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うなぎ

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1章

最後の授業

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再び意識を取り戻した時、俺は見知らぬ教室の中にいた。
縦かける4、横かける5に並べられた椅子と机。
正面にある黒板、廊下に繋がる扉、外の景色が見える窓。
備品の配置や構造自体は日本の学校にあるものと変わらない。
しかし、その材料は明らかに常軌を逸していた。
「おわぁ!?なんじゃぁ、こりゃあああぁっ!?」
少し訛りをきかせながら、俺の左前の座席に座っていた男が素っ頓狂な声を上げた。
その慌てようと言ったら、椅子からひっくり返ってしまうのではないかと思ったほどだ。
磯辺匠海(いそべ たくみ)が驚くのも無理もない。
なにせ俺達が枕代わりにしていた机は、木製ではなく何だかよくわからない動物か何かの骨でできていた。
床もワックスのかかったフローリング材ではなく、酸化した血のように赤黒い器官がドクンドクンと鼓動している。
まがりなりにも教室の姿を模していなかったら、俺はこの場所を地獄のようだと形容していたことだろう。
「たくっ、うっせーな。男がギャーギャー騒ぐんじゃ……うわぁあっ、何だこれ!?気色悪ぃ!」
「グッロ。マジで趣味悪すぎるんですけど。ドッキリ仕掛けた奴、怒らないから名乗り出なさい!」
「アイ、あんたそれ怒るやつでしょ。まあ、気持ち的には同感。サプライズパーティーなら歓迎なんだけどね。」
「お前らさ、もっと現実を見ろって。……はい、扉が開きません。誘拐か監禁の可能性が浮上しました。」
「いやあああああ。あえて考えないようにしてたのに!」
「はいはい、皆さん冷静に。ひとまず、起きていない人を起こしましょう。」
「……むにゃむにゃ、もう食べれない。」
「この騒ぎで起きないなんて、この方、相当図太いですわね。」
「あれ……?太一君がいない……。」
「うわ~、綺麗な景色。まるで宇宙にいるみたい。」
「おーい、誰か。俺の松葉杖しらね?」
磯辺の大きな声に起こされたのか、この場に居合わせた11人のクラスメイト達がそれぞれ思い思いに行動を始めた。
清水一(しみず はじめ)が言っていたことが本当かどうか確かめるために、クラスメイトの何人かはまず窓や扉の鍵を入念にチェックしていた。
なんとか教室の外に出ようと扉にタックルをする生徒もいたが、廊下側の扉はもちろんのこと、窓も開けられる状態ではなかった。
ちなみに俺は何をしていたかというと、足を骨折して動けない一ノ瀬崇(いちのせ たかし)の代わりに松葉杖を探していた。
みんなここから出る手段を探すのに必死で、誰も一ノ瀬のことを気に掛ける暇が無かったからだ。
あらかた部屋の調査が終わり、どうあがいても部屋から出れないことがわかった頃。
それを見計らったかのように一人の女性が、鍵のかかった廊下側の扉を開けて教室の中に入って来た。
「……魔淵先生?」
遠野 愛(とおの あい)が口にした言葉通り、彼女は俺達が通っていた海峡学園という高校の副担任だった。
普段は目の下にクマを作り、痩せこけ、いかにも体調が悪そうな雰囲気を醸し出していたが、今日の彼女は見違えた姿をしていた。
「え、嘘?本当に魔淵先生なの?今日の先生、めっちゃキマッてるじゃん!」
どうやら今の彼女の姿は女生徒から見ても目を惹かれるものだったらしい。
遠野さんは教師に無遠慮に近づき、360度くるくる回転しながら彼女のファッションを観察した。
白シャツにタイトスカードというキャリアウーマンのような出で立ちに加え、いつもボサボサな髪型もヘアサロンにでも行ったのか今日は整えられている。
不健康そうに見える暗い顔も、ナチュラルメイクで健康そうな顔つきに変貌していた。
『ありがとう、遠野さん。でも、授業を始めますから席についてくださいね。』
