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二話 副官と冒険者

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 遠くから俺を呼ぶ声がする。

「おぉーい! どこ行ったー! 」

 あれは長女の一夏いちかの声だ。
 今日も何を思い付いたのか、俺の姿を探しているようだ。見つかれば禄でもない事に巻き込まれるのは間違いがないので、夏の蒸し暑い空気の中、気配を潜める。

「みーつけた! 」

 ガラっと押し入れの襖が開き、ニヤけ顔の双葉が顔を出した。

「ふたばねぇちゃん! しー! 」

 俺は、あわてて次女の双葉ふたばに低い声で言って、人差し指を口の前に当てる。

「どうしよっかなー。」

 楽しそうに悩むフリをする双葉姉に、俺はますます慌てる。この前のように、母ちゃんの化粧品を使って、顔に落書きでもされたら敵わない。そして、あとから母ちゃんに大目玉を食う役目は、結局俺になるのだ。

「あー。一夏ねぇちゃん。タロちゃんこっちにいるよー。」

 アイスを咥え、日記帳を脇に抱えた三女の弥生やよいが、双葉と俺の姿を見て一夏に報告する。

 ドドドと廊下を駆けてくる音が聞こえ、客間の襖がスパーンと良い音を立てて開かれ……。

*

「あ。眠ってしまってたか…。」

 領主館の執務室の机の上に、自分が突っ伏すように寝てしまっていた事に気がついた。小山のように積まれている書類は大して減っておらず、目の前にある書類のサインはミミズがのたくったような、意味不明の線になっている。

「ずいぶん奇抜な休み方をされるのですね? ご主人さま。ご存知ないかも知れませんが、ベッドで横になられた方が疲れは取れますよ? 」

 突然掛けられた声に、一瞬ビクリとした。

 副官のディータの声だ。
 もう奴が来る時間かと思って、チラリと外を見れば、陽は既に高く登っていた。

「……昨日は向こうに行ってたの知ってるだろ。あと、ご主人さま呼びを、いい加減止めろ。」

 あくびを噛み殺し、少しだけ睨み付けながら、ディータの定位置である右隣りの机へと顔を向ける。
 

 銀色の髪に浅黒い肌、形の良い銀色の瞳の美しい女性が俺を見返す。長い耳が、ダークエルフであると主張している。
 領主館で用意した最大サイズの事務服でも、はち切れんばかりとなっている身体つきは、男にはとても扇情的だ。

「私にとってご主人さまはご主人さまですので。変えようがありません。」

 俺の言葉をどこ吹く風と受け流し、ディータは澄ました顔で頭を下げる。

「あのな。ディータがそんな態度だから、俺が色々噂されるんだぞ? 」

「あら……。どんな噂でしょうか? 是非お聞かせいただきたいです。」

「……いや、いい。」

 女性の前で口にするのは憚られる内容でもあるので、苦虫を噛み潰しながら答える。

「立場を笠に着て、私の身体を好き放題しているとか……。酷い領主様ですね。……いやらしい。」

「知ってるんじゃないか! 」

 このダークエルフは、奴隷から解放した恩も忘れ、俺に対しての精神攻撃を止めない。
 今の会話で、俺に与えたダメージに満足したのか、今は得意げな笑顔で黙々とペンを走らせている。

 クビにしてやろうと何度思ったか知れないが、そうしないのは、とびきり優秀だからだ。
 確かに見てて目も楽しいけどね。
 その辺りは否定しない。

 決裁が必要な案件はイエス・ノーを判断すれば良い状態まで纏まっているし、条件付きで良しとした場合には、その対案も完成している。
 だから、俺の仕事は、基本的な方針の策定と、決裁書類に目を通してサインするだけで済む。

 領地経営をするには、どれだけ時間があっても足りないなどと良く聞くが、週に二度はあのアーデルハイドドラゴンのところに行かなくてはならない俺には、彼女の存在は必要不可欠なものだ。

