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プロローグ
しおりを挟む僕を見る、皆の視線が冷たい事は知っている……
「今の人で最後ですか?」
「はい」
「お疲れ様……」
「お疲れ様です。今日も多かったですね……」
「……」
午前の診察を終えた藍場は、電子カルテを閉じると立ち上がる。
看護師に、軽く頭を下げると、診察室から出て行く。
「相変わらず、愛想ないよね……」
「藍場先生のおつきは、疲れるわ……話しかけても無反応だし、笑ったところなんて、見たことがないわ」
「この前なんて、泣き崩れる遺族に、淡々と原因を説明してたって話しよ」
扉を閉めると、堰を切ったように話し始める看護師達。
藍場の素っ気ない態度が、気にくわないらしいが、いつもの事だと気にはしない。
(昨日も、心停止で運ばれてきた50代の男性を、助けた。
人を助けることに、感情がいるのだろうか? 的確に判断し治療する。
最善を尽くして助けられない時、その人の人生を、知らない僕も、
惜しい人を亡くしたと、涙を流さなければ、いけないのか?
一緒に涙を流した方が、残された人間の心を救えるのか?)
藍場は、命に関わる重篤な患者を24時間体勢で当たる三次救急医療機関。
『西野総合病院・救命センター』の医師だ。
医大にストレートで、合格。留年することなく卒業。
卒業後は、研修医を経て、晴れて救命センターの医師となる。
高学歴に高身長、モデルの様な体型。斜めに流した前髪が印象的な、七三のショートヘア。
銀縁の丸い眼鏡に切れ長の目。的確な診断と判断力と手術の腕もセンター内でもトップクラス。
何事にも、動じない精神力と涼しげな顔。颯爽と現れた若手エリート医師に、周囲も羨む程だった。
上下黒色のスクラブに身を包む藍場の姿は、さながら『命の最前線に立つ漆黒の騎士』と言う感じだ。
救命医になって、4年。忙しい日々は、藍場を変えていた。
髪はボサボサ、前髪は瞳を隠す程伸び、黒縁の丸い眼鏡。上下黒色のスクラブに身を包む藍場の姿は、『魂のない人形』のよう。
救える命と救えない命の狭間……
藍場から、医師を志した動機を忘れさせ……
藍場から、感情を奪った……
いつしか、表情1つ変えないで、機械的に治療する。彼の事を周囲は、
『無情Dr(heartolessDr)』と呼ぶようになった。
「藍場先生! この前は、お世話になりました。すっ……かり……よ」
「そうですか……」
廊下を歩いていると、70代位の女性が、声を掛けてきた。以前、藍場が担当した患者。
深々と頭を下げ、健康を取り戻し事に感謝する女性に、微笑むことなく淡々と返事する。
「痛っ!?」
振り返ると、桜色のスクラブに白いパンツ姿の女性が立っている。
肩まである髪を後ろで結い、いつもはドングリの様な丸い目を細め、藍場を睨んでいる。
右の人差し指を胸の前で立てると、左右に振りながら、声には出さずに
「違うんだなぁ……」と口を動かす。
彼女の名前は赤名美桜。彼女が、藍場の脇腹をつついた張本人である。
「フゥ……」
美桜は、大きな溜息をつくと呆れた顔で、藍場の顔を見上げる。
「ねぇ、省吾。笑顔で、『良かったですね』の一言ぐらい言えないの?」
「美桜か……ここでは、名字で頼むよ……」
「はいはい、そうですかぁ……冷たい、藍場先生!」
「……」
藍場と美桜は幼馴染み。彼女は、つい『省吾』と下の名前で、呼び捨てにしてしまう。
藍場は、職場で『省吾』と呼ばれることに抵抗がある。それが、幼馴染みの美桜であっても変わりはない。
「今日は、外来だったの? 診察終わった?」
「うん……美桜は、ICUの勤務だったの?」
「そうよ! 私も、休憩時間なの、お昼を一緒にどう?」
「いいけど……」
「もう……女性が、誘ってるのよ! 素直に、喜びなさいよ! 昔から、そうなんだから……」
「う……ん」
「どうしたの?」
「当たり前の事をして、感謝される……よく、わからない」
「微笑むだけで、いいのよ!」
「俺は、別に……」
人づきあいが苦手な藍場は、美桜の、お節介で強引さに、いつも押されてしまう
母親に叱れて、言い訳を探す子供の様になる。
2人は並んで長い廊下を、職員食堂へと歩いて行く。
すれ違う看護師達が、こちらをチラチラと見る。
感情を表に出さない藍場と明るく聡明な美桜。
2人の関係を『不釣り合い』と揶揄する。
気がつけば隣に、いつも美桜がいる。自然な事であった。
藍場のPHSが鳴る。(初療室からだ……)
「はい藍場です。はい、わかりました」
「藍場先生、急患?」
「アァ……大貫先生からだった」
藍場は、そう言い残すと、美桜を置いて走り出した。
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