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うなぎ

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2章

祖霊と祖神

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――明後日。
旅支度を終えた俺達は、5人全員でウルフの家を出発することになった。
家を離れてからようやく後ろ髪を引かれるような思いに駆られたのだろう。
ルナは自宅が見えなくなるまで何度も何度も背後を振り返っていた。
二人はあの家で何年暮らしていたのだろうか。
頭の中に浮かんだ疑問を興味本位で尋ねてみると、5年ほどだとウルフが教えてくれた。
ルナにとってあの家は、人生の大半を過ごした故郷なのだろう。
俺達について行くと決めたのは彼女自身の判断でもあるが、名残惜しくもなるだろうなと俺は思った。
ウルフはというと、一度も過去を振り返らなかった。
あの場所での暮らしが彼にとってどういうものだったのか、本当のところはわからない。
ただ彼は前を向き、これからの未来に想いを馳せていた。
俺達の旅の目的地は、ここから人間の足で3日の距離にあるシルバーバーチという町になる。
そこには、ウルフと胎芽がなりたがっている開拓者の施設があった。
「そういや、開拓者って誰でもなれるもんなんすか?」
コールドウッドの森の近くにある平原を歩いている最中、一ノ瀬がウルフにそんなことを尋ねた。
心なしか不安そうなのは、面接や採用試験があるんじゃないかと考えているからに違いない。
「開拓者になるのに試験はないはずだ。書類に必要事項を記入して……そうだ。タカシ、お前……文字は書けるのか?」
「日本語ならなんとか。あ、でも難しい漢字とかは書けないっす。」
「日本語というのはお前達がいた世界の言葉か?」
「そうっすね。……あれ?いま俺達が話している言語って日本語っすよね?文字だけ違うんすか。」
「いや、日本語なんて言葉は俺達の世界に無いぞ。お前達が話しているのは獣人語だ。」
「むむむ、どういうことだ?さっぱりわからん。」
「きっと、お兄ちゃん達がお話できないのは可哀そうだと思って、トネリコ様が加護をくれたんじゃないかな?」
「その可能性も捨てきれませんが、恐らく小生らの力が何かしらかの作用をしているのかと。加護とやらの力は感じませぬし。」
「そうなんだ。トネリコ様から加護をもらえてたら、安心だったのにね……。」
この世界は主神トネリコから加護を得ているかどうかで、被差別民になるかどうかが決まるとウルフは言っていた。
幼いがらもルナはそれを案じているようだった。
「力の根源がどこにあるかはひとまず置いておいて、一ノ瀬にもドルイドの本を見せればいいんじゃないか?」
「それもそうですな。もともとは読み書きできるかという話でしたから。」
俺の提案で胎芽はネルヴァの店で購入したドルイドの本を一ノ瀬に見せた。
本を受け取った一ノ瀬はペラペラとページをめくり、そこに記載されている文字を目で追う。
しばらくすると、一ノ瀬は困惑した表情を俺達に向けた。
「読めるな。日本語で書いてあるし。」
「ちなみに、書けるかどうかって検証した?」
「しました。しました。ルナ氏に地面に書いた文字を見てもらいました。」
「うん!難しくてわかんない文字もあったけど、わかる文字もあったよ。」
「ということにござる!」
「なんだ、みんな読み書きができるのか。せっかくカッコつけるチャンスだったのに。」
(わざわざかっこつけなくても、十分カッコいいですよ!)