副担の声を聞いた彼女は、少し首を傾げた後に素直に教師の命令に従った。
出口を探していた他の生徒達も彼女の行動にならい、だらだらと自分の席へと戻っていく。
聞きたいことは山ほどあったが、矢継ぎ早に質問しても混乱を招くだけだと皆わかっているのだ。
『授業を始める前に少しだけ、皆さんの置かれている状況を説明します。』
この場に居合わせた生徒が全員席につくと、魔淵先生がそう話を切り出した。
『数時間前、私は自分の<願い>を叶えるために生徒である皆さんを悪魔に売り渡しました。』
『対価を受け取った悪魔達はその後、<異世界>と<異世界>の間にある<狭間>と呼ばれる空間にあなた方を捨てたようです。』
『<狭間>は隣接する<異世界>の<法則>が入り乱れている場所です。』
『そんな場所に生身の人間が放りだされれば自らの<個>を保てなくなり、<肉体>は崩壊、<精神>は<狭間>に拡散してしまいます。』
『しかし皆さんは<狭間人>として昇華したため、こうして<個>を保ったまま私の講義を受講できています。』
ここまで教師が説明をした時、普段は物静かな家入純子(いえいり じゅんこ)がすっと席を立った。
そして、緊張から震えるその声を精一杯張り上げて、彼女は教師に問いを投げかける。
「つまり……今、この場にいない人は……死んでしまったということでしょうか。」
彼女が五十嵐太一(いがらし たいち)という男子生徒と恋仲であることは、同学年であれば誰でも知っていることだった。
二人とも穏やかで性格が良いせいか、彼女らを僻(ひが)む生徒もほとんどいなかった。
正に学校を代表するお似合いのカップル。
だというのに、あろうことか、この場に五十嵐の姿はなかった。
『<死>の定義は<世界>によって様々ですが、<狭間>で崩壊した<個>を元通りに戻す手段など、私は聞いたことがありません。』
魔淵先生の返答を聞いた家入さんはバンと力任せに目の前の机を叩いた。
何をする気かとクラスメイトが見守る中、ズカズカと早足で教壇へと近づいていく。
そして、自分の彼氏を殺した相手を全力で引っぱたこうと手を挙げた。
しかし、家入さんの怒りが、教師に届くことはなかった。
彼女の手は霧を掴むようにするりと、教師の体を通過してしまったのだ。
『そこにいる私は魔法で作られた幻影です。赤子のように癇癪を起しても何の解決にもなりませんよ。』
魔淵先生はただ淡々と生徒に事実を告げた。
生徒の怒りがわからないほど鈍感なわけではないと思うが、副担任はまるで意に返していないようだった。
怒りを飲み込み、涙をふいてから、家入さんはトボトボと自分の席に戻った。
彼氏を失った少女の悲しみを間近で見た他のクラスメイトが、何を思ったのかは俺にはわからない。
だが、少なくとも俺はこの副担任の振る舞いに殺意を覚えた。
そもそも自分の<願い>を叶えるために生徒を悪魔に売り渡すという話から、俺は苛立ちを覚えていた。
下手をしたら俺も死んでいたわけで、怒らない方がどうかしている。
『悪魔との契約にのっとり、これから1コマだけ講義を行います。』
『途中で質問を挟んでいただいても構いませんが、講義の時間を考慮した上で発言をお願いします。』
それは暗に質問をするなと言っているようにしか俺には聞こえなかった。
そもそも講義の時間に制限があるなら、最後まで聞く以外に俺達に選択肢はない。
『……皆さんも既にお気づきかと思いますが、ここは日本ではありません。』
『<異世界>と<異世界>を繋ぐ唯一の道、それがこの<次元回廊>と呼ばれる場所になります。』
『窓の外の景色を見て見ましょう。宇宙空間のように真っ暗な深淵が見えるでしょうか。あれが<狭間>と呼ばれる空間です。』
『少し遠くに見える赤い惑星は、私が契約した悪魔の住む星、<堕落世界・リンフェル>になります。』
『リンフェルに向けて宇宙ステーションのようなトンネル上の施設がずっと続いています。』
『<世界断絶(ワールド・ディスコネクション)>が起こった後にできた<9つの世界>は、あのような形で<次元回廊>というトンネルが繋がっています。』
