Suger Eater

黒谷

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3:交わる二つと怪異

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 そこが何処なのか、ぱっとみただけで、わかってしまった。
 薄暗い、コンクリートづたいの壁。
 土と埃の匂い。
 どことなくカビくさい。
「………う」
 佐東が呻いた先にいたのは、着物姿の女の子だった。
 おかっぱ頭で、その赤い帯に目が惹かれる。
 女の子はその黒曜石の瞳でこちらをじっと見つめていた。
(……ここ……昔、にがりと来たこと……ある)
 身体を起こそうとして、気がついた。
 四肢を縄のようなもので縛られている。
「無駄じゃ、わっぱ」
「!」
 鈴を転がしたような綺麗な声が、室内に響いた。
 声の主は女の子のようで、佐東へと歩いてくるのがみえる。
 佐東には、彼女に心当たりがあった。
 それも、やっぱりにがり絡みだ。
(昼休み、にがりに話した女の子に似てる……ってことは、トイレの雪子さん……!)
 いやそれよりも……、と佐東は必死に思考する。
(オレは確か放課後ピエロに遭遇して……殴られた……のか?)
 ずきりと痛む後頭部が、唯一の手がかりだった。
 しかしそれにしても、状況が理解できない。
 ピエロに連れて行かれれば最後、確か凄惨な姿になって発見されるはずである。
(もしかして……これからせ、せせせ、凄惨な姿にされるのか!?)
 思わず想像してしまって、佐東は涙目になった。
 震えが止まらない。
「実に不愉快であり、不本意であることだが、わっぱは『人質』というやつなのじゃ。諦めい」
「ひ、人質……?」
 凄惨な姿にするんじゃないのか……?
 女の子の声に、佐東はますますわからなくなった。
「て、ててて、ていうかさ、き、キミは?」
 もしかして話ができるのかも、と淡い期待を抱きながら佐東は苦笑いを浮かべる。
 しかし冷たい黒曜石の瞳でみつめられて佐東は肝を冷やした。
 ぞくりと何か、冷たいものが背筋を駆け上る。
「わしはユキコ。貴様らには『トイレの花子さん』といった方がわかりやすいかもしれぬけどな」
 両手を組んで仁王立ちしながら、女の子、ユキコはあたかも名乗りを上げるようにそう呟いた。
 まるで武将のようなしゃべり方だ、と佐東は思った。
「ルドが貴様を覚えていてな、かつての『借り』を返させてもらおうということになったのだ」
「……か、かつての、借り?」
 予想だにしていなかった話に、佐東は目を丸くした。
 やはり状況は理解できそうにない。わからないことだらけだ。
 ユキコはため息をつくと、それから呆れ顔のまま説明を始めた。
「貴様と『にがり』という化け物。二人でここにきたことがあったじゃろ」
「え、あ、うん……」
 ていうかにがりは化け物扱いか……化け物に化け物扱いか……。
 佐東は心の中で苦笑する。
 しかしユキコの言うとおり、確かに佐東とにがりはここを、小学三年か四年くらいの時に、訪れている。
 その時のにがりは今よりも破天荒で、今よりも何を考えているかわからない感じで、今よりも話が通じない状況で、四六時中お菓子を手放さない、しかもヒトから平気でものを強奪する『シュガーイーター』そのままだった。
 そして、佐東本人も今より、ずっとにがりに頼り切って生活している時代だった。
 記憶さえ正しければ、夏休みの頃だったろう。
 何故かやたらと忙しかったにがりの唯一あった休みで、にがりは多少機嫌が悪かったと思う。
 そんなにがりにアイスをおごってあげたりしたことでやっとデートに至ったのだ。
 とはいえ、にがりにデートだという自覚があったかどうかは、また別の話なので、本当にデートだったのかはわからないところだが。
「あの時はただの餓鬼じゃ思うて油断したが……貴様らにされた仕打ち、いやあの小娘にされた仕打ち、わしらは一度たりとも忘れたことないわ」