そんな言葉が脳裏を過ったが、カミングアウトした相手にそれを言うのもどうかと思ってしまった。
だから俺は自分の言葉を飲み込み、友人たちに返答を任せることにした。
「いやいや、まだまだこれからっすよ。この世界の先輩として、俺、ウルフ先輩のことめっちゃ頼りにしてますから!」
一ノ瀬の言葉がよほど嬉しかったのか、ウルフは満足気に頷いた。
長男というか、大黒柱というか、そういった役割を長くやっているせいだろうか。
ウルフは人から頼られたいという想いが強いようだ。
そういえば、狼は群れで行動しリーダーを作ると聞いたことがある。
ウルフは名前通り狼の獣人なので、もしかしたらそういった本能もあるのかもしれない。
「開拓者になるのに試験や面接が必要無いとわかったところで、街に入る方法について質問をしてもよろしいでしょうか。流石にベトゥリンの村のように顔パスってわけにはいきませんよね?」
今頃こんな質問をしているのにはわけがあった。
つい3日前まで、俺達はウルフと一緒に旅をする予定がなかったため、開拓者関係の話はなりべくしないようにしていたのだ。
これは、開拓者になりたくてもなれないウルフに配慮をしての対応だった。
「残念ながら顔パスってわけにはいかないな。シルバーバーチは俺を含めて全員、神殿で身分を証明しなきゃならない。」
神殿で身分を証明する。
これは俺達にとって都合の悪い話だった。
滞在許可証は金で購入できることを期待していたのだが、下手をすると異端者になる可能性もでてきた。
「神殿では具体的に何をするのでありましょう?もう少し具体的に教えてくだされ。」
「何をすると言われてもな。単純に祈るだけだぞ。」
「祈るということは、神に、でありましょう?察するに、神殿で神と対話をする……ということでありますか?」
「そうだな。トネリコは流石に現れないと思うが、きっと祖霊の誰かと対面することになるだろう。」
「それはつまり、ご先祖様の誰かと対面するということでありますか?」
「心配するな。全員が全員祖先と対面するわけじゃない。トネリコに功績を認められた英雄だけが、死後、神に昇華するという話だからな。」
「なるほど、そういうことでしたか。竿留氏、どう思われますか?」
「神様は神様でも、もともと獣人として生きていた神様だからなー。会ってみないと何とも言えない。」
「それもそうでござるな。寛大な神様であることを今から祈りましょう。」
俺と胎芽の話がひと段落すると、ウルフはルナに呼びかけて、その体をお姫様抱っこをするように抱えこんだ。
のんびり歩いて旅をするというのもそれはそれで趣はあるのだが、旅の目的はあくまで開拓者になることだ。
であれば、さっさと目的地に移動するにこしたことはない。
「誰が一番早く村に着くか、競争しようぜ!」
「いや、お前。村の場所知らないだろ。」
「そういや、そうだった。」
「なんだかんだで一ノ瀬は病み上がりなんだ。無理をしないで行こう。」
「なあ、大輔。」
「ん?」
「そろそろ俺のこと崇って呼んでくんね?」
「えっ、今?」
「いや、言おう言おうと思ってたんだけどよ。なかなかタイミングが……。」
「まあ、そのうちな。」
「なんでだよー。俺も胎芽みたいに下の名前で呼んでくれよー。友達だろー?」
「小生は竿留氏も一ノ瀬氏も苗字呼びでござるよ?」
「胎芽は仲が良くても悪くても苗字呼びだろ?」
「はてさて、本当にそうでござろうか。竿留氏とも実はそれほど仲睦まじくない可能性も……。」
「だったらまずは胎芽からだ!俺を崇氏って呼べ!」
「流石にそれは呼びずらいでござる。」
胎芽が空中に浮遊し、村に向かって逃げていく。
それを追いかけようと、一ノ瀬も全力で追いかけ始めた。
「お前ら、本当に仲がいいな。」
なし崩しに移動を始めた俺達を見て、ウルフはそんな感想を述べた。
ハハハと俺は曖昧に微笑みながら、最後尾から皆の後を追った。
一ノ瀬の名前を呼ばないのにはもちろん理由がある。
俺にとって名前を呼ぶという行為は、親しいか否かの線引きのようなものだった。
