咎ざらしの朱猫 ――怪談屋・月詠 鈴鹿の推理譚――

永久島 群青

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第二話

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 ドラマや小説で一躍有名になった池袋の西口公園。未だに観光客がくるのだが、噴水がないなんて言っているのをよく耳にする。

 あれから十数年、街は変わっていくものだ。今じゃ埋め立てられて、俺たちの絶好のたまり場になっていたりする。そのあたりは、きっとあのころとあまり変わらないのかもしれない。

 その日の夜もバイト明けで俺が向かうともう六人が集まっていて、バス停前でギター片手にマイクで歌う男に、からかい半分、盛り上がり半分で一緒に歌を歌っている。

 あとはパイプベンチにカップルが寄り添い、隅っこの喫煙所では夜の蝶々と、やたらでかいバッグやキャリーケースを持った観光客、スーツ姿のリーマンが煙草をくゆらせている。

 七月四日。

 七月もまだ始まったばかりだというのに、今年の夏の酷暑はすでになかなかキツイ。終わらない猛暑日。今日だけでどれくらいのサイレンが鳴ったことか。

 すべてが熱中症と断言することは出来ないけれど(この街では日常茶飯事でもあるからね)それでも、やはり過半数くらいは深刻な水分不足で倒れたんじゃないかと思うほどの暑さである。

 不思議なものだと思う。コンビニなんて腐るほどあって、水なんて百円で買える。ドンキなら半額だ。

 だというのに、照り付ける太陽に負けて運ばれていくんだから、この夏の殺意が人に向いたとき、いとも容易く俺たちは抗う間もなく終わっていくしかないのだろうか。

 つまるところ北風と太陽でいえば太陽のひとり勝ち状態の独壇場といったところだ。

 俺からすれば、女性の旅人の服が薄くなっていくので、その日も尻が見えそうなほどのショートパンツにへそ出しのチューブトップと目の保養になっているわけだけど、それが人生最後に見た景色というのは、やはり名残惜しい。

 せっかくなら、そんな女性と甘いミルクとハチミツの混じり合う夜を過ごしてから、なんてことを思う。

 俺は、いくら古臭いと言われようが『今夜はブギーバック』が好きなのだ。流行り廃りに流されない、名曲ってのはそういうものだろう。


◇◆


「お疲れさん、ルリ」

「名前で呼ぶな。お疲れ」

 噴水のあった場所で円になっている輪の中に入ると、ヒロトに声をかけられた。

 グレイ・アッシュのツーブロックをワックスで立てて、大柄でボーダーの半袖Tシャツに、ワイドパンツにナイキのスニーカー。

 こんがりと焼けたたくましい二の腕に梵字のタトゥーを入れている。

 そのヒロトの言葉に俺は仏頂面になる。何度いってもこいつはにやけ面で、俺の嫌がる顔を楽しむ。年齢は二十四歳、メンバーでは最年長。彫り師を生業にしている。

「ルリは気にしすぎだよ。名前くらい良いんじゃない?」

 眉にかかる程度の黒髪にゆるくパーマをかけたナチュラルクリーン・マッシュ。

 白いTシャツに紺色で七分丈のコーチジャケットを着たマサキはそう言って缶チューハイをあおる。

 下は黒のスキニーデニムにポストマン・シューズ。ホストみたいに整った顔立ちのこいつは風呂屋のキャッチのバイト。もちろん女の子と入れる夢の温泉だ。

 まあ、会計時には湯冷めどころか底冷えするような店だが、こいつはカモを上手くつかまえる。

 キャッチには気を付けろとあれだけ注意されているのに、まんまと引っかかる。それもこいつの弁舌のなせる技である。

 他のやつらはほとんど飲んでいて、ヒロトとマサキだけはまだ泥酔にまではいっていなかった。いつもの面々は俺を除いて六人。どいつもこいつも黒に近い灰色の住人ってところ。

