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第一章「帆船襲撃事変」
03
しおりを挟む全身にある鈍い痛みを自覚して、目が覚める。
落ちた。空から──真っ逆さまに。
(か、たな、かたな、刀……あった)
あまり力の入らない手で、ぎゅ、と掴んだ鞘を握りしめる。
普通なら死ぬだろう。死ぬ。この世界では、どんな存在でも等しく死という概念がある。
もちろん例外はあるし、その例外に、自身が含まれていることも彼女は理解していた。
──ゆえに。
ハッキリしていく視界が映し出した、今の現状に、心臓が止まるような衝撃を受けた。
「なっ、え、なに、何故!」
自分を抱きかかえるようにしているのは決して草わらでも木々の葉でもなく。
先ほどまで彼女が戦っていた相手。
出会ってまもなくプロポーズしてきた襲撃者。
つまりは、ハイゼットである。
「おい、おい!」
痛む体を無理矢理起こして、彼女はハイゼットの肩を揺する。
何度も、何度も、その肩をゆすって、声をかける。
「っ、死ぬな、おい──ハイゼット!」
幾度か体をゆすったあたりで、ようやく、「うう」と声が漏れた。
生きている。
呼吸をしている。
すなわち、死んでいない。
(よかった……)
ほっと胸をなでおろす。
そうしたのもつかの間、彼女は立ち上がって刀を構えた。
「そこにいるのはわかっている。出てくるがいい」
彼女が切っ先を向けた方から、ガサガサと音が鳴った。
草わらをかき分けて、五名ほどの男たちが出てくる。
その粗雑な身なりを見る限り、兵士や戦士といった類ではなさそうだ。
「ぐへへ……」
「上物だ。悪くない、悪くない……」
ぐ、と彼女は自らの頬を拭う。
いまだに切られた目からは赤い液体が流れ落ちていて、彼女の白い服をやんわりと染めていた。
男たちも口元の涎を拭うと、武器に手をかけた。
「天使、手負いだが、天使だ、へへ、高く売れる」
「男の方はどうする」
「大丈夫さ、そっちにだって買い手はいる」
「北の方に住む魔王が、確か、そういうのが好きで、あ」
不意に銀色の光が一線、彼らの目の前を閃いた。
そうして、すぐに、『すぱっ』と。
軽やかな音が、彼らの会話を中断した。
「おしゃべりな連中だ」
ちん、と。
鍔の鳴る音で、今度はボトボトと草わらへ何かが落ちていく。
彼女はそれを興味なさげに見下ろした。
すなわち、頭部が五つ。
肩のあたりをまっ平にされた胴体が、遅れてぐらりと崩れ落ちる。
「……う、い、たた……」
「! 目が覚めたか、よかった」
よたよたと、ハイゼットが起き上がった。
痛そうではあるが、とくに骨が折れている様子はない。
「馬鹿なやつだ。敵を庇って落ちるなどと」
「へへ、でもほら、二人とも無事だし」
「……ふん」
ハイゼットは上を見上げた。
木々が生い茂っているために、青空はよく見えない。
つまりは、帆船が今も浮かんでいるのか、あるいは墜落してしまったのか、それすらもわからない。
(デスに俺の声は届いただろうか)
落ちる直前、間違いなく彼は何かを叫んでいた。
おそらくは、聞こえたと思うのだが……。
「ひとまずは移動しよう。ほら、手を」
「あ、うん」
彼女が差し出した手をとって、ハイゼットは立ち上がった。
その鎧越しに、奥の木々たちがふと目に入る。
鬱蒼と生い茂るそれらから、建物は見えない。
(──あ)
建物は見えなかったが、森の奥、木の陰から何かが光った。
それが銃口であると気が付いた瞬間に、ハイゼットは掴んだその手をぐいと引っ張って抱え込む。
「な、にを」
漏れた言葉に返答している余裕はなかった。
反撃も、防御も、攻撃も、頭をよぎっては消えていく。
(ダメだ、何も間に合わない!)