俺は一ノ瀬とは必要以上に仲良くならない。
そう決めていたからこそ、俺は彼の名を呼ぶことはできなかった。

一ノ瀬の足を気遣い休みを挟んだせいか、ベトゥリンの村に着く頃には正午になっていた。
ここでお昼をとった後にさらに移動を続け、一泊だけ野営を体験し、明日の正午までにシルバーパーチに着く。
それが俺達が予め立てていた旅のしおりの内容だった。
「待て、村の様子がおかしい。」
その異変に真っ先に気づいたのはウルフだった。
コールドウッドの森の中に俺達を誘導し、そこから村の様子を伺うように指示をとばす。
俺達はウルフの緊張を感じ取り、疑問を投げかけること無くその言葉に従った。
森の中から息を潜め、目を凝らして村の様子を探る。
すると、この数週間ずっと門番をしていた鹿獣人の姿が無いことに気がついた。
名前は確かエラポスと言ったか。
彼に代わり、なんだか強そうな獣人達が門番をしている。
「俺と一緒に竜と戦った奴らがいるな。竜の呪いが癒えたのか。」
それはつまり、ネルヴァがあの本を使ったということだった。
この村の住人は悪魔を受け入れることにしたのか。
傷の癒えた戦士達は人間である俺達を受け入れるのか。
あの村に立ち寄るということは、その2つの問題に同時に直面するも同義だった。
「あの、村に行くのは辞めて迂回しませんか?」
3日分の水や食料は既に鞄の中に入っている。
あえて、村に行く必要性は無いと俺は判断した。
「そうだな。そうしよう。」
この場に居合わせた面々の顔を一人ずつ見渡すと、ウルフと同じように俺の意見に賛成してくれた。
異論がないかどうかを確認する為に、ウルフはこの場に居合わせた面々の顔を一人ずつ見渡した。
幸いにも俺の意見に異論する者はなく、俺達はベトゥリンの村を迂回してシルバーパーチの街を目指すことになった。
多少遠回りになってしまったものの、俺達は予定通り2日目の正午にシルバーバーチの街に辿り着いた。
野営をした時に交代で見張りをしたため若干の眠気はあったが、街についた興奮でその眠気も吹き飛んでしまった。
ウルフについて正門へと向かうと、列に並んでいた獣人達がジロジロと俺達を観察した。
ウルフが睨みをきかせると、獣人達はそそくさと視線をそらした。
「あれ……奴隷か?」
一ノ瀬が声を潜めて俺に耳打ちをした。
俺も気になっていたが、先ほどからみすぼらしい恰好をした人間の男たちが木材を運んでいる。
どう考えても獣人がやったほうが効率の良い仕事だと思ったが、木材を運んでいる人間の中に獣人はいなかった。
「獣人1人に半獣人1人、それから人間が3人か。珍しい組み合わせだな。」
ウルフは半獣人のはずだが、見た目通り獣人の血が強いらしい。
門兵である馬のような見た目をした獣人はウルフを同族だと認識していた。
「開拓者になりにきた。神殿に案内してくれ。」
「わかった。その人間達はお前の奴隷か?」
「いや……家族だ。」
「そうか。神託次第では人間は奴隷落ちになる。別れはすませておけよ。」
「わかっている。」
ウルフが苛立ちげに唸り声を上げたので、門番は慌てて俺達をドルイドの神殿に案内した。
神殿という言葉を聞くと、俺の頭にはステンドグラスの窓や、信仰対象をかたどった偶像などが思い浮かぶ。
しかし、この世界の神殿は華美な装飾の無い簡素なものだった。
人が入れるほどに盛り上がった根のある木の下に、この世界の人間が神殿と呼ぶ空洞があった。
中央に置かれた大鍋、机の上に散乱した薬品達、棚には本がたくさん並べられている。
どちらかというと魔女や魔法使いの隠れ家のように俺には見えた。
「おや、珍しいこともあるもんだい。人の子が5人も来るなんてね。」
机の前の椅子に腰かけていた老婆が、こちらに気づいて声をかけてきた。
こんな場所に人間がいることも驚きだったが、ウルフのことを人と呼ぶ鋭さに俺は驚いていた。
「人は3人だろ。もうろくしたか、ばあさん。」
門番が罵倒をすると、その老婆はキッと睨みをきかせた。
人間らしからぬ眼光の鋭さに、うっと獣人が気圧される。
