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第四章「東の戦争。」
03
しおりを挟むジル=ハインリッヒは戸惑っていた。
彼は上司であるサタンより仰せつかり、ハイゼット一行を南魔界に追い立てるために派遣されたはずだ。
同僚であるシャクスの尻拭い、ともいえる業務内容。
死神にさえ気を付ければ、さして難しいことではない。
彼だって事情を話せば多少はわかる相手である。
隙をみてわけを話すという手もあるだろう──そう思っていたのだが。
「これは一体……」
「あはは……」
現在。
彼は同僚であるシャクスと、隣り合って座っていた。
向かい側には、ハイゼットとデス。それからゼノン、ファイナルが座っている。
(ちょっと、一体どういうことです?)
ジルはシャクスを横目でサングラス越しに睨みつけた。
(俺は彼らと戦いをしに来たんだが。談笑しに来たわけでも、面接にきたわけでも、商談にきたわけでもないぞ)
(私もそうだったのですが、はは、思っていた以上に手強くて)
苦笑いを浮かべるシャクスの頬には、デスに殴られた痕が少し残っていた。
それでいて、向かい側に座る彼らには何の痕もない。
強いて言えば部屋の壁やら床やらが一部壊れている程度のことだ。
「ジルくんっていったっけ?」
「え、あ、はい」
視線を向かい側に戻す。
銀色の瞳にまっすぐ射抜かれると、血筋だろうか、ぴしゃんと背筋が伸びた。
「ジルくんも仲間に加わったということで、改めて作戦を説明します」
「あ、俺は仲間入り済みという認識なんですね」
「え? シャクスくんの仲間で、サタンの部下なんだよね? 俺たちシャクスくんは仲間にしたし(強制)、サタンはする予定だし、だったら君もそうじゃない?」
小首を傾げるハイゼットに、ジルは遠い目になった。
反論は意味をなさないのだろう。
その手にもっていた金属製の棒も役には立たないのだろう。
シャクスが無言で首を横に振っている。
(サタン、貴方の計画はもう頓挫しているかもしれませんよ)
天井を仰ぐ。
今頃ゴルトの部下相手に時間稼ぎをしていることだろう。
「まず俺たちは一旦南魔界へ行く。で、先に南魔王を味方につける。その後、南魔王らと一緒に転移で直接東魔王城へとび、一緒にゼノンのお母さんとバトルして、勝利して、サタンを説得する」
「南魔王……て、あの、イーラをですか!?」
ジルは目を見開いた。
南魔王イーラといえば、他の魔王たちと違い領地外には出てこない。
他の魔界と交流を持たず、姿形を公に見せることもない。
魔界の原型ともいえる雪山を根城とし、天然の要塞を保ち続ける自然派の悪魔だ。
素性も性格も謎に包まれていて、長い歴史を持つハインリッヒの家ですら、そこと交流を持つ者はいない。
「何か勝算があるので?」
「うん」
ハイゼットはにこにこしながらデスへ笑いかけた。
「ね!」
「ああ」
やれやれ、といったふうにデスも頷く。
「か、仮に南魔王を仲間にできたとして、領地から出てきたとして! イーラが夜叉様をどうにかできるとは、とても……」
正体不明の魔王ということは、つまり、実力も未知数ということだ。
ゼノンの母、夜叉の戦闘力は凄まじい。
誰かをころしてしまうほど見境がないわけではないが、それでも大けがは免れない。
「いいや、アイツはどうにかできるぜ」
はは、と軽く笑いながらデスは呟いた。
「だからそのへんの心配はしなくていい。あんたらは城に帰って、ゴルトの部下が夜叉に接触しないようにだけすればいい」
「それはないだろう。たかが部下が、夜叉様の部屋に忍び込むなど……」
ジルは呆れたような笑みを浮かべた。
夜叉の部屋にはサタン自ら結界を施し、眠らせている。
それをどうにか突破できるもの、あるいはしようとするものがいるなどと考えられなかった。
「あいつが自ら東に来ないってことは、それなりの策があるってこった。つまりはここで使えるものを『全部』使うつもりだぜ」
「……まさか。夜叉様を叩き起こして激昂させるとでも?」
「そういうこともありえるだろうよ。それこそ、通常とは違う暴走状態になる可能性もある。そうなったら双方怪我じゃすまねえかもしれねえし」
がた、とジルが席を立った。
何か思い当たるふしがあるようだった。
「ということで、我々は城へ戻るように、とのことなんですよ」
「では、戻るべきだろう」
「ただ私、ゼノン様を連れ戻すと約束した手前、戻るわけにはいかなくて」
ははは、と。
情けなく笑うシャクスの腕を、ジルは無理矢理立ち上がらせた。
「お前は影に溶けておけ。夜叉様の部屋にたたずんでいればいい。それよりも、戻った方がよさそうだ」
「そうですか? では、お言葉に甘えさせていただきましょう」
「して、南魔王の下までいくのに日はかかるのか? どれだけ時間を稼げばいい?」
ジルはデスを見下ろした。
まるで目覚めればすぐに『そう』なると確信しているようだった。
んー、とデスは唸って天井を仰ぐ。
「雪ん中だからなあ……天候にもよるが、一日か二日あれば大丈夫だろ」
「往復だぞ」
信じられない、とジルは思った。
