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六話 洞窟にて

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「見てください! エル! こんなに身体が軽いです! 」

 洞窟からの帰り道、ジョゼはまるで羽が生えたかのように高く飛び上がったり、地面を猛スピードで走り回ったりしていた。
 傍からみても喜びに充ちている姿に、俺も嬉しくなる。
 
 この世界での親父に連れられて、辛い訓練を重ねたあと、羽が生えたように軽くなった身体に、こうして喜んだ事を思い出す。

「おーい。魔力量が追い付いてないんだから、ほどほどにしておけよ。」

「え……? 」

 高く空中に飛び上がったジョゼが、バランスを崩す。
 ほら、言わんこっちゃない。

 空中から為す術なく落ちて来る銀色の鎧を、俺は地面から飛び上がって捕まえる。


「魔力切れだな……。」

「魔力切れ……? いや、私は……。」

「今日だけで急激に能力が上がってるからね。増えたタンクの量に供給が追い付いてないんだよ。」

「魔力量も上がってるんですか? 」

「もちろん。単純に今までより十倍以上になってるんじゃないか? たぶん。」

「……そんなに……。」

「明日からは、そんなに上がらないと思うけどね。多分、帰る頃には歩けるくらいには回復してるさ。」

「……あ……あの。もう下ろしていただいても……。」

「いや。こっちの方が早いから。」

 俺は、動けないジョゼを腕に抱きながら、街までの帰り道を駆けた。

*

 領主館に戻って来た俺たちは、夕食を一緒に摂る事にして、時間までは自分の用事を済ませる事にしていた。

「では、エル……。またあとで。」

 少し頬を染めながら、ジョゼは小さく手を振ると、客間へと戻って行った。

「ほう……。エルとは……。ずいぶん親密になられたようですね。ご主人さま。」

 ジョゼに手を振り返す俺の背後から、ディータの冷たい声が響く。

「お前もそう呼んでくれて構わないぞ。ディータ。」

「……いきなりは卑怯です。」

 少しだけ悔しそうな顔をするディータに、俺の頭の中で、勝利のファンファーレが鳴る。

「で、頼んでおいた事は? 」

 俺が真剣な表情であることに気がついたのか、ディータも同じように、顔を引き締め、執務室の方向を見る。
 俺は、ディータに頷くと、執務室へと先に立って、ホールから続く階段を登った。

*

「騎士団からも、この周辺の街からも、彼女のような方の捜索願は出ておりません。」

 執務室の扉を、後ろ手に締めると、ディータは早速、俺が頼んでいた調査の結果を報告してくる。そして、自分の机から資料を取り出すと、執務机に座った俺の前に並べた。

「……。ふむ。外部に連絡を取った形跡はどうだ? 」

「それもありません。草に見張らせていただいていますが、誰かと接触した様子も、魔術を使った痕跡もありません。」

「本当に掘り出し物なのかも知れませんね。……もしくは全てが嘘か。」

 これは、希望的な観測かも知れないが、どうにも俺には彼女が嘘を吐いているようには思えなかった。
 魔法で真偽を確かめる方法もあるが、それは本人の同意無しには使えない。

「……他には? 」

「あとは、お耳に入れておかなくてはならない事と言いますと、第一騎士団が、黒い森ダンジョンでの演習を希望されています。」

「それは却下しておいてくれ。」

 第一騎士団と聞いて、即答する。

「今回は、王宮からの要請ですので、我々に拒否権はありません。」

「……いつからだ? 」

 一気に重たくなった気分を、何とか振り払って予定を尋ねる。

「五日後のお昼ですね……。ちょうどご主人さまがあちらに行っている時かと。」

 俺は、しばし考えこむ。
 ただ、どうせ拒否権が無いのなら、とっとと予定を済ませて穏便に帰ってもらう他はない。
 ただ、こちらの領内で暴れると言うのなら話は別だ。
 多少のイタズラなら、目を瞑るけどな。
 
