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四話 伝説級の魔物
しおりを挟む一時はどうなる事かと思ったけど、サデリア村への残りの一時間は、順調に過ごす事が出来た。
「もうそろそろ機嫌を直したら? ウィル。」
「…………。」
テレサさんの言葉に、ウィルは無言でぷいと横を向く。
もう既に魔法は解かれているので、 今は拗ねているだけらしい。
───子供か!
馬車は既に山道に差し掛かっており、道も砂利を敷き詰めただけなので、馬車はかなり揺れた。
時折、大きな石に車輪が乗り上げ、馬車が大きく揺れる事があったが、私が落ちそうになると、隣からスッと手が伸びて身体を支えてくれた。
ムスっとした不機嫌そうな顔のままだったが、一応、私に気を使ってくれているらしい。
最初から、こんな感じで接してくれたら良いのにと、私は残念に思う。
しかし、顔は涼しいのに、ずいぶん身体が暑く感じる。
「熱つっ!! 」
真後ろから滝の音が聞こえて来たので、振り返って後ろを見ようとした私の腕が、革鎧に張り付けてある、金属製のプレートに触れた瞬間、熱いものを押し当てられたような痛みが走った。
「やっぱりやったか。」
「……? 」
マークスさんが、やれやれと言った表情で私を見ていたが、何の事かと思う。
「プレートの部分を触ってみな。指先でちょっとだけな。」
「あ、熱っ! 」
太陽の光で熱せられたのか、革鎧の上のプレートが触れないほど熱くなっていた。
「最初はみんなやるんだ。あと、自分が他と違ってるところは、しっかり考えた方がいいぜ。」
「最初は、せっかく見てたのにね。私が余計なことをしちゃったかな……? 」
心配そうに私を見ていた二人の顔を見て、やっとその意味がわかった。
何の対価もなく教えてもらったことは身に付かないものだ。
これが砂漠地帯の真夏だったらと思うとぞっとする。
「なるほど……そういう事だったんですね……。」
「たぶん火傷してるから、ちょっと見せてみて? 」
テレサさんに腕を見せると、右後ろに身体を捻ろうとした時に、胸のプレートに当たった左の二の腕あたりが痛い。
テレサさんが、指先に魔力を籠めだすと、手のひらほどの魔法陣が出来る。
「テレサさんは……詠唱しないんですね。」
「パターンが決まってるものはね。ほら。」
じんじんと痛みが広がっていたところが、直ぐに癒されて行く。
「テレサさんは治癒師なんですか? 」
「私は聖職者ですよ。」
テレサさんが答えた頃には、もうすっかりと痛みも引いていた。
「ありがとうございます。」
私は、紙綴りをプレートに触らないようにして取り出すと、"マントの購入"と書き留める。
ふと視界の横に揺れるものが見えた。
ウィルを見ると、いつの間に取り出したのか、三人と同じマントを手で持って、私に向けてヒラヒラと揺らしていた。
「やるってさ。」
マークスさんが笑いながら言う。
「ありがとう。」
私が礼を言うと、ウィルは勝ち誇ったようにニヤリと笑った。
───やっぱりなんだか嫌な奴だ。
*
そろそろ人里が近いのか、森の中には切り株がちらほらと現れ、木々の間は下草が綺麗に刈り払われている。
『野草や茸は、きちんと手入れをした森じゃないと、なかなか採れないのよ? 』
私は、母に教えてもらった話を思い出した。
里山と行って、周りに住んでいる人たちが大切に管理をしている場所だ。
勝手に入って荒らしたりすれば、殺されたっておかしくないと、小さな私たち兄妹を母は脅かした。
小さな私たちの姿を思い出しながら、新しい切り株から漂う新鮮な木の匂いを吸い込む。
懐かしい、山の香りだった。
「もうちっとで村に着くからな。」
御者のジョセフさんが、前を指差す。
木々の間に丸太造りの民家が数件並んでいるのが見えてきていた。
村の周囲は先端を尖らせただけの木の柱で囲まれており、その外側には用水路が張り巡らされた農地となっている。
典型的な農村の風景だなと私は思う。
ただ、母の実家ともまた違う田舎の光景に、私の心はまた弾んだ。
*
「ようこそいらっしゃいました。私がサデリア村の村長です。」
村に着いて、荷物を下ろしていると、ほっそりとした老人が話しかけて来た。
「あ、はじめまして! 今回は依頼いただいてありがとうございます! 」
指南書にも、まずは依頼者への挨拶は欠かさないことと書いてあったので、慌てて礼をする。