「ユカリは?」

 グループの中の紅一点である彼女の名前を出すと、リバース中だとヒロトが隅にあるトイレを指差した。

「チューハイで酔うなんて珍しいな」

「いや、あいつブランデーをバカみたいに飲んでたから」

「なに、あいつ今日金持ってんな。給料日?」

「知らね。ジャック・ダニエルを三本。中瓶で持ってきて泣きながらひとりでガバガバ飲んでた。度数が高いからやめとけって言ったんだけどな」

「また男にフラれたらしいよ」

 ああ、と俺は納得する。ここに集まるのは気の良いやつらだけれど、基本的にバカだ。当然、俺も含めてだが。

 しかし同じバカでもユカリはどうにも惚れっぽい性格で、一途である。それが裏目に出て、重いとフラれるたびに酒を飲む。今回も例にもれず、といったところだろう。

 とりあえず座れよと、ヒロトに言われて地面に腰を下ろす。すでに三人ほど、床に転がっていびきをかいている。

 この街で一番気を付けることは、怪しいキャッチもさることながら、置き引きや引ったくりが次に挙げられる。

 一瞬で持っていかれるもんだから、油断も隙も無いのだけれど、この輪の中ではある意味平和だ。

 なにせ置き引きしようもんならヒロトのしめ縄みたいな腕でふんじばられて、岩石みたいな拳で歯を何本か持っていかれるのだから。

 そもそも俺たちが貴重品を持っているわけもないのに、無駄に勇気を出して前歯を代価にするようなバカはこの街には馴染めない。人を選べ、そういうことだ。

 俺もチューハイを手渡されてプルトップに指をかけたとき、後ろの弾き語りの兄ちゃんの声を裂くように怒声が響いてきた。

 振り向くと、白いワンピースにレースをあしらった白のシースルー、同色のパンプスといった、いささかこの街には似つかない女が、三人ほどのサラリーマンに絡まれているようだった。

 ちょうど歌うたいの斜め前、芸術劇場のモニュメントの近く。

 なにをいっているか分からないけれど、どうやらサラリーマンたちは酔っているらしい。ろれつが怪しいまま、怒鳴り散らしているのを見て、マサキが笑った。

「俺に言えば気持ち良くさせてやるのにさ」

 マサキはバイト先の店のことを言っているのだろう。

「酔っ払い相手に釣れるのか」

「簡単だよ。シラフの観光客より釣りやすいくらい」

「そういうもんか」

「ああいったおっさんに限らずだけど、大事なのは話し方と話題だよ。強引さはマイナスで、ノリだけでもダメ。まずは入り口まで来てもらうために気持ちよくさせてやるんだよ。で、入り口まで来たらこっちのもん」

 それを聞いたヒロトが相変わらずお前はえげつねえなと、マルボロに火をつける。俺もポールモールに火をつけて、首を鳴らす。ポールモールはルパン三世の次元が好きで吸い始めた。

