32 / 52
第六章「暴力と快楽と信仰。」
00
しおりを挟む城から出て、街を歩く。
人間がいない街を目にするのは初めてだが、これはこれで悪くない。
もちろん同族というには年数が浅い若造ばかりに見えるが、それもそれで新鮮だ。
彼と違って、この住民たちは『彼ら』を真似て作られたのだという。よくできているものだ。
目の前の欲望に忠実で、快楽にあらがえず、どこまでも堕落の道を転げ落ちる。
声を大にして『天から堕ちた』などと宣うものは、どこを見てもない。
──気分がいい。
ここでは彼を叱るものはおらず、ここでは彼を縛るものはないのだ。
しいて言えば、まあ、アルマロスという堕天使は制約をつけてくるが。
(ま、部下がいないってのも新鮮だし)
彼への信仰はとうに失われた。
眷属はもはやなく、彼にあるのは捧げられてきた生贄の甘美さだけだ。
もはやすっかり趣味となってしまった加虐趣味も、ここでは尊ぶべき悪とされる。
「おにーさーん、遊んでいかなーい?」
「パス。俺あんたみたいのに興味ない」
豊満な肉体の女悪魔を手で払いのけて、地下街へと続く階段を下りる。
がやがやと品のない笑い声と会話の渦を無言で通り抜けると、劇場のような幕が下がるその入り口へとたどりつく。
入り口の前に立っていた男は、彼を見つけると綺麗に会釈して歓迎した。
「ようこそ、贄の館へ」
男の目元はベネチアンマスクでよく見えない。
口元はにんまりと怪しく弧を描き、その手は幕の奥へと彼を誘った。
「グラフィンは? 竜人種のガキ、新しいの仕入れてくれるって約束だったんだが」
「生憎ですが、オーナーとは連絡がとれませんで。先日よりラインナップは増えているかと思いますが……」
「それ、調教済みってことだろ? 誰かの手が加わってるのが欲しいわけじゃねえしなあ」
うーんと唸りながら、彼は幕の奥へと足を進めた。
見えてきたのは、無数の檻だ。
サーカスを思わせる広い空間に、檻が三段ほど重ねられて飾られている。
中に入っているのは種族の様々な子供だ。
人間から、竜人種、悪魔、妖精、女神──果ては妖怪や、改造されたような化け物まで。
(生体実験が好きなやつがいるんだっけ)
前にグラフィンが生き生きしながら語ったことを思い出した。
たくさんの子供を掛け合わせて『作品』を作る悪魔が、ここにはいるらしい。
(倫理観のかけらもなくて最高だ)
とはいえ、彼が欲しいのはそのようなものではない。
子供らしく、鳴き声をあげ。
子供らしく、まだ助かると抗い。
子供らしく、絶望に染まりづらい。
そんな子が、彼に手向けられる生贄としては──相応しい。
「お」
ふと、檻の中で蹲る少女を見つけた。
体躯は小さく、頭からは二本、角が生えている。
けれど片方の角は無残に半分ほど折れていた。
「ああ、その子ですか」
男は近づいて、檻に手をかけた。
がしゃんと鳴った音に、少女はびくりと震えて反応した。
「本当は立派な角を持った兄がおりましたので、角をとったあとは内臓をバラして売るつもりだったのです。けれど、ええ、不幸な事故で角が折れてしまいまして。こうして身売りに方向を変えました」
「へえ。その兄貴はどうしてんだ?」
「さあ? 今頃はちょうど角の収穫時期でございますから、おそらくは何処かへ切り売りされたことでしょう」
その時だった。
蹲っていた少女が、勢いよく立ち上がってこちらを睨みつけたのだ。
「あには、しなない!」
彼は目を見開いた。
震えていた少女とは思えないほど、その目にはまだ強い意志が残っている。
(これは、なかなか)
捨てきれていないのだろう。希望というものを。
兄が生きているという可能性にすがって、彼女は生きながらえているようなものだ。
「……じゃあ、俺がお前を買ってやろうか」
「!」
「正気ですか? 肉付きもよくありませんし、角も傷物ですよ」
彼は檻へ顔を近づけると、その真っ赤な瞳で、少女を睨みつけた。
「俺の与える試練にもしお前が打ち勝ったら、その兄貴ってのも見つけて俺が買ってやる」
「だ、旦那様!?」
「別にいーだろ。金は払うぞ。ええと、ああ、ほら。これで」
ポケットから、男へアルマロスから預かったカードを差し出す。
受け取った男は、少し不満げに「かしこまりました」と頷いた。
少女は、少し呆けたような顔で、彼を見た。
かすかに目の前にちらつく希望に、目が輝いたのを彼は見逃さなかった。
