上 下
4 / 71
本編

4.

しおりを挟む

「出ていけ! そっちのミスじゃないか!」
「すみません……。このとおりですから、どうか承認を」
「平民ごときが文官になるから仕事に支障がでるんだよ。はぁ……呆れた。教養のないやつの相手は疲れるな」
「すみません……。よろしくお願いします」

 朝一でトゥルヌスさんから預かった書類は、期限切れ間近の見積書だった。ノーナは他の仕事と並行しながら大慌てで関係局に確認を取って、いつもどおり罵倒されながら承認をもらい、発注をかけ終わったときにはもう夕方になっていた。
 
 日の長い季節だから、まだ明るい。夜にのまれる直前に輝きを増す太陽の光が、遠くの窓から差し込んでいるのが見える。
 
 文官でも相手が平民となると、みんな当たりが強いのだ。結局承認をくれるなら、黙ってくれればいいのに……エネルギーと時間の無駄だと思わないのだろうか。いや、ただ単純にストレス解消をしているだけなのかもしれないな。
 
 ひと気の少なくなった廊下をトボトボと歩いていると、正面玄関の方から騒がしい声が聞こえてきた。玄関近くの遮るもののない廊下は、よく声が通る。

「狼騎士の帰還だ……!」
「目つきやべぇ。存在感からして怖すぎる。戦場では残虐無慈悲の狼みたいだって有名なんだろ?」
「シッ。聞こえるぞ!」

 恐怖の対象として神話に出てくる巨大な狼、フェンリルに例えているのだろうか。
 
 その言われようが気になってあえて玄関の方へ向かうと、注目の的は長い大階段を上ってきている途中だった。
 大きな窓から夕方の力強い光が差し込んで、男を斜め横から照らしている。ノーナは噂話をしている文官達の後ろから、そっと彼を見つめた。
 
 ――シルヴァ・ディ・ウィミナリス
 
 若干二十歳で数々の功績を打ち立てているエレニア王国の騎士だ。国王軍に所属していて、国の命令に従ってあらゆる戦地に向かう。

 短く刈られたシルバーの髪に、バーガンディの瞳。髪は光を受け硬質な白銀色に輝いている。
 瞳の濃い赤は血を連想させると近くの人は言っているけれど、ノーナは遠目に見てもヴィンテージワインのように美しいと思った。
 
 精悍で凛々しい顔立ちだが、近づくと思わず萎縮してしまうほど立派な体躯で存在感がある。狼というより熊みたいだ。
 眉の上に残る古傷や腕に巻かれた包帯が、彼の荒々しい印象を強調していた。

 遠方から帰還してそのまま王宮へ来たようで、地味な旅装をしている。周囲はざわついているが、誰も話しかけたりしない。シルヴァはしかめっ面で正面だけを見据えて歩いていた。
 
 ノーナも彼の噂はときどき耳にするし、何度か王宮で目にしたこともある。その見た目と雰囲気が与える印象に加え、戦場でのシルヴァは鬼神に例えられているらしい。
 一般の人に怖がられるのは分からないでもないが、同じ騎士団員のなかでも彼は遠巻きにされているようだ。

 聞くのは噂ばかりで、もちろんシルヴァとは話したこともない。だからノーナには彼を怖がる理由がない。そりゃあ、いきなり目の前に現れたら野生の熊に出会ったみたいに驚くだろうけど。
 
 シルヴァは今回もしばらく王都に滞在するんだろう。この王宮の敷地は広大で、なかに騎士団本部も併設されているからだ。
 ノーナはなんとなく彼が去るまで見送ってから、帰宅の準備をした。

 王宮から出て王都の街に出るまでは、広い庭園を通る。ここも王宮の一部となっていて、王宮内で働く人とその付き添いだけが入園できることになっている。だから休日は家族連れやデートに来る人たちでごった返している、らしい。
 
 若者のあいだでは王宮で働く人と付き合ってここでデートするのが一種のステータスになっているようだ。下働きだとしても王宮で働きたいと望むものが多いのは、それが理由のひとつだろう。
 王宮で働いていると言うだけでモテるようになって、恋人ができたと友人は言っていた。ノーナはモテとは無縁だけれど。

 庭園内に複数ある噴水のなかでも、あまり目立たない場所にある小さな噴水のところまで歩いて行って台座に腰かけた。帰りが遅くならないとき、ノーナはここでほっとひと息つくのが好きだった。
 