 声には明確な怒りと憎しみが伴っていた。
 初めてそんなものを向けられたせいか、佐東はたじろぐ。
「な、なんかしたっけ」
「とぼけるでない!」
「ひ、ひいいっ」
 怒鳴られて、さらに身をすくめる。
「わしの帯とって遊ぶわ、暗奈のマスク奪うわ、ルドのプライドずたずたにするわ……あげくに人魂までぼこぼこにしおって!」
「ええええ!?」
 佐東は青ざめた。
 記憶をどんなに探っても、そんなことは出てこない。
 彼の記憶に残っているのは、妙に不機嫌だったにがりと、アイスを食べ、確かに心霊スポットだったここに肝試しをしにきたことだ。
 しかし実態は不良のたまり場として荒れ果てていたために、怖くなった佐東は、にがりに促されるままに、逃げるように帰宅。
 その翌日、にがりが笑顔なのをみて、「ああ、また不良たちの財布を奪ったのか」とため息をついたことを覚えている。
「まあ、貴様が覚えていないのは無理もない。実際、貴様は何もしておらんからな」
「やっぱり……」
 はやくいってよ、と思いはしたものの、佐東は口には出さなかった。
 そりゃそうだ。いくら小学生といったって、佐東は佐東のまま成長している。誰かをボコボコにすることなんて、天と地がひっくり返ったってできるとは思えない。
「しかしここ日本には昔から連帯責任という制度がある。よって貴様には一撃、ルドが加えたはずじゃ」
 なんとなく腑に落ちなくて、佐東は怪訝な顔をした。
 確かに連帯責任と言われれば、誘ったのは佐東だし、仕方ないような気もしてくる。
「貴様はむしろ、わしらにとって有益な人間であるのじゃ。今の世の中、それほど肝の小さい人間もおらん」
 しみじみと呟くユキコ。
(それはオレをけなしてんのか、慰めてんのか、どっちだよ)
 とは口に出せず、佐東は「ははは」と乾いた笑いで相槌を打った。
「わしらは恐れられてなんぼ。ゆえに少々手荒なまねでもせんと、最近のわっぱは怖がらん」
「……もしかして……本当は殺してない、とか……」
 わずかな望みをかけて、佐東は口を開いた。
 それはユキコからそんな雰囲気がしなかったからだった。
 先程向けられた明確な怒りと憎しみは、今、感じられない。
 ともするならば、憎んでいる対象はにがりだけで……本当はいい人なのかもしれない、なんて思ったからだった。
 佐東は、すがるような思いでユキコを見つめる。
「いいや、殺めたぞ。ちゃんと殺めた。でなければ、怪談話は成立せん」
「!」
 望みをあっさり打ち破られ、佐東は青ざめた。
 目の前の女の子は、佐東よりも遙か年下にみえる女の子は……『人殺し』なのだ。
 まあ、怪奇現象に対して『人殺し』というのも、いかがなものかという気はしてくるが。
「それにしても、貴様は恐がりじゃ。何故わしらを恐れるのか、わからん。わしらよりも、もっと恐ろしいものといるというのに」
「に、にがりの……こと、かな?」
 油断するとがちがち震え出す口を、必死に動かす。
 冷や汗が止まらない。
 心臓の鼓動が段々と速くなる。
 恐怖からか、口の中もカラカラだった。
 今にも唇を切ってしまいそうだ。
「そうじゃ。貴様はあの娘が一体何者か知って……」
「ユキコォ、宴の準備だ来い」
「! ……ルド」
 ユキコの言葉を遮って、扉からピエロが姿を現わした。
 その姿をみて佐東から血の気が引いていった。
 まさしく放課後に出会ったピエロ、そのままだった。
 赤い髪に、わずかにかかったパーマ。
 白粉と顔に施されたメイクが恐ろしい。
 ユキコはそのピエロ…ルドに向き直り、真剣な表情をした。
(う、宴? 宴って、一体……)
 想像されるのは、血まみれの宴だ。
 ルドから微かに香っている血生臭い匂いが、それを増幅させた。

ズドォォォォォオオオンッ!!!

 刹那、建物全体が揺れた。
「な、なに、なにぃ!?」
 ほとんど涙目で、佐東は喚いた。
 揺れは未だおさまらず、視界は定まらない。
 落ちてくる土煙に、崩れるのではと不安になった。
 ぎゅっと固く目を瞑る。
(に、にがり……!)
