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七話 峠越え

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「メリダ……メリダ……。」

 メリダは、自分の肩を揺すられる感覚を覚えて、その目をゆっくりと開けた。

「あ……おはよ。」

「ずいぶん気持ち良さそうに寝てたから、どうしようか迷ったんだけど。」

 メリダは身体を起こして、大きく伸びをする。
 いつの間にかベッドに潜り込んでいたらしい。

「あの……さ。服を緩めておいたから、思い切り見えてる。」

 リチャードは、目を手で隠しながら、横を向いていた。

「…………? 」

 メリダは、まだ寝惚けた頭で自分の身体を見る。
 ネルシャツのボタンは半分ほど開けられており、伸びたせいで前がはだけてしまっていた。

「…………!! 」

 慌ててベッドの中に潜り込んで、服を直す。
 ベルトも緩めてあったので、ベッドから立ち上がらなくて本当に良かったとメリダは思った。

「すまない。書卓で寝てたから、ベッドに運んだんだけど、そのままじゃ寝苦しいかなと思って……。」

「い……いいよ。こんなこと、ざ……雑魚寝してた時なんて、よくあったし……さ。」

 やっと服を直し終わり、メリダはベッドから出る。
 実際、今までもこんな事はなかった訳ではない。川で水浴びをしているところで仲間と鉢合わせをしたこともあった。
 ただ、その時は腹立たしさを感じこそすれ、こんなに恥ずかしいと思った事は無かった。

