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第一章「とある雪の日の邂逅」

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「いやあ、ほんっと変わらないね阿久津って! ザ・男て感じ!」


 キャハハと笑いながら、目の前で笑う女をじっと見る。 
 日和幽々子(ひより ゆゆこ)。
 高校時代に一か月か二か月くらい付き合って、その後幽々子が転校したのを機に自然消滅した。
 おかげさまであまり印象はない。
 なんで転校していったのかとか、そういうことすら覚えていない。

(だけど、まあ)

 この賑やかで面倒な感じは、『幽々子だ』という感じがした。
 どういうきっかけで付き合ったのかすら覚えていないが、この感じには間違いなく覚えがある。
 ていうかなんだよ、『ザ・男』て。


「……どういう関係なんだい、阿久津くん」


 じろり。
 隣からじとっとした視線が飛んでくる。ユキさんである。


「どうって……元カノ」

「そう! そうです、私が元カノで~す!」


 会話に割り込むように、幽々子は元気よく挙手をした。
 真っ黒だったはずの髪の毛は青色に染まっていて、かつて可愛らしいローファーが履かれていた足には分厚く凶悪なヒールがある。


「むしろそっちはどういう関係なの? おトモダチ?」


 左右対称のおかっぱ髪を揺らして、幽々子が小首を傾げた。
 その視線の先には、ユキさんが在る。


「俺たちは……」


 言葉に詰まる。
 どういっていいのかわからなかった。
 この関係には、一年もの間、名前はつかなかった。
 ユキさんは俺のことを眷属として扱うし、俺もそれに従っている。
 だったら主従関係なのか、といわれるとそうではない気がした。
 義務だから従っている、というよりは。
 これがラクだから、こうしている、というような。


「僕は七々扇雪成。しがない画家だよ。阿久津くんは、僕の助手みたいなものなんだ」

「助手」


 幽々子の視線が、今度は俺に向く。
 本当かどうか疑うような視線だった。


「あの暴れ馬な阿久津くんが、画家さんの、助手」

「……悪いかよ」

「悪くはないけど、ヘンな感じ」


 そりゃそうだ。俺だってそうなのだから。


「でも信じちゃう。私、素直でイイコなので!」


 えへん! と幽々子は胸を張った。その平らな胸を。
 そういう意味では、成長というものをあまりしなかったようだ。
 彼女の鞄からは、牛乳や豆乳と言った乳製品が見え隠れしている。
 もしかしたら気にしているのかもしれなかった。


「……でも、そっか。阿久津くん、忙しいんだねえ、そしたら」

「?」

「ああ、ううん。こっちのハナシ!」


 ほどなくして、耳をつんざくような地下鉄の音が聞こえてきた。
 どうやらどちら側かわからないが、列車が来たらしい。
 あの空気の抜けるような甲高い音に、幽々子は「あ!」と声をあげた。


「やば! 私、あれに乗らなきゃなの、ごめんね!」

「お、おい」


 階段を途中からジャンプ。
 見事な着地を決めて、幽々子は走っていった。
 すぐに彼女の体はみえなくなる。
 その背中を呼び止めたのは、どういうわけか、ユキさんだった。


「っ! キミ、待って!」


 声は返ってこない。
 もう聞こえてないのかもしれなかった。


「阿久津くん、あの子、捕まえて!」

「え?」


 ユキさんは俺の荷物を奪い取ると、その群青色の羽織りの中に放り込んだ。
 内側が亜空間とでも繋がっているのか、荷物は跡形もなく消え去ってしまった。
 そうして、その小柄な体が俺に飛びついた。
 まるで乗り物の気分だ。


「いいから! とにかく、あの子を追いかけて!」


 いわれるがまま、俺も幽々子と同じように飛ぶ。
 思いのほか衝撃は少なかった。そのまま次の階段も上から飛び降りると、真下で人間たちが「えっ」という顔をして俺を見上げていた。
 しかし構っている余裕はない。


「幽々子!」


 今まさに電車に飛び乗ろうとしているその体を呼び止める。
 ユキさんが俺の頭の横から、彼女に向かって手を伸ばした。


「へ?」


 幽々子の体が、通路側に傾く。
 まさにその瞬間。



ガンッ



 口をぱっかりと開けていた乗り降り口のドアが、勢いよく閉まった。
 滑り込もうとした幽々子の鞄がそのドアに押しつぶされる。牛乳パックと、豆乳のパックが勢いよく潰れて、辺りに噴出した。


「な、に、これ」


 まるで幽々子の体を真っ二つにするかのような勢いだった。
 もしそのまま滑り込んでいれば。……いれば。
 ほどなくして、ずるずると、幽々子の体が床に崩れ落ちた。


「どうなってんだ、これ」


 ドアは、狂ったように開閉を繰り返していた。
 慌てて駅員が飛んでくる。静まり返っていたホームが阿鼻叫喚に代わって、辺りは騒然となった。
 そりゃそうだ。何しろ他のドアはなんともなくて、そのドアだけがそうなっているのだ。
 乗ったままの乗客たちも、次第にその顔色を真っ青にして、じりじりと他の車両に移動し始めた。
 一人が別の乗降口から降りると、それにつられたように、人がどんどんと降りていく。
 ドアの前で尻餅をつく幽々子の腕をつかんで、立ち上がらせると彼女の瞳がこちらを向いた。


「阿久津……」


 涙目だった。
 そりゃそうだろう。どれだけ怖い思いをしたかわからない。
 彼女へと伸ばした手は、ユキさんの声で止まった。


「阿久津くん、彼女をつかんで」


 頭へと伸ばしていた手が、予定変更。
 幽々子の腹に腕を回す。


「とりあえずこのまま上へあがろう。ここはまだ『危険』だ」

「了解」

「えっ、えっ」


 幽々子は多少戸惑っていたようだが、されるがままだった。
 まるで誘拐犯だ。
 けれど野次馬たちは開閉し続けるドアの登場でそれどころではない。
 その騒ぎに紛れるようにして、俺はユキさんと幽々子を担ぎ上げ、階段を駆け上がった。
 その間もずっと、狂ったように開閉するガンッガンッという音は響いたままだった。
 音から逃げるように地上へ出る。


「よし、飛ぶよ。しっかり掴んでくれ」


 空を仰いで、ユキさんはコートから箒を取り出した。


「こんな町の中から飛ぶのか!? 正気かよ!」

「こうでもしなきゃ『追ってくる』だろう。いいから、いくよ!」


 ユキさんの言葉をきいて、俺はハッと背後を振り返った。
 しかしそこには何もいない。
 ただ茫然とこちらを見上げる人間たちが、小さくなっていくだけだ。
 一体何が『追ってくる』というのだろう。
 もしかして、ユキさんには何か見えていたのだろうか。


「……すごぉい……」


 ほどなくして、俺に担がれたままの幽々子が声をあげた。
 眼下に広がる町のジオラマに、見とれているようだった。

(まあ、俺もそうだったし)

 空を飛ぶ、というのはきっと人類の夢なのだ。
 もちろん飛行機で飛ぶ、とか、そういうのじゃない。
 箒一つで飛ぶ、というのが、ロマンなのだ。


「画家って、飛べるんだ……」


 思わず落としそうになった。
 そんなわけねえだろ。アホ幽々子め。

 
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