 頭に、幼なじみの顔がよぎる。
「あははー、砂糖くんったらSMプレイ中だー」
 幻聴まで聞こえてきた。
 まるですぐそこに彼女がいて、見下ろしているような。
 いよいよお迎えが近いのかと覚悟する。
「んふ。起きてくれないと、剥ぐよ」
「ひぃいいいい! は、剥がないでえええっ……て……」
 一層物騒な発言に、佐東は目を開けて飛び上がった。
 息を呑む。
「……に、にがり……?」
 佐東の目の前に、幻聴でも幻覚でもなく。
 ただの現実として、少女が自分を見下ろしていた。
 いつか見たようなある黒いロングコートに、セーラー服。
 嘲笑うように弧を描く口元。
 正真正銘、佐東の幼なじみで、『暴食のにがり』。
 神見にがりが、口を開く。
「んふふふ。シュガーイーター、ただいま推参ってね」
 手にしていたナイフ一つを一振りして、佐東の拘束を解き、にがりは不敵に笑った。
 その視線の先には―――ルドとユキコがいる。
「やはり現れたか、化け物め」
 ユキコが険しい顔をして呟いた。
 その言葉に、にがりは嬉しそうに微笑んだ。
「わあ嬉しいなあ、褒め言葉だねえ」
「……褒めてなどおらんわ……!」
 にらみ合う三人の殺気で、室内はピリピリしていた。
 佐東は必死に身体を動かして、にがりの側に移動する。
 上空には、にがりが入ってきたと思われる穴がぽっかり空いていた。
(オレに当たったらどうしてくれんだよ、全く……)
 苦笑いをして、佐東はほっと安堵した。
 なにはともあれ、もはや助かったものである。
「ユキコォ、それは私の得物だぞ」
「……わかっておる」
 ルドがユキコを下がらせて、前に出た。
 たったそれだけのことなのに、佐東の身体からは冷や汗が吹き返してくる。
 ルドの発している威圧感に、潰されそうだ。
 しかしにがりの方は全く表情を変えない。
 不敵な笑みも、崩れない。
「砂糖くうん。キミがとてつもなく邪魔だからさあ、とっととどっかに逃げてくれないかなあ」
「え、ええ!?」
 わずかに口を開いて出てきたのは、佐東への言葉だった。
 今まで一度しかきいたことのない、それもここに来たときと同じような台詞に、佐東は驚いて言葉を失う。
「下か上にねえ、ボクの『オトモダチ』が待機してるんだよー。ほらほら、大輔もいるから」
「いやどっちだよ! 下と上って結構な違いだよ!?」
「んふ。多分キミの選んだ方にいてくれるからさあ、お願いー」
 にがりが、数歩前に出た。
 ポケットから何かを取り出して、壁へと投げる。

ドンッ!!

 数秒して、小さな爆発をした。
「いやいやいや! にがり!? 器物破損になっちゃうよ!?」
 佐東は青ざめる。
 いくら警視総監の姪っ子だとしても、これはない。
 おそらく明日あたり、来宮市でビッグニュースになることは容易に予想できた。
 しかしにがりはけろっとした声で呟く。
「へいきだよー。ボクが警察だから。そんなことより、はやくはやく」
「いやそんなことじゃないよそれ! 警察って、何それ!!」
「後で説明するからさあ、ほんと早くしてくれな……」
 刹那、にがりの声が途切れた。
 続けざまに室内の後ろにあった壁が、壊れる。
 土煙が上がって、そうしてにがりがいないことに気がついて、佐東は思わず叫んだ。
「に、にがりいいいい!!」
 先程までにがりが立っていた場所には、ルドが立っている。
「いつまでも私相手に無駄口を叩いているからだなァ」
 手で顎をさすりながら、ルドは余裕そうな笑みを浮かべた。
 視線を佐東へと向ける。
「貴様は実に愚かだよなァ。あの娘一人で、私たち全てを相手出来ると思っているらしい、クククッ」
「ひっ!!」
 呼吸が止まりそうなほど身体が震えて、もはや立っていることもできず、佐東はその場に崩れ落ちた。
(な、なんだ、私たちって……!)