「ホッホッ。元気なお嬢さんだね。今日はよろしく頼むよ。」
「世話になる。村長。この辺りに森狼の群れが出たと聞いた。規模や位置は? 被害や方角だけでも構わない。」
ウィルが早速聞き取りを始める。
その態度は、確かに横柄ではあったが、先ほどまでの不貞腐れた様子は一切見えず、手練れの冒険者である事を意識させられた。
「あの西に見える山に、連中は居るようです。数は少くとも二十は下らないでしょう。この村で飼っていた山羊が、一晩でそのくらいやられましたので……。」
「お気持ち、お察しします。怪我をされた方は……? 」
今度はテレサさんが村長に尋ねた。
建物の数をざっと見ても、二百人も居ないだろう。
そんな村で山羊を二十も喰われてしまえば、下手をしたら食糧難になってしまう。
「自警団の者が数人……。あと、何人か噛まれて怪我をしております。薬草を煎じて作ったポーションで治療はしていますが……。」
「案内していただけます? 私は治癒魔法が使えますので。」
テレサさんが羽織っていたマントを脱ぐと、中に着ていた修道服が姿を現した。
「本当ですか! それはありがたい! ただ……ワシらは、しばらく喜捨をしとりませんでして……。」
喜捨と言うのは、教会への寄付の事だ。金額は決まってはいないが、それを怠れば治癒魔法を使ってもらえなくなる。
治癒師も聖職者も、基本的に教会の所属だからだ。
「それは気にしないで下さいな。あくまでも依頼のお礼ですので……。」
「ありがとうございます……。」
涙を流しながら、テレサさんの手を取る村長の姿を見て、悔しそうな、しかしどこか悲しそうなウィルの表情は、何故か私の心に残った。
*
「奴らの巣は大体この辺りだ、水場もあれば、身を隠しやすい洞窟もある。」
ウィルは、地面に簡単な図を書いて説明する。
聞いているのは、治癒に行っているテレサさん以外の、マークスさんと私だ。
大まかな地形の起伏まで表現してあり、とてもわかりやすい。
「規模はどんくらいだと思う? 」
マークスさんが、地面に描かれた立体的な地図を見ながら尋ねる。
「こっちを襲ったのが二十なら、全部で百は居るだろうな。」
「そんなに……。」
「群れで居る奴らの戦闘要員は、大体総数の五分の一程度だからな。」
ウィルが、私が呟いた言葉に答えた。
「その規模の群れだと、やっぱりこの辺りかね。」
「いや、魔素だまりがここにあるから、こっちだろうな。」
ウィルは紙の地図と交互に立体地図を見て、必要な情報を追加して行く。
「ここが崖になってるから、群れ全体を追い込めるんだがな。」
マークスさんが、置かれた石の先に矢印を書いていく。
どうやら石が自分たちで、魔物の居る位置を包囲し、輪を徐々に詰めていく作戦らしい。
「今回の人数では厳しいな。間隔が大き過ぎて間を抜けられてしまう。」
今度はウィルが石の中間に矢印を書いて、二股に分け石の背後に伸ばした。
「面倒だが、個別に潰してしていくしかねぇな。」
話を聞きながら、私は少しだけウィルの事を見直していた。
彼は、○頭以上討伐することと言う、ギルドからの依頼をこなすだけでは無く、最初から村人の生活を脅かしている、森狼全てを討伐する気でいたからだ。
「おま……いや、セリナは内容は頭に入ったか? 」
「……たぶん大丈夫です。」
またおまえと言いかけたのは、ちょっとムッとしたが、きちんと言い直したので良しとした。
「たぶんでは困る。間違いなく覚えてくれ。」
私の答えに、ウィルは地図に目を落としたまま低い声で注意して来た。
「……わかりました。間違いなく覚えます。」
私は再び、しっかりと自分の位置と進行方向を確認し、絶対に間違わないと心に誓った。
※
「まず左から行くぞ。」
私は、ウィルに目線を送って頷く。
目の前には、五頭の森狼が、寝そべったり欠伸をしていたりしていた。
私たちはウィルの指示どおりに風下から近づいていた。
最初にここに居るだろうと予想した位置に、森狼の姿を見つけた時には、さすがに私も驚いた。
私が左翼で中央にウィル、そして右翼にはマークスさん、後方にテレサさんと言う布陣で、突入の指示を待つ。
「行くぞ。」
ウィルが呟くように言った言葉で、四人が一斉に動き出す。
陣形での私の攻撃範囲は決まっているので、遅れることも陣形を乱すことも出来ない。
それでも出来るだけ音を立てないように近づいて行ったが、とうとう一頭に気がつかれた。
