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Ⅲ. 光の方へ
episode8 雨後晴天
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「シオン。この後、ちょっといい?」
火曜日の部活後、生徒会室から出ようとした時、チヒロが俺に声をかけた。俺たちの微妙な関係を知っている生徒会の面々は何事かと振り返る。
「いいけど、どうした?」
チヒロは俺の手をとると、頭を俺の胸に預けた。普段のチヒロからは想像できない仕草にドキリとする。チヒロは上目遣いで哀願した。
「お願い、最後に一度だけデートさせて。それできっぱり諦めるから」
切実な願いだった。俺がちらとヒマリさんの方を窺うと、彼女は少し微笑んで頷いた。俺はチヒロの手を握った。チヒロが少し驚いた顔をする。
「よし、行くか」
俺の言葉を聞いて、チヒロは照れくさそうに首を縦に振った。
外は雨が降っていた。厚く黒々した雲が空を覆う。俺たちは傘を刺して昇降口を出た。
デートと言っても、ほとんどただの下校と同じだった。ただ、肩を並べて同じ道を行く。だけど、チヒロと一緒に帰るのはすごく久しぶりだった。
「なんだか昔を思い出すな。小学校の頃は、一緒にはしゃぎながら下校してたっけ」
「そうね。雨の日は傘も刺さずに、びしょ濡れになって遊んでたわね。それで翌日、仲良く風邪引いたりして。いま思うとほんとバカだけどね」
雨は止むどころか増々強まっていく。大粒の雨が傘を強打する音が聞こえる。突然、チヒロが俺の肩に寄りかかってきた。
「ねえ。相合い傘ってやつ、やってみない?」
そう言ってチヒロは傘を閉じる。俺の折り畳み傘では高校生二人を完全に覆うことは出来ず、俺とチヒロはあっという間にびしょびしょ濡れになった。制服が透けて、下着の影が薄っすらと見える。
「なあ、いつから俺のこと好きだったんだ?」
俺が問うと、チヒロは上を向き、思い出すように語りだした。
「いつからかは分からない。だけど、アンタが好きってちゃんと分かったのは中学一年生の時。そういえば、あの日も雨だったわね」
小雨が降りしきる中、私は公園の濡れたベンチに座っていた。スカートが汚れても気にしなかった。私は意味もなく膝の上をぼおっと眺めながらため息をついた。
クラス委員が自分に向いていないことは分かっていた。人とのコミュニケーションが下手くそな私は、いつも心にもないことを言ってしまい、人を苛立たせる。でも、私がやらなかったら誰がやったというのか。誰もやりたがらない職を請け負ったのだから、少しぐらいは私の言う事を聞いてくれてもいいじゃないか。自身の情けなさと、他人の無責任さに振り回されて、もうヘトヘトだった。家に帰っても、まだ親は帰ってこない。一人で家にいるくらいなら、雨に打たれながら落ち込んでいるほうがマシだった。
突然、頭上が暗くなった。顔を上げると、シオンが傘を刺してくれていた。彼は心配そう顔で私を見る。
「チヒロ、こんなとこいたら風邪引くぞ」
素直に「ありがとう」が言えない私は、そっぽを向きながら拗ねてみせる。
「別に、風邪引いてもいい」
するとシオンは私の肩を掴んで立ち上がらせた。
「お前がよくても、俺がよくない」
そう言ってシオンは私を自分の家まで引っ張っていった。
シオンの家に来るのは久しぶりだった。シオンは家につくと、すぐに風呂を沸かし、私を風呂場に押し込んだ。私はなされるままに入浴する。
「チヒロ、着替ここに置いとくからな」
私はバスタブの中でシオンの声を聞いた。お湯に映る自分の顔を眺める。つまらないしかめっ面。私はお湯の表面を手で払った。
「ねえ、なんで優しくするの? 悪いけど、なんのお礼もしてあげられないわよ」
扉に映るシオンの影が足を止める。
「お礼なんていらねえよ。俺が勝手に世話焼いてるだけだ」
世話を焼かれるような価値が私にあるとは、どうしても思えなかった。私が黙っていると、シオンが昔話をする。
「そういえば、昔は一緒に風呂入って遊んでたよな。お互いガキだったから何にも考えてなかったけど」
「なんなら今から一緒に入る? それがお礼になるか分からないけど」
「馬鹿言え。女の子がそんなこと言うもんじゃない」
女の子。コイツにそんなことを言われるのは初めてだった。私のことなんて、ただの幼馴染としか見ていないと思っていた。私はフフッと笑う。
「な、なんだよ」
「いや。ただ、アンタからまさか『女の子』なんて台詞が出るとは思わなかったから」
「女の子に『女の子』って言って何が悪いんだよ」
「だって、私が学校で何て呼ばれてるか知ってる? 堅物メガネ。みんな性別なんて気にしてないのよ」
