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29.未来と決意
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今日はタンクトップに薄手の柄シャツを羽織っているレンが、餃子用の小皿を手渡してくる。相変わらず筋肉を強調する夏みたいな薄着だなぁと思いながら、カウンターに並べられた調味料でタレを作った。
いまの柊に、あの日ほどの警戒心はない。あの時は酔っ払って訳がわからなくなっていたけど結局実害はなかったし、階段から転がり落ちるのも阻止してもらった。むしろあのタイミングで深酒せずに帰れて、感謝したいくらいの気持ちだった。
ここはみんなが見て見ぬ振りをするバーでもないから安全だ。努めて冷静に返事をした。餃子を口に運ぶ。
「今日は飲みません。この近くに住んでいるんですか?――熱ぅッ!」
「くっ、くくく……ふははは!大丈夫?」
「んぅ……ありがとう」
差し出されたビールを受け取って口の中を冷やす。愉快で仕方ないといった様子で笑うレンに、ここの餃子は皮が厚いから熱が逃げにくいのだと教えてもらった。フランクすぎる彼に、いつの間にか自分の敬語も取れてしまう。
どうせならもっと早く教えてほしかったと涙目で睨みつつも、モチモチの皮に包まれた餃子はすごく美味い。
タレにつけ、ご飯にワンバウンドしてから口に運ぶ。その勢いで飯を口に運べば、口の中は幸せでいっぱいになった。うまぁ。
手元にあったビールで口の中に残る油っぽさを流す。うますぎる。無限に食べられそうだ。
「あれ、ビールなんて頼んだっけ……あっ。ごめん!」
「いいよいいよ、この前のお詫び」
「いや、ていうか……ありがとう。この前は命を救ってくれて」
「鶴の恩返しかよ」
レンはいつの間にか追加で注文したビールを片手で受け取って、柊のジョッキと交換した。カツンと勝手にジョッキ同士を合わせて乾杯し、もう半分ほどになってしまったビールを美味そうに飲む。
柊の目の前には冷えたジョッキになみなみと注がれたビール。せっかくだから付き合ってよとレンに言われ、一杯だけなら……と諦めた気持ちで杯を傾けた。
ひと口飲んだ時点で負けだった気がする。だが酒には強くないし、よく考えたら明日は部署の飲み会だからさっさと食べ終えて帰ろう。
レンは近くのスペインバルで働いていて、今日は休みなんだそうだ。こいつもこの近くに住んでるのかなってぼんやり思ったところで、爆弾が投下された。
「ゆりって、好きな子?逃げられちゃったんだ?」
「違っ、そんなんじゃない!」
好きな子って……!咄嗟に言い返すが、図星を突かれたかのように顔が熱い。えっ図星……?
夕里が柊から逃げた可能性について自問していると、中華そばを持ってきたおばあちゃんの女将が柊の顔を見てハッとしたように声を上げた。白いパーマヘアが揺れる。
「見覚えあると思ったら、ゆりちゃんが連れてきた子じゃないの~!そういえばあれ以来見てないけど、あの子元気?」
「いや……僕も最近会ってなくて」
女将曰く、夕里はけっこう頻繁に来ていたのにしばらく見ていないらしい。ヘッドマッサージ店を辞めたとはいえ、ここは彼の家の近所だ。ここにも来なくなるってことは、家にもいないのか……?
悶々と考えながら、伸びる前にと麺を啜る。レンが「意外~。ゆりちゃんね~」とオネエ言葉で意味ありげにこちらを見ながら呟いた。
「ほんとに、どこか行っちゃったんだ?」
「あぁ、仕事も急に辞めて……家も行ってみたんだけどいなかった」
「実家に帰らせていただきますってやつ?」
なんだっけそのフレーズ……ぽろりと箸からナルトが落ちる。と、同時に目から鱗が落ちた。
実家か……!
◇
翌日は、定時を一時間過ぎたところでみんな仲良く仕事を切り上げた。男性陣は朝から見るからに生き生きとしていたし、女性陣はいつもより装いが華やかに見える。
幸い急ぎの仕事もなく、柊も表面上は穏やかに一日を過ごせたと思う。今日は家族サービスならぬ、部署サービスデーだ。
部下に付いて部署を出る。休憩エリアを通り過ぎようとすると、何故か千尋が合流した。
「特別ゲストでーす!」
どうやら偶然飲み会の噂を聞きつけた千尋が立候補し、「ひいちゃん呼びの人だ!」と諸手を挙げて歓迎されたらしい。どんな認知のされ方……?