 あんな射撃の腕は無いが女の心を撃ち抜くことくらいは出来るかもしれない。なんて、そんなことが出来るのはルパンくらいだろう。

 まあ、その分、痛い目だって見ているんだろうけれど。

 マサキは今年二十二だが、とにかく弁が立つ。あの手この手、とか、手を変え品を変え、という手法ではなく、言葉だけで客を捕まえる。

 なにより特筆すべきはそのツテやパソコンを使った情報網だ。どんな情報もやつにかかれば手にはいる。

 それなりに金はいるが、こいつが十六歳からやってるバイト先――あくまでグレーゾーンと言い張る店側からすれば貴重な人材で、重宝されているらしい。

 こいつだけは金に困らない、集まるメンバーの中でも数少ない勝ち組。もちろん、合法ではないけれど。

 一度、その金で事務所を借りて情報屋でもやったらいいんじゃないか、と言ってみたことがある。

 しかしもうすでに顧客がついているらしく、わざわざ十六のなにも無いガキだった自分を拾ってくれたオーナーの恩を捨ててまで独立して看板を掲げる必要はないと笑っていた。

妙なところで律儀なやつである。

「ルリ、どうすんの?」

 立ち上がった俺はまだ口をつけていないチューハイを置くと紫煙を吐き出す。マサキが首をかしげるので、悪戯っぽく笑ってやった。

「ナンパを横取り。スカッとすんだろ」

「失敗したら慰めてやるよ」

 ヒロトが笑う。

「まあ、見てろよ」

 いくら痛い目を見ようが不二子ちゃんに心を惹かれるのは、ルパンに限らず男の本能なのだ。


◇◆


 なにやら喚いているおっさんは三人。中でもスーツがよれよれで、襟首には汗染みが出来た毛髪に少し心配のあるやつがリーダー格なのか、一番声がでかい。

「楽しく飲もうって話だろうが」

「ちょ、ちょっと、飲みすぎですよ。秦野はたのさん」

「うるせえ。これだから最近のガキは」

 これだから最近の親父は。そんな言葉を口の中でつぶやきながら、女の背中――その肩を叩く。

 彼女が振り向いた瞬間、俺は言葉を失った。思考が停止したといっても過言ではない。この世界でこんなに美しい女がいるのか。次に考えたのはそんなバカげたものだった。

 真ん中分けにした、紺色の混じった黒く長い髪は肩甲骨を過ぎたあたりまで、くしを通せばどこにも引っかかることなくすとんと落ちそうな毛並みに、純白の肌は着ているワンピースよりも眩しい。

 その目は吸い込まれるほどに輝いている。容姿端麗、眉目秀麗、そんな言葉が陳腐に感じるほどに、彼女は美しかった。

「なんだ、お前は」

 俺が見惚れている間に、ハゲかかったおっさんがひと際大きな声で怒鳴った。

 こいつらは、こんなに美しい存在――気高さというか、高貴さを持った女に向かって怒鳴ることができるのか。俺にはとうてい無理だ。

「あんたらさ、ダイヤモンドに小便かける行為をなんて呼ぶか知ってるか」

 俺は思わずそんな言葉を口走っていた。秦野とかいうおっさんもその言葉に、おい兄ちゃん、クスリでもやってんのか、とせせら笑う。当たり前だ。なにを言っているんだと自分でも思う。

 けれど、俺はそのとき、本気でそう思ったのだ。

「いいからどっか行けよ。ガキはマスかいて寝てろ」

「やめましょうよ。もう、そろそろ……」

 さっきからもうひとりの四十代くらいの長身でやせぎすなメガネが仲裁するように止めに入っているが、秦野というおっさんの方が立場は上なのだろう。

 気が弱そうなメガネのリーマンの性格がそのまま目に見えて、及び腰である。今度は俺が笑う番だった。

「時代を感じるな。無理するなよ、おっさん」

「なんだ、年上に向かって。口の利き方には気を付けろ」

「ちょ、ちょっと、榊原さかきばらさん!」

 メガネの男の制止を振り切って三人目のガタイの良い男――榊原とやらが胸ぐらを掴んでくる。条件反射的に、俺は左手でその手首を掴んで逆側に回すと、容易くその手が離れた。