 恐怖に支配されながら、必死に思考する。
 言葉の違和感。
 ユキコだけを指す言葉にしては、ちょっとだけ大げさのような……。
「……もう、せっかちだなあ」
「おや」
 ガラガラと瓦礫をはねのけながら、にがりが姿を現わした。
 と同時に、今度はルドが反対側の壁まで飛ぶ。
 同じような衝撃で、建物全体が軋んだ。
「に、にがり……」
 佐東は目を疑った。
 にがりは、死んでもおかしくないような衝撃を受けておいて、ほぼ無傷だった。
 確かに服は汚れているものの、身体にはほとんど傷が見られない。
 そして先程と違うといえば、にがりの表情が恐ろしいほど無表情だということだった。
 普段からポーカーフェイスっぽいのではあるが、現在のにがりは本当の無表情である。何を考えているのかはわからないが、どうやら不機嫌になったようだった。
 そもそも、にがりが攻撃を受けるところなど、佐東はいまだかつて、みたことがない。
 もしかしたら、それが不快だったのかもしれない。
 ぱんぱんとコートをはらう様が、乱暴だ。
(それにしたって、骨折とかしてそうなもんなのに……)
 化け物。
 確かにそうだ、と佐東は自分の両手で自分の肩を抱いた。
 ルドよりも、ユキコよりも……。
 にがりの方が、よっぽど。
「ほら早く、砂糖くん。ボクはキミにこんな世界知って欲しくないんだ」
「え……」
 いつもとまるで違う声に、佐東は耳を疑った。
 気の抜けたようなふわっとした声ではない。
 別人が喋っているのではないか、と錯覚する。
「キミにはちゃんと普通の生活があるんだ。だから……」
「それは困る」
「!」
 にがりの言葉を遮って、再びルドが姿を現わした。
 こちらもこちらで、何故か無傷である。
「そこの人間にはこちらにいたまま、戦って貰おうかなァ」
「んふ。………断るよ」
 ギロリ。
 にがりが、ハッキリとルドを睨んだ。
 おどけるように笑いながら、ルドは両手を広げる。
「何故かなァ? 守りながら戦えば良いよなァ? おかしいなァ?」
「………」
「仲間がいるんだろう? 問題ない、呼べばいいだろう?」
 おどけて笑うルドに、にがりは押し黙る。
(なんでこいつ、無傷なんだ……? 昔にがりに、負けたって、プライドをずたずたにされたって、いってたのに……)
 佐東は言いしれぬ不安を感じていた。
 にがりの顔から不敵な笑みが消えたからか、はたまた、にがりが吹き飛ばされるシーンをみたからか。
 それとも。
 にがりの真剣な声音を、きいてしまったからか。
「安心しろ、貴様はここでは、殺さない」
 刹那、ルドが動いた。
「誰にものを言ってるのか、わかってるのかなあ」
 にがりも同時に動く。
 繰り出された長い足による蹴りを屈んで避けて、にがりはその腹めがけて右ストレートを放った。
 が、にがりの右拳に衝撃が走る。
(――堅い……!)
 拳から、肩にかけて鈍痛。
「ッう」
「♪」
 一瞬できたにがりの隙を、ルドは見逃さなかった。
 素早く空いていた膝をあげて、腹部に当てる。
「ゲホッ」
 続けざまに、その小さな頭を掴んで、下に叩き付ける。
「に、にがりいいいいい!!!」
 たまらず佐東は叫んだ。
 ほとんど絶叫に近い声は、悲鳴にも近い。
 あがる土煙の中、佐東は必死に目を見開いてにがりを探した。
 震えだし、逃げそうになる身体を必死に押さえる。
「あらあら……派手にやってんのね」
「!!」
 いつの間にか、佐東の隣には真っ赤なコートに、マスクを着けた長髪の女性が立っていた。
 佐東よりも背が高いところをみると、一七〇センチはありそうだ。
(こ、このひと、まさか……)
 にがりも気になるが、佐東にはこの女性にも思い当たる節があった。
(く、くくく、口裂け女……!?)
 こうなったらもはや何が出てきてもおかしくはない。
 どうやら、「私たち」の意味はこれだったようだった。
 よくよく見渡せば、そこらかしこに人間ではない存在がみえる。
 人体模型に、真っ白に発光する人間、浮遊する人魂……。
 いつのまにかとんでもない空間に身を置いていたようだった。
「………ぐ、う……」
「おや、まだ意識があるか」
 嘲笑うような瞳で、ルドはにがりの頭を持ち上げた。
 ようやくみつけた幼なじみの姿に、佐東はハッと息を呑む。
「に、にがり……!!」
 今度は無傷ではなかった。
 血がしたたり落ちている。
 コートも制服も、ボロボロだ。
「……逃げろって、いったのに」
 にがりは横目でちらりと佐東をみて、呟いた。
 声に元気がない。
