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4章
元気でな、ブル
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イグ・アの王との話し合いが一段落すると、日付けが変わりそうな時間になっていた。
湖の中にあるこの神殿からは、月のような衛星も星も見えはしなかったが、スキルを持つ者はステータス画面から時刻を確認することはできた。
俺達が街へ帰宅しようとすると、一泊ぐらいしていけば良いと、スオウが引き留めくれた。
息子であるスオルムと積もる話もあるのだろう。
本当であれば泊まりたいところだが、夜闇に紛れて帰宅した方が安全だからと、俺は相手の気分を害さないように丁重に断りを入れた。
もし俺が戦争を仕掛ける側であれば、イグ・ア達が世闇に乗じて逃げ出さないかを警戒する。
水の中へと潜る前に、空から前哨基地や湖の周りをあらかた確認してはいたが、用心するにこしたことはなかった。
「それなら、俺が送って行こう。」
そう言ってくれたのは、王様の兄にあたるダヴェドだった。
なんだかんだで甥のスオルムのことが心配なのだろう。
イグ・ア最強の男が見送ってくれるのは心強かった。
来る時には出会わなかったが、湖には魔物がいるだろうし、目と鼻の先にある前哨基地はやはり気になる。
もふもふに乗るまでは、周囲を見渡す目は多いほうが良かった。
「帰る前にスオルムちゃんにも、私のスキルを授けてあげるね。ダヴェドと同じように使命を果たしたんだもん。アナタは褒美を貰う資格があると思うのよね。」
名前が一緒だなあとは思っていたものの、まさかこの精霊が道具袋の作成者だとは思わなかった。
恐らく喋り方がフランク過ぎるのが原因だろう。
あんな便利なスキルを作れるような凄い精霊には、とてもじゃないが見えない。
「リアンノン様、感謝いたします。」
スオルムが頭を下げると、リアンノンはムフーと満足気に頷いた。
恐らくスオルムは、精霊であるリアンノンを本気で敬っている。
それがわかっているからこそ、精霊はあれだけ口元を緩ませてニヨニヨしていた。
裏表のないリアンノンと真面目なイグ・アは相性が良いかもしれない。
スキルの授与は、割と呆気なく終わった。
えいと精霊が指を振ると、その瞬間にはスオルムにリアンノンの道具袋のスキルが付与されていた。
せっかくなので、俺は預かっていた大楯をスオルムに渡すことにした。
盾のしまいかたを通して、スオルムに道具袋の使い方を覚えてもらおうと思ったのだ。
「それではまた近いうちに。」
「ええ、お会いできるのを楽しみにしています。スオルムも頑張るのだぞ。」
「はい、父上。父上もお体に気をつけて。」
「御三方とも、どうかお気をつけて、お帰りください。」
スオウとカネクアアナに挨拶した俺たちは、変身の魔法でスオルムになりすまし、来た時よりも静かになった神殿を後にした。
寝ているイグ・ア達を起こさないように、物音を立てずに神殿を出た俺たちは、湖のほとりにまで戻って来ていた。
草木も眠る丑三つ時になるにはまだ早いが、魔物も眠りについているのか、辺りはとても静かだった。
「何か・・・・・・妙だな。」
俺、というよりも今は変身しているからスオルムの肉体ではあったが、彼の感じとれない何かを感じたのか、ダヴェドが周囲を警戒し始めた。
俺も変身を解いて、デブロフンディスの目で辺りを観察しようかとも思ったが、イグ・ア達と交流している所を見られたくなくて、結局、変身を解くことはしなかった。
「いったん水の中に戻りますか?」
俺の提案に対して、そうだなと頷いたダヴェドは陸に背を向けて湖の中へ戻ろうとした。
その瞬間、俺は偶然見てしまった。
人と同じくらいの大きさの斧が、ダヴェドに向かって放たれるのを。
「危ない!」
咄嗟にダヴェドを突き飛ばすと、俺の体は腰のあたりから真っ二つに切り離された。
「ぎゃー、力也ちゃんが真っ二つにー。」
リアンノンの叫びが湖に木霊した時、変身魔法の効果が切れて、五体満足の人間のおっさんの姿があらわになった。
「あっぶね。変身魔法がかかって無かったら即死だった。黒き海の果て、災禍の旅路・・・・・・」
軽口を叩いた後に、俺はすぐさま詠唱を開始した。
防御系のスキルを使っていなかったとはいえ、レベル52のイグ・アを真っ二つにしてしまえる火力。
それは明らかに、格上の人間の力だった。
そんな相手に狙われているのであれば、はなから全力でことにあたらなければならない。
「・・・・・・真っ二つにされても死なねえのか。」
もふもふを召喚するのとほぼ同時に、湖の対面にある森の中から、ノシノシと大男が歩いて来た。
ブルのように恵まれた巨躯を覆うのは、シグルドやガドの着ている服と同じ材質の薄い布が2枚。
一つは股間を覆うための褌に、もう一つは古代ローマで着られていたエクソミスという服のように、右肩を露出させて布を上半身に巻きつけていた。