「…………。」

 赤い顔のまま、上目遣いでメリダがリチャードを見ると、何故か肩を震わせている。

「どうした……の? 」

「ボタンがズレてるよ。そんな慌てなくても大丈夫なのに。」

 そう言うと、リチャードは我慢が出来なかったのように笑い始めた。

*

 二人は、宿の近くにある酒場で、夕食を済ませ、部屋に戻って来ていた。
 もう夜も遅く、空いているのは酒場くらいしかなかったからだ。

 リチャードに聞けば、メリダは三刻(時間)ほども眠ってしまっていたらしい。

「ごめんね。寝すぎちゃって。」

 洗い髪を、リチャードから貰った浴布タオルで拭きながら、メリダはリチャードに言う。
 服は部屋に備え付けの、リネンのガウンに着替えてきていた。

「いいさ。疲れてたんだろ? おすすめのところは、また来ればいいさ。」

 先に沐浴を済ませていたリチャードは、メリダと同じようにガウン姿だった。

「……うん。」

「メリダは、凄い綺麗な字を書くんだな。大きな商会の事務員ですら、こんな字を書く娘は居ないよ……。あ……中身は見てないから、安心してくれ。」

 書卓の上には、封筒に入った便箋が三通置いてあり、それぞれの宛名が書いてあった。
 まだ封をする前だったから、リチャードが気を遣ったのだとメリダは思う。

「別に中身を見られても困らないけどね。大した事は書いてないし。」

「それでも……さ。いくら親しくても、手紙の中身を勝手に見るのはだめだろ。」

「乙女を勝手にベッドに寝かせて、服は緩めるくせにか? 」

「……嫌だったか? 」

「……嫌に決まってるだろ。」

 メリダは、椅子から立ち上がり、大きく両手を広げるリチャードの胸に、メリダはゆっくりと飛び込んだ。

*

「メリダ。ちょっと聞きたい事があるんだけど。」

 半分ベッドに潜り込んでいたメリダに、リチャードから声が掛かる。

「なに……? ずいぶん真剣な感じだけど。」

 リチャードの腕に頭を預けながら、メリダは答える。
 表情を伺おうとするが、上を向いたままのリチャードの顔は見えなかった。

「メリダは……人を殺した事はあるか? 」

「…………あるよ。」

 どう答えたものかと悩みはしたが、メリダは結果だけを答えることにした。

「明日は峠を越さなくちゃならない。ただ、数日前にも盗賊に襲われた奴が出てる。」

「あたしはリチャードの護衛なんだ。だから気にせず命じてくれたらいい。」

「いや、俺を護れと言うんじゃない。もし、身の危険を感じるような事があれば、まずは自分の身を守ってくれ。」

「それは……どういう意味だ? 」

 護衛としての仕事を果たせと言われるかと思ったが、意外な答えにメリダは意図を聞き返す。

「もし、俺が盗賊に捕まったとしても、メリダは気にせず逃げてくれ。」

「…………そんな命令、聞いたことないよ。」

「依頼主の命令は絶対だろ? ……もし俺が居なくなったら、ラタのティムスリー商会を訪ねてくれ。あとはそこに任せてあるから。」

「……そんな事を言わないでくれ。あたし……もうリチャードが居なくなったら……」

 涙を溢れさせるメリダの頭を、リチャードがしっかりと抱き寄せた。

*

 翌朝、メリダは日の出前に目を覚ました。
 いつも以上に気合いを入れて、準備をする為だった。
 道具や剣の手入れをし直し、ブーツの紐や鎧の革紐にも、切れ目や裂け目がないか、もう一度調べる。
 もし、自分の全力が出しきれず、リチャードを失ってしまったらと考えると、準備に手を抜く事など考えられなかった。

「……もう起きてたのか? メリダ。」

 寝室の扉が開き、リチャードが顔を出し、ガウンの前を絞めながら欠伸を漏らした。

「ずいぶん余裕だな。自分が危なくなるかも知れないってのに。ほら、寝癖が残ってるぞ? 」

 メリダは、リチャードを鏡台の前に座らせて、髪を櫛で解かす。
 メリダ自身の髪は、もうしっかり編み込んであった。

「これも、験かつぎって奴さ。出来るだけ普段どおりにってね。」

「バカな事言ってないで、準備はちゃんとしてくれよ。」

「その辺りは抜かり無いさ。メリダこそ大丈夫かい? 」

「戦う準備だけなら任せてよ。何年冒険者やってると思ってるのさ。」

 軽口のようなリチャードの台詞に、メリダも軽口で返す。

「そうだな。それに、俺よりもメリダの方が強いし。」

「はいはい。あたしは今は婚約者って事になってるからね。戦う時以外は大人しくしてますよ……。はい出来た。」
 
 鏡の中のリチャードが、何故か不満そうな顔を作る。
 ただ、しっかりと髪を整えた彼は、普段よりも増して良い男に見えた。

*

 朝日が昇る少しだけ前に、メリダとリチャードは、開門待ちの行列に並んだ。
 出来るだけ数で纏まれば、襲われる可能性も低くなる。
 衛兵が混雑を避けるためか、先に身分証を改めて、終わった者に木札を渡して行く。

「ええと……はい。よしです。」

 若い女の子の衛兵が、身分証とリチャードの顔を交互に見て、動きを止める。

「次はあたしのをお願い。」

 木札を持ったまま、リチャードを見つめる衛兵の娘に、メリダは痺れを切らしたように話掛けた。

「はい……よし! 」

 残念そうにリチャードに木札を渡した娘は、メリダの冒険者章タグと、一緒の馬車に乗っている姿を眺めて、木札を押し付けるようにして渡すと、次の者へと向かった。

「まだ、仕事とそれ以外を分けて考えられないんだろうな。」

 今回の旅で、衛兵に嫌な思いをさせられたのは初めてだったので、睨むように衛兵の後ろ姿を見ていたメリダに、リチャードがそう声を掛けた。

「そうだね。」

 ふうとため息を吐いて、メリダはリチャードがわかってくれているなら良いかと、気分を落ち着かせる事にした。

*

「やっぱり重かったか……? 」

 馬車を牽く二頭の荷馬は、一歩一歩力強く歩みは進めてくれるものの、その速度は遅く、集団の中程でユーゲンストの東門を出たはずが、まだ峠の半分も登っていないのに、だいぶん遅れ、最後尾に近いところまで落ちてしまっていた。

「今日はラタには肥料に使う藁束を持ってってる奴が多いんだわ。」

 ずいぶんペースが早いなと言って、リチャードが隣の馬車の老人に聞いた答えがそれだった。
 もう大分耳が遠いようで、大声で話さなくてはならず、リチャードの話の意味が通じるまでも、ずいぶん時間がかかった。

「なんでそんな事に……。」

「なんでも、向こうの商会がタバとつか(十タバ)を間違って注文してたんだと。んでな、慌てて昨日に注文が入って、こっちの馬車連中にすぐ運んでくれって声を掛けて回ったんだとさ。」

