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六話 落ちる!

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「また……やっちまった……。」

 メリダは布団から身体を起こして頭を抱える。こうやって取り返しのつかない事をやらかすから、酒を止めようと誓ったのに。と、彼女は自分を責める。
 外を見れば、既に大分明るくなってしまっていた。

 ただ、メリダの頭を悩ませていたのは、寝過ごしてしまった事ではなく、自分が何も着ていない事だった。
 昨日の夜まで着ていたはずのドレスは、ベッドの脇に落ちており、下着もその上に放り投げてあった。
 多分、リチャードの服も、反対側で同じようになっているのだろう。

『リチャードは、あたしの事を綺麗だとか言うけどさ、じゃあ抱けるのか? あたしの身体を見ただろ? 』

 と、挑発したところまでは、ちゃんと記憶にある。
 そこからの記憶はおぼろげで、とにかく凄かったと言う印象しか無い。
 夢だったかと目を覚まして、自分の姿と腹部に残る違和感、そして一緒のベッドに寝ていたリチャードを見て、全ては夢では無かったと気がついた。
 ……いや、夢だと思いたかった。

「あ……起きたのかい? 」

 隣でリチャードが寝返りを打ち、メリダと瞳が合う。

「…………。」

「どうした? 」

 黙ったままのメリダを心配したのか、リチャードが身体を起こす。
 布団がずり落ちそうになって、メリダは慌てて胸元を押さえた。

「……うそつき。」

「……俺は何かしたか?」

「やさしくしてくれるって言ったのに! 」

「そりゃ、メリダが初めてとか言われ……ゲホッ」

 昨夜の光景が頭に中にフラッシュバックして、真っ赤になったメリダは、何事かを言いかけたリチャードの背中を叩いた。

 噎せてしまったリチャードの背中を、メリダが擦ろうとすると、そこには真っ赤な手形と、昨日の自分の爪の跡がしっかりと残っていた。

 メリダは自分の気持ちを誤魔化す事も出来ず、その背中に話し掛けた。
 言っておかなくてはならない事は、言っておかなくてはならない。
 なにしろ、メリダは嘘はつかないと彼に約束したからだ。

「……あたしさ、前に、ある人とこうなりかけた事があったんだ……。」

「……うん。」

 リチャードの顔は、前を向いたままだったが、声の調子が暗くなったのは、メリダにも解っていた。

「その時、あたしの身体を見たその人に、『気味が悪くて無理だ。』って言われちゃってさ……。」

「…………。」

「あたし……冒険者になった頃は師匠とかもいなくて、文字通り身体で覚えるしかなくて……。ポーションも安いのしか買えなくて……。」

「…………うん。 」

「でもさ、そうやって、ちょっとづつ強くなって行ったから、この傷の一つ一つは、あたしにとって誇りだったんだ……それをさあ……。」

「…………。」

「だから……だからもう二度と誰も好きになんかなるもんかって…………」

「わかった。もうなにも言わなくていいから
 。」

「……ありがとう。だから、あたし今とっても幸せな気分なんだ。」

 二人の顔が近づき、そして重なった。

 結局、メリダたちが宿を出たのは、もう陽が半分ほど登ってしまってからになった。

*

 もう昼近くになった街道は、人通りも多く、反対側から来る馬車とも、ひっきりなしにすれ違う。
 東行きの馬車は右側を走り、メリダたちが来たミルドの街へ向かう馬車は、左側を走っている。
 徒歩で道の端を歩いている人とも距離を開けなくては危ないので、リチャードの馬車は、のんびりと走ることしか出来なくなっていた。
 どちらにしろ、このあたりからは緩やかな登りになってるから、どうしても速度は落ちる。

 メリダは、組んだ足の上に肘を乗せ、その腕で支えた顔は、メリダの街を出てから、ずっとリチャードとは反対側を向いていた。

「そろそろ機嫌を直してもらえないでしょうか? 」

「うるさい……ケダモノ。」

 もう、酔っていたからと誤魔化す事も出来ないメリダは、せめてもの抵抗とばかりに、リチャードを睨む。

「俺は君の嫌がることなんてしてないじゃないか! むしろよろ……」

 リチャードの大きな声に、周りにいた人からの視線が集まる。
 メリダは、慌ててリチャードの口を手で塞いだ。

「わかった! わかったから! 」

 どうやら、リチャードは一つの事に集中すると、周りが見えなくなるらしいと思いながら、メリダは火照る頬を感じながら、ため息をついた。

「で、ご機嫌は直してくれたのかい? 」

 やっと口を塞がれていた手を離されたリチャードが、メリダに尋ねる。

「別に、機嫌が悪かった訳じゃないよ。ただ、なんか恥ずかしくてさ、顔を見られなかっただけ。」

「……可愛いな。メリダは。」

 穏やかな微笑を浮かべ、前を見て手綱を動かしながら、リチャードが言う。
 急激に上がる体温と、鼓動の早さに、メリダは話を変えなければと思う。
 喜びが背中を駆け抜けて、頭の先まで走り、こんな周りに人がいる中で、彼を抱き締めたくて仕方なくなったからだった。

