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11話

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イグニアの前でマリアが崩れ落ちた。
 慌ててマリアを受け止めたイグニアはすぐに御者と二人でマリアを馬車の中へ運び込んだ。
「出せっ!」
 イグニアは御者へ一声掛けるとその場から逃げるように自分の屋敷へと向かった。

 マリアがいる屋敷、カルグア家のそれより一回りは小さい屋敷へとたどり着く。
 主人の帰宅を出迎えるため出てきた家令やメイドにマリアを運ばせるよう指示をする。

 それから数十分後にマリアは意識を取り戻した。
 目を覚ましたマリアはどこにも汚れはないというのに湯浴みをイグニアへと懇願した。

 イグニアの屋敷内でメイド達を伴いマリアは湯浴みを始めた。
 別の部屋で彼女らを見送ったイグニアが座っているとメイドの一人が戻ってくる。

 一礼しながらイグニアへと言いづらそうに眉をひそめながら報告する。

 がんっ!!!
 報告を全て聴き終える前に内容を理解したイグニアは怒りの余り、手を握りしめてテーブルの上へと振るった。
 聖炎とまで唄われたイグニアの手から発せられた炎がティーカップを蝋細工のように溶かした。
「あの男……そこまで腐っていたか!!」
 そのまま深い溜息をつくとイグニアは思索にふけった。
(ルンフェイも恐らくは……奴の手中に……次は私もか……?)

 イグニアは側に控えていた初老の家令に目をやる。
 主の意を酌もうと家令はイグニアの前で姿勢を正す。
「大至急、警固の手配だ!! 金に糸目をつけるな、この王都における最大の戦力を手配せよ!」

 鋭く吐き捨てるような指示に家令は黙って頭を下げ、一言伺いを立てる。
「イグニア様……それは何人に対しての備えでありましょうや?」

「我々の敵は勇者だ」

 主の言葉に家令の表情はわずかに動きを見せるとそのまま深々と頭を下げて家令は退出していく。
 その姿を見届けながらイグニアはひとりごちる。
「やれやれ、ジーク君が生きていたらこんな大変な苦労はしなかっただろうに」
 イグニアが椅子の背もたれへ寄り掛かると同時に浴室がある方の扉が開いた。

「イグニア……」

「マリア……」

 お互い、それ以上の言葉は語らない、お互いこういう状況で真に適切な言葉を知らないからだ。
 ややあって、マリアが口を開いた。
「これはねジークを守りきれなかった罰なの」

「マリア……」

「だから仕方ないの」

「マリア……」
 そのまま腕をさするようにしているマリアにイグニアはこれ以上の言葉を掛けることが出来なかった。
 ただひたすら沈鬱な表情のマリアがぼやける視界の中で映し出されていた、瞳を閉じてイグニアが覆うように柔らかに抱いた。
「君はずっとここにいるといい、私が君を守ってみせるから」

「……」
 されるがままのマリアはただ無言で頷く。

 イグニアの尽力でマリアは久方振りの平穏な日々を過ごした。
 癒えることのない傷であったが穏やかな日々は徐々にマリアの心を安んじていっている。
 
 けれど、今のマリアには一時の安らぎに身を浸すことすら許されなかった。
 両親であるカルグア家によりマリアの平穏な日々は再び破られることになる。

 カルグア家から一通の手紙が届けられ蝋に公爵家の家紋が押されたそれをイグニアは専用の小刀で開封する。
 中身を軽く見たイグニアはすぐさま手紙を燃え散らした。
「ふざけた連中だ……マリアを返せとはね……」

 文面は以下のように記されていたのだ。
「貴家に預けし当家の者を早々にお返しいただきたく候う」

 その後も無視を続けるイグニアに対してカルグア家は何度も何度も手紙を出してマリアを返すように認めて来ていた。
 そのことごとくがイグニアの手で炭化していく。

 次の動きがあったのは既に炭化した手紙が7枚目にのぼろうかという時である。
 業を煮やしたカルグア家は次の一手として王都にいる司法官を引き連れて屋敷を訪れた。

 実はこの一手、婚約者が居ないことに腹を立てたキサラギが公爵夫妻へ無理に迫ったものである。
 彼はこれでマリアが戻らねば実力行使も辞さない考えであった。

 イグニアの屋敷の前で緊迫した空気の中、司法官がお互いの主張を難しい顔をしながら聞いている。
 互いの家の者を引き連れて司法官を挟みイグニアとキサラギ、そして公爵夫妻がにらみ合っている。

