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二話 商人との契約

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「ぎぼぢわりぃ……。」

「今日の荷は酒だから、どうしても揺れちまう!……で! 俺の話は聞いてた!?  」

 馬車の縁にしがみついて、なんとか振り落とされないようにして吐き気を押さえていたメリダに、男は大声で話掛ける。
 車輪の轟音と車体の軋み音、さらに風を切る音で、その声はほとんどメリダに届かない。

 馬車は草原を飛ばし、森の中に入っても、その速度を緩めなかった。
 石畳とは言え、時々馬車が跳ねると、いつまでもふわふわと揺れが続く。
 メリダは、馬車が速度を上げきったあとは、まったく男の話は耳に入らず、ただ振り落とされないようにしがみついて、酔いに耐えるのが精一杯たった。

「いや……! そんな余裕なかったから! 」

「……もう少しで着くから! あとちょっと我慢してくれ! 」

 彼の言うとおり、その後間もなく日没前に、馬車は古い神殿の立つ丘へと滑り込んだ。

「この丘に入っちまえば、もう安心だ。降りても大丈夫だよ。」

 ゆっくりと馬車の速度を落とした男は、ホッとしたようにメリダに話掛けた。

「あ……ああ。」

 腰の剣に手を当てながら、メリダは慎重に馬車を降りる。
 罠がないかと辺りを探るのは、冒険者になってからの癖のようなものだ。

 森の中には白い影が見え隠れしており、彼女は、その動きを見逃すまいと森を睨む。

 陽が沈むと同時に、森の中にはアンデッドがうろつき始めていた。 
 むき出しになった白い骨で、木の葉をかさかさと擦りながら、木々の間に見え隠れしている。

 この神殿を囲む丘には結界が張ってあるようで、アンデッドたちは、近寄って来たとしても、何かにぶつかったように方向を変える。

 メリダは、男の言うとおりかと思い、ホッと胸を撫で下ろした。

 男は、メリダが森の光景を見ている間に、手早く馬を馬車から離し、水場に連れていっていた。
 相当喉が乾いていたのか、二頭の馬が水を飲む音が森に響く。
 
「あいつらは、ここには入って来られないし、こっちの姿も見えてない。だから安心して大丈夫だよ。」

 周りに風避けの石が積んである焚き火跡に男は薪を並べ、火の準備を始めた。
 焚き火跡の周りには、大きめの石が並べてあり、メリダは森を横目に見ながら腰かけた。

「ありがとう。助かったよ。あたしはメリダ。あんたは? 」

 森の中に、ちらほらとスケルトンゾンビの姿が見えた。こちらに気がつけば、あっと言う間に殺到してくるのは間違いない。 

 見えているだけの十数体だけでも、怪我をしてしまえば、そこで終わりだ。
 メリダは、森から焚き火に目を落とし、身震いを押さえた。
 
「俺は……リチャードだ。見ての通りの行商人さ。」

 両手を広げて、リチャードは演劇のような見栄を張る。
 外套のフードが落ちて、短く三つ編みにした金色の髪の毛と、青い瞳が良く見えた。
 顔つきは、いかにも色男といった感じだった。

 メリダは、女を道具としか思っていない、ある冒険者を連想した。
 十人の娘が居れば、九人は格好いいと思うような、そんな顔立ちだったからだ。

「……あんた……いや、リチャードはなんであんな時間に? 」

 こいつがいくら格好が良くても、自分には関係ない話だ。と、頭を切り替えて、メリダは疑問を口にした。

「俺は最初からここで夜営するつもりだったから。荷物を積み終わったのが遅くなっちまってね。……ちょっと馬に先に食べさせてくるわ。」

 十分に火が熾きた事を火箸で確認すると、リチャードは馬車へと向かい、飼い葉を下ろすと、たっぷりと水分を補給して満足げな馬の前に置いた。

「ねぇ? リチャードはどこまで行くんだ? 」

「俺かい? 東のグリンヴィルって街だよ? 」

 もし、今日みたいな事があったら……と思うと、メリダは急に先行きが不安になっていた。

 この場所に着いてからのリチャードは、迷いなく、手際よく仕事を進めていた。
 この男に着いていく事が出来れば、メリダ一人でいるよりは、よっぽど安全であることは明らかだった。