「なぁ。ディータ。黒い森の五階層をパーティー単位でもいいから突破出来そうな女の子って心当たりないか? 」

「ダンジョンの奥まで連れて行って、ここから帰りたいなら、大人しく俺の言うことを聞け! と、やるつもりですね? 流石です。ご主人さま。」

「違うわ! どこからそんな話が出た!? 」

「巷の噂では、女と見れば見境の無い性獣と伺っておりますので、私も貞操の危険を感じております。ご主人さま。」

「……。」

 俺って、そんな風に言われてるのね。
 こっちでは、まだ清い身体だっていうのに……。

「私が存じ上げているのは、レイアさま…あとは……アンジェラさまでしょうか…。」

 放心状態の俺に、やっと質問の答えが帰って来た。レイアはともかく、アンジェラはダメだ。戦闘センスはあるが、あいつにマナーを教えるのには時間が足りない。

「その二名は却下だな……。あと、いちいち俺を罵倒しないと、お前は物が言えないのか? 」

「まさか…そんな…。私はご主人さまをこんなに敬愛しておりますのに…。」

 袖口で目を抑え、ご丁寧に長い耳まで下げて、最大限の悲しみを副官が表現する。

「泣き真似とかいいから…。」

「かしこまりました。」

 瞬間的に真顔に戻る我が副官。
 これ以上関わっていると、残り少ない精神ポイント(SP)どころか、本気でHPまで削られそうだ。

 もしRPGのように、ステータスの数字が出るのなら、ディータに見せてやりたい。きっと秒単位で減っていってるはずだから。
 『どくのぬまち』かお前は。

 ある程度仕事が片付くまでこなしてから、冒険者ギルドにでも顔を出してみようと思う。

 これだから女は苦手だ。
 特に、自分の価値を解ってる奴は。

*

「ふぅ。やっと終わったか……。あと…。」

「今日は、他には特に予定はございません。」

 残り僅かとなった書類の山を見て、後は何か予定が入っていないかと聞こうとしたが、ディータが被せるように答えて来る。外を見れば、陽が傾きそうな時間になっていた。

「……では、後は頼んだ。」

「かしこまりました。どうかお任せください。ご主人さま。」

「……。」

 ディータは、自分の机から立ち上がると、深々と礼をする。ご主人さま呼びは気に入らないが、やはり、こうして普通に送り出されるのは良いものだ。

「あと、娼館に行かれるなら、もう少し遅い時間がよろしいかと。」

「そんなとこには行かんわ! 」

 安心したかのように笑顔を作り、ディータは仕事に戻る。 

 なんだか、疲れがどっと身体に押しかかってきた気がするわ。

 ディータに言い返してやりたい気持ちもあるが、数倍になって返って来るのは目に見えている。
 若干悔しいと思いを抱えながらも、俺はそのまま外出する事にした。

*

「あ、領主さま。いらっしゃいませ。」

「ギルド長、レイアは何をしてる? 」

 勝手知ったる冒険者組合ギルドの建物に入った俺は、そのままギルド長の部屋へと向かい、単刀直入に尋ねる。先触れは送ってあるので問題はない。
  
「レイアは……。今日も"第三階層で探索"となっております。」

「いつもの通りか。……それでは間もなく戻って来るな。」

 冒険者が一人ソロで潜れるのは、第三階層までと決められている。これは不用意に奥へと足を踏み入れて命を落とす事を減らす狙いがあり、今のところ上手く回っていた。

「そうですな。…ナイルズ、受付に行って、レイアが来たら報告するように伝えて来てくれ。」  

 ギルド長が、ナイルズと呼んだエルフの若者に命じると、彼は頷いて受付へと走って行く。
 うちにもあんな素直な子が欲しいなー……。

「…で、四階層の魔物が三階層でも目撃されるようになったと言う話はどうなった。」

「その話なのですが、昨日もあるパーティーからマンティコアを目撃したとの報告が…。」

「それでは、しばらく等級ランクによる階層規制を強化する他にないな。」

「はい。冒険者組合ギルドとしても、その方向で調整しております。」

 状況は一週間前ほどから知っては居たが、最悪と言わざるを得ない。
 以前にも四階層にしか居ないはずの魔物が、三階層で目にされる事はあったが、それはあくまでも偶発的なものなはずだった。
 まるで階層ごと魔物が押しやられているようなこの状況は、はっきり言って異常だ。

「考えられるのは…。五階層の魔物が四階層付近まで出て来ている……ことぐらいでしょうな。」

「強い魔物からは、誰だって距離を取りたいからな。」

 ギルド長から渡された報告書に目を落とすと、あまり知りたくないような情報が纏められていた。冒険者の損失が増えれば、領主としても黙ってはいられなくなる。
 口の中に、苦い味が広がる。