『私の説明をしっかり聞いていた方の中には、あの回廊を探索すれば、いずれ地球に戻れると考えた方もいるのではないでしょうか。』
『残念ながら地球はこの<9つの世界>に属していないので、<次元回廊>をいくら探索しても地球には永遠に辿り着くことはできません。』
『では、どうしたら地球に戻れるのか。ここからは皆さんの進路についてお話をします。』
いつの間にか、俺は魔淵先生の話を聞き入っていた。
どんな<願い>があったにしろ、生徒を生贄に捧げるのは非道な行いだと思う。
しかし、それはそれとして、別の世界という存在に俺は心を惹かれ始めていた。
俺達が講義の内容を理解しているかなどお構いなく、魔淵先生はマイペースに黒板へ文字を書いていく。
『まずはこの場所から<9世界>のどこかへ向かうことをオススメします。』
『例えば<リンフェル>に向かい悪魔と契約を交わせば、最速で地球に戻ることは可能でしょう。』
『私のように他人を犠牲にしない限りは、確実にバッドエンドになると思いますが、どうしようもなくなった時は命を賭けてみてください。』
『悪魔は契約を重んじる種族なので、契約は必ず施行されます。そして、対価も間違いなく徴収されることでしょう。』
『<リンフェル>の他には、このような世界が存在します。』
『緑豊かな自然に囲まれた豊穣の世界<原始世界・ネイレスト>』
『地球よりも高度に発展した文明のある世界<魔法世界・ディスタン>』
『悪魔と敵対する天使が管理する世界<楽園世界・エデルディア>』
『善悪問わず様々な妖精が蔓延る世界<精霊世界・アヴルナ>』
『強大な力を持つ竜種の寝床がある世界<竜宮世界・ドラゴンヘイム>』
『α世界を作った神々の墓標がある世界<神域世界・ロストエイジ>』
『定まらない国境線のある世界<戦乱世界・キングラウン>』
『空と陸の無い、ただ海だけが広がる世界<海洋世界・アトランティス>』
『これが<9世界>の全てになります。』
『地球に戻りたいと考えている皆さんは、まずはディスタンへ向かうのが良いでしょう。』
『<次元回廊>を建築した大魔法使いサリヴァンはこの世界の出身です。』
『地球に帰る道は、この世界で魔法を学ぶことで手に入れられるかもしれません。』
『地球に帰らず異世界に永住するつもりであれば<ネイレスト>がオススメです。』
『この世界は人間の国は少なく、ほとんどが獣人と呼ばれる種族の国ですが、皆さんが好きなゲームやアニメのような冒険を楽しめることでしょう。』
『私達と同じような人間という種族がいる世界はこれら2つの世界の他に、<キングラウン>という世界もあります。』
『しかしこちらは、<リンフェル>と同じくらいオススメできません。』
『<キングラウン>は他世界への進行を常に考えているため、<狭間人>である皆さんは利用される可能性があります。』
『残りの世界はそもそも人間と価値観が違う種族が暮らしていたり、普通の人間では生活できない環境の世界です。』
『もし、なんらかの理由でそれらの世界に行く場合は、これから教える<境界>という概念を完璧に習得してからにしてください。』
記憶力が良くないことを自覚していた俺は、制服の内ポケットに入っていたスマホを使ってメモをとることにした。
松葉杖は結局見つけることができなかったが、制服やハンカチ、アクセサリーなどのように身に着けていたものはこの場にもあるようだった。
『<境界>というのは<狭間人>だけが使える特殊な力のことです。』
『例えば右に黒、左に白という色があったとします。これらを混ぜ合わせると、中央に灰色の空間ができます。』
『この灰色の空間のことを、<狭間人>は<境界>と呼びます。』
『わかりづらかったと思うので、もう1つ実例を挙げてみましょう。』
『例えば右に悪、左に善という概念があったとしてます。中央には……そうですね、中立があるとします。』
『どんなことがあろうと、善にも悪にも染まらない中立な存在。そんな存在を<狭間人>と呼ぶこともあります。』
『<狭間人>が認識している<境界>は人それぞれ違います。』