「あんたが怪我をした時、治したのはどこの誰だと思ってるんだい。口の利き方には気をつけな。ルー坊。」
「へいへい、すんませんでした。こいつらに許可証を発行したい。お目通りを頼む。」
「ふんっ。わかったから、あんたはさっさと仕事にお戻り。」
もう少し口論になるのではと思っていたが、意外にも獣人の男は素直に老婆の指示に従った。
亀の甲より年の劫というやつだろうか、弱みを知っている老人は強いなと思う。
「さて、あんたらがどこの誰かは知らないけど、まずはこの根っ子に触ってもらおうかね。」
触るとどうなるのか、聞きたかったが、それを知らないのも不自然なように思えた。
だから俺はウルフの様子をちらりと伺い、彼の出方を待った。
俺の視線を受け取ったウルフはこくりと頷くと、その根に触った。
彼の手がその根に触れると、こげ茶色の根にまるで葉脈のような線が走る。
血のように赤いその線は、上では無く何故か下へ下へと流れていった。
やがて、ウルフから3歩の距離に新芽が芽吹いた。
俺達が見ている間にその芽はどんどん成長し、綺麗な花を咲かせる。
その花が飛ばした花粉が人の形をかたどって、祖霊と呼ばれる存在が顕現した。
てっきり獣人が出て来るのかと思ったのだが、現れたのは人間の女性だった。
まだ一言も喋っていないのに、優しそうな雰囲気が体中から溢れている。
少なくとも俺にはそんな気がした。
「……母さん。」
その女性を見たウルフは、悲痛な面持ちで彼女を見返した。
ギリッと奥歯を噛みしめる音が聞こえてくる。
その様は怒りを飲み込んでいるようだった。
ウルフの母親は奴隷だという話だった。
見た目からして死ぬような年齢では無いし、なんとなく怒る理由にも察しがついた。
「女神アルフの名において、この男、ウールヴヘジンと、その妹、ルナの身分を証明します。」
「確かに、承りました。」
恭しく頭を垂れる老婆の手元に、植物で編まれたブレスレットがどこからともなく現れた。
どうやらそれがこの世界の証明書のようである。
「……お母さん?」
ルナが女神に問いかけると、女神は悲しそうに微笑んだ。
話したくても話せない事情がある。
そんな表情をしていた。
「まさかあんたらが、アルフ様の子だったなんてね。」
女神が消え去った後、二人にブレスレットを手渡した老婆は、驚きを隠せない様子でそう呟いた。
ルナも兄に質問をしたそうにしていたが、ウルフの顔色を窺(うかが)い口を閉ざした。
「いや、生い先短い老人が踏み込む話じゃないね。次は誰だい?」
無言で手を挙げて、俺は茶色の根の近くまで移動をした。
正直誰も出てこないのではという可能性はあったが、ここまで来たらやるしかなかった。
俺の体と同じくらい太い木の根に、俺は恐る恐る手を触れた。
一瞬の沈黙。
そして、異変は突然訪れる。
まず初めに少し大きめの地震がおきた。
日本にいると感覚が麻痺してしまうが、どうやらこの揺れはこの世界では異常なことらしい。
「お主ら、一体何をしたんじゃ!ひとまず外じゃ、外に向かえ!ここは崩れるぞ。」
老婆の指示に従い神殿の外に出ると、二足歩行を忘れた獣人達が4つ足で自らの体を支えていた。
傍らを見るとウルフまでルナをその背に載せ、お馬さんごっこをするパパのようになっている。
「おまえら、どうしてそんなに冷静なんだ!」
「どうしてって……、このぐらい日常茶飯事でしたし。」
「深度4か5くらいでありましょうか。それなりに大きいでござる。」
「そんなことより、もっとヤベエもんがこっちに向かってきてるぞ?」
「えっ、どこどこ?」
一ノ瀬が指さす方向には天高くそびえる大樹があった。
あれがきっとウルフ達の言っていた父祖トネリコなのだろう。
尋常じゃない程のでかさではあるが、俺達の世界の神話にも世界樹という存在があるためそれほど驚きはしなかった。
目を凝らしてじっと大樹を見ていると、確かに何かがこちらに向かってきていた。
最初は黒点にしか見えなかったそれが、どんどんと人影を帯びてくる。
一ノ瀬の言う通り、こちらに向かって来ているは明白だった。
