反対側の手のひらで指す。
「あ、アーデルハイドさま。こちらが今回ご招待いただいた、ジョゼ嬢です。」
「ジョゼ……と申します。アーデルハイドさま。本日はお招きいただき、ありがとうございます。」
ちらりと横を見ると、ジョゼは鎧姿のまま、淑女がするように、見えないスカートを摘まんで片膝を落とし、礼をした。
「ようこそいらっしゃいました。ジョゼ……さま。今日はごゆっくりお過ごしください。」
その、アーデルハイドの言葉には、いつもの尊大な響きは無く、ただただ嬉しいと言っているかのようだった。
*
ジョゼは、着替えをするために、アーデルハイドと石人形のメイドに伴われて、神殿に入っていった。俺は、見知った顔が座る、いつもとは違って森の際に置かれた、粗末な古いテーブルへと着いた。
どうせ魔力で編んであるんだから、新品でも良いだろうに。
変なところに拘るな。いつも。
「お待たせ。ちょっと遅くなっちまった。すまない。」
「よう。何とか間に合ったみたいだな。俺はてっきりあの騎士団長を連れてくるもんだと思ってたぞ? 」
「あの方はどなたです? 」
獣人のリカルドと、エルフのオーディンから矢継ぎ早に質問される。
「俺のかくし球だよ。」
ニヤリと笑う俺に、二人は顔を見合せると、いいから教えろと詰め寄って来る。しばらく二人をからかって楽しんでいたが、とうとうその剣幕に負けて、俺は一から白状させられる羽目になった。
*
「ふむ。占い師ね……。」
エルフのオーディンが難しい顔をする。魔法や魔術の事なら、こいつの右に出るものは、俺の知る限り居ない。
「俺もそんな話は聞いた事が無くてな。オーディンが知らないのなら、誰に聞いても解らないわな。」
「未来を予知する魔法が無いって訳じゃないんです。今まで研究をしてきた魔術師もかなり多いですからね。ただ……。」
「ただ? 」
「それはあくまでも大きな流れに関するものでしか無いんですよ。これから争乱が起こる……とか、どの辺りで天変地異がある……とか。個人の運命なんて、複雑な要素が絡み合い過ぎて、予測することは不可能です。」
「じゃあ、そいつは神様が化けていたのかもしれないな。」
「……。」
「……。」
オーディンの話を聞いて、冗談半分に答えたリカルドに、俺たちは何も言うことが出来なかった。
*
「お……。出てきたな。」
リカルドが目ざとく神殿から出てきた人影を見つけた。
黙り込んでいた俺たちも、そちらに目を向ける。
先頭を歩く、一回り小さいアーデルハイドは、非常にご機嫌なようで足取りも軽やかだ。その後ろには四人の人影が続き、二人は髪をアップに、残りの二人は髪を下ろしている。
髪を上げているのは、既婚者の印で、一人はまるで彫刻のような美しさを湛えたエルフの女性、もう一人は日焼けした肩を大きく開いたドレスの、野性味溢れる獣人の美女。
そして髪を下ろしているのは、幼馴染のレイアとジョゼだった。
「やはり、我が妻は美しいな。」
「ああ。俺の嫁は美人だ。」
オーディンとリカルドは、パーティードレス姿の彼女たちに釘付けとなっていた。
毎日見てるだろうに、彼らは自分の妻を熱い瞳で見つめている。
席に着いた彼女たちの中から、ジョゼが、こちらをちらりと向いて、笑いながら会釈を送ってくる。
また、その笑顔にドキリとして、目が離せなくなった。
……やっぱり俺はかなりおかしい。
*
「で、そっちでもそんな話が出てるのか? 」
俺は、オーディンとリカルドからの話を聞いて、思わず顔をしかめた。
彼女たちがお茶会を楽しんでいる間に、俺たちはいつもの情報交換をしていた。
テーブルに並んでいる質素な茶器から、俺は自分でカップに茶を注ぎながら獣人に尋ねる。
どうやら、今日の俺たちの設定は、淑女を連れてきた従者と言うことらしい。
「ああ。魔物の様子がおかしいってんで、調査依頼を出して欲しいって陳情が上がってきてる。これじゃ、安心して狩りも出来ないってな。」
「うちでも魔術師たちが、森の魔力に大きな波が出来る事があると報告して来てますね。」
冒険者組合から上がって来た情報を叩き台に、俺たちはそれぞれの国の情報を交換しあう。
レイアが調査した第五階層の様子は、明らかに何かに怯えた魔物たちが、一部に追いやられていると言うものだった。
「まさか……魔王とかか? 」
「それは……無いでしょう。魔王が復活したのなら、アーデルハイド様が気が付かないはずも無いですし。」
「そうだよな……。」
お茶会の席から、楽しげな笑い声が響いて来る。
ふと、そちらを見ると、何か面白い話でもあったのか、皆が一様に口を抑えて笑っていた。
アーデルハイドも、普段はまったく見せないような、屈託のない笑顔で笑っている。
初対面の女性ばかりのはずだが、ジョゼも楽しそうに話に興じていた。
「なんだよ。ニヤニヤして。気持ち悪いな。」
「うるせえ。お前も人の事言えないだろ? 」
「そうですね。人の事は言えません。」
そんな話をして、三人の男たちも、お茶会の邪魔にならない程度に笑いあった。
