とあるマカイのよくある話。

黒谷

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第五章「砂の王蛇と悪意の巣窟。」

03

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「なん、てめ、どこから……!」


 壁の瓦礫を手でどかしながら、セルは大きく咳き込んだ。
 目の前の銀髪は、間違いなく地上で見た男だった。
 当然のような顔をして、彼女へ施した装飾類を外している。
 こちらにはまるで見向きもしない。
 脆い硝子細工に触れるように、彼は彼女の赤い髪を空いた。
 たったそれだけのことに、今の今までこわばっていた彼女の体は脱力し、彼に身を委ねるようだった。

(気にくわない、気にくわない、気にくわない!)

 カッと胸が燃えるように熱くなるのを感じた。
 ぐつぐつと、体の中が煮えたぎっているようだ。
 セルはふーっと息を吐いた。
 彼の吐息には、意識さえすれば猛毒が混ざりこむ。
 こんな一室ではそれを吸い込まないという方が無理だろう。

(あいつの目の前で、あの女を、奪ってやる)

 ちろちろと、口の端から舌が漏れる。
 獲物を待つように、じっと、彼の体の自由が利かなくなるのを待つ。
 何、難しい話じゃない。
 地上から逃げて、地下へ街を築き、ひそやかに繁栄してきた。
 今更地上の王を名乗るものが現れようとも、問題なんてあるわけがない。
 長年付き合いのある地上の商人グラフェンも言っていたが、地上はそもそも混乱の最中だという。
 そんな混乱の中にある王など、恐れるに足らない。

(むしろここでこいつを倒し、俺は上へあがる。魔界の全土を、掌握してやる)

 セルの口から吐き出された毒が、部屋の中に充満するのを感じた。
 彼のベッドの上で、銀髪は彼女を抱きかかえながら、立ち上がった。
 それから、くるりとこちらを振り返る。


「お前がここの王を名乗る、セルだね」

「だったらなんだよ? お前も自己紹介してくれるのか?」

「うん。俺はハイゼット。この魔界の──」

「知ってるよ。最初に言ったろ。帝王なんだろ、あんたが」


 さあ、そろそろ痺れてきてもいいはずだ。
 すでに麻痺している彼女には何の変化も感じられないだろうが、この銀髪、帝王だけは別のはず──。


「ファイナルは俺のお嫁さんだから、返してもらうよ」

「子を成してるわけでもないのに旦那気取りか? はは、帝王様は傲慢だな」

「キミだって強欲でしょ。ひとの隣からものを奪うんだから」


 じと、と銀色の瞳が少し暗く光った。
 ぞくりと背筋を悪寒が駆けていく。
 これはこれで、なんだか新しい感覚だ。
 睨まれただけで、ぞくぞくする相手にはこれまで会ったことがない。

(いや、グラフェンもそういう顔するときはあるけど)

 ふと商人を思い出して、彼は口角を釣り上げた。
 そうだ。この銀髪は捕えたあと、グラフェンにでも売り飛ばしてしまおう。


「奪われる方が悪いって教わらなかったのか?」


 ニタニタと笑って、セルは帝王が痺れるのをじっと待っていた。
 しかし、彼の体には一向に変化が訪れない。
 それどころか、彼は平然と立ち、彼女を抱えなおし、こちらへ歩み寄ってきている。

(毒は蔓延してるはずだ。アイツも吸い込んでるはず。なんで、どうして!)

 その足には綻びが見えない。
 腕にも、震えすら見えない。
 銀の瞳が、まっすぐセルを射抜いたまま、ゆっくりと近づいてくる。

(考えられる可能性は、二つ)

 セルはじり、と退いた。
 大蛇は外の庭で遊ばせたままだ。ここで呼べば宮殿がめちゃくちゃになるだろう。

(一つは、そもそも吸い込んでないこと。自分の周りに何か張ってるとか、よくわかんないけど)

 壊れた壁の隙間から、隣の部屋が見えた。
 思い切り飛び込めば壁は壊して向こう側へ逃げられそうだ。

(もう一つは、あまり考えたくないが──『そもそも毒が効かない』こと)

