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3.ふわふわタイム
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「ふわふわタイムって……」と引いている柊の呟きに苦笑いしながら、ユリが扉を開けてくれる。目の前にあった受付には女性が立っていて、「こんばんは」と目も合わせず挨拶された。
扇情的な服ではなく、黒い半袖の実用的なユニフォームのようなものを着ている。ようやく、本当に性感マッサージ店ではないと確信した。そうだったら困るのに、内心ドキドキしていたのだ。
同じ格好をしたユリが女性に耳打ちし、女性が椅子に腰掛けた柊に義務的な口調で「ここだけ書いてください」とカウンセリングシートを持ってきた。ここだけ……名前と住所、生年月日。
下の方にあるお悩みとか書く欄はいいのか?まぁ時間もないし、さっき色々とあいつに話したからかな。
ユリの姿は見えなくなって、この女性に担当されるのかとぼんやり思った。男は客引き兼、警備員みたいな役割なんだろうか。
挨拶もせずに居なくなってしまったことが、胸になんとも言えない侘しさを生んだ。あんなに話したのに……そっけないな。でも、客引きなんてそういうものなんだろう。
個室のようだけど、入り口がカーテンで閉じられただけの小さな部屋が並んでいる。店内は静かだ。
聞き覚えのあるヒーリングミュージックが聞こえてきて、ひくっと口元が震える。あーあ。それだけで癒されるのなら、こんなところに迷い込んでいない。
前払いと言われコースを確認され、ショートコースの料金を支払う。初回料金はお手頃でほっとした。
ここまで来て違法な金額を払わされたらどうしようと、まだ心のどこかで疑っていたのだ。
部屋の一つに案内されて、中には敷布団のようなマットが敷いてある。その上にポツンと置かれた服に着替えるように言われ、カーテンは閉じられた。
「こんなところで……なにしてんだろ」
ひとりになると、急に我に返ってしまう。マッサージなんて、経験したこともないのに。
疲れるといつも正常な判断ができない。仕事以外は気が抜けて、自分が何をしているのかわからなくなることも多い。
注文したことを忘れて二回分の宅配ピザが届いたり、カップ焼きそばの粉を入れ忘れたまま味薄いな~と食べたり。ボディソープを一週間毎日買い忘れて、シャンプーで身体を洗っていた時期もある。あの時はちょっと肌荒れした。
のろのろとジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩める。シャツから薄手のTシャツに着替え、下もハーフパンツになる。
フリーサイズなのか、けっこうブカブカだ。でもそれがいい。
柊は家にいるような気持ちになって、マットに座り込んだ。
「ふぅ~っ……」
風呂に入ったおっさんみたいな声が出た。部下やユリのような若者から見れば、もう自分はおっさんだよな……。
スーツを脱ぐだけで、リラックスモードになってしまうのは許してほしい。ひとりになって一瞬後悔していたが、またぼやぼやとしてきた頭で思考する。
――よく考えたら、美容院でのシャンプーさえくすぐったくて苦手なんだった。大丈夫かなぁ。つうか一日働いたあとなんて、頭臭くない?臭いと思われたら死ねる……
あ~~~。金も払ってしまったし、これからなんとも言えない時間を過ごすことになっても仕方ない。うん、諦めよう。
「柊さーん、お着替え終わりましたか?」
「あっ。は、はーい!」
カーテン越しに声を掛けられて、慌てて立ち上がる。ん?というかこの声は……
「ふふっ。なんで立ってるんですか?ここからはリラックスタイムですよ。ほら、横になってください」
ふわっと笑ったでかいイケメン……ユリが部屋に入ってきた。促されるまま仰向けになり、タオルを身体にかけられる。
「お前が担当だったのか……」
「カウンセリングは先にしましたしね。……女の子がよかったですか?」
「ゆりくんでよかった……」
「…………」
自分でも驚くほどほっとして、目を閉じる。少し長い前髪がよけられ、目元にタオルが乗せられた。光も通さないため真っ暗闇だが、心は落ち着いている。
柊は人見知りだし、特に女性が苦手なのだ。嫌いとかじゃなくて、話そうとすると緊張でモゴモゴしてしまう。スーツを着ているときだけ、社会人としての皮をかぶる術を身につけた。
スーツを脱いだ柊は、もう頑張れない。
「じゃあ、始めますね。よろしくお願いします」
「う、ん……」
ピッとアラームが設定されて、低い声が耳に吹き込まれた。おいやめろ、無駄に色気のある声しやがって……こいつ、女性の客にも人気あるんだろう、な……つーか……
「はぁーっ……なにこれ。きもちーーー……」
「よかった。今だけは仕事も忘れて……なにも考えないで、柊さん」
「あっ、そこ。やばー……」
「ふふっ」
大きな手が頭を包み込み、ぐっぐっと指圧される。ちょうど痛気持ちいい加減というものを、生まれて初めて知った。
美容院でいつもくすぐったいのは力が弱すぎたのかもしれない。太くて力強い指が絶妙な力加減で、絶妙に気持ちいい場所を触ってくれる。女性が担当じゃなくてよかったと、改めて思った。