「ただし、途中で死んだらこの話はナシだ。……耐えられるか? お前に」
くつくつと笑う彼に、少女は、こくり、と頷いた。
ほどなくして彼女を閉じ込めていた檻はぎい、と唸るような音を立てて開いた。
とぼとぼと、地面を疑うように歩いてきた少女の身体を、彼は無理矢理担ぎ上げた。
「お望みであれば梱包いたしますのに」
男は苦笑すると、預かったカードを彼に戻した。
「いらねえよ。人間じゃあるまいし」
彼はひらひらと手を振って、贄の館を後にした。
揺れる彼の身体の上で、少女は驚くほどおとなしく、従順だった。
***
ゴルトは執務室で、その光を見た。
砂漠の方から上がった、赤い光。マグマとおぼしき柱は、天を貫いて、そのあと、何処へ溢れることもなく戻っていった。
(あれは)
確か砂漠の地下には、人知れず町があるという。
小さな町だ。宝石類や鉱物がたくさんとれるだけの町。
愚かな蛇が、王者を気取り、竜人種という珍しい種族を囲う町。
王の名前すらもう忘れてしまったが、おそらくは何かが起きたのだろう。
「よそ見されては困りますなあ、ゴルト宰相」
とんとん、と机を叩く音へ視線を向ける。
応接ソファの上には、片腕を失ったドクトールと、その声の主が座っていた。
「片腕でも頑張って成果をあげたドクトール博士に失礼ですぞ」
「……グリード」
青紫の髪を撫でつけながら、彼は「ふふ」と笑みをこぼした。
もっとも、その顔が本当に笑っているのかは定かではない。
その顔には真っ白な仮面がつけられていて、表情はおろか口元さえ見えなかった。
「帝王に逃げられ、計画は頓挫寸前。そんな貴方を助けるため、僕が手を貸しているんですよ」
「どうだかな。体よくお前の実験に付き合わされているだけの気もするが」
「その結果お前が望むものを得られるのだとすれば、それでもよいでしょうに」
ゴルトは、はあ、とため息をついた。
この態度は昔から変わらないものだ。注意したところで無駄なことは理解している。
「それで、アレはどうだ? 目が覚めそうか?」
ゴルトがそう尋ねると、ドクトールは目をらんらんと輝かせた。
「ええ、ええ! おそらく一週間以内には目覚めるでしょう。電流に肉体が反応を示しております」
彼はそういうと、いくつかの書類を指さした。
そこにはバイタルが記されており、彼女がいまだ生きていることが示されていた。
「氷漬けにされた『始まり』を見つけるなんて、宰相も悪運の強い方です」
「他人行儀はよせ、グリード。お前にそう呼ばれるたびに虫唾が走る」
「おや。礼儀を大切にしたまでなのですが」
ゴルトは書類に視線を落とした。
そこには確かに、氷から解放され、生身となった『始まり』がある。
意識こそないものの、彼女は今や彼の手中にあった。
「彼女さえ目覚めさせれば、ここは更地に。あとは我らが望むままに、世界を書き換える」
ふふ、とグリードはとても楽しそうに笑う。
「いいですねえ、貴方との遊びは本当に、いつだって刺激的で僕の実験がはかどります」
「それは結構。私は別に、目的さえ果たせればもはや、何でもいい」
現在、帝王を追う手は止まっている。
東魔界で夜叉を暴走させ、もろとも始末する手段は失敗におわり、手駒すら奪われた。
減った手駒は直前に増えた手駒で何とか補充ができたが、もはやむやみやたらに手駒を減らすことは許されない。
「彼女を制御する装置の方はどうなっている?」
「そちらは多少難航しております。せめて終焉のデータがあれば、参考になるのですが」
「ふむ……」
確かに彼にとっても、終焉は鍵だ。
もはや帝王などなくても構わないが、やはり終焉は手に収めておいて損はない。
「アレックスの者を差し向けましょうか? 誘拐ならお手のものですよ」
「いや」
グリードの提案に、ゴルトは首を横に振った。
「帝王と死神、この二つがある以上、どんなものを送っても損失につながる」
「ずいぶんと過大評価してるのですね」
「お前こそ珍しく過小評価ではないか」
じ、とゴルトがグリードを睨みつけると、グリードも仮面の下で押し黙った。
沈黙を破ったのは、ドクトールだった。
「へ、兵が噂してましたが、帝王たちは、各地の魔王を味方につけて歩いているとか」
「各地の魔王を? また面倒なことを」
グリードは呆れたような声を出した。
真っすぐここまで乗り込んできて、ゴルトを倒し、『帝王だ』と宣言して玉座に座る。