その森狼は、身体を低く構えると、一飛びに私たちへと飛びかかって来た。
ウィルがその一頭を真ん中から両断する。
───早くて強い剣だ。
私は、その一瞬だけ光った剣撃に見惚れそうになった。
自分の理想としていた剣技がそこにはあったからだ。
「左手に回ったぞ。」
私は剣を構え、ウィルの指示どおりに左から来る敵のみを見据える。
私の背後は三人によって護られているから、他の敵に注意を逸らされるなと言われていた。
大きくカーブを描くように走ってくる森狼に、私は一撃を加えようと剣を抜いた。
※
「何をやっている! 」
「…………。」
「これじゃ斬れんわな……。」
テレサさんは、ホッとした様子で胸を撫で下ろし、マークスさんは私の剣を見て困ったような表情を浮かべていた。
「……すみません。」
私は、一生の中で一番と言っても良いほど落ち込んでいた。
まさか、私が買った新品の剣は"砥ぎ"に出さなければならない状態だったなんて、封印をしたまま持ってきたから全然気がついていなかった。
まだ刃のついていない新品の剣は、全く敵を切る事が出来なかった。
私の剣は森狼の亡骸に食い込んで止まってしまった。
そこにもう一頭が突っ込んで来てしまい、私は慌てて剣を抜こうとしたが、慌てれば慌てるほど剣は逆に森狼に食い込んだ。
大口を開けて飛びかかってくる敵に、もうダメだと思った時、私を押し退けるようにして、ウィルが前に立ち、その森狼を再び両断した。
二頭残った森狼は、マークスさんとテレサさんが片付けていた。
「……セリナ! 武器の確認は基本中の基本だぞ! 」
マークスさんから渡された剣を見たウィルは、顔を真っ赤にして怒っていた。
そのまま私に剣を突き返すようにして渡してくる。
「……はい。そのとおりです……。ごめんなさい……。」
私は剣を受け取り、胸に抱くようにして持つ。
先ほどとは違って、私は謝る事しか出来なかった。
ウィルが怒っているとおり、武器の確認は基本中の基本だ。
私が屋敷で剣術を習っていた時も、私の師匠たちに何度も言われ、自分でもそれを実践していた。
ヒビが入っていないか、目釘にガタが出ていないかを、それこそ何度も確認した。
新品の剣だって手にした事が無いわけではなかった。
私が屋敷で愛用しているものも、十二歳の誕生日に父から贈られたものだ。
しかし、その剣は最初からきちんと手入れがされており、しばらくは油を塗るだけで使えていた。
私は自分の無知さに恥ずかしくなった。
何でも一人で出来ると思っていたのに、蓋を開けてみれば革鎧で火傷をし、森狼一頭すら、まともに倒すことも出来ない。
それに、ウィルやマークスさんやテレサさんに会わなければ、最初の魔物との戦いで命を落としてしまっていただろう。
「ごめんなさい! 」
「あっ……。」
「いい。放っておけ。」
私はもう、どうして良いかわからなくなって、三人の前から駆け出した。
*
私は森の中をとぼとぼと歩いていた。
私がこんな剣しか用意出来なかったのには理由があった。
本当なら、自分で使っていた剣や、家に何本もある剣のどれかを持って来れれば問題はなかったのだろう。
ただ、家では執事のヨハンさんが毎日本数と手入れの確認を行っており、一本でも持ち出せば、その日のうちに私が持ち出したのが知れてしまう。
だから私は、剣の購入を考えるしかなかった。
鍛冶屋街まで行って、あまり怖くなさそうな店を選び、中に入ってパッと見て気に入ったものを掴んで、これを下さいと言って買ってきた。
ゆっくり選んでいる時間が無かったのは、呼ばれたお茶会に参加し、そのあと、御者のフランクに無理を言って寄ってもらっただけだったからだ。
そして急いで封印をしてもらい、後は部屋のクローゼットの中に隠していた。
「はぁ……。」
自分の情けなさに悲しくなる。
いっそのこと、もうこのまま帰ってしまいたいと本気で考えていた。
そんな時だった。
森の奥から、ガサガサと葉擦れの音が聞こえてくる。
何か大きなものが、どんどんこっちに近づいている事を気配と音で理解することが出来た。
私は剣を抜いて構えた。
使い物にならないのは解っていたが、私が今使える武器はこれだけしかない。
こちらに向かって、段々音が近づいて来る。
音が来る方向は一方向だ。
私は剣を握る手に力を籠める。
間もなく姿が見える。その刹那、音が突然途絶えた。
───どこに……!?