「ではどうあっても、当家の娘であるマリアをお返しは頂けないと」

「然り」

「それがそもそもおかしいじゃないか! イグニア! 君に何の権利があってそんなことをするんだ!?」

「友人としの、貴族としての責務を果たすためだよ、キサラギ」

「両名方、お待ちくだされ」
 平行線を辿るお互いの主張に司法官がイグニアの側へ歩み寄る。

「イグニア殿、そなた何故そのように意地を張るのか、マリア殿は公爵家の娘御、親元に返すが筋というものではないのか?」

「それは司法官殿の心得違いというもの、マリア殿は病んでおられます、家に帰さば病が悪化するは必定であります」

「その病とは如何に?」

「詳しくは申せませぬが、帰さば命に関わります、私は王国の誇りある貴族の一員として断固彼らの要求を拒否します」

「ううむ……そこまで言われるか、覚悟あってのことなのか?」

 イグニアはそれ以上言葉を発しなかった、ただ黙って目の前の男に頷いてみせる。

 何度か頷いた後、司法官は公爵夫妻の元へと向かう。
「あの者の決意は堅い、私が何を言っても曲げられぬかと……」

「何とかならぬのか!? ここが火の海になるやもしれんのだぞ!!」

 肩を掴まれている司法官は黙って首を振る。

 そんな光景を見てとうとう我慢ができなくなったキサラギが叫んだ。
「もういい! こうなったらマリア自身に選ばせるべきじゃないか?」
 じれきったキサラギはイグニアへ挑むように問いかける。

「私は実の両親や婚約者を名乗るお前の前にマリアを連れてくるつもりはないよ」

 イグニアの言葉に顔を赤くしたキサラギは腰の剣に手を掛けた。

 対してイグニアも手をかざしそれに呼応するように護衛の者達が殺気立つ。

「待ってください!」

 今まさに開戦の火蓋がきって落とされようとしたときイグニアの屋敷のドアが開け放たれた。
 出てきた女性を見てイグニアとキサラギの二人が声をあげる。

「マリア!!」

「マリア!!」

 一方は祈るような声で、もう一方は威圧するかのような声で。

(なぜ出てきた……マリア……!)
 
 マリアの出現にイグニアは狼狽えキサラギは余裕の笑みを見せる。

(さあ、早く来いマリア! また痛い目にあわされたいのか!?)

 周囲が固唾を呑んで見守る中でマリアは公爵夫妻へと近づいていく。
 公爵がマリアの肩へ手をのばそうと……はたかれた。

「マリアっ!?」

「私は……! もう二度とあの忌まわしい屋敷へは戻りません!! 望まぬ婚約などこの場で破棄させていただきます!」

 マリアの啖呵に内心で喝采したイグニアは危険を感じ取りすぐに彼女を後ろへ連れ戻す。

「マリア……僕の言うことが聞けないのか……?」
 マリアへと届かぬつぶやきを発しながら今度こそキサラギは剣を抜き放ちイグニアがいる方向へ突きつける。

 まさかの蛮行に野次馬らは慌てて距離を取り司法官すら慌てて逃げ出す始末であった。

「ふざけるなーーーー!!」
 怒号を発してキサラギはイグニアの手の者たちへと襲いかかる。
 まさか、勇者がと思うようなものは最早誰もいない。
 周囲の者たちも勇者を迎え撃つべくキサラギを取り囲んだ。

 だがイグニアが手配した腕利きも勇者には敵わない。
 一人切り捨てられ二人切り飛ばされあちこちに残骸が転がった。

「このっ!!」
 イグニアの味方を巻き込まぬよう絶妙なタイミングで放たれた魔法も火傷を負わせ鈍らせる程度である。

「温いんだよおおおおおっ!!」
 
 イグニアが叫びながら突進してきたキサラギの剣先を間一髪でかわす。
「後退しろ! 屋敷へ引くんだ!」

 まだ生き残っている者たちが武器を構えながら後ずさっていく。
 構わずキサラギが再び血をまき散らすと屋敷の中へと入り込んだ。
 
「なっ!?」

 屋敷へ入り込んだキサラギを待ち構えていたイグニアの渾身の魔法が放たれた。
 その周囲への手加減抜きで放たれた炎はキサラギへと直撃する。

「…………!!!!」
 声にならない苦悶の声がキサラギから発せられる。
 皮膚はおろか肺すら冒す炎によりキサラギが前にも後ろにも進むことができずたたらを踏み膝を付く。
 
「やったか!?」
 イグニアの護衛の者たちが目の前の光景に喜びかけるがそれもわずかなことであった。
 
 炎が消え重症を負ったキサラギが立ち上がりなおも戦闘を続行したためだ。
 負けぬからこそ勇者なのか、戦い続けられるからこそ勇者なのかとキサラギの姿が周囲に恐れとともに伝播させる。

 そして、戦線が乱れに乱れていく。
 もはやキサラギの姿を見て戦い続けようとするものはいない。

 マリアとイグニアが屋敷の奥へと追い詰められていく。
 イグニアはキサラギの手にかかるよりは自決することも考え始めていた。
 身を隠す場所もない部屋の隅で二人は覚悟を決め始める。

 だが、覚悟が決まる前に轟音と共に壁が破られた。
「ごおおお~んなところにいだのがい~?」
 声が豹変し以前の甘いマスクはとうに消え失せおぞましい目が二人を捉えた。

「ふだりにば~だっぷりとだのぢい~ぼもいをざせてあべるがらね~」
 焼け焦げた手が二人を手篭めにするべく伸ばされた。

「そんな事俺がさせると思っているのか、キサラギ!」
 ジークのよく通る声とともに降りおろされた剣が我欲を満たさんとしたキサラギの腕を両断した。
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