「……それは良いことだ。ディータはあのアンポンタンを刺激せず、出来るだけ穏便に帰還していただくように。」

「あの方が相手では、いくらこちらが下手に出ても、穏便に済ませるのは難しいです。あと、第一騎士団長がいくら筋肉バカとは言え、アンポンタンと評されるのは、いかがなものかと思います。ご主人さま。」

「……お前もかなり酷いぞ。」

 正当な評価ですと言いたげなディータの表情を見ながら、なぜこんな時期に騎士団がわざわざこちらに顔を出す意味を考える。
 あの筋肉バカのワガママかも知れないが、それ以外の理由も考える必要があった。

「ま、この状況で思い付くのは、黒い森ダンジョンの調査くらいだな。何か異変が起こっているのは耳に入っているだろうし。」

「そうですね。あの方たちが来ると言うなら、魔物に関する何かなのでしょう。」

 第一から第三まである騎士団のうち、第一騎士団は、この国の成り立ちに遡る由緒ある騎士団だ。その設立目的は、魔物災害に対する王立の即応部隊と言う事になっている。
 その騎士団が動くとなると、魔物に対する何かだろうとしか思えなかった。

「お食事の準備が整いました。旦那さま。」

 考えこんでいた俺に、扉の外からノックの音と共にメイド長マギーの声がした。
 
「ありがとう。マギー。いま行くよ。ディータは、引き続き、騎士団の動きに注意しておいてくれ。」

「かしこまりました。あの娘の方はいかがいたしましょう。」

「念のため、魔術的な監視は続けてくれ。草をどう使うかは任せる。」

「かしこまりました。あとは……あの娘には、今回の件を、どう説明されるおつもりですか? 」

「俺がドラゴンの守り役をやっていて、手伝ってくれる奴を探していたとでも言っておくさ。彼女アーデルハイドのお茶会に連れて行く令嬢を探してた。なんて理由よりは、よっぽどマシだろう。」

「そうですね。それがよろしいかと。」

「では、あとは頼む。」

 深々と頭を下げるディータを後に、俺は、食堂へと向かう事とした。

*

「ああ、良く似合ってる。」

 食堂に着くと、既にジョゼが席に着いていた。淡い桃色のイブニングドレスが目に眩しい。

「すみません。こんな素晴らしいドレスまで貸していただいて……。」

「ああ。それは姉が若い頃に使っていたものだから。気にしないでくれ。」

 そのドレスは、デザインが若すぎると言って、姉が置いていったものだ。未来のお嫁さんに着せなさいと言われていたが、こんな時に役に立つとは思わなかった。

「……ありがとうございます。」

「まずは食事にしよう。うちのマギーの料理は絶品だよ。」

 食前の祈りを捧げ、食事をいただく事にする。
 伯爵家の食事だからとの口実で、彼女には身支度を整えさせていた。あのマナーにうるさいアーデルハイドドラゴンの前に出しても大丈夫かの確認のためだ。

 ジョゼの所作の一つ一つを確認し、これなら全く問題が無いと、俺は確信を深めた。

*

「あの……。なんで私にこんなに良くしていただけるのですか? 」

 食後のお茶を楽しんでいると、ジョゼが尋ねて来た。
 
 カップに浮かぶお茶の葉を眺めていた目を上げると、真剣な表情のジョゼの瞳が目に入った。古代龍エンシェントドラゴンに会える喜びだけで乗り切れるかと思ったが、この娘は見た目どおり聡明らしい。


「それは……。」

 確かに、いくら彼女が古代龍エンシェントドラゴンに会いたいからと言って、俺がここまで肩入れをするのはおかしいと思われても仕方ない。

 だが、用意していた表向きの理由を話そうとしても、上手く言葉が出てこない。

「言いづらい事なのでしょうか。」

 真剣な眼差しが、俺を射抜くようにして離さないからだ。
 この娘には、詐術は通じない。
 何故か、そう確信した。

「いや……。信じてくれるか、今一確信が持てなくてさ。」

「……。」

 こくりと頷く彼女に、アーデルハイドドラコンから頼まれた、お茶会の開催から話す事にした。

*

「ま、そりゃ信じられる訳が無いよな。」

 テーブルの上に置いた、招待状を眺めながら、ぽつりと漏らす。

 こんな荒唐無稽な話を、信じろと言う方が難しいよな……。
 
 『ドラゴンが、ダンジョンの奥でお茶会を開きたがっているから、参加して欲しい。』
 俺が、そんな理由を話されたら、相手の頭の中を疑う。
 下手をすると、俺に騙されていたと、ここを出て行ってしまうかも知れない。

