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26.過去と秘密
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「お兄さん、ひとり?」
「わぁ!?︎」
食い入るようにスマートフォンの画面を見ていたせいで、突然肩を組まれたことに仰天し叫んでしまった。距離感がおかしくないっ?
深夜のバーで声を掛けてきたのは見境なく酔っ払った妖艶な女性……ではなく、鍛えた身体を強調するようなパツパツのTシャツを着た男性だった。
同い年くらいだろうか、顔が濃い。洒落た感じで髭を整えていて、関わったことのない人種だ。気持ちと共に足を半歩引いてしまう。
男は柊が驚きすぎなことが面白かったのか、格好を崩して笑う。くしゃっとした顔もなんだか男臭くて、すごくモテそうだなとぼんやり思った。
「俺はレン。一人でつまらなそうな顔してるからさ、一緒に飲まない?」
腰を撫でるように手を添えられて、大袈裟にビクンと震える。左右を見渡したけど、やっぱり柊に声を掛けたのだと納得せざるを得なかった。
どうして自分に声を掛けるんだろう。店には少ないながらも若い女性グループがいくつかいて、目の前の男、レンにもチラチラと視線を向けている。
見るからに夜をウェーイと楽しむタイプではない自分が陽キャっぽい男性から声を掛けられる理由。それに思い至って、柊は慌てて鞄を持ち店の入り口に向かって走った。
絶対たかられる……!下手したら身包み剥がされ金目のものを全て奪われて、路地裏にポイだ。
夜の街事情に詳しくない柊は、会社のパソコンだけは死守しなければという一心だった。
まるで飲み逃げだけど、注文するときに先に支払う形式で助かった。腕力には自信がないため逃げる一択だ。
地下からの階段を一気に駆け上がる。しかし急に走ったことによってアルコールが急速に全身へと回ってしまった。
ぐわん、と頭がふらつく。後ろにぐらりと重心がずれて、背中から真っ逆さまに階段へと落ちそうに――
「う、わっ……!」
「ちょ!あっぶなー!!ねぇ、結構酔ってるでしょ。逃げなくてもすぐに取って食ったりしないのに……大丈夫?家まで送ろうか?」
「ヒッ。あ、ありがとう。結構です!」
いい体格に背中を支えられて、危機一髪だった。本来ならレンに感謝すべき場面だろうが、そのまま後ろからぎゅっと腕が胴体に回されて身の危険を感じる。
捕らえられたら逃げ場はない……!夢の中で殺人鬼や人喰い巨人から逃げるときのように、なりふり構わず柊は走った。
ちょうど客を下ろしたばかりのタクシーを見つけて乗り込み、行き先を告げる。下を向いてぜえぜえ荒く呼吸していると、動き出した車内で吐き気に襲われそうになった。慌てて窓の外を見る。
路端に立ったレンがこちらを見ていた。にこやかに手を振っていて、対応に困ったもののぺこりと頭を下げる。感謝すべきなのか怒るべきなのか、判断に迷う。
逃げる羽目になったのは彼のせいだけど、あのまま階段へ落ちていたらなかなかの怪我をしていたに違いない。
「はぁ~……」
タクシーは夜の街をノロノロと進んでいく。車はこれでも目的地が定まっているが、柊は自分がこれからどこへ進んでいけばいいのか分からなかった。
そもそももう進むべき道なんてなくて、立ち止まるべきなのかもしれない。
週刊誌の記事をスマホで撮ったような荒い写真には、カウンターしかないバーで誰かと話す夕里らしき人物が写っていた。
『人気ハンドボーラー 怪我で荒んだ生活 現した本性 向かった先はまさかのゲイバー!』そんな文字の羅列が強調されていた。
元々小さな記事だったのだろう。太字になっていないところは画面からは読めなかったが、わざといやらしく書かれていることが見てとれた。
週刊誌だから、仕方ない部分はあるのだと思う。嘘や推測で塗り固められた文章の可能性だってある。
しかし夕里が怪我でハンドボールを続けられない状態になっていたのは、おそらく正しい。そんなときにこんな記事が出てしまったら……誰だって傷つく。
別に大人の彼が気晴らしに飲みに行ったって、それも自分の性的指向に素直になれる場所へ行ったって、いいじゃないか。
でも週刊誌が発売されたあと、あるいは記事が出る直前に内容を知った企業から尋ねられた彼が素直に答えたところで、印象は良くならなかったに違いない。
有名であればあるほど、きっとすごい噂になる。あのセラピストの女性然りゴシップ好きな人はあまりにも多く、そうでない人と比べて声が大きい。
夕里は何も悪くない。ただ、運が悪かった。時代が追いついてなかった。勤め先を辞めたことは、心を守るための手段として英断だったはずだ。
夕里の家族がそのときどうしていたのかは知らないが、彼は一人で、あるいは家族と一緒に立ち直った。
柊の知る彼は、優しくて明るくて、真面目な人。そういった人は繊細だ。初対面で、苦労したことがなさそうだなんて思ってしまった自分を殴りたくなる。
今回の件が、トラウマを刺激することになっていないといいけど……夕里はどこへ行ってしまったんだろう。この夜も明るい繁華街のどこかにいるのか、あるいは……
「……あ。家、知ってるじゃん」
ふと思い出し、思わず声に出してしまう。フロントミラー越しに運転手がチラとこちらを見てきて、慌てて何でもないと首を振った。
一度だけ行った家に押しかけるなんて、勘違いストーカーっぽいし迷惑行為と捉えられても仕方ない。とはいえ、柊に取れる手段はそれしか思いつかなかった。
「わぁ!?︎」
食い入るようにスマートフォンの画面を見ていたせいで、突然肩を組まれたことに仰天し叫んでしまった。距離感がおかしくないっ?
