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六日目(完)エピローグ

後ろ神と道祖神

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目を覚ますと、見慣れた天井だった。
起き上がり、確認すると稲生家の居間だと言うことがわかる。
だが、いつものような騒々しさは感じられない。
────静寂に包まれていた。
縁側の外から空をみると、薄い色の彩雲が流れている。
室内は薄暗く、朝焼けなのか夕焼けなのかわからなかった。
「あ……修一郎! 眼が覚めた!!」
廊下から楓姉が入って来た。
「はあ……丸一日眼を覚まさないから、死んじゃったかと思ったわよ」
どうやら今は夕方らしい。
意識がはっきりしてくると、大事な事を思い出す。
「八橋は? 八橋は無事だったのか?」
「うん、さっきまでお見舞いに来てたわ。石段で派手に転んだ分、あんたの方が重症だったからねえ」
気が付くと、体中包帯だらけだった。
「俺は……助かったのか? 死神の手帳に刻まれてたんじゃ……あいつが簡単に諦めるわけがない」
八咫烏は死の宣告をした。
此処ももしかしたら、夢を見ているだけで────彼岸かもしれない。
「……あんたが助かったのは、八咫烏のおかげよ」
「え?」
そう言って、楓姉は昨日の事を振り返る。

*

「う……ううん」
「!! 美生ちゃん!? い、息を吹き返した?」
「何だと? ……! 手帳の名前が消えている……信じられん」
────だけど修一郎はなかなか息を吹き返さなかった。
「八咫烏……修一郎は? 修一郎の名前は消えないの!?」
「……稲生修一郎の名は未だに刻まれている」
「何ですって!? あの“渦”が原因でしょう? 何とか出来ないの?」
「亡者により、空間そのものが歪んでいる……俺の浄化の力では正常に戻す事は不可能だ」
「正常に……? そうだわ!! この場所は本来……道祖神があったはずよ!」
わたしは美生ちゃんの抱えていたガラ袋を掴んだ。
「使わない手はないわ!」
そして“渦”の前まで進み、道祖神の欠片を投げ入れた。
すると────“渦”に変化が起きはじめた。
「────む?」
それまで“渦”の中の黒いもやは、影法師のような複数の人の形になった。
人の形をした黒いもやは蠢きだした。
「な……何が起こったの? 黒いもやが人間になった?」
「亡者が……苦しんでいる……」
“渦”の中から影法師がぞろぞろと這い出てくる。
“渦”の奥には────道祖神の欠片と“後ろ神”が残っていた。
道祖神と重なった“後ろ神”は、神々しい雰囲気をまとっていた。
「まさか、“後ろ神”の臆病風に吹かれて怖くなって“渦”から逃げ出してるの?」
「わからんが……この影法師は、人の魂に近い。これならば……浄化出来るかもしれん」八咫烏の外套の中から────白い……三本目の腕が出てくる。
「うわお! 隠し腕!」
白い腕は光を放ち、影法師を霧状に霧散させた。

*


「全てが終わった後……穴の中には、道祖神以外はもう何もなかったわ」
「あの“渦”は……消滅したのか?」
「影法師は人の魂に姿が変わったそうよ。八咫烏が彼岸へと連れて行ったわ」
「でも、八咫烏が協力するなんて……」
にわかに信じられなかった。
「うーん、あいつは案外……嬉しかったんじゃないか、と思うけどね」
「嬉しい?」
「悔しそうな顔をしているかと思ったら────とても安堵するような……穏やかな顔をしていたからね」
「……穏やか?」
「八咫烏は人の死を監察するだけで……直接干渉できないのよ。きっと今までも数多くの理不尽な死を見てきたと思うわ。死の運命を覆される事は、本心では願っていたかもしれない」
「…………」
「まるで憑き物が落ちたような顔だったわ」
「憑き物……か」


自分の身体も、まるで憑き物が落ちたかのように軽かった。
「そうだ……妖のみんなは? 紅葉は?」
「え?」
俺の発言に楓姉は驚き、目を丸くした。
「修一郎…………見えないの? みんな……いるわよ? 紅葉も……ここに」
「────え?」
だが、いくら眼を凝らしても、その姿は見えなかった。


「もしかすると……浄化の際に、“眼”の力も奪われたかもしれないわね」
箒神はただの箒になり、傘化けもただの傘になった。
「そ……そんな!」
阿狛も、おおかむろも、小人も、紅葉も……全ての妖が稲生家から消えていた。
「そっかあ……。でも、これで良かったんじゃないかしら? 妖を寄せ憑けやすそうな雰囲気も消えてるわ」
楓姉は少し寂しそうな顔をしていた。
「でも、これじゃ楓姉一人だけ……」
「……バカねえ、あんたに心配されるほど落ちちゃいないわよ。むしろ心配事が減ったと思うわ」
そう言って、楓姉は俺の頭を撫でた。
「ようやくあんたは────普通の人間になれたのよ」