「いえ……。で、お茶会のメンバーを探している時に、ちょうど良く私が来た……と言う事なんですね。」

「そうだね。それで間違いが無い。君のような人を探していたんだ。まさか見つかるとは思ってなかったけど。」

 確認するように、ジョゼの瞳が俺の目を見つめる。

「私……占い師さんに言われて、ここに来たって話をしましたよね。」

「ああ。それでドラゴンがここにいるって解ったんだったね。」

 念を押すように尋ねるジョゼに、俺も真剣な声で答えた。

「その時に『貴女を必要としている人が必ず現れる。その人と共に行動すれば、道は必ず開けるから。』って言われてたんです……。そして大きな試練に巻き込まれるだろう……とも。」

「……。」

 ホッとしたように話すジョゼに、俺は逆に恐ろしさを感じていた。
 そんな未来の出来事まで見通す目を持った占い師など、噂でも聞いた事が無かったからだ。

 どうにも、あの女神の姿がちらつく。


「この街に着いた時も、色々と探してみたんですけど、そんな人は全然居なくて……。」

「それで、結局一人であの黒い森ダンジョンに入った……と。」

「はい。気持ちばかりが焦ってしまって……。」

「そうだったのか……。」

「でも……良かった。エルみたいな人が、私を必要としてくれて……。」

「ただ、俺みたいに良い噂が無い奴の話をよく聞いてくれる気になったね。」

「それは……。これが試練なのかなって思ったからなんです。それで母の命が助かるならっ……て。だから私、あんな勘違いしちゃって……。ごめんなさい。」

 ジョゼは、恥ずかしそうに頬を赤く染めながら、俺を上目遣いで見る。

「いいさ。俺は気にしてないし。素晴らしい芸術作品も観賞させてもらえたしね。」

「……芸術……? ……もーっ! やめてください! 」

 ジョゼは、指の先まで真っ赤にしながら、手を自分の前でバタバタと振る。
 その姿に、胸の中が焦がされるような熱さを感じた。

*

 それから、ジョゼと明日の予定を話し、時間も遅くなったと言う事で、もう寝ようと伝える。

「おやすみなさい。エル。」

「ああ、おやすみ。明日もまた日の出には動き出すからね。」

 ペコリと頭を下げて、ジョゼが客間へと戻って行く。
 俺は、何か大きな渦に巻き込まれ始めている事を感じながら、今日のうちにしなくてはならない、残りの仕事を片付けに、執務室へと向かった。

*

 あれから四日間、ジョゼはメキメキとその実力を伸ばし、とうとう一目鬼サイクロプスを一人で倒せるようになっていた。
 成長速度には個人差があるとは言え、異常とも言えるそのスピードに、俺は舌を巻く。これなら、一年ほどで一人でも五階層が突破出来そうだ。

「いよいよ明日ですね……エル。」

 いまや、慣れ親しんだ洞窟の天幕テントで、今はジョゼがお昼のお茶を淹れていた。
 俺も、肉と野菜を濃いソースに浸けてバケットに挟んだサンドイッチをアイテムボックスから出す。
 マギーの作りたての逸品だ。

