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 応接室の前に立つと、中に人の気配がある。この先に……先輩がいるのだ。
 ミネットはふぅとひとつ深呼吸をして、自らその扉を開けた。室内の視線が一斉にこちらを向く。

「え……」

 誰かが息を呑む。カチャン! と父上がティーカップを落とした。

「ミ……」
「お初にお目にかかります。フルヴィエール家の長女、カルミナでございます」

 ミネットの名前を呼ぼうとするから、慌てて被せるように挨拶した。カーテシーで足を挫きかける。難しいなこれ……
 
「……とても可愛らしいな」
「そう言っていただけて光栄ですわ、レヴリー様」

 父は表情こそすぐに取り繕ったものの、今すぐ頭を抱えたいと顔に書いてある。母は「あらあら」と言わんばかりに扇子で口元を隠していた。
 いきなり息子が女装して現れた上、娘の名を名乗っているのだ。我ながら意味がわからないよなぁ。
 
 リヨン男爵と夫人は数秒ポカンとしていたが、小声で「……本当にこの子があなたの好きな子なのね?」とレヴリー先輩に確認し、「ええ、もちろん」と答えたのでホッと息を吐いていた。
 しっかり聞こえていたミネットは、細い針で刺されたように胸がツキンと痛むのを感じる。先輩は本当に、カルミナのことが好きなのだ。

 リヨン夫妻と改めて挨拶を交わし、一見平穏なようで混沌とした場は、親同士で婚姻の詳細を詰めていくこととなった。
 ミネットとしては「いいの?」と両親に問いたいが、「二人はお庭でも散歩してきたら?」と母上が言うので従うことにする。なんとなく、拒否することを許さないような口調だった。

「お手をどうぞ、お嬢さん」
「あ……は、はい」

 手を差し伸べられて、どきどきしながらグローブをはめた手を重ねた。レヴリー先輩の大きな手と比べれば、レースで覆われた手は華奢に見える。
 グローブの中はきつきつだったけど、ちょっと夢のような心地だ。

 ただ、浮かれている場合じゃない。ミネットはこれから先輩を誘惑するという、人生を賭けた使命があるのだ。

「庭園は私がご案内しますわ」

 高めの声を出してみても、女言葉には違和感がありすぎる。必要以上に喋らないようにしながら、先輩と歩く。
 四年間学校でたくさん一緒に過ごしたけれど、自分の家に先輩がいるというのは変な感じ。それどころじゃないのに……やっぱり嬉しくて、心がこそばゆかった。

 こっそり俯いて、笑みをこぼす。この人が自分の旦那さんだったら、どれだけ幸せなことか。

「ここへの道すがら、広大な葡萄畑を見たよ。俺はワインが好きだから、結婚したらここの高級ワインがたくさん飲めるかと楽しみにしてるんだ」

 レヴリー先輩は二人きりになったとたん砕けた話し方になり、まるで学校で過ごした日々が戻ってきたかのようだった。軽い冗談にミネットはくすくすと笑ってみせる。

 しかし――ここで大問題が起きていた。歩くにつれて、別のことで頭がいっぱいになってきたのだ。

(コルセット……すんごく苦しい!)

 カルミナが、私はこんなに太くない! とぎゅうぎゅう締めてきたせいで、いまや浅くしか息ができない。ただ歩いているだけで頭が朦朧としてきた。
 
 きっと、慣れないスカートとパンプスのせいもあるだろう。エントランスから外に出るとき、ミネットは自分の家なのにツンッと段差で躓いてしまった。

「あっ」
「ミネット……! 大丈夫か」

 先輩の肘に掛けていた手が外れた瞬間、すかさず腰を支えてくれた。はぁはぁと荒い呼吸を繰り返し、ミネットは苦しさと恥ずかしさに顔を赤くしながら謝罪する。
 掛けられた言葉の違和感には気付かなかった。

「ごめんなさい……せ……レヴリー様。少し、あちらのガゼボで休んでも……?」

 ぼうっとしていて、思わず先輩と言ってしまいそう。ミネットが庭の中にあるガゼボを伝えると、先輩は「ちょっとごめんね」とひと声かけてから身体を横抱きにしてきた。

「ひゃああ」
 
 婚姻予定だとしても、初対面の男女の距離感ではない。でも今のミネットでは、ガゼボへたどり着く前にキュウ……と力尽きてしまう可能性が高かった。
 
 申し訳なさに縮こまりながら、間近の顔を見上げる。先輩はまっすぐ前を向いていた。いつも冷静沈着な先輩はこんなところでも頼もしい。でも……

(耳、赤くなってる)

 ミネットはきゅん、と胸が締め付けられるのを感じた。コルセットとは違う、甘い痛みだ。先輩も好きな子と接近して、緊張しているのかもしれない。
 
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