 四肢にも力を入れていないのか、だらんとしていた。
 そんな姿に満足げな笑みを浮かべて、ルドは手に力を加えた。
「う、あ……」
 にがりの頭部が軋むような音が、初めてきくにがりの呻き声が、耳に届いて佐東は頭が真っ白になる。
 崩れ落ちて、その場に倒れる。
「恐怖に押しつぶされるとは、情けない男だねえ」
 赤いコートの女が、ふんと鼻で笑った。
 やたらとヒールの高いロングブーツで、佐東を蹴りつける。
 と同時に、にがりの身体が跳ね上がった。
「誰も負けたなんて言ってないんだけど、なあ!」
「!」
 ぐるんと回転して、ルドの腕を逆の方向に曲げた。
 それから思い切りかがと落としを、落とす。
 ルドの身体は床にたたきつけられ、土煙が舞った。
 同時にそれまで大人しかった周囲の人外たちが動き出す。
「ちっ」
 四方八方から飛び出てきた小鬼たちに、にがりは舌打ちした。
 振り上げられる棍棒やら斧やらを足で蹴り飛ばしながら、佐東へと視線を移す。
(ここじゃ、勝てないしなあ……)
 心の中で独り言を呟きながら、にがりは眉をひそめた。
 小鬼やら人魂やらがにがりを取り巻いていて、全く視界が開けないうえ、何よりも佐東が邪魔である。
 それに、襲いかかってくる軍勢の中に、赤いロングコートの女は、入ってこない。遠巻きには人体模型の男と、白く発光した男もいるが、いずれもじっとこちらを観察したままである。
 まるで、何か待っているかのような……。
「全く胸くそ悪い……」
 不機嫌そうな呟きと共に、にがりは手榴弾を投下し、ついでにもう一つ、上へと投げた。
「大輔えええええっ!」
 大きな爆発音と共に、天井が破壊された。
 瓦礫がガラガラと崩れ落ちる中、室内は騒然となる。
 最上階だったため、空いても上空が見える程度だったが、連動して建物が崩れていく。
「んなッ……何してくれるんだよ、おまえ!?」
 たまらず、人体模型の男が叫んだ。
 しかしそこに、先程までいたにがりはいない。
 続けざまにババババババという、彼らからすれば聞き慣れない、ヘリコプターの音が響いた。
「んふふ。こんなところで今、キミたちとやり合うなんてまっぴら御免なんだよ。ばいばーい」
「貴様! 逃げるのか!」
 いつの間にか佐東を脇に抱えて、にがりは屋上に空いた穴からこちらを見下ろしていた。
 ユキコが声を荒げる。
「ボクが無敵なのは、面倒な相手と戦わないからだもーん」
 ひらひらと手を振って、にがりは上空にいるヘリコプターへと跳んだ。
 が、それとほぼ同時にして。

ガシッ

 身体が、止まる。
「ッ!」
 がくんと落ちる感覚に、にがりはバッと振り返った。
 そこには、血まみれのまま、にがりの足をしっかり掴んでいるルドの姿があった。
(面倒な……!)
 蹴り落とそうにも、どうにも佐東が邪魔だ。
 一瞬も迷うことなく、舌打ちして――にがりは佐東をヘリコプターへと投げた。
「大輔ぇぇぇっ、受け取って、逃げろッ!!」
『にがり! お前どうする……にがり!!』
 拡声器による大輔の声が響き渡る。
 が、それは再び建物へと引きずり込まれた際に響いた轟音で、かき消される。
 かろうじて佐東はキャッチしたものの、にがりの姿は土煙で全く確認できなかった。
「ちっ、あの餓鬼……!」
 にがりに言われるがまま、佐東をキャッチしたスズキは、乱暴にソフィアに手渡して、下を見下ろす。
 今にも下に飛び降りていきそうなスズキに、大輔が怒鳴った。
「待て早まるなスズキ! 今すぐにがりを殺したりはしない、ここは退避する!」
「はぁ!? 何いってんだテメェ! ねぼけてんのか!」
 大輔の声に、スズキも声を荒げた。
「そりゃアイツを見捨てるっつうことじゃねえか!」
「今奴らを倒すことなど、ほぼ不可能だ! 倒せたとしても、建物が崩壊する!」
「ッ……じゃあどうするんだよ!!」
「だから今は退避する! 改めて、お礼参りに向かう!」
「……くそッ!!」
 ダンッとスズキはヘリコプターの壁を叩いた。
 わずかにヘリコプターが揺れる。
「……ん……」
 飛び交う罵声と、大きな揺れ、そしてヘリコプターの音に、佐東はようやく意識を取り戻した。
 ぼやける視界に、苦笑いでスズキをみつめるソフィアが見える。
 知り合いではなかったが、なんとなく仲間のような、味方のような気がして、佐東は視線を下へと移した。
 おそらく先程までいたと思われる建物が、土煙を立てて崩れ始めている。
「にがり、さっきの……あれ?」
 いるはずの幼なじみを捜して、佐東は再び青ざめた。