*

 腕を組んで悩んでいると、ギルド長の部屋の扉が乱暴に開かれた。

「やっほー! 呼ばれて来たよー。」

「てめぇ。レイア! また余計な事を吹き込みやがって! 」

 部屋に響いた能天気な声に、怒りを滲ませながら答える。

「あ。エルちゃん! 久しぶりー。」

「久しぶりー。じゃないぞ……。まったく……。ちょっと聞きたい事がある。この後時間いいか? 」

 能天気さに毒気を抜かれた俺は、この後の予定をレイアに尋ねる。黒い森ダンジョンの異変について聞くなら、この女の他には居ないからだ。

「うん。大丈夫だよー。なに?改まっちゃって。愛の告白? 」

「するかボケナス。ギルド長、このアーパー冒険者をちょっと借りてくぞ。」

「すみません。レイアが報告書を上げてからにしてもらえますか? 」

「もうマリアちゃんに渡してあるよー。」

「それなら結構。あとは煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。」

*

 ギルドの階段を下りながら、まとわりつくように話しかけてくるレイアに、俺は辟易していた。

「ねぇ! あたし食べられちゃうのー? 」

「だから、そういう誤解をされそうな事を大声で言うの止めろ。」

「あたし、痛いのはヤだからね。」

 ギルド長の部屋からホールを抜ける間、ひっきりなしに大声で話しかけてくるバカ冒険者。その話す内容は、これだけ大声なら、嫌でも耳に入る。
 ギルドの中全ての人から、痛くなるような視線を感じた。

 これは、紛れもない殺意って奴だ。
 おまけに受付窓口に居る受付嬢たちからも、刺すような視線が送られて来る。

「頼むから黙っててくれ。ただでさえお前は目立つんだから。」

 レイアは、これでもトップクラスの冒険者だ。名前が売れていれば、顔を知ってる奴も多い。
 そんな奴が、俺と一緒にいるだけでも目立つのに、これだけ大騒ぎすれば注目を集めるのは当たり前だ。

「またそうやって、いい女だって口説くんだからー。もー。」

「目立つってそういう意味じゃねぇよ! 」

 領民たちの好感度がマイナスから更に下がって行くのを感じながら、急いで冒険者組合を後にした。

*

「ねぇ。こうして街を歩くのも久しぶりだねー。」

「そうだな。親父が隠居した時以来だから……もう二年くらいになるのか。」

「あ、覚えてたんだ! 」

 そう言って、レイアが俺の腕に自分の腕を絡ませて来る。

「そりゃあな。それまではこうして出掛けるのが当たり前だったからな。てか……は・な・れ・ろ! 」

 腕を振りほどこうとするが、万力のような力で締め付けられており、腕を抜く事が出来ない。
 この馬鹿力め。

「エルちゃん一人で出掛けられなかったもんね。」

「違うわ! お前がどこに飛んで行くか解らないからって、モーガン小父さんに頼まれてたんだろが! 」

 えー。そうだったかなー。とか言いながら、顎に人差し指を当てて首を傾げてやがる。

 こいつと俺は、この世界に来てからの幼馴染だ。親父の副官を務めていた、モーガン・マティソン騎士爵の長女で、歳が近かったこともあって、小さなころは良く遊んだ。
 なにせ、俺はいつも泥だらけのこいつを男だとばかり思っていたからだ。ホントに余計なところばかり成長しやがって。

「あ! 今日は遅くなりそうだし、何か食べるもの買って行こうよ! どうせ、あたしの部屋に来るでしょ? ……いたっ! 」

 俺は無言のまま、楽しそうに揺れている赤い髪の付け根を、極められている方とは反対の手で叩く。 

 うん……だから、そういう誤解を受けそうな事を、大声で言うの止めようね。

「なにすんのよ。もー……。」

 自分の登頂部を撫でながら、レイアがぶつぶつと文句を言う。

「おい……あれが領主の……。」

「あの娘も無理矢理……。」

 周りから、ヒソヒソと明らかに俺の事を噂している声が聞こえる。

 ここで普通の悪徳領主なら、周りに居る衛兵やゴロツキが因縁を付けに行ってくれるのだろうが、残念ながら俺は一人だ。貴族がわざわざ自分から自分から因縁をつけに行ったりしたら、超小物っぽいしな。
 