俺は露出した部分から胸板に、思わず目が離せなくなりそうだった。
慌てて違う場所を見ようとすると、大男の顔が視界に入ってくる。
前哨基地で見かけた時には見えなかったが、鼻のあたりにまっすぐな傷があり、ワイルドな髭を生やしていた。
「それ以上近づくな。」
大男との距離が10メートルほどの距離で、ブルが剣を抜きながら男に警告を発した。
男の視線がチラリともふもふに向かい、意外にもそのままその場で立ち止まった。
もふもふは大男を威嚇するかのように、バチバチと電気を起こしていた。
「ちょっと、アンタ!私のフィアンセに何してくれんのよ!レベルが高いからって、調子に乗ってんじゃないわよ!」
スオルムの構えた大楯の影に隠れながら、リアンノンが半裸の大男に悪態をついた。
そんなことをしている暇があるならバフの一つでもかけて欲しいと思ってしまったが、これはこれで時間稼ぎになっているかもしれないと思い直した。
「数多の英雄の養育者にして、半人半馬の賢者よ。我はいま学び舎の門戸を叩き、あまねく神々の教えを乞い願う・・・・・・」
俺が次の魔法を詠唱し始めると、オルフは露骨に顔をしかめてみせた。
普通の人間なら震え上がるような形相でも、ゲイである俺には通用しない。
まあ、不覚にもちょっとカッコいいなとは思ってしまったが、オルフが求めていた反応にはならなかった。
「おい、そこのお前。鬱陶しいから魔法を唱えんの止めろ。」
業を煮やしたオルフが怒鳴り声を上げたことで、俺はようやく<威圧>というスキルを受けていたことに気がついた。
流石に馬鹿でかい音量にはびっくりしたが、それだけで萎縮するほど俺は若くはない。
「あ?先に手を出したのはテメェだろ?ダヴェドがスキル持ち、いや、この中で一番レベルが高いってわかっててヤリに来てたよな?」
詠唱中で喋れない俺の代わりに、ダヴェドに悪態を吐いてくれたのはブルだった。
ブルの指摘に驚いたのか、オルフはまっすぐに自分と同じくらいの体格の男を見つめた。
「はっ、よくわかったな。最初に狙うなら、お前からにすべきだったぜ。いや、変身してたんだったな。・・・・・・ま、俺は人間じゃねえから、お前らを殺そうが、お国からのお咎め無しだ。なら、最初に一番強そうなのをやるべきだろ?」
「……俺なら一番めんどくさそうなのを狙うけどな。で、人間じゃねえってのはどういう話だ?おまえはどっからどう見ても人間だろ?」
「そういった情報は看破しづらいからな。教えてやろう。俺は誘者の子孫だ。つまり、人間を超越した存在ってわけだ。」
「それって要は、自前でレベルを上げられるってことでしょ?他人を限界突破できなゃ、精霊に認められた人間とそんなに差はないと思うんだけど。そんな理由で私のフィアンセを攻撃するとか、アンタ馬鹿なんじゃない?」
「はっ、神の器となった勇者の子孫に対して、貴様ら羽虫は敬意を持てないのか?」
「げ、どうしてそれを・・・・・・。」
リアンノンはバツが悪そうに顔をしかめたが、俺としては勇者の子孫がいることに驚いた。
精霊と人間の間に人間の子供は生まれないという話だったが、勇者と人間の子供は成長限界の無い人間が生まれるらしい。
「この世界にはルールがある。世界には神が必要で、神には器が必要だ。この戦争も同じだ。世界にはヌシがいて、倒せば領土得られる。なら、俺はヌシを狩るだけだ。……この国には栄えてもらわねえと、器になったじっちゃんに顔向けできねえからな。」
大男はルールという言葉に、縛られているようだった。
信心深いのか、それとも合理的なのか。
神の必要性を理解しているが故に、神が祖父を器にした理由が必要だったというところか。
「繁栄ならイグ・アと一緒でもできるはずだ。俺がスオルムにスキルを与えたように、イグ・アだって人間になれるんだ。」
これでは説得できないとわかりつつも、俺は声をかけずにはいられなかった。
ルールの隙間を見つけることができれば分かり合える。
そんな気がしたからだ。
「最初に言ったはずだ。俺は人間を超越した存在だとな。はなから、イグ・アが人間かどうかなんて関係ねえ。ヌシは殺す、邪魔をするならお前らも殺す。さあ、おしゃべりは終わりだ。王国の礎になりやがれ!」
怒声と共に踏み込もうとしたオルフの出鼻を、一の太刀で急速に接近したブルの刀が挫いた。
首を狙った一撃に目を見開いたオルフは、紙一重で身をかわして、こちらに向かってくる。
「うぐっ、盾を抜けおったか。」
盾を構えていたスオルムが突然膝をついた。
買ったばかりの大楯に穴が空いている。
俺が視認できない速度で、どうやら短剣が放たれていたらしい。
「俺の甥っ子に手を出すんじゃねえ!」
オルフが投げてくる短剣をさばきながら、ダヴェドがブルに加勢した。
高レベルの前衛同士の戦いはあまりにも動きが早く、俺の目では動きを追うことができなかった。
援護をするにしても、がむしゃらに攻撃をするわけにはいかないので、貯めていたステータスをDEXに振り分けた。
DEXは命中率や回避に影響するパラメータである。
