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本編
4.
しおりを挟む「出ていけ! そっちのミスじゃないか!」
「すみません……。このとおりですから、どうか承認を」
「平民ごときが文官になるから仕事に支障がでるんだよ。はぁ……呆れた。教養のないやつの相手は疲れるな」
「すみません……。よろしくお願いします」
朝一でトゥルヌスさんから預かった書類は、期限切れ間近の見積書だった。ノーナは他の仕事と並行しながら大慌てで関係局に確認を取って、いつもどおり罵倒されながら承認をもらい、発注をかけ終わったときにはもう夕方になっていた。
日の長い季節だから、まだ明るい。夜にのまれる直前に輝きを増す太陽の光が、遠くの窓から差し込んでいるのが見える。
文官でも相手が平民となると、みんな当たりが強いのだ。結局承認をくれるなら、黙ってくれればいいのに……エネルギーと時間の無駄だと思わないのだろうか。いや、ただ単純にストレス解消をしているだけなのかもしれないな。
ひと気の少なくなった廊下をトボトボと歩いていると、正面玄関の方から騒がしい声が聞こえてきた。玄関近くの遮るもののない廊下は、よく声が通る。
「狼騎士の帰還だ……!」
「目つきやべぇ。存在感からして怖すぎる。戦場では残虐無慈悲の狼みたいだって有名なんだろ?」
「シッ。聞こえるぞ!」
恐怖の対象として神話に出てくる巨大な狼、フェンリルに例えているのだろうか。
その言われようが気になってあえて玄関の方へ向かうと、注目の的は長い大階段を上ってきている途中だった。
大きな窓から夕方の力強い光が差し込んで、男を斜め横から照らしている。ノーナは噂話をしている文官達の後ろから、そっと彼を見つめた。
――シルヴァ・ディ・ウィミナリス
若干二十歳で数々の功績を打ち立てているエレニア王国の騎士だ。国王軍に所属していて、国の命令に従ってあらゆる戦地に向かう。
短く刈られたシルバーの髪に、バーガンディの瞳。髪は光を受け硬質な白銀色に輝いている。
瞳の濃い赤は血を連想させると近くの人は言っているけれど、ノーナは遠目に見てもヴィンテージワインのように美しいと思った。
精悍で凛々しい顔立ちだが、近づくと思わず萎縮してしまうほど立派な体躯で存在感がある。狼というより熊みたいだ。
眉の上に残る古傷や腕に巻かれた包帯が、彼の荒々しい印象を強調していた。
遠方から帰還してそのまま王宮へ来たようで、地味な旅装をしている。周囲はざわついているが、誰も話しかけたりしない。シルヴァはしかめっ面で正面だけを見据えて歩いていた。
ノーナも彼の噂はときどき耳にするし、何度か王宮で目にしたこともある。その見た目と雰囲気が与える印象に加え、戦場でのシルヴァは鬼神に例えられているらしい。
一般の人に怖がられるのは分からないでもないが、同じ騎士団員のなかでも彼は遠巻きにされているようだ。
聞くのは噂ばかりで、もちろんシルヴァとは話したこともない。だからノーナには彼を怖がる理由がない。そりゃあ、いきなり目の前に現れたら野生の熊に出会ったみたいに驚くだろうけど。
シルヴァは今回もしばらく王都に滞在するんだろう。この王宮の敷地は広大で、なかに騎士団本部も併設されているからだ。
ノーナはなんとなく彼が去るまで見送ってから、帰宅の準備をした。
王宮から出て王都の街に出るまでは、広い庭園を通る。ここも王宮の一部となっていて、王宮内で働く人とその付き添いだけが入園できることになっている。だから休日は家族連れやデートに来る人たちでごった返している、らしい。
若者のあいだでは王宮で働く人と付き合ってここでデートするのが一種のステータスになっているようだ。下働きだとしても王宮で働きたいと望むものが多いのは、それが理由のひとつだろう。
王宮で働いていると言うだけでモテるようになって、恋人ができたと友人は言っていた。ノーナはモテとは無縁だけれど。
庭園内に複数ある噴水のなかでも、あまり目立たない場所にある小さな噴水のところまで歩いて行って台座に腰かけた。帰りが遅くならないとき、ノーナはここでほっとひと息つくのが好きだった。
太陽は眠る準備に入り、辺りはもう薄暗い。あっという間に空は夜に飲み込まれるだろうが、黄昏は美しい。今日の退勤はいつもより早いのだ。
水面を覗き込むと、自分の顔が映り込む。
「……ひどい顔」
目ばかりが大きい童顔で、美人からはかけ離れている。下を向いていたらパラパラと髪が前に垂れてきて、耳に掛けた。
ちょっと残業しただけで、疲れが顔にでるようになったのはいつからだろうか。もう二十六歳になってしまった。そんな歳なんだろう。
学園時代の同級生で、唯一いまも仲良くしている友人は今の彼女と結婚したいと言っていた。平民の結婚とはいえ、二十六歳でも遅い方だ。
キラキラした目で未来を語る友人が羨ましかった。ノーナの未来は、いつも光がなくて遠くが見えない。
こんな疲れた顔をしたノーナなんて、いつ捨てられたっておかしくない。トゥルヌスさんはきっと若い子が好きなんだろう。ノーナより肌の血色がよくて、元気で可愛い子になびいてしまうのも時間の問題だ。
その前に、惚れ薬で彼の心を手に入れなければならない。貴族のトゥルヌスさんと一緒になることは難しくても、いまよりもう少しだけ心を向けてほしかった。
彼の人生に、ノーナという存在を少しだけ食い込ませて、認めてほしい。
「この白すぎる肌がだめなんだ」
血色の悪い白い肌は、黒髪でいっそう強調されている気がする。頬を赤く染めるくらいの可愛げがあれば、たくさん愛してもらえるだろうか。
指でむにむにと頬を揉んで引っ張ってみたけど、じんじん痛いだけだった。あと、すっごいブサイク。
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