 そこに、にがりの姿はない。
「テメェ」
「!!」
 キョロキョロしていた佐東は、スズキに突如襟首を掴まれて浮かぶ。
「テメェのせいで、あの女、あの女の名前に、傷がつくんだぞッ!」
「ひ、いいいっ……!!」
 まるで鬼のような形相のスズキをみて、佐東は本日一番の恐怖を感じた。
 ソフィアもスズキも、佐東にとっては全く見知らぬ他人である。
 一体全体、どうなっているのかわからず佐東は声にならない悲鳴をあげた。
「やめいスズキ。そのぼっちゃんは何が何だかわからへんよ」
「………ちっ」
 ソフィアに促されて、スズキはパッと手を離した。
 ドサリと固い床に尻を打って、佐東は涙目になる。
 それと同時にヘリも動きだし、建物が小さくなっていった。
「………」
 スズキは開きっぱなしになっていたヘリのドアを閉めながら、にがりがいるであろう場所を見つめた。



「クックック」
「……ったた……」
 強引に引きずり下ろされ、床に再びたたき落とされたにがりは尻餅をついていた。
 目の前には、自慢げに、得意げに、ルドが立っている。
 周囲には先程とは違い、人体模型の男、発光している男、赤いコートの女、ユキコが取り囲んでいた。
(……んー……)
 腰をさすりながら、にがりは思考した。
 まだ、体力的に言うならば、ギリギリではあるものの、戦える。
 佐東も消え去ったことだし、目の前の連中を片付けることくらいはできるだろう。
 ただし。もはやすでに崩れかかっているこの廃墟で戦えば、さすがに無事では済まない。脱出を成功出来る自信も、さほどない。
 とっておきの切り札もあるが、やはり、建物は全壊するだろう。
 さて、どうするか。
 すぐにでも糖分を摂取したい衝動にかられる。
 思えば、何やかんやで糖分を摂取していない。
「おおっと、動いちゃあダメだよー」
「うわ」
 そんなことを考えていたら、いつの間にか人体模型の男がにがりを拘束しにかかっていた。
「ちょっとー、ボクそういうの嫌だなあー」
 忠告を無視して、にがりはひょいと避ける。
 が、同時に前方にいたルドが腕を掴んだ。
 続けざまにユキコの帯が揺らいで、にがりへと伸びた。
「わっ、ちょっ……ヤだってば」
 動く帯に対してにがりはひょいひょいと軽やかに避け続ける。
 ルドに片方、腕を掴まれているがために、あまり自由は効かないが、それでもなんとか避けられそうだ。
「すばしっこいやつだなあー」
「何分続くか見物だねえ」
「いいねえ、イキがよくて☆」
 不機嫌なルドとユキコとは対照的に、人体模型たちは楽しげにみつめていた。
 ニヤニヤとまるで珍獣でも見物するかのような視線に、少しだけ不快感を覚えながら、にがりは避け続ける。
 五分ほどは余裕だったが、次第に疲れてきたのか、ルドに掴まれていない方の腕が帯に捕まった。
「んっ」
 それをかわきりに、ぐるぐるとにがりの身体を巻いていった。
 ほぼ同時でルドが手を離したおかげで、にがりはバランスを崩し転倒する。
「ん、く……」
 五人に見下ろされる形となったにがりは、動けないことを確認すると、諦めたように抵抗をやめた。
「もー……別に逃げないのにぃ」
 糖分が足りないー、と先程とは打って変わった情けない声で呟いた。
 顔にも覇気がない。
 あげく、なんとなく投げやりである。
 拘束されているというのに、自分の身の心配などまるでしていないようだった。
 そんなにがりの背中をげしっとルドが踏みつける。
「いいざまだ」
「……なんかムカツク」
 しかしそんな態度に対しても、にがりはぽつりと呟くだけだった。
 それから顔をわずかにあげて、一言。
「ねえ、なんかお菓子ないの?」
 その場を沈黙が支配した。



 ほとんど建物がみえなくなってから、スズキは、目の前で小動物のように震える佐東を改めて、睨み付けた。
 佐東の方には目立った外傷がないが先程の、一瞬みえたにがりは、血まみれだった。
(……こいつ、本当に男かよ)
 口には出さずに、悪態をつく。
 スズキからすれば、男が女に守られるなどとんでもない。
 ソフィアの方は一体何を考えているのか、最近買い換えたのだというスマートフォンだかなんだかという携帯をいじっていた。
「さて、改めて作戦を説明するぞ」
 運転をシュトルツに任せたらしい大輔が、運転席から後方へと渡ってくる。
 その姿をみて、佐東が顔を上げた。
「久しぶりだが戛哉、今、お前にかまってる余裕がないんでな。挨拶は後だ。いいな」
「は、はい……」