35ポイントあるポイントを半分以上振り分けると、ようやく、オルフやふたりの動きが見えてきた。
番狂せ(ジャイアントキリング)の効果が発動しているのか、ブルは確実にオルフの攻撃を受け流していた。
ダヴェドは盾でオルフの攻撃を防いでいたが、オルフの攻撃を受けるたびに、少しずつダメージが蓄積していっていた。
リアンノンが必死に回復しているが、長く持つとは到底思えなかった。
スオルムにハマオの薬を飲ませた俺は、第二の手で二人を守りながら攻撃の機会を伺った。
本当ならもふもふの雷撃を落としてやりたかったが、前衛ふたりが隙を作らなければ雷撃すらも避けそうな気がした。
「<我竜・岩砕脚>」
四股を踏むようにオルフが大地を踏みしめると、地面が割れ地震のように周囲が震えた。
「剣神流、第六の太刀<鳥の舞、巣立ち>」
地面にいては身動きがとれなくなると考えたブルは、空気を蹴って空中に浮かびながら攻撃をするという神技をやってのけた。
しかしダヴェドは何の対抗手段もなかったのか、地面の揺れに足を取られて、身動きが取れなくなってしまう。
「<我竜・正拳>」
オルフの正拳突きがダヴェドを捉えた。
咄嗟に盾を構えて直撃は避けたが、腕があらぬ方向へ折れるのが見えた。
地震で足の踏ん張りもきかずに、湖に向かって吹き飛ばされる。
「もふもふ!」
湖に落ちる前に俺はもふもふをダヴェドの回収に行かせた。
好奇とばかりに踏み込もうとするオルフへ俺は矢を放つ。
「当たんねえよ。」
俺の攻撃を嘲笑ったオルフの顔が、爆風で横に吹き飛んだ。
爆発で生じた煙が夜風に流されると、怒りに顔を歪ませたオルフの顔がそこから現れる。
「テメェ・・・・・・。」
まさかダメージを食らうとは思っていなかったのだろう。
格下の相手にいっぱい食わされたという事実で頭に血がのぼり、オルフの敵視は全て俺に向けられた。
「火はK(ケン)によって生ず。」
俺の矢尻には、K(ケン)という血文字が刻まれていた。
挑発するように何度も矢を放つと、オルフは雄叫びをあげて俺に向かってきた。
その隙をブルが見逃すはずが無かった。
「ぐあっ。」
紙一重で心臓は避けたようだが、ブルの参の太刀がダヴェドの体内を貫いた。
「くそっ、動かねえ。」
確実に仕留めたと思ったが、体内に刺さった刀を、ダヴェドは握りしめて離さなかった。
「くそが、結構やるじゃねえか。レベル差が無かったら負けてたのは俺の方だったな。だがな!」
刀を掴んだ手とは反対の手に、一本の長い槍が生まれた。
デブロフンディスの目を通すと、その槍の説明がテキストとして表示される。
異世界ユグドラシルの主神が使う武器のレプリカ
そのテキストを読んだ途端、俺は恐怖のあまりYと刻まれた印石を自分の目の前に大量に放り投げた。
ユグドラシルというのは北欧神話に出てくる世界樹のことである。
そこに住むオーディンが使う武器はあまりに有名で、ゲームなどでも良く出てきた。
あまりにチート過ぎて、ゲーム上でその効果が再現されていることは少ないが、神話において、その槍は必中の効果を持っていた。
つまり俺は今、絶対に回避不可能な格上の人間の攻撃を受けようとしているということになる。
「バースに与えられた俺の固有スキルは、異世界の神造武器を具現化するというもの!必中の槍をくらうがいい。グングニル!!」
オルフは頭上に槍を軽く投げただけだが、その槍はすぐさま矛先を変えてミサイルのように向かって落ちてきた。
ダヴェドを救出したもふもふが電磁バリアのようなものを展開してくれたが、そんなものはきかないとばかりにやすやすと突破してくる。
俺が張った障壁はオーディンに所縁(ゆかり)のあるルーン文字の力によって作られているので、ワンチャン防げるのではないかとも思ったが如何せんレベル差がありすぎた。
何重にも張った障壁は意図も容易く割られてしまい、ついに槍の先端が俺の心臓へと迫った。
「……がふっ。」
痛みはいつまで経ってもやってこなかった。
何故なら口から大量に血を吐いたのは、俺ではなかったからだ。
「……ブル。」
俺が声をかけても、大男はいつものように挑発的な返事を返してくれなかった。
ただ無言で自分に向かって倒れてくる大男を、俺は足元を少しふらつかせながらもなんとか支えた。
ブルが身を呈して、俺を守ってくれていた。
静かに地面に寝かせて患部を見ると、スキルのせいでブルの状態がすぐに分かってしまった。
「おおおぉっー!」
叫びながらオルフに向かって行ったのは、ハマオの薬である程度回復したスオルムだった。
「<ドラゴンスケイル>」
殴られても、殴られても、スオルムはオルフに掴みかかるのをやめなかった。
ブルが回復をする時間を作ってくれようとしているのだろう。
気持ちはありがたかったが、そんな必要はなかった。
「動きを封じろ、デブロフンディス!」
第二の手に全魔力を投入し、俺はオルフを拘束することだけに全神経を投入した。
ブルがつけた傷とスオルムの猛攻により、オルフを捕まえるのはそれほど難しくなかった。
