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45.最終話 敏腕リーマンは大型ワンコを連れ帰る
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職場のフロアに定時の音楽が鳴る。ふぅ~と大きく息を吐き、手を組んで頭上にぐっと伸ばす。同時に首を回すと関節が音を立てた。
うーん、今日もよく働いた。
疲れているけど、肩に重石を乗せたような怠さはない。頭痛薬も引き出しの奥にしまったまま長らく出番から遠のいている。
「喜多かちょ~、おつかれさま~っす」
「はーいお疲れさま」
「あれ?喜多さんは早く帰らなくていいんですか?」
「え……あっ!!わ~~~っまずい、もう行かないと!みんな今日は残業禁止だからねっ。お先です!」
「あはは、喜多さん走ってるのウケる。デートかな?」
「あれ、ペット飼いだしたんじゃなかった?」
「いや違うって。おれこの前見ちゃったんだけどさ、――――」
部下たちに噂されていることも知らず、柊は小走りで職場を出た。途中で総務部の部長に走るなと叱られたけど、足をゆっくり動かしたのは彼女の目が届く範囲までだった。見えなくなったらまた走る。
以前は人に叱られるのが怖くて、怒られそうな行動なんて全く取れなかったのに。
柊は殻をひとつ破った。ちょっとくらい失敗したっていい。その先に大事な理由があるのなら。
駅に向かって急ぐ。途中にある小さなビルの前を通るとき、チラッと視線を向けた。
一階にコンビニが入っていて、ビルの横手から入るとエレベーターホールがある。そこにあったマッサージ店の立て看板はもうない。夕里が辞めてから一気に客足は遠のき、経営難に陥ったらしい。
それはそうだろう。噂好きのセラピストたちが作ったギスギスした店の雰囲気は、リラックスしたいと来ている客にとって真逆の効果をもたらす。接客も技術もみんな彼に及ばず、良くしようという努力も見られなかった。
柊が感じていた残念さは他の客も同様で、夕里の噂が広がっていないかと念のため確認してみた口コミサイトには、彼女たちへのクレームばかりが書かれていた。……千尋に紹介しなくてよかった。
歓楽街を抜けて駅につく。待ち合わせは六時十五分、花屋の前。水色、黄色、桃色。
軒先に置かれた鮮やかな色の花々に混じって、凛と白い百合がある。少し横向き加減に咲かせる優美な姿は、うちの子と比べると物静かな趣がある。
まぁでも――
「柊さんっ!」
「ゆりくん!ごめん、遅れて……」
「会いたかった~~~っ」
――うちの子がいちばん可愛い。
柊を見つけた瞬間、向こうでぴょんと飛び跳ねた気がした。駆け寄ってきた夕里は、いつものように抱きつこうとして外であることに気づき、そっと肩に手を置いてくる。身体はでかいのに、行動がかわいすぎる。
「……あとでぎゅっと抱きしめさせて下さいね」と耳元で囁かれ、匂わせられた甘い響きに心臓が震えた。
別に感動の再会を演じなくたって……帰る場所は一緒なのに。外で待ち合わせて、デートをしてみたいと申し出たのは自分なのだ。
それでもやっぱりこんな風に会うのは嬉しくて、ドキドキして、楽しい。幸せな感情で胸が詰まって、つかのま目を閉じた。甘いものを噛み締める。
「……は?誘ってます?」
「え、なにが?行こう、映画はじまっちゃう」
「も~~~っ。映画始まって暗くなったらキスします今決めました」
「はっ?だめだめ、なに言ってるの『待て』しなさい」
「わんっ(無理)」
連れ帰ってから、この子はずっと浮かれ気味だ。ただそれは自分も同じだから文句は言えない。
家に持ち込まれたおしゃれなソファは、柊と夕里の定位置。いまだに正しい座り方はわからないが、彼が背もたれになってくれるのが普通になった。
東京に帰ったあと。フリーターに戻って、マッサージに関連する資格を取るため、通信で学校に通うと夕里は言い出した。それはもともと頭のどこかにあって、柊と付き合うことになったタイミングで決意したようだ。
やりたいことは応援したい。資格を取るのも賛成だ。しかし生活費と学費を稼ぎながらの勉強は大変だろう。
