虹のした君と手をつないで

megi

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第1章 虹を持つ女性

1 初療室

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「血圧は?」
「70/45 脈は45です」
「大丈夫ですか? 病院ですよ! わかりますか?」
「意識はないの?」
「はい、呼びかけに反応しません」

 初療室の扉が開く。医師と看護師の声が、部屋中に飛び交う。慌ただしくも無駄のない動き。

 彼らは、救命のプロである。

 この場所には、物欲も嫉妬も妬みも存在しない。

 無影灯の下、同僚の大貫医師が、搬送されてきた患者の処置に、当たっている。

「大貫先生、どうしました?」
「悪いな、藍場! お前の意見が、聞きたくてなぁ」

 藍場は、処置台の横に立つと患者の状況確認をする。
 年齢は、おそらく60代から70代の女性。白髪の髪に頬はこけ、ピンクのシャツにカーキ色のスカート。

「路上に、倒れてたそうです」
「そうですか……外傷は?」
「ありません。着ている物も綺麗です」

 確かに、目立った傷も打撲痕も見当たらない。(外傷がなくて、衣服も綺麗か……交通事故ではないなぁ……)

「呼吸は?」
「安定しています」
「何だと、思う?」
「う……ん」

 藍場は、静かに眼鏡を外すと、胸ポケットに差し入れる。

 胸の前で腕を組むと、静かに右の腕を90度に起こし、右の人差しを立てると、静かに指先を眉間にあてると患者をじっと見る。

 藍場が行う儀式のような仕草。

 慌ただしかった初療室が、静かになる。固く重たい空間。その場の誰もが、息を飲む。
 生体モニターが発する遅い鼓動の信号音だけが、静かに響く。

 初めて、この様子を見た誰もが、「何、格好をつけてるんだ」と批判的だった。

 ところが、難しい診断を的確に行う事。何よりもベテラン医師が、見逃した病変を見つけた事。周囲は、藍場が診断前に行う『神聖な儀式』と認識する。

「CTを撮ろうか」
「はい、手配済みです」
「じゃ、お願いします」
「どうした藍場!? そんな難しい顔をして、何か気になるのか?」
「そうですね……この女性……歩いてたんですか?」
「看護師!藍場先生に、説明してくれ」
「通行人が、路上で倒れている女性を発見して、声をかけても返事がなかったから、救急車を呼んだそうです」
「……」

 治療へのアプローチとして患者のCTを撮る事は、特別なことでない。

 ドーナツ状の装置を通る女性患者の様子を窓ガラス越しに、見守る藍場達、治療スタッフ。
 窓ガラスに映る不安げな表情をする自分に、驚きを隠せない(まさか……?)。
 パソコンの画面に、CT画像が送られてくる。その場にいた全員が、言葉を失う。

「……こんな事が、あるのか?」
「そうですね……不思議です……彼女……今日、死んでもおかしくない……それが、歩いていたなんて……」
「……!?」

 CT画像を見る藍場の頬に、冷たい汗が流れる。事故で身体の一部を損傷する患者、既に、命を終えた患者。色々なケースの患者を診てきた。それでも、藍場は表情1つ変えなかった。

 彼女の身体に広がる影……

 大腸に肺、脳と全身に広がる病変。それは、彼女の時間が、残り少ない事を意味する(やはり、見えていたことは正しかった……)。

「看護師、身元は、わかってるのか?」
「それが、身元が、わかる物は何も身に着けてなかったと、救急隊が……」
「どこかの、施設から抜け出したのかも……何だよ、藍場? 浮かない顔して……」
「最近、治療をしている形跡がない……子宮は、失っているみたいだけど、ここ最近ではない……」
「だけど、昨日の今日で、ここまでは転移はしないぞ!」
「そっ、そうなんですよねぇ……」

 彼女の病状は、最悪だった。本来なら、どこかの医療施設のベッドの上で、訪れる死を待っていても、おかしくない状態。

 なのに、路上で倒れていたなんて考えられない。

「大貫先生どうしますか?」
「取りあえず、ICUで点滴を入れて様子を観よう……いいよね、藍場先生」
「そっ、そうですね……」
 CT室から出た彼女は、ICUへと運ばれていく。
「しょう……藍場先生どうしたの? 同行するなんて珍しいじゃない……顔色悪いわよ……」

 彼女に同行してきた藍場に、休憩を終えた美桜が、駆け寄る。

「う……ん、ねぇ……美桜、見えたんだよ」
「いつものあれでしょ? 人の放つ色が見える……でしょ!」
「そうなんだ。その人の感情が、色が見えるんだ!」
「知ってるよ! 患ってる所も見えるのよね!」
「あの女性、七色の球体に包まれているんだ!」
「どういう事?」 

 藍場は、人の容姿、性格、感情、身体の状態が色で見える。
 色は様々な形を形成する。

 気分が高揚したり、健康であれば全ての色は輝きを放ち、気分が落ち込んでいるとき、
 病変は、くすんだ色に見える。

 この事は、幼馴染みの美桜だけが、知っている。

 いつ頃、何が原因で見え始めたかは、憶えていない。
 ただ、この力に苦しめられた事は、憶えている。

 人の感情や状態が見えてしまう。自分に向けられる感情、他人に抱く感情。全ての感情が見えてしまう。

 鮮やかな色に、勇気を貰う事もある。表情と違う感情の色に、人の裏側を知る事もある。
 時には、その感情が、どす黒い色を伴い、形を歪に変え、自分に襲いかかる。
 それは、藍場の体力を奪い、心を傷着ける。
 ところが、眼鏡を掛けると、その力は、封じられる。何時、この事に気付いたのかは憶えてないが、普通に生活が送れる事に、安堵する。

 藍場は自分の感情を見る事はできない。見えない感情で、他人を知らず知らずに傷着けているのではないかと思う恐怖。

 藍場は、自ら感情を封じ込めた……

 しかし、難しい診断を下す時、藍場は眼鏡を外す。右の人差し指を眉間の前に立てるのは、そのスイッチだ。


「彼女! 全身至る所に、癌が転移してるんだよ! 骨、肺と脳にも転移してるんだ!」
「じゃ……?」
「そっ、そうなんだ! ちょっと、身体を動かしても全身が激痛に襲われるんだ! 歩いていたなんてありえない!」

 藍場には、彼女が虹色に輝くシャボン玉の中で、眠っているように見えた。
 彼女自身、色彩豊かな色を放っているが、所々が、ボヤッとくすんでいる。
 それは、CT画像の病変の場所と一致する。

『患者の色が見える……』

 医師が、患者が持つ色で診断するなんて、周囲に言った所で、誰も信じてくれるはずもない。変わり者だと思われるだろう。

「間違いだってあるよ……」
「それは、ないよ! 美桜もよく知ってるだろ!」
「そうだけど……」

 藍場は、理解ができなかった。

 女性の時間は残り少ない……

 なのに、彼女が放つ色は、色彩豊かで力強く輝く。

 例えるなら、雨上がりの空にかかる虹のよう。何故、女性が歩けて、何の為に何処に向かっていたのか? 理解ができない。

 呼吸は早くなり、心臓の鼓動が胸を打つ。その場に、膝をつき頭を抱えてしまう。

「大丈夫! 省吾、大丈夫だよ…… 後は、大貫先生達にお願いして少し、休んだら……」
「……うん」

 美桜は、狼狽える藍場を、優しく頭の上に手を乗せ、何回も撫でる。

 昔からそうだった……

 藍場が、何か困ると頭の上に手を乗せ撫でる。不思議と落ち着く。

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