深夜のバーで声を掛けてきたのは見境なく酔っ払った妖艶な女性……ではなく、鍛えた身体を強調するようなパツパツのTシャツを着た男性だった。
同い年くらいだろうか、顔が濃い。洒落た感じで髭を整えていて、関わったことのない人種だ。気持ちと共に足を半歩引いてしまう。
男は柊が驚きすぎなことが面白かったのか、格好を崩して笑う。くしゃっとした顔もなんだか男臭くて、すごくモテそうだなとぼんやり思った。
「俺はレン。一人でつまらなそうな顔してるからさ、一緒に飲まない?」
腰を撫でるように手を添えられて、大袈裟にビクンと震える。左右を見渡したけど、やっぱり柊に声を掛けたのだと納得せざるを得なかった。
どうして自分に声を掛けるんだろう。店には少ないながらも若い女性グループがいくつかいて、目の前の男、レンにもチラチラと視線を向けている。
見るからに夜をウェーイと楽しむタイプではない自分が陽キャっぽい男性から声を掛けられる理由。それに思い至って、柊は慌てて鞄を持ち店の入り口に向かって走った。
絶対たかられる……!下手したら身包み剥がされ金目のものを全て奪われて、路地裏にポイだ。
夜の街事情に詳しくない柊は、会社のパソコンだけは死守しなければという一心だった。
まるで飲み逃げだけど、注文するときに先に支払う形式で助かった。腕力には自信がないため逃げる一択だ。
地下からの階段を一気に駆け上がる。しかし急に走ったことによってアルコールが急速に全身へと回ってしまった。
ぐわん、と頭がふらつく。後ろにぐらりと重心がずれて、背中から真っ逆さまに階段へと落ちそうに――
「う、わっ……!」
「ちょ!あっぶなー!!ねぇ、結構酔ってるでしょ。逃げなくてもすぐに取って食ったりしないのに……大丈夫?家まで送ろうか?」
「ヒッ。あ、ありがとう。結構です!」
いい体格に背中を支えられて、危機一髪だった。本来ならレンに感謝すべき場面だろうが、そのまま後ろからぎゅっと腕が胴体に回されて身の危険を感じる。
捕らえられたら逃げ場はない……!夢の中で殺人鬼や人喰い巨人から逃げるときのように、なりふり構わず柊は走った。
ちょうど客を下ろしたばかりのタクシーを見つけて乗り込み、行き先を告げる。下を向いてぜえぜえ荒く呼吸していると、動き出した車内で吐き気に襲われそうになった。慌てて窓の外を見る。
路端に立ったレンがこちらを見ていた。にこやかに手を振っていて、対応に困ったもののぺこりと頭を下げる。感謝すべきなのか怒るべきなのか、判断に迷う。
逃げる羽目になったのは彼のせいだけど、あのまま階段へ落ちていたらなかなかの怪我をしていたに違いない。
「はぁ~……」
タクシーは夜の街をノロノロと進んでいく。車はこれでも目的地が定まっているが、柊は自分がこれからどこへ進んでいけばいいのか分からなかった。
そもそももう進むべき道なんてなくて、立ち止まるべきなのかもしれない。
週刊誌の記事をスマホで撮ったような荒い写真には、カウンターしかないバーで誰かと話す夕里らしき人物が写っていた。
『人気ハンドボーラー 怪我で荒んだ生活 現した本性 向かった先はまさかのゲイバー!』そんな文字の羅列が強調されていた。
元々小さな記事だったのだろう。太字になっていないところは画面からは読めなかったが、わざといやらしく書かれていることが見てとれた。
週刊誌だから、仕方ない部分はあるのだと思う。嘘や推測で塗り固められた文章の可能性だってある。
しかし夕里が怪我でハンドボールを続けられない状態になっていたのは、おそらく正しい。そんなときにこんな記事が出てしまったら……誰だって傷つく。
別に大人の彼が気晴らしに飲みに行ったって、それも自分の性的指向に素直になれる場所へ行ったって、いいじゃないか。
でも週刊誌が発売されたあと、あるいは記事が出る直前に内容を知った企業から尋ねられた彼が素直に答えたところで、印象は良くならなかったに違いない。
有名であればあるほど、きっとすごい噂になる。あのセラピストの女性然りゴシップ好きな人はあまりにも多く、そうでない人と比べて声が大きい。
夕里は何も悪くない。ただ、運が悪かった。時代が追いついてなかった。勤め先を辞めたことは、心を守るための手段として英断だったはずだ。
夕里の家族がそのときどうしていたのかは知らないが、彼は一人で、あるいは家族と一緒に立ち直った。
柊の知る彼は、優しくて明るくて、真面目な人。そういった人は繊細だ。初対面で、苦労したことがなさそうだなんて思ってしまった自分を殴りたくなる。
今回の件が、トラウマを刺激することになっていないといいけど……夕里はどこへ行ってしまったんだろう。この夜も明るい繁華街のどこかにいるのか、あるいは……
「……あ。家、知ってるじゃん」
ふと思い出し、思わず声に出してしまう。フロントミラー越しに運転手がチラとこちらを見てきて、慌てて何でもないと首を振った。
一度だけ行った家に押しかけるなんて、勘違いストーカーっぽいし迷惑行為と捉えられても仕方ない。とはいえ、柊に取れる手段はそれしか思いつかなかった。
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