 太陽は眠る準備に入り、辺りはもう薄暗い。あっという間に空は夜に飲み込まれるだろうが、黄昏は美しい。今日の退勤はいつもより早いのだ。
 
 水面を覗き込むと、自分の顔が映り込む。

「……ひどい顔」

 目ばかりが大きい童顔で、美人からはかけ離れている。下を向いていたらパラパラと髪が前に垂れてきて、耳に掛けた。
 ちょっと残業しただけで、疲れが顔にでるようになったのはいつからだろうか。もう二十六歳になってしまった。そんな歳なんだろう。

 学園時代の同級生で、唯一いまも仲良くしている友人は今の彼女と結婚したいと言っていた。平民の結婚とはいえ、二十六歳でも遅い方だ。
 キラキラした目で未来を語る友人が羨ましかった。ノーナの未来は、いつも光がなくて遠くが見えない。
 
 こんな疲れた顔をしたノーナなんて、いつ捨てられたっておかしくない。トゥルヌスさんはきっと若い子が好きなんだろう。ノーナより肌の血色がよくて、元気で可愛い子になびいてしまうのも時間の問題だ。
 
 その前に、惚れ薬で彼の心を手に入れなければならない。貴族のトゥルヌスさんと一緒になることは難しくても、いまよりもう少しだけ心を向けてほしかった。
 彼の人生に、ノーナという存在を少しだけ食い込ませて、認めてほしい。

「この白すぎる肌がだめなんだ」

 血色の悪い白い肌は、黒髪でいっそう強調されている気がする。頬を赤く染めるくらいの可愛げがあれば、たくさん愛してもらえるだろうか。
 指でむにむにと頬を揉んで引っ張ってみたけど、じんじん痛いだけだった。あと、すっごいブサイク。
しおりを挟む
感想 32

あなたにおすすめの小説

信じて送り出した養い子が、魔王の首を手柄に俺へ迫ってくるんだが……

鳥羽ミワ
BL
ミルはとある貴族の家で使用人として働いていた。そこの末息子・レオンは、不吉な赤目や強い黒魔力を持つことで忌み嫌われている。それを見かねたミルは、レオンを離れへ隔離するという名目で、彼の面倒を見ていた。 そんなある日、魔王復活の知らせが届く。レオンは勇者候補として戦地へ向かうこととなった。心配でたまらないミルだが、レオンはあっさり魔王を討ち取った。 これでレオンの将来は安泰だ! と喜んだのも束の間、レオンはミルに求婚する。 「俺はずっと、ミルのことが好きだった」 そんなこと聞いてないが!? だけどうるうるの瞳(※ミル視点)で迫るレオンを、ミルは拒み切れなくて……。 お人よしでほだされやすい鈍感使用人と、彼をずっと恋い慕い続けた令息。長年の執着の粘り勝ちを見届けろ! ※エブリスタ様、カクヨム様、pixiv様にも掲載しています

【完結】父を探して異世界転生したら男なのに歌姫になってしまったっぽい

おだししょうゆ
BL
超人気芸能人として活躍していた男主人公が、痴情のもつれで、女性に刺され、死んでしまう。 生前の行いから、地獄行き確定と思われたが、閻魔様の気まぐれで、異世界転生することになる。 地獄行き回避の条件は、同じ世界に転生した父親を探し出し、罪を償うことだった。 転生した主人公は、仲間の助けを得ながら、父を探して旅をし、成長していく。 ※含まれる要素 異世界転生、男主人公、ファンタジー、ブロマンス、BL的な表現、恋愛 ※小説家になろうに重複投稿しています

【完結】ここで会ったが、十年目。

N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化) 我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。 (追記5/14 : お互いぶん回してますね。) Special thanks illustration by おのつく 様 X(旧Twitter) @__oc_t ※ご都合主義です。あしからず。 ※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。 ※◎は視点が変わります。

【完結】第三王子は、自由に踊りたい。〜豹の獣人と、第一王子に言い寄られてますが、僕は一体どうすればいいでしょうか?〜

N2O
BL
気弱で不憫属性の第三王子が、二人の男から寵愛を受けるはなし。 表紙絵 ⇨元素 様 X(@10loveeeyy) ※独自設定、ご都合主義です。 ※ハーレム要素を予定しています。

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。 ★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

処理中です...