「はっ、こんなもん、すぐに抜け出してやるよ。」
オルフが暴れる度に、ガリガリと魔力が削られていくのがわかった。
俺は呪文を唱えながらオルフに近づき、ブルがつけた傷に指を入れた。
「<カルキノス>」
これは人間には使うまいと思っていたが、俺は自分の感情を抑えられなかった。
俺が魔法を完成させると、ルーンを書くのにつけた傷口から紫色の毒が流れ出た。
その毒がオルフの体中を巡り、大男は痛みのあまり絶叫する。
何せこの毒はヘラクレスを始めとする数多の神性を死に追いやったヒュドラの毒だ。
自己治癒能力の高い高レベルの傭兵だろうと、さぞ効くことだろう。
「お前は一生そうやって苦しんでいろ。もふもふ、うっせえから、こいつを前哨基地まで送ってやれ。」
体を折り曲げてゴロゴロと転がるオルフを無視して、俺はブルのもとにかけよった。
「力也ちゃん。あのね・・・・・・私の回復魔法でも・・・・・・ブルさんは・・・・・・。」
「ああ、もう死んでる。」
口から言葉を吐き出すと、急に涙が出てきた。
今はのきわに言葉を交わす間もなく、ブルは既に事切れていた。
「・・・・・・すまない。・・・・・・すまない。」
ボロボロになり、ふらつきながらも、スオルムはブルに近づき、その亡骸に謝罪した。
イグ・アと人の戦争に巻き込んでしまったのは、自分のせいだと考えているのだろう。
俺は今でもイグ・アが人間だと考えているし、悪いのはスオルムではない。
「なあ、ブル。お前にはゴートがいるだろう?どうして俺を守ってくれたんだ?」
問いを投げかけても、相手は俺に答えをくれなかった。
何故かほっとしたような顔を浮かべている男の顔に、ぱつりぽつりと涙が落ちた。
「俺は本当に・・・・・・お前のことが好きなんだ。お前無しじゃ、俺は・・・・・・生きていけない。」
今まで感じたことのない程の悲しみで、胸が引き裂かれそうだった。
ゲイとして生まれ、長年自分の本心を押し殺して生きていただけに、こんなにも膨らんでしまった感情をどこにしまえばいいのか、俺にはわからなかった。
「スオルム、ごめん。イグ・ア達を助けてあげられなくなった。」
涙を拭いながら、俺はそう宣言した。
スオルムはその意味を考え、慎重に言葉を返す。
「しかし、それでは・・・・・・ブルが死んだ意味が、無意味なものになってしまうのではないか?」
「いや、そういうことじゃない。俺は、この世界に居られなくなるから……だから、助けてあげられなくなるって話さ。」
「それは、どういう意味だ?力也、何をする気だ!」
スオルムが初めて、俺のことを呼び捨てにしてくれた。
それが嬉しくて、俺の胸の痛みが少しだけ和らいだ。
「スオルム、短い時間だったけど。俺に愛を注いでくれて、ありがとう。」
そう言って俺はスオルムの口にキスをした。
スオルムは訳がわからず、俺の行動を見守っている。
俺が持つゾディアックの断章という魔法書は、王道十二星座にちなんだ魔法が記されていた。
ふたご座という星座にはこういう神話がある。
不死の力を持たぬ双子の兄が死んだ時、双子の弟は自分の不死を分かち合うことを大神に願った。
この魔法は恐らく、その神話がもとになっているのだろう。
「俺に与えられた加護と、俺がこの世界にいる資格を、あるべき場所へお返しします。その代わりどうか、俺が愛する男を生き返らせてください。」
俺は少しも躊躇いもせずに、<ポルックス>の魔法を起動した。
するとすぐさま体が光に包まれ、この世界から切り離される、そんな感覚を感じ始めた。
「元気でな、ブル。」
そう言って俺は、愛する男の唇に自分の唇を重ねた。
グングニルに貫かれた傷が治り始め、青ざめたブルの顔に血の気が戻った。
このまま最後まで見届けたかったが、どうやら時間が来てしまったようだ。
こうして俺は、レフュジアという異世界から、日本へと戻って来た。
異世界に行っていた10日前後の時間は、元の世界でも同様に過ぎ去っていた。
都会で一人暮らしをしていると、10日程度家を離れたところで、誰も気にもとめやしない。
だから警察沙汰などにはなっていなかったのだが、長期間無断欠勤をしてしまったということだけは、会社に理由を説明しなければならなかった。
異世界に行って戻って来たなどと言っても誰も信じないので、俺は駄目もとで、休み中に山で遭難しましたという報告をした。
日頃の勤務態度やたまりにたまっていた有給を考慮され、会社からはこれといったお咎めもなく、俺は職場へと復帰した。
これでもし職を失っていたら、再就職とか色々とめんどくさかっただろうが、日本に戻り、数日も経ってしまうと、俺は以前と変わらない日常を過ごしていた。
「ブルとスオルムは、今頃どうしてるかな。」
休みの日など、暇な時間ができると、ふたりのことを思い返すことがたびたびあった。
その度に俺は、SNSやニュースサイトで、デブロフンディスの痕跡を辿った。
退屈な日常に戻ってしまったが、俺はまだふたりのことを諦めたわけではなかった。