『白と黒、善と悪、生と死、自然と文明、戦争と平和。』
『自分の内面に向き合い、皆さんの<境界>を見極めてください。』
『15分ほど考える時間をとります。』
ここでようやく魔淵先生は話を切り上げて瞼を閉じた。
すると彼女の姿が消え、14:59という文字が黒板に刻まれた。
面白いことに秒針を指す数字は8、7、6と独りでに書き換わっていた。
目を開けたままだと集中できそうになかったので、俺は目を閉じて魔淵先生の言うことを考えてみた。
まあ、<境界>とやらのおおよその検討はついているのだが、この機会にあらためて自分自身について考えてみることにした。
竿留大輔(さおとめ だいすけ)という人間は、肉体的には男性である。
それがナニかとは言わないが、大事なモノはしっかり股の間にぶら下がっている。
であれば、肉体が男性ではないと否定することはできないだろう。
竿留大輔(さおとめ だいすけ)という人間は自分のことを男性だと認識している。
これはYESだ。
ナニがついていることに誇りをもっているし、生え始めた髭や鍛えて大きくなりつつある筋肉なんかも気に入っているからだ。
竿留大輔(さおとめ だいすけ)という人間は女性が好きだ。
これはNOだ。
俺の性的指向は女性ではなく男性だった。
性的指向というのは、ようは男と女、どちらを好きになるのかという話である。
似たような言葉として性的嗜好というものがあるが、そちらは細い人が好きか太い人が好きか、年上が好きか年下が好きか、というような好みの話だ。
この手の話をするとロリコンを認めろとか言い出す人間が何故かでてくるが、性的指向と性的嗜好を履き違えている。
誰も女性を好きであることを問題視してはいない、ロリコンが問題視されているのは年端もいかない未成年を好きになるというところなのだ。
未成年の人間が成人したら愛せないというのは、どう考えても理にかなっていない。
逆に愛せるのであれば、それはロリコンではなく年下が好きなだけのような気もした。
話を戻そう。
竿留大輔(さおとめ だいすけ)という人間は男性らしくありたいと思っている。
これはYESだ。
ただ、一部例外もあることは認めねばならない。
例えば、男は女と結婚し、家族を養わなければならないという古い考えがあったとする。
男は必ず女性と結婚しなければならないのであれば、俺は男とは言えないかもしれない。
しかしもし俺が男性と結婚したのであれば、その男性を養ったりすることに抵抗は感じ無いだろう。
これは男らしさ、女らしさというような性のあり方の話だ。
ここまで考えてみて思ったのだが、別に俺は男と女の中間にいるわけではないことに気がついた。
男が好きであることを除けば、ほぼ全ての要素が男よりである気がする。
こりゃ、俺の<境界>の当てが外れたかなと考え始めた頃、体が薄いヴェールに包まれるのを感じた。
それはまるで、水の中にいるような不思議な感覚だった。
肌に触れている感触はするのに、視覚的には服の上からさらに透明の服を着ているように見える。
その状態で腕を少し動かしてみると、空間を押しやるような奇妙な感覚がした。
「なあ、大輔。」
「うぇい!?」
一ノ瀬崇に肩を叩かれた俺は、情けないほどびくりと肩を震わせてしまった。
隣の席に座っている男の動きに気づけないほど、集中して<境界>のことを考えていたらしい。
「すまんすまん。驚かせたな。」
「……どったの?」
時すでに遅しな気もしたが、他の友人たちの集中力を乱さないようにするために、俺はなるべく小さな声で一ノ瀬に返答をした。
「コツを教えてくれ。」
一ノ瀬崇は今時珍しい柔道一筋のいわゆる脳筋だった。
別に自分も特別頭がいい方ではないのだが、一ノ瀬のように赤点をとるほど馬鹿では無い。
名簿順の並びだと席が近かったこともあり、テストが近くなると、よく彼に懇願されて勉強を教えていた。
向こうはいつも通り質問をしたつもりなのだろうが、今回ばかりはどう答えればいいか迷ってしまった。
流石にこの場でゲイだとカミングアウトするわけにもいかないし、かといって彼の<境界>に心当たりなんて……。