「……で、今日はどこまで行くの? 」

「今からの時間だと、峠越えは無理だな。ユーゲンストの街でまた泊まって、明日の朝一番で出よう。」

「グリンヴィルまではあとどれくらい? 」

「三日……いや四日間かな。」

「あと、それだけしかないんだ。王都から十日掛かるって聞いてたから。」

「人が歩くよりは、よっぽど早いからね。」

「…………。」

 話を聞いて、メリダは不安になる。
 あくまでも、彼女は護衛として雇われているだけで、彼の恋人な訳でもない。
 あと四日間が過ぎれば、こうして隣にいる事も叶わなくなるだろう。
 リチャードは行商人なのだし、また旅に出てしまうのは間違いがなかったからだ。

「どうした? 」

「……いや、なんでもない。」

「……? そら、あそこがユーゲンストだ。」

 やっと丘を越えたのか、急に視界が開けた。
 馬車を牽く馬たちも、ホッとしたように鼻を鳴らす。

 丸い城壁に囲まれた街が、なだらかな山の麓に、へばりつくように作られていた。
 その周りも、ミルドの街のように広大な畑が広がっており、既に植えられている作物の葉の色で、巨大なパッチワークのように見える。

「ここも凄い景色だね! 王都に出るときに見てるはずなんだけどな……。」

「向こうの峠からは、街の側に出るまで、木しか見えないからな。街の北側から伸びた道が、谷間に続いているだろう? そして、あの峠を越したらもうラタの街だ。」

「ラタ……? 小さな頃にシスターと来た事が……。あっ……。」

 しまったとメリダは思う。シスターと小さな頃に来たなどと言ってしまえば、自分が孤児で救護院で育ったと言ってしまっているのと変わらなかったからだ。

「心配しないでも大丈夫。俺も救護院育ちだから。」

「あ……そうなんだ。だから食前のお祈りのこと、煩く言うんだ。」

 メリダは、ある意味ホッとした。
 結婚の際に、持参金を用意出来ない孤児は、結婚相手としては敬遠されるのを知っていたからだ。

 ───待て、結婚ってなんだ……。 

 ずいぶん先走った悩みだと、メリダの頬が急に熱くなる。

「メリダもわかるだろ? 」

「……そりゃね。何度手の甲を教鞭で叩かれたことか。」

「どうせ、お転婆だったんだろ? メリダは。」

「いや? そんなことないよ。リチャードこそ、何かに夢中になってると、シスターの言うことが耳に入らないって怒られてなかった? 」

「……なんで見てきたみたいに言うんだよ! 」

 御者台に並んだ二人は、思い出話に花を咲かす。
 そうしている間に、あっという間にユーゲンストの門の前に着いた。

「身分証を……。お二人は……? 」

 衛兵が、メリダとリチャードの身分証を改めて、厳しい目を二人に向けた。

「……ああ。彼女は婚約者です。」

「…………通ってよし。お気をつけて。」

*

「…………ねぇ。」

「なんだよ。ダメだったか? 」

 リチャードの瞳に、悲しげな色が浮かぶ。

「リチャードは、良かったのか? 」

「質問に質問で返すのは、マナー違反だって習わなかったか? 」

「あたしは……嬉しかったけど……。」
 
「だったら、それで良いじゃないか。 」

「…………。」

 あと、グリンヴィルに着くまで、たった三日間しかない。それが過ぎてしまえば、またリチャードは旅に出てしまう。

 そうして遊ばれて捨てられたと言う娘を、メリダは酒場で何度も目にした事があったからだ。

 メリダは、自分もそうなるかもしれないと思うと、不安で仕方がなくなる。

「とりあえず、何か食べよう。もう、腹が減って……。」

 その言葉は、メリダには、これ以上話をしたくないと言っているように聞こえた。

*

「あー! 美味かった! 」

「ここは、この街に来た時には必ず寄る事にしてるんだ。朝メシを食ってなかったから、意外と楽勝だったな。」

 二人が出てきたのは、牛肉と野菜をデミグラスソースでじっくり煮込んだシチューの店だった。
 新鮮な野菜をたっぷりと使い、舌先ですら噛みきれるほど柔らかく煮込まれたそのシチューを、二人は一言も喋らずに掻き込んだ。
 いまいち食欲が無かったメリダも、一口スプーンで口に運んでからは、もう夢中で食べ、おかわりは自由だと言われたパンは、二回も注文をした。