一度行けたのなら、もう一度あの場所へ行くこともできるのではないか。
そう考えて、俺は今も、日本で探索者をしている。
湖の中にあるこの神殿からは、月のような衛星も星も見えはしなかったが、スキルを持つ者はステータス画面から時刻を確認することはできた。
俺達が街へ帰宅しようとすると、一泊ぐらいしていけば良いと、スオウが引き留めくれた。
息子であるスオルムと積もる話もあるのだろう。
本当であれば泊まりたいところだが、夜闇に紛れて帰宅した方が安全だからと、俺は相手の気分を害さないように丁重に断りを入れた。
もし俺が戦争を仕掛ける側であれば、イグ・ア達が世闇に乗じて逃げ出さないかを警戒する。
水の中へと潜る前に、空から前哨基地や湖の周りをあらかた確認してはいたが、用心するにこしたことはなかった。
「それなら、俺が送って行こう。」
そう言ってくれたのは、王様の兄にあたるダヴェドだった。
なんだかんだで甥のスオルムのことが心配なのだろう。
イグ・ア最強の男が見送ってくれるのは心強かった。
来る時には出会わなかったが、湖には魔物がいるだろうし、目と鼻の先にある前哨基地はやはり気になる。
もふもふに乗るまでは、周囲を見渡す目は多いほうが良かった。
「帰る前にスオルムちゃんにも、私のスキルを授けてあげるね。ダヴェドと同じように使命を果たしたんだもん。アナタは褒美を貰う資格があると思うのよね。」
名前が一緒だなあとは思っていたものの、まさかこの精霊が道具袋の作成者だとは思わなかった。
恐らく喋り方がフランク過ぎるのが原因だろう。
あんな便利なスキルを作れるような凄い精霊には、とてもじゃないが見えない。
「リアンノン様、感謝いたします。」
スオルムが頭を下げると、リアンノンはムフーと満足気に頷いた。
恐らくスオルムは、精霊であるリアンノンを本気で敬っている。
それがわかっているからこそ、精霊はあれだけ口元を緩ませてニヨニヨしていた。
裏表のないリアンノンと真面目なイグ・アは相性が良いかもしれない。
スキルの授与は、割と呆気なく終わった。
えいと精霊が指を振ると、その瞬間にはスオルムにリアンノンの道具袋のスキルが付与されていた。
せっかくなので、俺は預かっていた大楯をスオルムに渡すことにした。
盾のしまいかたを通して、スオルムに道具袋の使い方を覚えてもらおうと思ったのだ。
「それではまた近いうちに。」
「ええ、お会いできるのを楽しみにしています。スオルムも頑張るのだぞ。」
「はい、父上。父上もお体に気をつけて。」
「御三方とも、どうかお気をつけて、お帰りください。」
スオウとカネクアアナに挨拶した俺たちは、変身の魔法でスオルムになりすまし、来た時よりも静かになった神殿を後にした。
寝ているイグ・ア達を起こさないように、物音を立てずに神殿を出た俺たちは、湖のほとりにまで戻って来ていた。
草木も眠る丑三つ時になるにはまだ早いが、魔物も眠りについているのか、辺りはとても静かだった。
「何か・・・・・・妙だな。」
俺、というよりも今は変身しているからスオルムの肉体ではあったが、彼の感じとれない何かを感じたのか、ダヴェドが周囲を警戒し始めた。
俺も変身を解いて、デブロフンディスの目で辺りを観察しようかとも思ったが、イグ・ア達と交流している所を見られたくなくて、結局、変身を解くことはしなかった。
「いったん水の中に戻りますか?」
俺の提案に対して、そうだなと頷いたダヴェドは陸に背を向けて湖の中へ戻ろうとした。
その瞬間、俺は偶然見てしまった。
人と同じくらいの大きさの斧が、ダヴェドに向かって放たれるのを。
「危ない!」
咄嗟にダヴェドを突き飛ばすと、俺の体は腰のあたりから真っ二つに切り離された。
「ぎゃー、力也ちゃんが真っ二つにー。」
リアンノンの叫びが湖に木霊した時、変身魔法の効果が切れて、五体満足の人間のおっさんの姿があらわになった。
「あっぶね。変身魔法がかかって無かったら即死だった。黒き海の果て、災禍の旅路・・・・・・」
軽口を叩いた後に、俺はすぐさま詠唱を開始した。
防御系のスキルを使っていなかったとはいえ、レベル52のイグ・アを真っ二つにしてしまえる火力。
それは明らかに、格上の人間の力だった。
そんな相手に狙われているのであれば、はなから全力でことにあたらなければならない。
「・・・・・・真っ二つにされても死なねえのか。」
もふもふを召喚するのとほぼ同時に、湖の対面にある森の中から、ノシノシと大男が歩いて来た。
ブルのように恵まれた巨躯を覆うのは、シグルドやガドの着ている服と同じ材質の薄い布が2枚。
一つは股間を覆うための褌に、もう一つは古代ローマで着られていたエクソミスという服のように、右肩を露出させて布を上半身に巻きつけていた。
俺は露出した部分から胸板に、思わず目が離せなくなりそうだった。
慌てて違う場所を見ようとすると、大男の顔が視界に入ってくる。
前哨基地で見かけた時には見えなかったが、鼻のあたりにまっすぐな傷があり、ワイルドな髭を生やしていた。