そこまで考えた時、一ノ瀬崇が足に巻いているギプスが視界の端に映った。
「交通事故のこと、思い出せるか?」
「ああ。」
「車が迫って来た時、どう感じた?」
「どうって、そりゃあ……。」
一ノ瀬は何かを思い出したのか、そこで言葉を止めて思案にふけった。
俺が人づてに聞いた話では、この大男は横断歩道に飛び出した子供を助けようとしてトラックにひかれたのだそうだ。
筋肉があればトラックにひかれても大丈夫だと思ったのだろうか。
本当に馬鹿な男だと俺は思う。
死ななくて本当に良かった。
「そういうことか。わかったぞ。」
そう言うや否や、一ノ瀬の体が俺と同じような透明のヴェールに包まれた。
普通の人間であれば、<死>に直面した記憶を思い出せば少なからず恐怖を覚えることだろう。
しかし、俺の目の前にいる男は何故か笑みを浮かべていた。
どうやら一ノ瀬も<境界>を自覚することができたらしい。
魔淵先生が例として挙げていたように、<生>と<死>の狭間を味わった一ノ瀬であれば、その<狭間人>である可能性は十分にあった。
「ありがとな。大輔~。」
手を広げて俺に抱きつこうとした大男は、自分の足の怪我を思い出して心底残念そうにその手を下げた。
『皆さん自分の<境界>を自覚できたようですね。』
黒板のタイマーが00:00になると魔淵先生が再び姿を現した。
今度は扉からではなく、消えた時と同じ場所にまるで幽霊のようにスッと湧いて出てきた。
なんだろう、何故かその一連の動きに俺は違和感を感じた。
家入さんがビンタをかました時に魔法で自分の姿を投影していると先生は言っていたが、地球からこの場所にどうやって自分の姿を投影しているのかそれが少し気になった。
教室には投影機のようなものも見当たらないし、そもそも投影した姿でどうやって黒板に文字を書いているのかがわからない。
『<境界>を身に纏っている人間は、<境界>を構成する要素に対して耐性を持つことになります。』
『善悪を例にとって言えば、善や悪に属する相手からの攻撃から身を護ることができる反面、中立の相手からはダメージを受けてしまうということです。』
『ただし、今のはあくまで一例です。<境界>を構成する要素が<善>と<悪>であったとしても、<狭間人>によっては<中立>ではなく<善>や<悪>が弱点となる場合もあります。』
魔淵先生の話を聞きながら、俺は自分の弱点を想像してみることにした。
先ほど俺は<境界>を展開していたにもかかわらず、一ノ瀬に肩を触られていた。
そこからわかることは唯一つ、俺の弱点は恐らくガチムチ体型の男だということだ。
一ノ瀬はノンケなので、こちらから必要以上に関わったりしようとは思わないが、いくら気をつけようと無意識に好意を持ってしまう。
そう言ったところはまさに弱点だと言えた。
「以上で、私の最後の講義を終わります。」
別れの言葉を述べることも、俺達を煽ることもせず、魔淵先生は来た時と同じように扉から出て行った。
日比谷弘樹(ひびや ひろき)が咄嗟に教師の後を追いかけてくれたので、廊下側の扉は閉まらずにすんだ。
「さて、これからどうするよ。」
閉まりそうになる扉を足でもてあそびながら、男は教室にいる級友達の顔を見渡した。
声音から察するに彼はこの状況を楽しんでいるようだった。
「まず、目的地毎にチームを組みませんか?ひとまず、日本に帰りたい人と帰らない人で別れましょう。」
真っ先に提案を出したのは、このクラスで一番賢い天喰翔(あまじき しょう)という青年だった。
テストの点数が良いのはもちろんのこと、受験勉強以外の知識も持ち合わせているため、彼には誰とでも話を合わせられるという特技があった。
その知識量と交友関係の広さから、クラスメイトから一目置かれており、彼の提案はすんなり受け入れられた。
「私は家に帰りたい。というか、あの女を殺したい。」
真っ先に日本に帰りたいと主張した家入さんの目は、これ以上ない位に据わっていた。
握りしめた拳をもう一つの手で覆い、まるで祈るようにただ一点を凝視している。