私はもう一度、水面に映る自分自身を眺める。地味な顔、貧相な体。私に女としての魅力があるとはとても思えない。それどころか、一人の人間としても、あまり価値のあるものとは考えられない。私が自嘲気味に笑うと、シオンが反論する。
「たしかにお前は、口が悪いし、いつもしかめっ面だし、地味だし、色気も全然ない。だけど、お前は優しい奴だよ。最近だって、クラスの奴らのために、陰で色々頑張ってるじゃないか」
見てたんだ。私は嬉しさを隠すように膝を抱える。誰も、私のことなんて興味がないと思ってた。私がいなくなっても、むしろみんな清々するんじゃないかと思ってた。でも、コイツは、シオンは、私のことを見てくれてたんだ。素直になれない心をぐっと奥に押し込んで、本当の気持ちを口に出してみた。
「ありがと、シオン」
雨は少し弱まり、黒々とした雲は頭上から去ってゆく。気づけば家の近くの公園前まで来ていた。
「懐かしいな」
俺たちは公園に入り、びしょ濡れのベンチにタオルを敷いて腰掛ける。チヒロは前を向きながら訊《たず》ねた。
「ねえ。会長のどんなところが好きなの?」
俺は目を閉じて考えてみた。真面目なところ。無邪気なところ。繊細なところ。朗らかなところ。不器用なところ。それから……
「優しいところ、かな」
優しいところ。俺は自分で言いながら思った。もしチヒロの気持ちがもっと早くに分かっていたら、俺はコイツと付き合っていたかもしれない。きっと毎日一緒に学校から帰って、このベンチでキスなんかしていたかもしれない。隣を窺うと、チヒロが少し寂しそうな顔をしている。目の奥に、やるせない後悔が見えた。
チヒロは太ももを強く叩くと、唇を固く結び、勢いよく俺に抱きついた。折り畳み傘が地面に落ちる。
「優しくて、不器用で、かっこ悪くて……そんな、アンタが好きだった。付き合いたかった。もっと優しくしてほしかった」
制服の胸元が濡れる。震える声でチヒロは必死に言葉を紡ぐ。
「シオン、幸せになってね。馬鹿みたいに優しいアンタだけど、たくさん優しくしてもらってね。これが私の、最後のお願い」
こんなにも自分を思ってくれる人がいたなんて、俺は知らなかった。すぐ近くにあったはずの光に、俺は気づけなかったんだ。俺は後悔を噛み締めながら、チヒロの華奢な体を強く抱き締めた。
「ありがとう、チヒロ。お前はやっぱり、素敵な『女の子』だよ。だから、お前も幸せになれよ」
雲間から光が差し込む。いくつも次元を超えた先で恋人になるはずだった二人は、左右に分かたれた未来を思いながら、公園のベンチで一つになっていた。
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「いいけど、どうした?」
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「よし、行くか」
俺の言葉を聞いて、チヒロは照れくさそうに首を縦に振った。
外は雨が降っていた。厚く黒々した雲が空を覆う。俺たちは傘を刺して昇降口を出た。
デートと言っても、ほとんどただの下校と同じだった。ただ、肩を並べて同じ道を行く。だけど、チヒロと一緒に帰るのはすごく久しぶりだった。
「なんだか昔を思い出すな。小学校の頃は、一緒にはしゃぎながら下校してたっけ」
「そうね。雨の日は傘も刺さずに、びしょ濡れになって遊んでたわね。それで翌日、仲良く風邪引いたりして。いま思うとほんとバカだけどね」
雨は止むどころか増々強まっていく。大粒の雨が傘を強打する音が聞こえる。突然、チヒロが俺の肩に寄りかかってきた。
「ねえ。相合い傘ってやつ、やってみない?」
そう言ってチヒロは傘を閉じる。俺の折り畳み傘では高校生二人を完全に覆うことは出来ず、俺とチヒロはあっという間にびしょびしょ濡れになった。制服が透けて、下着の影が薄っすらと見える。
「なあ、いつから俺のこと好きだったんだ?」
俺が問うと、チヒロは上を向き、思い出すように語りだした。
「いつからかは分からない。だけど、アンタが好きってちゃんと分かったのは中学一年生の時。そういえば、あの日も雨だったわね」
小雨が降りしきる中、私は公園の濡れたベンチに座っていた。スカートが汚れても気にしなかった。私は意味もなく膝の上をぼおっと眺めながらため息をついた。
クラス委員が自分に向いていないことは分かっていた。人とのコミュニケーションが下手くそな私は、いつも心にもないことを言ってしまい、人を苛立たせる。でも、私がやらなかったら誰がやったというのか。誰もやりたがらない職を請け負ったのだから、少しぐらいは私の言う事を聞いてくれてもいいじゃないか。自身の情けなさと、他人の無責任さに振り回されて、もうヘトヘトだった。家に帰っても、まだ親は帰ってこない。一人で家にいるくらいなら、雨に打たれながら落ち込んでいるほうがマシだった。