「それ以上近づくな。」
大男との距離が10メートルほどの距離で、ブルが剣を抜きながら男に警告を発した。
男の視線がチラリともふもふに向かい、意外にもそのままその場で立ち止まった。
もふもふは大男を威嚇するかのように、バチバチと電気を起こしていた。
「ちょっと、アンタ!私のフィアンセに何してくれんのよ!レベルが高いからって、調子に乗ってんじゃないわよ!」
スオルムの構えた大楯の影に隠れながら、リアンノンが半裸の大男に悪態をついた。
そんなことをしている暇があるならバフの一つでもかけて欲しいと思ってしまったが、これはこれで時間稼ぎになっているかもしれないと思い直した。
「数多の英雄の養育者にして、半人半馬の賢者よ。我はいま学び舎の門戸を叩き、あまねく神々の教えを乞い願う・・・・・・」
俺が次の魔法を詠唱し始めると、オルフは露骨に顔をしかめてみせた。
普通の人間なら震え上がるような形相でも、ゲイである俺には通用しない。
まあ、不覚にもちょっとカッコいいなとは思ってしまったが、オルフが求めていた反応にはならなかった。
「おい、そこのお前。鬱陶しいから魔法を唱えんの止めろ。」
業を煮やしたオルフが怒鳴り声を上げたことで、俺はようやく<威圧>というスキルを受けていたことに気がついた。
流石に馬鹿でかい音量にはびっくりしたが、それだけで萎縮するほど俺は若くはない。
「あ?先に手を出したのはテメェだろ?ダヴェドがスキル持ち、いや、この中で一番レベルが高いってわかっててヤリに来てたよな?」
詠唱中で喋れない俺の代わりに、ダヴェドに悪態を吐いてくれたのはブルだった。
ブルの指摘に驚いたのか、オルフはまっすぐに自分と同じくらいの体格の男を見つめた。
「はっ、よくわかったな。最初に狙うなら、お前からにすべきだったぜ。いや、変身してたんだったな。・・・・・・ま、俺は人間じゃねえから、お前らを殺そうが、お国からのお咎め無しだ。なら、最初に一番強そうなのをやるべきだろ?」
「……俺なら一番めんどくさそうなのを狙うけどな。で、人間じゃねえってのはどういう話だ?おまえはどっからどう見ても人間だろ?」
「そういった情報は看破しづらいからな。教えてやろう。俺は誘者の子孫だ。つまり、人間を超越した存在ってわけだ。」
「それって要は、自前でレベルを上げられるってことでしょ?他人を限界突破できなゃ、精霊に認められた人間とそんなに差はないと思うんだけど。そんな理由で私のフィアンセを攻撃するとか、アンタ馬鹿なんじゃない?」
「はっ、神の器となった勇者の子孫に対して、貴様ら羽虫は敬意を持てないのか?」
「げ、どうしてそれを・・・・・・。」
リアンノンはバツが悪そうに顔をしかめたが、俺としては勇者の子孫がいることに驚いた。
精霊と人間の間に人間の子供は生まれないという話だったが、勇者と人間の子供は成長限界の無い人間が生まれるらしい。
「この世界にはルールがある。世界には神が必要で、神には器が必要だ。この戦争も同じだ。世界にはヌシがいて、倒せば領土得られる。なら、俺はヌシを狩るだけだ。……この国には栄えてもらわねえと、器になったじっちゃんに顔向けできねえからな。」
大男はルールという言葉に、縛られているようだった。
信心深いのか、それとも合理的なのか。
神の必要性を理解しているが故に、神が祖父を器にした理由が必要だったというところか。
「繁栄ならイグ・アと一緒でもできるはずだ。俺がスオルムにスキルを与えたように、イグ・アだって人間になれるんだ。」
これでは説得できないとわかりつつも、俺は声をかけずにはいられなかった。
ルールの隙間を見つけることができれば分かり合える。
そんな気がしたからだ。
「最初に言ったはずだ。俺は人間を超越した存在だとな。はなから、イグ・アが人間かどうかなんて関係ねえ。ヌシは殺す、邪魔をするならお前らも殺す。さあ、おしゃべりは終わりだ。王国の礎になりやがれ!」
怒声と共に踏み込もうとしたオルフの出鼻を、一の太刀で急速に接近したブルの刀が挫いた。
首を狙った一撃に目を見開いたオルフは、紙一重で身をかわして、こちらに向かってくる。
「うぐっ、盾を抜けおったか。」
盾を構えていたスオルムが突然膝をついた。
買ったばかりの大楯に穴が空いている。
俺が視認できない速度で、どうやら短剣が放たれていたらしい。
「俺の甥っ子に手を出すんじゃねえ!」
オルフが投げてくる短剣をさばきながら、ダヴェドがブルに加勢した。
高レベルの前衛同士の戦いはあまりにも動きが早く、俺の目では動きを追うことができなかった。
援護をするにしても、がむしゃらに攻撃をするわけにはいかないので、貯めていたステータスをDEXに振り分けた。
DEXは命中率や回避に影響するパラメータである。
35ポイントあるポイントを半分以上振り分けると、ようやく、オルフやふたりの動きが見えてきた。
番狂せ(ジャイアントキリング)の効果が発動しているのか、ブルは確実にオルフの攻撃を受け流していた。
