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2章 動き出す歯車

4、窮地

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もちろん侍さんの姿は男たちには見えていない。彼らは、奇妙な目でぼくを見つめていた。

「さっきから、何を一人でブツクサ言ってんだよ」

後ろから大きな手のひらが、ぐわっとぼくの口を塞いできた。
こうなると、声を出すこともできないどころか、顔も動かすことができない。

物凄い握力の大きな手のひらに覆われ、顔がズキズキと痛み、手足をばたつかせても、逃げることができない。

「こいつ、どうする?」

「暴れられたら厄介だ。とりあえず一発入れておけ。周りのやつらにバレないように、手加減してな。」

「おうよ」

口を覆っていた手のひらが離れたと思うと、即座に胸倉を掴まれた。
そして、目にもとまらぬ速さで、地鳴りのようなアッパーを鳩尾に打ち込まれる。

ドゴッ、という鈍い音が骨の髄まで染み渡り、その場に倒れ込んだ。

この光景は、昨日と全く同じではないか。
昨晩は、侍さんのおかげで窮地を脱したが、もうそれも期待できない。

自業自得じゃないか。
侍さんの忠告に耳を貸さずに、自らの力を過信して、このざまだ。

距離感なんだよね、人生。
そう言っていた自分が、一番距離感を掴めていなかった。

不敵な笑いを浮かべた男は、倒れた勇を見下ろしながらこうつぶやいた。
「昨日は始末し損ねたからな。今日はトドメを刺してやる。」

耳の奥では聞こえてくる恐ろしい声。

今度こそダメかもしれない、と、歯を食いしばった。


十六夜の月夜、ためらいがちな月とは対照的に、男たちは急いでトドメを刺そうとしていた。


八、イカロスの翼と身分差

4人の男たちに囲まれた絶体絶命の状況の中、遠くから誰かの声が聞こえた。
 
「おい!お前ら何してんだ」

その声を聞いた4人の男たちは、少し気を緩めてその男に話しかけた。

「あ」
「お頭じゃねえっすか。」
「お頭はゆっくり休んでいてくださいって言ったのに。」
「そうっすよ。」

この場に歩み寄ってきたお頭と呼ばれるその男は、怒気をはらんだ声を出す。

「バカ。てめえらの帰りが遅いから心配したんだろうが。 
昨日もヘマしやがるし…お前らは風貌に似合わずおっちょこちょいだからな。」

「へい。ありがとうございます!」

「褒めてねえよ...本当はお前らだけで…」
男は呆れたように吐き捨てたが、その声はどこか聞き覚えがあるものだった。

ここで、ぼくを囲んでいた男の一人がお頭に訴えた。
 
「ところでお頭。こいつをみてください。昨日、俺たちの邪魔をしてきた小僧が今日も邪魔をしてきているんですよ。」
 
「小僧だと?」

そう言って、お頭と呼ばれるその男は、ゆっくりとしゃがみこんでぼくの顔を確認した。

男はサングラスと黒いマスクで顔を包んでいたので、表情を読み取ることができなかった。

男はごくりとツバを飲んだ。
その瞬間、ほんの少しだけ男の雰囲気が変わったような気がした。
黒のスーツに身を纏った鋭利な輪郭が少し丸みを帯びたかのようだった。

「とどめは刺すな。こいつは見逃してやれ。」

お頭の発言に対して、子分と思われる男たちは驚きを隠せない。

「え?」
 
「けど、昨日も邪魔をされていますし、昨晩の目的を果たせなかったのもこのガキのせいで…」

「てめえら。俺の言うことが聞けねえのか?」
 
「…はい」
部下たちは俯いて黙るしかなかった。
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