 ぴしゃりと言い放って、大輔はスズキとソフィアに向き直る。
「この後ほとんど間髪いれず、にがりを救出に向かう。おそらく場所は旧来宮小学校だ」
「小学校? またヤツらも学校好きなヤツやなあ」
「アレはほとんどが学校の怪談話に出てくる連中だからな、仕方ない」
 ソフィアの茶化しにほとんどかまわず、大輔は壁にかけてあった銃をとった。
(……やっぱり、あいつらは怪談に出てくる存在たちだったんだ……)
 再び震えだしそうになる身体を必死に押さえる。
 幽霊も怪物も、にがりが居る限り無縁だと思っていたが、まさか自分が会うことになり、しかもにがりが捕まるとは。
 悪い夢だと思いたい気持ちでいっぱいになる。
「戛哉。キミはこのあと、周辺で下ろす。帰れ」
「!」
 大輔の言葉に、佐東は言葉を失った。
 しかしすぐに反論する。
「な……なんで、なんでですか! オレだってにがりが心配……」
「ヤツらは間違いなく、都市伝説や妖怪、怪物、怪人と呼ばれる存在だ。ヤツらにとって一番の好物、いわゆる力の源だな。それをは、てっとり早くいえば『キミ』になる」
「は?」
 大輔の思わぬ言葉に、佐東は再びフリーズした。
 いろいろなことが多すぎて頭が働かない。
 混乱しているのかもしれない。
 しかし、この言葉は何か理解へのキーになっている気がした。
「詳しくいえば、『恐怖』、『絶望』の感情だ。負の感情なんだ。キミはやたらと恐がりだから、ヤツらからすれば、キミさえいれば無敵も同然になる」
「そんな……」
 恐がりなのはコンプレックスだったが、まさかそんなハッキリと悔やむ日がくるとは思わなかった。
 ショックを受ける佐東に、スズキが追い打ちをかける。
「お前がとっとと逃げてりゃ、あの女はよゆーで勝ててるんだよ。化け物なんだからよ、あいつは」
 けっと吐き捨てるようにいった台詞に、佐東は押し黙った。
 確かにめずらしく邪魔だといわれた。
 めずらしく劣勢にみえた。
 ……その原因が、自分だというらしい。
 取り返しのつかない選択肢を選んでしまったのだと、佐東は自分の腕をきつく掴んだ。
「お前には一度も話をしたことがなかったが」
 そんな佐東を見かねてか、先程よりも幾分か優しげな声音で大輔が口を開く。
「あの子は本当に『化け物』なんだ」
 脳に直接、大きな衝撃を受けたかのように。
 佐東は呆然と大輔をみつめた。
(……え、なに、なんだって?)
 大輔の言葉を、脳内で何回も反復する。
「にがりの両親は子供に恵まれない夫婦だった。ちょっと人間にしてはありえない戦闘能力を誇る元軍人でな。そんな身体能力の代償だったのかもしれん」
 佐東は、にがりの両親を知らない。
 出会った時にはすでに大輔が保護者のようなもので、シュトルツも数回みたことがある程度だった。
 写真すら飾ってはおらず、にがりも両親の話は一切しない。
「そんな折り、怪しげな『悪魔』から提案を受けた。子供を産めるようにしてやるから、その子供を一年こちらに貸せと」
「……あの、そんな……う、うそ、う」
「もちろんそれを承諾しちまった両親は、契約を交わした。生まれてきた子は白髪で赤目で、まるでアルビノっぽかったが、劣勢な部分はほとんどない」
「……だ、大輔さ」
「強いて言えば、一年預けて帰ってきた時にはあのポーカーフェイスだったということくらいか。感情がうまく出せないっつうのかね」
「ねえ、そんな、嘘で」
「なんにせよあの子が本当に『人間』か、それすらわからない。本人も、何も言わないからな」
「う、嘘ですよね!!?」
 大輔の一通りの説明をきき終わって、佐東は声を荒げた。
 すがるような顔を大輔に向ける。
「だ、だって、にがりは普通の女の子で……」
 少なくとも、佐東の記憶にあるにがりは確かに異常なほど、この上ないほど、強かった。
 だが、彼にとってはただの、お菓子好きな女の子、という程度の認識であって、それ以上、ましてや化け物だなんて思ったことはない。
 ポーカーフェイスといえども、ちっとも笑わないわけではない。
 確かに昔はもっと無口だったが、今は違う。
 たまに得意げに笑ったりするし、切なそうな顔だってする。
 違う、違う、にがりは化け物じゃない。
 佐東は何度も、反復して自分に言い聞かせる。
「このことは、あの子には秘密だ。あの子はキミに、知られたくなかったみたいだからな」
「……俺たちにも聞こえちまってるけどな、葬儀」
 切なそうな顔をした大輔に、スズキはさらっと告げた。
 ソフィアもニヤニヤしている。
「あ。……あー、ま、いいだろ。これから仲間になるんだからよ」
