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結局いつものように即寝落ちしてしまい、気づけばマッサージの時間は終わっていた。ロングコースまで経験した身からすると、ショートコースには物足りなさを覚えてしまう。
こんな贅沢な身体になってしまって、夕里が辞めたらこの先どうすればいいのだろう。自分が気持ちよさのあまり声を我慢できない体質だと知ったことで、他の人、しかも女性の施術なんて受けられる気がしない。
「ゆりくん、僕の専属になってくれないかなぁ……」
「……す、すごい殺し文句ですね」
「ん?」
目の上のタオルを取られたとき、寝起きのぼーっとした頭で考えていたことをそのまま口に出した。
上から柊を見下ろしていた夕里は大きな手で自分の口元を抑えている。顔が真っ赤に見えるのは、気のせいだろうか。
上半身を起こしてちゃんと確認しようとしたけれど、彼は「受付で待ってますね」と言い残して足早に部屋を出ていってしまった。
はじめに対話の時間を必要としていたから、今日は時間が押している。柊は腕時計を見て、慌ててスーツに着替えた。
受付へ戻ると、夕里の姿は見えなかった。来たときに会った女性がお茶を持ってきて「夕里は次の予約の方に入りましたので」とだけ告げて去っていく。
あぁ、やっぱり柊のせいで予約が詰まってしまったのだ。申し訳なさにしおしおと項垂れ、今日は諦めてもう帰るしかないと判断した。
すぐに立ち去ろうと一気にお茶を喉へ流し込むと、思ったよりも熱いことに驚きむせてしまう。いつもはすぐに飲めるくらい、ぬるめの温度だったのだ。きっとそれも彼の心遣いだったんだろう。
柊がひとりでゲホゴホやっていると、さすがに心配したのか女性が「大丈夫ですか?」と尋ねてきた。
「ケホッ、すみません。……もう大丈夫です」
「あの~。夕里になにか変なことされてませんか?」
「……え?」
「あの子、男が好きみたいなんです。だからか、男性からの指名も多くて……もし変なことされたら、担当変えるので言ってくださいね」
眉をひそめてこそこそと柊に話した彼女は、「まぁもう、いなくなるんですけどね」と言い残して受付の方へ戻っていった。柊は唖然としてなにも言えず、店を出る。
マッサージですっきりしていた頭に、靄がかかっていくのを感じる。もちろん、夕里がバイセクシャルあるいはゲイと呼ばれる性的指向を持つことは予想できていた。でも……彼女の言葉の裏に感じた、嫌悪と悪意。
彼がさも仕事に私情を持ち込んでいるかのように語られているのは、不満だ。確かに柊とは微妙な関係になっているが、店の中で性的な行為に及ぼうとしたことなんてないし、食事に誘われたときも判断は柊に委ねられていた。
(男が好きだからって、なんなんだ?他の女性セラピストは男性の客をそういう目で見てるってことか?そっちのほうが気持ち悪いじゃないか!)
やり場のない憤りに、きつく手を握りしめる。夕里は客に対して誠実なセラピストだ。柊は彼の接客に優しさや温かさを感じたことはあれど、不満を感じたことは一度もない。
それを彼の同僚がどうして分かっていないのだろう。もしかしたらそのせいで人間関係が上手くいかず、辞めるとか?