左手の草むらから、何か茶色い塊が飛び出して来たのが、視界の隅に入った。
私は瞬時に身体を屈めて剣を立てた。
右の肩に衝撃が走る。
力を受け流すように転がって、直ぐに起き上がった。
私に一撃を加えてから、三間(十メートル)ほど先に着地した茶色い魔物は、私の事をじっと見ていた。
身体を躱せたのは、単なる偶然だった。
だが、その魔物は、まさか確実に命を奪えた攻撃を外した事によって、警戒をしたようだった。
肩をちらりと見れば、四本の爪痕がはっきりと革鎧に残っていた。
身体を躱していなければ、頭が吹き飛んでいただろう。
私は横目で見ていた肩口から、再び目の前で低く構えている魔物へと戻す。
獅子の身体に、蛇のしっぽ。そして背中から生えた鷲の羽根は、何度も図鑑で見たマンティコアに間違いない。
───なんでこんな奴が、こんなところに……。
この辺りは、石等級から、銅等級になりたての冒険者が活動するような場所だ。
それに、私が請けた依頼も、石等級のものに間違いがない。
私の意識が逸れたことに気がついたのか、マンティコアは一瞬深く沈むと、しなやかに跳躍を始めた。
私の視界から、一瞬で姿が消える。
───上だ!
確信に似た勘だけで、私は上方から襲って来る敵に向かって、無我夢中で剣を振るった。
ガツンと岩に当たったような衝撃が剣に伝わったが、私はそのまま振り切った。
今度は私の背後に、何か重たいものが落ちるような振動を感じた。
すぐさま後ろに身体ごと振り返ると、マンティコアがその右の前足を舐めりながら、こちらを見ていた。
その目には怒りが浮かんでいる。
どうやら、私のなまくらな剣では、その身体に傷一つ付けることは出来ないらしい。
まさか、こんな形で私の冒険が終わりになるとは思ってもいなかった。
いや、冒険どころではない。自分の人生すら、きっとこの場で終わりになる。
なにしろ、マンティコアと言えば、伝説級と呼ばれる分類の魔物で、その討伐には銀等級のパーティーで当たる事と決められているレベルだ。
私が、普段使っている愛剣を持ち、フルプレートの全身鎧を身に着けていたとしても、勝ち目はないだろう。
死を意識した身体がカタカタと震えだしそうになるが、必死に耐える。
隙を見せてしまえば、一息に飛びかかって来るのは間違いないからだ。
マンティコアは、来ないのであればこちらから行くぞと、再び身体を低くくして力を籠める。
だが、私にはもうどうにも出来ない。
再びまぐれで攻撃が当たる事を願うだけだ。
マンティコアの姿が再び視界から消えた。
また上からの攻撃かと顔を上に向けるが、その姿は見えない。
───どこ……!?
「おまえ! 何をやっている! 」
正眼に構えていた私の身体は、真後ろへと引き倒された。
鎧のちょうどうなじの辺りを引っ張られたようで、整えていた息が詰まる。
尻餅をついた私の真上を、茶色の塊が横切った。
───真横から……?
まだ息も出来ないまま、マンティコアが飛んでいった方向を見る。
そこには、剣を抜いて私とマンティコアの間に立つ、ウィルの背中が見えていた。
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