惚れ薬の魔法が狼騎士にかかってしまったら

おもちDX

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本編

13.

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 事務所で書類の不備を説明して部屋を出るころには、ノーナも直前の失態を忘れかけていた。だがひと気のない廊下を歩いていたとき、柱の陰からヌ、っと大きな影が現れる。

「うわぁぁ!?」

 死ぬほど驚いた。野生の熊かと思って大きく背を反らす。
 バランスを崩したノーナはまた尻もちを付きそうになって、無意識に虚空へと手を伸ばした。

 ノーナの手は空を掴むかと思われたが――シルヴァによって握られ、尻と大理石の激突は防がれた。

「……転びすぎだろ」
「あっありがとうございます! じゃあ、僕は急いでいるのでこれで!」
 
 やばい! なんでこんなところに!?
 
 ノーナは失礼と知りながらも大慌てでその場を離れようとした。でも掴まれた手は外れることがなく、足を踏み出したところでクンッとつんのめるだけに終わる。
 
 この手が離されないかぎり逃げるのは無理。じゃあ誤魔化すのは?

「あのー……ウィミナリス様。なにか経理局に御用でも?」
「お前はあのときなぜ俺の部屋にいた?」
「…………」

 ぜんぜん誤魔化せてない! 最後に押さえつけられたとき、薄暗かったから顔を覚えられていない可能性もあると期待したんだけどなぁ……
 
 魔法がかかっている間の記憶は抜け落ちているようだが、魔法をかける直前にシルヴァが経理局を訪れていたから、すぐにノーナだと検討がついてしまったのかもしれない。
 
 回答によってはやはり警吏につき出されてしまうだろう。ノーナは必死に考えを巡らせた。暑い空気のなか冷や汗が背筋を伝う。

「……すきで」
「は?」
「ず、ずっと好きだったんです。う、ウィミナリス様と寝所を共にしたような気持ちになりたくて……えーと、眠っているところに忍び込みました。でも、安心してください! あなたは抱きまくらかなにかと間違えて僕を抱きしめてくれた。それだけです。自分勝手なことをして、も、申し訳ありませんでした……!」

 矛盾しかない説明だった。
 しどろもどろになりながら、ノーナは『男好きのストーカー』というレッテルを貼られる覚悟をする。それでも、信じてもらえるのならばおそらくギリギリ犯罪じゃない。
 
 シルヴァに気味悪がられるのは仕方ない。甘い彼を見てしまったあとだと悲しさに胸が詰まるけど、なにもかも自分が欲を出したせいだ。
 あの状況に、彼の持つ純粋さに、絆されてしまった。ちゃんと拒否すれば、彼だってノーナに手を出しはしなかっただろう。

 ぎゅっと目を閉じて、深く頭を下げる。その拍子に掴まれた腕は解かれたけど、シルヴァはなかなか喋り出さなかった。無言の時間が重い。
 
 しばらくして肩に手を置かれたとき、ノーナはビクッと身体を揺らした。おそるおそる顔を上げようとするが、内心怖くて仕方がない。
 彼はどんな顔をしているだろう。鬼神という肩書きに違わぬ、鬼みたいな表情? それとも、心底ノーナを軽蔑した表情だろうか。

「……顔を上げてくれ」

 言われるがまま声の方へ視線を向けると、なぜかほんのりと頬を染めたシルヴァが口元を手で覆っていた。予想していた反応と違いすぎて「えっ」と小さく声を上げてしまう。

「悪いがお前の気持ちには応えられない。それに……もうそんな無謀なことをするな。俺が敵だと認識していたら、お前に怪我をさせていたかもしれない」
「ほぇ」

 気の抜けた声が出てしまったのも無理はないと思う。まさかとしか言いようがないけど――シルヴァに振られてしまった。しかもお説教つきで。
 
 ノーナの言い訳は告白と捉えられてしまったんだろう。それはいい。
 でも、罵倒されてもおかしくないことをしでかしたのに、彼は誠実な言葉をくれた。なんならノーナのことを心配しているようにも聞こえる。

 シルヴァは良い人すぎる。こんなにも簡単にノーナのやったことを――しかも嘘の内容を――受け入れてしまうなんて大丈夫かな、とむしろ彼が心配になった。

 ぽけっと呆けているノーナを見遣って、シルヴァはもう話は終わったと言わんばかりに踵を返した。
 
 ノーナはただその場に突っ立って彼を見送る。これで良かった。
 想定していたよりも遥かにいい結果で、あの『間違い』をことができたのだ。
 
 だからホッとしていいはずだった。諸手を挙げて喜んだっていいはずだ。
 ……それなのに胸に残るのは、飲み込みきれないような、ざらついて苦い想い。

 我知らず唇を噛み締めていたノーナは、廊下を歩いていくシルヴァが何かを迷うように足を止めたことに気づいた。彼は振り返ってノーナに問う。

「お前、名前は?」
「……の、ノーナ」
「ふぅん。ノーナ、今日は早く帰って、ちゃんと寝た方がいいぞ」

 シルヴァは自分の目の下を指さして、ノーナの隈を指摘した。それだけ告げると、彼は今度こそ廊下の角を曲がって見えなくなってしまった。

「…………」

 こんなことで心が浮き立つなんて、可笑しい。働きすぎで疲れているノーナは、若いシルヴァから見ればよっぽど酷い顔をしていたのだろう。
 でも……名前を呼んでくれた。知ろうとしてくれた。
 
 あの夜、ノーナの名前を愛おしげに呼んでくれたシルヴァはもういないし、年上と知って驚いていた彼もいない。ノーナのくだけた話し方をずっと続けてほしいと望んだ彼にだって、二度と会えないだろう。
 
 本当に振り出しに戻っただけだ。なのに……いまの一瞬、ノーナの名前を呼んだシルヴァにあの日の片鱗を感じたことが、どうしてこんなにも嬉しいのか。自分でも自分の感情が分からなかった。
 
 太陽の光が容赦なくノーナを焼こうとしている。きっと熱いからだ。頬が熱をもっている気がするのは。


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