「ガーハッハッハ。」
豪快な男の声が雪山で吹雪く風のごとく俺達の耳に降り注いだ。
クマのような外見をしたその獣人は、空気中に氷の滑り台を作り、大樹から下界に向かって降りてこようとしていた。
氷との接触面には摩擦はあるだろうし、空気抵抗もあるはずなのだが、異常なほどスピードが出ている。
その運動エネルギーをあの男はどうやって相殺するつもりなのだろうか。
それが心配で仕方がなかった。
「ぬんっ。」
衝撃に備えて身構えていると、その獣人は地面に降りる寸前で跳躍し、ダイナミックに地面に着地した。
案の定、膨大なエネルギーに耐え切れずクレーターのように地面が陥没し、先ほどの揺れと同じくらいの衝撃が周囲に広がった。
「ふぅむ。地面を壊してしまったか。後でトネリコの奴めに治してもらわねばな。」
ポンポンと鎧に着いた埃を払いながら、その獣人は数メートル凹んだ地面の下から一蹴りで地上にあがって来た。
地震に驚き身動きがとれなくなっていた獣人達は、その男を見た途端、血相を変えて街の中に逃げて行った。
「相変わらず、すっごい嫌われようじゃな……。そこまで嫌わんでも良いと思うのだがのう。」
悲しそうに表情を曇らせながら、クマ獣人はぐるりと周囲を見渡した。
「いと、尊き御方よ。ご用件をお聞かせ願えますか。」
獣人が逃げるような相手を前にしても、ドルイドの老婆は逃げ出しはしなかった。
ただ、女神が現れた時よりも幾分緊張しているようだった。
「人を探しておる。」
「人を?一体どなたを?」
老婆の疑問には答えず、祖霊は俺達に目を留めた。
雲っていた顔が晴れていき、優しそうな笑顔を向ける。
「おお、いたいた。ぬしらが異世界の客人(まれびと)か。」
「なあ、胎芽。まれびとってどういう意味なんだ?」
「他の世界からやってくる霊とか、神様のことにござる。」
「そういうあなたは、どちら様でしょうか?」
「こ、こら。言葉を慎め。」
「よい。儂は冬越しのフィンブル。お主らを見定めに来た祖神の一柱じゃよ。」
口調こそ穏やかだったが、周囲の空気が一段階冷え込んだような気がした。
それはこの獣人の持つ氷の能力のせいだけではないことは確かだった。
「なあ、おっさん。どうやって俺達を見定めるつもりなんだ?」
普段なら俺達に会話を任せる一ノ瀬が、俺と胎芽を庇うようにずいっと前に出た。
俺と同じようにこの場に漂う不穏な雰囲気に気づいたのかもしれない。
「知れたこと。儂との戦いで、に決まっておろう。この世界は弱肉強食。強くなければ、死ぬだけよ。」
「気に入らねえな。人間にとって大切なのは、力が強いことだけじゃねえだろ。俺は口下手だから上手く言えねえけど、みんな足りない部分を互いに補って生きる。だから別の方法を……。」
これは恐らく俺と胎芽を気遣っての発言だろう。
一ノ瀬だけなら力を見せるだけで済むからだ。
「では、その支え合う力とやらを儂に見せてみよ。誤解してるようじゃが、儂は人では無いのでな。大自然や災害の類だと考えて、この試練に立ち向かって欲しい。」
「3人とも気をつけろ。その御方は四季の……。」
「ああ、そこの半獣人は手助けせんようにな。これはあくまで客人(まれびと)共の身分を証明する儀式である。そこのドルイド僧も下がっておれ。死んでしまうぞ?」
「くっ。」
神に儀式だと言われてはウルフも食い下がることもできず、ルナと老婆を連れて安全な場所まで移動してしまった。
「大輔、胎芽。下がっててくれ。今まで助けてくれた分、今度は俺がお前達を助ける。」
「何言ってんだ。やるなら3人で、だろ?さっき、自分で助け合うって言ってたじゃんか。」
「そうそう。水臭いでござるよ、一ノ瀬氏。」
「お前ら……ありがとな。」
俺達の準備が整うまでの間、フィンブルは攻撃をしてこなかった。
一ノ瀬が構えると、ようやく祖霊は武器を構えた。
フィンブルの武器は氷の斧だった。
背負っている両手斧は意匠も派手で強そうだったが、どうやらそれを使うつもりはないようだ。
(死ぬことは無い……か?)