「…………。」

「俺も普段は農夫なんだけどよ。ずいぶん報酬を弾んでくれるってんで、馬車を出したんだわ。」

 リチャードの額に冷や汗が垂れる。
 昨日に商会で聞いた話とまるで違っていたからだ。

「メリダ、君が馬車を操ってくれ、俺は後ろから押すから。」

「誰かに馬を牽いてもらえば、あたしも……」

 そう思って周りを見渡すも、既に歩いている人の姿はなく、先ほど話掛けた老人も、ずいぶん先に行ってしまっていた。
 今から呼んでも、彼には聞こえないだろう。

 メリダは仕方なく手綱を受け取り、リチャードに押してもらう事に納得するしかなかった。
 魔力によって、瞬間的な力は出せるが、それをずっと持続させるのは不可能だからだ。

「もう少しで坂の勾配が緩くなる。もうちょっとだ! 」

 ゼイゼイと荒い息を吐きながら、リチャードが叫ぶ。
 まるで自分に言い聞かせているようなその声に、メリダは気が気ではなくなる。

 そして、やっと街道の勾配が緩くなり、二人が安心したその時だった。

「ぐっ!! 」

 突然響いたリチャードの声に、メリダが振り向くと、その肩に一本の矢が突き立っていた。
 続けざまにすとすとんと、矢が馬車に突き立つ。
 後方の森の中に、少なくとも二名以上の弓兵が居るのが分かる。

 メリダは瞬時に馬車を停め、飛び降りて剣を抜くと、倒れているリチャードに駆け寄り、馬車が遮蔽となるように前側に身体を引きずった。

「……ぐうっ!」

 強引に引きずられたリチャードは、矢の揺れに苦悶の声を上げる。

「痛むが我慢しろよ。」

「…………。」

 リチャードは、メリダの目を見て頷くと、目を閉じてしっかりと歯を噛み合わせた。

 メリダは、一思いにリチャードの矢を引き抜くと、その服に開いた穴にナイフを入れ、腰に下げたポーチからポーションと毒消しを取り出すと、二本ともその傷口に掛けた。

「…………っっ!! 」

 その激痛は、メリダ自身も良く知っていた。
 叫び声をあげずに耐えているリチャードに感心すら覚える。

「ちょっと待ってろ。いま片付けて来る。」

「おっと。そこまでだ姉ちゃん。」

 馬車の前方から、しゃがれた声が響いた。

「…………。」

 馬車の前を窺うと、三人の男が馬に跨がって、メリダたちを見ていた。

「あんたは強いかも知れねえが、その男はどうだ? 俺たちを相手にしてる間に、仲間が捕まえるぜ? 」

 中央の髭面の男が、しゃがれた声で脅しに掛かる。
 背後の森に気配を探れば、確かに何人かの気配がした。
 どうやら、この髭面がこの連中のリーダーらしいとメリダは当たりをつける。