突然、頭上が暗くなった。顔を上げると、シオンが傘を刺してくれていた。彼は心配そう顔で私を見る。
「チヒロ、こんなとこいたら風邪引くぞ」
素直に「ありがとう」が言えない私は、そっぽを向きながら拗ねてみせる。
「別に、風邪引いてもいい」
するとシオンは私の肩を掴んで立ち上がらせた。
「お前がよくても、俺がよくない」
そう言ってシオンは私を自分の家まで引っ張っていった。
シオンの家に来るのは久しぶりだった。シオンは家につくと、すぐに風呂を沸かし、私を風呂場に押し込んだ。私はなされるままに入浴する。
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「ねえ、なんで優しくするの? 悪いけど、なんのお礼もしてあげられないわよ」
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「お礼なんていらねえよ。俺が勝手に世話焼いてるだけだ」
世話を焼かれるような価値が私にあるとは、どうしても思えなかった。私が黙っていると、シオンが昔話をする。
「そういえば、昔は一緒に風呂入って遊んでたよな。お互いガキだったから何にも考えてなかったけど」
「なんなら今から一緒に入る? それがお礼になるか分からないけど」
「馬鹿言え。女の子がそんなこと言うもんじゃない」
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「な、なんだよ」
「いや。ただ、アンタからまさか『女の子』なんて台詞が出るとは思わなかったから」
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私はもう一度、水面に映る自分自身を眺める。地味な顔、貧相な体。私に女としての魅力があるとはとても思えない。それどころか、一人の人間としても、あまり価値のあるものとは考えられない。私が自嘲気味に笑うと、シオンが反論する。
「たしかにお前は、口が悪いし、いつもしかめっ面だし、地味だし、色気も全然ない。だけど、お前は優しい奴だよ。最近だって、クラスの奴らのために、陰で色々頑張ってるじゃないか」
見てたんだ。私は嬉しさを隠すように膝を抱える。誰も、私のことなんて興味がないと思ってた。私がいなくなっても、むしろみんな清々するんじゃないかと思ってた。でも、コイツは、シオンは、私のことを見てくれてたんだ。素直になれない心をぐっと奥に押し込んで、本当の気持ちを口に出してみた。
「ありがと、シオン」
雨は少し弱まり、黒々とした雲は頭上から去ってゆく。気づけば家の近くの公園前まで来ていた。
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俺たちは公園に入り、びしょ濡れのベンチにタオルを敷いて腰掛ける。チヒロは前を向きながら訊《たず》ねた。
「ねえ。会長のどんなところが好きなの?」
俺は目を閉じて考えてみた。真面目なところ。無邪気なところ。繊細なところ。朗らかなところ。不器用なところ。それから……
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優しいところ。俺は自分で言いながら思った。もしチヒロの気持ちがもっと早くに分かっていたら、俺はコイツと付き合っていたかもしれない。きっと毎日一緒に学校から帰って、このベンチでキスなんかしていたかもしれない。隣を窺うと、チヒロが少し寂しそうな顔をしている。目の奥に、やるせない後悔が見えた。
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こんなにも自分を思ってくれる人がいたなんて、俺は知らなかった。すぐ近くにあったはずの光に、俺は気づけなかったんだ。俺は後悔を噛み締めながら、チヒロの華奢な体を強く抱き締めた。
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ぼくが中学1年の時からずっと彼女のことをミキちゃん、ミキちゃんと呼んでいた。去年のこと。急に美姫が「そのミキちゃんって呼び方、止めよう!なんかさ、ぶっとい杉の木の幹(みき)みたいに自分が感じる!明彦、これからは私をヒメと呼んで!」と言われた。
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