とはいえ柊も実は緊張していたので、千尋がいるならと心強く感じた。
駅前のカジュアルフレンチは予約で満席の人気店だ。どんな店がいいか訊かれたとき、居酒屋じゃなくてもいいと答えた結果だろう。
営業部出身の柴野がてきぱきと采配し、席順まで決めてくれていたようだ。大きな長方形のテーブルに三人ずつが向かい合って座り、お誕生日席に柊。拒否権はなかった。
「えーっと……この半年間お疲れさまでした。そしてこんな上司についてきてくれてありがとう。今日は無礼講でいきましょう。お酌は受け付けませんが、文句は、受け付けます……え、なんで笑うの?と、とにかく、今日は賞金があるので好きなだけ食べて飲みましょう。かんぱーい!」
下手くそな音頭を取って、食事会という名の飲み会が始まる。
食事の内容はお店定番のコースだが、柊の一存でメインは牛フィレ肉に変えてもらった。ご褒美なんだから、やっぱり肉だろう。
いまの柊に、あの日ほどの警戒心はない。あの時は酔っ払って訳がわからなくなっていたけど結局実害はなかったし、階段から転がり落ちるのも阻止してもらった。むしろあのタイミングで深酒せずに帰れて、感謝したいくらいの気持ちだった。
ここはみんなが見て見ぬ振りをするバーでもないから安全だ。努めて冷静に返事をした。餃子を口に運ぶ。
「今日は飲みません。この近くに住んでいるんですか?――熱ぅッ!」
「くっ、くくく……ふははは!大丈夫?」
「んぅ……ありがとう」
差し出されたビールを受け取って口の中を冷やす。愉快で仕方ないといった様子で笑うレンに、ここの餃子は皮が厚いから熱が逃げにくいのだと教えてもらった。フランクすぎる彼に、いつの間にか自分の敬語も取れてしまう。
どうせならもっと早く教えてほしかったと涙目で睨みつつも、モチモチの皮に包まれた餃子はすごく美味い。
タレにつけ、ご飯にワンバウンドしてから口に運ぶ。その勢いで飯を口に運べば、口の中は幸せでいっぱいになった。うまぁ。
手元にあったビールで口の中に残る油っぽさを流す。うますぎる。無限に食べられそうだ。
「あれ、ビールなんて頼んだっけ……あっ。ごめん!」
「いいよいいよ、この前のお詫び」
「いや、ていうか……ありがとう。この前は命を救ってくれて」
「鶴の恩返しかよ」
レンはいつの間にか追加で注文したビールを片手で受け取って、柊のジョッキと交換した。カツンと勝手にジョッキ同士を合わせて乾杯し、もう半分ほどになってしまったビールを美味そうに飲む。
柊の目の前には冷えたジョッキになみなみと注がれたビール。せっかくだから付き合ってよとレンに言われ、一杯だけなら……と諦めた気持ちで杯を傾けた。
ひと口飲んだ時点で負けだった気がする。だが酒には強くないし、よく考えたら明日は部署の飲み会だからさっさと食べ終えて帰ろう。
レンは近くのスペインバルで働いていて、今日は休みなんだそうだ。こいつもこの近くに住んでるのかなってぼんやり思ったところで、爆弾が投下された。
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好きな子って……!咄嗟に言い返すが、図星を突かれたかのように顔が熱い。えっ図星……?
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女将曰く、夕里はけっこう頻繁に来ていたのにしばらく見ていないらしい。ヘッドマッサージ店を辞めたとはいえ、ここは彼の家の近所だ。ここにも来なくなるってことは、家にもいないのか……?
悶々と考えながら、伸びる前にと麺を啜る。レンが「意外~。ゆりちゃんね~」とオネエ言葉で意味ありげにこちらを見ながら呟いた。
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「実家に帰らせていただきますってやつ?」
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実家か……!
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翌日は、定時を一時間過ぎたところでみんな仲良く仕事を切り上げた。男性陣は朝から見るからに生き生きとしていたし、女性陣はいつもより装いが華やかに見える。
幸い急ぎの仕事もなく、柊も表面上は穏やかに一日を過ごせたと思う。今日は家族サービスならぬ、部署サービスデーだ。
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どうやら偶然飲み会の噂を聞きつけた千尋が立候補し、「ひいちゃん呼びの人だ!」と諸手を挙げて歓迎されたらしい。どんな認知のされ方……?
とはいえ柊も実は緊張していたので、千尋がいるならと心強く感じた。
駅前のカジュアルフレンチは予約で満席の人気店だ。どんな店がいいか訊かれたとき、居酒屋じゃなくてもいいと答えた結果だろう。
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下手くそな音頭を取って、食事会という名の飲み会が始まる。
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