「純子は……まあ、そうなるわよね。私も家に帰りたい。」
家入さんの後に続いて日本に帰りたいと希望を出したのは、遠野愛(とおの あい)という少女だった。
学校内で彼女と喋ったことはほとんどなかったが、彼女の歌声だけは何度か聞いたことがあった。
場所もまちまちだったが、彼女は度々、路上ライブをしていたのだ。
将来の夢がシンガーソングライターになることであれば、日本に戻りたいと思うのは普通のことかもしれないと俺は思った。
ライブの配信もできない世界ではファンの獲得は難しいように思えるからだ。
「オラも爺ちゃんの後を継がねえといけねえんでな。家に帰らせてもらうだ。」
磯辺匠海(いそべ たくみ)の祖父は沖合だか沿岸だかで漁業をしている漁師なのだと聞いたことがあった。
彼の父親は祖父の仕事を継がずに東京で働いているそうなのだが、孫である匠海は田舎に遊びに行った時に海の魅力に囚われてしまったそうだ。
労働環境の厳しさから人手不足に喘いでいる漁業関係者がこの選択を知ったらさぞ喜ぶことだろう。
いや、むしろお魚好きな日本人は全員感謝したほうがいいかもしれない。
「俺も帰還方法を探すかー。やっぱ日本の方が色々便利だろうし。先輩はどうします?」
清水一(しみず はじめ)は動画を投稿することで広告収入を得ている学生だった。
もともとは苦学生だったらしいのだが、バーチャル配信者の動画がヒットして今や人気配信者の一員である。
「俺は残る。向こうに戻ってもしんどそうだしな。」
清水が話しかけた日比谷弘樹(ひびや ひろき)という男は、俺達よりも一つ年上の留年生だった。
留年の理由は金だという噂が流れていたが、この物言いだと相当生活が厳しいようだ。
学生ながらお金を稼ぐ苦労をしっているからこそ、この二人は仲が良いのかもしれない。
「ちなみに僕は帰りたいわけではないですが、ディスタンに行こうと考えています。他にディスタンに行きたい方はいますか?」
「わたくしもあなた方に同行しますわ。帰る手段だけは把握しておきたいですから。」
神崎澪(かんざき みお)がディスタンに行くと聞いて俺は少しだけ安堵した。
彼女は日本で問題になっているとある宗教団体の幹部の二世だった。
信仰の自由はあるため誰がどの神を崇めようとしったこっちゃないのだが、彼女は学校でも布教活動に勤しんでいることを俺は知っていた。
「それじゃあ、残りの人は日本に帰らない人ってことで良いのかな?」
天喰の視線が、俺、一ノ瀬、勇弥、日比谷、野原、そして花坂の順で向けられる。
「あ、私?私はこっちに残るけどぉ、行先はエデルディアだからぁ。」
バイバ~イと元気よくクラスメイトに手を振ったのは、花坂由衣という名の少女だった。
彼女は日比谷先輩が押さえている扉を抜けて、一人で<次元回廊>の中に入って行ってしまった。
学校にいた時からそうだったが、彼女は学校行事に一度も参加せずに我が道を貫いていた。
今一人になるのは流石にリスクのある行為だと思うのだが、彼女が何を考えているのか俺にはよくわからない。
「野原さんは、あー……日本に戻らないんですか?」
扉を抑えていた日比谷先輩が野原陽菜(のはら ひな)へやけに丁寧な口調で質問を投げかけた。
緊張しているのか、顔が少し赤くなっている気もする。
わかりやすいなーと俺は内心でニヤニヤした。
「私は日本に帰るつもりはありません。……私が残ると、お邪魔だったりしますか?」
野原さんの青い目が不安そうに曇る。
そんな儚げな姿を見てしまった先輩は、そんなことはないとばかりにブンブン首を振った。
俺から見れば彼女の行動は完全に演技なのだが、惚れた弱みで日比谷先輩には可愛く映ってしまっているのだろう。
野原さんはアメリカ人の父親と日本人の母親のミックスなのだそうだ。
数年前までアメリカで暮らしていたせいか、かなり恋愛慣れしている感じがする。
恐らく日比谷先輩の気持ちにも気づいているのだろう。
その上で一つ年上の男をからかっているのだ。
「竿留氏、竿留氏。」
日比谷先輩と野原さんが話をしている間に、勇弥胎芽(いさや たいが)が近寄って来た。