いまだけと言っても、なかなか会えない日々になるのは想像に容易い。それはちょっと……離れていたからこそ不安だ。
だから柊は提案した。養ってやるから家に来いと――
彼は悩んだようだが結局うちに来て、毎日一生懸命勉強している。宿代だと掃除洗濯炊事までやってくれて、家事代行サービスは解約した。外食や無駄に高い栄養食品を買わなくて良くなったおかげで、結果的にかなり支出は減っている。
最初は『恋人に住み込みでお世話させるなんて、申し訳ないししなくていい』と、そう言ったけれど。夕里は『やりたいからやっている』の一点張りで……最終的に柊が折れた。
確かに彼は全然嫌そうじゃない、どころか嬉々としてやっている。たまにマッサージもしてくれるし、仕事は応援してくれる。たまにだらだらと家で仕事しそうになると捕まり、寝かしつけられたりベッドで悪戯されたりする。
一家に一台どころじゃない。夕里はヒモみたいだと未だ気にしているものの、別に浪費させられていないしもっと広いマンションに引っ越してもいいと思っているくらいだ。
正直なところ、幸せすぎてもう離れて暮らすことが考えられないくらい。
まぁ無理と言っているのに何度もイかされたり、あえて恥ずかしい格好で抱かれたりするのは、真剣にご勘弁願いたい。夕里は『柊さんのせい』というが、君の性癖も大概なんだからな。もう!
「予約ありがと。席はどのへん?」
「あ、この“イチャイチャカップルシート~ラブラブタイム~”ってとこにしときました!」
「……名前ダサッ」
もっとも、名前に惑わされてやめるという選択肢はない。あの疲れ切っていた日。夕里について行ってよかったと心から思う。
向かった先に至高の時間、そして人生を変えるような出会いが待っているだなんて……予想もしなかった。
人生は決断の連続だ。選択して行動して――柊は大事なものを手に入れた。
「ひーらぎさんっ。いちゃいちゃしましょうね!」
「もう……控えめにしてよ……」
――――――――――
ここまでお読みいただきありがとうございました!
もしよろしければひと言でも感想をいただけると、また今後も頑張れます。
一旦完結としますが、番外編は書こうと決めていますのでしばらくお待ち下さい♡
うーん、今日もよく働いた。
疲れているけど、肩に重石を乗せたような怠さはない。頭痛薬も引き出しの奥にしまったまま長らく出番から遠のいている。
「喜多かちょ~、おつかれさま~っす」
「はーいお疲れさま」
「あれ?喜多さんは早く帰らなくていいんですか?」
「え……あっ!!わ~~~っまずい、もう行かないと!みんな今日は残業禁止だからねっ。お先です!」
「あはは、喜多さん走ってるのウケる。デートかな?」
「あれ、ペット飼いだしたんじゃなかった?」
「いや違うって。おれこの前見ちゃったんだけどさ、――――」
部下たちに噂されていることも知らず、柊は小走りで職場を出た。途中で総務部の部長に走るなと叱られたけど、足をゆっくり動かしたのは彼女の目が届く範囲までだった。見えなくなったらまた走る。
以前は人に叱られるのが怖くて、怒られそうな行動なんて全く取れなかったのに。
柊は殻をひとつ破った。ちょっとくらい失敗したっていい。その先に大事な理由があるのなら。
駅に向かって急ぐ。途中にある小さなビルの前を通るとき、チラッと視線を向けた。
一階にコンビニが入っていて、ビルの横手から入るとエレベーターホールがある。そこにあったマッサージ店の立て看板はもうない。夕里が辞めてから一気に客足は遠のき、経営難に陥ったらしい。
それはそうだろう。噂好きのセラピストたちが作ったギスギスした店の雰囲気は、リラックスしたいと来ている客にとって真逆の効果をもたらす。接客も技術もみんな彼に及ばず、良くしようという努力も見られなかった。
柊が感じていた残念さは他の客も同様で、夕里の噂が広がっていないかと念のため確認してみた口コミサイトには、彼女たちへのクレームばかりが書かれていた。……千尋に紹介しなくてよかった。
歓楽街を抜けて駅につく。待ち合わせは六時十五分、花屋の前。水色、黄色、桃色。