そんな俺の甘さを見透かしたように、フィンブルが斧を投擲した。
回転をしながら近づいてくるそれを、俺は咄嗟に<境界>で防ごうか考えた。
フィンブルの見た目はゴリマッチョならぬ、ベア系な体型で、顔のワイルドさといいめちゃんこタイプだった。
前々から気になっていたのだが、俺の弱点になる人間が使う武器は、果たして俺の弱点になり得るのだろうか。
それにちょっと確信が持てなかった。
流石に自分の命を賭けてまで、それを確認する気にはなれなかったので、俺は念のため斧を避けることにした。
「ほう、避けたか。察しが良いのう!」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる獣人の反応に、俺は危機感を募らせた。
主神が相手ではなにしても、俺達が対峙しているのは異界の神。
<境界>を無効化する手段が無いとも思えなかった。
「ぬおっ!?」
俺が攻撃されている間に接近した一ノ瀬が、柔術家ならぬ突きをくり出した。
目を狙ったその攻撃を獣人は身をそらすことで回避する。
「急所を狙われたら、びびるよな。」
それが狙いだと言わんばかりに、身をひねり体勢を後ろに崩した男を払って大外刈りを決めた。
柔道用のマットや畳が敷いている場所ならともかく、頭から地面に激突したのだ。
そのまま気を失ってくれればと思ったが、そう簡単にはいかなかった。
「ガーハッハッハ。素人かと思って油断したわ。」
バンと地面をフィンブルが叩くと、氷のツララが地面から生えた。
すぐにその場から離れたことで致命傷は避けられたが、足や腕にツララが刺さり、一ノ瀬は血を流していた。
「ちっ。これは<境界>で防げねえのか。」
一ノ瀬の<境界>は<生>と<死>の狭間にある。
フィンブルは一度死んだ人間のはずなので、検証できていなかった一ノ瀬の弱点である可能性はあった。
機動力を失った一ノ瀬にフィンブルは容赦なく斧を振るう。
それを一ノ瀬はギリギリのところでさばいていた。
「治すでござる。一ノ瀬氏!」
胎芽が一ノ瀬の傷を治そうと詠唱を始めた。
それを見て俺は心底羨ましく思った。
こんな状況だとはわかっているが、詠唱という行為そのものが、めちゃくちゃ男心をくすぐられる。
「回復などさせんぞ。小童(こわっぱ)!」
一ノ瀬を相手にする合間に斧を生成したフィンブルは、詠唱中の胎芽に向かって次々にそれを投げ始めた。
詠唱妨害はゲームの戦闘でも基本的な戦法だった。
あらかじめフィンブルの行動を予想していた俺は、胎芽を抱っこして詠唱完了までの時間を稼ぐことにした。
「ネクタル!」
胎芽の詠唱が完了し、ポランの光が一ノ瀬を包み込む。
傷がみるみる内に塞がり、一ノ瀬は再び動けるようになった。
「ありがとな、胎芽。よし、これでまた戦える。」
一ノ瀬が再び神に立ち向かおうとすると、フィンブルはやんわりと手で制した。
「いや、もうよい。お前達二人は合格だ。」
そう言ってフィンブルが指さしたのは一ノ瀬と胎芽だった。
「名を名乗るがいい。ウォーリアーとドルイドの資質を持つ者よ。」
「一ノ瀬崇だ。」
「勇弥胎芽と申す。」
困惑をしながらも二人はフィンブルに名を名乗る。
それを聞いた祖霊は満足そうに頷いた。
「うむ。冬越しのフィンブルの名において、一ノ瀬崇、勇弥胎芽、両名のネイレストの滞在を許可する。」
わーと、いまいち盛り上がるに盛り上がれない状況だった。
何故なら俺の滞在許可がおりなかったからだ。
「あの……竿留氏はどうなるのですか。」
「こ奴は駄目じゃ。その理由はわかっておろう?」
悔しいがフィンブルの言う通りだった。
祖霊相手に1本とれる一ノ瀬やドルイドの力を扱える胎芽と違い、俺は全くの役立たずだった。
