波音のように囁いて

真木 新

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 二日酔いで目覚めた翌朝は本当に最悪だった。

 頭は痛いし、スーツのズボンはしわくちゃ。布団も掛けずに寝てしまった葉崎は震えるような寒さで目を覚ました。
 ベッドに放ってあったスマホを手に取ると、高瀬からのメッセージが入っている。
『おはよう。生きてる? 昨日はありがとう。また飲みに行こうな』

 いつだって優しくて、自分なんかのことを気にかけてくれる。高瀬のそういうところが好きだった。思い返すと切なくなってまた泣けてくる。
 これからは彼のそんな優しさの中に何かを期待してはいけないのだ。
『大丈夫。ありがとう。また月曜日に』
 返信するのも辛いが、葉崎は簡潔にそう打って送信した。涙が枯れるほどに泣いたのに、目の奥がじんわりと熱くなってくる。
 また月曜日に――自分で打ったその言葉に心がズシリと重くなる。二日後には月曜日がやってきて、高瀬と顔を合わせなければならない。そしてその婚約者とも。昨夜は酒の力で乗り切ったけれど、今までと同じように振る舞える自信がない。
「はぁ……」
 大きくため息をついた葉崎は重い腰を上げて風呂場へと向かった。



 憂鬱な心地を運ぶ月曜日の通勤電車の中。葉崎はドア横の手すりに軽く寄りかかりながら、窓の外をぼんやりと見つめていた。
 次々と移ろいゆく外の景色は陽がまだ低いためか寒々しくくすんでいる。
 たかが失恋如きで仕事に行きたくないだなんて甘ったれているとは思うけれど、こんなに辛い通勤時間は初めてだ。このまま引き返してしまいたくなるが、受験を控えたクラスの生徒のことや他の先生に授業を代講してもらうことを考えるとそうもいかない。教師とは全く大変な職業だと改めて思う。
 そんな考え事をしていたせいであっという間に下車駅に着いてしまった。

 どっと流れる人の波に体が自然と飲み込まれる。駅から学校までは歩いて十五分弱。今まではその足取りが軽かったのも、想い人に会えるという密かな楽しみがあってこそだった。
 校門をくぐると見慣れた景色が感傷を誘う。職員玄関で他学年の教師に挨拶をされると、葉崎は慌ててしなだれていた心と背筋を伸ばしてそれに応じた。
「おはようございます」
 喉から声を絞り出し普段通りの振る舞いで職員室に入った葉崎に、最初に声を掛けてきたのは高瀬だった。
「おはよう。あのあと平気だったか?」
「ああ……うん。平気」
 今は高瀬の顔を見るのも辛い。それを悟られないように葉崎は力ない笑顔で答えた。
「今、校長と主任に報告してきた」
 高瀬の言葉に無理して作った笑顔が自然と消える。高瀬が今日、職場に結婚の報告をするということは金曜日に聞いていたはずだが頭から抜け落ちていた。
「あっ、そうか……どうだった?」
「放課後の職員会議で全体に報告して詳しく話し合うってさ」
「そっか。それまで気が気じゃないな」
「ははは、だな」
 高瀬はそう言ってニッと笑う。いつもと変わらない笑顔が今の葉崎にとっては苦しかった。

 朝礼を終えホームルームの時間が近づくと、皆が散り散りに担任する教室へと向かう。
 十年近く続けているこの仕事に慣れはしたものの、受験シーズンの今は気が休まることはない。
 高瀬のことは考えず、目の前の生徒たちへと向き合おう。葉崎はそう気を引き締めて自分の教室へと向かった。
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