この気の置けない感じが、俺はとても気に入っている。
こいつらと旅でも出来たらな……。と、叶いもしない夢を思い描いてみた。
*
気がつけば、ずいぶんと長居をしてしまっていた。
お茶会の方もお開きとなった様子で、女性たちが再び森を抜けて帰るため、着替えをしに神殿へと入って行っていた。
「それじゃ、俺の方は冒険者組合に調査依頼を出す。あと、個人的にレイアにもだな。」
「解った。俺の方からも調査依頼を出す。狩人にも、変わったことが無いか聞き取りもしておく。」
「うちは魔術師協会にも依頼しますよ。」
俺たちは、それぞれが独自に調査を行って、また次に集まった時に、その情報を持ち寄る事を決めていた。
各国にある冒険者組合と、独自の情報網を駆使すれば、黒い森の中で何が起こっているのかを推定する手掛かりにはなるかもしれない。
「今日は二階層辺りで夜営かな……。」
「確かに、ちょっと日暮れには間に合いそうにないな。」
「いつもよりも、ずいぶん長く居ましたからね。」
すでに大分前に昼も回り、午後の茶の時間も過ぎた頃合いだ。
俺は、三階層の魔物の集団を巻いて、二階層に出た辺りで夜営するしかないなと腹をくくる。
そこまで出てしまえば、魔物避けの香を焚いておけば、多少睡眠も取る事が出来るだろう。
ただ、まずは五階層を抜けなくてはならない。ジョゼが戻って来る前に、両手で自分の頬を叩き、気合いを入れる。
*
「お待たせしました。」
「おつかれさま。今日は楽しめたかい? 」
「ええ……。とっても。私、アーデルハイドさまとお友達になったんですよ! あと、向こうに帰ったら、ちょっとお話がありますからね! 」
「話って……? ま、とりあえず良かった。で、目的は果たせたのかい? 」
少しだけ怒った表情のジョゼに尋ねる。
「……いえ。……あの……。」
複雑そうな表情を浮かべるジョゼを見て、俺は全てを悟った。
この娘は、龍の鱗を取りに来たと、友達になってしまったアーデルハイドに言えなかった。
もし、自分の利益のために近づいたと思わせてしまったら、きっと彼女が悲しむと思ったのだ。
自分の純潔すら無くしても構わないと言う願いを隠すしか無かったのだ。
その悲しみを、彼女は誰より知っているはずだから。
これだから女は苦手だ。
特に、こんな優しい女は。
「あ……あの……。」
俺は、見送りに立つアーデルハイドの下へと歩く。後ろから引き留める声が聞こえるが、知ったことか。
「アーデルハイドさま。お願いしたい儀がございます! 」
俺は、彼女の前に立つと、片膝を着き、両手を組んで頭を下げる。
その場にいた、六人の目が一斉に注がれる。
俺たちは、決して古代龍の飼い主でも雇い主でも無い。勇者の願いを律儀に叶えている彼女の寂しさを慰める存在でしかない。
だからこそ、俺たちは『道化』なのだ。
その『道化』が願いを言うなど、打ち首になっても仕方がない。
「なんじゃ。申してみよ。」
普段以上に冷たい声が響く。
強大な力を目の前にして、俺の背中に冷や汗が流れた。
生物には、生まれながらにして、相手との力の差を推し量る本能が備わっている。その警報が痛いほど頭の中で鳴り響き、気が遠くなりそうになる。
ただ、彼女の泣き顔だけは見たくなかった。
「申してみよといっておる! 」
苛立ちを含んだ声が投げ掛けられると、まるで暴風のような魔力の嵐が吹き荒れた。
精神そのものが持っていかれそうな魔力の嵐を必死で耐える。
「……実は、私の母が呪詛を受けてしまい、その薬として貴女様の鱗が欲しいのです! 」
「……。」
「あと一ヶ月ほどで、彼女の命は費えます。どうかご慈悲を! 」
頭を草原に擦り付けるようにして願う。
魔力の嵐は、真上から巨大なものが、のし掛かってくるように感じられる。
「……そうか。わらわに偽証をするなど、八つ裂きにされても仕方がない所業と知っての事か? 」
冷静に、一言ずつ区切るように彼女は告げる。今ならまだ許してやると、言外に伝えてくれていた。
「……私はどうなっても構いません。どうか……。 」
もう、声の震えも無い。
自分で思った以上に、冷静に答える事が出来た。
「……ふう。そんなに改まって言うから、何事かと思ったぞ。ほれ、くれてやる。ご母堂は大事にするのじゃぞ。」
プチプチと何かが切れる音がして、目の前に、手のひら大のものがポトリと落ちた。
「ありがとうございます! 」
直ぐ隣から、ジョゼのくぐもった声が響く。いつの間にか傍に来ていたようだ。
俺が八つ裂きになったら巻き込まれるだろが。バカめ。
「ジョゼ……さま。あなたは良い騎士をお持ちになられましたね。ちょっと耳を貸してくださる? 」
そんな風に聞こえたアーデルハイドの声は、とても優しく、そして美しく響く。
普段の、あの喋り方はどうしたんだよ。
そして、限界を迎えていた俺の精神は、暗い闇の中に落ちて行った。
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