 右で肘関節を打ってたゆませて、前のめりになったところで裏拳を少しかするようにあごに触れさせ、振り切る。

 おっさんは簡単にその場に転げた。中心の方だけでなく、パイプベンチからもゲラゲラと、クスクスと笑い声が響いてくる。

「選べよ。ひと晩お巡りさんとこで一緒に泊まるか、このまま帰ってマスかいて寝るか」

 そう言うと、秦野は倒れたおっさんを起こしてなにやら暴言を吐きながら俺の横を過ぎていった。

 俺はそのまま中心の輪を見ると、すでにマサキがいないことに気付く。ラインの着信音がしてスマホを見る。

『バイト休みだけど、あのふたりもらってくね。臨時ボーナス出たらご飯奢ってあげるからお楽しみに』

 勤勉で真面目なキャッチはおっさんたちのところへ向かったらしい。がっつりと財布の中身を搾り取られることだろう。

 下手したら金融会社でにっこり笑わせられる可能性もあるかもしれない。今どきさすがにそれはない、と言いきれないあたりがこの街のこわいところでもある。

 二十四時間で即日融資。最短三十分ってのは、良くも悪くも便利なことだ。

「す、すみません……」

 メガネの男が若造の俺に頭を下げる。下げるべき相手が違う、そう言いかけたが、俺は息をつく。

「上司の接待か。つまんねえ仕事だな」

「ほんとに申し訳ありません。あの……それで、その、娘と妻が待ってるので、あの……」

「別にあんたをどうこうしようなんて思ってない。待ってくれてる家族んとこ、早く帰ってやれよ。くだらねえ上司のご機嫌取りなんかしてないでさ」

 そう言うとメガネの男はもう一度、今度はあの美しい女に頭を深々と下げると足早に、逃げるように公園から出ていった。

 サラリーマンも大変だな、とそう思う。給料は安くともバイトの方が気も楽だとつくづく実感する。負け惜しみのようなものも一緒に感じて情けなくもなるが、本心である。

「あの」

「あ、ああ」

 息をついていると、絶世の美女がそこにいた。ロマンスの予感。俺はパブロフの犬のように舌を出すのを必死にこらえて、あくまでクールに、裏返った声で返事をした。

「助けていただいてありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げるときに、たゆん、と揺れる胸元に目がいく。しかし、俺には助けた恩を払え、なんて言えそうにもなかった。

 ダイヤモンドに小便をかけることの愚かさは、あのおっさんを見て学んだことだ。やはり先人は偉大である。若いバカに良し悪しをちゃんと身をもって教えてくれる。

「いや、大丈夫。それより、ひとりでなにしてたんだ」

 時刻は二十三時を過ぎようとしている。終電までもう時間もない。そんな中で、この公園に来るということは地元民か、時間つぶしの観光客か、ホテル待ちのカップルくらいだ。

「あの――道に迷っていまして、さっきの方々に道を聞いてみたんです。でも、なんだかお話がかみ合わなくなってしまいまして」

「道に迷った?」

「……お恥ずかしい限りなのですが、この機械を上手く使えないんです」

 そう言って小さなショルダーポーチからスマホを取り出す。

「聞くところによりますと、この機械・・・・で道が分かると教えていただいたのですが」

「……あの、ひとつ聞いていいか」

「はい」

 俺は信じられないものを見た気がした。どこからタイムスリップしてきたというのだろうか。

「あんた、いくつだ」

「年齢ですか?」

「ああ、うん」

「今年で二十三歳になります。それよりその、どなたか使い方か、道を知ってらっしゃる方に心当たりはありませんか」

 申し訳なさそうに目を伏せる。俺は下心を奥底に沈めて、いっそどうにでもなれ、といった気持ちで、

「どこに行きたいんだ」

 と、答えた。ここまで来ると、ウソかどうか判断は出来ない。騙されるなら、むさいおっさんや、口の上手い仲間よりも美女の方がいい。そんな気分だった。

「東口へ繋がる歩道橋なのですが、ありますか」

「池袋大橋か。観光で行くような場所じゃないけど、あるよ」

「観光ではありません」

 彼女はその目を真っ直ぐに俺に向けた。その輝きは真剣で、口許はきゅっと結ばれている。

 俺は怪訝に眉根を寄せる。こんな時間に、歩道橋に行きたい。それも観光目的じゃない。そもそも観光名所なんかじゃないのだ。そんなやつ、寡聞にして俺は知らない。

「じゃあ、なにしに行くんだよ」

 そう訊いて、彼女が答えたとき、俺の背筋に冷たいものが走った。

 それは彼女がウソをついていると分かったからではなく――むしろ逆に、それが性癖やジョークの類ではないとその表情が、切羽詰まったような、その目が口よりも饒舌に物語っていたからに他ならない。

「幽霊に、会いに行くんです」

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