クラスの中で一番最後まで寝ていたのが、このぽっちゃりとした体型の青年である。
デブという言葉を使っていないことからもわかるように、俺はぽっちゃりした体型の男が嫌いではない。
それに、筋肉をつけたい人間からすると、太れるということは一種の才能なので、ある意味この勇弥という男は才能豊かな人間と言えた。
「どうしてディスタンに行かないんで?いつもやってるMMOだと魔法職ばっかりしてたような?」
胎芽はネトゲ仲間で日本に居た頃は良く一緒にゲームをして遊んでいた。
だから彼は俺の好みを、ある程度把握していた。
「魔法も気になるけど俺達には<境界>があるし、異世界をそうホイホイ渡れるのかもわからないからさ。それならひとまず獣人に会いに行こうかなって。胎芽もそうだろ?」
「はっはっは、やはりバレてましたか。できれば耳や尻尾が生えているだけでなく、顔つきも獣よりだと良いのですが……。」
「わかる。毛深くてモフモフだとなおよい。」
胎芽はノンケなので女の獣人を想像しているのだろうが、俺はゲイなのでガチムチマッチョな男の獣人を想像していた。
胎芽は俺の好みを知っている唯一の人間なので、この会話はアンジャッシュになっていない。
「大輔~、俺も話に入れてくれ。」
そう言って俺と胎芽の会話に割り込んできたのは一ノ瀬崇だった。
ギブスをした足をバタバタとバタつかせる大男を見て、俺は流石にツッコミを入れざるを得なかった。
「いや、お前は帰らんのかい。」
帰って欲しくないという気持ちももちろんある。
こいつと異世界を旅出来たらきっと楽しいに違いない。
しかし、怪我のことを考慮すると一ノ瀬は日本に戻った方が良い気がしていた。
だからこそ、さっさと帰れよと俺は彼を促した。
「俺は今めちゃんこ足手まといだからなぁ。帰りたいと思っている奴の足を引っ張れないだろ。」
「たくっ、オレらの足は引っ張るつもりかよ。」
最後の言葉は俺の言葉ではなく日比谷先輩の言葉だった。
吐き捨てるような言葉遣いでは無く仕方ねえなというニワンスが伝わってきたので、クラスメイトの何人かがくすりと笑い声をあげた。
「それでは、ディスタン組は出発しましょうか。ひとまずリンフェルとは逆方面に進んでみましょう。」
教室の窓から見える星の位置でも観察したのか、天喰翔はディスタンに行くメンバーをまとめて教室を出て行った。
文化祭でも体育祭りでもクラスを仕切っていたのはクラス委員長である対島竜馬という男だったのだが、天喰翔はその役割をいつの間にか引き継いでしまっていた。
ディスタンに行く、天喰翔、家入純子、磯辺匠海、神崎澪、清水一、遠野愛が教室から出ていくと、動けない一ノ瀬の机の周りに日比谷先輩と野原さんがやってきた。
ちなみに、先ほどまで先輩が押さえていた扉には、気色の悪い机が挟まっている。
「こいつをどう運ぶかが問題だな。一ノ瀬、お前何キロあるんだ?」
「106キロぐらいっすかね。自分、身長180超えてるんで。」
「106キロ……。竿留と勇弥となら運べるか?」
「4人がかりでも無理そうでござるな。」
「足は引っ張るといったが、疲れるまでは片足で歩く。ただ、ちょいちょい休ませて欲しい。」
「なら、俺はこの椅子を持っていくか。」
「大輔ぇ……お前って奴は……何ていい奴なんだ。」
休憩する時にあると便利だろうと思っただけなのだが、一ノ瀬から物凄い感謝をされてしまった。
思わず緩みそうになる口をぎゅっと引き結び、俺はハイハイと素っ気ない態度を取り繕った。
ノンケとは何も起こらないので関わらない。
それがお互いの<境界>を守るためのルールだということを俺は肝に銘じていた。
「一ノ瀬が動けるなら出発するか。」
日比谷先輩の言葉に従い、勇弥胎芽、一ノ瀬崇、野原陽菜、そして俺はネイレストを目指すべく<次元回廊>へと足を踏み入れた。
これからどんなことが待ち受けているのかはわからなかったが、ワクワクする気持ちを隠すことができなかった。
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