 行き先が同じなら、もしかしたら同行させてもらえるかもしれないと、メリダは計算する。

「もし……良かったらさ、あたしを雇う気はない? 」

「え……? 鉄等級アイアンの冒険者なんて、とても雇えないよ。まだまだ駆け出しなんだ、俺。」

 飼い葉をならし終わって、リチャードは焚き火の側まで戻って来た。

 メリダは、最初の条件はまず無理なのは解っていた。
 荷馬車の護衛の仕事は、銅等級ブロンズの仕事で、しかも十数台の馬車をまとめて護衛するものだ。
 一台の馬車で鉄等級アイアンを雇えるなんて、相当な豪商でもないと無理だ。

「今回はさ、あたしも色々教えてもらわなきゃなんないし、メシと宿代だけってのは……どう? 」

「それは願ってもない事だけど……本気? 嘘じゃないよね? 」

 焚き火を挟んで、メリダの正面の石に腰かけたリチャードは、驚いたような、困惑したような顔をしていた。

「あたしは嘘は吐かない。これだけは自慢なんだ。」

「……よし、乗ったよ。メリダ。商人との契約は違える事は許されないからな。」

 リチャードは、メリダの目を見つめてから、右手を差し出す。

「じゃあ、よろしく。依頼主さん。」

 メリダがその手を握り、二人はしっかりと握手をした。

*

「メリダは、グリンヴィルには何をしに行くんだい? 」

「ああ、あたしの実家がグリンヴィルなんだ。里帰りってやつ。」

「ふうん……。」

 リチャードは鍋をかき回しながら、興味無さげに答える。
 根掘り葉掘り聞かれたらどう答えようかと悩んでいたメリダはホッとした。

「そろそろいいかな……? 」

 リチャードが、火にかけていた鍋の蓋を取ると、蒸気がふわっと広がって、辺りに旨そうな匂いを漂わせる。
 クタクタと音を立てる具材たちは、見た目からして美味しそうだった。

 もちろん、鍋の中の具材も肉も、鍋や食器さえも、リチャードの馬車に積んであったものだ。

「美味しそう……。リチャードの馬車って何でも出てくるんだな。」

「そうだなー。こうして夜営することも多いし、生きるためのものは、一通り積んであるからね。」

「ずっと旅暮らしなのか? 一人だと寂しくない? 」

「…………うーん。どうなんだろな。……さ、出来たから食おうぜ。」

 複雑そうな顔をして、リチャードが答える。
 ずっと仲間と過ごして来たメリダには、こうして一人で夜営をする生活を続けるなど想像もつかない。
 現に、王都を出てからの三日間で、メリダの孤独は限界に近かった。