<境界>の力が効かない相手はこれからも出て来るだろう。
その時に俺はどうやって皆の役に立てばいいか、わからなかった。
「大輔は俺が骨折した時にずっと看病してくれたんだ。俺が合格だってんなら、それを支えてくれた大輔も合格だろ。」
流石にそれは無茶な説得だろうと俺は思った。
フィンブルも目をパチクリさせて、二の句が継げずにいる。
「何かヒントはございませぬか。小生がドルイドの力を扱えたのは、たまたま時の巡りが良かっただけにござる。どうか何卒、彼に機会をお与えくだされ。」
地面に頭をこすりつけ土下座をする胎芽を見て、俺は無性に腹が立ってきた。
胎芽にではない。
フィンブルに、でもない。
友人にこんなことをさせてしまった自分に、物凄い怒りを覚えた。
この場に居合わせたのが知り合いだけなら、こんなにも感情が昂ることはなかっただろう。
しかし、遠巻きに様子を伺う獣人達の視線を俺は感じていた。
そんな衆人環視の中で、俺は友人に恥をかかせてしまった。
そのことにとてつもなく責任を感じた。
「む?」
フィンブルが警戒するように距離をとった。
俺が手の平を上にして、前腕を掲げたからだ。
1つだけ、試していない仮説があることを俺は思い出していた。
<境界>の中の酸素や光は、どこからやってくるのかという話だ。
俺は胎芽のように自分が必要な物質を無意識の内に<境界>の中に取り込んでいるとは考えていなかった。
なぜならその考えは、自分の弱点になる物質や概念以外のものは<境界>の内側へ入って来ることができないという境界の第一法則に反しているからだ。
だからこそ俺は、自身の生命に必要な物質を自ら生み出していると考えていた。
自分の体が負傷したりしないように、俺は手の平にバスケットボールのような球体型の<境界>を作った。
その中で水素を大量に生成しようと俺は念じ続けた。
本来であればビックバン理論とかなんたら理論とかを考える必要があるのかもしれないが、ぶっちゃけ俺にそこまでの学はない。
しかし、まぎれもなく<境界>の内側に酸素はあった。
だとすれば、水素も念じるだけで発生させられる可能性はあった。
<境界>内に水素が満たされたのか、<境界>の内側から壁を押されるような感覚があった。
手ごたえを感じた俺は、今度は<境界>の中に圧力をかけ水素を圧縮し続けた。
高気圧になった気体は熱を帯び、核融合を引き起こすという。
それが俺の狙いだった。
「……これで、どうでしょうか?」
<境界>の力によって放射線や熱が外部に漏れないように調整してはいるが、完成したそれは、いわば小さな太陽だった。
それは俺の苛立ちを具現化したかのように、蛇のようなフレアを怪しくくねらせていた。
「竿大輔、大丈夫か。」
精神的な疲労から立っていられなくなり、俺は地面に膝をついていた。
それでもなんとか<境界>を維持し、フィンブルが近づいて来るまで太陽を掲げ続ける。
「合格だ!」
満面の笑みを浮かべたクマ獣人は、ポンと俺の頭を撫でた。
同時に<境界>内で作成していた太陽が凍り付き、俺の手を離れて地面に落ち、砕け散る。
「ガーハッハ、驚かせてしまったかのう?神はおぬしらと同じように境界術を使えるんじゃよ。」
「内部温度が6000度以上になる太陽をどうやって凍らせたんですか?」
「境界術はまだまだ先がある。知りたければ儂を受け入れよ。」
「受け入れる?」
「うむ。汝の名は?」
「竿留大輔です。」
「冬越しのフィンブルの名において、竿留大輔、おぬしを儂のシャーマンに任ずる。」
フィンブルが発した言葉の意味がわからず、俺はしばらくの間されるがままに頭を撫でられ続けた。
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