ぎゅ、とハイゼットは目を瞑った。
どこを撃つつもりなのかはわからないが、羽根で頭部を守ることもままならない。
何しろ先ほどの落下で負ったダメージがある。
これ以上の追加ダメージはいけない、と本能的に悟っていた。
「はは。諦めるの早すぎだろ、ばーか」
──ごきり、と。
何かを砕くような音がして、ハイゼットは咄嗟に目を開けた。
「デス!」
声の主が名乗るよりも、ソレを認識するよりも早く、その名を呼ぶ。
やや遅れて、声の主が出てきた。
少し疲れたように笑う彼の銀の髪には、いくつか葉っぱがついている。
「よお、馬鹿ども。無茶して落ちるからそうなるんだ」
「えへへ、ごめん」
「照れるんじゃねえ。褒めてねえんだ」
べし、とデスはハイゼットの額に手刀を落とした。
それから、と彼女に向き直る。
深青の瞳が懐かしそうに歪むと、彼女もまた、柔らかい笑顔を浮かべた。
「……久しぶりだな、ファイナル」
「ああ。無事で何よりだ、デス」
それは、まるで。
旧知の二人が、友達以上の関係の、二人が。
久しぶりに会った、というような状況とよく似ていた。
「ちょ、ちょっと待った、何それ、何それ!」
慌てて、ハイゼットが二人の間に割って入る。
「何で二人が知り合いなの? ま、まさか恋人同士、とか……!」
「違う違う。何でそういう発想になるんだお前は」
再びの手刀。
少し強めに、ごん、と額が鳴る。
「俺とお前が幼馴染なんだぞ。んで、俺とこいつもそう。だったらどうなる?」
「もしかして、俺とこの子も……」
「そう」
「幼馴染!」
ぱあ、とすぐにハイゼットの表情が明るくなる。
対照的に、彼女、ファイナルは緩んだ表情を引き締めた。
「それより、二人は……」
「ああ、いるいる。この俺が妹を救出できてねえとかそんなダッセェことするわけねえだろ」
おーい、とデスは彼が来た方向へ声をかけた。
反応するように、がさがさと茂みが揺れて、二人の少女がひょっこりと顔を出す。
二人はファイナルを見つけると、鉄砲玉のように勢いよく飛び出した。
「ファイナルさん!」
「ファイナル!」
長い金髪と、真っ赤な髪。
ファイナルが帆船で行動を共にしていた二人である。
「フェニックス、エターナル」
三人はその再会にほっと安堵したようだった。
手を取り合い、抱き合う彼女たちをみて、ハイゼットだけは小首をかしげる。
「? いも、うと?」
誰の? ……デスの?
それにしてはあまりに容姿が似ていない。
デスの持つ銀髪はどちらかというとハイゼットと同じだし、目の色も二人とはそぐわない。
むしろファイナルの方が、二人の配色に近いように思える。
「んじゃ、改めて」
と、デスははしゃぐ二人の妹の肩に手を置いて、ハイゼットに向き直らせた。
「俺の妹、フェニックス」
金髪の少女が綺麗に会釈する。
「それから、こっちがエターナルだ」
赤い髪の少女は、じと、とした視線をハイゼットに投げた。
これまた対照的な二人である。
「え、ほんとにお前の妹なの? なんか雰囲気が」
似てない、とは口に出せなかった。
本人たちが気にしているかもしれない。
「ああ、血のつながりゼロだからな。そりゃ仕方ねえこった」
しかしあっさりと、デスはそんなことを呟いた。
それから愛おしそうに、二人の額にキスを落とす。
(あれ、でもそうなると、あの帆船には『どんな意味』があったんだ?)
帆船に乗っていたのは、おそらくこの二人と、ファイナルだ。
であればあの大きな帆船に三人しか搭乗していなかったことになる。
ハイゼットが下された命令は破壊と抹殺。
帆船にはたくさんの天の使いと天使が乗っているから、それを始末しろ、とのことだったはずだ。
(ゴルトはこれを知ってたんだろうか。デスは、どうだったんだろう)
当然のように妹たちを抱いて笑う彼。
いつもは面倒そうに命令に従う彼だが、今はその片鱗が一切ない。
そんなことは忘れてしまった、というふうに『その話題』に触れないし、武器に手をかける様子もない。
──まるで。
(最初からこうすることが目的だった、みたいだ)
もちろん今更彼女たちをどうこうするつもりは彼にはない。
今も、自分がつけた傷を目にするたびに胸がギュッとなる。
「ハイゼット?」
ふと、ファイナルが彼の顔をのぞき込んでいた。
片目にはいつ巻かれたのか、白い包帯が巻かれている。
「……俺も」
「?」
「俺も、キミのこと『ファイナル』って呼んでいい? 皆みたいに」
少し驚いたような表情になって、ファイナルは小さく口を開いた。
何かを言いかけて、しかし、再び口を閉じる。
それから少し目を伏せて、こく、と頷いた。
「構わない。俺も……お前と知り合いだと、黙っていて、悪かった」
ハイゼットはファイナルの包帯に指を添える。
す、と触れたそこはわずかに熱を持っていた。
(記憶、取り戻したいなあ)
何も覚えていない、それがもどかしい。
きっとあったはずなのだ。彼女と、自分の間に、何か。
一目惚れ、をした理由も、きっと。
「おーい、見つめあってる場合じゃねえぞー」
ふいにデスの声が飛んできて、ハイゼットはハッとした。
彼は妹二人を両腕に抱えながら、すでに歩き出そうとしている。
「移動する。夜になっちまうぞ」
「ええ、待ってよー!」
慌てて歩き出そうとして、ハイゼットはよろめいた。
思いの外、落下ダメージが体に残っているらしい。
しかしすぐに体が少しラクになる。
その肩を、ファイナルが支えていた。
「庇ってもらった礼だ。肩を貸そう」
「……やっぱ絶対結婚しよ」
「はいはい、まずは移動してからな」
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