「……おいらを忘れてもらっちゃ困るニャ」
ふすまが開き、又三郎が入って来る。
「うわあ……あんた、空気読みなさいよ」
「ムムム……猫語だけ話せば良かったのかニャ? でもおいらは元々こういう存在だニャ」
相変わらずの又三郎だった。
「いや、安心したよ。皆は見えないけど……ちゃんといるんだよな」
「そうよ。紅葉も心配してたんだから。……ん? 何?」
楓姉は、紅葉に何か耳打ちされていた。
「あはは、修一郎。あんたと美生ちゃんの縁の糸────色が変わったってさ。
その色は……空の色だって」
「空の……?」
「あっはっは、そうと決まりゃ連絡してあげなきゃね」
そう言って────楓姉は電話をかける。


電話の相手は八橋だった。
楓姉から、八橋の元まで見舞いに行くように命令される。
だが、八橋は既に元気を取り戻して外出しているらしい。
待ち合わせ場所は────神社だった。


神社に辿り着く。
ここに来るまでに、妖に遭遇する事はなかった。
身体にも異常はなく、不自然に身体が重くなる事もなかった。
もう────妖は見えないのだと実感する。

神社の正門を抜けて、裏門に辿り着く。
石段の下では、八橋が待っていた。
「修ちゃん!」
八橋が石段を駆け上がってくる。
思った以上に元気そうだ。
「何だってまたこの『魔の丁字路』なんだよ……懲りてないのか?」
「違うよ! もう大丈夫になったんだから!」
八橋は、“渦”の中の事は覚えてはいなかった。
そう言って、八橋は事故現場まで案内する。
防空壕ほどにぽっかり空いた穴は綺麗に掃除されていた。
中央には、ツギハギの道祖神が納まっていた。
「えへへ、お姉さんと一緒に修復したんだよ」


「八橋……なんであの日はこの場所に来たんだ?」
ふとした疑問を投げかける。
「怪談が流行る前から……ここが危険な場所だってわかってたんだろう?」
「うん。ずっと……怖かったよ。でも、ここは修ちゃんと出会う……きっかけになった場所だから。あたしにとっては、どんなに怖くても大切な場所なんだよ」
「現場に花を添えてたのは……悪い噂を払拭させる為か?」
「花が置いてあったら、ひと目につくでしょ? 事故も起こりにくいかなー……って思ったんだよね」
そう言って八橋は、持参していた花を────道祖神の前に供える。
道祖神からは────“後ろ神”と同じ気配を感じた。
「八橋……まだ、首筋に違和感はあるか?」
「え? うん、もう……感じなくなったかな? この場所は、もう怖くないよ」
……もしかすると“後ろ神”は、ここで事故にあった魂が妖化したものかもしれない。
「もしかして……ここにもう事故が起こらないように、あたしを導いてたのかな」
石段を登りながら、八橋はそう呟いた。
「……オバケの存在は否定したんじゃなかったのか?」
「うん。でも……修ちゃん言ってたよね? オバケは訳のわからない不安に形をつけて安心させる為の方便だって」
頂上の鳥居まで登り切る。
俺は黙ってうなずいた。
八橋は更に続ける。
「でも、今のあたしはやっぱり……オバケは存在するんだって思うな。居てくれた方が……安心する時ってあるよね」
八橋は振り返り、身を乗り出すように────道祖神を見つめていた。
もう二度と事故が繰り返さないように、神様に祈っているのだ。


「あ……っと、わあッ!?」
その時、前に乗り出した八橋がバランスを崩し、石段を踏み外した。
「八橋!?」
手を伸ばすが────寸でのところで間に合わない。
八橋はそのまま、石段の下に転落しそうになった。
だが────ふわりと、八橋の身体はこちらに引き戻される。
まるで見えない力に引っ張られるように、八橋の身体は飛び込んできた。
「うわッ!」
「きゃんッ!」
二人はもつれ合うように、鳥居の下に倒れた。
「しゅ、修ちゃん……ご、ごめんね。……ありがとう」
真っ赤な顔で、八橋は謝った。
だが、どうして助かったのか、理解できないでいた。
「…………?」
その時、傍らで……犬の気配を感じた。
────吽狛だ。
吽狛は今も……八橋を守っていた。
「八橋、さっきの話だけど……俺も同じことを考えるよ。オバケは見えないけど……存在するよな」
「……うん!」
八橋は屈託のない笑顔を見せる。
ふと振り返った町並は、美しく茜色に染まっていた。
眼の力は失ったが……その景色は、ひと際美しく感じた。
「空の色……か。八橋、立てるか?」
立ち上がり、紅葉の言葉を思い出しながら、八橋を見る。
八橋はそっと、俺の方に手を差し伸ばした。
────もう妖は見えない。
だが、見えなくなった今だからこそ、妖の存在を受け入れた。
そして眼の前の、確かな存在に────手を差し伸べた。



【おしまい】
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