ダヴェドは盾でオルフの攻撃を防いでいたが、オルフの攻撃を受けるたびに、少しずつダメージが蓄積していっていた。
リアンノンが必死に回復しているが、長く持つとは到底思えなかった。
スオルムにハマオの薬を飲ませた俺は、第二の手で二人を守りながら攻撃の機会を伺った。
本当ならもふもふの雷撃を落としてやりたかったが、前衛ふたりが隙を作らなければ雷撃すらも避けそうな気がした。
「<我竜・岩砕脚>」
四股を踏むようにオルフが大地を踏みしめると、地面が割れ地震のように周囲が震えた。
「剣神流、第六の太刀<鳥の舞、巣立ち>」
地面にいては身動きがとれなくなると考えたブルは、空気を蹴って空中に浮かびながら攻撃をするという神技をやってのけた。
しかしダヴェドは何の対抗手段もなかったのか、地面の揺れに足を取られて、身動きが取れなくなってしまう。
「<我竜・正拳>」
オルフの正拳突きがダヴェドを捉えた。
咄嗟に盾を構えて直撃は避けたが、腕があらぬ方向へ折れるのが見えた。
地震で足の踏ん張りもきかずに、湖に向かって吹き飛ばされる。
「もふもふ!」
湖に落ちる前に俺はもふもふをダヴェドの回収に行かせた。
好奇とばかりに踏み込もうとするオルフへ俺は矢を放つ。
「当たんねえよ。」
俺の攻撃を嘲笑ったオルフの顔が、爆風で横に吹き飛んだ。
爆発で生じた煙が夜風に流されると、怒りに顔を歪ませたオルフの顔がそこから現れる。
「テメェ・・・・・・。」
まさかダメージを食らうとは思っていなかったのだろう。
格下の相手にいっぱい食わされたという事実で頭に血がのぼり、オルフの敵視は全て俺に向けられた。
「火はK(ケン)によって生ず。」
俺の矢尻には、K(ケン)という血文字が刻まれていた。
挑発するように何度も矢を放つと、オルフは雄叫びをあげて俺に向かってきた。
その隙をブルが見逃すはずが無かった。
「ぐあっ。」
紙一重で心臓は避けたようだが、ブルの参の太刀がダヴェドの体内を貫いた。
「くそっ、動かねえ。」
確実に仕留めたと思ったが、体内に刺さった刀を、ダヴェドは握りしめて離さなかった。
「くそが、結構やるじゃねえか。レベル差が無かったら負けてたのは俺の方だったな。だがな!」
刀を掴んだ手とは反対の手に、一本の長い槍が生まれた。
デブロフンディスの目を通すと、その槍の説明がテキストとして表示される。
異世界ユグドラシルの主神が使う武器のレプリカ
そのテキストを読んだ途端、俺は恐怖のあまりYと刻まれた印石を自分の目の前に大量に放り投げた。
ユグドラシルというのは北欧神話に出てくる世界樹のことである。
そこに住むオーディンが使う武器はあまりに有名で、ゲームなどでも良く出てきた。
あまりにチート過ぎて、ゲーム上でその効果が再現されていることは少ないが、神話において、その槍は必中の効果を持っていた。
つまり俺は今、絶対に回避不可能な格上の人間の攻撃を受けようとしているということになる。
「バースに与えられた俺の固有スキルは、異世界の神造武器を具現化するというもの!必中の槍をくらうがいい。グングニル!!」
オルフは頭上に槍を軽く投げただけだが、その槍はすぐさま矛先を変えてミサイルのように向かって落ちてきた。
ダヴェドを救出したもふもふが電磁バリアのようなものを展開してくれたが、そんなものはきかないとばかりにやすやすと突破してくる。
俺が張った障壁はオーディンに所縁(ゆかり)のあるルーン文字の力によって作られているので、ワンチャン防げるのではないかとも思ったが如何せんレベル差がありすぎた。
何重にも張った障壁は意図も容易く割られてしまい、ついに槍の先端が俺の心臓へと迫った。
「……がふっ。」
痛みはいつまで経ってもやってこなかった。
何故なら口から大量に血を吐いたのは、俺ではなかったからだ。
「……ブル。」
俺が声をかけても、大男はいつものように挑発的な返事を返してくれなかった。
ただ無言で自分に向かって倒れてくる大男を、俺は足元を少しふらつかせながらもなんとか支えた。
ブルが身を呈して、俺を守ってくれていた。
静かに地面に寝かせて患部を見ると、スキルのせいでブルの状態がすぐに分かってしまった。
「おおおぉっー!」
叫びながらオルフに向かって行ったのは、ハマオの薬である程度回復したスオルムだった。
「<ドラゴンスケイル>」
殴られても、殴られても、スオルムはオルフに掴みかかるのをやめなかった。
ブルが回復をする時間を作ってくれようとしているのだろう。
気持ちはありがたかったが、そんな必要はなかった。
「動きを封じろ、デブロフンディス!」
第二の手に全魔力を投入し、俺はオルフを拘束することだけに全神経を投入した。
ブルがつけた傷とスオルムの猛攻により、オルフを捕まえるのはそれほど難しくなかった。
「はっ、こんなもん、すぐに抜け出してやるよ。」
オルフが暴れる度に、ガリガリと魔力が削られていくのがわかった。
俺は呪文を唱えながらオルフに近づき、ブルがつけた傷に指を入れた。
「<カルキノス>」
