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本編
58.
しおりを挟むある早朝、妙にスッキリと目覚めた。誰かに呼ばれた? と思うも周囲はシンと静まり返っている。まだ薄暗く、夜間警備の騎士以外は寝ているに違いない。
ノーナはベッドから下り、窓際へと歩み寄る。
「わ、きれい……」
そこから見える景色は、一面の雪景色だった。朝を覆う雪が、黎明の薄青に染まっている。
ノーナが起き上がれないあいだに一度積もった雪は解けてしまい、寒さは厳しいがしばらくは積もらないほどの天気が続いていた。
厚く積もったときの雪はすごく綺麗だったとシルヴァが言ったので、ノーナもこの日を待ちに待っていたのだ。
我慢できなくなって、外套を羽織り部屋を出る。自分でボタンを留めるのには時間がかかるため、本当に羽織っただけだ。
すごく寒かったけど、この美しい景色は儚くすぐに消えてしまいそうな気がして、息を切らしながら最大限急いで階段を上っていく。
玄関から外に出ると警備の者にかち合ってしまう。あえて屋上に向かったノーナは、外に出たとたん目の前に広がった景色に息を呑んだ。
朝日の昇る時間まであと少しといったところか。しかし雪のお陰で視界は思った以上に明るく、遠くまで見渡すことができた。
今回は港の方までも雪が積もったようだ。地面の段差も、屋根や常緑樹も、雪に覆われてこんもりとしていて可愛い。
雪が全ての音を吸い込んでしまうのか、驚くほど静かだ。
夜明けに向けて変化する空の色。それを余すことなく映す雪のキャンバスには感動を覚えずにはいられない。
このときばかりはノーナも、突き刺すような寒さを忘れていた。
砦の屋上を歩くと、雪の上に自分の足跡がつく。ふわっとしているのに、踏みしめるとキュッと不思議な音がする。手で掬ってみてもふわっ。固めるように握ると、きゅっ。
まっさらな新雪に自分の足跡をつけるのも思いのほか楽しくて、ノーナは童心に返って夢中になって雪で遊んだ。
「ふぁっ。さすがに、疲れた……」
「ノーナ!!」
屋上の端でぺたんと座り込んだノーナは、出入り口の方から大声で名前を呼ばれて飛び上がった。
ちょうど朝の太陽が海の向こうから顔を見せ、シルヴァの輝く銀髪を照らす。あぁ、この人はなんて綺麗なんだろう。
こちらへ向かってくるシルヴァに向かい合おうと、雪から腰を上げる。
――その瞬間、踏み締めた足元がツルッと滑り、ノーナは思わず怪我した方の手で身体を支えようとした。
「うわっ」
「ノーナッ……!」
シルヴァに支えられて、ほっと息をつく。そのまま転んでいたら、さすがに肩へのダメージが大きかったに違いない。
「……えへへ、ごめんなさい」
「駄目だ!!」
何度彼にはこんなシーンを見せてしまっているだろう。気まずげに笑ったノーナに対し、シルヴァは厳しい顔をして声を張り上げた。
びくっと肩を揺らし間近で見上げると、爛々と燃える瞳と目が合った。どうしてこんなに……怒っているの?
シルヴァはそのままノーナを抱き上げ、ずんずん砦の中へと歩みを進める。医務室へ戻るのかと考えていたが、到着したのは別の部屋だった。
パテルとの相部屋だった部屋と同じくらいの広さで、一人分のベッドが置かれている。そこに座らされたノーナは、無言の彼に毛布でぐるぐる巻きにされた。
毛布から微かにジンジャーのような爽やかな香りが漂ってきて、ノーナはここがシルヴァの部屋で、彼の使っている毛布に包まれていることを悟った。
匂いにドキドキしているノーナをよそに、彼は温水ヒーターを調整しさらに部屋を暖めていく。そんなことしなくても、外と比べれば格段に暖かいけれど。
ひととおりの部屋の準備を終えたのか、ノーナの前に跪いたシルヴァが、先ほどとは打って変わって悲痛な目でこちらを見上げてくる。
「シルヴァさん……?」
「ノーナ……早まらないでくれ! 絶望する気持ちはわかるが、王都に帰ってからも俺が全力で支える。だから……お願いだから身投げなんて考えないでほしい」
「へ? あ、あの……」
なにか盛大な行き違いがあることに気付いて、ノーナは慌てた。ミノムシ状態なのが情けないが、実情を説明する。――屋上でひとり、雪遊びをしていただけだと。
彼のいつもの硬い表情がポカンと呆けて、いたたまれない気持ちになる。思いつきの行動は余計な心配をかけてしまったみたいだ。
そもそもどうしてそんな勘違いに発展したんだろう。ノーナはこれでもしっかりした大人のつもりだし、ひとりで出かけたっていいと思うのだ。
理由を尋ねると、見舞いに訪れたシルヴァたちはリハビリ中のノーナのうめき声を偶然聞いてしまい、よっぽど苦しんでいるのだろうと胸を痛めていたらしい。
リハビリ中も患者は精神的に不安定になりやすいと医務官から言われ、注意深く見守ろうと思っていた矢先……早朝に失踪し、屋上の端で転がっているノーナを発見して早とちりしてしまったそうだ。
「……そうか。勘違いならよかった」
「僕はみなさんが思っているよりも元気ですよ? ――くしゅっ」
「なっ! 死ぬほど冷えてるじゃないか!」
くしゃみひとつで動揺したシルヴァに抱き上げられ、横抱きにされたままヒーターの前に座る。その状態で彼の手がノーナの顔や手足に触れていく。
触られている感覚が鈍い。彼の体温を熱すぎるように感じてやっと、自分の身体が冷え切っていることに気づいた。意外と長時間遊んでしまったらしい。
「すみません……」
「雪は……綺麗だったか?」
「っ! はい。とても! ぜんぶ雪に覆われてて、きれいで感動しちゃいました。毎日雪でもいいくらい。……あっ、でも騎士のみなさんは雪かきが大変ですよね」
「ふっ。子供みたいにはしゃいだんだろう。せめて防寒着はちゃんと身につけてくれ」
「あ……」
シルヴァが、笑った。目元を細めて、口角が上がる。その一瞬の表情に心を奪われて、ノーナは口をぽかんと開けたまま頬を赤らめた。
――いつぶりだろう。彼のくだけた笑顔を見たのは。
シルヴァの部屋で過ごしていたあの数週間。惚れ薬に頼らずとも距離が縮まっていき、毎日が楽しくて仕方がなかった。
初めからあんな風に自然と仲良くなれればよかったのに。それを歪めてしまったのは、他でもない自分自身だ。
彼の笑顔がいま、こんなにも尊い。ノーナは目の奥が熱くなって唇を噛みしめた。
間近で顔を見つめていたシルヴァがノーナの顎に手をかけ、親指で唇を撫でてくる。繊細な刺激に震えた唇が解放され、ノーナは近づいてくる顔を感じた。
あぁ、このまま流れに身を任せてしまいたい。彼の好意を受け取って、この先ずっと彼に守られて。
でも――――
「待って。シルヴァさん……聞いてください」
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