これは予測でしかない。一度食事したくらいじゃ、夕里の悩みを聞けるような関係には程遠かった。彼はいつも柊の悩みを聞いて、それを優しい相槌と巧みなマッサージで昇華させてくれていたのだ。
夕里のことをもっと知りたい。自分だって彼の悩みを聞いて……解決してあげることまではできないかもしれないが、一緒に解決の糸口を考えたり、ストレス解消に付き合うことくらいできるはずだ。
夕里が辞めてしまうまであと少し。次こそゆっくり話せるように、ちゃんと予約しようと決意した。
(あ。連絡先もらいそびれたな……)
悶々と考え事をしつつ駅まで小走りする柊の顔にポツ、と雨粒が落ちてくる。空を見上げると厚い雲が月の光を遮ろうとしているところだった。
冷たい雨はあっという間に地面を濡らし、慌てて駅の構内に駆け込む。
予想外の雨に今朝は天気予報を見たっけと考えるが、今さら思い出しても仕方ない。
どんどん強くなる雨音を聞きながら、自宅の最寄り駅についてから十分弱の道のりを想像してウンザリとした気持ちになった。
(あー……傘持ってきてないなー……)
駅ナカのコンビニで傘を買うか、濡れるのを覚悟で走るか。鞄にはパソコンが入っているため傘代わりにする選択肢はない。
一縷の望みに賭け、スマホで自宅付近の雨雲レーダーを確認する。遠くでゴロゴロと雷鳴が聞こえた。
こんな贅沢な身体になってしまって、夕里が辞めたらこの先どうすればいいのだろう。自分が気持ちよさのあまり声を我慢できない体質だと知ったことで、他の人、しかも女性の施術なんて受けられる気がしない。
「ゆりくん、僕の専属になってくれないかなぁ……」
「……す、すごい殺し文句ですね」
「ん?」
目の上のタオルを取られたとき、寝起きのぼーっとした頭で考えていたことをそのまま口に出した。
上から柊を見下ろしていた夕里は大きな手で自分の口元を抑えている。顔が真っ赤に見えるのは、気のせいだろうか。
上半身を起こしてちゃんと確認しようとしたけれど、彼は「受付で待ってますね」と言い残して足早に部屋を出ていってしまった。
はじめに対話の時間を必要としていたから、今日は時間が押している。柊は腕時計を見て、慌ててスーツに着替えた。
受付へ戻ると、夕里の姿は見えなかった。来たときに会った女性がお茶を持ってきて「夕里は次の予約の方に入りましたので」とだけ告げて去っていく。
あぁ、やっぱり柊のせいで予約が詰まってしまったのだ。申し訳なさにしおしおと項垂れ、今日は諦めてもう帰るしかないと判断した。
すぐに立ち去ろうと一気にお茶を喉へ流し込むと、思ったよりも熱いことに驚きむせてしまう。いつもはすぐに飲めるくらい、ぬるめの温度だったのだ。きっとそれも彼の心遣いだったんだろう。
柊がひとりでゲホゴホやっていると、さすがに心配したのか女性が「大丈夫ですか?」と尋ねてきた。
「ケホッ、すみません。……もう大丈夫です」
「あの~。夕里になにか変なことされてませんか?」
「……え?」
「あの子、男が好きみたいなんです。だからか、男性からの指名も多くて……もし変なことされたら、担当変えるので言ってくださいね」
眉をひそめてこそこそと柊に話した彼女は、「まぁもう、いなくなるんですけどね」と言い残して受付の方へ戻っていった。柊は唖然としてなにも言えず、店を出る。
マッサージですっきりしていた頭に、靄がかかっていくのを感じる。もちろん、夕里がバイセクシャルあるいはゲイと呼ばれる性的指向を持つことは予想できていた。でも……彼女の言葉の裏に感じた、嫌悪と悪意。
彼がさも仕事に私情を持ち込んでいるかのように語られているのは、不満だ。確かに柊とは微妙な関係になっているが、店の中で性的な行為に及ぼうとしたことなんてないし、食事に誘われたときも判断は柊に委ねられていた。
(男が好きだからって、なんなんだ?他の女性セラピストは男性の客をそういう目で見てるってことか?そっちのほうが気持ち悪いじゃないか!)
やり場のない憤りに、きつく手を握りしめる。夕里は客に対して誠実なセラピストだ。柊は彼の接客に優しさや温かさを感じたことはあれど、不満を感じたことは一度もない。
それを彼の同僚がどうして分かっていないのだろう。もしかしたらそのせいで人間関係が上手くいかず、辞めるとか?
これは予測でしかない。一度食事したくらいじゃ、夕里の悩みを聞けるような関係には程遠かった。彼はいつも柊の悩みを聞いて、それを優しい相槌と巧みなマッサージで昇華させてくれていたのだ。
夕里のことをもっと知りたい。自分だって彼の悩みを聞いて……解決してあげることまではできないかもしれないが、一緒に解決の糸口を考えたり、ストレス解消に付き合うことくらいできるはずだ。
夕里が辞めてしまうまであと少し。次こそゆっくり話せるように、ちゃんと予約しようと決意した。
(あ。連絡先もらいそびれたな……)
悶々と考え事をしつつ駅まで小走りする柊の顔にポツ、と雨粒が落ちてくる。空を見上げると厚い雲が月の光を遮ろうとしているところだった。
冷たい雨はあっという間に地面を濡らし、慌てて駅の構内に駆け込む。
予想外の雨に今朝は天気予報を見たっけと考えるが、今さら思い出しても仕方ない。
どんどん強くなる雨音を聞きながら、自宅の最寄り駅についてから十分弱の道のりを想像してウンザリとした気持ちになった。
(あー……傘持ってきてないなー……)
駅ナカのコンビニで傘を買うか、濡れるのを覚悟で走るか。鞄にはパソコンが入っているため傘代わりにする選択肢はない。
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