軒先に置かれた鮮やかな色の花々に混じって、凛と白い百合がある。少し横向き加減に咲かせる優美な姿は、うちの子と比べると物静かな趣がある。
まぁでも――
「柊さんっ!」
「ゆりくん!ごめん、遅れて……」
「会いたかった~~~っ」
――うちの子がいちばん可愛い。
柊を見つけた瞬間、向こうでぴょんと飛び跳ねた気がした。駆け寄ってきた夕里は、いつものように抱きつこうとして外であることに気づき、そっと肩に手を置いてくる。身体はでかいのに、行動がかわいすぎる。
「……あとでぎゅっと抱きしめさせて下さいね」と耳元で囁かれ、匂わせられた甘い響きに心臓が震えた。
別に感動の再会を演じなくたって……帰る場所は一緒なのに。外で待ち合わせて、デートをしてみたいと申し出たのは自分なのだ。
それでもやっぱりこんな風に会うのは嬉しくて、ドキドキして、楽しい。幸せな感情で胸が詰まって、つかのま目を閉じた。甘いものを噛み締める。
「……は?誘ってます?」
「え、なにが?行こう、映画はじまっちゃう」
「も~~~っ。映画始まって暗くなったらキスします今決めました」
「はっ?だめだめ、なに言ってるの『待て』しなさい」
「わんっ(無理)」
連れ帰ってから、この子はずっと浮かれ気味だ。ただそれは自分も同じだから文句は言えない。
家に持ち込まれたおしゃれなソファは、柊と夕里の定位置。いまだに正しい座り方はわからないが、彼が背もたれになってくれるのが普通になった。
東京に帰ったあと。フリーターに戻って、マッサージに関連する資格を取るため、通信で学校に通うと夕里は言い出した。それはもともと頭のどこかにあって、柊と付き合うことになったタイミングで決意したようだ。
やりたいことは応援したい。資格を取るのも賛成だ。しかし生活費と学費を稼ぎながらの勉強は大変だろう。
いまだけと言っても、なかなか会えない日々になるのは想像に容易い。それはちょっと……離れていたからこそ不安だ。
だから柊は提案した。養ってやるから家に来いと――
彼は悩んだようだが結局うちに来て、毎日一生懸命勉強している。宿代だと掃除洗濯炊事までやってくれて、家事代行サービスは解約した。外食や無駄に高い栄養食品を買わなくて良くなったおかげで、結果的にかなり支出は減っている。
最初は『恋人に住み込みでお世話させるなんて、申し訳ないししなくていい』と、そう言ったけれど。夕里は『やりたいからやっている』の一点張りで……最終的に柊が折れた。
確かに彼は全然嫌そうじゃない、どころか嬉々としてやっている。たまにマッサージもしてくれるし、仕事は応援してくれる。たまにだらだらと家で仕事しそうになると捕まり、寝かしつけられたりベッドで悪戯されたりする。
一家に一台どころじゃない。夕里はヒモみたいだと未だ気にしているものの、別に浪費させられていないしもっと広いマンションに引っ越してもいいと思っているくらいだ。
正直なところ、幸せすぎてもう離れて暮らすことが考えられないくらい。
まぁ無理と言っているのに何度もイかされたり、あえて恥ずかしい格好で抱かれたりするのは、真剣にご勘弁願いたい。夕里は『柊さんのせい』というが、君の性癖も大概なんだからな。もう!
「予約ありがと。席はどのへん?」
「あ、この“イチャイチャカップルシート~ラブラブタイム~”ってとこにしときました!」
「……名前ダサッ」
もっとも、名前に惑わされてやめるという選択肢はない。あの疲れ切っていた日。夕里について行ってよかったと心から思う。
向かった先に至高の時間、そして人生を変えるような出会いが待っているだなんて……予想もしなかった。
人生は決断の連続だ。選択して行動して――柊は大事なものを手に入れた。
「ひーらぎさんっ。いちゃいちゃしましょうね!」
「もう……控えめにしてよ……」
――――――――――
ここまでお読みいただきありがとうございました!
もしよろしければひと言でも感想をいただけると、また今後も頑張れます。
一旦完結としますが、番外編は書こうと決めていますのでしばらくお待ち下さい♡
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