どこに城があるのか、こちらからは見えない。ということはつまり、雪山を超えた先だ。
「こっちに戻ってくるときはなんとかなるから、行きだけでいい」
「そうなの?」
「おう。イーラは結構有能なんだぜ」
ハイゼットは少しむっとした表情になった。
そうして唇を尖らせながら、ぽつりとつぶやいた。
「俺だって有能になってきてるもん……」
「あーはいはいそうだな。そうだとも」
ぽんぽん、とデスはハイゼットの頭を撫でた。
「で、だ。出発するなら早い方がいい。このまま宿部屋を破壊していこうと思うんだが、準備はいいか?」
「え?」
ジルはおろか、ゼノンやハイゼット、ファイナルまでもが目を丸くした。
彼の手にはいつのまに握られていたのか、小型の爆弾のようなものが握られている。
「魔力と衝撃に感知して派手に煙と光をまき散らす代物らしくてよ。前にシャルルから貰ったのが残ってた」
「そ、それ大丈夫なの? 被害とか……」
「ド派手にみえるが威力は低い。戦闘っぽくは見えるだろ」
がし、とデスがゼノンをつかむ。
それをみてハイゼットはファイナルを抱き寄せた。
シャクスはすう、と闇に溶け始め、ジルは慌ててそこから飛びのいた。
「んじゃ、作戦開始ってことで!」
──声と同時に。
床に叩きつけられて間もなく、それはすさまじい光を放出した。
部屋の窓から光があふれる中、デスが天井を蹴り破って外へと飛び出した。
ハイゼットもそれに続く。
ジルも壁を破って外へと飛び出していった。
後に残ったのは無残に壊れた宿部屋と、ぽかんとしている住民たちだけだった。
***
「おい! みたか、今の光!」
はしゃぐように彼女は言う。
雪と戯れる姿は、まるで雪の妖精だ。本人は女王を名乗りたがるだろうが、容姿はどうあっても子供である。
ギルド=リッターは、主人に呼ばれて空へと顔を上げた。
確かに東魔界のはずれで、大きな光が爆発したように見えた。
「まるであれだ、ハナビとやらみたいだったな!」
「……そうですね」
走って飛び込んできた幼い主人を受け止める。
彼女の肌は、雪のように白く冷たい。
かじかんで赤くなる、という現象を知らないように。
「わたしも『ハナビ』がしたいな!」
「小さいものでよければご用意しますが……」
「んーん! でっかいのがいい!」
ふるふると首を横に振ると、その薄紫色の長い髪が揺れた。
ギルドはその揺れる髪を押さえつけるように撫でた。
「それだと難しいですね。他の魔界にも見えてしまいますし」
「いいではないか、みせてやれば!」
「いいえ、それはなりません。他の魔王連中はイーラ様と違い、好戦的なやつばかり。ミステリアスな空気を壊してはなりません。戦争になりかねませんから」
「むむ。そうだな……戦争は嫌だ」
しょんぼりと肩を落として、彼女、イーラは頷いた。
それから、ぐるんと体を回転させて、彼女はギルドから離れると雪の中をくるくると舞った。
「だったらハナビはいいや。もっと魔界が平和になったら、やろう!」
「ええ」
──彼女は知らない。
魔界にそんな平和は訪れないことを。
彼女が望む人材が、魔界においては稀有であり、どんなに優秀なものが帝王になったとしても──そんな夢を実現するのは、ほとんど不可能だということを。
ギルドは苦笑して、それからぎゅ、と拳を握りしめた。
戦争を嫌い、何かを傷つけることを嫌い、人から逃げるようにして飛び込んだ、この世界ですら。
彼女の求める理想はない。彼女の求める平穏はないのだ。
(だから、せめて)
彼は騎士だ。
彼女という存在に仕える騎士。
彼女の望みを叶える騎士。
「イーラ様。もう屋敷に戻りましょう。間もなく吹雪の時刻が参ります」
「むむ、もうかあ。今日もアオゾラはこなかったな。残念だ」
ざくざくと、少し遠くまで走っていったイーラが彼の下へと戻ってくる。
彼もそれを迎えるように、握った拳を開いた。
(わずかでも。限られた世界でも。せめて私が、アナタに、平穏を)
主人を抱えて戻ろうと一歩踏み出した足は、すぐに止まった。
目の前でイーラもまた止まっていて、呆然と真っ白に染まる森の中を見つめていた。
このわずかに晴れた敷地内の他は、吹雪だ。
木々で囲まれた森を、それも吹雪の中を潜り抜けてくるものなど、魔物くらいのものだが……何かいるのだろうか。
彼女がじ、と見つめるところを、ギルドもまたじ、と見つめた。
ややしばらくして──吹雪の中。
現した姿に、イーラが駆けだしていったのは、それからすぐのことだった。
「ああー! デス! デスではないかー!」
「おう、しばらくだな。イーラ」
手を挙げて何事もなかったように歩いてきた銀髪と(こちらは見覚えがあるし奇しくも知り合いである)。
それに少し遅れるようにして、慌てて追いかけてきた銀髪(こちらは見覚えもないし知り合いでもない)。
金髪の少女(当然知らない)と、赤い髪の少女(愚問である)がぞろぞろと森から出てくるのを、ギルドは呆然と見つめていた。
来訪者たちをみていると、ざわざわと胸騒ぎがした。
得も知れぬ嫌な予感に、ギルドはぎゅっと、再び拳を握りしめた。
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