 うちの領では、護衛の兵を自分に付けるなど予算が許さぬ。
 いや副官ディータが許さぬ。

 いたたまれない気持ちのまま、八百屋のおかみさんの冷たい視線を浴びつつ何とか買い物を済ませた。

 お釣りを手の上に落とすのって、止めてほしいよね……。

 これだから女は苦手だ。
 特に、何も考えていない奴は。

*

「ふう……。」

 なんとかレイアの部屋にたどり着いて、部屋の真ん中に置いてあるソファーにどっかりと腰を下ろし、首下を緩める。
 
 この部屋に来たのは、かなりの費用が掛かる防音魔法が掛かっているからだ。下手に酒場で四階層以上の話なんて出来ない。
 誰が聞いてるか解らないしな。

 領主館にも同じような部屋はあるが、こちらに設置されているのは最上級のものだ。うちも更新はしたいが、設備更新はお金が掛かる。

「何飲む? 」

「茶でいいぞ。酒は止めておく。」

「ふぅん。」

 キッチンの方から聞こえたレイアの声に、俺は気だるげに答えた。
 残念そうな返事が返って来るが、敢えて気にしない事にする。

 考えなくてはならないことは、山積みだった。黒い森ダンジョンの異変に、アーデルハイドドラゴンのお茶会と言った、大きな問題だけではなく、領地に関しても問題だらけなのだ。

「出来たよー。」

「お、ありがとう。」

 考え事をしている間に、ずいぶん時間が経っていた。目の前には、酒の肴になりそうなつまみと、何故かワイングラスが置かれている。

「俺は飲まないぞ。」

「いいから付き合ってよ。」

 こいつがこういう時は、逆らっても逆効果だ。考え事のある時は、出来れば飲みたくないのだが、仕方なく付き合うことにする。

「で、なんでアーデルハイドドラゴンに、お茶会なんて吹き込んだんだ? 」

「ん……? だってアーちゃんお友達欲しいって言ってたし……。」

 奴の事を、面と向かって『アーちゃん』なんて呼べるのは、世界広しと言えど、こいつくらいなものだな。

「お前なあ。おかげで俺たちは酷い目に遇ってるんだぞ。」

「あとの二人は、まず奥さん連れて来るだろうから良いじゃない。」

「な……。レイア、お前話を聞いてたのか? 」

「……? いや、あの森を越えられそうなのは、あの人たちの奥さんくらいしか居なくない? 」

「……。」

 流石は、今やトップクラスの冒険者だ。隣国の状況にも精通しているらしい。

「レイアはレイアで来るんだろ? 」

「もちろん。ただ……。」

「解ってる。こっちも誰か新顔を連れて行って欲しいって言うんだろ? 」

「うん! そうしてくれると嬉しい。」

「しかし、かなり難しい話だな……。」

「大丈夫だよ。エルちゃんは、小さな頃から、あたしの願いを必ず叶えてくれたもん。」

 勝手に人を神格化するのは止めて欲しい。レイアが自分で出来るまで待ってたら、俺が親父に雷を落とされる。
 それが嫌だっただけだ。

「レイアに文句を言っても始まらないか……。で、黒い森ダンジョンでは、今、何が起こってる? 」

「……。多分、何か大きいのが五階層に居る。みんな怖がってるみたい。」

「それは魔物か? 」

「多分そう。隠蔽ハイドを使ってる、あたしの気配にも気が付いてたから、相当な奴。」

「そりゃマズいな。他には何か無いか? 」

 こいつの隠蔽魔法ハイドは、非常に強力で、見えなくなるだけではなく、存在そのものを消せる。そんな奴の気配に気がつくと言うのは、ちょっと異常だ。

「あたしも、今解ってるのはそれくらい。ただ……。」

「ただ? 」

「なんだろ……。なんだかとても良くないもののような気がする。」

「……。」

「あたしから教えられるのは、これくらい。ごめんね。」

「いや、かなり参考になった。助かる。レイアも不用意に近づくなよ。」

「うん。なんだかんだ言って、エルちゃん優しいもんね。昔から。」

 それからは、子供時代の冒険の話に花が咲き、気が付けば結構遅い時間になってしまっていた。
 
 俺はレイアに礼を言って、自宅である領主館に戻り、軽く湯浴みをしてから、泥のように眠った。
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