「止めろ! 何が目的だ! 」

 少しでも時間を稼ごうと、メリダは大声で返事を返す。

「金目のもの全部。そしてお前らの身柄だな。お前が大人しく言うことを聞く限り、男は殺さねぇでおいてやるよ。」

「可愛がってやるから安心しな。」

 髭面の男に合わせて、右側にいた眼帯の男が舌なめずりをしながら、欲望を露にした片目でメリダを見ていた。

 前にいる騎馬の三人との間合いを考えると、一息では殺せない。
 後ろの森からも、ガサガサと人の動く気配がする。
 しかも徐々に包囲の網を狭めているのがわかった。

 もう考える余裕など無かった。
 自分が大人しく奴らの言うことを聞けば、リチャードが助かる芽が出てくる。

「わか……」

 わかったと言おうとしたメリダは、いつの間にか起きていたリチャードに肩を掴まれた。
 振り返ってみれば、そんな事は許さないと、怒りに満ちた目が物語っていた。

「メリダ。右の奴だけはお願い出来るか? 」

「隙が無いと無理だ。間合いが遠すぎる。」

「隙は俺が作る。行けと言ったら、右の奴だけを狙ってくれ。」

「……わかった。」

「兄ちゃんも起きたのか? 無駄な事は止めておくんだな。たかが商人なんだろ? あとでたっぷり見せつけてやるからよ。」

「…………。」

 その挑発に、リチャードは乗らず、掌を左の二人に向けると、魔力を集中させて、小さな魔法陣を描きだした。

「よう色男。そんな小せぇ魔法陣で何するつもりだ? 」

 男の左右の二人も笑い、もう気配を消す必要も無いと思ったのか、周囲の森からも笑い声が響く。

 それにもリチャードは答えずに、魔力を集中し、小さな光球を作り出した。

「そんな小さなファイヤーボールで何をしようってんだ?」

 盗賊たちは、ますますゲラゲラと笑い、もはや先に動く必要も無いと言わんばかりに剣先を下げる。

 そして、その光球は、人が投げる程度の早さで、三人の真ん中にいた髭面の盗賊へと向かう。

「なんだこりゃ。速さも大した事がねぇ。」

 盗賊は、その小さなファイヤーボールを剣で叩き落とそうと、剣を横に持って軽く振り下ろす。
 手応えすら無いと盗賊が剣を見れば、何故か光球が当たったあたりに小さな穴が開いている。
 これはなんだと思って良く見てみれば、その周りの鉄が真っ赤に焼けているのが見えた。

 それが、その盗賊が見た、最後の光景となった。

 くぐもった爆発音の直後に、盗賊だったものが当たりに散らばる。
 メリダたちから左側に居た男は、まだ馬の上に乗ったままだった頭領の下半身から、その原因を作り出した男に顔を戻した。

 ただ、全ては遅く、もう自分の目の前に光球が来ていた。

 右側にいた眼帯の男が最後に見たのは、自分に駆け寄ってくる赤髪の女が下から振り上げた、銀色に光る剣筋だった。

 周囲の森からは、至近距離でこの惨状を見たせいか、至るところで悲鳴があがり、慌てて逃げ出す音が聞こえる。
 一人が木の上から頭から落ちてきて、石畳の上で動かなくなり、血だまりが頭の周りに出来て行く。
 森の中は、もう完全な恐慌常態だった。
 盗賊たちが乗っていた馬も、その声に驚いたのか、まだ乗っていた身体の残りを振り落としながら走って行く。
 
「リチャード! 」

 眼帯の男の首を落としたメリダは、二発目の光球が左側の男の身体を吹き飛ばしたのを見たところで、糸の切れた人形のように崩れたリチャードへと向かう。

「起きて! リチャード! すぐ逃げなきゃ! 」

 まだ目を覚まさないリチャードを、メリダは魔力を振り絞って、馬車の荷台へと乗せる。
 そして自分は御者台に乗ると、馬車を走らせ始めた。

*

「もうちょっとだけ頑張ってくれ! 」

 祈るようなメリダの声が響く。
 馬たちは、一生懸命坂を登ってくれているが、その速度はまるで亀の歩みのように、メリダには感じられた。

「メリダ……。馬車を停めてくれ。」

 いつの間にか目を覚ましたリチャードが、這うように御者台へと登って来る。

「リチャード。休んでてくれなきゃダメじゃないか! 」

「いいから。ほら、そこの空き地に停めちまおう。」

「奴らは直ぐに追ってくるぞ! 一旦は驚いて逃げたが、今度はあの魔法も通じないぞ! 」

 このままのんびりと坂を登っていれば、直ぐに態勢を整えた盗賊たちに追い付かれるのは目に見えていた。
 盗賊は、自分たちを傷つけた人間を絶対に許さない。
 もし、それを放置すれば、恐れる人間が居なくなるからだ。

「わかってる。だからさ。依頼主の言うことは絶対……だろ? 」

「…………わかった。」

 そう言われれば、メリダは頷くしかなかった。
 ただ、自分の為に、リチャードの夢を潰してしまうのが、ただただ申し訳なかった。

「メリダは馬には乗れただろう? 」

「リチャード。この荷と馬車を置いて行くつもりなのか!?」

 もうリチャードは馬を馬車から離し始めていた。

「ああ。もう方法はそれしかない。奴らにはいい目眩ましになる。」

 荷物さえ置いておけば、盗賊はまずそれを改めるだろう。
 そして二人が馬に乗って逃げた事を知るはずだ。

「だって、あんなに嬉しそうに言ってたじゃないか。この仕事が終わったら、やっと大金が手に入るんだろ! 」

「金とメリダの命を天秤に掛けたら、俺がどっちを選ぶかなんてわかりきった事だろう? 」

 リチャードは、穏やかに笑うと、メリダを見つめ、そして馬を引き出した。

「さ、乗ってくれ。こいつらが居てくれりゃ、またいつでも再起出来るさ。」

「…………。」

「よし。行くぞ。」

 メリダが頷き、先を走り出す。

 一度だけ、リチャードは馬車を振り返り、そして馬にしがみつくようにして走らせはじめた。
 
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