 食前の祈りを捧げて、二人で舌鼓を打つ。

「これ、美味しいですね。マギーさんに作り方を教えてもらわなくちゃ。」

「きっと喜ぶよ。うちの周りには料理が出来る奴も少ないからね。」

「じゃあ、最初に作ったら味見、お願いしますね。……上手く出来るかわかりませんけど……。」

「剣の修行と一緒さ。ジョゼなら直ぐに上手くなるよ。ちなみに、剣はどこで習ったんだい?」

 余計な事を訊くなと、心の声が叫ぶ。

 解りきった事ではないか。

 自由自在に剣を振れるようになったジョゼは、見間違えようがないほどそっくりだ。

「親しくしている、もう一人のお姉さまに、小さい頃から稽古をつけていただたいていたんです。」

「……。」

 その顔を想像しかけ、慌てて頭の中から消す。結実すれば、彼女とこのままでは居られなくなってしまうからだ。
 だから、あともう少しだけ、気がつかないフリをする。この時間を終わらせたくはない。

「私は、五階層を越えられるようになってるでしょうか? 」

 ジョゼが尋ねて来る。
 
「そうだな。俺と一緒なら、もう十分五階層を越えられるよ。」

「それを聞いて安心しました。」

 ホッとしたような表情で、お茶に口を付けるジョゼが、何故かその時、とても美しく見えた。

「……じゃあ、今日はもう帰ろうか。」

「……もう? 訓練はしないんですか?」

 残念そうにジョゼが言う。

「ジョゼは十分ドラコンのところまで行けるからね。それに、明日の準備もしなくちゃいけない。」

「明日の……準備ですか? 」

「明日はお茶会だからね。ジョゼはそんな格好で普段からお茶会に行くのかい? 」

「あ……。」

 ジョゼは、自分の鎧を見て、少しだけ顔を赤らめた。
 その鎧は、新品であったはずだが、今はずいぶん傷がついていた。

*

 街で準備を済ませた俺たちは、領主館へと戻り、執務室の応接テーブルの上でアーデルハイドドラゴンが書いた招待状を前に向かいあって座っていた。
 鎧姿のままでいたことと、認識阻害魔法のおかげで、領主姿の俺に掛けられるような、口さがない揶揄は無かった。

「うわっ。なんだかピリピリします。」

 手紙を手にしたジョゼは、その膨大な魔力に、少しだけ顔をしかめる。
  
「どうだ? 名前は浮かんで来たか? 」

「はい。ちゃんと浮かんでます。中身も見ても良いですか?  わ、凄い魔法陣……。」

 彼女は、日の光に透かすようにして宛名を見て、その周りに浮かぶ魔法陣に驚いていた。
 中身を見たいと言う彼女の前に、ペーパーナイフを置く。

「今はもう、君宛てに来た手紙だ。」

「はい。では。」

 彼女は、透かし見ていた手紙を裏返しに置くと、ペーパーナイフで封蝋を切って、手紙を取り出した。
 その中身を読んで、ジョゼはクスリと笑う。

「何が書いてある? 」

「あ……ダメですよ。それはマナー違反です。」

 手紙を覗きこもうとした俺に、ジョゼの厳しい声が飛ぶ。
 確かに淑女レディから出された手紙を断りもなく覗こうとしたのは、大変な失礼に当たる。
 どうも、あの古代龍アーデルハイドの事になると、その辺りが疎かになってしまう。

「う……申し訳ない。」

「解っていただければ宜しいです。」

 失敗をしてしまったと落ち込む俺を見て、ジョゼがクスクスと笑いながら答える。

 ああ、そうだ。この感じ。

 何故、この娘に親近感が沸くのか、今になってやっと理解が出来た。ジョゼは、今は侯爵夫人となった、こちらの世界での姉、マリアンヌ姉様にとても似ていた。
 彼女のおかげで、それまでは恐怖を感じる存在でしか無かった女性と、普通に会話が出来るようになった。

「どうされたんです? 」

「いや、何でもないよ。ただ……君が姉に似てるなって思って。」

「……お姉さまが居らしたんですね。私、似てますか? 」

「今はもう嫁に行ったけどね。ま、姿かたちの話じゃなくて……雰囲気かな? 」

「そうですか……。それは嬉しいです。」

 その花がほころぶような笑顔に、俺は胸が高鳴るのを感じた。
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