これは人間には使うまいと思っていたが、俺は自分の感情を抑えられなかった。
俺が魔法を完成させると、ルーンを書くのにつけた傷口から紫色の毒が流れ出た。
その毒がオルフの体中を巡り、大男は痛みのあまり絶叫する。
何せこの毒はヘラクレスを始めとする数多の神性を死に追いやったヒュドラの毒だ。
自己治癒能力の高い高レベルの傭兵だろうと、さぞ効くことだろう。
「お前は一生そうやって苦しんでいろ。もふもふ、うっせえから、こいつを前哨基地まで送ってやれ。」
体を折り曲げてゴロゴロと転がるオルフを無視して、俺はブルのもとにかけよった。
「力也ちゃん。あのね・・・・・・私の回復魔法でも・・・・・・ブルさんは・・・・・・。」
「ああ、もう死んでる。」
口から言葉を吐き出すと、急に涙が出てきた。
今はのきわに言葉を交わす間もなく、ブルは既に事切れていた。
「・・・・・・すまない。・・・・・・すまない。」
ボロボロになり、ふらつきながらも、スオルムはブルに近づき、その亡骸に謝罪した。
イグ・アと人の戦争に巻き込んでしまったのは、自分のせいだと考えているのだろう。
俺は今でもイグ・アが人間だと考えているし、悪いのはスオルムではない。
「なあ、ブル。お前にはゴートがいるだろう?どうして俺を守ってくれたんだ?」
問いを投げかけても、相手は俺に答えをくれなかった。
何故かほっとしたような顔を浮かべている男の顔に、ぱつりぽつりと涙が落ちた。
「俺は本当に・・・・・・お前のことが好きなんだ。お前無しじゃ、俺は・・・・・・生きていけない。」
今まで感じたことのない程の悲しみで、胸が引き裂かれそうだった。
ゲイとして生まれ、長年自分の本心を押し殺して生きていただけに、こんなにも膨らんでしまった感情をどこにしまえばいいのか、俺にはわからなかった。
「スオルム、ごめん。イグ・ア達を助けてあげられなくなった。」
涙を拭いながら、俺はそう宣言した。
スオルムはその意味を考え、慎重に言葉を返す。
「しかし、それでは・・・・・・ブルが死んだ意味が、無意味なものになってしまうのではないか?」
「いや、そういうことじゃない。俺は、この世界に居られなくなるから……だから、助けてあげられなくなるって話さ。」
「それは、どういう意味だ?力也、何をする気だ!」
スオルムが初めて、俺のことを呼び捨てにしてくれた。
それが嬉しくて、俺の胸の痛みが少しだけ和らいだ。
「スオルム、短い時間だったけど。俺に愛を注いでくれて、ありがとう。」
そう言って俺はスオルムの口にキスをした。
スオルムは訳がわからず、俺の行動を見守っている。
俺が持つゾディアックの断章という魔法書は、王道十二星座にちなんだ魔法が記されていた。
ふたご座という星座にはこういう神話がある。
不死の力を持たぬ双子の兄が死んだ時、双子の弟は自分の不死を分かち合うことを大神に願った。
この魔法は恐らく、その神話がもとになっているのだろう。
「俺に与えられた加護と、俺がこの世界にいる資格を、あるべき場所へお返しします。その代わりどうか、俺が愛する男を生き返らせてください。」
俺は少しも躊躇いもせずに、<ポルックス>の魔法を起動した。
するとすぐさま体が光に包まれ、この世界から切り離される、そんな感覚を感じ始めた。
「元気でな、ブル。」
そう言って俺は、愛する男の唇に自分の唇を重ねた。
グングニルに貫かれた傷が治り始め、青ざめたブルの顔に血の気が戻った。
このまま最後まで見届けたかったが、どうやら時間が来てしまったようだ。
こうして俺は、レフュジアという異世界から、日本へと戻って来た。
異世界に行っていた10日前後の時間は、元の世界でも同様に過ぎ去っていた。
都会で一人暮らしをしていると、10日程度家を離れたところで、誰も気にもとめやしない。
だから警察沙汰などにはなっていなかったのだが、長期間無断欠勤をしてしまったということだけは、会社に理由を説明しなければならなかった。
異世界に行って戻って来たなどと言っても誰も信じないので、俺は駄目もとで、休み中に山で遭難しましたという報告をした。
日頃の勤務態度やたまりにたまっていた有給を考慮され、会社からはこれといったお咎めもなく、俺は職場へと復帰した。
これでもし職を失っていたら、再就職とか色々とめんどくさかっただろうが、日本に戻り、数日も経ってしまうと、俺は以前と変わらない日常を過ごしていた。
「ブルとスオルムは、今頃どうしてるかな。」
休みの日など、暇な時間ができると、ふたりのことを思い返すことがたびたびあった。
その度に俺は、SNSやニュースサイトで、デブロフンディスの痕跡を辿った。
退屈な日常に戻ってしまったが、俺はまだふたりのことを諦めたわけではなかった。
一度行けたのなら、もう一度あの場所へ行くこともできるのではないか。
そう考えて、俺は今も、日本で探索者をしている。
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