 すぐ目の前に、銀髪がいる。
 この至近距離だ。吸い込まないのは絶対に無理だろう。
 であれば、この場合。


「……はは。お前、毒効かないんだ」

「毒?」


 銀髪は目を丸くした。
 まるでそんなものあったの? というような顔だ。


「効くか効かないかはわかんないけど……それって、ファイナルが動けないのと何か関係ある、かな?」


 ゾッとするほど冷たい銀の瞳が、セルを見下ろした。
 たったそれだけで、セルが今考えていた隣室へ逃げ込む作戦などは頭から吹っ飛んでしまった。
 銀髪は、ふと、腕の中の彼女を見た。
 彼女の口からあふれるように流れ出ていた血はすっかり治まっていて、彼女の赤い目は伏せられたままだ。


「ねえ? セルくん」

「……ひっ……」


 すぐ目の前。
 目と鼻の先、といった距離に、その顔が近づいてきた。
 まるでセルの目から、内部を覗くような動きだった。


「だ、だったらなんだっていうんだよ! こんなの、ここじゃ当然だ」


 ろ、と言葉を繋げる前に。
 彼の隣にあいていたわずかな穴は、拳によって完璧に貫通した。
 ガラガラと瓦礫が崩れ落ちる音が、真横でする。
 目の前の彼が、その拳を突き出していた。


「好きな子にそんなことするのは間違ってる」


 ヒュッと喉が締まる。
 うまく空気が吸えない。
 こんなことは初めてで、セルは短く呼吸をしながら、その銀の目を見上げた。


「だから、俺は怒ってる」


 銀髪の言うことは、間違った正論だ。
 ここが魔界じゃなければ概ね正解で、誰もが称賛することだろう。
 けれどここは魔界で、悪魔が住む、悪意の巣窟なのだ。


「ば、かじゃねえの、お前」

「どうして?」


 彼が少し顔を離したので、ようやく少しは息が吸えるようになった。
 肩を必死に上下させて肺へと空気を送るといくらか気分が楽になった。


「女も、子供も、自分以外の全部は商売品だ! 売り買いするモンだし、奪い取るモンなんだよ! お前みたいなやつは、俺みたいなヤツに奪い取られるのが当然なんだ!」


 セルは隠し持っていたナイフを振りかざす。
 銀髪が少し退いた隙に立ち上がって壁にできた穴から隣の部屋に出た。
 それからすぐにベランダへ出ると、彼は手すりにのぼって大きく叫んだ。


「大蛇! 大蛇ー!」


 ずず、とすぐに地面が揺れた。
 ずるずると、大きな地割れのような音がして、砂の大地がぱっかりと割れる。


「話はまだ終わってないよ、セルくん!」

「はは! おめでたいやつ! そんなお前に魔界なんて統べれるわけないね!」


 地面から顔を出した大蛇に、セルはひょいと飛び乗った。
 それから彼に、市街地とは逆の方向を指さす。


「セルくん!」


 ベランダから身を乗り出す銀髪をあざ笑って、彼は言った。


「帝王、知ってるか? この地下にはマグマが眠ってる。それを地上に噴き上げたら、どうなると思う!」

「何を馬鹿な……そんなことしたらキミの町まで溶けかねないんだよ!?」

「別にかまうもんか! 俺には他に隠し金庫がある! 地上を更地にしたあと、俺は魔界の統治者となる!」


 大蛇はセルをのせたまま、再び地面へと潜り移動していった。
 地面はその揺れに耐えかねて、蛇の移動していったあとを残すかのように、ひび割れていった。







***







 ドアの前で、鍵を取り出す。
 男は上機嫌にそれを差し込んでから、ドアノブを回した。
 がちゃっと短く音が鳴る。ドアノブを回して見えた先には、いつも通り、黄金の宮殿があった。


「ここはいつ見ても美しいなあ」

「ええ、まったく」


 男の傍らで、背丈の小さな小太りの男は一層背を丸くした。
 ただでさえこじんまりとした男が、まるでボールのようだ。
 不格好な一本角と、長い尻尾が竜人種であることを示していた。


「して、報告は本当かね。私のコレクションを、一人残らず『奪い取った』ものがいると?」


 男、グラフィンは奴隷商人である。
 数多の種族が彼の商品であり、数多の種族が彼の商売相手だ。
 彼自身、あらゆる場所に商品の保管庫を持っている。幸い移動には困らない。
 顧客相手である堕天使から、ずいぶん前に魔法の鍵を貰っている。
 どんなドアの鍵にも使うことができ、思い描いたどんな場所にでも通じることのできる、魔法の鍵。


「竜人種は私のコレクションの中でもレア度が高い。警備には気を付けていたはずなのだけど」

「面目次第もございません。我々も奇襲を受けたようで、敵の姿もまだおぼろげにしか」


 やれやれ、とグラフィンは嘆息した。
 もう少し警備用に人員を払うべきだった。鬼種にいい人材が最近入ってきたばかりだ。


「どうやら地上から入ってきたようでして。処置室にいた使用人に至っては、塵しか残っておりませんでした」


 ぴたり。グラフィンは足を止めた。


「? どうしました」


 グラフィンが足を止めたので、男も慌てて足を止めた。
 そうして振り返ると、少し真顔になって、グラフィンはじっと男を見下ろしていた。


「……いや。その侵入者、髪の色は?」

「髪ですか?」


 少し怪訝な顔をしてから、男は「ああ」と手を打った。


「そういえば、銀髪だったとか」


 グラフィンの手から、鍵が滑り落ちた。
 かしゃん、という音が小さく響く。
 そうしてすぐにその音をかき消すように、ずずずず、と大きな地響きが響き渡った。


「なっ何事だ! おい、誰か!」

「……!」

「ああ、グラフィン様!」


 男の制止を無視して、グラフィンは足早に廊下を駆け抜けた。
 嫌な予感がした。
 銀髪。塵。──彼は、その侵入者に少し心当たりがあった。
 そうしてそれが『そう』なのであれば、何か悪い冗談にしか思えない。

(何故だ? 彼は、いや彼だって『こちら側』だろう。機構には属していないはずだ──)

 その噂はよく耳にしている。会ったことはないが、とても興味のある人物だった。
 彼に魔法の鍵をくれた堕天使とも確か知り合いだったはずだ。
 それに、北魔界ではないが帝都のはずれにある歓楽街では彼が働く店があったと記憶している。
 死神機構に属さない死神。
 あるいは、死神機構に属さないことを『許された』死神。
 死神機構の死神たちは、生まれつきか、はたまた後天的なものか、理由は様々だがランダムに産み落とされる。
 そうなってしまっては『死神』であることを強要され、彼らはみんな機構の一員となる。
 が、彼だけは別だ。
 機構など意にも介さず、その意をとくに理解することもなく。
 彼は自由に、魔界に君臨する。

(我々とは仲間だと思っていたが、ああ、違うというのか)

 ぎり、とグラフィンは奥歯を噛み締めた。
 そうしてすぐに、口角が吊り上がり始めるのを感じていた。
 仲間であれば、同胞であれば。
 調教するのも、売り買いするのも、ましてや商品にするのも手間がかかる。
 しかしそうではないというのなら、話は別だ。

(なんということだ──私は、失望よりも、期待に胸を膨らませている!)

 足早に廊下を曲がる。
 あとはこの階段を下りれば、奴隷たちを保管していた牢屋に行きつくはずだ。
 そこに、彼はいるのだろうか。
 噂通りの、美しい銀髪と鋭い相貌で、そこに立っているのだろうか。
 階段を下りる足が無意識に早くなり、駆け下りるようになる。


「!」


 バンッとドアを勢いよく開くと、そこに彼は立ってた。
 ぽっかり空いた天井から、地上にある黄金の光を受けて、彼の銀髪はきらきらと輝いていた。


「ああ……」


 感嘆の声が漏れる。
 口からは涎が、目からは涙があふれだし、彼はがくっと地に膝をついた。
 牢屋につながれていた奴隷たちは案の定誰もいない。


「よお」


 まるで待っていたかのように、彼はそんな言葉をグラフィンに投げかけた。
 どきりとした。まるで生娘のように、胸が高鳴った。
 言葉が出ない。
 感激と感動でどうにかなりそうだ。
 今すぐにでも彼に抱き着き、その体躯をまず自分が堪能したいと思ってしまう。
 グラフィンは胸の前で両手を合わせ、ぶるぶると震えた。


「……おお……おお……!」


 彼の口からは、そんな言葉しか漏れなかった。


 ──そうして、そんなグラフィンを見て、銀髪の死神は眉をひそめていた。
 死神の胸中には、どことなく嫌な予感が去来していた。
 当然のことながら、このあとその嫌な予感は見事的中するのである。

 
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