「あ、いただきます。」

「ちゃんと食前のお祈りしろよ? 商人は験を担がなきゃ、やっていけないんだからな。」

「あたしも、その辺りはうるさい方なんだ。前にそれで喧嘩になった事あったから……。じゃ、いくよ。」

「天にまします、我らが女神よ……」

 二人で声を揃え、食前の祈りを唱えた。

*
 
「……へぇ。冒険者って、適当な奴が多いイメージだったけどな。」

「そんなん人それぞれさ、中には貴族みたいな喰いかたをする奴もいるんだよ。」

 知り合いのパーティーが、貴族に招かれた時に困らぬようにと、定期的に食事会を開いている事を思い出しながら、メリダは答える。

「えー……なんだそりゃ……」

 二人で鍋をつつきながら、他愛もない話を続ける。

「……ああ。商人てのは、契約で関係が成り立ってるからな。」

「契約って? 」

「約束……とはまた違うな。例えば、商人が顧客に何時までにこれだけの商品を用意しますと言ったら、それが書面に残されたものじゃなくても契約になる。」

「約束と何が違うのさ。」

「基本的に、その契約は絶対に違える事は出来ない。おまけに法律でもその効力が認められている。それが約束との大きな違いさ。」

「へえ。その……契約を破ったらどうなんのさ。」

「単純さ。商売人として、もう二度と表舞台に立つ事は出来なくなる。場合によっては、相手に与えた損害を保障しなくちゃならない。」

「へえ……それが商人の流儀って奴なんだな。」

 メリダは男とこんな風に気楽に話を出来るのは初めてかもしれないと気がついた。

「あー……喰ったー。」

「あたしももう、おなかいっぱい。」

「あ、水浴びがしたいなら、神殿の中の沐浴場が生きてるから、使っててくれ。俺はその間に天幕テントの用意をしておくから。」

天幕テント? この暗さだと大変じゃないか? あたしは別に寝袋があるから大丈夫だぞ? 」

「この辺りは、朝方はまだ冷え込むからな。風邪を引きたくなきゃ依頼主に従ってくれ。」

「わかった。依頼主さま。あたしも手伝いたいけど、邪魔になりそうだから、先に汗を流させてもらうわ。乙女の水浴びを覗くなよ? 」

「誰が乙女だよ。いってらっしゃい。」

 軽口を叩きあってから、メリダは着替えを持って、神殿の中に入った。

 建物の外側は、もう蔦や苔に覆われていたが、一歩中に入ると明かりが点き、短めの廊下を照らす。
 廊下を歩いて左右を眺めれば、小さな部屋が並んでいた。

「沐浴場って……どれだ? 」

 一旦外に戻って、リチャードに聞いてみようとおもったところで、脱衣場と思しき部屋が見つかり、メリダは中へと入ってみる。
 明かりは最初に神殿に入った時に付いており、服を入れる籠が並んでいた。
 室内は清潔に保たれており、まるで誰かが毎日掃除でもしているようだった。
 部屋の奥にはもう一つ扉があり、横に開いて開けてみれば、その部屋にはたっぷりと湯を湛えた石造りの大桶があった、そこの湯を使って沐浴をせよと言うことらしい。

「これは……遺跡か……。」

 脱衣場へと戻ったメリダは、初めて見る遺跡に驚いていた。
 リチャードが『沐浴場が生きている』と言った意味がよく解る。

 古代の魔法文明の遺産であり、冒険者たちが、ダンジョンの攻略に並んで望むのが、遺跡の発見と探索だ。
 一度発見され、探索が完了したものは、国の管理下に置かれる事になるが、まさか、そんな管理の手を離れたものに出会えるとは思ってもいなかった。

 メリダは、久しぶりの湯と、遺跡の存在に興奮気味に服を脱いで、沐浴場へと向かった。

*
 
「おーおかえり。天幕テントはもう出来てるぞ。」

「…………ああ。」

「……ん? どうした? 」

「いや。なんでもない……なんでもないんだ。」

 メリダが必死で作った笑顔は、どこかぎこちない。

 彼女は、自分が暗い顔をしてしまっている事が良く解っていた。
 風呂に入ったあとには、いつもこんな気持ちになる。
 特に、脱衣場にあった姿見で、自分の全身を見てしまったから、今日は特に落ち込んだ。
 沐浴後に、奥にあった礼拝堂でなんとか女神像に感謝は出来たものの、落ち込んでしまった気持ちは、まだ浮き上がらないままだった。

 心配そうにメリダの反応を伺っているリチャードにも、彼女は申し訳なく思う。

「暖まったかい?」

「あ……ああ。やっぱり湯だといいな。汚れが簡単に落ちる気がするよ。」

「……そっか。天幕テントの左側でメリダは寝てくれ。俺も沐浴をして来るから、その間に寝てしまっても大丈夫だ。」

「寝てしまっても……? 火の番をしてないと危なくないか? 」

「この結界内に魔物は入って来られないし、もし、この暗闇と魔物の群れを抜けて、ここまで入って来られる奴がいれば、どっちみち助からないさ。それがここに来た理由でもあるんだ。」

 考えてみれば、この神殿の結界の外には、魔物の群れがいて、今はそれが自分たちを守る存在になっている。

「リチャードが、どうしてここを選んだのか解った気がするよ。下手な安宿より安全なんだな。」

 安宿に泊まれば、自分の身の安全だけではなく、身の回りの物にさえ注意を払わなくてはならない。
 その意味では、ここは身内しか居なければ理想的な宿だと言えた。

「そういうことだ。じゃあおやすみ。」

 そう言って、リチャードは遺跡の中に消えていった。

 メリダは、ここに着いた時、遺跡に立て掛けておいたままになっていた行李を背負うと、天幕テントの中へと背を屈めて入る。

 真ん中に布地で仕切りが入っており、左右に別れれば、お互いが見えないようにしてあった。
 別れた部屋の中も、吊るされたランプで照らされており、外の焚き火の灯りよりも明るいくらいだった。
 床に敷いた布の下には、飼い葉を敷いてあるらしく、地面の冷たさも固さも感じない。

「気を使い過ぎだな……リチャードは。」

 メリダは行李から自分の寝袋を出すと、床に広げた。
 もう一度、鎧を外して、服を脱ぐ。

「はあ……。」

 寝袋に潜り込む前に彼女は自分の身体を見て、ため息を漏らした。

───あたしは、他の娘のように恋に落ちるなど許されない。

 そして、そう自分に言い聞かせた。
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