 頭を掻きながらそう呟いた大輔に、ソフィアが追い打ちをかける。
「にがりちゃん怒るんとちがうー? 『大輔ぇー!!』って」
「その声真似やめろ! なんか腹立つ!!」
 似てるんだか似てないんだかとても微妙な声真似に怒鳴り散らした大輔は、シュトルツに下がるようジェスチャーした。
 ヘリコプターが、校庭へと下がっていく。
 その時になって気がついたが、辺りは真っ暗だった。
(今、一体何時なんだろう……)
 漆黒に包まれた世界に今まで全く気がつかなかった自分も一体なんなんだろう、と佐東は悲しくなりながら、次第に近づいてくる地面を見つめる。
 雲が厚くかかっているせいで、月も全くみえなかった。
「さあ下りたまえ。……ああそうだ、雨宮奈津という女がお前をとても心配していた。連絡くらいしてやれ」
「え? あ……はい」
 促されて、佐東は地面へ下りた。
 なんだか久しぶりに地面に立った気がした。
 すぐにヘリコプターは上昇を始める。
「戛哉!」
「は、はい!」
 大輔の声が響いて、帰ろうかと背を向けていた佐東は振り返った。
 空を見上げる。
 上空では、ヘリのドアを開けて、大輔が身を乗り出していた。
「にがりは三歳にして、俺と共同戦線を張れるくらい強い! だから、心配するな」
「は、はい! ……って三歳!? 三歳って……ええええ!?」
 かっこつけた口調で去っていった大輔をみつめながら、佐東はその場にへにゃへにゃと座り込んだ。
 ようやくいろいろなことからは、解放されたが全てが終わったわけではない。
 そもそもにがりは、まだ解放されていない。
 ずいぶんと前に巻き込まれたことに、しかも自分が巻き込んだようなことに、いまだ――振り回されている。
 吹いてくる風が、不意に、髪を揺らした。
「……三歳って……ほんとに、化け物じゃん……」
 ぽつり。
 呟いて、上空を見上げた。
 そこにヘリコプターの影はもうなく、まるで夢でもみていたかのような気持ちになった。
 おそらくは、超特急で場所に向かったのだろう。
 そんなことは、わかっているつもりだ。
 何気なく、手首をさする。
 その細い手首には、間違いなく現実だったのだと証明する、赤い縄の痕がくっきり残っていた。



「おい葬儀」
 揺れるヘリコプターの中、操縦席に戻った大輔に、シュトルツが声をかける。
「んー? なに、シュトルツ」
 操縦桿を握りながら、大輔はサングラスをかけた。
 シートベルトをしめながら前を見据えて、返答する。
「先の話、本当か」
「………」
 数秒の沈黙。
 サングラスでその表情は全く伺えない。
 不意に、ヘリコプターが揺れて速度があがった。
 後方からスズキとソフィアがガタガタする音が聞こえてくる。
 前方は相変わらず漆黒の空で、下をみれば少しだけ光がみえた。
「本当だ」
 沈黙をやぶって、大輔は口を開いた。
 その一言で、シュトルツがぴくりと反応する。
「……そうか」
 何かを納得したかのように返答して、シュトルツは眉をひそめた。
 彼にも先程の話は聞こえていた。
 そして、その話は自らの実家――魔界でも、聞いていた。
 決して浮かび上がってこない、水面下の企みではあるものの、その話は半信半疑状態ではあるものの、わりと有名になりつつある話だ。
(まさかそれが……あの娘だったとは)
 ぎゅ、と操縦桿を握る力が強くなる。
(だとすればコレは、きっと序章に過ぎない。――これからもっと、大変なことになっていく……)
 前方を見つめる目が一層険しくなって、大輔がぽんと肩を叩いた。
 思わず目を見開いて、大輔に振り返る。
「ま、あんまり重く考えなくていいって。現状に対処することだけ、ひとまずは考えよう」
「……御意」
「お前なあ……」
 呆れ顔で笑う大輔。
 そんな顔をみながら、シュトルツは心の中で苦笑した。
(こんな保護者がついていたから、『最悪の事態』は招かれなかったのかもしれない)
 ようやく前方に目標地点がみえてきた。
 操縦桿で高度を落とす。
 それにともなって、大輔が口角をあげた。
「準備しろ! ……ここからは盛大な宴の始まりだ」
 言いながら大輔は腕時計で時刻を確認した。
 時刻は午後二時。
 世間で言う、丑三つ時。
「お礼参りといこうじゃねーか」
 いつの間にかすぐ後ろにいたスズキが、不敵な笑みを浮かべて、不釣り合いな刀を携えて――呟いた。
 
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