――天にも昇る心地だ。
雲上の楽園という店の名前も、あながち間違いではない。ふわふわたいむってのは、せんすが、よくわからんけど……
◇
扇情的な服ではなく、黒い半袖の実用的なユニフォームのようなものを着ている。ようやく、本当に性感マッサージ店ではないと確信した。そうだったら困るのに、内心ドキドキしていたのだ。
同じ格好をしたユリが女性に耳打ちし、女性が椅子に腰掛けた柊に義務的な口調で「ここだけ書いてください」とカウンセリングシートを持ってきた。ここだけ……名前と住所、生年月日。
下の方にあるお悩みとか書く欄はいいのか?まぁ時間もないし、さっき色々とあいつに話したからかな。
ユリの姿は見えなくなって、この女性に担当されるのかとぼんやり思った。男は客引き兼、警備員みたいな役割なんだろうか。
挨拶もせずに居なくなってしまったことが、胸になんとも言えない侘しさを生んだ。あんなに話したのに……そっけないな。でも、客引きなんてそういうものなんだろう。
個室のようだけど、入り口がカーテンで閉じられただけの小さな部屋が並んでいる。店内は静かだ。
聞き覚えのあるヒーリングミュージックが聞こえてきて、ひくっと口元が震える。あーあ。それだけで癒されるのなら、こんなところに迷い込んでいない。
前払いと言われコースを確認され、ショートコースの料金を支払う。初回料金はお手頃でほっとした。
ここまで来て違法な金額を払わされたらどうしようと、まだ心のどこかで疑っていたのだ。
部屋の一つに案内されて、中には敷布団のようなマットが敷いてある。その上にポツンと置かれた服に着替えるように言われ、カーテンは閉じられた。
「こんなところで……なにしてんだろ」
ひとりになると、急に我に返ってしまう。マッサージなんて、経験したこともないのに。
疲れるといつも正常な判断ができない。仕事以外は気が抜けて、自分が何をしているのかわからなくなることも多い。
注文したことを忘れて二回分の宅配ピザが届いたり、カップ焼きそばの粉を入れ忘れたまま味薄いな~と食べたり。ボディソープを一週間毎日買い忘れて、シャンプーで身体を洗っていた時期もある。あの時はちょっと肌荒れした。
のろのろとジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩める。シャツから薄手のTシャツに着替え、下もハーフパンツになる。
フリーサイズなのか、けっこうブカブカだ。でもそれがいい。
柊は家にいるような気持ちになって、マットに座り込んだ。
「ふぅ~っ……」
風呂に入ったおっさんみたいな声が出た。部下やユリのような若者から見れば、もう自分はおっさんだよな……。
スーツを脱ぐだけで、リラックスモードになってしまうのは許してほしい。ひとりになって一瞬後悔していたが、またぼやぼやとしてきた頭で思考する。
――よく考えたら、美容院でのシャンプーさえくすぐったくて苦手なんだった。大丈夫かなぁ。つうか一日働いたあとなんて、頭臭くない?臭いと思われたら死ねる……
あ~~~。金も払ってしまったし、これからなんとも言えない時間を過ごすことになっても仕方ない。うん、諦めよう。
「柊さーん、お着替え終わりましたか?」
「あっ。は、はーい!」
カーテン越しに声を掛けられて、慌てて立ち上がる。ん?というかこの声は……
「ふふっ。なんで立ってるんですか?ここからはリラックスタイムですよ。ほら、横になってください」
ふわっと笑ったでかいイケメン……ユリが部屋に入ってきた。促されるまま仰向けになり、タオルを身体にかけられる。
「お前が担当だったのか……」
「カウンセリングは先にしましたしね。……女の子がよかったですか?」
「ゆりくんでよかった……」
「…………」
自分でも驚くほどほっとして、目を閉じる。少し長い前髪がよけられ、目元にタオルが乗せられた。光も通さないため真っ暗闇だが、心は落ち着いている。
柊は人見知りだし、特に女性が苦手なのだ。嫌いとかじゃなくて、話そうとすると緊張でモゴモゴしてしまう。スーツを着ているときだけ、社会人としての皮をかぶる術を身につけた。
スーツを脱いだ柊は、もう頑張れない。
「じゃあ、始めますね。よろしくお願いします」
「う、ん……」
ピッとアラームが設定されて、低い声が耳に吹き込まれた。おいやめろ、無駄に色気のある声しやがって……こいつ、女性の客にも人気あるんだろう、な……つーか……
「はぁーっ……なにこれ。きもちーーー……」
「よかった。今だけは仕事も忘れて……なにも考えないで、柊さん」
「あっ、そこ。やばー……」
「ふふっ」
大きな手が頭を包み込み、ぐっぐっと指圧される。ちょうど痛気持ちいい加減というものを、生まれて初めて知った。
美容院でいつもくすぐったいのは力が弱すぎたのかもしれない。太くて力強い指が絶妙な力加減で、絶妙に気持ちいい場所を触ってくれる。女性が担当じゃなくてよかったと、改めて思った。
――天にも昇る心地だ。
雲上の楽園という店の名前も、あながち間違いではない。ふわふわたいむってのは、せんすが、よくわからんけど……
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