「あたしも、意外とお腹が減ってたみたい。あんなに入るとは思わなかったよ。」

「マスターが、負けたって顔をしてたからな。次に来た時には、また量が増えてるんじゃないか? 」

「ホントに? 今日のだって凄い量だったぞ? 」

「ああ。この辺りは昔から食い物が豊富だったから、客が出した料理を全部食べきってしまったら、恥なんだと。」

「山一つ越えるだけで、そんなに違うんだね。」

「そんなところは結構多いんだぞ。川を一つ挟んだだけでも変わったりとか……」

 先ほどまで、落ち込んでいたように見えたメリダが、普通に話すようになって、リチャードも嬉しそうだった。
 だが、メリダの不安は解消された訳では無かった。
 ただ、彼女はグリンヴィルに着くまでに、私も旅に連れて言って欲しいと言おうと決意していた。

 そして、その結果がどうなろうと、まずは今を楽しむことも。

*

「リチャード。あんた、いっつもこんなところに泊まってんの? 」
 
 今日の宿も、さすがに貴族が泊まるようなところとは行かないが、それなりに良い部屋だった。
 壁にはきちんと漆喰が塗ってあり、柱は一本一本に化粧彫りが施してある。
 ソファーにも刺繍が施してあり、ベッドのシーツはきちんと毎日換えられているように見える。
 おまけに、書卓まで置かれており、紙と墨壺に羽根ペンまで置いてあった。

 メリダが今まで王都で泊まっていた宿とは、雲泥の差があった。

 受付でも、リチャードはメリダを婚約者だと言って、宿帳にもそう書いていたが、メリダはもう何も言わなかった。
 ならば、この間だけでも、婚約者らしく振る舞おうと決めていたからだった。

「一人の時は、その時によりけりかな。」

「よりけりって? 」

「例えば……メリダが金貨数十枚の商品を売ろうと考えてたとして、相手が安宿に泊まってたりしたら、本当に大丈夫か? って思わないか? 」

「……ああ、そういう事か。」

「そうだ。商人には、見栄も必要なのさ。」

 今日積んでいる十五樽の酒も、売値は金貨三十枚にもなるらしい。
 金貨一枚あれば、五人家族一ヶ月暮らすには十分な価値がある。
 そう考えると、商人とは凄いものなのだとメリダは思った。

「それじゃ、そろそろ商業ギルドの支部に顔を出しに行って来るよ。メリダは、本当に行かなくてもいいのかい? 」

「あたしは……やっぱいいよ。ちょっと手紙を書きたいところだったし。」

「そうか……。」

 メリダは、商業ギルドに一緒に行かないかという、リチャードの誘いを断っていた。
 王都の冒険者組合ギルドで、"色男"と言う二つ名を持っていた冒険者の男が、何度も違う女を連れて来るのを見た事があったからだ。
 得意気に周りを見下すようにしていた女は、大体、その一ヶ月後には盛り場で泣いている姿を目にする事になった。
 婚約もせずにホイホイ寝るからだと、よく酒の肴にした話題だったが、自分もそんな愚かな娘と変わらないなとメリダは思う。
 ただ、遊ばれて捨てられた女だと、後から憐れみの目で見られるのは嫌だった。

 リチャードを部屋の扉まで見送って、メリダは早速手紙を書き始めた。

*

「よし……出来た。」

 まだまだ手紙を書かなくてはならないところもあったが、とりあえず三通分は書き上げる事が出来た。
 紙の上には、女性らしい綺麗な筆記体の文字が並んでいた。

 手紙を書いたのは、飲み仲間のニーナ、そして、心配をしてくれたフレデリカ、最後に世話になった商人へだった。
 いつも、自信無さげに小声で話す地味な男だったが、メリダの腕を高く買ってくれており、パーティーでの討伐以外でも、メリダが個人的に集めた素材を、高く買い取ってくれたりしてくれていた。
 丁寧な仕事は好きですと言われ、メリダはちゃんと自分の仕事を見てくれる人はいるのだなと思った。

「あたしもまだまだやるじゃん。」

 メリダはその出来映えを自画自賛する。彼女の文字は、救護院でシスターに教えられ、いつの間にか代書を依頼されるほど上達していた。

 外をふと見れば、既に夕陽が隣の商会の壁を金色に染めはじめていた。
 部屋から見える景色が昨日とは違って殺風景なのは残念だったが、一度贅沢を覚えてしまうと、どんどん人は堕落をしてしまうとシスターに言われた事を思い出して、メリダは自分を戒めた。

 久しぶりに頭を悩ませたのと、手紙に集中していたせいか、メリダは眠気を覚えた。
 少しだけ目を瞑ろうとテーブルに俯せになると、メリダの意識はあっと言う間に途絶えた。
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