彼がなすべきことはそれだけだ。
たったそれだけで、とくに説得などしなくても魔王たちはそれに応じるだろう。
だというのに、わざわざ歩き回るとは。
「ええ。それで、今は『北』に向かっている、と噂が」
「北」
にんまりと、ゴルトが笑った。
「それは無謀だ。北は、あの堕天使が魔王になった」
「おや。前任者はクビですか」
「快楽に呆けるクズだったからな。もとより使い物になっていなかった」
吐き捨てるような物言いに、ドクトールは確かに、と頷いた。
北魔界が無法地帯に近いのも、前任者の功績だ。
彼は魔王を名乗ってはいたが、統治などという行為は一切しなかった。
「では、堕天使に命じて終焉を奪うというのはどうです? 彼なら労せずそうできるでしょう」
「どうかな。あれもあれでまた、戦闘能力という点では低い」
「ですが頭はきれるでしょう。それこそ、我々すらも手駒としている可能性すらあります」
グリードの言葉に、ゴルトは初めて頷いた。
それはその通りだった。
彼は、ゴルトたちとは生きてきた年数が違いすぎた。
この世界ができる遥か前から、彼は悪と善とそれ以外が渦巻く世界を知っている。
何故この魔界に来たのかは聞いたことがないが、その悪知恵はゴルトらをゆうに出し抜くだろう。
「ですから、早いうちに始末を」
グリードは立ち上がると、ゴルトのすぐ目の前まで歩み寄った。
「余所者と遊ぶのもよいですが──、ここは、我々の『もの』でしょう?」
「……嫉妬か?」
「ええ」
くすくすとグリードが笑うと、ゴルトもまた笑った。
それから、「いいだろう」と指を鳴らす。
「私の部下をいくつか持っていけ。あの刀を帝王は防げるようだが、他はそうではない」
「助かります。ではドクトール博士、あれも使ってみましょう」
「! ……はは、いいですねえ。いいデータがとれそうだ」
ドクトールはにんまりと笑うと、なくなった腕の袖をぱたぱたとさせた。
それは彼にとっての自信作だ。
たくさんの奴隷を買い、能力を買い、混ぜ込んで、埋め合わせたキメラ。
グリードとの、共同制作物。
「ではさっそく、準備してまいります!」
飛び上がり、廊下を走っていくドクトールの姿を、グリードは微笑ましそうに笑みをこぼして見送った。
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
婚約者は、今月もお茶会に来ないらしい。
白雪なこ
恋愛
婚約時に両家で決めた、毎月1回の婚約者同士の交流を深める為のお茶会。だけど、私の婚約者は「彼が認めるお茶会日和」にしかやってこない。そして、数ヶ月に一度、参加したかと思えば、無言。短時間で帰り、手紙を置いていく。そんな彼を……許せる?
*6/21続編公開。「幼馴染の王女殿下は私の元婚約者に激おこだったらしい。次期女王を舐めんなよ!ですって。」
*外部サイトにも掲載しています。(1日だけですが総合日間1位)
〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。
藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった……
結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。
ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。
愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。
*設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
*全16話で完結になります。
*番外編、追加しました。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
ああ、もういらないのね
志位斗 茂家波
ファンタジー
……ある国で起きた、婚約破棄。
それは重要性を理解していなかったがゆえに起きた悲劇の始まりでもあった。
だけど、もうその事を理解しても遅い…‥‥
たまにやりたくなる短編。興味があればぜひどうぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる