とあるマカイのよくある話。

黒谷

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第四章「東の戦争。」

05

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 ざしゅっと音がして、何かが倒れこんでくる気配がして、ハッと意識が覚醒した。
 長く寝ていた気がする。何かを忘れるほど、眠り込んでいた気がする。
 ぼやけた視界に、金髪が見えた。
 いつもの黒衣。旦那のものだ、と彼女は思った。


「あなた……?」


 返事はない。
 思わず、彼の身体に手をあてる。
 ──ぬるり。


「!」


 心臓が途端に騒々しくなった。
 慌てて彼の身体を抱きかかえる。
 よくみればベッドの上は真っ赤にそまっていて、彼の身体は、肩から胸のあたりにかけて『ずばっ』と切り裂かれていた。


「あ、ああ、あああ……!」


 指が震えた。
 体が震えた。
 その気難しい顔には、より一層しわが増え、しかし呼吸が止まっているわけではなさそうだ。
 まだ、生きている。生きているのだ。
 彼女はバッと部屋の中を見た。
 いる。
 そこに、彼を『こんなに』したものが、いる。
 悠長にたたずみ、その黒く長い刃を構えている。

(許さない)

 彼の身体をゆっくりと自分から降ろす。
 自分の代わりにその血まみれのベッドに寝かしなおすと、彼女は寝間着のまま、それに向き直った。
 真っ黒な影には、顔がない。
 一体それが何者なのか、どこからきた者なのか、誰から差し向けられた刺客なのか。
 何が何やら、一切がわからなかったが──


「お前」


 彼女は、ぐ、と拳を握ると、構えた。


「生きて帰れると、思うなよ」




 ──時は少し巻き戻る。


「は? 見張り? 嫌だね、御断りだ」

「そこをなんとか……」


 シャクスは困った顔を浮かべていた。
 目の前の同僚、ジルとはまた別の悪魔──白衣を着たツギハギ男は不機嫌そうだ。
 とてもじゃないが頼みごとをきいてくれるふうではなかった。
 その傍らで欠伸をもらすターバンの男もまた、興味がなさそうにそっぽを向いている。


「我々は今大変忙しい。実験の最中だ。大体、俺の実験を邪魔しないという条件でのんだ労働契約だぞ」

「ですから、この城をも脅かす案件なんですよ」

「そんなもの、西洋悪魔であるお前一人でもなんとかなるだろう」

「ならないから頼みにきているではないですか……」


 ジルとの打ち合わせ通り、シャクスは城に戻った。
 が、ゴルトという悪魔の手下の実力は知っている。
 彼は手癖の悪さや逃走という術には長けているが、戦闘能力という点ではおよそ有能とは言えない。
 ソロモン七十二柱というくくりには数えられているが、その中でも下から数えた方が早いだろう。


「ジルはどうした。ヘカテーは?」

「彼は外側を。ヘカテーさんは、その。お茶の時間だと断られまして」


 シャクスの言葉に、ツギハギ男は大きく舌打ちした。


「あの小娘女神にも同じ説明したのか?」

「もちろん。ですが、仮に城が壊れても自分は困らない、とおっしゃられまして」


 ヘカテーとは、外の世界からきた女神である。
 彼女の戦闘能力は凄まじい。見かけこそ子供のような容姿をしているが、外では名のある女神である。
 眷属もまた有能で、欠点といえば、争いごとにさほど興味を示さないところくらいか。


「はは。あの女神らしいな。だが、俺もそれは同じことだ」

「あっ」


 一瞬のスキをついて、ツギハギ男はドアを閉めてしまった。
 すぐにがちゃん、と鍵のかかる音がする。

(はあ……まったく人望がありませんね、あの魔王様)

 シャクスはため息をついた。
 主人という存在はいくつかもってきたが、こういう主人は久しぶりだ。
 いや、少し前まで使えていた主人が有能すぎたのかもしれない。
 彼とも彼女ともつかないそのひとは、魔法使いだった。
 魔法使いは彼の他にも部下や友人がいたが、こんなふうに協力を断られる、なんてことはなかった。

(仕方ありません。時間稼ぎ程度にしかならないかもしれませんが私一人で何とかしましょう)

 廊下の闇にゆらりと溶け込んで、彼は夜叉が眠る部屋へと向かった。

(ことが済んだら主人を変えるというのもいいかもしれませんね。また下界へ降りれば誰か──)

 そうして、部屋へたどり着いた彼が見たのは。
 今まさに黒い刃を振り下ろそうとしている、黒い影の姿だった。


「──強奪」

「!」


 シャクスは慌てて権能を使用すると、その刃を取り上げた。
 刃はずっしりと重い。危うく落としそうになったが、何とか持ちこたえた。


「奥様に何をなさるおつもりで? ゴルト宰相の部下ともあろうものが、闇討ちですか?」

「…………」


 影は無言だった。
 夜叉に背を向け、シャクスへと向き直る。


「これは東魔界へ喧嘩を売った、と考えてよろしいですか?」


 またも無言。
 返事をするつもりはないようである。
 彼女は、じり、じり、と一歩ずつ、シャクスへ歩みよってくる。

(肉弾戦でもいけるクチでしたか。非常に困ります)

 にこやかな笑顔を崩さないように、シャクスもまた、一歩ずつ下がる。
 ジルはこの異変に気付くだろうか。いや、気づくことはないだろう。
 残るはサタンだが──。


「死ね」


 ハッと意識が前に向く。
 気が付くとすぐ目の前に、影がいた。
 それはおもむろに拳を振り上げている。

(これは)

 目の前にすると、シャクスには『それ』が何なのか理解できた。
 この魔界で生み出されたもの、のように何かをまとわされてはいるが。
 違う。全くの別物だ。
 近づけば、誰だってこのちぐはぐな異質さに気付くだろう。
 ──これは。
 彼女は、外の世界から来る者。
 シャクスら西洋の者ともまた違う──極めて近しい外からの来訪者。

(ラクシャーサ……!)

 ごっと鈍い音が響く。
 すんでのところで避けたが、拳が振り下ろされた床は大きく穴が開いている。


「おっと」


 ずばっと。
 腕が時間差のように裂けた。
 どうやら完全によけきれはしなかったらしい。
 その拳が振り下ろされる際に生じた風に、腕をえぐられたようだ。

(これはかないませんね)

 シャクスは、あっさりとあきらめた。
 この魔界で生まれたものならまだ、と思っていたがそうではない。
 まして腕を斬られた際、無意識に抱えていた刃を落としてしまった。


「…………」


 彼女は、シャクスが落とした彼女の刃をおもむろに拾い上げた。
 そうして、再び夜叉の方を振り返る。
 シャクスはそれを黙って見ていた。もはやどうすることもできやしない。
 元々嘘をつくのは性分だ。どんな約束事も、彼にとっては些事。契約書を交わしていないものなど、気に掛けることでもない。
 むしろこの刃で夜叉が死ねば、城を脅かす存在も消えるのだ。
 願ったりかなったりかもしれない。


「させるものか」


 ──しかし。
 彼女の振り下ろした刃は、今度は金属音を立ててはじき返された。


「!」


 サタンである。
 彼は妻を守るように、そこに立っていた。
 手には白金の剣がある。


「ゴルトめ。やはり最初からこのつもりだったか」


 彼は目の前の影を見下ろした。


「我が妻を脅威と思ったのか、はたまた無理矢理に暴走させてハイゼット共々一網打尽にと思ったのか──」


 くだらん、とサタンは剣を振り下ろす。
 彼女はそれを黒い刃で受け止めた。
 そのすぐあと、彼女は反撃に、ではなく、再び夜叉へと斬りかかった。
 サタンはすぐさまそれに反応したが、一撃毎、その黒い刃は重くなっていった。

(これ、は)

 何とかはじき返して、彼女と距離をとる。
 狙いは確実に夜叉だ。
 それ以外は見えていないのか、はたまた興味がないのか、そういうようにプログラムされているのか、彼女は執拗に夜叉へ刃を振り下ろす。
 攻撃をしても、次の瞬間の反撃はない。するりと脇を抜けて、夜叉のもとへと走ってしまうのだ。

(庇って受けても『激昂』する。攻撃はさせるわけにはいかない。なるほど、手詰まりか)

 何度めかの攻撃を受け止める。
 尋常ではない重みに、サタンは思わず顔をしかめた。


「くっ」


 ぎん、と鈍い音がして、剣がサタンの手から離れた。
 彼女は目の前で思い切り刃を振りかざしている。
 サタンは、妻を庇うように。
 バッと両手を広げて、ベッドの前に立った。



 ──ずばっ。







***







 ドアを開けた先にあったのは、地獄だ。
 血に濡れたベッドにはサタンが横たわり、いつかみた黒い影は、その上辺を剥がされて中身が漏れ出ていた。
 包帯だらけの女性だ。体のあちこちには古傷があり、その手には真っ黒な剣が握られている。
 彼女は、血反吐を吐きながら、それを睨みつけていた。
 ──目の前で、まるで獣のように身をかがめ、唸りをあげる──夜叉を。


「お母様!?」


 ゼノンの悲鳴に、夜叉はぴくりと顔をあげた。
 ドアの向こう側、こちらを認識したようだった。


「ふむ、彼女が問題の奥方か。なるほど」


 イーラは、まるで物怖じせずに室内へと足を踏み入れる。


「あーあ、シャクスもジルも時間稼ぎは間に合わなかったか」

「そうみたいだね……二人とも無事だといいけど……」


 続いて、デスとハイゼットが室内に足を踏み入れた。
 びく、と包帯だらけの女性はドアを見て驚いたような反応を見せた。


「あの時のゴルトの部下、だね」

「…………」


 女からの返答はない。
 ハイゼットらを一瞥すると、彼女は苦し気に頭を抱えながら、その刃を握りなおす。
 そうして真っすぐに夜叉へと斬りかかったが、あっという間に彼女の拳によって壁へと叩きつけられた。


「すでに暴走しているな。全く、内側に溜め込みすぎるからそうなるんだ」


 イーラは、かつん、と床に杖を下した。
 わっと白い床がぱきぱきと音を立てながら広がっていく。
 氷だ。雪と氷の床。
 彼女のすべてがあふれ出すように、部屋を包み込もうとしていた。


「デ、デス」


 ゼノンがデスの腕を引く。
 彼女の顔には不安がにじみ出ていた。
 ぽん、と彼は彼女の頭を撫でつけた。


「心配すんな。イーラなら平気だ」

「うん……」

「ゼノン、こちらへ」


 ファイナルがゼノンの手を引いた。
 そうして、彼女を優しく抱え込む。


「見たくないものは見なくていい。大丈夫、すぐに終わるだろう」


 ファイナルは、ハイゼットへ視線を送った。
 彼はそれにこくりと頷いて、夜叉を見つめた。
 ほどなくしてドアが消える。
 ギルドがイーラを守るように剣を構える中、イーラはす、と両腕を前にだして、にこりと微笑んだ。



「思う存分暴れるがいい、ご婦人。──『雪』は、何もかもを優しく包み込む」



 
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